〜2006年9月 地方紙・地方版論説(2006年10月〜)



ほいでよ:教える、教えない /和歌山

小学生のころ、音楽の教科書には「君が代」が掲載されていた。でも、授業では教わらない。「どうして歌わないの?」。私の質問に教師の表情が急に険しくなり、それ以上何も聞けなかった。愛国少年とでも思われたのだろうか。

99年の国旗・国歌法に続き、「国と郷土を愛する」ことなどを目標として新たに盛り込む改正教育基本法が成立した。なぜ今と思うが、愛国心自体が悪いとは思わないし、他国との摩擦を生むのでもない。ただ、それらをあおるのに利用されるとしたら問題だ。

心配はまだある。国を愛することを当然と教育される子どもたちが学校で歌う“国歌”に「どうして?」と思うことがあるだろうか。何かを教えるということは、何かを教えないことにもなりかねない。【岸川弘明】

毎日新聞和歌山版 2006年12月31日

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それっちゃ:’06回顧 愛国心と郷土愛 学校だけでは習えない /山口

「我が国と郷土を愛する……態度を養う」。こううたった改正教育基本法が22日施行された。国会審議中の11〜12月、小中学校の教員に取材すると、大抵は「愛国心」「郷土愛」の必要性は認めていた。ただ、学校で教える、それも政治に言われて――となると釈然としないようだった。

私は過日のささやかな宴会を思い出していた。住宅設備会社を営む林田賢次さん(41)が、一人の独身青年と商工会議所の仲間を下関市の焼き肉店に集めた。

きっかけはその数日前。林田さんが行きつけのスナックで隣り合わせた青年の愚痴だった。「友達もいない。休日も家でゴロゴロ」。青年は下関に転勤したばかり。ホームシック状態だったのだろう。

林田さんは放っておけず、青年を誘った。下関は在日コリアンが多いおかげもあって焼き肉がおいしいからだ。

宴会の夜、私を含む一同はよく食べて飲んだ。青年も楽しそうだった。「せっかく来たなら下関を好きになってほしかった」と林田さん。これこそ郷土愛だと感じ入った。

林田さんのような人は減っているのだろう。だから学校でと政治家は結びつけたのだろうが、任せられた先生の戸惑いもよく分かる。林田さんも学校だけで郷土愛を習ったわけではないのだから。【取違剛】

毎日新聞山口版 2006年12月30日

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納めきれない不祥事 裏金、必修漏れ…

裏金、いじめ、高校の未履修、公金着服…。さまざまな問題が各地を大きく揺るがしたこの1年。市民の厳しい目が注がれる中、愛知県などの官庁は仕事納めの28日、この1年の区切りをつけた。「信頼を回復したい」。最後まで慌ただしく仕事に追われながら、そう語る職員たち。来年は、失墜した信用を取り戻せる1年になるか−。

●名古屋市

区役所職員らによる各種証明書の交付手数料着服や公金の紛失が相次いで発覚した名古屋市。松原武久市長は28日、年末会見で「誠に申し訳ない」と2度繰り返し、「再発防止策を取りまとめ、市民の信頼回復に取り組みたい」と決意を述べた。

松原市長は、これまで行財政改革に取り組んできた経緯を挙げ「『百日の説法屁(へ)一つ』といわれるように、一生懸命やってきても信頼はすぐに失われてしまう」と説明。相次いで明らかになった着服について「毎日チェックしていればこんな問題は起きなかった」と反省の言葉を述べた。

その上で「市民の信頼を回復することは容易ではないが、監査結果をもとに再発防止に全力を挙げたい」と話した。

●愛知県

県立高校25校で必修科目の未履修が判明し、27日に校長ら34人の処分を発表した愛知県教育委員会では仕事納めの28日、職員が補習を終えた高校の報告書を確認したり、他県から処分内容について問い合わせを受けるなど終業まで対応に追われた。

自身も戒告の処分を受けた伊藤敏雄教育長は「生徒や保護者の皆さんに本当にご迷惑をかけた。(処分は)責任者としてのけじめ。再度起こさないよう管理やチェック態勢を整える」と述べた。

未履修校のうち、必要な補習を終えたのは3校のみ。全校が終了するのは2月末の予定で、6校は冬休み中も補習をしているという。

25日から28日まで1日4コマの補習をしている豊田西高(豊田市)の橘茂樹教頭は「生徒も落ち着いて勉強している。希望の進路に進めるよう、しっかりやっていきたい」と話した。

●岐阜県庁

裏金問題に揺れた岐阜県庁。総額約19億2000万円の裏金返還は終わっておらず、県政再生へ向けた取り組みも道半ば。刑事事件として捜査も続いており、“仕事納め”という雰囲気からはほど遠い状況だ。

28日も朝から、古田肇知事ら幹部が出席して県政再生推進本部員会議が開かれ、県政再生について議論があった。古田知事は「今年は疾風怒濤(しっぷうどとう)の1年だった。試練の中で、組織、職員一人一人が試された。今後、この試練をしっかりと乗り越えることが大事だ」と訴えた。県庁では午後3時から、管理職を集めた仕事納め式が開かれる。裏金返還をめぐっては、OB負担分の4割強の約3億6000万円が未返還。年明け早々にも返還計画の再検討が必要になりそうだ。

●文科省

相次ぐ子どものいじめ自殺や、高校の必修科目の履修漏れなどの問題が今年後半、一挙に直撃した文部科学省。約60年ぶりとなる教育基本法改正の国会審議と重なり、徹夜作業が続く“不夜城”と化していたが、予算編成も終わり、静かな年の暮れに。

伊吹文明文部科学相などへの、いじめ自殺予告手紙は27日までに54通。うち17通は差出人が特定された。担当する児童生徒課も、一時は24時間の待機が続いた。

来年1月には「実態を把握していない」と批判が強まった、いじめや自殺の調査方法を見直したうえで、新方式の調査票を都道府県教委などに送付する。「宿題はいろいろ残っている」と木岡保雅課長は話している。

中日新聞 2006年12月28日

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今日の視角 改正教育基本法を読む

参議院で改正教育基本法が与党の賛成多数で可決された翌日12月16日の本紙朝刊は1ページを使って現行の教育基本法と改正教育基本法を並べて掲載していた。

あらためて読み比べてみたが、現行法の簡潔な内容はいかにも基本法の名にふさわしく、その書かれた時代の社会的空気を反映して、これからの教育を慈しむ気持ちが伝わってくるように感じられた。それにひきかえ、改正基本法は分量において約2倍に膨らみながら、そのことによってむしろ問題が拡散し、今日の混迷する教育にこれが福音となるような響きが感じとれなかったのである。

臨時国会での審議と並行して、教育の分野で一連の事件が報じられたのが今さらながら気にかかる。北海道での女子小学生のいじめによる自殺は1年前のできごとだが、それが明るみに出るや、一斉に教育委員会に非難が集まった。連鎖的に小中学生の自殺がつづいて各地で教育委員会が矢面に立たされた。つづいて起こった高校の必修科目未履修問題で教育委員会バッシングは頂点に達しながら、文科省が土俵の外に立っているのが不思議だった。

基本法改正審議が衆議院で大詰めを迎えるあたりになって、TM(タウン・ミーティング)のヤラセ問題が急浮上してきた。TMは私にはおよそ縁遠いものだったのだが、そこでサクラやヤラセが日常化しており、それはどうやら内閣府・文科省によって脚色・演出され、地方教育委員会が運動を担わされていたらしいことが報じられた。TMに出席する大臣が静岡駅から会場まで乗るために東京から何台ものハイヤーがチャーターされていたことなども明るみに出た。

