地方紙特集・論説(〜2006年9月) 2006年10月〜



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いばらき春秋

式典やイベントで国歌斉唱や国旗掲揚の場面に立ち合ったとき、あなたは君が代を歌い、起立しているだろうか▼東京都立高校などの教職員ら四百一人が都や都教育委員会を相手に、入学式や卒業式で国歌斉唱や起立の義務がないことの確認などを求めた訴訟で、東京地裁は「強制は違憲」との判決を言い渡した▼国旗国歌法制定後、教職員側がほぼ全面勝訴した判決で、都や都教委は控訴する方針だ。安倍自民党新総裁が誕生し、新政権が愛国心を重視した教育基本法改正に取り組む構えを見せている矢先でもあり、注目の判決となった▼訴訟は二〇〇三年十月、都教委が各校長に出した通達が発端。教職員が国旗に向かい起立したり国歌を斉唱することを定め、校長の職務命令に従わない教職員を処分した▼本県では、県教委が東京都のような厳しい通達や職務命令を出しておらず、処分された教職員はいない。憲法や教育基本法とのはざまで、ことさら対立をあおる事態を避けた現実的な対応だろう。ただ都教委に限らず、国旗国歌への教職員の対応がばらばらでは困る、というのが学校を管理する側の本音であろう▼しかし、「懲戒処分してまで強制するのは思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置」とした判決には真摯(しんし)に耳を傾けてほしい。もし、本音を隠し建前だけで行動する教師ばかりになったら、学校はむなしい。思想良心の自由をなんびとにも担保する柔軟性が民主主義の本質だ。(橋)

茨城新聞 2006年9月24日

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国旗・国歌訴訟 疑問が残る地裁判決 

入学式や卒業式で、教職員が国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務はない―。東京地裁は「日の丸」「君が代」を教職員に義務づけた東京都教育委員会の通達や指導を違憲と判断した。しかし、これで、生徒たちを指導できるだろうか。

五輪やワールド杯サッカーなどスポーツ競技でも、自国の国旗掲揚の時は起立するし、国歌が流れる場合は自然に口ずさむ。これは日本に限らず、どこの国でも同じである。子どものころから、当然そうすべきと教育されているからだ。

卒業式で、教師が起立しない、歌わないとなれば、子どもたちは戸惑うだろう。歌う方は強制された不自由な者たちで、歌わない方が自由を主張していると勘違いする子どもも出てくるかもしれない。

確かに、歌わなかった、起立しなかっただけで、減給や停職の懲戒処分を受けた教職員は気の毒である。「日の丸」「君が代」が戦時中、戦意高揚に利用されたから、歌いたくないという気持ちも分からないではない。

判決も「日の丸」「君が代」について「軍国主義思想の精神的支柱として用いられ、現在でも国民の間で中立的な価値が認められたとは言えない」としている。

果たしてそうだろうか。子どもたちは無垢(むく)である。「日の丸」は日本の国旗、「君が代」は日本の国歌と素直に受け止めていると思う。戦争をするために「日の丸」掲揚で起立し、「君が代」を歌おうと思っている子どもはいない。子どもにとって「中立的な価値」でしかないものに、色を付けようとしているのは一部の大人たちである。

判決は「教職員に一律に国歌斉唱の義務を課すことは、思想・良心の自由を侵害する」とも述べている。国歌・国旗に敬意を払うのは当たり前のことで、思想の違いなどではないだろう。しかも歌わないことが良心の自由というなら、歌うことは悪いことなのか。

一方で判決は「生徒に日本人としての自覚や愛国心を養い、将来国際社会で信頼される日本人になるために、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要」とも言っている。論旨が矛盾してはいないだろうか。

また判決は「国旗国歌は強制するのではなく、自然のうちに国民に定着させるというのが国旗国歌法の趣旨」とも述べている。

「自然に国旗国歌を尊重する態度が身につく」のが、子どもの教育の理想である。しかし、自然に身につくためには、親や教師が常日ごろからそうした姿勢を見せていなければならない。片方で歌い、片方で歌うべきでないと主張する者がいるとき、子どもたちはどちらに従うべきか、迷ってしまうだろう。

これまで「日の丸」「君が代」裁判は、福岡地裁で教育委員会の指導が不当とされ、東京高裁では公務員の立場を考えれば、教育委員会の指導に従うべきとの判決が出ている。裁判自体が混乱しており、最高裁の判決まで、確定しそうにない。

あと半年で卒業式、入学式シーズンを迎える。今回の判決は、学校の指導方針にも少なからぬ影響を与えるだろう。1999年に国旗国歌法が制定されるまで、都立高では生徒と保護者が起立しているのに、教職員は着席のままというおかしな光景が各地で見られたという。

思想の自由は認められねばならないが、教職員である以上、子どもたちが素直に喜べる卒業式、入学式を行ってほしい。   (園田 寛)

佐賀新聞 論説 2006年9月24日

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国旗国歌強制に違憲判決(9月23日)

靖国参拝での小泉首相の物言いではないが、これこそ「心の問題」だったのではないか。卒業式などでの国旗・国歌強制は「思想・良心の自由を侵害する」とした東京地裁の判決は、妥当な内容にみえる▼国旗国歌法が成立する前の国会審議で、当時の野中官房長官が答弁した。「日の丸、君が代は一時期、誤った方向に使われた時代も経験した」。戦前、軍国主義を鼓舞するのに利用されたことを踏まえての発言だ▼法制化を推進した野中氏にもこうした考えがあった。かつて日の丸を振り、君が代を歌うことで戦意があおられた歴史に対して、一般の国民の中に、より強い違和感を持つ人がいて不思議はない。それは教職員でも同じことだ▼東京都教委の通達は「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことなどを求めた。生徒を指導する際の「外形的」な行為で、内心の自由は侵害しないのだという。たとえ表向きであっても、従うならそれでよい▼これでは面従腹背の教職員を増やすばかりであろう。生徒の感性は敏感だ。裏表があって信頼されるはずはない。不起立でも処分を受けないことが、学校教育の前提ではないか▼野中氏は法制化の前「強制や義務化はない」と述べていた。わずか七年後の現在、起立しない者を異端視する雰囲気が社会に広がったようにみえる。多様な意見が尊重されてこそ、歌って誇りたい国となる。

北海道新聞 卓上四季 2006年9月23日

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河北春秋

昔、学校で誰もが習ったことだろう。「人は人にとってオオカミだ」の言葉。だから、人々は契約を結び、国家に力を預けて自らの安全を確保する▼ホッブズのこんな論理の組み立てが近代国家像の原型となる。契約は個人と国家の間で結ばれる。いわば、その証文たるものが憲法。日本は、国民に基本的人権の尊重などを保障し、一方で納税ほかの義務を課している

▼「個人と国家」。この名の分かりやすい新書がある。憲法学者樋口陽一さんの著(集英社)。近代国家は個人を身分制度などから解放した。「しかしこの解放者は、今度はひょっとすると全面的な支配者になりかねない」▼それゆえ、個人の側には「その国家の出番を抑える国家からの自由が必要になってくる。だから、個人の方から様々(さまざま)なルールをつくり―立憲主義ですね―国家を縛る」必要が生まれたのだそうだ

▼東京地裁が「国旗国歌の強制」を違憲とした。東京都が学校の式典で教師にこれを強いてきた。「思想良心の自由を侵害する」。反論またあり。公務員の職務命令違反でないか、教育現場では一定の制限はやむなし…▼思想良心、表現の自由などは憲法の大原則。不幸な歴史を負う国旗国歌。だが、世論の支持は国旗国歌とも相当高い。公権力の出しゃばりはひいきの引き倒し、だ。

河北新報 2006年9月23日

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筆洗

「国旗や国歌に敬意を表するのは法律以前の問題だ」。東京都教委の国旗国歌強制は違憲とした東京地裁判決に、こんな感想を述べたのは、誰あろう小泉首相である▼さすが内外から批判を浴びた8・15靖国参拝を、「わが心の問題」として強行した首相だ。思想信条の自由に関しては一貫している。ただし憲法は、総理大臣が公務より私心を優先することまで想定しているとは思えないが▼そもそも国民的コンセンサスをもって支えられなければ意味がない国旗国歌を、法律で強制しようとするからこじれる。一九九九年の広島県立高校の校長自殺事件をきっかけに、法制化に走った政府は、当初「個人に強制しない」と約束したはずだ▼それを東京都教委が二〇〇三年十月、入学式、卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱を通達。教員管理の道具として踏み絵的に強制したからややこしくなる。従わない教員を大量処分し、退職者の再雇用にも応じなかった。他府県に例を見ないこの強硬姿勢を地裁判決は教育基本法、憲法に反すると厳しくとがめている▼幕府が鎖国を解いた江戸の昔から、「日の丸」は万国公法

(国際法)に則(のっと)り海賊と区別するため、公海上で掲げられてきた。これを国旗とすることに異論を挟む国民はいまい。一方「君が代」は一八七九(明治十二)年に、天皇礼式曲として作られたもので、本来国歌ではない(松本健一『「日の丸・君が代」と日本』=論創社)▼天皇が命じた戦争の思い出に結びつくと違和感を持つ人にまで、斉唱を強制することはない。妥当な判決だ。

東京新聞 2006年9月23日

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東風西風

▽…来春の選抜高校野球の第一関門、秋季鳥取県大会がきょうから米子市などで開幕する。夏の甲子園に出場した倉吉北など、シード校の前評判が高いが、予想通りにいかないのが高校野球の面白いところ。特に秋は新チームになって初めての県大会で、ミスさえしなければ、どのチームにも勝ち上がるチャンスはある。一方、鳥取市では小学生のトスクカップが始まる。こちらは六年生が出場する最後の大会。悔いが残らないよう、練習してきたことをすべて出し切ってほしい。(吉浦郁)  ▽…入学式や卒業式で教職員に「君が代」の斉唱などを強制することを違法とした判決が、東京地裁で下された。学校の先生を志望し、適性や能力もあるのに、そうした強制が嫌だからなりたくない、という人もいるはず。いい判決だと思う。工夫した分かりやすい授業で、子どもたちの学習意欲を高め、学力を伸ばす先生。子どもと向き合い、問題や悩みを抱えている子の支えになれる先生…。子ども一人一人の力を引き出せるよう先生を支援することこそ、教育行政の務めだ。(酒井)

日本海新聞 東風西風 2006年9月23日

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国旗掲揚・国歌斉唱/自然体で定着させよう

東京地裁が国旗国歌の強制は違憲とする、注目すべき判断を示した。入学式や卒業式で「国旗に向かって起立したくない教職員や国歌を斉唱したくない教職員に懲戒処分をしてまで起立させ、斉唱させることは思想良心の自由を侵害する」と指摘した。

国旗国歌法では、国旗は日章旗、国歌は君が代と定める。スポーツの世界大会などで日の丸が振られ、君が代が歌われるのに、違和感を覚える人は少ないだろう。

判決も日の丸や君が代を軽視しているわけではなく「国を愛する心を育てるとともに、国際社会で尊敬、信頼される日本人として成長させるため、国旗国歌を尊重する態度を育てることは重要」としている。その通りであろう。

問題は、それを強制することの是非についてだ。判決が指摘したように個人の自由を尊重する民主的な社会では宗教、思想、信条など各人の心の中に国や自治体のような行政機関が安易に踏み込むべきではない。行政上の権力を背景に処分や強制をするのは行き過ぎというべきだろう。

事案は、東京都教育長が二〇〇三年十月「入学式、卒業式などで国旗に向かって起立し、国旗掲揚、国歌斉唱を実施するに当たり、教職員が各校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問われる」とする通達を出し、各校長が職務命令で教職員にピアノ伴奏などを強制したケースである。

東京都と都教育委員会を相手に訴えていたのは都立高校などの教職員、元教職員らだった。東京地裁は既に退職した教職員の訴えは認めなかったが、現職については国歌斉唱などの義務がないことを認めた。またピアノ演奏や斉唱をしないことなどを理由に戒告、減給、停職などの処分をすることも禁じた。

ここでの問題は地方自治体という公権力が自ら決めた一定のやり方だけによって敬意を外部に表現するよう、法的に強制することについてだ。国旗や国歌への愛着は国民の間で長年かけてはぐくまれていく。それを強制するのは本末転倒ではないか。

