徹底監視!教育基本法「改正」法案審議
参議院・教育基本法に関する特別委員会


■参議院・教育基本法に関する特別委員会

■衆議院・教育基本法に関する特別委員会

その他の委員会(衆議院・参議院)

月日 会議名 発言者など 監視コメント(監視員名)
12月5日
教育基本法に関する特別委員会
■神本委員(民主)の質問に対する伊吹文科大臣の答弁のなかで、教育基本法「改正」政府案は自民党憲法草案との整合性をチェック済みであるという、驚くべき事実が明らかにされた。

■伊吹大臣によれば、政府案と自民党憲法草案との整合性のチェックは、
@自民党・公明党の協議会案をもとに文科省が法(要綱)案をまとめた際に行われた。
A文科省だけでなく、自民党・公明党の協議会も独自に行っている。
B「自民党の憲法草案との間に大きな違いがあるのかないのか、そういうことはやはり一応のチェックはするというのが立法者の当然の責任」である。

■一政党の私案に過ぎない自民党憲法案(改憲案)との整合性のチェックを行うことは、日本国憲法に規定された憲法擁護尊重義務(99条)に反する言語道断の行為である。文科省によるチェックが与党協議会からの要請で行われたのであれば、自公両党の国会議員のみならず、文科省までもが憲法擁護尊重義務違反の行為に加担したことになる。

■のみならず、文科省のチェックは与党協議会からの要請のより行ったのではないかという疑問も沸く。憲法草案を出した自民党ならともかく、それとは別に行われた文科省のチェックは、自民党の政治圧力、すなわち、「不当な支配」によるものではないのか。文科省はことの真相を国民の前に明らかにしなければならない。

■さらに、伊吹大臣は、このチェックは法案の提出者として当然の責務だと開き直り、次のような発言までしている。

「法案の作成者としては、やはりあらゆる注意を払ってこの法案をつくっているわけですから、その過程で、例えば、帝国憲法とはこんなに違う、帝国憲法と突き合わせてみたらこんなにたくさん違うところがあるなということだって当然考える」

実定法として存在した帝国憲法と、たんなる一政党の私案とを同列に扱うことがそもそも誤りであるが、百歩譲って、それでは、政府案は帝国憲法とはどのように整合するのかしないのか、と質問してみたらどうなるだろうか。政府案が自民党憲法草案と整合しているのなら、帝国憲法ともかなりの点で整合がとれているという結論が引き出されるに違いない。

■なお、安倍首相も今回の伊吹発言に符号するように、10月30日の衆議院教基法特別委員会において、「我々の既に出しているこの草案(自民党新憲法草案)と私どもが出している改正案は、基本的にはそれによって矛盾が生じるものではない、こう認識をしております」と発言している。政府委員としての立場と自民党員としての立場を混同した問題発言であるが、それはさておき、これが単なる「認識」の問題なのか、政府・文科省のチェックを経ての「確信」なのか、それを命じたの誰なのか、参議院・教基法特別委員会は首相を招致して問いただすべきだろう。

■以下、当日の審議の書き起こし

神本委員:まず、教育基本法、今回の政府案と憲法との関係についておうかがいします。伊吹大臣は、この参議院での11月27日の質疑の中でこういうふうに答弁していらっしゃいます。政府案を作成する段階で、現行憲法はもちろんのことでございますが、自民党が作っております憲法草案との整合性も一応チェックして、そしてこの法案、教育基本法の法案を提出していますが、というふうに御答弁なさっておりますけれども、自民党の憲法草案との整合性をチェックしたという事実はあるんですか。

伊吹文科大臣:御答弁申し上げておりますように、まず現行の憲法との整合性は、当然今は憲法改正は行われてないわけですから、国会に提出する限りは当然それとの整合性をチェックをして、チェックをしてというか、現行憲法の下でこの法案を提出しています。しかし同時に、そのときの自民党と公明党の基本法の協議会の当時の出席者に私、確かめておりますが、そのときも、それから文部科学省が正式にその案をいただいて、それを文言に、字句に直したときも、一応自民党のつくっております憲法草案との間の整合性はチェックいたしております。

神本委員:それは文科省がやったんですか。

伊吹文科大臣:この提案は内閣が提出しておりますが、原案は文部科学省が作成しております。そして、その文部科学省が作成する原案の基本になっているのは、公明党と自民党の与党協議で出てきた案です。その各々の場面で、文部科学省も、そして自民党、公明党の与党協議会も自民党案との整合性はチェックいたしております。

神本委員:はっきりチェックされているんですね。私は、これは大問題ではないかと思うんですが、政府案というのは内閣が閣法として提出する、それは当然のことながら現行憲法の枠内で行われるべきことですよね。そうやって現行憲法の下でもつくられた法案であるということですけれども、一つの政党の草案、憲法草案と整合性を図るということは、これは政府としてやってはいけない行為ではないでしょうか。

伊吹文科大臣:それは全く違います。それは、立法過程においてできるだけ細心に注意を払うべきことであって、現行憲法と整合性が取れていれば、一番最初に答弁したように、現行憲法下で出すんですからそれは当然のことなんですよ。しかし同時に、念のために自民党の案との間の整合性があるかどうかというのは、チェックするのはそれは立法者としては当然のことじゃないですか。

神本委員:いえ、私が言っているのは、一政党の、一政党の草案ですよね。それと、やることは、政府としてやるというのは、憲法は九十九条でこの憲法重視ということを言っていますよね。それを一政党の草案とチェックをするということは、これは問題じゃないですか、官房長官。

塩崎官房長官:一つは、先ほど伊吹大臣から参考までに参照をしたと、こういうお話がありました。それと、自由民主党とはどっかの聞いたことない政党ではなくて与党の一つの政党でございますので、自分たちが言っていること、与党と言っていることが全く違うことを書いてあるような法律を出すというのも余り格好いい話ではありませんので、それはきちっと見ておくというのがごくごく常識的な判断かなというふうに思います。

神本委員:いや、与党だから許されるとかいうのはおかしいと思うんですよね。これはやっぱり、政府として一つの政党と、参考にしたじゃなくて整合性をチェックしたとおっしゃったんですよね。これはまた、まさか内閣法制局と一緒にやったわけではないですよね。

伊吹文科大臣:再三申し上げておりますように、現在、憲法が改正されてないわけですから、現行憲法との整合性をチェックしてここへ出すのは当然なんですよ。しかし、当たり前のことですよ、それは。しかし同時に、立法者としては細心の注意を払って、どうだこうだ、今の自民党の憲法草案との間に大きな違いがあるのかないのか、そういうことはやはり一応のチェックはするというのが立法者の当然の責任で、今度はそれチェックをしてなかったら逆の攻め方を必ずされますよ。

神本委員:いや、逆の攻め方しようと思って言っているんではなくて、政府の行為として憲法遵守義務があるにもかかわらず、その一部政党の草案とチェックをしたということについて私は問題にしているんです。これは、それこそ教育基本法第十条、「教育は、不当な支配に服することなく」ということについて、帝国議会でも、この意味は何なのかというと、従来、官僚とか一部の政党とかその他不当な外部的な干渉、ヨウカイと申しますか、それによってつくられてはいけないということを言っているわけで、そのことを自民党はといいますか、伊吹大臣は侵したのではありませんか。