改正基本法に「国を愛する」ことが明記され、やがて国旗・国歌のように教育現場で猛威を振るうにちがいないが、現行法の2倍に膨張した条文の各所に、教育の国家的統制の装置が施されていることが1番わたしの気にかかるところだ。

(井出 孫六)

信濃毎日新聞 2006年12月21日

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萩明倫小の松陰教育

「門前の小僧習わぬ経を詠む」という古諺がある。毎日、同じことを聞いていれば、いつの間にかその言葉が身につく。江戸時代、大名だけでなく、一般士族、商人の子弟でも、4・5歳のときから、四書五経の教育、文字と同時に意味もわからぬまま、素読する訓練を受け、幼少期から人の道、リーダーとしての心の持ち方を習得させる環境が日本にあった。敗戦後に進駐してきた連合軍が最初に手がけたのは、この環境の解体作戦、これが新憲法制定であり、教育基本法制定だった。戦後60有余年、やっと新しい教育基本法に改正された機会に、ぜひこの四書五経にも目を向けて欲しいものだ。萩市の明倫小学校では1年生から6年生まで、各学年、各学期ごとに決められている「松陰先生の言葉」を毎朝、全校生徒が朗唱している。1年生の1学期は「今日よりぞ幼心を打ち捨てて人と成りにし道を踏めかし」3学期は「親思うこころにまさる親ごころ今日のおとずれ何ときくらん」、この年齢の生徒には少し難しい言葉だが、毎日朗唱しているうちにすっかり身につけ、卒業するまでに18の言葉を暗誦するまでになるという。的を得た素晴らしい郷土教育である。(耕)

防府日報 2006年12月21日

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<記者発>法の重さと国会軽視

安倍内閣は十九日閉会した発足後初の国会で早速、社会の仕組みを大きく変える法律を成立させ、「戦後レジーム(体制)からの脱却、新たなる船出」の第一歩を踏み出した。改正教育基本法と防衛「省」昇格関連法は、ともに戦前の反省を色濃く反映した法や制度を半世紀ぶりに変えた。今国会は、間違いなく戦後社会の転換点だった。

政府・与党は今国会に細心の準備で臨んだ。会期八十五日間は、過去五年の臨時国会中最長。一方、政府提出法案は十二本で、会期一けたの回を除けば、第百五十七回の六本に次いで少ない。新規法案を絞り、重要法案の審議時間を確保した。

両法の意義や政府・与党の意気込みが重い分、政府や議員に「国会軽視」と感じられる空気が流れたのが気になった。

政府がタウンミーティング(TM)でのやらせや無駄遣いの調査結果を国会に出したのは十三日正午すぎ。「国会審議に資するタイミングで出す」(塩崎恭久官房長官)との約束は一応果たされた。

だが、その時刻は衆院教育基本法特別委員会でTM問題の集中審議が終わる約十分前。問題を最初に指摘した共産党の質問は終わっていた。これで「審議に資」したと言えるだろうか。質問中に資料を受け取った社民党の保坂展人氏は、後日、質問主意書で疑問点をただすしかなかった。
 新人議員は委員会採決を無断欠席し、衆院議長が本会議場での議員の携帯電話使用を注意した。記者は次期通常国会の取材も担当する。また本欄で「国会軽視」と書かなくて済むよう、政府、議員の「新たなる船出」を期待したい。 (篠ケ瀬祐司)

東京新聞 2006年12月20日

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洛書き帳:「我が国と郷土を愛する態度を養う」… /京都

「我が国と郷土を愛する態度を養う」と明記した改正教育基本法が国会で成立した。一部市民の意見を紹介している(14日付夕刊)が、余りに短い引用なのでここで補足しておく▼私が取材したのは20歳の大学生。有名な元教師の講演で「将来の社会を担う皆さんに期待している」と言われハッとしたという。「“いい大学”に入ることばかり教えられ、大人から『期待している』と言われた記憶がないんです」▼「教育の主役は子どものはずなのに、どんな大人になってほしいかとの根本的な議論がない」。つい最近まで子どもだった彼女には、タウンミーティングのやらせ問題も空虚に映る。今の子どもたちには、どう映っているのだろうか。【中野彩子】

毎日新聞京都版 2006年12月19日 17:01

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明窓 : 教育基本法改正の深層心理

戦後リベラリズムの危機と言っては言い過ぎだろうか。教育基本法の改正のことである。改正教育基本法が成立し、五十九年ぶりに教育の憲法が生まれ変わる。戦後改革の理念となったリベラリズムの教育版として産声を上げた教育基本法▼それを何とかして変えたいという執念は、戦後保守の深層心理を貫いてきた。安倍内閣によってその深層意識に日が当てられることになった。教育史を塗り替えるような出来事なのに、世論を盛り上げる議論もなく物静かに法案が通ってしまった。野党や教職員組合は反対したが、世論との共鳴や広がりを欠いたまま内輪の抗議に終わってしまったようだ▼しかし、なぜ今教育基本法を変えなければならないのか。法案が成立した今になっても、大方の国民にとって釈然としないところがあるのではないか。「時代に合わなくなってきた」と説明されても、そんなもんかなぁと漠とした思いに戸惑う▼自民党を中心とする保守勢力にとって教育基本法のどこが気に食わなかったのか。個人の尊厳を盾に行き過ぎた個人主義をはびこらせ、権利ばかり主張して義務を果たそうとしない。公共性を顧みず、自らの利益ばかりを追求する自己中心的な風潮に教基法の影響を重ね合わせた▼個人主義をやっつけて公徳心を取り戻す。その主戦場は理念の再生産の場である教育現場であり、教育の心根を入れ替えることで「美しい日本」を再生させる。そんな主張が法改正の深層を流れる▼リベラリズムは国家の統制から独立した自由という意味であり、そのために個人の人格の発展を促そうとする。それが個人主義の誤解によって危機に陥る。(前)

山陰中央新報 2006年12月19日

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おおいた評論:治らぬ悪弊 /大分

教育基本法が、あっさりと「改正」された。審議が続いているというのに、各新聞は早い段階で「今国会成立へ」と報じた。教育への国の統制が強まらないか。愛国心が強制されないか。疑問を検証する記事は、「成立へ」と報じられてからはバッタリ減った。

弊紙の先輩、故・池田一之さんの著書「記者たちの満州事変」を再読した。1931年9月18日、旧満州(現中国東北部)の奉天で満鉄線が爆破され、関東軍は中国側の仕業だとして軍事行動を起こし、新聞も連日、関東軍支持の号外合戦。敗戦に至る新聞の戦争協力の、原点となった事件を追った本だ。

満鉄線爆破は関東軍の自作自演の謀略。それを見抜いていた記者がいたことを、池田さんは紹介する。しかし戦争熱に舞い上がった新聞は一顧だにしなかった。池田さんは敗戦時17歳。空襲で焼き出されて路頭に迷い「侵略戦争を聖戦と信じて疑わなかった愚かな己に対する憤り」から記者として、新聞の戦争責任を問い続けた。こう嘆いていたという。

「日本の新聞は、結局、先読みなんだね。いい悪いではなく、現実がどこに向かうかを先読みしてしまう。満州事変がそうでしょう。(謀略と見抜いた記者はいたが)その時には満州事変はすでに既成事実化して、関心はもう関東軍の次の行動に移っていた」「既成事実を前提に先を読むから、どんどん後退するわけ。止めることができなくなる」