日の丸にも君が代にも、明治以来の歴史の思い出が染み込んでいる。それを見たり聞いたりすると、戦前の教育や戦争の惨禍を思い起こす人がいるのも事実だ。宗教的な理由から、反発を覚える人もいるだろう。

たとえ少数者であっても、心の自由は尊重されなければならない。それを多数者が踏みにじってきた歴史の教訓があるからこそ、憲法一九条は「思想および良心の自由は、これを侵してはならない」と為政者を縛っている。

自民党の新総裁に就任した安倍晋三氏は保守的な立場からの教育改革を主張し、教育問題は新政権の中心課題に浮上しつつある。改革論議をしていく際には、今度の判決内容が影響を与えることがあるかもしれない。

君が代は日本の古歌だから笛で伴奏するのもいいし、クラリネットの伴奏でもよいではないか。音楽教諭にピアノでの伴奏を義務付けるなどは少し行き過ぎだろう。判決は「自然のうちに国民に定着させるのが国旗国歌法の制度趣旨で学習指導要領の理念でもある」と言う。同じ思いがする。

山陰中央新報 論説 2006年9月23日

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鳴潮

「自国の選手が表彰台に上がり、国旗が掲揚され、国歌が流れると、ごく自然に荘重な気持ちになるものだ」。自民党新総裁になった安倍晋三官房長官は著書「美しい国へ」(文春新書)の中で、そう書いている

「(日の丸、君が代を)拒否する人たちもまだ教育現場にはいる。かれらは、スポーツの表彰をどんな気持ちでながめているのだろうか」と。しかし、教育現場での日の丸、君が代の扱いとスポーツの表彰式は、別次元の問題ではなかろうか

東京地裁が、入学式・卒業式で君が代斉唱や起立の義務が教職員にないことを認める判決を出した。「懲戒処分をしてまで起立、斉唱させることは憲法が定める思想良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」との判断である

日の丸、君が代をめぐっては東京都の教職員らが大量に処分され、提訴していた。一九九九年二月には、卒業式での取り扱いに悩んだ広島県立高校の校長が自殺する事態も起きている

これをきっかけに国旗国歌法が成立したが、政府は「強制するものではない」との見解だった。それだけに、起立斉唱を強制してきた東京都の通達は、「行き過ぎ」の感が否めない

「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正に意欲的な安倍氏は、出ばなをくじかれた思いだろう。さて、どう動くか。二十六日召集の臨時国会から目が離せない。

徳島新聞 2006年9月23日

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鳴潮

言動を注意されて逆上し、暴言を吐きながら足をけった。相手の言葉に腹を立て、いきなり顔面を殴った

暴力団の話ではない。小学生の校内暴力である。前者は五年生、後者は二年生の事例。暴言を吐きながら足をけった前者の相手は教員というから、背筋が寒くなる

昨年度に全国の公立小学校児童が起こした校内暴力は、前年度より百件余り多い二千余件(徳島県は一件)。三年連続で過去最多を記録した。特に教員への暴力が四割増えて四百六十四件、と深刻な状況だ

この数字は当然、氷山の一角だろう。家庭教育が破綻(はたん)したのか、教員が多忙になって一人一人の子どもと向き合うゆとりをなくしたのか。原因はさまざまだろうが、いずれにしても日本の子どもが壊れ始めていて、その原因が大人にあることだけは確かだ

言葉より先に手が出る。会話ができずに暴言を吐く。そんな態度を、子どもは親や世間の大人から学んでいるのだろう。家庭でのストレスを学校で発散させたり、誰かにかまってほしくて教員に手を出す子もいる

ポスト小泉の最有力候補、安倍晋三官房長官は、政権公約の柱に教育改革を掲げた。だが、学校間の競争や「愛国心」を求める教育基本法改正で、教育が良くなるとは思えない。子どもの話を親身になって聞いてやる。大事なのは、そんなごく当たり前の営みだ。

徳島新聞 2006年9月17日

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愛国心:学生調査−私の視点/6 「国の概念強要するな」 /鳥取

 ◇戦時教育史に詳しい児童文学作家・山中恒さん(75)
 ◇思い出す暴力的しつけ

調査の対象が県内の大学生400人ということで、調査結果は若者全体の意見と見なすわけにはいかないものの、全体として学生たちが愛国心問題をきわめて冷静に受け止めていることが読み取れる。

「愛国心を感じたことがあるか」の質問に対しては、「ある」と答えた学生のうち、「スポーツ・イベントを見た時」というのが、きわめて高かった。これは自然の感情であって、無理からぬものがある。いくらなんでも、自国のチームや選手の敗北を期待して、観戦に行くとしたら、それはへそ曲がりで、論外である。

2番目として「学術・文化で日本人が高い評価を得た時」が挙げられているが、愛国心というよりは日本人に誇りを感じたということかもしれない。気をつけなければならないのは、同胞イコール国という概念の押しつけである。つまり、高い評価を受けた個人、活躍した小グループへの賞賛としての誇りであって、国の概念の強要はいただけない。

私は昭和初期の戦時下に初等学校教育で暴力的に愛国心を注入された、いわゆる「少国民世代」であるから、愛国心の教育というと、たちまちあの時代の「錬成」という名の暴力的しつけを思い出す。もっとも、この時代の愛国心とは天皇に対する忠誠心のことだった。国というのは、現人神(あらひとがみ)の天皇を絶対とする、世界無比の国柄のことで、国は天皇と同意義でもあった。だから、「国のために死ぬ」ということは「天皇陛下のために死ぬ」ということと同意義であった。

それだけに現在、教育基本法に「愛国心」を規定しようとする国の中枢にいる人たちの考える愛国心の対象、もしくは中心に何を据えたがっているのか知りたいところである。

「愛国心を教育基本法に規定すると……」との質問に、社会は「悪くなる」という回答が「良くなる」を圧倒的に上回っているのは、既に「日の丸・君が代」の押しつけの実態を見ているからであろうか。

暴走する国の権力に抵抗することも愛国心であろうが、戦時下は自らの愛国心のために生きることすら許されなかった。そんな歴史的な事実を少しずつでも学んでいるからであろうかとも思うが、「愛国心を規定すること」については「反対」がさらに増える。

しかし、愛国心と愛郷心の違いについては、「はい=違う」という回答が多い。ここは彼らの間でも、大いに議論してほしいところである。

「これまで愛国心を教わったか」について、「いいえ」の割合が圧倒的に高いのは、それでも自然発生的に「愛国心らしきもの」が芽生えることを示していて興味深い。これを踏まえた上で、改めて「愛国心とは何か」も論議すべきであろう。

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アンケートは7月、鳥取大と鳥取環境大の学生各200人に行い、18〜26歳の331人(男175人、女156人)が回答した。回収率は83%。6日から随時掲載した結果を識者はどう見るのか紹介する。

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■ことば
 ◇少国民

年少の国民という意味の言葉。第二次世界大戦中、少年少女を指して使われ、特に国民学校と呼んだ初級学校の生徒たちを指した。昭和ひとけたに生まれた世代を「少国民」世代と呼んだ時期もあった。

毎日新聞鳥取版 2006年9月13日

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愛国心:学生アンケートから/5 教育基本法に規定の賛否 /鳥取

 ◇「教わった」人の方が否定的
 ◇育つのは「自然に」「元々ある」「いい所知る」「スポーツ応援」

高校卒業までに「愛国心」を教わったことがない学生が、89%に上っていた。このうち愛国心を感じたことが「ある」人は75%、国民に必要と考える人は61%いた。愛国心を教育基本法に規定することには59%が「反対」で、規定すれば社会が「悪くなる」と考える人も41%と「良くなる」(9%)を大きく上回った。

教わったことがある人でみると、同法規定に65%が「反対」、規定後の社会は「悪くなる」とする人が44%で、教わったことのない学生をやや上回った。

教わった経験がある人のうち、東京出身の女子学生(18)は「高校で中国や韓国の学生と交流して」と答え、大分出身の男子学生(20)は「長野五輪を学校で応援して」と回答。山口出身の男子学生(22)や三重出身の女子学生(20)は「中学で君が代を無理やり歌わされた」とする答えもあった。

石川出身の男子学生(20)は「昔からおじいちゃんに教わっていた」と回答したが、学校以外の身近な人から教わるのは「友人から語られた」という鳥取出身の男子学生(18)ら少数だった。

「愛国心はどのようにして育つものだと思うか」の質問には、▽自然に▽元々ある▽伝統や文化など国のいい所を知る▽スポーツ応援――が特に多かったが、「押し付けたり強制するものではない」と書き添えている例もあった。「住んでいて良かったと思える社会になれば」や「育てるものではない」という意見も少数ながらあった。

毎日新聞鳥取版 2006年9月12日

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愛国心:学生アンケートから/4 教育基本法規定に反対でも「必要」過半数 /鳥取

◇悪くなる−−戦前に逆戻り
◇良くなる−−国が活性化する
◇変わらず−−結局は心の問題

教育基本法への「愛国心」盛り込みを巡り、是非が論じられているが、アンケートでは58%が「反対」し、「賛成」は10%に過ぎなかった。「愛国心を教育基本法に規定した場合、日本はどんな国・社会になるか」の質問には、41%が「悪くなる」と予想し、「良くなる」の9%を大きく引き離した。

規定後は「悪くなる」と答えた学生は、「“お国のため”という戦中の日本に逆戻りする」「戦争を正当化する」と平和への脅威と見なし、「為政者に悪用され異質者を排除」「間違った人を正せなくなる」「子どもの思想まで統一するのはおかしい」などとする学生もいた。

一方、「良くなる」と考える学生は「日本文化を尊重する」「自虐的歴史観をなくせる」とか、政治・経済などの面で「国が活性化する」「団結力が高まり明るい国になる」とした。周辺諸国との外交関係で「強く立ち向かえるようになる」とする意見もあった。

「悪くなる」とほぼ同じ割合だった「変わらない」(39%)と回答した学生は、「結局は心の問題」「教育で身につくものでない」「子どもは急に言われてもわからない」と教育の効果を疑問視。同法について「普段考えていない」など、関心の低さも目立った。

同法規定に「反対」、規定後の社会像を「悪くなる」とした学生でみると、いずれも「愛国心は必要」が過半数を超え、、「必要ない」は4割だった。

毎日新聞鳥取版 2006年9月9日

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愛国心:学生アンケートから/3 「愛郷心」とは違う6割 /鳥取

◇必要「文化や歴史守るため」/不必要「強制すべきでない」

「愛国心は国民に必要か」の質問には、63%が「はい」と答え、男性の59%、女性の66%が必要とした。理由として「団結力(一体感)が無くなり国がまとまらない」「国の文化や歴史を守るのに必要」などを挙げた。一方、「必要ない」は33%で、「個人の自由」「強制すべきでない」などが理由だった。

愛国心を教育基本法に規定することの是非については、「愛国心は必要」とした学生の過半数が「反対」を表明し、「賛成」の14%を大きく引き離した。「必要ない」では、「反対」が7割以上を占め、「賛成」は3%だった。

同法の規定による社会の行く末を尋ねたところ、「愛国心は必要」との学生は「悪くなる」が34%、「変わらず」が37%と回答。「必要ない」では「反対」が過半数を超え、「良くなる」は1人もいなかった。

「愛国心と愛郷心に違いがあるか」の問いには、60%が「はい」と回答。理由を聞くと「規模や範囲が違う」との答えが大半を占めたが、「愛国心は国のために戦わなくてはいけない」「愛郷心の延長は家族だが、愛国心の延長は天皇だから」と考える人もいた。「いいえ」(34%)の理由は「オリンピックと甲子園の違い程度(で応援する気持ちは同じ)」などだった。

愛国心が必要かどうかに関係なく、9割前後が高校卒業までに愛国心を教わった経験がないとした。

毎日新聞鳥取版 2006年9月8日

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愛国心:学生アンケートから/2 社会が悪くなる4割 /鳥取

◇教育基本法に規定すると、社会が悪くなる4割
◇感じたことあり「必要」73%/感じたことなし「不要」71%

「愛国心を感じたことは?」との問いに、「ある」と答えた学生のうち「愛国心は必要」としたのは73%、「ない」は71%が「必要ない」と回答し、対照的な判断を示した。しかし、「愛国心を教育基本法に規定した場合、日本はどんな国・社会になると思うか」でみると、愛国心を感じたかどうかに関係なく、「悪くなる」「変わらない」がいずれも4割前後で、「良くなる」を圧倒。同法に規定することの是非についても、感じたことのあるなしにかかわらず、「賛成」の割合は低かった。

