全国紙社説(2006年4〜10月)


2006年11〜12月

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教育基本法改正 民主は修正協議に応じよ

衆院教育基本法特別委員会が再開され、政府の改正案と野党の民主党案について提案理由の説明が行われた。本格的な論戦は30日から始まるが、不可解なのは民主党までが政府案の成立に徹底抗戦の姿勢を示していることだ。

政府案は自民党と公明党の与党合意に基づき、「我が国と郷土を愛する態度」などの育成をうたい、民主党案は「日本を愛する心」「宗教的感性」の涵養(かんよう)を盛り込んでいる。

愛国心や宗教的情操教育では民主党案の方が踏み込んだ表現をしている半面、民主党の教育行政に関する規定には日教組などが介入する余地を与えかねないとの批判もある。そうした違いはあるものの、両案は総じて共通点が多い。双方が知恵を出し合い、より良い案にすることは十分可能である。

同じ野党でも、社民党と共産党は対案を持たず、教育基本法の改正そのものに絶対反対の立場だ。対案を出している民主党が、これらの少数野党と歩調を合わせるのは、建設的な野党として賢明な選択とはいえまい。

過去に、与党と民主党の修正協議が実を結んだ例として、平成15年に成立した有事関連3法などがある。教育基本法は憲法と並ぶ重要な国の根本法規であるだけに、その改正案はできるだけ多くの国会議員の賛成を得て成立することが望ましい。

野党4党は時間切れに追い込む作戦のようだ。しかし、先の通常国会で、すでに50時間の審議が行われている。与党は臨時国会であと30時間の審議を行い、11月上旬には衆院を通過させたい意向だ。政府案は3年に及ぶ与党協議会での議論を踏まえ、民主党案も2年近い同党教育基本問題調査会で検討を重ねた。これ以上、いたずらに時間を費やすべきではない。

現行の教育基本法は終戦後の昭和22年3月、GHQ(連合国軍総司令部)の圧力や干渉を受けながら成立した。「個人の尊厳」や「人格の完成」など世界共通の教育理念をうたっているが、肝心な日本人としてのありようがほとんど書かれていない。

安倍内閣は、教育基本法改正を臨時国会の最重要課題としている。学校でのいじめや家庭での幼児虐待など、荒廃する教育現場を根本から再生するには、今国会での成立が急がれる。

2006年10月26日

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政争の具にしてはならない

現行の教育基本法には問題が多いという認識は、与党も民主党も共通のはずだ。

そうであれば、建設的な論戦を通じて法改正の実現を図るのが筋だろう。にもかかわらず、民主党が審議引き延ばしに出ようとしているのはどうしたことか。

教育基本法改正案の審議がようやく再開した。先の国会に政府案と民主党の対案が提出され、約50時間の審議が既に行われている。

政府案と民主党案は共通点が多い。

教育を通じ、伝統の継承や愛国心、公共の精神をはぐくむ大切さを掲げた。家庭教育の条文も新設した。いずれも、戦後まもなく制定された現行法に欠落している部分である。

現行法で「9年」と定める義務教育の年限を削除している点も共通する。子どもたちの学力低下を憂慮し、義務教育の延長など、「6・3制」の弾力的な運用をしやすくするためだ。

教育再生は急務だ。来年の通常国会には、教員の質の向上を図る教員免許更新制導入のための法改正作業が控えている。基本法が改正されれば、教育行政の政策目標を定める「教育振興基本計画」の策定作業も始まる。

教育再生へ具体的な措置を講じる上でその理念、指針となるのは、やはり教育基本法だ。その改正を急ぐ必要がある。民主党も教育の現状に対する問題意識を共有するなら、審議の促進に協力し、自らの主張を法改正に反映させる努力をすべきではないか。

だが、民主党は審議再開に難色を示し、実質審議入りを来週に先延ばしさせた。与党との修正協議も拒んだままだ。

愛国心の表記は、「我が国と郷土を愛する態度」とする政府案より、「日本を愛する心」と明確に書いた民主党案を評価する声が、自民党にも少なくない。民主党が自身の案を少しでも生かそうと思えば、修正の余地も十分出てくるのに、自ら可能性を封じている。