既成事実の「追認」と「先読み」。池田さんが指摘した新聞の悪弊は、治っていないと断ぜざるを得ない。教育基本法「改正」案が衆院を通過した後、大分市の街頭で手にした「改正」反対のビラには「国会前では連日、抗議のデモや集会が続いています」とあったが、それらの動きを伝えた新聞をほとんど見ない。タウンミーティングの「やらせ質問」発覚で、国民の声を聞いたという政府・与党の論理も崩れたはずだが、追及は弱かった。基本法「改正」を既成事実化し、成立時期の先読みに終始したのではなかったか。

参院でも採決直前に公聴会が開かれたが、出された意見はまたしても、審議には反映されなかった。さすがに河野洋平・衆院議長が公聴会制度の見直しを提言、各党が協議を始めたという。しかしこれもまず、新聞が問題提起すべき話だったはずだ。何とも気分の重い、年の瀬である。<大分支局長・藤井和人>

毎日新聞大分版 2006年12月18日

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教育は法改正より現場

県内のある市議へ先月、市教委の担当課長が要請した。「教育委員長への質問を取り下げませんか。答弁書を作成できません」。この市は本人以外が答弁書をつくるらしい。

この課長は市議にこうも付け加えた。「こんな質問をしたらあなたの見識を疑います」。ここでハイハイと質問を取り下げたら、市議の存在意義など吹き飛んでしまう。それこそ市教委の見識を疑われる“圧力”である。当然、市議会議場で質問と答弁があった。

市議はこう質問する。「小学校にこんな電話が2回あった。『児童がいたずらするので注意してほしい。私の親は教育委員会の要職に就いている』。親の肩書を名乗る圧力ではないか―と相談があった。教育委員長の見解を聞きたい」。

市教委が“作成”した答弁書を教育委員長は読み上げた。「仮に委員の親族が委員との関係を名乗ったとしても教育機関は公平公正な態度を行うことが当然のことと考えております」。学校側が事実関係を認めているのに“仮に”と事実をはぐらかす珍答弁である。

子息も子息である。学校に圧力ととられる電話をする暇があったら子どもをその場でいさめるのが常識のある大人だろう。担当課長は「委員長と連絡とれません」と言う。いったいどこを、誰を見て教育行政が行われているのだろうか。

大学時代はイタリアの車に乗って通学していた首相の号令のもと、教育の憲法といわれる教育基本法があっさりと改正された。タウンミーティングのやらせにはふたをして。法律より、現場を牛耳る教育委員会改革が先ではなかったのか。

佐賀新聞 2006年12月17日

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風土計

毎年、県内外の河川や湖沼の決まった場所で羽をたたむ白鳥のように、流転が常の人生にも、よりどころは必要だ。それは例えば親や祖父母の愛情だろう。▼子を授かって親となっても、親らしい親になるのは難しい。いい親になろうとあがく過程で重ねる過ちを、子は許してくれると思いたい。「罪を憎んで人を憎まず」というが「常に実践しているのは子どもだ」との言葉を聞いて、うなった記憶がかつてある。▼教育基本法は1947年3月の公布から60年を目前に、何とも慌ただしく改正された。「教育の目標」として公共の精神や伝統文化、愛国的態度の養成などを条文化。生涯学習や義務教育の理念などを新設し、現行の全十一条から全十八条とする全面改正だ。▼やはり新設の第一〇条では「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって…」と親の責務に言及。その自主性を尊重する−としながら国や地方行政の支援も規定した。当然のことが法律に載ること事態、正常な世の中とは言えまい。▼家庭教育の「自主性」も、国の支援の仕方によっては一方向になびきはしないか。心は評価不能でも態度なら可能ではないか−。市井の疑問に十分な回答もないまま、今国会は事実上、バタバタ幕を閉じた。▼「よりどころ」に強制は全くそぐわない。それだけは肝に銘じ、教育に明るい展望を見いだしたい。

岩手日報 2006年12月16日

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三山春秋

▼ 大正から昭和にかけて本県の小学校教育現場で悲劇的な人生を歩んだ教師にテーマを絞った一冊の本が出た。富士見村在住の元小学校長、柳井久雄さん(79)が著した『教員哀史』(寺子屋文庫)だ▼上毛新聞紙上に萩原朔太郎の詩集の書評を載せて処分された教員、「奉安殿」に雨水が浸入しけん責された校長、宿直勤務中にカスリーン台風で家族六人を一度に失った教員など、逸話が並ぶ▼本県の教育界の「裏面史」ともいえる内容には、かつて勤務評定反対闘争で逮捕され、生まれ育った村を追われた著者自らも登場する▼「学校にはいろんな児童生徒がいる。先生もいろんな人がいていい」と柳井さんは明言する。不自由な体を押して、電話を介し仙台にいる長女に口述筆記してもらい、二年かけて刊行にこぎつけた教育者の言葉だ▼改正教育基本法が成立した。政府、与党が今国会で最重要視していた法改正。「公共の精神」を前面に打ち出し、戦後続いてきた個人重視の理念の転換を迫る内容だ▼文部科学省によると、背景には子供のモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の落ち込みなどがあるという。そうした当面の課題に対し、改正教育基本法は果たして有効なのか。将来の日本を担う人材の育成にふさわしい法なのか。注視していきたい。

上毛新聞 2006年12月16日

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日報抄

「教育は国家百年の大計」というが、この国の教育理念はなぜそこまで持たないのだろう。一八九〇年に発布された教育勅語は戦後廃止され、一九四七年に教育基本法が制定された▼準憲法的性格を持つとされた基本法も、十五日に改正法が成立して性格が大きく変わった。教育勅語、教育基本法ともに、六十年弱で廃止または改正の大波をかぶったのである。教育勅語廃止の理由は明確だった▼明治十年代に本紙の前身である新潟新聞の主筆を務め、後に憲政の神様といわれた尾崎行雄は敗戦の焦土の中で訴えた。「日本の教育は生きることよりも死ぬことを教えた。戦争道徳は鼓吹したが、平和道徳はお留守になった。今日以後の民主教育は、自由と平和道徳を主としなければならない」▼国民の期待を担って制定された教育基本法を、今なぜ改正しなければならないのか。その理由が、国会審議では最後まではっきりしなかった。基本法の前文の変更を、憲政の神様はどう見ているだろうか▼「真理と平和を希求する人間の育成を期する」から「平和」の二文字が消え、代わりに「正義」が加えられた。正義という言葉は、戦前の日本軍部やイラク攻撃を強行したブッシュ米大統領のように、権力が国民を戦争に駆り立てるときの常套(じょうとう)句でもある▼「個人の尊厳」から「公共の精神」へ、基本法の軸足が移ったのも不安だ。終戦直後に基本法を生み出した教育刷新委員会でも、真剣に論議されたのが個と公の関係だった。「個人意識を確立するという順序を経てから公に行かないと、またすぐ反動化する」という当時の委員の声は、今も杞憂(きゆう)と言い切れない。

新潟日報 2006年12月16日

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時鐘

米国の市民権を取るために必要な「歴史」の試験が従来より難しくなる。これまで「星条旗の色は」などの基礎的設問が多かったが、回答が記述式になり「独立宣言の重要な考え方を挙げよ」といった難問ぞろいの"アメリカ検定"に刷新される

担当省は、テロ対策のための受け入れ制限ではなく、あくまで市民権の価値を学んでもらうのが目的としている。来る者は拒まずのお国柄でも、国の一員となる最低限の心構えは持てということだろう