そもそも、学生にとって「愛国心」とは何なのだろうか。自由記述方式で尋ねたところ、有効回答331人のうち76%にあたる251人が答えており、想像以上にしっかり書き込まれていた。

キーワード別に分類すると▽国の文化や歴史を誇りに思う心▽国を今より良くしようと思う気持ち▽帰属意識▽国を守る心▽(戦争や政治で)国に都合がいいもの▽対立の原因――などに大別できた。

「〜を誇りに思う」と答えた人の対象は、育った国や地域、または文化や日本人であること自体だった。「〜を良くしようと思う気持ち」と考える人は、国の未来を考え、世界が今より発展するよう努力することとした。「帰属意識」では、愛着程度の人から最優先すべきものとする人までさまざまだった。

「国を守る心」と考える人は、国のために自分を犠牲にできることなどと説明。「国に都合がいいもの」とする人は、国民を操る道具との意見や国に不利な情報を率先して出さないことの理由に使われるとした。「対立の原因」と答えた人は、自国の利益を一番に考えて戦争が起こる要因になったり、地球を一つの国と考える社会を作るのに邪魔な概念とみていた。

「わからない」と答えた人は、自分の身に付いていなかったり、意識することがなく“ぴんとこない”などと答えた。「その他」としては▽日本語・日本食を愛する▽身近な人と楽しく過ごす▽せいぜい周りを思う気持ち――から、▽思想を制限されるもの▽強要されるものでない▽サッカーなどでしか感じられないが自分の中に隠れている感情――などと理解していた。

毎日新聞鳥取版 2006年9月7日

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愛国心:学生アンケートから/1 必要63% /鳥取

◇教育基本法に盛るは反対58%
愛国心は必要だが、教育基本法に盛り込むのは反対が多数派――。県内の大学生400人を対象に毎日新聞鳥取支局が実施した「愛国心」に関するアンケート調査で、こんな結果が出た。同法に規定されると「日本が悪くなる」と考える学生は41%で、「良くなる」の9%を大幅に上回った。

調査によると、「愛国心を感じたことがあるか」の問いに、77%が「はい」と回答。感じた場面を六つの選択肢(最大二つまで)から選んでもらったところ、71%が「五輪やサッカーW杯などスポーツイベント」を選択し、「日の丸を見たり君が代を歌って」は最少の6%だった。

「愛国心は国民に必要か」は、「ないと団結力がなくなる」「国の発展や固有文化を守るため」などを理由に63%が「はい」を選んだ。どのように育つかは「自然にまかせる」「個人の自由で、押し付けるものでない」という意見が多かった。

同法に盛り込むことには「反対」が58%、「賛成」が10%。愛国心を感じたことがある学生を見ると、同法規定に60%が「反対」と回答し、規定により社会が「悪くなる」(41%)が「良くなる」(11%)を引き離した。悪くなると答えた人は「“お国のため”という戦時中の日本に逆戻りする」「為政者に悪用され、異質者が排除される」などを理由に挙げた。

「高校卒業までに愛国心を教わったことは」の問いに、89%が「いいえ」を選択。その中で愛国心を感じたことがあるのは75%、国民に必要と考える人は61%だった。

男女別では、愛国心を感じたり必要と考える割合で女性が上回ったが、同法に盛り込むことには男性より拒否反応を示した。【松本杏、小島健志】

  ◇  ◇  ◇

「愛国心」を盛り込む教育基本法の改正案など、政界を中心に「愛国心」が盛んに論じられるようになった。戦後60年が過ぎ、“明日”の日本を担う若い世代は「愛国心」をどのようにとらえ、考えているのだろうか。毎日新聞鳥取支局が、県内の大学生400人に実施した「愛国心」に関するアンケートの結果を報告する。

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◇「愛国心」調査の質問と回答

◆愛国心を感じたことがありますか。
          全体  男性  女性
はい        77  71  84
いいえ       22  27  16
 ◇<「はい」と答えた方に>
どんな時に感じましたか(二つまで選択可)。
a)五輪やサッカーW杯などのスポーツイベントを見た時
          71  68  73
b)旅行・留学などで海外滞在した時
          15  14  17
c)歴史認識や領土問題など国際摩擦が起きた時
          22  26  18
d)学術・文化などの分野で日本人が評価、活躍した時
          30  27  33
e)日の丸を見たり君が代を歌った時
           6   7   4
f)その他     11  11  10

◆愛国心は国民に必要だと思いますか。
はい        63  59  66
いいえ       33  37  29

◆愛国心を教育基本法に規定した場合、日本はどんな国・社会になると思いますか。
良くなる       9  13   5
悪くなる      41  37  45
変わらない     37  35  39

◆教育基本法で愛国心を規定することについて、考え方に近いものは。
a)賛成。教育の目的として、国を愛する心を明確に盛り込むことは必要
          10  15   3
b)反対。憲法の思想信条の自由など内心の自由を侵す恐れがある
          58  52  65
c)分からない   30  30  30

◆愛国心と愛郷心(郷土を愛する心)に違いがあると思いますか。
はい        60  59  62
いいえ       34  35  31

◆高校卒業までに、愛国心を教わったことはありますか。
はい         7   8   6
いいえ       89  89  89

(注)数字は%、小数点以下は四捨五入。無回答は省略。
………………………………………………………………………………………………………
 アンケートは7月、鳥取大と鳥取環境大の学生各200人に行い、18〜26歳の
331人(男175人、女156人)が回答した。回収率は83%。

毎日新聞鳥取版 2006年9月6日

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ニュースを問う 上田寿行(蟹江通信部)
通知表の『愛国心』評価 国の理念に縛られる現場 かきまぜ、生きた教育を

愛知県内の小学校六十校で、六年生の通知表に「国を愛する心情」が評価項目に入っていたことが明らかになった。特に海部・津島地方で該当校が集中している。取材していくと、国側から示された“愛国心評価モデル”の存在が見えてきた。文部科学省→県教委→市町村教委という縦社会に属する教育現場の息苦しさをあらためて感じる。

愛国心が焦点の教育基本法改正案は継続審議となっており、いずれ再燃するだろう。しかし国を愛する心情の評価なんて一体、できるものなのか。違和感をぬぐえない。

愛知県弥富市で六月七日、共産党市議団などが市教委に対し、「国を愛する心情」評価の通知表の改善を求めた。市内の小学校七校全部でその通知表が使われていたからだ。県教委が調べたところ、該当する小学校が県内に六十校あることが判明。中でも弥富市を含む海部・津島地方は、九市町村の小学校四十八校のうち四十五校で愛国心評価の通知表が使用されていた。

問題となったのは、六年生の通知表の社会科の評価項目。「わが国の歴史・政治・国際社会に関心をもち、意欲的に調べることを通して国を愛する心情をもつ」という表現で、三段階評価されていた。

児童の内心の自由を侵しているという指摘を受け、「誤解を与える面があった」として同地方の多くの小学校では二十日に手渡された一学期の通知表から、問題の部分を削除するなどの措置が取られた。

それにしても、どうしてこれほど集中していたのか。県海部教育事務所は「この地方はほかと比べて一枚岩的なところが強くある」と話す。保守的で横並び意識が強く、上意下達の土地柄が要因にあるようだ。

通知表は、最終的には各学校長の責任で作成されるが、海部・津島地方は全体の校長会で通知表の検討委員会を設け、「国を愛する心情を育てる」が教育目標に入った新学習指導要領(二〇〇二年度施行)を参考に通知表モデルを作成していたといい、ほとんどの学校がそのモデルに準じた通知表を使っていた。

親たちから「どうやって評価してきたのか」という声が聞かれた。校長らに問うと「実際には評価項目の前段の関心度や意欲を評価し、『国を愛する心情』を評価していたわけではない」との弁明が返ってきた。

実情はそうだったのかもしれない。だが、問題はもう少し根深いものがあった。国の愛国心評価モデルがあったのだ。

国立教育政策研究所の教育課程研究センターが二〇〇二年二月に公表した「評価基準、評価方法等の研究開発」という報告文書がある。全国の学校現場が評価基準を作成し、評価方法を工夫改善する際の参考資料として提供されている。その内容を読むと、評価基準の具体例の文言が、今回問題になった海部・津島地方の通知表の評価項目の表現と酷似していることが分かる。

海部・津島地方の通知表モデル作成にかかわったある教師は「この件で言いたいことは山ほどあるが、今は言えない…」と言葉を濁したが、その教師が言いたかったのは、「われわれはただ文科省の学習指導要領や、この参考資料に忠実に従っただけだ」というあきらめに近い無力感だろうと推察された。

この問題で、何人もの教員や元教員らから話を聞いた。最も共感を覚えたのは「愛国心も大事だが、そのまま学校現場で教えるのは飛び越えすぎ。身近な地域を愛することや人間愛の尊さを教えることから自然にはぐくまれていく性格のものだろう。上からの教育方針や理念を、もっと学校現場で消化し、かきまぜて、生きた教育をつくり上げていかなくてはいけない」という一人の元中学校長の言葉だった。

海部・津島地方でも、数年前に二期制の導入をきっかけに通知表を大幅に見直し、「子どもや保護者に分かりやすい評価」を徹底追求した結果、「国を愛する心情」の評価項目が自然に消えた小学校もある。「かきまぜる現場力」の好例と思われたその学校の教師たちの目の輝きに、希望を見る思いがした。

中日新聞 2006年7月23日

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臨時国会成立へ『法案先出し』 過去3回いずれも不発

18日に閉会日を迎えた今国会は、教育基本法改正案などの重要法案が軒並み継続審議となり、成立が先送りとなった。そんな中、自民党は、会期内成立は無理を承知で法案を提出する戦術を取った。次期国会での成立を見込み、提出だけを「先出し」するという戦術だが、従来の国会対策からは「奇策」といえる。過去の例をひもとくと、今後の展開には波乱が予想される。(新開浩)

政府が今国会に提出した法案九十一本のうち、成立を見送ったのは九本で、成立率は90・1%。ただし、教育基本法改正案など、国会終盤に出した三法案の提出を見送っていれば、成立率は93・2%にアップしていた。

それでも、政府・与党が提出に踏み切った動機は二つある。

一つは、会期延長を前提にした提出だ。教育基本法改正案を提出した四月二十八日は、昨年の郵政民営化関連法案の提出日からわずか一日遅いだけ。与党が昨年並みの大幅延長をし、成立にこぎ着けたいと期待していたことをうかがわせる。ただ、この考えは、小泉純一郎首相が延長に難色を示したためにかなわなかった。

もう一つの理由が、自民党の武部勤幹事長が唱える「先出し」論。次期国会での早期成立を見込んだ法案で、閉会日の一カ月前に提出した北海道道州制特区推進法案や、残り会期わずか十日間で提出した防衛省昇格関連法案が典型だ。

これらの法案は、提出段階で通常国会での成立は絶望的だった。しかし、武部氏は「提出することで国民の関心が巻き起こり、次の国会で実りある審議をする」と、「先出し」の狙いを説明。「決して課題の先送りではない」と主張する。

政府が、通常国会の閉会日まで残り一カ月足らずで法案を提出し、継続審議となった例は、過去十年間に三回ある。

だが、これらの法案はいずれも次の臨時国会でも継続審議となり、翌年の通常国会まで成立を持ち越した経緯がある。

一九九九年七月に提出した年金制度改正関連法案は、十二月の臨時国会の衆院厚生委員会で、与党が強行採決したことに野党が反発し、国会が空転。参院で継続審議となった後、翌年三月に衆院で再度可決した。

また、九七年六月提出の公選法改正案は、在外邦人の投票を衆参両院選挙の比例代表に限って認める政府案と、衆院小選挙区と参院選挙区にも認める野党案との折り合いが付かず、成立を翌年四月に持ち越した。

民主党が対決姿勢を強めていることを踏まえると、こうした先例が繰り返される可能性は高い。

仮に防衛省法案などの成立が、来年の通常国会まで持ち越されれば、来春の統一地方選や夏の参院選の争点に影響を及ぼす事態も予想される。

「先出し」戦術の成否は、秋の臨時国会が終わるまで分からない。

東京新聞 2006年6月19日

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愛国心を考える 下 危機感

「強制」国旗国歌以外にも?