それどころか、改正反対を唱え、本来相いれないはずの共産党や社民党と、今国会での採決阻止を確認している。

これでは、審議引き延ばしを目的に、形だけ対案を出したことになる。かつての社会党と何も変わらない。

下手に修正協議に応じれば、党内の足並みの乱れをさらけ出すことになる。与党との対決色を強めた方が来夏の参院選にも有利だ――。そんな計算が働いているのだろう。

教育は国家百年の計だ。政争の具にするようでは、選挙に有利どころか、民主党は国民の信頼を失いかねない。

讀賣新聞 2006年10月26日

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国旗・国歌 「強制は違憲」の重み

教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである――。 学校教育が軍国主義の支えになった戦前の反省から、戦後にできた教育基本法はこう定めている。

この「不当な支配」に当たるとして、国旗掲揚や国歌斉唱をめぐる東京都教育委員会の通達や指導が、東京地裁で違法とされた。
都教委は都立高校の校長らに対し、卒業式などで教職員を国旗に向かって起立させ、国歌を斉唱させよと命じた。処分を振りかざして起立させ、斉唱させるのは、思想・良心の自由を侵害して違憲であり、「不当な支配」に当たる。それが判決の論理だ。

教育委員会の指導を「不当な支配」と指摘した判断は昨年、福岡地裁でも示された。その一方で、公務員の仕事の公共性を考慮すれば命令に従うべきだという判断も東京高裁などで出ており、裁判所の考え方は分かれている。

私たちはこれまで社説で、「処分をしてまで国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ」と批判してきた。今回の判決は高く評価できるものであり、こうした司法判断の流れを支持する。

日の丸や君が代はかつて軍国主義の精神的支柱として利用された。いまだにだれもが素直に受け入れられるものにはなっていない。教職員は式を妨害したりするのは許されないが、自らの思想や良心の自由に基づいて国旗掲揚や国歌斉唱を拒む自由を持っている。判決はこのように指摘した。

判決は「掲揚や斉唱の方法まで細かく定めた通達や指導は、現場に裁量を許さず、強制するものだ」と批判した。そのうえで、「教職員は、違法な通達に基づく校長の命令に従う義務はなく、都教委はいかなる処分もしてはならない」とくぎを刺した。原告の精神的苦痛に対する賠償まで都に命じた。

都教委の通達が出てから、東京の都立学校では、ぎすぎすした息苦しい卒業式が続いてきた。

だが、都教委は強硬になるばかりだ。今春も生徒への「適正な指導」を徹底させる通達を新たに出した。生徒が起立しなければ、教師が処分されかねない。

通達と職務命令で教師をがんじがらめにする。いわば教師を人質にして、生徒もむりやり従わせる。そんなやり方は、今回の判決で指摘されるまでもなく、学校にふさわしいものではない。

「不当な支配」と指摘された都教委は率直に反省しなければならない。国旗や国歌に関する通達を撤回すべきだ。これまでの処分も見直す必要がある。

卒業式などで都教委と同じような職務命令を校長に出させている教育委員会はほかにもある。

国旗や国歌は国民に強制するのではなく、自然のうちに定着させるというのが国旗・国歌法の趣旨だ。そう指摘した今回の判決に耳を傾けてもらいたい。

朝日新聞 2006年9月22日

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国旗・国歌訴訟 認識も論理もおかしな地裁判決

日の丸・君が代を教師に義務づけた東京都教委の通達と校長の職務命令は違法――東京地裁がそんな判断を示した。

教師には、そうした通達・命令に従う義務はない、国旗に向かって起立しなかったり、国歌を斉唱しなかったとしても、処分されるべきではない、と判決は言う。

都立の高校・養護学校教師、元教師らが、日の丸・君が代の強制は「思想・良心の自由の侵害だ」と訴えていた。

学習指導要領は、入学式などで「国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するものとする」と規定している。判決は、これを教師の起立・斉唱などを義務づけたものとまでは言えない、とした。

しかし、「指導」がなくていいのだろうか。不起立で自らの主義、主張を体現していた原告教師らは、指導と全く相反する行為をしていたと言えるだろう。

判決は、「式典での国旗掲揚、国歌斉唱は有意義なものだ」「生徒らに国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、尊重する態度を育てることは重要」と言っている。だが、こうした教師たちのいる式典で、「尊重する態度」が生徒たちに育(はぐく)まれるだろうか。