日本では「国を愛する態度を養う」を明記した教育基本法が成立した。牛歩こそなかったものの、抵抗のアリバイみたいな野党による不信任決議案には批判する気も失せてしまう

ともあれ、産声をあげた教育の憲法でかみしめたいのは「郷土を愛する」のくだりである。石川県内では金沢検定をはじめとするご当地検定に挑戦したり、学生が地域と協定を結びボランティア活動に乗り出したり、若手を中心に郷土を知り、磨く動きが活発になってきた

教基法を愛国心重視ととらえる向きもあるが、地域に生きる一員としてふるさと教育の応援歌のように受け止めてもいいのではないか。

北國新聞 2006年12月16日

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編集余記

「どの学校に通わせるか候補は絞ったの。その日に向けて今から準備していかなきゃね」。インターネットを介してできた幼い子を持つ母親たちのグループでの会話。▼わが子がいじめに遭わないために、お母さんたちはいろいろ考えている。話をしてくれた若い母親は「この子のためということは、私のためでもあるのです」とはっきりしている。グループの母親たちも同じ思いで、情報交換も真剣だという。▼政府、与党が今国会の最重要法案とする教育基本法改正案が成立した。図らずも、いじめによる自殺が相次ぎ、未履修問題が全国の高校で発覚した年に。岐阜県も例外ではなかった。なぜこのような事態に至ってしまったのか。困難な道のりであることは分かっているが、一つ一つ細かく検証し、解決を図っていかなければならない。法を改正しただけでは魂は伴わない。▼岐阜市をはじめ全国で開かれた教育改革などのタウンミーティングでのやらせ質問。そもそもタウンミーティングは「国民との対話」が目的なのにやらせとは。当時、官房長官だった安倍晋三首相のけじめは、給与3カ月分の返納。▼こうした大人の姿を見て子どもたちは何を思うのか。ことさら細かくいう必要もないだろう。教育は国家100年の計。理想を追求するにはとてつもなく長い時間がかかるが、崩れるときは瞬く間だ。▼将来計画を立ててせっせと自己防衛する母親たち。そのたくましさが大きな力となり新しい道を切り開く。そんな希望を託したくなる

岐阜新聞 2006年12月16日

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天風録:教育基本法の改正

いわゆる「国旗国歌法」はきわめて簡潔な法律である。「第一条 国旗は、日章旗とする。第二条 国歌は、君が代とする。」という二条だけだ▲広島県立世羅高校の校長が自殺したのをきっかけにして、一九九九年八月に制定された経緯がある。その当時の野中広務官房長官は「個人に強要しない」と約束。「(国旗などは)アジアの多くの国々を戦争に巻き込んだ歴史を刻んでいる」とも語った▲ところが、いったん法律ができると状況は変わる。東京都教委などが国旗への起立、国歌斉唱を教職員に強制し、裁判になっている。安倍晋三首相は「国旗国歌の意義を理解させ、尊重する態度を育てることは重要なこと」と強制に対する慎重さはうかがえない▲その安倍政権が「最重要」と位置付けて強行したのが、教育基本法の改正である。「国を愛する態度」「公共の精神」「道徳心を培う」などを打ち出し、教育に対する国の統制強化の思惑がにじみ出ている。なぜ今なのか。疑問や不安、賛否両論が渦巻く▲改正にむけて政府が行ったタウンミーティング。やらせ質問、大量動員、ずさんな運営経費とてんこ盛りだ。精神科医師のなだいなださんは「道徳教育をするには見本が必要だが、改正したがっている人たちがやったのはタウンミーティングのやらせだ」と皮肉る▲国旗国歌法の例がある。法律を盾に政治が教育内容にまで口を出すようになっては、禍根を残すことになりかねない。

中国新聞  2006年12月16日

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地軸:教育基本法

「教育国会」の三点セットのうち、必修科目の未履修は実のところ旧聞のたぐいだった。一九九九年の熊本の三高校を皮切りに、広島や兵庫の多くの県立高校で発覚した。ことし五月にまたも熊本で起きている▲愛媛で始まったのも九〇年代。文部科学省はもっと早く是正できたわけだ。それが富山の一校で表面化した今回だけなぜこうも拡大したのか。なにしろ教育基本法改正の審議入り直前。偶然にしてはタイミングが良すぎた▲補習は政治決着で軽減された。愛媛県教委は県教育長や校長を処分した。けりをつけつつあるいま、あの騒ぎは何だったろうと思ってみる。国の定めた学習指導要領は守って当然―そんな意識を植え付けたのは最大の置き土産かもしれない▲基本法がとうとう改正された。ただ「愛国心」も先取りしているのが指導要領だ。何が何でも順守するのがいいか見方は多様だが、改正法では法規定に格上げされ、格段に重みが増す。この先、指導要領を根拠に愛国心を堂々と評価し、従わない教師を「指導力不足」とすることだってできよう▲哲学者の高橋哲哉さんは改正にこんな狙いも見る。競争原理の導入で国や企業に役立つ少数の人材に集中投資し、ほかは従順な国民にしたいのではないか、と(辻井喬さんら編「なぜ変える?教育基本法」岩波書店)▲もとの法は前文とわずか十一条。もう一度読み比べて、覚えておこう。拙速な審議で出自に傷を残した改正法と引き換えに、私たちが何を失おうとしているのかを。

愛媛新聞  2006年12月16日

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鳴潮

教育基本法改正案が、参院特別委員会で与党の賛成多数で可決された。一九四七年の制定以来、約六十年ぶりの同法改正が、今国会で確実となった

改正案には「公共の精神」や「国を愛する態度を養う」(愛国心)など、国家に軸足を置いた文言が目立つ。安倍晋三首相は、「新しい時代にふさわしい教育基本法に改正し、制定せよというのが国民の声だ」と述べたが、果たしてそうだろうか

教育現場には批判が強く、国民の間にも慎重審議を求める声が多かった。「新しい時代にふさわしい」どころか「戦前回帰」を懸念する声も根強くある。現在の教育基本法が、国民を戦場に駆り立てた戦前の軍国主義教育への反省から生まれたからである

そんな国民の批判を無視した強行採決は、数の横暴以外の何物でもないだろう。しかも、教育改革タウンミーティングでは、「やらせ質問」で世論を誘導していたというのだから、「教育」が聞いてあきれる

この日、委員会で可決された防衛庁の「省」昇格関連法案にも、教育基本法改正案と同じような危うさが感じられる。安倍首相の視線の先には、憲法改正がちらついているに違いない

首相がめざす「美しい国」の正体が少しずつ見え始めた。「美しい」どころか、やらせも絡んだ改正案に基づいて、教育を受けさせられる子どもこそ、いい迷惑だ。

徳島新聞 2006年12月15日

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春秋

教育や司法の改革に向けて政府が行ったタウンミーティングのでたらめの数々が、最終報告書で明らかになった。種々の「やらせ質問」を用意し、反対論者は事前に排除する。おまけに開催費用は不明朗のてんこ盛り。▼子どもは大人を見て育つ、などといまさら言うのも面はゆいが、大人社会で範を垂れるべき人たちがこの体たらくだ。国の骨格となる法律をつくり、税金の使い方を決める国会議事堂や霞が関周辺で働く人たちのことである。▼議事堂内に目を移せば、学級崩壊を再現したような光景が議場を支配している。先月末にはこんなお触れも出回った。「ベルが鳴ったらすぐ着席し、新聞や本を読まないように。携帯電話は…」。▼平成18年の日本の中枢は「反教育的」な光景を次々に映し出しながら暮れようとしている。反面教師にも事欠かない。なにかにつけて「いまの若いもんは」と言う。道徳や愛国心を持ち出す。自分たちがしたことは棚に上げる。▼愛国心を前面に出した教育基本法改正案がきょうにも成立する運びとなった。これまでの審議を通して自民党は「改正せよというのが国民の声だ」と主張してきた。やらせ質問が明るみに出たあとで聞くその言葉はうそ寒い。▼国を愛せと言う人たちの世界で起きるあれこれが、言われなくたって誰しも持つ国を愛する心を、逆に壊していくなかで基本法が変えられていく。構図の皮肉さでも記憶されるだろう。