道内の教育現場には、教育基本法の改正の動きに対して1999年の国旗国歌法成立と重ね合わせて、危機感を訴える声が少なくない。国旗国歌法が制定されてから、現場教員らの反対をよそに入学・卒業式での「日の丸」「君が代」の実施率は一気に加速した。基本法改正で、愛国心の名の下に国旗国歌以外にも「強制」が広まるのでは、といった不安は尽きない。(安宅秀之)

「内心の自由」守れるか 現場の教師に募る不安

今年四月上旬、美唄市内の小学校で開かれた入学式の会場には、教職員約30人のいすだけが用意されなかった。三月の卒業式で君が代斉唱時に着席していた教職員を起立させるため、校長が決めた判断だった。

“いすなし”の理由について、校長は「教職員と何回も話し合った結果、教師のあるべき姿勢を子どもたちに示すため、現段階の選択肢としては、(いすなしでも)やむを得ないと私が決断した」と説明する。

異例の措置に、校内外の教職員や市民団体から批判が挙がったが、同市の村上忠雄教育長は「学習指導要領で国旗国歌の指導が求められている以上、起立は教員の職務であり、強制にはならない」と主張する。

村上教育長が言うように、学習指導要領は1989年、「望ましい」としてきた入学式・卒業式での日の丸掲揚、君が代斉唱を「指導するものとする」に改められた。

だが、道教委と札幌市教委の調べによると、現場の抵抗感が強い国家の実施率は、2000年度の卒業式時に急上昇している。

札幌市内は、99年度に中学校で約一割、小学校で約四割だった実施率が2000年度にはほぼ100%に。札幌市外の小中学校も六割台から九割以上にアップした。学習指導要領の改正よりも、国旗国家法成立が教育現場に与えた影響の大きさがうかがえる。

当時の国会での審議中、政府は答弁で「児童生徒の内心に立ち入って共生することはない」と再三強調していた。石狩管内の中学校の男性教諭は「教師にも内心の自由が当然あり、正直言ってこれほど締め付けが厳しくなるとは思わなかった」と振り返る。

教育基本法の改正で、「愛国心を示す態度の一つが国旗に向かって国家を歌うことだとなれば、さらに指導が強まるのは容易に想像できる」と心配する。

愛国心をどうやって教えるのか―。

「教育基本法が変われば、学習指導要領も変わる。(指導要領に合わせて作られる)教科書の内容も必然的に変わらざるを得ないでしょう」。東京の教科書出版会社の広報担当者は、そう言い切った。

従来の教科書を「自虐的」「偏向」と批判し、扶桑社版の中学歴史・公民教科書を主導した「新しい歴史教科書をつくる会」(東京)も一般論とした上で「(扶桑社版でなく)むしろ他の教科書への影響の方が大きいのでは」とみる。

帯広市の元教員で、「子どもたちの未来を考える市民連絡会」代表委員の村田歩さん(72)は、今まで以上に現場の声が教科書に反映されなくなるだけでなく、さらに『教科書どおりに教えろ』という声が強まるのでは」と懸念する。

村田さんの父親は戦時中、進歩的な作文教育を実践していた教師が治安維持法違反で摘発された綴方教育連盟事件に連座して逮捕され、家族ともども「非国民」のレッテルを張られて苦労が絶えなかった。

そうした経験から「(内心の自由を侵す)押し付けの愛国心は、同時に排他的な面を併せ持っていることを忘れてはいけない」と警鐘を鳴らしている。

国旗国歌の実施率

道教委と札幌市教委が毎年、すべての小中高校を対象に入学式と卒業式に調査している。国旗は「式典出席者の目の触れる場所に自然な形で」(道教委)掲揚されているか、国歌は、テープやCDの演奏が流れているかどうかを確認。斉唱中、実際に歌っているか、起立しているかどうかは含まれない。札幌市は2001年度、札幌市を除く道内は05年度の卒業式から共に完全実施となっている。

北海道新聞 2006年6月19日

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愛国心を考える 上 心の中教えられる?

「愛国心」問題が焦点となっている教育基本法改正案は今国会で継続審議となる見通しだが、「日本人の誇りを教えるのは当然」「思想の締め付けになる」などさまざまな賛否の声が上がっている。国旗・国歌を授業で教えている三重県の皇学館中学・高校と、かつて愛国心を通知表で評価し、教育現場が揺れた福岡市を訪ね、この問題について考えた。

三重 皇学館中・高  教育勅語の暗唱テスト

「朕惟フニ我カ皇祖皇宗…」
五月末、皇学館高の一年生の教室では、二十代の女性教諭が、1890年(明治二十三年)に明治天皇が発布した「教育勅語」を読み上げていた。三十七人の生徒は黙々と、和紙に書かれた文言に振り仮名を打っていく。「夏休み明けには暗唱テストがあります。二年生になると意味を教えるから、まずはよく覚えておいてね」と教師は語りかけた。

伊勢神宮に近い皇学館中学・高校は、神道の精神にのっとった教育を行う私立校。中高合わせた生徒数は約1450人。一部には神社関係の子弟も交じるが、大半は地元の一般家庭からの通学生だ。高校には、道内から入学した生徒も二人いるという。

同校は「日本特有の伝統文化、生活習慣の継承」を重んじる。高校では、総合学習で教育勅語のほか、日の丸、君が代の歴史について教える。毎朝八時過ぎには中学、高校のそれぞれの校舎前のポールに、生徒の代表が国旗を掲げる。この日、掲揚に来た男子中学生は「他の生徒の代わりで来た」と手慣れた様子だった。

教育勅語の暗唱や国旗掲揚に、同校は、日本人としての誇りを教えていると説明する。生徒がどこまで理解しているかは分からない。中村貴史教頭(五五)は「だからこそ『習うより慣れろ』で自然注入させるのです」と話す。教育基本法についても「内容に不満があればどんどん変えればいい。うちの教えは日本で失われつつある公共心をはぐくむことにもつながる」と言い切った。

皇学館中学・高校は、伊勢神宮の門前町として発展した伊勢市内にある。1882年(明治十五年)に創設された皇学館大によって戦後開発され、地域住民のなじみも深い。高校の卒業生の七割は大学・短大に進学し、三分の一は皇学館大に進学するが、東大、京大や早稲田大などの有名私大に進む生徒も多い。

福岡市立の小学校  評価制度で揺れた現場

一方、福岡市では2002年、市立小六十九校の六年生用通知表の社会科評価項目に「愛国心」が盛り込まれていることが市民団体の指摘で表面化。地元の弁護士会が「特定の思想を強制する」と、通知表からの削除勧告をだすなど騒動となった。

評価は翌年から姿を消したが、当時、三十五人の教え子に対する評価を求められた男性教諭(五六)は、「子どもたちの心の内を評価する材料がない。そもそも、評価することで子どもたちに何を求めるのかが分からなかった。」と振り返る。教師はABCの三段階での評価を迫られたが、悩みぬいた末、B評価をつけることしかできなかった。

小泉純純一郎首相は「(愛国心を)通知表で評価するのは難しい」と国会で答弁したが、愛国心が学校現場で強制されないかどうかには関係者の間で懸念が消えていない。この教諭は、教育基本法が改正されれば、評価しやすいにと、国のために死んだ軍人や武将を紹介する教材が作られるんじゃないか」と危惧する。

北海道新聞 2006年6月12日

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教育の原点 基本法改正を検証する(5)
政官の同床異夢

現場置き去りのまま

「ゆとり教育」をめぐる文部科学省の迷走ぶりを描いた東大生の卒論が今春、ちょっとした話題になった。筆者は、公益法人に就職した田中雄治(22)。いわく、学力問題は一九七〇年代にも語られたが、当時は、詰め込み教育のせいだとされた→二〇〇〇年代に入ると逆に「ゆとりバッシング」が始まった→役所は外野の声に流され、猫の目のように政策を変えた−。

「いろんな人が根拠なしに好き勝手に語り、教育政策がぶれていった」。田中は分析した。

    □

「教育基本法を改正して『愛国心』を盛り込んだって、問題が解決すると思っている者は、省内にいないと思うよ」

文科省幹部の一人が打ち明ける。ではなぜ改正なのか。そのカギは与党改正案の一七条に盛り込まれた「教育振興基本計画」にある。

今、教育予算は削減の波をかぶっている。国内総生産(GDP)に対する国と地方の学校教育費の比率は、二〇〇二年度で3・5%。米英仏はいずれも5%を上回るのに日本の低さが際だつ。

就任時、「貧窮する明治初期の長岡藩が、救援物資の米百俵を学校設立の資金に回した」−という逸話を紹介した首相小泉純一郎だが、積極的に教育予算を増やそうとしたとはいえない。

むしろ、政府は今、人材確保法(義務教育に携わる教員の給与を他の公務員より優遇することをうたう法律)と義務教育用教科書無償制の廃止を検討し、教育予算を減らす方向に動いている。歳出削減の効果や、優れた教員確保の見通しを十分に検証せず、削減の動きは進んでいる。

「(与党側は)根拠なんてどうでもいいんだ。教科書無償制を苦しい財政の象徴にしようとしている」と、文科省幹部はため息をつく。

防戦に追われる文科省にとって教育振興基本計画の制定は悲願だった。安定予算確保につながる可能性があるからだ。

省幹部らの頭の中には「科学技術振興基本計画」の先例がある。〇一年度からの五年間に二十四兆円、〇六年度からの五年間は二十五兆円の政府研究開発投資が盛り込まれ、財政削減圧力の防波堤になってきた。

「今度の振興計画も、予算を得る弾みになってほしい」と別の文科省幹部は言う。「金額が明示されないと意味がない。政治家はあれもこれもというが、予算がなければ何もできないんだから」

    □

愛国心を植え付けたい与党と、予算が欲しい文科省の「同床異夢」。そこからは、教育改革国民会議を設置した元首相・故小渕恵三も言った「教育の百年の大計」をどうデザインするかという思想は見えてこない。

「現場と関係ない人たちの政治的なおもちゃです。教育で『長屋談議』はしないでほしい」。冒頭の田中の論文を指導した東大総合文化研究科助教授佐藤俊樹(43)は、現場感覚に欠ける論議に冷ややかな視線を送る。

改革のたびに書類の量が増え、研究や教育に割く時間を奪われるのが実態だったという。「資源(予算)を投入せずに精神論をぶっても、事態は悪くなるだけ。第二次大戦で日本が負けていったパターンです」

迷走した「ゆとり教育」の軌跡をたどるように「教育の原点」たる基本法は、現状や政策効果の科学的な分析を欠いたまま改正論議が進む。

「変えた方がいいものは変えなくてはいけないが、変える必要がないものを変えるのはムダ」。政と官が急ぐ改正の動きを佐藤は憂い、斬(き)る。(文中敬称略)=終わり

    ×  ×

この連載は東京社会部・加古陽治、片山夏子、高橋治子、名古屋社会部・砂本紅年が担当しました。引き続き、番外編としてインタビューを掲載します。

中日新聞 2006年6月12日夕刊

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教育の原点 基本法改正を検証する(4)
評価される愛国心

学習姿勢、態度が対象

「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつ…」

五月二十四日、与野党の教育基本法案を審議する衆院特別委員会。首相小泉純一郎は、質問に立った日本共産党委員長志位和夫から手渡された小学校の通知表を声を出して読んだ。福岡市で二〇〇二年に使われていたものだ。そして、あきれたように言った。

     □

「これが小学校? これでは子供を評価するのは難しいと思いますね。あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないか」

小泉があきれた通知表の記載は、実は珍しいものではなかった。同様の「愛国心」にかかわる項目は、他の自治体でもある。特に多い愛知県は公立小約七十校、埼玉県は同約五十校に及ぶ。

愛知県の海部地域の多くの小学校では、二〇〇二年度から六年生の通知表(社会科)で「わが国の歴史・政治・国際社会に関心をもち、意欲的に調べることを通して国を愛する心情をもつ」との評価項目が登場した。きっかけは〇二年度施行の新学習指導要領だ。学習目標に「わが国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする」などと明記されたのを受け、校長会が中心となって項目化した。