伊吹文科大臣:御質問の趣旨がちょっとよく分かりませんが、提案者としては、提案者というか、この法案の作成者としては、やはりあらゆる注意を払ってこの法案をつくっているわけですから、その過程で、例えば、帝国憲法とはこんなに違う、帝国憲法と突き合わせてみたらこんなにたくさん違うところがあるなということだって当然考えるというのは、立法者として当たり前のことなんじゃないんですか。

神本委員:しかも、私がなぜこんなに問題にしているかというと、自民党憲法草案は、私も新聞記事とかで見ただけですけれども、その理解は今の現行憲法を尊重する立場にはないというふうに思っています。大きく立場が違う内容になっていると思います。特に、例えば自衛軍を創設するとか、それから、現行では基調になっている個人の尊重、尊厳よりも、国家主義、公の秩序を維持するというような、理念が大転換するような憲法草案と整合性をチェックしてやるということについて、私はこれは非常に、現行憲法に基づいてやらなければいけない法律改正についてこういうやり方は大きな問題があると思うんですけれども、いかがですか。

伊吹文科大臣:現行憲法においてすら先生がおっしゃった国家主義というのはどこにある言葉なのか、私は、自由民主党の憲法草案にもございませんし、どこにある言葉なのかよく分かりません。しかし、現行憲法においても、個人の権利は公共の福祉の範囲の中で尊重さると書いてあるわけでして、運用の問題として、どうもその公共の福祉はどこかへ行っちゃってその個人の権利が強く出ているのは、バランスを取らなければならないという考えはあるのかも分かりませんよ。しかし、全く、その国家主義だとかどうだとかという言葉はどこに入っている言葉なのか、御教示をいただきたいと思います。

神本委員:官房長官、もう一度お尋ねしますけれども、こういう政府が一政党の草案と整合性をチェックして提案するということについては、しかも、その憲法の下に、法律は憲法との整合性を調べなきゃいけないのに、一政党の草案と整合性をチェックしてやったということについては問題はないのでしょうか。官房長官にお聞きします。

伊吹文科大臣:委員長の御指名ですから。一番大切なことは、憲法を尊重して、この現行憲法を尊重してこの法案ができているかどうかということなんですよ、立法意図と提出者の立場から言うと。それは完全にチェックをしてあるわけです。その上でなお念を入れていろいろなものを参照にするということは、国家主義に転換したとかということとは全く関係がないことですよ。

塩崎官房長官:今、伊吹大臣が答弁されたとおりだと思います。仮に、民主党が憲法草案をつくっていれば参考までに見ていたかも分からないと、そんな感じだろうと思います。

神本委員:国家主義というところで御質問、私が答弁するんではありませんけれども、これもこの委員会で答弁されているんですが、今回の政府案第二条五項、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」態度、これはどういうことですかという質問に対して、大臣は、国や社会を愛情と責任感と気概を持って自ら支える責務を共有し、これは自民党草案にあるけれども、ここのところを教育基本法の二条で受けてというふうに、気概を持って自ら支える責務という自民党の憲法草案を受けているというふうに御答弁なさっております。これは教育の、この後の質問にも続けていきたいと思いますけれども、現行憲法も現行教育基本法も個人の尊厳、個人の価値ということをまず一番基本に置いて、その個人の尊厳を持って人間の成長発達を保障する責務を国が負うという作り方になっていると思うんですけれども、この自民党憲法草案に基づいてと、そこと整合性をはかってつくられたこの二条の五号ですね、これは国のために自らの気概を持って責務を果たすということを求める内容になっているところを私は国家主義というふうに言ったわけです。
11月30日午前
教基法特別委員会
いじめ、TM問題の集中審議が行われ、直接的には改正案の質疑があったわけではありませんでした。しかし、安倍首相は、いじめの問題を「心の教育」の問題にすり替え、改正案の成立によってそれが強化されるようになるとの認識を述べました。
TM問題では、静岡で開かれた際の支出での異常さが指摘されました。たとえば、駅から徒歩5分の会場に行くのにハイヤーを調達した。しかし、地元の業者が他の行事で対応できないとのことで東京から運転手付きで調達し、その金額を台数を増やすという帳簿上の操作で収支を合わせた。これは政府も認めた。これを聞きながら、この間、補助金の不正使用で問題とされたことと同じではないか、TMだけが例外なのが納得できなかった。
11月29日
教基法特別委員会

岡田 広(自民)
浮島とも子(公明)
那谷屋正義(民主)
佐藤泰介(民主)
小林美恵子(共産)
近藤正道(社民)
亀井郁夫(国民)
<主な論点>
・ 教育予算の確保(民主党)
→伊吹:税負担を国民が許すかどうか。
・ 2条(特に愛国心)の目標=個人の内面に対する評価と管理では?
・ 2条「学問の自由を尊重し」から「尊重しつつ」へ変わった意味は?
→伊吹:変わらない。
・ 2条は全体(私学、大学、幼児教育、地域社会)全体を規定するのか?
→伊吹:全てに関わる。13条は連携を言っている。人権と公共のバランスが重要。
・ 「不当な支配」の意味の変化は?
→伊吹:国民意思の全体に反する=不当な支配という意味では変化していない。
   国会=国民意思。国会から立法権を委任される行政(政省令、告示)が、「不当な支配」をするとは建前として言えない。ただし、行政が「不当な支配」をしていると主張された場合、それは司法の場で決着。

<岡田広(自民)>
・ 家庭教育が教育の原点
・ 生涯学習を取り入れた意味は?
・ 日本史の重要性
・ 教育再生会議の提言をどう実施?

→伊吹大臣:「教育再生会議はあくまでアドバイザリーボード。会議の提言は直接的には安倍首相へ向けられている。加えて世間へのアピールという意味もある」と、教育再生会議をけん制する答弁。

* 岡田委員が持論を長々と説き、まともな議論にならず。「時間稼ぎでもしているのか」と思うほど。

<浮島とも子(公明)>
○質問・意見の概要
・ 学校(大学含む)での文化芸術の振興が重要
→体験活動(文化・芸術・スポーツ・飼育)の重視
・ 教員の負担軽減の必要性
→学校でのITを活用した事務の標準化

* 岡田委員同様に浮島委員が持論を長々と説き、まともな議論にならず。「時間稼ぎでもしているのか」と思うほど。

<那谷屋正義(民主)>
・ 政府案第9条は教員に限らず、他の様々な職員全体に対する規定か?
→伊吹:教員のみ。他の職員についは、6条2項。

・ 教員の質と量の維持・向上が必要では?
→伊吹:税負担の関係もあり、国民世論にもよりけり。

・ 学校の耐震化の実施は?
→伊吹・塩崎官房長官:今年の補正予算でできるだけ早く。

・愛国心と個人の尊厳、人格の完成は矛盾しないか?
→伊吹:憲法にもあるように、個人は公共の福祉に制限される

<佐藤泰介(民主)>
・ 大学院、高専、専門学校、各種学校はどこに規定される?
→伊吹:大学院=7条、その他は6条

・2条「学問を尊重し」が「学問を尊重しつつ」に変わった意味は?
→伊吹:変わっていない。

・ 「不当な支配」の意味の変化は?
→伊吹:国民意思の全体に反する=不当な支配という意味では変化していない。
国会=国民意思。国会から立法権を委任される行政(政省令、告示)が、「不当な支配」をするとは建前として言えない。ただし、行政が「不当な支配」をしていると主張された場合、それは司法の場で決着。