教師らの行動に対する認識も、甘すぎるのではないか。「式典の妨害行為ではないし、生徒らに国歌斉唱の拒否をあおる恐れもない。教育目標を阻害する恐れもない」と、判決は言う。

そもそも、日の丸・君が代に対する判決の考え方にも首をかしげざるをえない。「宗教的、政治的にみて中立的価値のものとは認められない」という。

そうだろうか。各種世論調査を見ても、すでに国民の間に定着し、大多数の支持を得ている。

高校野球の甲子園大会でも国旗が掲げられ、国歌が斉唱される。サッカー・ワールドカップでも、日本選手が日の丸に向かい、君が代を口ずさんでいた。

どの国の国旗・国歌であれ、セレモニーなどの場では自国、他国を問わず敬意を表するのは当然の国際的マナーだ。

「入学式や卒業式は、生徒に厳粛で清新な気分を味わわせ、集団への所属感を深めさせる貴重な機会だ」。判決は結論部分でこう述べている。

それにもかかわらず、こうした判決に至ったのは、「少数者の思想・良心の自由」を過大評価したせいだろう。

逆に、都の通達や校長の職務命令の「行き過ぎ」が強調され、原告教師らの行動が生徒らに与える影響が過小に評価されている。

今後の入学式、卒業式運営にも影響の出かねない、おかしな判決だ。

讀賣新聞 2006年9月22日

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君が代訴訟 公教育が成り立たぬ判決

都立高校の卒業、入学式に向け、教職員に国歌斉唱などを義務付けた都教委の通達をめぐり、東京地裁はこれを違法と判断し、都に賠償を命じた。これでは、公教育が成り立たない。

判決によれば、「国旗と国歌は強制ではなく、自然に国民に定着させるのが国旗国歌法や学習指導要領の趣旨だ」としたうえで、「それを強制する都教委の通達や校長への職務命令は、思想良心の自由を侵害する」とした。さらに「都教委はいかなる処分もしてはならない」とまで言い切った。

国旗国歌法は7年前、広島県の校長が国歌斉唱などに反対する教職員組合の抵抗に悩んで自殺した悲劇を繰り返さないために制定された。当時の国会審議で、児童生徒の口をこじあけてまで国歌斉唱を強制してはならないとされたが、教師には国旗・国歌の指導義務があることも確認された。指導要領も教師の指導義務をうたっている。

東京地裁の判決は、こうした審議経過や指導要領の趣旨を十分に踏まえたものとはいえない。もちろん思想良心の自由は憲法で保障された大切な理念であるが、教育現場においては、教師は指導要領などに定められたルールを守らなければならない。その行動は一定の制約を受けるのである。

従って、都教委が行った処分は当然である。東京地裁がいうように、いかなる処分も行えないことになれば、教育現場が再び、混乱に陥ることは確実だ。広島県で起きた悲劇が繰り返されないともかぎらない。

裁判長は「日の丸、君が代は、第二次大戦が終わるまで、軍国主義思想の精神的支柱だった」とも述べ、それに反対する権利は公共の福祉に反しない限り保護されるべきだとした。これは一部の過激な教師集団が国旗・国歌に反対してきた理由とほとんど同じだ。裁判所がここまで国旗・国歌を冒涜(ぼうとく)していいのか、極めて疑問である。

自民党新総裁に選ばれた安倍晋三氏は「公教育の再生」を憲法改正と並ぶ大きな目標に掲げている。そのような時期に、それに水を差す判決が出されたことは残念である。小泉純一郎首相は「人間として国旗・国歌に敬意を表するのは法律以前の問題だ」と語った。各学校はこの判決に惑わされず、毅然(きぜん)とした指導を続けてほしい。

産経新聞 2006年9月22日

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教育改革と総裁選 基本法改正の中身を語れ

自民党総裁選で、教育改革をめぐる論議も注目を集めている。安倍晋三官房長官は学校評価制度や教員免許更新制などの導入を主張している。谷垣禎一財務相は漢字や九九などの基礎学力向上を強調し、麻生太郎外相は義務教育の1、2年前倒しを訴えている。

それぞれ有意義な主張であるが、肝心の教育基本法改正に向けた論議が今ひとつ、盛り上がりに欠ける。

安倍氏は秋の臨時国会で教育基本法改正の成立に最優先で取り組む考えを示し、麻生氏も「改憲の前に教育基本法を改正することだ」と語っているが、その中身を明らかにしていない。谷垣氏は教育基本法改正問題にほとんど触れていない。