〇二年度に全小学校で六年生の通知表に項目を設けた埼玉県行田市で、六年担任の男性教諭(51)は「とても評価できないが自分から働きかけるエネルギーがなかった」と声を落とす。ABCの評価は、歴史への関心の度合いや学習姿勢でつけたという。

国会で問題となった福岡市は、既に「愛国心」の評価をやめている。〇二年に市内の約半数の六十九校で同様の通知表が使われていることが発覚。翌年からすべての学校が様式を改めた。

「学習指導要領を短くしたもので、内心を評価するものじゃない」と、当時の市教育長生田征生(現市総合図書館長)は言う。だが、現場の受け止め方は違う。ベテランの男性教諭は「愛国心」をどう評価したらいいのか分からず、結局全員に「B」をつけたという。女児を持つ母親は「日本人としてA級、B級と分けられる気がする」と漏らした。

     □

福岡の通知表を批判した首相答弁。それでも、行田市教育長の津田馨は五日の会見で「学習姿勢や関心をみている。内心を評価しておらず支障がない。あえて外すつもりはない」と、評価項目を変更する意向はないことを明らかにした。それには理由がある。

〇一年四月、文部科学省は当時の初等中等教育局長矢野重典名で各都道府県教委などに指導要録の改定を通知した。その別添資料には、六年社会の「評価の観点の趣旨」として「わが国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつ」と書かれていた。「愛国心」を評価する通知表は、文科省の指導に忠実に従ったものだったのだ。

衆院特別委でも、文科相小坂憲次は「内心についての(愛国心の)強さを評価でABCつけるなど、とんでもないこと」と言いながらも、福岡の通知表が不適切だとは認めなかった。さらに「総体的に評価できるような評価を行う」と踏み込み、学習姿勢や態度に表れた「愛国心」については、評価の対象となることを明らかにした。

現場が意識しない間に忍び寄る、内心への指導と評価。福岡市の校長は十分に検討しないで評価項目を採用したうかつさを認め、言う。「強制しないと言いながら、まわりが監視する雰囲気がつくられていく。慣れていく自分も怖い」(文中敬称略)

中日新聞 2006年6月9日夕刊


教育基本法 対案、一転廃案へ 民主、政策ないがしろ

民主党は8日、今国会に提出していた新法「日本国教育基本法案」の継続審査を求めず廃案とすることを決めた。同日の野党幹事長・書記局長会談で、鳩山由紀夫幹事長が表明した。政府の教育基本法改正案に比べ、より「愛国心」の重要性を指摘し、与党内からも賛同の声が上がっていたが、「1年あるいは1年半、慎重に議論を進めることが必要だ」(鳩山氏)と慎重姿勢に転じた。

鳩山氏は会談で「(政府、民主党の両案を審議している)特別委員会で法案の継続審議というのはおかしい」と両案の廃案を提案。社民、共産両党も賛同した。衆参両院の特別委員会は、国会会期ごとに設置されるため、法案もいったん廃案のうえ再提出するのがスジとの主張だ。

民主党が閉会中の審議を望まないのは、政府案の早期成立を図りたい公明党がすでに、国会閉会中の公聴会開催を打診してきており、「政府案のまま賛成多数で押し切られる」(幹部)との危機感があるためだ。

鳩山氏はさらに、「新たに(国会内に)調査会を設置し、時間をかけ審議を進めるべきだ」と主張。ただ、平成12年に衆参両院に設置された憲法調査会のように法案の審議権をもたないものをイメージしているという。

これに対し、法案作成にかかわった議員は「国会法上、調査会でも議案の審査はできるはずだ。場合によっては、衆参合同の国家基本政策委員会で法案の審議をしてもいいはずだ」と異論を唱える。

「日本を愛する心を涵養(かんよう)し…」「宗教的感性の涵養」などの表現を盛り込んだ民主党案については、小泉純一郎首相も、衆院の特別委員会での答弁で「なかなかよくできていると思う」と高く評価。日教組からも支援を受ける同党案の思わぬ出来栄えをいぶかしがる自民党内からは、「民主党は日教組に対し『どうせ今国会では日の目を見ないので、目をつぶってほしい』と説得した」との声さえ聞かれた。

民主党の今回の廃案方針は、こうした“口撃”を自ら認めることにもなりかねない。

小沢一郎代表が就任して以降、終盤国会で政府・与党との対決姿勢を鮮明にし、重要法案を次々と先送りさせるという“戦果”を挙げる一方で、自らの政策をないがしろにする姿勢も見え隠れする。

産経新聞 2006年6月9日

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『愛国心』懸念消えず 教育基本法改正案 実質審議が終了

衆院教育基本法特別委員会は八日、今国会での実質審議を終えた。森喜朗前首相ら自民党文教族は四月末、教育基本法改正案の国会提出にこぎ着けたものの、小泉純一郎首相が会期延長を拒否し継続審議が早々と決定。「愛国心」などをめぐる与野党の攻防は尻切れとんぼに終わった。同法改正論議は生煮えのまま、「ポスト小泉」政権に引き継がれる。 (佐藤圭)

論戦の焦点は、やはり愛国心だった。当初は、自民、公明両党の調整で「我が国と郷土を愛する態度」との表現に落ち着いた政府案と、「日本を愛する心を涵養(かんよう)」と踏み込んだ民主党案との相違がポイントになるとみられていた。

自公連携にくさびを打ち込む狙いもあった民主党だが、首相が「それほど大きな違いがあるとは思えない。心を表したものが態度だ」と争点化を回避。今国会での改正が絶望視される中、政争含みの攻防は影を潜めた。

そこでクローズアップされたのが、学校現場での愛国心の評価の在り方。首相は先月十六日の衆院本会議で「児童や生徒の内心に立ち入って強制するのではない」と述べ、「内心の自由」を尊重する考えを強調した。

ただ、その後の委員会審議では、小学校で愛国心をランク付けする通知表が採用されている実態が次々と明らかに。

小坂憲次文部科学相は、そうした通知表の評価基準が「わが国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情をもつ…」などとなっている点について、「内心(の自由)についての直接的な評価ではない」と釈明。文科省は全国的な実態調査にも消極的な姿勢に終始。政府や地方自治体の運用次第で、愛国心が強制される懸念は消えなかった。

東京新聞 2006年6月9日

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教育の原点 基本法改正を検証する(3)
ドンが首相に

流れ一変 見直し加速

五月三十一日夕、衆院第二議員会館の会議室に前首相森喜朗、元首相海部俊樹ら、自民党文教族の大物が勢ぞろいした。

長年の悲願だった教育基本法改正案が国会に出された。だが、会期を延長しない限り、成立は難しい。それを知りながら、首相小泉純一郎は前日、「会期延長しない」と断言していた。

「われわれの思いは今国会での成立なのに」−。苦虫をかみつぶす森たち。海部らは翌日、会期延長を申し入れたが、小泉は応じなかった。

    □

二〇〇〇年四月十四日。水割りやビールのグラスを持つ有識者らを前に、首相になったばかりの森喜朗が、延々と熱弁を振るっていた。教育改革国民会議の第二回会合の後、官邸地下で開かれた立食パーティー。

「氷が溶けてしまいますね」。委員の京都ノートルダム女子大学長(現兵庫教育大学長)梶田叡一は首相補佐官で後の文相、町村信孝に小声を掛けた。パーティーは「文教族のドン」と呼ばれる森が、ようやくたどり着いた晴れ舞台だった。

一九八四年、中曽根内閣の下で臨時教育審議会が設けられた時、森は文相という絶好のポジションにいた。しかし、審議会の設置法には「基本法の精神にのっとり」とあった。基本法改正を言い出せる雰囲気ではなく、改正論議は封じられた。

十六年後の国民会議にはそういった制約がなく、年来の主張を実現する好機だった。「教育基本法の見直しも含め(略)率直に問い直し議論すべき時期」。森は、病に倒れた小渕恵三の後継者として出席したその日の全体会議で、早くも基本法見直しに言及した。

「まず第一に、思いやりの心、奉仕の精神、日本の文化・伝統を尊重する気持ちなど、人間として、日本人として持つべき豊かな心、倫理観、道徳心をはぐくむことが必要である」

一カ月後、森の言う日本の文化・伝統や道徳心の一端が明らかになる。「まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく」。いわゆる「神の国発言」だった。

    □

国民会議を設置した小渕は、森とは違った。初会合は二〇〇〇年三月二十七日。定刻前にフラリと会場に現れた小渕に、委員の一人が「何を議論するんですか」と聞いた。小渕は「分かっていたら、こんな会議はつくらんよ」と答えたという。

最初に基本法改正ありきでなく、幅広い議論を求める小渕の思いは、この日のあいさつに凝縮されていた。「教育は国家百年の大計と常々申し上げている。腰を据え、密度の濃い議論を積み重ねていただきたい」

だが一週間後、小渕は倒れ、五月十四日、この世を去った。首相を継いだ森の意向もあり、会議は基本法見直しに傾く。特に「人間性の教育」を論議する第一分科会には改正論者が集中。「改正必要論が大勢」という分科会報告をまとめた。

改正論には二つの流れがあった、と梶田は言う。「敗戦前の日本に戻るような復古調の改正方向と、次の時代に向かって新しいものをつくろうという流れと…」

最終報告を起草した「企画委員会」は、ウシオ電機会長牛尾治朗らが十六回の会合を開催。「一度は『愛国心』も含め、教育勅語を思わせるような強いものが出た」と委員の一人は証言する。「さすがにまずい」との声で書き換えられ、二〇〇〇年十二月の最終報告では見直しへの論議を提言するにとどまった。

委員の渋谷教育学園理事長田村哲夫は「改正に一年間は短すぎた。後は中教審で、となった」と語る。その言葉通り、続く中教審の論議は、基本法改正を前提に進んでいった。(文中敬称略)

中日新聞 2006年6月8日夕刊


教育の原点 基本法改正を検証する(2)
心への介入

なし崩し政治論議に

「法案じゃなくて、説法、説教ではないかと私は思います」

一九四七年三月十九日、教育基本法案を審議する最後の帝国議会。貴族院本会議の壇上で、元北海道庁長官(今の道知事)沢田牛麿議員は、厳しく法案を批判した。

「倫理の講義や国民の心得などということをいちいち法律で規定する必要はなかろう」「こういう説法をしなければ日本人が教育について分からぬということならば、それはあまりに日本人を侮辱した言葉である」

内閣改造で首相吉田茂に更迭された田中耕太郎(後の最高裁長官)に代わった文相高橋誠一郎が答弁に立った。

「教育勅語の奉読が廃されておりまする際、(略)国民のかなり大きな部分におきましては、思想混迷を来しており…」「法律の形をもって教育の本来の目的その他を規定することは、極めて必要なこと」

戦争直後の混乱下にある過渡期には、戦前に絶対的な存在だった教育勅語の空白を埋める新たな「教育憲章」が必要だ−。それが高橋の答えだった。

    □

国家が法律で国民の内心に介入することには、戦後六十一年を経た今も多くの批判がある。にもかかわらず与野党の改正案にはいずれも「愛国心」に関連する項目をはじめ、現行法以上に「徳目」が増えている。

戦後教育史に詳しい武蔵野大助教授貝塚茂樹(42)も「法律で道徳を規定していいのか」と疑問を呈する。「法律によって内心の問題に入り込んでも本当にいいのか、根本的に議論しなくちゃいけなかった」

学校教育法の立案に携わった元東宮大夫安嶋弥(ひさし)(83)も「沢田さんの意見は正論だったと思う。先進国で教育基本法みたいな法律を持っている国はどこもない。あれは臨時立法だった」と言う。文部科学省の現役幹部の中にも、同様の意見は珍しくない。

実は、文相時代に基本法を発案した田中耕太郎も、似たような考えを持っていた。

「国家が法律をもって(略)教育の目的を明示することは不可能」「国家の目的を法律学的に示すことが不可能なのと同様である」「これを取り除くことはできないにしても、拡張又(また)は強化してはならない」