<小林美恵子(共産) >
・教員の過労が各種調査で明らか。特に、多忙で子どもに向き合えないのが問題。

<近藤正道(社民) >
・ 日本国憲法の理念、近代国家の原則からいって、2条の徳目列挙は問題。内面に立ち入らないというが、境界があいまいで問題。目標と評価はセット。
・ 2条は全体(私学、大学、幼児教育、地域社会)全体を規定するのか?
→伊吹:全てに関わる。13条は連携を言っている。人権と公共のバランスが重要。

<亀井郁夫(国民)>
・ タウンミーティング、無免許問題等について質問。
11月29日午後
教基法特別委員会
●福島みずほ(社民)
「教育再生会議」と「国会・教育基本法に関する特別委員会」の関係について言及し、教育再生会議の存在は、国会の権威を貶めるものであると主張した。次に、日弁連の声明を使いながら、憲法・教育基本法の名宛人は国家とするものであるが、教育基本法改正案はその名宛人を変更するものである、と指摘した。伊吹文科相は、「法律上、名宛人という概念ははっきりしない」と答弁した。最後に、「総理は規範意識の低下が教育基本法改正の理由というが、規範意識が最も低下しているのは「やらせ」をやっている政府であり、その政府が規範意識云々を言うのは100年早い」と発言した。

●林久美子(民主)
いじめ問題について。各教育委員会に「いじめ半減」などの数値目標を掲げさせてきたことが問題なのではないか、と質問。伊吹文科相は、「人生においても目標は大事」と答弁。

●神本美恵子(民主)
改正案を作成した与党審議会での検討内容は国民にとっても大変重要な内容を含んでいるが、しかし、密室で協議されたものである。明らかになっている学校以外で、単位未履修学校はまだまだあるというメールがきている。

●井上哲士(共産)
タウンミーティングのやらせ疑惑について。内閣・官房の責任者が関わったのではないか。

●亀井郁夫(国民)
教育委員会制度について。教育委員会には予算権がないし人事権もない。これでは、行政としての責任は終えないと指摘。伊吹文科相は「最終的には国が責任を負う、ということだ」と説明。
――感想。伊吹文科大臣が、「もう何十回も答弁していますが〜」と言ってから答弁するのがところで目に付いた。福島議員とのやり取りのなか、「何度も言っているように、憲法改正と連動するものではないから心配しなくてもよい」と述べているが、憲法との順接性・子どもの権利条約との順接性などを、もっと具体的な内容に基づいて追求することが必要なのではないかと思いました。
11月28日午前
教基法特別委員会
T 議論全体の要旨

1、12/1 参考人質疑を行なうことが可決された。人選は委員長に一任された。

2、条文別では政府案前文、2条、3条、4条、12条の内容が審議された。

3、教基法改正の理由、食育と教基法の関係、いじめ・いじめ自殺問題も答弁で扱われた。本日の委員会で注目すべきは、以下の内容の大臣答弁であろう。

・ 多数決で教育内容が包括的に決定される
・「学問の自由」という基本的人権は政府案2条に優先する
・ 教師は法律や法律に基づく学習指導要領に服する義務があり、この考え方は北海道学力テスト最高裁判決の趣旨である
・ 「国と郷土を愛する『態度』」と心は、一体である。「大部分の多くの態度は、心があるから態度に表れるわけですから、教える場合は、そこは一体として私は考えても構わない」

U 審議の中で結論的に主張された点

1、多数決原理と教育の関連について「国家という集団をうごかすため…我々は多数決原則というもの、民主制のルールを使っている」と伊吹は答弁した。教育に関連した包括的な決定が国会でなされうるとの考えを示した。

2、政府案2条に「食育」が含まれるとの解釈を、政府は示した。

3、政府案2条の「学問の自由を尊重しつつ」の意味と憲法23条の関連について。伊吹は「人間がモノを知りたい・真理を探究したいという自然発生的な気持ちは何者にも侵されることなく尊重されなくてはならない」「一人ひとりの真理探究は、何者にも侵されない大切な権利である」と「学問の自由」を位置づけ、政府案2条は「大学はもちろんのこと、特定のイズムとか、宗教的背景とか、政治的影響力を持ちながら個人の持っている気持ちを侵すことのないようにしながら2条の教育の目標を達成していくという理念を述べたもの」と述べた。一方で、教師は法律や法律に基づく学習指導要領に服する義務あるとし、この考え方は北海道学力テスト最高裁判決の趣旨であると述べた。

4、2条「我が国と郷土を愛する態度」は、心と一体であると伊吹は述べた。例えば「「態度」とわざわざいっているのは、内面にはできるだけ立ち入らない、内面に立ち入っていい部分もたくさんあります」、「大部分の多くの態度は、心があるから態度に表れるわけですから、教える場合は、そこは一体として私は考えても構わないと思います」と伊吹は答弁した。

5、「例えば第二次世界大戦前の日本の国の政府のあり方についてはこれは評価いろいろだと思」うと、自己の戦前の歴史観を伊吹は述べた。

6、生涯学習「社会の実現」の義務は「国民全体」に課されるとも受け取られかねない答弁を、文科省田中生涯学習政策局長が述べた。

7、4条「障害児教育」条項の「障害のあるもの」に、LD、ADHD、高機能自閉症も含まれるとの解釈を、文科省田中生涯学習政策局長が示した。

8、いじめ・いじめ自殺問題の中で、加害者や傍観者の責任について触れられた。ただし、印象論や「対症療法的」な意見の応酬に終始し、いじめについての教育学的・教育法的見解に基づいた意見は現れなかった。また、いじめ自殺の統計数値に関する問題について、伊吹は教委・学校に責任があるものとし“いじめ・自殺に関して、教委や学校において本当の理由を見つけて報告するのを求めるのは大臣の責任であり職務”との見解を示した。

9、12条「社会教育」に関連して、雇用促進・雇用のための再教育を求める答弁に伊吹は積極的な姿勢を答弁で示した。

10、前文「公共の精神を尊び」の意味について、「個人の権利・人権は当然尊重されるべきだが、権利には必ず義務が伴う、守るべき自由には規律が必要だ。これが人間社会の原則だ。そして我々が乗る共通の船である日本という国、世界や地球というものは公共の精神、つまり「同じ船に乗っているんだ」という意識がなければいずれ自分も船と一緒に沈んでしまう、その意識をしっかり持つ教育をしたい」との見解が伊吹から示された。

V 各論者ごとの議論の主旨

■委員長提案により、12/1 参考人質疑を行なうことが可決された。人選は委員長に一任された。

■鰐淵洋子(公明党)