西日本新聞 2006年12月15日

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「愛して、黙っていよう」

娘たちに国を分け与えようとした王は、まず自分への愛を示すよう求めた。美辞麗句を連ね財産を狙う姉に反発し、末娘が誓う。「愛して、黙っていよう」▼王には、沈黙する末娘の真心が通じない。激怒し、絶縁した。自らの滅びの始まりだった。シェークスピアの「リア王」だ。声高には語らない愛があることが、王にはわからなかったのだ▼国を愛する態度を学校で教え、評価まで視野に入れる。教育基本法改正案が最終の質疑に入る。本当に改正していいものなのか。愛は測り難いし、示し方は多様であろう。たとえ愛がうせようと、責められるいわれはあるまい▼北星学園女子中高の生徒が「愛国心は押し付けられるものではない」と首相に意見書を出すと、中傷メールが相次いだ。先日の本紙「読者の声」欄に、この中傷を批判する男子高校生の投書が載った。国や世論と別の考えを持ってはいけないのか。若い世代の問いかけはまっとうである▼意見を押し付けず、多様な価値観を認めあう。戦後の日本がはぐくんだ、優れた伝統といっていい。だがいま、異論を許さない風潮が強まった。国賊、反日など乱暴なレッテル張りさえ目にする時代だ▼教育基本法改正を進める動きの中に、この風潮と共鳴する部分があるようにもみえる。君が代を歌う愛国心のかたちもよい。だが、歌わない人の胸に愛がないといえるのだろうか。

北海道新聞 2006年12月14日

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鳴潮

東京都の公立小学校の女性音楽教師は、子どもの多様な感受性を伸ばす自由な音楽教育と、校長からの「君が代」のピアノ伴奏命令の間で悩んだ結果、ピアノ伴奏を拒否した

究極の選択を強いられた彼女は、精神科医で関西学院大教授の野田正彰さんにこんな手紙を送ったという。「『君が代』のない所へ行きたい。それが死後の世界だとしても」。教師が追い詰められる現状を見つめた「子どもが見ている背中」(岩波書店)を刊行した野田さんが、三日付本紙読書欄のインタビューで紹介した話だ

教育基本法改正案についてもこう批判している。「教育とは『する』もので、国家から『させられる』ものではない。戦後教育の基本にあったその理念を忘れ、国民全体が大きく判断を誤ろうとしている」

同案を審議している参院特別委員会の地方公聴会が、きのう徳島市で開かれた。日の丸・君が代の強制につながりかねない「愛国心」が盛り込まれたことへの批判も出たが、与党は八日の参院本会議での採決・成立を目指しているという

それなら何のための地方公聴会か、といった疑問がぬぐえない。教育基本法の改正には、教育現場からの批判も強い。衆院と同様、数の力で強引に成立させるべきではないだろう

子どもは、大人が考える以上に敏感だ。政治家の背中をじっと見ている。

徳島新聞 2006年12月5日

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ニュースワイド2006:高校の履修不足 学校間競争で拍車

◇公立30校、私立16校の計46校−−教委も事実上追認
高校の履修不足問題は、道内でも都道府県別で一番多い公立高30校、私立校16校の計46校で3年生7433人の履修不足が判明した。文部科学省が補習の上限を70コマ(1コマ50分授業1回)とし、70コマの生徒は50コマまで緩和する救済策を打ち出して決着の方向が見えた。しかし、問題の背景には学習指導要領と、大学受験が整合性を欠いているシステムそのものの問題があり、それを事実上容認してきた教育委員会のチェック機能の甘さも浮き彫りにした。【千々部一好、木村光則】

□■軽減措置は評価
「全生徒が2単位未履修で、補習は70コマ必要だったが、50コマに軽減されるのは非常にありがたい。生徒は睡眠時間を削って受験勉強しており、補習は負担だった」。道立札幌西高の湯田恭丈教頭は文科省が打ち出した軽減措置を歓迎する。

3年生の卒業単位不足は道内の公立、私立を合わせ計41校に上る。不足数は公立高で最大4単位140時間、私立高で最大6単位210時間。それが今回の軽減措置で、最大2単位70時間とされた。各校は文科省の決定を受けて、特別時間割を検討するなど補習授業の計画を立て始めた。

しかし、来年1月下旬の大学入試センター試験を目前に控えた3年生にとって、補習には依然不満がある。道立札幌東高の3年女子生徒(17)は「上限が70時間と言っても、ゼロではない。早く済ませてほしい」と話す。同校の鈴木晃教頭は「放課後に補習をやるしかない。14日から始めて冬休み前には終わらせたい」と気遣う。

一方で、限られた期間での補習実施には現場の混乱は避けられない。家庭科などの未履修が分かった私立札幌光星高では、専任教諭が不在。13日から補習を始める私立札幌日大高は教諭数が足りず、臨時教諭に来てもらうことも検討している。

□■週5日でしわ寄せ
履修不足の背景として、最も大きな原因と指摘されているのは、学習指導要領で定めた履修単位と、受験の実態とのギャップだ。道立函館中部高の本庄幸賢教頭は「ゆとり教育で完全週5日制となったが、03年度の新学習指導要領で情報や総合的な学習がプラスされ、全体的にコマ(授業)数が足りない。その一方、大学受験のハードルは高くなった」と指摘する。

少子化が進む中、公立、私立どちらにとっても受験結果が生徒募集に及ぼす影響は大きい。進学コースの3年生の履修不足が判明した旭川市内の私立校校長は「学習指導要領に違反していることは分かっていたが、受験を考えて必要科目に重点を置いた」と話し、受験結果に生き残りをかける苦しい胸の内を明かす。

□■裏カリキュラム
各高校は前年度末までに、履修科目を示した教育課程表を道教委や道学事課に提出する。しかし、実際の授業は、教育課程表とは違った“裏カリキュラム”で行っており、発覚しなかった。

道教委は指導主事が年2回、学校訪問する。また定期異動では、十数人の指導主事が道立高の管理職などに異動している。道教委の管理責任を指摘する向きは強いが、それでも道教委の穂積邦彦・学校教育局長は「高校を信頼し、教育課程表のチェックを行うだけで、把握できなかった」と言い逃れに徹している。

道教委は、教育課程表と時間割をセットにした照合などの監視態勢を含め再発防止策を検討している。しかし、学習指導要領と受験対策の整合性をどう補い、生徒・父母らの了承を得ていくか、文科省も含め難しい課題が突き付けられている。