田中は、論文などでそう記し、あいまいな徳目を法律に記すことに慎重な姿勢をとり続けた。

「抽象的概念を法律に盛り込むのは相当危険。田中さんは法学者だから、心の問題に国家が立ち入るべきでないという考えが明確だったんじゃないか」と貝塚は言う。

祖国愛と新憲法下の理想に燃えた学者たちがつくった教育基本法だったが、一九五〇年代に入るころから「国の教育への関与は基本法一〇条で『屈することなく』と規定する『不当な支配』か否か」−などをめぐり、与党自由党(保守合同で後に自民党)と、教員労組などをバックにした社会、共産両党との「政争の具」と化していく。

「法律の中に価値的な問題を入れてしまったために、基本法そのものが政治的な論理の中に巻き込まれてしまった」と貝塚。政治にもてあそばれる基本法改革論議を、若手教育学者の多くは冷ややかにみているという。

「自民・公明両党の合意といっても、結局足して二で割ったという話。『宗教的情操は入れないけど、愛国心だけは入れろ』とか。そういう政治的な論理に感覚的に飽き飽きしてしまっている。国会周辺で騒いでいても、一般の人はほとんど冷めてる、というのが実態じゃないですか」(文中敬称略)
 

中日新聞 2006年6月7日夕刊


教育の原点 基本法改正を検証する(1)
復興の願い

日本主導で土台築く

インターネットの中継画面に、大あくびの女性議員が映し出された。五月二十四日、教育基本法改正案の本格審議が始まった衆院特別委員会。後方では、二人の議員が長々と話し込んでいる。

戦後六十一年。日本の復興を陰で支えた「教育の根本」は今、倦怠(けんたい)感すら漂う中で初の改正へ審議が進む。一九四七(昭和二十二)年三月、基本法が上程された最後の帝国議会当時とは、似ても似つかぬ光景である。

    □

「がらんとした空き家のような校舍の中で教育が実施されておる」「実に慨嘆にたえない」

四七年三月十九日。教育基本法とセットの学校教育法案を審議する衆院委で、社会党の永井勝次郎が文部省(現・文部科学省)を追及していた。

学校教育局長の日高第四郎が答弁に立った。「日本を復興させるものは戦争にも責任のある私どもの力というより、何も知らなかった若い人たちの力で、日本は再びこの情けない状態を…」

ここまで話し、日高は目に涙をため、おえつを漏らした。委員会室は水を打ったように静まる。もらい泣きの声も出た。

数分後、日高はようやく「…盛り返さなければならないと思っております。私どもは万難を排し、喜んで踏み台になっていきたい」と続けた。

復興のため、義務教育を三年延ばして九年間に−。国民の多くと政治家、官僚の一致した願いを盛り込んだ教育基本法と学校教育法は同月末に可決、即施行された。

    □

占領下の日本。教育関連の法令は、事前に翻訳して連合国軍総司令部(GHQ)の民間情報教育局(CIE)に渡さねばならなかった。日高の下で学校教育法を立案した元東宮大夫安嶋弥(ひさし)(83)は述懐する。「CIEでは暖房が効き、コーヒーの香りも。負けたんだなと…」

だが、教育基本法に限っては違った。

「CIEは基本法に積極的ではなかった。日本側の発想だった」と安嶋。「教育勅語の強烈な影響を打ち消すにはどうすれば、と」

発案者は当時の文相で後の最高裁長官、田中耕太郎。四六年六月二十七日、新憲法審議の衆院本会議で「学校教育の根本だけでも議会の協賛を経るのが民主的態度」と基本法の制定に言及した。

同年八月、首相吉田茂の直属機関として教育刷新委員会が発足。同委とCIE、文部省の連絡委(ステアリング・コミッティー)も設けられた。文京区の野間教育研究所に、各回の議事概要を記した秘密資料がある。

文部省側の主な説明役は日高。基本法案が国会に出た際「非常に困難があったが、通過を期待している」と説き、CIE側は「文部省のお骨折りに感謝する」と応じた。

CIEが根幹部分の修正を指示した形跡はない。日高の二女、小宮山そよ子(79)は「『ダメだと言うと(CIEは)無理にやれとは言わなかった』『押しつけとか米服従とかいうのとは違う』とよく言っていた」。

「多くの人は、アメリカ人におしつけられたものであると、考えているように思われます」「わたくしは当時現場にいたもののひとりとして、誤解であることを知っていただきたい」と、日高本人も後に記した。

「日本人の魂がはいっていないとすれば、それは日本人の気概が足りなかった責任であり、よくできているのならば、それは日本人の貢献であります」(文中敬称略)

   ×   ×

改正へ審議が始まった教育基本法。制定の歴史を振り返り、改正論の根拠とされる「事実」を検証する。

中日新聞 2006年6月6日夕刊


中日新聞 2006年5月21日
視座「教育基本法」に見る日本の特殊性
ロナルド・ドーア 英ロンドン大学政治経済学院名誉客員

教育基本法のような法律は日本以外の国にあるだろうか。

イギリスで教育が大いに政治問題になる事は大まかに二つ。英正教会設立の学校に、国公立学校と同様な予算をつける代償として教育課程や経営に国家がどれだけ関与していいかという、一世紀も戦われた問題が、ひとつ。もう一つは、義務教育において何歳から能力別の学校編成・学校内のクラス編成を始めるべきかという問題。後者は、教育機会均等の観点から、および最近の日本で騒いでいる格差社会問題の観点から、第二次大戦後の絶えざる主要論点で、新たに制度を一新しようとしているブレア政府にとって、現に頭痛の種となっている。

しかし、英国では、読み書き算数の達成度という基本的な意味での学力以外に、教育課程が−例えば歴史教育のあり方が−政治問題になった事はない。

日本が特殊な点は二つある。一つは教育基本法の存在自体。もう一つは、その内容が一字一句、細かく吟味されて政党間の争点になっていることで、外国から見れば、より不思議である。

前者の説明は簡単だろう。戦前の教育制度は、戦争のための国民の精神総動員の手段であったから、新憲法をもって再出発した日本が、教育制度も完全に方向転換をするという宣言として意味があった。

その内容が熱烈な争点になることは、同じく敗戦に原因があるだろう。戦争の歴史的な意味をめぐる日教組と文部省(現在の文部科学省)・自民党の四十年戦争の名残である。明らかに日教組の負け戦になったのはすでに久しい。九〇年代において、国旗を立てて、国歌を歌う事を学校に強制した法律は、自民党の完全勝利の象徴だった。板ばさみになって苦しんで、自殺までする校長は出ても、そういう事件がわずかで、大勢が自民党の理想どおりになっていた。

今、この四十年間の教育正常化・右傾化を進めてきた人たちの敵は、もはや「自虐的な歴史観」を普及する学者ではない。自由主義者である。自由主義者たちは「愛国心の育成」を明記しようとする動きに対して「心の自由を奪う」ことだと非難する。党内の「抵抗勢力」を処理して、近代的なイメージを作ろうとしている自民党は、今度は自制して法案には、「愛国心」という言葉を避けた。

「国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し云々(うんぬん)」とした。その代わり、民主党の対案は、「日本を愛する心を涵養(かんよう)し、祖先を敬い」と、愛国心の「心」という、象徴的なキーワードをあえて使っている。

民主党が自民党とナショナリズムの競争で対決しようとしている場面は滑稽(こっけい)といえば、滑稽だが、そのナショナリズムはたやすく恐ろしい偏狭なナショナリズムになりうる。その例として、今週も、「中国を愛し、日本を虐げる亡国政治家・官僚」を弾劾する「日本を虐げる人々」という本が出版された。

基本法改正案の目的が、若い世代に「国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」ことならば、政府は行動で模範を示した方がいい。例えば、尖閣、竹島、北方領土について、相手国に「この隣同時の摩擦の種をとにかく処理しよう。国際司法裁判所に持っていこう」と昔一回したように提案したらどうか。日本が大人の国であることを行動で示した方が、基本法のどんなうまい美辞麗句よりも効果があるだろう。

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教育基本法を考える −改正案審議スタート
(下)義務教育の在り方再考を

教育基本法改正案の国会審議が始まった。一九四七年の制定以来、約六十年ぶりに全面改正した内容だ。新日本海新聞社が本社モニター百人を対象に先月行ったアンケート調査によると、「慎重に論議すべき」「改正すべきでない」が合わせて65%を占め、県民の多くが早期改正を望んでいない現状が浮き彫りになった。なぜ今改正か、日本の教育は本当に良くなるのか−。鳥取県内の学識経験者や保護者、教育行政の関係者に教育基本法改正について聞いた。

鳥取県教育委員会・山田修平委員長

鳥取県教育委員会の山田修平委員長(60)は「将来の教育の基盤を作る上で、極めて重要なこと」と、教育基本法改正論議の活発化を訴える。また、改正案では、戦後の義務教育を支えてきた「6・3制」の枠組みを変えることも視野に、「9年」が削除された。教育をめぐる状況の変化やさまざまな課題に対応するため、「県内でも将来の義務教育期間の延長や『5・4制』なども視野に入れて検討していく」。義務教育の在り方を見直す必要性を感じ始めた。

理念だけでなく

改正論議に期待している。「今の日本は、タテ(歴史や伝統)とヨコ(家族や郷土)のかかわりが希薄になっている」からだ。

「自己実現や人格の形成は、個人だけでできるもではなく、タテとヨコのかかわりの中で初めて可能となる。ややもすると抽象的な個人が前面に出ている現行法を問い直すのは必要なこと」と話す。

現行法は「理念法」とも呼ばれるが、改正案では「幼児教育」「大学」などが新たに設けられた上、施策を進めるための「教育振興計画」が盛り込まれた。

「理念だけでは教育の進むべき方向性がぼやけてしまう。今の教育の中で重要な役割を担う具体的なものにまで踏み込んでいる」。改正案に一定の評価を示す。

「郷土を学ぶ」

しかし、「愛国心」を法律に盛り込むことは、戦前回帰と受け取られがちだ。与党は「郷土を愛する態度」といった表現で合意したが、「郷土を学ぶ」という記述にとどめるのが適当と指摘。「『国を愛する』を子どもたちに教えるのは望ましいが、あえて法律で押し付けるべきではない」と訴える。

また、国歌斉唱や国旗掲揚の強制に歯止めが掛からなくなるという声も根強いが、「教職員に対してはルールが定められているため、従わなかった教員を県教委として処分もしたが、子どもたちに対して罰則を与えるつもりはない」。児童生徒の内心にまで立ち入ることに危険性を感じるからだ。

義務教育柔軟に

一方、現行法で「9年」と定めている義務教育期間は削られた。子どもの成長の変化などが背景にあるが、「特に中学生の発達の実態に配慮しながら、柔軟な義務教育の仕組みに変えることを視野に入れなければならない」と強調。県内でもさまざまな枠組みの研究を進めていこうと考えている。

改正案を成立させるためには、今国会の会期延長は避けられない見通しだ。子どもたちの未来を左右するだけに、今後の審議では「愛国心」など細部のみにこだわらず、改正案全体を通した活発な議論を期待する。

「今国会での成立にこだわらず、時間をかけて協議してほしい。問題がどこにあるのか、国民みんなで学びながら法律を作ることが今後最も大切なこと。国民が議論に加わるような国の仕掛けも必要だ」

改正論議を機に、多くの県民も子どもたちの実態、教育の在り方に関心を持ってほしい、と願ってやまない。

6・3制
小学校6年、中学校3年の義務教育の枠組み。改正案では現行法の「9年」という年限を削除した。不登校やいじめなどの問題行動が中学校に入ると急増していることから、学校教育法が制定された1947年と比べ、「6・3制」は現代の子どもの心身の発達度に合っていないといった声が上がっている。このため、中高一貫教育や「5・4制」の試みなど、現在の社会状況に合った多様な教育改革が各地で実践されている。

日本海新聞 2006年5月20日

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教育基本法を考える −改正案審議スタート
(中)家庭教育への介入に疑問

教育基本法改正案の国会審議が始まった。一九四七年の制定以来、約六十年ぶりに全面改正した内容だ。新日本海新聞社が本社モニター百人を対象に先月行ったアンケート調査によると、「慎重に論議すべき」「改正すべきでない」が合わせて65%を占め、県民の多くが早期改正を望んでいない現状が浮き彫りになった。なぜ今改正か、日本の教育は本当に良くなるのか−。鳥取県内の学識経験者や保護者、教育行政の関係者に教育基本法改正について聞いた。