<教基法を変える理由について。多数決原理と教育についての伊吹答弁>

鰐淵:いじめ、不登校、児童虐待等の問題点を抱えている一方、進学率上昇等で世界の中の日本の位置づけが変化した。その際、「何のための教育なのか」という根本目的に立ち返って考える必要がある。そのためには子どもの幸福・国民の幸福のためという視点は必要だ。大臣の教育観を伺いたい。

伊吹:100人いれば100人の人間像、価値観がある。国家という集団をうごかすためには、何かひとつの形をつくらなくてはならない。そこで我々は多数決原則というもの、民主制のルールを使っているということだと思う。ただし、理想の人間像は人生観・価値観によって大きく違うので自分の考えを押し付けるということにはできるだけ慎重であるべきだ。私の考える「何のための教育か」については、主権のある日本という国にいる国民やその他の外国人が日本社会と国際社会のルールの中で人間として喜びを持ち、自己の存在を確認し成長していける基礎学力と規範意識を身につけてもらうことだと思う。

<政府案2条に「食育」が含まれる>

鰐淵:2条について。食育も入ってくると思う。朝食をとらない人が多くなる中で、身体・精神に深い影響があると報告がある。食事を取ることでコミュニケーションも深まり、お箸の持ち方などの躾にもつながる。感謝のこころ、季節を感じたりもできる。人を作る、国を作る意義もあると思うが大臣の見解は?

伊吹:担当大臣(高市)からも発言を戴きたい。地域の食材を食べたり、学校給食で米飯をしたりして教育の場で学習することは大事だと思う。

鰐淵:2条には食育について書いていないが入っていると見ていいのか。

伊吹:先生のご理解の通りだ。

鰐淵:食育の取り組みについて、学校現場ではどうなっているのか。学習指導要領に明記はあるが、更に具体的・協力に進めていく必要がある・学習指導要領の見直しを含めてどう学校で実現していくのか。

文科省 樋口スポーツ青少年局長:学習指導要領の改訂の議論で食育の推進を扱っている。栄養教諭を中心に進めたい。

鰐淵:栄養教諭制度について。その配置状況は、全国で312人である。まだ進んでいないとの指摘がある。その配置は重要なので早急に取り組む必要がある。

樋口:食育推進基本計画によって、栄養教諭の設置は謳われている。320名の栄養教諭が配置されている。以上、更に増えていくだろう。栄養教諭の全国への早期配置に努力したい。

鰐淵:食育を国民運動として強力に推進すべきだ。

高市少子化担当相:人づくり・国づくりに重要な課題が食育だ。食育に関心がある国民が7割というデータがある。食育推進基本計画に基づいた栄養教諭の推進が必要だ。栄養教諭設置が進んでない県に聞くと、費用等がネックになっているようだ。「早寝早起き朝ごはん」を兵庫に取り組んでいきたい。

<2条と「学問の自由」:個人の「学問の自由」は政府案2条に優越するとの伊吹答弁>

鰐淵:2条「教育の目標」について。「学問の自由」の文言が法文の全体に掛かるように入れられているが、この意味は? これが入れられた理由は?

伊吹:人間がモノを知りたい・真理を探究したいという自然発生的な気持ちは何者にも侵されることなく尊重されなくてはならない。よって大学はもちろんのこと、特定のイズムとか、宗教的背景とか、政治的影響力を持ちながら個人の持っている気持ちを侵すことのないようにしながら2条の教育の目標を達成していくという理念を述べたものである。 

<2条と教育公務員の「義務」について:学習指導要領の遵守義務と学テ判決解釈>

鰐淵:「学問の自由」が教育全般に掛かる理念であるとの答弁だった。「学問の自由の尊重」ということと、学習指導要領に則った教育内容・授業内容の関係はどうなるのか?

伊吹:一人ひとりの真理探究は、何者にも侵されない大切な権利である。しかし同時に、学校現場においては教える方は学校教育法その他の公務員法全般に服して行なわれなくてはならない。特に義務教育においては、国民全てに共通する規範意識と学力を達成するということを目的として義務教育が運営されている。この点に関しては法律や法律に基づく学校指導要領(学習指導要領のことか?)に基づく義務が、公務員としての教員には生じている。私立においても、私立学校設立認可の条件としてそういうこと(教員による学習指導要領の遵守義務)が含まれている。この解釈は、旭川の学力テストの最高裁判決で確認されている。

<2条「我が国と郷土を愛する態度」は、心と一体であるとの伊吹答弁>

鰐淵:2条5号「我が国と郷土を愛する」について。学習指導要領で小6の社会科で「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」と定められている。中学校・高校の学習指導要領にも同様である。このような規定があるのにあえて「我が国と郷土を愛する」を「教育の目標」として入れた理由は?

伊吹:一番大事なのは、「伝統と文化を尊重し」ということから始まっている点である。国というものは領土と、国民と、国民が悠久の歴史の中で積み上げてきた人間の係わり合いのようなものがある。その多くが文化であり伝統だ。同時に、こうしてお話しているように、政治という分野もある。ですから、私たちは、その積み上げてきた大事な共有財産である文化伝統を先ず尊重し、そして、文化・伝統を育んできた我が国と郷土を愛する「態度」とわざわざいっているのは、内面にはできるだけ立ち入らない、内面に立ち入っていい部分もたくさんあります、しかし同時に、政党のイズムとか、そのとき作られている政府のあり方とか、例えば第二次世界大戦前の日本の国の政府のあり方についてはこれは評価いろいろだと思いますし、現在の自民党政権についても評価いろいろだと思いますが、内面に立ち至る部分を含んでいる国というものを愛する心と規定するよりもですね、「文化と伝統を尊重し、それを育んできた国と郷土を愛する『態度』」とやっていうわけですが、しかし、大部分の多くの態度は、心があるから態度に表れるわけですから、教える場合は、そこは一体として私は考えても構わないと思いますし、ただ、今申し上げたような 政治的な部分があるので、そこはできるだけ慎重に扱いたいということを込めての表現である。

鰐淵:「我が国と郷土を愛する」は、どのように児童生徒に指導され、評価されるのか?

銭谷初等中等教育局長:既に「我が国と郷土を愛する」は、小学校の社会科や道徳などで具体的に学習されている。法案が通ったら、それを受けて各学校で指導が充実されるように学習指導要領の改訂をしてすすめていきたい。

鰐淵:これについては個々の心の問題でもあるので慎重に、また現場が混乱しないよう徹底していただきたい。

<3条「生涯学習の理念」の意味:生涯学習「社会の実現」の義務は「国民全体」に?>

鰐淵:3条「生涯学習」の条項について。この理念について大臣の見解は?

伊吹:人間は生きているあらゆる段階でつねに目標を持って自己研鑽を重ねて成長していかなきゃならない。それがないと人間は衰える。ここでは自分の自己成長のステージを保障していく理念が書かれているのだ。

鰐淵:政府案3条後半に「社会の実現が図られなければならない」との義務規定的な文言があるが、これは誰が誰に課しているのか?

田中生涯学習政策局長:生涯学習社会の実現は、国、地方公共団体等をはじめ、学校、家庭、更に各種団体や企業等を含め、地域社会まさに国民全体でその実現を図らなくてはならないとと考えている。

鰐淵:その政策の具体的実現にどう取り組むのか?