◇坪井由実・北海道大教授(教育行政学)の話
問題解決には学習指導要領が定めた履修単位を一つのスタンダードとすべきで、各学校が高校生としてふさわしい教養は何かを考え、スタンダードとちがったオルタナティブ(もう一つ)な編成案を教育委員会に届け出て、導入できるようにしたらよい。そうすれば、学校にあった教育が可能となり、先生のリーダーシップも生まれる。
………………………………………………………………………………………………………
 【道内の公立・私立高の卒業単位不足】
 ◇道立
 校名       人数  開始時 不足教科
◎札幌東     359 03年度 世界史、保健、情報
◎札幌西     319 05年度 情報、現社
◎札幌白石    353 05年度 世界史
 札幌西陵     83 05年度 情報
 千歳      100 05年度 情報
◎函館中部    240 05年度 情報
◎函館稜北    193 97年度 倫理
◎小樽潮陵    312 03年度 情報、理総
◎岩見沢東    233 04年度 地歴が1科目
 岩見沢西      0 06年度 情報
 月形        4 04年度 世界史
◎旭川東     282 05年度 地歴が1科目
◎旭川西     201 05年度 理基
◎旭川北     240 94年度 地歴で内容逸脱
◎旭川凌雲    238 05年度 情報
◎旭川商業    228 03年度 理総
◎名寄      153 03年度 情報、世界史、理総
◎士別      117 03年度 理総、倫理、情報
 北見緑陵     78 05年度 情報
 網走南ケ丘    37 97年度 地歴が1科目
 遠軽        0 03年度 理総
◎室蘭栄     233 05年度 情報
◎室蘭清水丘   157 04年度 理総
◎伊達緑丘    159 04年度 世界史、理総
 苫小牧東      0 06年度 理総
 帯広柏葉     33 05年度 日本史
◎帯広三条    315 05年度 理総
◎釧路湖陵    278 05年度 情報
 ◇市立
 函館東       0 05年度 地歴が1科目
 函館北       0 05年度 地歴が1科目
 ◇私立
 北海      129 03年度 情報
◎札幌静修    295 96年度 倫理、物理
◎札幌光星    360 03年度 理総、家庭、保健
◎札幌第一    357 03年度 地歴と公民が1科目、情報
 札幌龍谷     13 03年度 情報
 東海大四     45 03年度 情報
◎札幌日大    334 04年度 地歴が1科目、情報、芸術
◎函館大有斗   304 01年度 公民、家庭、地歴が1科目
 函館白百合    90 98年度 地歴が1科目、情報
 函館ラ・サール 137 05年度 地歴が1科目
 旭川大      27 03年度 理総、保健、芸術、家庭、情報
 旭川実業    160 03年度 地歴が1科目、情報、家庭
 旭川竜谷     54 不明   情報、保健
 網走       50 03年度 理基、理総
 北海道栄     59 03年度 地歴が1科目、情報
 帯広大谷     74 03年度 地歴が1科目、理総、情報
 (道教委、道学事課まとめ)
 ※人数は3年生だけで、◎は全員。室蘭清水丘の履修不足は普通科のみ。現社は現代社会、理基は理科基礎、理総は理科総合

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教育基本法改正 エリート校あえて反対 評価で締め付け 委縮する教員

安倍政権の最大課題である教育基本法「改正」は地方公聴会の日程も決まり、成立に向け着々と歩みを進めている。現場、とりわけ公立校の校長、教職員の大半が沈黙する中、私立進学校の校長二人が「こちら特報部」の取材に対し、実名で異議を申し立てた。果たして、こうした声が国会審議で十分反映されてきたのか。広島学院の李聖一、麻布学園の氷上信廣両校長に話を聞いた。 (片山夏子)

国会での攻防の傍らで、学校現場では自殺が相次いでいる。いじめに遭った生徒のみならず、教員たちもだ。「必修」問題で高校にも激震が走った。もはや学校は「戦場」のようだ。

この現実について、麻布学園の氷上氏は「学力は子どもの可能性の一つ。勉強のできない子が、行き場を失い自殺を図ったり、不登校になる気持ちはまともだと思う。その気持ちに寄り添えない教育現場の方がおかしい」と切り出した。

「改正」派はこうした荒廃を「少年犯罪の増加」で語ったり、「規範意識の低下」に原因を求め、それを改正の根拠としてきた。

しかし、広島学院の李氏はこう反論する。「少年犯罪は本当に増加しているのか。規範意識の低下や犯罪も子どもたちが大切にされてこなかったつけだ。それに教育だけで変わるものではない。社会情勢や家庭崩壊など根深い背景がある」

「改正」にはシステムと理念の両面がある。柱は基本法一〇条だ。現行の「教育は(中略)国民全体に対し直接に責任を負って行われる」が、改正後は「国と地方公共団体の適切な役割分担」と国の介入を認める形に転換される。

李氏は「現行法は教育の使命は人格形成という崇高な理念を掲げ、国家権力も政治権力も介入させないと誓った。だが、改定後はいくらでも国が介入できるようになる」と指摘する。

■人格の完成がないがしろに

そんな「使命」が教育の現在の荒廃を招いた、という逆説も強調される。しかし、李氏は「むしろ、基本法の理念を追求しなかったことが現状につながっている」と分析している。

「六十年前、日本は焦土と化した。そこで、崇高な理念を掲げた。だが、次第に経済界の要求が先行し、人格の完成という目標はないがしろにされた」

理念の変ぼうと、現場教師への上からの指導強化は教師自身をも追い込んでいると氷上氏は懸念する。

■教職の魅力が失われていく

「現場が悪いとたたかれ、評価で締め付けられ、教員は委縮する一方。いじめだ、少年犯罪だ、さあ解決策を出せと言われれば、上からのマニュアルに従うしかない。生徒と苦しみ悩む自由すら失われていく」

その結果、氷上氏は「生徒の人間的な成長の手助けをするという教育本来の目的ができなくなり、教職の魅力が失われる。魅力がないのになり手が来るのだろうか」と素朴に問う。「これは進学校か否か、ということにはかかわらない。教育界全体の危機だ」

李氏は自身の危機感をこう表現した。「どのような拘束力を持って国が介入してくるのか。心情の自由にも抵触してくるのではないか。その程度によっては、私は教職を辞めなくてはいけないかもしれない」

「改正」の具体的な中身は端的にいえば、学校への市場原理の導入と「愛国心」や「徳目」の強調といった二本柱がある。

前者については、両校ともエリート校だ。さらに私学関係者の中には、改正案に「私立学校」の項目が新設されたことを「私立も公の性格が認められた。私学への助成は根拠を得た」と喜ぶ声があるという。

■私立の独自性なくす恐れも

だが、氷上氏は「国の決めた指導に沿っているか、全国学力調査で結果を出しているかで学校が序列化され、助成金も決まるのだろう。そうなれば、私立は独自性という存立根拠を失う」と先行きを懸念する。

「これまで公立は私立に比べて市場競争が少なかった分、多様な子どもたちの居場所があった。市場競争にさらされた公立校は事実上崩壊し、私立は生徒確保のため数字を上げるのに必死になる。学力偏重が増すことで、子どもたちは行き場を失っていく。教育の多様性より、すべてが数字に置き換えられていく。ますます、教育も子どもたちも荒廃するだけではないか」

さらに「愛国心」や「徳目」については、両氏とも強い反発を隠さない。

李氏は愛国心について、「愛することは無意識なもの。愛せと言われて愛せるものではない」と話す。

「徳目」については「親孝行しなさい」と言われたからといって、生徒が心から従うことはないという。「自分の体験の中から学んでいくこと。教え込んで分かるものではない。そんなことをしても生徒は聞く耳を持たないだろう」

「態度を養う」という表現も乱立しているが、「態度チェックが行われるのだろうが、それに意味があるのか。無理やり言うことを聞かせようとしたら、それはもう教育ではない」

氷上氏も「国や社会のために『役立つ』人をつくる狙いで、外から強制することでは子どもには何も響かない。大人の言うことを聞かなくなるだけ。教育で本来、最も大切な人間性は育たない」と言い切る。