鳥取県PTA協議会・増田孝二会長

「教育基本法を改正したからといって教育を取り巻く課題は解決するのか」。鳥取県PTA協議会の増田孝二会長(46)は疑問を投げ掛ける。

国は説明責任を

約三年に及ぶ与党の改正論議はほとんど明らかにされていない現状を踏まえ、「なぜ今変えなければならないのか。理解していない人が多い。改正を急いではならない」。国に説明責任を求めるとともに、県民に対して改正にもっと関心を持つよう呼び掛ける。

学力低下、学級崩壊、メディア問題、義務教育の弾力化…。教育が抱える課題は山積みだが、改正の背景にある教育課題は何か、改正が実現した後の教育はどうなるのか、理解できないでいる。「国が日本の子どもたちの将来をどう考えているのか見えてこない」。今回の改正論議を通じて痛感した。

国民に押し付け

現行法になかった「家庭教育」「生涯学習」「私立学校」など八条が追加されたが、わざわざ条文化して念押しする必要があるのか、疑問に思う。

「いずれも当たり前のことであり、この際だから追加しようという思いもうかがわれる。それに国民に対して押し付けたり注文することばかりで、国が教育を投げ出したようなものだ」

中でも憂慮するのが「家庭教育」の項目だ。「生活のために必要な習慣を身につけさせ、自立心を育成」と、保護者に対して家庭でのしつけを要請。国や地方公共団体に、保護者への「学習の機会、情報の提供」なども求めている。「事情はその家ごとに違う。家庭の在り方にまで行政が踏み込むべきではない」と訴える。

愛国心を盛り込むことにも違和感を覚える。「郷土のことをもっと理解しましょうという理論なら理解できるが、『国のため』という感覚の教育は法律に盛り込むべきでない」。改正案は「わが国を愛する態度」といった記述で決着したが、表現がどうであれ、愛国心を盛り込んだことに変わりない印象はぬぐえない。

活発な議論を

また、新日本海新聞社のアンケート調査でも明らかになったように、県民の関心の低さに懸念を抱く。「教育の憲法」といわれる教育基本法を、時の政権の妥協案で拙速に改正してしまわないよう、県民の活発な議論も期待する。

反省もある。改正について、県内のPTAの間で正式な議論をしてこなかったことだ。「まずは現行法をみんなでしっかりと理解することから始め、評価すべき点や課題を確かめていきたい」と意気込む。

「子どもたちの視点に立った教育、楽しい学校づくりができる教育、学びたいことが学べる教育を法律で実現してほしい」。そんな教育再生を目指す議論を今国会で展開すれば、子どもたちが喜ぶ教育につながる、と信じている。

教育基本法改正案第10条(家庭教育)
家庭や地域の教育力低下が指摘される中、改正案に「家庭教育」の条文を新設。「保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努める」としている。また、国や地方公共団体が家庭教育支援に努めるよう定めている。

日本海新聞 2006年5月19日

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2006年5月19日 北海道新聞
教育基本法改正案 本格論戦へ
「愛国心」どう表現

教育基本法改正案は衆院本会議での論旨説明と質疑を終え、週明けにも衆院の特別委員会で審議が始まる見通しだ。政府案の今国会成立を目指す自民党の町村信孝元文相(衆院教育基本法特別委員会筆頭理事)と、対案をまとめた民主党の鳩山由紀夫幹事長に改正案の内容や本格的な論戦開始に当たっての姿勢を聞いた。

自民党町村氏 理屈違う自公が一致

現行法は英語に翻訳すればどこか別の国の教育基本法としても通用する内容で、わが国固有の基本法という部分が乏しい。戦後、占領軍監修の下で作ったため、家族や郷土、国家を大切にする考えが欠けている。だから改正案には、日本国民が本来持つべき伝統という考えや公共の精神を養う必要性を盛り込んだ。

当然、今国会での成立を目指し、衆院特別委員会では緊張感を持った議論をする。会期延長が必要になるかどうかの問題は参院送付後にしかるべき判断がされると思う。衆院特別委には文相を経験した森喜朗前首相も委員に名を連ねており、議論に参加してもらうタイミングがあると思う。

教育基本法改正で学校現場などが飛躍的に変わるわけではない。しかし、長期に進むべき道を示すのが基本法だ。戦後60年を過ぎた今、戦後教育を統括し、諸問題を根本から直す必要がある。政府・与党内の議論も、2000年に当時の小渕恵三首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」を設置してから7年越しになっており、国民的議論が不足しているとの批判はあたらない。

改正案の焦点になった愛国心をめぐる表現は、違う理屈を持つ自民、公明両党が協議を重ねて与党案をまとめた。世の中に百点満点の回答はないが、与党の結論は、ゴルフに例えれば、両党からみて堂々とフェアウエー上にあるといえる。前向きに議論ができる。

民主党から対案が出るのはまことに結構だ。ただ率直に言って、民主党は教育という基本問題について、国会論議に向けた党内合意づくりができているのか、疑問だ。北教組は政府の改正案について、国家に従順な人間を作る恐れがあると反対しているが、法案をよく読んでほしいどこに書いてあるのか。先入観に基づくワンパターンの反対運動は、本気で教育を考えていないといえる。北教組や日教組に重大な反省を求めたい。

民主党鳩山氏 対象に「ふるさと」も
 
現行の教育基本法改正をめぐる議論は、「そもそも」の議論がなされていない。教育の憲法とされる重要法案であり、本来は憲法論議して新憲法をつくり、その中で教育を論じ、それに合わせて基本法がつくられるべきだ。国民的議論がないまま、残る会期が一ヶ月、余りの今国会で処理しようとしているのは誤り。民主党が対案を出すのは、政府・与党が法案を出す以上、民主党の考えを示さないのは国民に対して無責任との考えを示さないのは国民に対して無責任との考えからだ。

政府案は、自民党が「愛国心」を入れようとしたが、公明党の抵抗で愛国心の「心」を「態度」としたため、訳のわからない中途半端な文言になっている。また「宗教的情操の涵養」も公明党が反対したため盛り込んでおらず、妥協の産物だ。

これに対し、民主党の新法「日本国教育基本法案」は、愛国心の対象を国とせずに「日本」として、統治機構ではなく、ふるさとなど、ありとあらゆるものを含めた。また、の心を水が土に染み込んでいくように養い育てる意味で「涵養する」と表現し、強制しないことを明記した。

「愛国心」は、民主党内に抵抗がないわけではない。しかし政府案のように条文に盛り込んだのではなく、理念として前文に入れた。選挙でお世話になっている日教組の反発は残念なことだが、日教組の反発は残念なことだが、日教組出身の国会議員の理解はいただいている。

宗教的感性を養うことも明記した。一部の特定宗教になってしまうとまずいが、宗教の歴史や知識を勉強し、完成を養って命を大事にし、生や死の意味を学ばせることは重要だ。

審議は始まったばかり。自民党内にも民主党案の方が好ましいとの声があり、もっと時間をかけ、国民を巻き込んで議論すべきだ。各種世論調査でも「今国会成立は避けるべきだ」が大半。われわれは正攻法で国民の理解を求めていく。政府案をこのまま今国会で通すことは断固、阻止する。

質疑来週以降に  衆院特別委

教育基本改正案を審議する衆院教育基本法案を審議する衆院教育基本法特別委員会は18日、理事懇談会で審議日程を協議し、与党側は19日に小泉純一郎首相が出席して質疑を行うように提案した。しかし野党側は、衆院厚生労働委員会での医療制度改革関連法案の強行採決で反発を強め、「審議日程の協議には応じられない」と拒否し、物別れに終わった。

与党側は19日も野党側と筆頭理事間で協議を続け、週明けに質疑を行いたい意向だ。

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教育基本法を考える―改正案審議スタート
(上)教育の機会均等を論点に

教育基本法改正案の国会審議が始まった。一九四七年の制定以来、約六十年ぶりに全面改正した内容だ。新日本海新聞社が本社モニター百人を対象に先月行ったアンケート調査によると、「慎重に論議すべき」「改正すべきでない」が合わせて65%を占め、県民の多くが早期改正を望んでいない現状が浮き彫りになった。なぜ今改正か、日本の教育は本当に良くなるのか−。鳥取県内の学識経験者や保護者、教育行政の関係者に教育基本法改正について聞いた。

鳥取大学地域学部・渡部昭男教授

鳥取大学地域学部の渡部昭男教授(51)=教育行政学=は、国民や教育関係者の声を踏まえた議論がなく、政治主導で拙速に改正案が作られたことに問題を感じている。「愛国心」をめぐる表現に注目が集まりがちだが、重要なポイントは「教育の機会均等」(第三条)と強調。「広がる経済的格差への対応が『大きな論点』となるべきで、国が真っ先に果たすべき責務だ」と訴える。

人権先進県

与党自らが改正案を「ガラス細工の法案」としていることに危機感を覚える。「改正論議は高松塚やキトラ古墳の修復工事に似ている。リメークしたつもりが、英知を集めた慎重な対応を怠ったため、カビを広げて壁画を台無しにする恐れが強い」と指摘する。

平和主義や民主主義、自由主義という普遍的な理念を基盤としている現行法を「文化的価値が高く、その先進性ゆえに、ようやく真価を発揮する環境になりつつある」と評価。その上で「鳥取県弁護士会がいち早く反対声明を出したように、拙速な改正で逆に人権が侵害される事態が一番怖い。人権先進県の鳥取から全国に発信した意義は大きい」と強調する。

経済格差への対応

一方、格差社会が大きな問題となっている今だからこそ、「教育の機会均等」の議論を深め、実現させることが大切と主張。「改正論議以前に問題は山積み。国の無策により、経済的な進学格差や教育格差は広がるばかりだ」と、特に経済格差への対応が今後は不可欠と考える。

現行法では、経済的地位による差別の禁止を定めており、「憲法にもない画期的な内容」。しかし、国内では現在、高校入学から大学卒業までに一人当たり一千万円かかるといわれ、そんな中、奨学の対象は困窮者全員ではなく、法律で「能力がある者」に限定されている。

「敗戦直後ならいざしらず、六十年経った今も『能力がある者』を残しているのには失望させられる。今日にふさわしく『必要に応じて』と変えるべきだ」と指摘する。

国連から勧告

さらに、一九七九年の国際人権規約の批准に際し、日本はルワンダ、マダガスカルとともに、高校・大学の『無償教育の漸進的導入』の項目を留保した数少ない国だ。このため、国連から「留保の撤回」を求める勧告を受け、今年六
月末までに返答が求められている。

「回答期限が間近に迫っているのに、議論が全くない。今の国会でまずなすべきことではないか。与党や野党、マスコミさえも無関心と言わざるを得ない」

改正する前に取り組むべき課題は多いとみる。「教育現場や自治体の試み、努力を、国の施策に反映させる必要がある。慎重な議論はもちろん、国民的な論議と合意形成を求めたい」と願う。

教育基本法第3条(教育の機会均等)
条文では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって就学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」とうたっている。この条文について中央教育審議会は、改正を見合わせ、奨学の規定を変更しないことが適当と答申した

日本海新聞 2006年5月18日付

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今日の話題
方向感覚

この国の方向感覚がぶれてきているようで気になる。

端的な例は、教育基本法の改正案だ。各国が相互依存を深めているのに、いわゆる「愛国心」を持ち出そうとしているから不可解だ。

現行の基本法が根幹に掲げているのは「個人の尊厳」や「自由の尊重」の方向である。

かつて、子どもたちは朝な夕なに、学校の奉安殿に納められた教育勅語と天皇の写真に深々と敬礼した。ときには国のために死ぬ覚悟を持つように教えられもした。

現行法は、自己犠牲を強いた過去を反省し、再び過ちを犯さないよう誓いを込めたもののはずだ。

ところが、政府案は前文に「個人の尊厳」を残したとはいえ、新たに「愛国心」や「公共の精神」を加えた。教育への国の関与を明確に打ち出し、規制を強める意図もうかがわせている。

「愛国心」も「公共の精神」も大切なことは言うまでもない。

だが、法律に盛らなければならない理由がよく分からない。盛れば、強制の恐れが出る。それでは「個人の尊厳」に背く。どっちの方角に走るか分からないでは、国民が不安になっても当然だろう。