田中:大学における社会人の受け入れ推進や放送大学の設置、大学や高校等における公開講座や社会教育施設における講座の充実に努めている。これを含め、各地位置の人材に対するニースと教育の内容をよりマッチングさせていく必要がある。団塊の世代の退職を受けて、その技術等を地域で活かす・学校で活かすなどの「教育サポーター制度」を考えている。公民館での講座開設は教養や趣味に偏った感があるが、女性が再度職業につくための講座も考えられていい。

<4条「教育の機会均等」「障害児教育」条項:LD、ADHD、高機能自閉症も「障害のあるもの」に含まれる>

鰐淵:義務教育の機会均等の保障について。どのように政策が実現されているのか?

銭谷:義務教育の機会均等の保障は、国庫負担による学校の設置や優秀な教員の確保、習熟度別の少人数指導などによる「個に応じた指導」の充実、無償教育、教科書の無償供与、就学援助の実施がなされている。

鰐淵:4条の2項の障害児教育条項について。LD、ADHD、高機能自閉症といった障害が認知されるようになり、これら障害を持ち特別な支援が必要な子どもが全国で約68万人存在する。これは6.3パーセント程度であり、40人学級に置き換えると1クラスでは2〜3人いるということだ。これらには教育の場での適切な支援が求められると思う。この政府案条項の「障害のあるもの」に、LD、ADHD、高機能自閉症は含まれるのか?

田中:4条の2項の「障害のあるもの」に含まれるのは、学校教育法上の盲・ろう・養護学校、あるいは特殊学級の対象となっているもののみならず、先生の指摘の学習障害やADHDなど発達障害を含め、広く障害により教育上特別な支援を要すると認められるものは、全て該当すると考えている。

鰐淵:特別支援教育制度のもと、細かいニーズにあった教育をする必要がある。障害児教育は、あとの就労が課題だ。この支援についてどう取り組むのか?

伊吹:障害児教育は地方の仕事なので地方財政でやっていただく。総務省にお願いしておく。障害児の就労支援については来年度予算の概算要求している。これは文科省だけでなく厚労省等と連携しながら実現していきたい。

<2条の4号「生命を尊び」について>

鰐淵:2条の4号「生命を尊び」について。いじめ問題等が深刻だ。生命軽視の状況があるのではないか。生命の尊重は同学校教育の場で教えていくのか?

伊吹:「教育の目標」の中に「命の大切さ」が入っている。これは自他の命を尊重し、大自然の全ての命の尊さを教えていく意味だ。どこかの教科で教えていくのではなく、さまざまな所で教えていく趣旨だ。

■広中和歌子(民主党)

<教基法の改正理由と、改正による効果について>

広中:政治を取り巻く最重要課題として、いじめ・未履修・TMの「やらせ」問題が就任して表れたことにご同情申し上げる。教基法改正は全改正とした理由は? 改正されたらさまざまな教育の問題は改善されるのか?

伊吹:昨日の繰り返しだが、現在の教基法は不変的な価値・理念が書かれているので評価すべきだ。部分改正なのか前文改正なのか新法にするかの質問は保利委員からもされた。普遍的だから日本の法律として物足りないこともある。私が子どものとき、日本は貧しかった。戦前、「お国のため」ということもあって個人の権利は軽視された。これは当然なことだ。ただ、時代とともに必要なものも現れる。全面改正という形をとったのは、人格の完成などの普遍なことを引き継ぎながら新しい法律を設けたということだ。教基法改正のあと関連法令を変えて、長い期間かけて教育諸問題は変わって行くと思う。

<「自己責任」をめぐって。いじめ加害者・傍観者の責任と指導について>

広中:憲法にも教基法にも立派なことが書いていながら実行されていないことが問題なのではないか? 教育の問題が起こると学校が悪い、教師が悪い、社会が悪いという話になる。本人が悪いとはいわない。本人の責任を明らかにしていく必要がある。

伊吹:その通りだ。

広中:いじめの問題。悪いのは当然いじめた人だ。それが自殺に至った場合、いじめた子はどう指導されていくのか。

伊吹:ケースバイケースだ。一発で法律で割り切れるならみんな苦しまない。いじめによって死に追い込んだ場合によっても、自殺にはさまざまな要因がある。だからこそ決め細やかに対応しなくてはならない。出席停止措置も利用可能である。

広中:日本には自殺を必ずしも悪とはしない風潮がある。なぜ自殺が悪いのかについてイギリスの人にインタビューしたら、宗教的な説明はなくむしろ「本人は死んでいくのだが、周りの人に与えるインパクトは大きい。周囲の人に心の葛藤や苦しみを与える」とあった。

伊吹:自分の命を絶つことが、どれだけ影響を与え迷惑を与えるのか考えるべきだ。これについては私も文部省からメッセージを出した。先生の意見に賛同だ。

広中:私にいわせれば、いじめを見ていたクラスメートはどうなのか。見て見ぬふりしていた子どもが大人になっていく社会はどうなのか? 教育の失敗ではないか?

伊吹:教育論は誰にでも責任追及できる問題だ。戦後の憲法は権利・人権を強く念頭に置いたつくりをしている。にもかかわらず現行教基法は公益や義務、規律について薄い。改正法案にはこれらが強く出ている。文科省が悪いとの意見だが、それで解決するのか? みんなで解決することに未来がある。

<再び、教基法改正の効果について:人類愛や公正さを育み世界から美しい国と思われるために法を変えようとしているという伊吹答弁>

広中:では2条にいろいろ書いてあるが、改正でなにが変わるのか? 2条で書いてあるから愛国心や国を愛する態度、人類愛や公正さが生まれるのか? 世界から美しいと感じられる国になるのか心配だが。

伊吹:まったくその通りだ、だから、法を変えようといっている。法を変えて関連法規を変えて、指導要領を変えて社会について考える子どもを作ろうとしているのだ。さまざまな社会の病理が出てきているから、それを変える、そのために法を変えるのだ。

広中:教基法を新たな枠組みを作ったところでどのような変化があるのか。先生や親、コミュニティーが変わらないと社会変化はない、これを変える効果が教基法にあるのか?

伊吹:今度は新しい時代に必要とされることを、規範意識の必要などを書いた。大学進学率も伸びたので書いてあるし、さまざま必要なことを盛り込んだ。社会や家庭などいろんなものが2条の目標にしたがって社会を変えていく、そういうものとして理解していただきたい。

広中:17条で教育振興基本計画があり、10条で家庭教育が書いてあるが、どれだけの強制力があり、社会に影響力があるのか、疑問だ。

伊吹:この法律を変えたから明日変化があるというわけではない。理念法だからだ。国家百年の計なので、変化するまで時間が掛かる。振興基本計画を作って、少しずつ、私がこの世からいなくなってから変化がでてくると思う。

<12条「社会教育」と雇用促進・雇用のための再教育について>

広中:12条で社会教育の条項がある。アメリカで生活していた経験だが、社会のいたるところにあり、これは再チャレンジのステップにもなった。ただ、日本の場合、雇用秩序に問題がある。再就職=再チャレンジのチャンスがない。社会教育というものをやる場合、産業界と話し合いながら雇用の筋道をつける必要があるがどうか?