「だいたい、国を愛せという前に愛するに足る国なのか、誇りに思える国なのか、を問わずして押しつけても無意味ではないか」

では、なぜいま、愛国心教育が持ち出されてきたのだろうか。それは「荒廃」への救済策になるのか。

その点について、李氏はこう語る。「個人を大切にしろ、といった戦後教育の反動が出ているのだろう。でも、これまで本当に個人を大切にしてきたか。してこなかったからこそ、少年犯罪や規範意識の低下が起きているのではないか」

二人はこれまで教育基本法「改正」への疑問を保護者や生徒たちにも訴えてきた。共感する教育者は少なくない。しかし、現実の政治ではその流れは加速こそすれ、弱まらない。

■生徒指導で余裕ない公立  

氷上氏は「国家管理が一気に強まるという危機感は一般的にはある。が、公立では物言えぬ雰囲気で、私立では数字を上げるのにきゅうきゅうとしている。漠然と不安を感じていても声が上がってこない」とみる。

李氏も知り合いの公立校の校長に「おまえのところは上ずみ(エリート)だけだからいいよな」としばしば言われるという。その後に「評価や締め付けが厳しくなり、いまは生徒指導で公立は手いっぱいだ」といった愚痴が続く。そんな状況をどうするか。その答えは李氏にもみつからない。ただ、こう確信する。

「基本法や憲法は六十年たった現在、読んでも新しい。こんな平和憲法を持っているところはない。憲法や基本法に書いてあることを実現できたら、これほど新鮮なことはない」

「改正」の理由に「戦後教育は失敗」という言葉を聞く。李氏はそれをこう解釈している。「日本はせっかく上った高みから、現状に合わせて理念を引きずり降ろしてしまうのか」

<広島学院> 広島市にあるカトリックの修道会イエズス会を母体とする中高一貫の男子校。生徒数は1学年188人。李聖一校長は在日韓国人3世で社会科の教諭。2003年4月から現職。

<麻布学園> 東京都港区にある中高一貫の男子校。生徒数は1学年300人。制服や校則のない自主・自立の校風を掲げる。氷上信廣校長は、倫理・社会を中心に教え、2003年4月から現職。

<デスクメモ>

必修問題の唐突さが引っかかる。現状で長い間やってきた。歴史は現代まではこなせず、厳密には「未履修」が常だ。私学の独自性は学習指導要領を「軽視」して成り立ってきた。この騒ぎは結局、お上のカリキュラムを無視するな、という狙いでは。教育基本法「改正」前夜、どうもタイミングがよすぎる。 (牧)

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教育基本法 『なぜ変える』明答なく

教育基本法改正案の審議が二十五日、衆院教育基本法特別委員会で再開した。先の通常国会で約五十時間審議したことから、与党から「あと二十時間程度の審議で十分」との声も出る。だが、一九四七年の公布以来一度も変えていない基本法をなぜ、今、変えるのかという根源的な疑問にも、いまだに明確な答弁はない。委員会は三十日から、質疑に入る。 (社会部・早川由紀美)

「なぜ今、改正なのか」。これまでの審議で与野党議員が繰り返し尋ねたが、当時の政府側は「六十年間の時代の変化」(小泉純一郎首相)、「課題に対応するため新たな理念を加えて法体系を整えたい」(小坂憲次文科相)と述べただけ。現行法のどこに欠陥があるのか、言及はなかった。

これまでの改正運動などで出てきた見直し論を、市川昭午国立大学財務・経営センター名誉教授は、次の五つに分類する。

(1)主権を制限されていた占領下に立法された法律で、日本人による自主的な見直しが必要とする「押しつけ論」(2)現行法にはまぎらわしい表現があるという「規定不備論」(3)一連の教育荒廃現象が生じるようになったのは、教育勅語にあった愛国心や規範意識などが現行法に規定されていないから、とする「規範欠落論」(4)「時代対応論」(5)憲法改正を前提にした「原理的見直し論」−だ。

市川氏が臨時委員を務めた中央教育審議会は「基本法改正が必要」と答申を出したが、同氏はこれに異議を申し立てた経緯がある。

国会審議では「現行法制定当時は米国の占領下で、日本人の精神的バックボーンが抜け落ちていたことを修正しようとするのが、本当の理由ではないか」(自民党委員)などと、与野党双方が押しつけ論などを持ち出し、改正の“真意”を引き出そうとした。

しかし、政府側は「(基本法成立の)経緯について、(米国の)押しつけだったから日本に合わないものができたかといえば、必ずしもそうでない」(小坂氏)と答弁。不登校や学力低下など教育が抱える課題についても「改正をしたことで、自動的に今の課題が解決していくわけではない」(同)と認めている。

そのため、「現行基本法の理念は引き継ぐというのに、法律は全部改正するという。よく分からない」(民主党委員)という当惑を、前回の審議では残している。

日本弁護士連合会の同法改正問題対策会議事務局長、鈴木善和弁護士は「教育現場に問題があるから基本法から変える、というのは荒っぽい議論だ。普通の人が分かる因果関係が説明されていない」と指摘。「少なくとも、他の教育関連法はどう改正され、現場はどう改善されるのか、というプロセスの説明が必要」と首をひねる。

また、現行法にある「(教育は)国民全体に対し直接に責任を負って」などの文言が改正案で削られ、これが教育現場にどう影響するかについて、鈴木氏は「国会審議で明確になったかどうか、疑問が残る」とした。

市川氏は、改正案に盛り込まれた教育振興基本計画について、十分な議論がなかったと指摘。「基本計画は政府が定めるとした点は、教育行政の権限が文部科学省から官邸に移ることを意味する」と分析する。

教育は国家百年の大計と言われる。鈴木氏は「政治的、党派的対立の中で、強行採決はしてはならない」と訴える。

東京新聞 2006年10月26日

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君が代妨害 教諭処分取り消し 道人事委「裁量権の逸脱」

中学校の卒業式で君が代演奏のカセットテープを止め懲戒戒告処分となった男性教諭(49)が処分取り消しを求めた審査請求で、道人事委員会は二十三日、学校長の式運営手続きに重大な瑕疵(かし)があり、道教委が処分したのは「裁量権の逸脱に当たる」として、処分を取り消す裁決を行った。文部科学省によると、日の丸・君が代をめぐる懲戒処分で都道府県人事委が処分を取り消したのは、全国初とみられる。

裁決によると、教諭は二○○一年三月、後志管内倶知安中の卒業式で、校長席近くに置かれたCDカセットを校長の制止を振り切って持ち去り、君が代の演奏を止めた。同校では、君が代演奏について校長と教職員間の意見が対立したまま校長が実施を最終判断。式次第に「国歌斉唱」の表記はなかった。

裁決は、「教職員に対する式での日の丸・君が代の強制は思想・良心の不当な侵害と解される」と指摘。国旗掲揚・国歌斉唱の根拠となる学習指導要領の「日の丸・君が代指導条項」については「法的拘束力は否定せざるを得ない」とした。

その上で、「校長の校務掌理権は、個々の教員の裁量権限を十分に尊重して行使すべきだ」とし、式の運営方法を職務命令だけで決定するのは不適切だと指摘。

教諭が式を混乱させたことは信用失墜行為に当たるとしたものの、「式の運営について明確な発表や告知がなく、手続き上、重大な瑕疵があった。混乱は一瞬にとどまり、他の事案と比べても処分は相当重い」と結論づけ、処分取り消しとした。

また、「運営について生徒や保護者にも意見表明の機会が与えられるべきであり、こうした過程を経ず斉唱・演奏の実施、不実施が決まることは子どもの権利条約に反する」との判断も示した。