それに、人、モノ、金、情報が国境を越えて動き回る時代だ。世界の多様性を認め、ともに生きることが望まれる。愛国心を振りかざす場合ではないに違いない。

ふと、夏目漱石の講演「私の個人主義」を思い出した。時は第一次世界大戦が起きた年である。

漱石は利己主義とは異なる個人主義を標榜した上で、「そう国家国家と騒ぎ回る必要はない」と当時の風潮を戒めた。この言を再び、かみしめたい。(田辺 勉)

北海道新聞 2006年5月16日夕刊

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岩手新聞 2006年5月8日
「愛国心」教育
教師という立場の重さ

本紙連載の「改正 教育基本法」の最終回に紹介されていた小学校の社会科の研究授業にまつわるリポートは印象深い。福岡市での話だ。

対象は6年生。「愛国心」にかかわって、鎌倉時代の元寇(げんこう)をテーマに担任教師が「武士は国を守るためにどんな思いで戦ったのか、日本人として考えてみよう」と問い掛ける。

視察した教師の一人は「国を愛する気持ちは人それぞれあっていい。評価されると知っているのに、子どもは自由に意見を言えるだろうか」と違和感を覚えたという。

ここで問題にしたいのは、担任教師の設問だ。「愛国心」を教えるために鎌倉武士を登場させ、わけても戦争状態での「国を守る」思いを考えさせるのはおかしい。

半面で、「愛国心」という言葉に日本人が抱くイメージの一つの典型を、教師として逆説的に露呈した点では意義もある。

「愛国心」の法案化を最大の焦点とする教育基本法改正案が国会審議に入ろうかという折、「研究授業」として強烈な問題提起であると同時に、教師という立場の重さを考えさせるエピソードではある。

戦後教育の「タブー」
「国を愛する心情を育てる」ことは、現在でも学習指導要領の中で目標の一つとされている。

2002年に小学6年の社会科の指導要領で示された後、福岡市では一部の小学校で通知表に「愛国心」の項目を入れ評価の対象とし、全国的な話題になった経緯がある。保護者らの批判で、現在は市内の全小学校で削除しているという。

政府が閣議決定した教育基本法改正案には「国と郷土を愛する態度」という文言が盛り込まれている。成立すれば、その趣旨を教育現場に徹底するため、新たな法律が作られるだろう。基本法が「教育の憲法」と言われるゆえんだ。

基本法改正の動機として、現在の教育の「危機的状況」が指摘されている。個人の価値を尊重する現行法を、保守陣営は旧来「行き過ぎた個人主義で公共の精神が失われ、教育荒廃が進んだ」と批判してきた。その意を反映する改正案が強調するのは「公共心」の育成だ。

中でも「愛国心」について戦後教育は、復古的イメージを嫌う世論の大勢を背景に、触れることをタブーとしてきた。

戦後教育の中で育った教師らの大半が、恐らく「愛国心」を正面から考える機会はなかっただろう。福岡の研究授業は、決して特殊な事例とは言えまい。

問われる認識レベル
基本法改正の動きに、岩教組と県高教組は先ごろ連名で「教育の危機宣言」を発表した。与党・政府とは立場を異にしつつも同じ「危機」を共有する。

一方は教育現場、他方は教育行政を念頭に置くだろう。議論はかみ合いそうにない。子どもや保護者、国民にとっては、こうした状況がまさに「危機的」なのではないか。

基本法改正に過半数が賛成した日本世論調査会の04年調査では、「愛国心」を盛り込むことにも約60%が賛成した。教育の現状に対する不満を浮き彫りにする結果であり、与党・政府の「危機」意識を後押しする。

しかし議論は、保守陣営の悲願を色濃く映す「心」の問題に終始。いじめや不登校、学級崩壊、凶悪化する少年犯罪など喫緊の課題に手つかずなのは、世論の期待とずれるだろう。

その期待を直接的に担う教育現場は、現行基本法の理念をどう実践してきたのか、こなかったのか。その検証は、今回の改正論議に決定的に不足する。それは、ひとり政策側だけが負うべきものではない。

指導要領に基づく「愛国心」教育をはじめ習熟度別指導や学校選択制など、基本法見直しに先行して「改革」が進む現状では、個々の教師が課題への認識レベルを高めることが必要だ。

遠藤泉(2006.5.8)

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中日新聞(2006年5月7日)
万機☆創論

愛国心の表記 私が正しい!

「愛国心」をめぐり議論が続いていた与党の教育基本法改正案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」との文言で決着した。ストレートな表現は避けつつ、「愛国心」の理念は盛り込むという「苦心の作」に、自公両党とも矛を収めたが、自民党タカ派には不満が残る結果となった。

公明党衆議院議員 斉藤 鉄夫氏
「ナショナリズムはダメ」

―長文で分かりにくい表現になったが。
「党内にも『あまり美しくない文章』だという意見はある。多方面の意見を調整し、深く議論した結果ということで、お許しをいただきたい」

―党は「国を大切にする」との表現を主張していた。
「愛国心そのものは否定していなかった。排他的なナショナリズムではなく、郷土愛の意味なら許容範囲だった」

―なぜ「国を愛する」ではダメなのか。
「改正案には『国』という言葉が十数カ所出てくる。それは『国および公共団体』のように、すべて統治機構を意味している。同じ言葉が同じ法律の中に使われると、愛国心は統治機構への愛だと読めてしまう」

―「愛する」に反対した理由は。
「『愛』には、むやみで無批判な愛情という意味もある。国はそういう対象なのか。愛国心という言葉で、たくさんの人が戦争に駆り立てられた歴史も踏まえた」

―最終的な賛成理由は。
「『国』の中に統治機構が含まれないことが明確になったからだ」

―どこで明確になったのか。
「『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた』との修飾語がつき『我が国』とは、風土、文化、歴史だということが明確になった。『我が国』という表現で、他の箇所の『国』とも区別ができた。『郷土を』が入ったことで、郷土愛も明確にできた」

―ナショナリズムの要素は排除できたのか。
「ナショナリズムとは自国の利益しか考えない排斥主義だ。『他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度』という部分が、排斥主義を否定している」

―最終的な文面に対する不満はないのか。
「ないとは言えない。百パーセントではない。でも、それは自民党も一緒。深い議論をして到達した合意なので、大切にしたい。

(聞き手・新開浩)

さいとう・てつお 東工大院修了。工学博士。建設会社勤務を経て、1993年衆院選で初当選。衆院文部科学委員長、党政調副会長など歴任。与党の教育基本法改正検討会のメンバーを務めた。比例代表中国ブロック。当選5回。54歳。
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自民党衆院議員 萩生田 光一氏
「過ち犯さぬために必要」

―「愛国心」が、戦前の国家主義を想起させるとの指摘について、どう考えるか。
「戦前の記憶のある人たちが、『愛国心』の言葉の下で戦争に突っ走った危機感、嫌悪感を抱くのはよく分かる。しかし、(タカ派といわれる)われわれも、『国』は統治機構を含まず、家族、地域、あるいは学校、職場など自分をとりまく環境というとらえ方で議論してきた。それよりも、法律に『愛国心』を明記しないといけない教育現場の現状を憂うべきだ」

―教育現場からは、個人の内面や心を縛ることになる、との反発も出ている。
「まったく理解できない。わざわざ法律でうたうのは、愛国心について教えない、あるいは『国を愛さなくてもいい』という教育が続けられてきたからだ。今、どれだけの日本人がグローバル化した国際社会で立派にたち振る舞えるか。やはり子どもたちに『国を愛する』ことをきちんと教えてあげないといけない。その結果、国家は嫌いだと言うなら、それこそ内心の自由だが」

―「我が国と郷土を愛する態度」との表現についてどう考えるか。
「『態度』は『心』と違って、ある意味『繕える』こともあり、残念だったが、『国を愛する』という文言を法文に加えたことで、一歩も二歩も前進したかなと思う」

―党文教族の幹部は自公合意を受け入れるよう、「タカ派」と称される若手の説得に懸命だったようだが。
「戦後生まれの国会議員が今や七割。戦争はいけない、悲惨だといいながら、痛みを知らないし,血を流した仲間を背負った経験もない。だからこそ、戦争に対する臆病な気持ちは、われわれほど持ち続けないといけないし、そういう思いで,私はものを言っている。二度と過ちを犯さないために『愛国心』にこだわった。タカ派といわれているわれわれよりも、こだわりを持たない人たちの方がむしろ心配ではないか」

(聞き手・岩田仲弘)

はぎうだ・こういち 明大卒。八王子市議、都議を経て2003年衆院選で初当選。自民党青年局次長。「愛国心の涵養(かんよう)」を明記した「新教育基本法案」を作成した超党派の教育基本法改正促進委員会理事。東京24区。当選2回。42歳。

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教育基本法改正案
必然性が理解できない

与党が決めた教育基本法改正案を取り巻く雲行きが、どうも怪しい。今通常国会会期中の成立を目指す積極論に、小泉首相は「会期内で成立させるためには、各法案の審議状況を見極めないといけない」「与党間でよく調整し総合判断したい」などと、妙に素っ気ない。

自民、公明両党の国会対策責任者会議では、会期中の成立を主張する衆院側に対し、参院の自民党側は慎重審議の必要性を強調したという。

焦点の「愛国心」問題は、両党歩み寄りの表現になった。自民内には、党らしさが薄れたことへの不満も根強い。いずれにしろ、足並みがそろわないことに変わりない。

小沢一郎新代表の下で党勢回復を期す民主党への警戒感、衆院千葉7区補選の行方など、うかつに数の力だけで突っ走れない−との読みもあるだろう。

「教育憲法」ともいわれる基本法が、1947年の制定以来初めて全面改正されようというときに、その面の緊張が政権にほとんど感じられないのは、改正作業が国民合意を欠いたまま進められてきたことを示唆しているように映る。

具体的効果が不明瞭
今に連なる改正論議の発火点は、森前首相の諮問機関・教育改革国民会議が2000年12月にまとめた報告。その3年後には中央教育審議会(中教審)が改正を文科省に答申した。

いじめや不登校、中途退学、学級崩壊などの深刻化や凶悪な少年犯罪の増加など「教育は危機的状況に直面している」と課題認識を示し、その打破と新時代にふさわしい教育実現のため教育の在り方の根本までさかのぼることが必要−と説く。

改正に関し、岩手日報社など加盟の日本世論調査会が04年9月に公表した結果では、賛成派が約60%に上った。その理由として、55%の人が「現行法が教育を取り巻く問題に対応できていない」と回答。現状に対する強い危機意識から、多くが基本法改正に具体的な効果を求めている傾向をうかがわせる。

しかし、本質的に基本法は学校教育法や社会教育法といった個別法の根拠であり、基本理念として存在する。基本法に即効性を期待する世論の認識との差異は否めず、改正の意味が、一般国民にどの程度伝わっているのか大いに疑問だ。

教育の「危機的状況」の原因を、ストレートに基本法に求める必然性は不明瞭(めいりょう)。国民に分かりやすい問題提起とはなり得ていないのではないか。

既成事実化の懸念も
改正案は、個人の価値を尊重する現行法に比べ「国を愛する態度」や「公共の精神」など、社会に尽くす「公共心」の育成を強く打ち出している。

焦点の「愛国心」教育は、現在でも文科省が学習指導要領の中で道徳教育の必要性を提示。一部の小学校では、愛国心を通知表で評価している実態が表面化した。

習熟度別指導や義務教育段階の学校選択制など、粛々と進む改革は、個人の思想信条にかかわる問題を「教育」することの是非や格差拡大への懸念など、既に多くの課題を内包する。

そうした論点を省みず、現状を既成事実化するような改正には首をかしげざるを得ない。

基本法は憲法とセットで、制定直後から改正論が繰り返されてきた。愛国心や伝統といった日本らしさの欠如を憂う改正派と、復古的なナショナリズムを警戒する反対派の争いだ。

一方で、国民の究極の願いは改正する、しないを超えたところで、危機的といわれる教育の現状を何とかしてほしいという一点に尽きるだろう。

基本法の理念は教育の場でどう意識され、実践されてきたのか。改正すれば、現状はどう変わるのか。基本法の存在感にかかわる検証も不十分なまま「愛国心」にこだわるばかりでは、改革の流れそのものが復古的な印象を強めるばかりだ。

遠藤泉(2006.4.20)

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