伊吹:社会教育は職業・職業能力のための教育ばかりではない。これは価値観によって評価が変わってくると思うが、経済界も終身雇用を見直す風潮がある。これはこれで長所短所両方がある。経済界の理解を得たい所は話をしていくべきだ。家庭教育の条項ができたが、子どもがいる過程には親を早く戻してもらいたい。これはいつか経済界に話す必要がある。雇用慣行については今度、働きかけていきたい。

広中:グローバル化、景気の変動、雇用慣行の流動化といろいろ社会の変動がある。文科省はその対応に遅い。世界が変わっているのに日本だけが遅れている状況があり、正規雇用や非正規雇用の格差がある。同一価値労働同一賃金や、正規労働が働かされるぎる、非正規労働者は結婚もできない・家庭がうまくいかないような安月給であるという問題を、社会教育の範囲として、経済界に文科省から働きかけてもらいたい。

伊吹:おっしゃっていることはその通りと思う面がある。経済界といろいろ話し合っていきたい。

<少人数学級の実現見通しは?:伊吹は積極的に答弁>

広中:子どもの数が減っていったことにより、少人数学級が可能になっている。ただ、子どもの数の純減に応じ教員の人数を減らしていくとの政策もある。教員の人数も給与も減らすのはいかがなものか。

伊吹:行政改革推進法の規定がある。また納税者の意向がある。私の願いは公共事業よりも将来当市のいちばん果実を結ぶところなので、できるだけ努力をして先生の意向に沿いたいと思っている。

■浅尾慶一郎(民主党)

<いじめ・いじめ自殺の定義>

浅尾:いじめ自殺問題について。来年度全国調査をするらしいが、いじめといじめによる自殺の定義を聞かせてもらいたい。政府参考人には発言を求めていない。(速記が止まる。30秒くらい)

伊吹:事実関係等は私が全てつまびらかにしていないので理解してもらいたい。文科省のいじめの定義は「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」として、個々の行為がいじめに当たるかどうか判断してもらいたい。そして、表面的・形式的に行うことなく、いじめられていると訴えている子どもの立場に立っていじめかどうかを判断してもらいたいということを文科省の定義として各教委に調査をお願いしている。自殺については、調査時点で学校が把握している自殺の主な理由のひとつを報告させる方式をとっている。自殺というのはいろいろな心理的要因が重なって自殺に追い込まれる。その大きな理由のひとつがいじめである場合には選択肢の一つとして「いじめによる自殺」と報告してほしいといっている。

<いじめ自殺報告や統計について。関わって、いじめ問題に置ける文科省・相の責任について>

浅尾:自殺の背景にはさまざまあるとの答弁だが、いじめが主な理由だと思われていなかったからいじめによる自殺が報告されていなかったのか? それとも、違う理由の方を主にしたかったのか? また、統計上いじめが減っている理由は?

伊吹:多様な自殺理由があるからいじめと認定しにくいという事情はある。これ以上に、学校には、よく言えば「プライド」があり、自分の指導がうまくいかなくていじめや自殺者が出たとか(は出したくない)、または教育委員会が把握していても出したくないというモチベーションは否定できなかったと思う。文科省も指導しているが「いじめが少ない」ことがいいことなのではなくて、「いじめを把握して、ことを大きく至らないように処理した学校・担任を評価する」という方針で教委が対応してほしいといっている。これがうまくいってなくて「己を飾りたい」という表れが、残念ながらこういう数字になっていると思う。

浅尾:いじめ・自殺に関して大臣の責任というと、教委や学校において本当の理由を見つけて報告するのを求めるのが責任という理解でいいか?

伊吹:それは責任というより私の職務だ。率直に言えば、今のような指導をしているにもかかわらず、警察庁の資料、法務省の持っている自殺の資料、教委から上がって統計数字に乖離があることに気づかせる感性を指導できなかった大臣の責任だと思う。

浅尾:今後は、それをどう気づかせるべきなのか?

伊吹:役人としての感性を磨かせる以外ない。報告・連絡・相談・確認させるべきだ。

<いじめ問題と学校理事会制度について 伊吹による反論も>

浅尾:民主党案では学校理事会制度を提案しているが。いじめ問題にこれがどう対応しうるのか。

鈴木寛(民主党):いじめに対するシグナルを察知する感性を磨くこと、そしてそれを制度的に支える必要を感じている。学校理事会案では、保護者は地域の代表や保護者の代表に問題を訴えることができる。こういう制度によって感度、完成の鈍い中でも行動様式を変える制度を用意していきたい。

伊吹:衆院の特別委員会で、学校理事会には人事の上申権を与えるとのことだった。その際、教育の中立性が侵される懸念がある。義務教育の最終責任は国が負う。いじめその他も最終責任は国が負う。その担保は予算権や人事権や法律の執行権でする必要がある。民主案との共通点は多いので、地方から変な(調査)数字が上がってこないような制度を作っていくため協議していくべきだ。

鈴木:学校運営協議会が法で盛り込まれ、いくつかの地域で実践されている。これが学校教育に好影響を与えていると捉えている。それゆえ学校理事会制度を提案している。

<前文「公共の精神を尊び」の意味について>

浅尾:前文「公共の精神を尊び」はどういう意味か?

伊吹:個人の権利・人権は当然尊重されるべきだが、権利には必ず義務が伴う、守るべき自由には規律が必要だ。これが人間社会の原則だ。そして我々が乗る共通の船である日本という国、世界や地球というものは公共の精神、つまり「同じ船に乗っているんだ」という意識がなければいずれ自分も船と一緒に沈んでしまう、その意識をしっかり持つ教育をしたい。

浅尾:河村元文科相は「自己人の尊厳だけでは、自己中心的な子どもができる」と沖縄タイムズ誌のインタビューで答えている。そういう意図か?

伊吹:はじめて聞いたので、これは河村に聞く必要がある。個人の人権は公共の精神を発露することによって担保されるのであって、個人の権利だけなどというのは、本来人間社会ではありえない。現在の法律(=現行教基法のこと?)であっても個人の権利だけ書いてあるわけではない。

浅尾:公共の精神の尊重が、教基法の改正趣旨なのか。

伊吹:それ「も」、多くの改正の趣旨である。
11月27日午後
教基法特別委員会
■井上委員(共産)の質問は大きく二つ
 
@2005年3月、東京・町田市教委が、君が代を卒業式や入学式において校歌と同じ声量で歌えるようにという通達を出したことから、君が代の歴史を知り、こんな歌は歌いたくないと考えていた6年生のある女の子(父親は在日外国人、おじいさんは朝鮮から強制連行された、本人は三世)が連日、君が代を歌わせる指導を受け、多大な精神的苦痛を受けたという例を挙げ、こんなことは異常ではないか。
 
これに対して、伊吹文科大臣は、類似のことが司法で争われているから、事実関係を確認しない限りコメントを差し控えたい、と答弁を逃げた。(これでは審議にならない。委員はただちに事実関係を確認することを確約させるべきだろう。)
 