道教委は「主張が認められなかったことは誠に遺憾。対応については、裁決内容を十分検討し判断する」(平山和則企画総務部長)としている。道教委は道人事委に再審請求できるが、判断の根拠とした証拠が偽造だった場合などに限られ、事実上、困難とみられる。

北海道新聞夕刊 2006年10月23日

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公立校に市場原理 教育基本法改正

教育基本法「改正」を最重要課題として船出した安倍政権。その第一歩となる首相の私的諮問機関「教育再生会議」の初会合が今日開かれる。改正の柱は「愛国心」と「市場原理」の導入だが、そのモデルは一九八〇年代後半の英国でのサッチャー流改革だ。「チーム安倍」はこの英国の教育改革を絶賛するが、当の英国では「教育を荒廃させた」という酷評もある。英国での試みから考えてみた。

安倍首相は著書「美しい国へ」の中で「教育の再生」に二十七ページを割いている。特筆すべきはサッチャー英元首相の教育改革への絶賛ぶり。「誇りを回復させたサッチャーの教育改革」という見出しもある。

安倍氏が最優先課題と位置付ける教育基本法改正案では「愛国心」問題が注目を浴びてきた。しかし、日本版・サッチャー改革の導入で、教育システムが劇的に変わることも、実は愛国心問題に劣らぬ大問題だ。

安倍氏は著書などで「ゆとり教育の弊害で落ちた学力を取り戻す。国語・算数・理科の基礎学力を徹底させる。全国的な学力調査を実施し、結果を公表するべきだ」とし、「サッチャー改革のような国の監査官による学校評価制度」の導入を唱えている。

さらに「公立学校の再生のため」には、父母が学校を選べる学校選択制が必要だとし、自治体が配布するクーポン券で学校を選択できる「教育バウチャー制」導入も主張している。

来年の通常国会には教員免許を十年に一度見直し、能力や実績のない教師の免許更新を認めない「教育再生法案」も提出する方針。いずれをみても、サッチャー氏の改革そっくりだ。

■学力の底上げ実現のはずが

では、英国でのサッチャー流教育改革とは何だったのか。サッチャー保守党政権は「英国病」とまで言われた経済停滞を国民の教育水準アップで回復しようと決意。その決め手が従来、教員たちの自由裁量が強かった教育に「市場原理を持ち込む」手法だった。

具体的には、一九八八年の教育改革法で設けた全国共通カリキュラムと統一学力テスト(学テ)が二本柱で、九二年には実施の進ちょくを現場の教室で査察する独立行政機関・教育水準局が設置された。

英国の義務教育は五歳から十六歳までで小学校が六年と中等学校が五年。この計十一年を四つの「キーステージ」(段階)に分け、各ステージの最後(七、十一、十四、十六歳)に統一学力テストを受けさせる。

この流れは、九七年からのブレア労働党政権で強化され、全国規模の成績到達目標まで定められた。この結果、全国の小中学校は学テの成績で輪切りされ、各校ごとに「水準」に達した生徒の割合も公表される。メディアも各校の「実力」を実名で書き立てた。

親たちはこうしたデータを参考にして、わが子を少しでも上位の学校に入れようと必死になる。学校は文字どおりの自由競争にさらされ、全体の実力が底上げされる“はず”だった。ところが実態は違った。

むしろ、教育改革は失敗だったとの反省が強まり、導入を始めた保守党内からも「(現行の)教育体制に終止符を打つ」といった声まで上がっている。一体、何が弊害となったのか。

二〇〇二年に五歳の息子をロンドン市内の公立小学校に入学させた経験のある日本人の元駐在員(47)は当時をこう振り返る。

「好きな公立小学校に入るのは難しい。単に近所に住んでいればよいわけでなく、何年前から住んでいるか、まで問われた。だから生後すぐ、上位校の近所に引っ越し時折、校長に顔を売って『将来、うちの子を入学させてほしい』と予約しておかねばならない。露骨ではなかったとはいえ、できる子優先で入学させている雰囲気も感じた」

■小学生らにもストレス増大

統一学力テストの際、学校の平均点を落とさない対策にも直面した。「日本人生徒は英語力がないから受験させない方が得だと思ったのでしょう。うちの子は『受けなくていいですから』と言われた」という。

「イギリスの教育改革と日本」などの著書のある法政大学の佐貫浩教授(教育行政)は、サッチャー改革について「ある意味、基礎学力が向上した。これは英語が母国語ではない子どもの基礎学力を上げるという目的もあったため。ただ、日本はこの点をすでに達成している」と指摘する。

むしろ、英国では「(テストで測れるものが)本当の学力か」「読み書き、計算などの基礎は上がっても思考能力は上がっているのか」という論争が起きているという。また、学校間で競争させ、学校選択制を導入したことで「成績が良く生徒の人数が多いところに予算が優先配分され、学校間格差が広がった」。

それは地域格差にも広がる。入学希望者が上位校の近所に引っ越すようになったため、周辺の地価が上がってしまう。その結果、上位校に入学できるのは富裕層の子どもだけになる。全体を底上げするどころか、格差社会を象徴する現象が生み出されたという。

子どもへのマイナスの影響も表れた。佐貫教授は「ストレスが高まった」点を挙げる。ロンドン在住のジャーナリストで、小学生の子息を抱える阿部菜穂子さんもことし二月の講演で「テストのある七歳児と十一歳児の約三分の一がストレスを感じ、十一歳児の四分の一が自信が無いと答えたというデータがある。夜眠れない子や心身症の子も増えている」と話した。

■丸のみすれば『公立校解体』

こうした弊害が表面化する中、英国四地域の中でも教育改革への抵抗が元来、強かったスコットランドに加え、ウェールズ、北アイルランドでも改革を否定する動きが強まっている。

北アイルランドやウェールズはすでに学テの結果公表を取りやめており、来年度までに学テ自体を廃止する。ことし五月には「全英校長会」が年次総会で、学テ結果の公表を取りやめるよう決議したという。

英国教育事情に詳しい首都大学東京の大田直子教授(教育政策論)は「そもそもサッチャー元首相が目指したのは(当時の)日本の公立学校制度だった」と語る。さらにブレア政権下では市場原理導入だけではなく、底辺校の学力向上のための救済措置を加えるなどの修正も施されたと解説する。「そうした内容や制度を細かく吟味することを抜きに、市場原理導入だけを優先すれば、日本の公立学校は解体してしまう」

ジャーナリストの斎藤貴男氏も「日本も人気校近くに越したり、送り迎えできる富裕層と貧しい層の格差が絶対に広がる。本当はリーダーになるべき人だけが教育に恵まれればよいと思っているのではないか。学校は『いい材料(入学者)を仕入れて、いい製品(卒業生)を出荷する』場所になるだろう」と警告する。

佐貫教授も日本版サッチャー流改革にこう警鐘を鳴らす。「英国と違って、学校の自主性を抜きに国が学校を一律に評価すれば、学校や教師の自主性は消え、政治権力で教育を統制するシステムができあがる。こんな恐ろしい改革はない」

<デスクメモ> 記憶に残る恩師たちがいる。理科の時間に水俣の公害映画を見せてくれた人、国語に文庫本を使った人、世界史の教材はたしか全部ガリ版刷りのお手製だった。「そんな偏向教育がオマエのような人間を育てたのだ」と言われそうだが、感謝している。もし、サッチャー流の教育体制だったら出会えなかった。(牧)

東京新聞 2006年10月18日

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