A文科省は2005年の義務教育の構造改革によって、到達目標を明確化するといっている。各教科の到達目標を明確化するといって、各教科の指導要領の見直しが進められている。9月21日の中教審の教育課程部会での配付資料によれば、小学校修了段階において、国歌君が代についての理解と歌唱の技能を生かす力とした上で、日本の伝統的な旋法にある君が代の美しさや、自国を尊重する心を持つなど、となっている。ここでは君が代と児童生徒の心を結びつけている。君が代を歌わせることによって、美しいと感じなさい、自国を愛する心を持ちなさいということになる。それができない場合は評価が低いことになる。これは思想信条、内心の自由を侵害するものではないか。
 
これに対して、政府側は、資料は審議の過程のものであり、子どもたちに力を身につけさせるための施策の整理をしたものであり、このことが即、学習の成果の評価を示したものではない(銭屋政府委員)、審議の途中の資料であり、これで行くかどうかは最終的に文科大臣が告示する段階で判断させてもらいたい(伊吹文科大臣)、という答弁に終始した。
 
■近藤委員(社民)は、8カ所の教育改革TMにおける内閣府の動員の状況について質問した。
 
内閣府からは、8回中6回、地方自治体に参加者のとりまとめをお願いした。
人数は、岐阜県133名、山形県180名、愛媛県135名、和歌山県65名、大分県は確認できていない。青森県279名、静岡県では内閣府から要請はしなかったが、自治体側が自発的にまとめたものが74名といった数字が公表された。
 
これだけ動員があれば、一般の参加者が排除されていたのではないか、という近藤委員の追及に対して、山本大臣官房長は、大分では抽選があったが、残りの7回では応募した方全員が会場に入ったと述べた。近藤委員は、当日参加者が入れなかったという声があるので、ひきつづき調査をするよう依頼した。
 
このあと、スタッフも含めて動員や関係者が多く、会場では「改正」賛成の雰囲気が醸成されていたのではないかという質問に対して、塩崎官房長官は、衆議院で松本大輔委員が出された賛否の数(岐阜では賛成1、反対2、山形では反対のみ4、松山では賛成1、反対4)を挙げ、賛成者で埋め尽くされていたわけではない。圧倒的に反対の方が多い、と述べた。(そうであるなら、国民世論は「改正」に反対を示したというべきだろう。)
 
近藤委員はまた、青森県教委がやらせ発言に関与した6人を訓告処分にしたことを挙げ、末端の公務員が訓告処分を受けているのだから、これを行わせた方の責任はさらに重いとした。塩崎官房長官は、内閣府等の関与者の処分については調査結果を待ちたいとした。
 
最後に、近藤委員は、問題があった6回のTMの競争入札の落札率について質問した。山本大臣官房長は、他の契約の予定価格を類推させる可能性があることを理由に回答を避けた。
 
■亀井委員(国民)は、いわゆる三点セット(国を愛する「態度」ではなく「心」とすべき、宗教的情操について盛り込むべき、「不当な支配に服することなく」という文言をなくすべき)について、それぞれ政府案がつくられた理由を質問し、同じ内容を西岡議員にも質問するかたちで民主案の方が優れているという持論を展開した。
11月27日午前
教基法特別委員会
(1)
【岡田直樹(自民)】質疑のポイントは以下の6点にあったと捉えられる。

(1)『群発自殺』(高橋祥友著、中公新書)という本があるが、“いじめ・自殺(自殺予告)”は、メディアが媒体となった「自殺群発」「自殺連鎖」状況にあり、報道の自由は守らなければいけないが、抑制を促す必要がある。

 →【伊深文科大臣】メディアを媒介にした“いじめ・自殺(自殺予告)連鎖”論、メディア抑制論に肯定的な答弁。

(2)教育基本法は緊急に必要だから先に改正するということであろうが、憲法と教育基本法は整合的でなければならず、本来であれば憲法を先に改正し、その後に教育基本法を改正すべきである。

 憲法改正に先立って教育基本法改正を行うのであれば、2005年3月に自民党が取りまとめた『自民党新憲法草案』との整合化を図るべきである。

 「国際協調」も、『自民党新憲法草案』でとっている“積極的平和主義”の考え方をとるべき。

 →【伊深文科大臣】「政府提案・教育基本法改正案は、現行憲法にも、『自民党新憲法草案』にも、整合する」、「教育基本法第2条5号の“他国を尊重し”も無条件で他国を尊重するという意味ではなく、国際社会の秩序を守る他国を尊重すると解すべき」旨の答弁。

(3)上記(2)に関わり、『自民党新憲法草案』第20条3項は判例でいう目的効果基準を織り込んでいる。政教分離の厳格分離論はナンセンスであり、例えば富山で問題とされた給食を食べるとき合掌し「いただきます」という等は、宗教的行為ではなく認められるべき。

 →【伊深文科大臣】津・地鎮祭判決に見られるように、「社会的儀礼および習俗的行為の範囲を越えない」ものは、憲法で禁じられている宗教的行為ではない。「●●」と特定のお題目を唱えさせなければ、合掌し「いただきます」というのは、敬虔な気持ちの表れであり、禁じられる宗教的行為に当たらない。

(4)私学助成も現法憲法第89条を厳格に適用すれば違憲になる。『自民党新憲法草案』に則り、私学助成法も明文改正をすべき。

 →【伊深文科大臣】私学助成は現憲法でも違憲と判断されていない。教育基本法改正の後に、改正案第8条に則りさらに私学助成法を整備するという方向をとりたい。

(5)歴史認識・歴史観の問題

 →【伊深文科大臣】慎重であるべき。日本の過去の歴史は全て正しいという一方的な見方にも、自虐史観にもならないように、グローバライゼーションに即した、バランスあるものでなければならない。そこにおいても、“日本のアイデンティティの確立”は大事にしていく必要がある。

(6)教員の待遇(人確法)、資質向上の問題

 →【伊深文科大臣】優秀な人材確保は大事。免許更新制、学校の外部・内部評価、バウチャー制、学校選択制の問題も検討課題であるが、入り口(養成、初任研)の問題も重要で、試験的任用期間が1年間でよいかは、今後の検討課題である。
11月22日
教基法特別委員会

8時30分過ぎに開会。委員長に中曽根弘文を指名。中曽根あいさつの後、理事を選任。その後、休憩。

8時45分、再開。政府提出「教育基本法案」、民主党提出「日本国教育基本法案」「地方教育行政の適正な運営の確保に関する法律案」「学校教育の環境の整備の推進による教育の振興に関する法律案」を一括して審査。

伊吹文科相が政府提出「教育基本法案」の趣旨説明。内容は衆議院で行ったものと同一。しかし「法案」が「法律案」になったり、言葉の読み間違えがあったり、「等」が抜けていたり、厳密にみると多くの違いがある。法律案を提出するという緊張感に欠けている。

文科相に続き、民主党の佐藤泰介議員が民主党案を説明。衆議院で「人材を育てる」としていたところを「人間を育てる」と述べている。提案理由としてあらたに「いじめによる自殺」「高校未履修問題」などを解決するためという項目が加わる。義務教育期間は法律の施行後3年以内に検討を加えるということが付け加わった。(法案附則第3条)

趣旨説明の最後に、「政府は改正案を提出しただけでその後の教育の姿を示していない」と批判。

佐藤議員の説明は9時までに趣旨説明を終了する予定なのか早口でよく聞き取れなかった。

舛添要一(自民党)
・舛添委員は戦後60年を経過して社会が大きく変わったということを強調。安倍首相は変貌した日本社会に適合するものが政府の改正案だと答弁。
・舛添委員は占領下で憲法・教基法が制定されたことを問題視。そして「憲法改正と教基法改正は表裏一体」と主張。安倍首相も、教基法は教育刷新委員会で議論して出来たが、成立過程も指摘せざるを得ないと同意。GHQは戦前の日本を否定、日本の文化の全否定が前提だった、いいものは復活させるべきだとも主張。伊吹文科相は基本的にそのような考えで結構と答弁。
・伊吹文科相は、日本独自の文化、規範意識があったが、占領で一時途絶えた。それがその後に大きな影響を与えた。その国独自の規範意識を復活させるのが今回の法律の根本哲学だ、と答弁。
・舛添委員はその後、愛国心について質問。学校での国旗・国歌は100%やらなければならないと主張。
・伊吹文科相は、告示である学習指導要領は法律の一部である。これに書かれていることはきちんとやれというのが改正法案だと答弁。
→これは最高裁学テ判決の論理からも出てこない。(午後の答弁では教える内容も法律の一部だと答弁。教育の国家統制を徹底的に進める考えを表明したといえる。)
・舛添委員は、6334の学制問題も検討せよ、小中一貫教育の必要を述べる。
・安倍首相は、6334は定着している。根本的に変えるのは国民的議論が必要。特区など実験的にやっているところをみていきたいと答弁。

→舛添氏が述べた改正を必要とする理由は、時代が変わり豊かな社会になったということ、国旗・国歌の尊重という愛国心教育を推進しなければならないということ、占領下でつくられたという制定過程、憲法改正と教基法改正は表裏一体であるということである。
→これらに対する答弁の基調は、占領により日本独自の文化が否定された、だから昔の文化・伝統、規範を復活させよということである。「新しい時代には古い規範を」が政府の考えである。
→学習指導要領は法律の一部であるという見解はきびしく批判されるべきものである。法律の委任には限界があるという常識をわきまえないものであり、行政府にフリーハンドを与える暴論である。

北岡秀二(自民党)
・改正が目指す人間像は?
・安倍首相は戦後60年間の風潮では価値を計る基準として損得が重視されてきた。公共の精神、我慢がなくなった。公共の精神、自律の精神を教える。たくましい日本人の育成を目指す。
・教育再生会議と教基法改正の関係は?
・安倍首相は、教基法改正は21世紀を迎えた新しい時代の理念、原則を示すもの、今の教基法に欠けているものを盛り込む。具体的な問題に応えるのが再生会議である。再生会議で未履修が行われないような根本的な改革を議論してもらう。
・北岡氏は今の教育には悪しき平等が蔓延していると主張。平等には機会均等と結果平等があるが国民の中には平等といえば結果平等という意識が蔓延している。「違いを認める」ということは結果平等からは出てこない。違いを認めることから他者への思いやりが出てくるのだ。
・安倍首相は結果平等の例として、徒競走で手をつないでゴールする例を出す。(これは午後の質疑で民主党の佐藤議員(元教員)からそのような場面をみたことがあるのかと追求され、だれもみていないことがわかる。政治家がうそを平気でつくということが実証された)
・伊吹文科相は、自由競争社会では努力したものが報われる、結果平等の社会主義は崩壊した。改正案4条(教育の機会均等)はスタートの平等を保障したものである。競争社会になってもその結果を尊重し、共生することが必要だと答弁。
→教育の機会均等は、スタートの平等を保障するものであると明言。その後は競争原理を機能させる。格差が出来ても社会保障で補う、結果の違いは受け入れよという格差肯定発言。首相は、金子みすずの歌を紹介したが、弱者が強者を認めよという文脈で利用。
・安倍首相は「日本民族の志」を問われて、「志ある国民」とは、人々のために役立つ、地域社会に役立つ人、国、世界のために役立つ人であり、このような人を養成すると答弁。このような教育を実現するために改正が必要と答弁。
→安倍首相は、「お国のために役に立つ人間を養成する」、これが改正の理由!西村某議員と同じ発想である。
・タウンミーティングのけじめをどうつけるかとの質問に、塩崎官房長官は、調査結果をすべて見た上でその結果をまって判断したいと答弁。
→責任をとらせるのか、結果がでるまで引き延ばすのか不明。
・イギリスでは、伝統と歴史をしっかり教え、おのずと愛国心が出来るという話に対して、伊吹文科相は、法案には「伝統と文化を尊重し・・・」と書いてある、これがまさにその通りである。日本はかつて2度、外国に支配されそうになった。元寇と黒船である。このときに日本人がどう対処したかをしっかり教えることになる。教基法が改正されたら、学校教育法を改正し、告示である指導要領も改正すると答弁。
・現行法10条の「不当な支配」は混乱の要因となっている、主体が何かわからない、残した意味はという質問に、伊吹文科相は、残すかどうか意見があったが、民主党の対案のように教育行政の権限を府県知事に移すと長のイズムで国民の意思とは違う行政が行われる場合がある。そのようなことを阻止するために残したと答弁。(これは午後の民主党委員の質問で大問題になった)改正案により国会において制定された法律と、その一部を形成する告示は不当な支配にあたらないと明示されたと答弁。
・教育委員会制度に関して伊吹文科相は文科相には教委に対する何の権限もないことを強調。

小泉顕雄(自民党)
・小泉委員は法案の内容にそった質問を行った。質問の内容は法案の説明を求めるものであり、典型的な時間つぶしの質問、そして各条にわたる審議を行ったというアリバイを主張するためのものであり、このような質問を初日に行わせた自民党の責任は大である。以下は特に問題となりそうな点を記す。
・伊吹文科相は、今回の教基法改正の意義を「経済的小泉改革を安倍改革が補完する」と述べた。安倍改革とは規範改革であり、法律以前に守るべきことがあり、そのようなことを国民が共有することで品格ある国家にすることであるという。
→安倍内閣のもとでの教基法改正は国民に対する道徳強制を行うことであることを明言。小泉内閣のときの提案理由と異なることとなる。
・高校未履修問題との関連で伊吹文科相は、大学入試に合わせて指導要領を変えるつもりはない。しかし習熟度の判定(修了、卒業)を校長にまかせると問題が生じる、どこかでチェックする必要があると考えていると答弁。
・小泉委員は、全国の高校で小中の学テと同じように定期テストを同じ問題で全国一斉にやればよい、そうなれば客観的な内申書になると発言。
→高校でも全国一斉学テをという主張。
・教員の免許更新制度について教えてほしいという質問に、銭谷局長が答弁。そうすると委員長から指名されていないにもかかわらず伊吹文科相が挙手し答弁席へ。そして「局長が応えたのは中教審の考え。これでいいのか私が最終的に判断する」と答弁。

このページの先頭へ


トップページへ