先の通常国会で、政府案と野党の民主党案が示された。政府案は自民・公明両党の合意に基づき、「国と郷土を愛する態度」などの育成をうたっている。民主党案は「日本を愛する心」と「宗教的感性」の涵養(かんよう)を盛り込んだ。衆院で5月から論戦が始まったが、審議日数が足りず、いずれも継続審議となった。さらに、超党派の議員連盟も独自の法案を発表している。

秋の臨時国会で、これらの法案をどのように調整して審議を進めていくのか。与野党の協議は開かれるのか。そうした道筋も含めて、各候補はもっと具体的に語るべきである。

昨今、子供の学力低下に加え、親による幼児虐待や子供が親を殺害するというおぞましい事件が相次いでいる。13日に発表された文部科学省の調査では、小学生が先生に暴力を振るう校内暴力が急増している。

14日、自民党青年局主催の公開討論会で、安倍氏は「初等教育の段階で父母を尊敬すること、祖父母を大切にすることをしっかり教えるという原点に戻る必要がある」と指摘した。谷垣氏は「地域社会が参加して自分たちの小学校を支援する必要がある」と述べ、麻生氏は「しつけはなるべく早い方がいい。家庭に期待できないなら、学校で補うべきだ」と話した。さらに本格論戦を期待したい。

教育改革は小泉内閣が積み残した大きな課題だ。戦後教育の歪(ゆが)みを正し、新しい国づくりのためには、健全な国家意識や家族観をはぐくむ方向での教育基本法改正が急務である。

産経新聞 2006年9月17日

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『国のかたち』に政略はなじまない

「国のかたち」にかかわる多くの重要法案が先送りされるのは残念なことだ。

通常国会は、小泉首相の意向で会期延長せず、18日に閉幕する。重要法案は軒並み継続審議となる。

今国会は、教育や国防など国の基本政策に関する法案が数多く提出された。

教育基本法改正案は、1947年の法制定以来初めて、国会審議の舞台に乗った。鳩山、池田、中曽根の各内閣が是正を目指したが、野党や日教組が「戦前の軍国主義教育を復活させる」と批判して改正を阻んできた。

憲法に改正条項がありながら、改正の具体的手続きを定める法律がない。国民投票法案は、60年近く続く立法府の不作為に終止符を打つものだ。この法律なしには、憲法改正という最も重要な国民主権は行使できない。

政府が防衛「省」昇格法案を国会提出したのも初めてだ。

秋以降の政治日程を考えれば、先送りされた重要法案の早期成立は容易ではない。秋の臨時国会は2か月程度の会期しか確保できない。来年の通常国会も、夏に参院選を控え、法案審議に十分な時間を割くのは難しい。

小泉首相は、会期延長しない理由として「自民党は総裁選、民主党は代表選が行われるので、互いに頭静かに国家の将来を考えるのもいい」と言う。だが、総裁選が過熱する中で、そんなことができるのか。後継首相に重い「宿題」を残す姿勢には、首をかしげざるを得ない。

民主党は、教育基本法改正案と国民投票法案で対案を作り、国会に提出した。約50時間に及ぶ教育基本法の改正論議は政府案と民主党案がそろったことで建設的なものとなった。「戦前への回帰」というような不毛なイデオロギー論争も影を潜めた。

だが、国会の最終盤では、不可解な動きも見られた。鳩山幹事長が先週、教育基本法改正案の対案を廃案にする意向を示したことだ。

これでは「自分たちの法案は“欠陥商品”でした」と言っているに等しい。結局、継続審議に軌道修正したが、さすがに批判を浴びると思ったのだろう。

小沢代表の就任以降、民主党の国会対応は与党との対決姿勢が目立っている。対案の提示も、政府案の審議や採決を阻む目的なら、旧社会党が常套(じょうとう)手段とした「反対のための反対」と変わらない。

「国のかたち」の法案を早期成立に導いてこそ、責任政党としての存在感が増すというものだ。民主党は政略に走るべきではない。

讀賣新聞 2006年6月15日

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産経新聞 2006年6月12日社説
教育基本法改正 民主党の対応は不可解だ

教育基本法改正をめぐる今国会での審議が終了した。自民、公明の与党は継続審議にする方針だが、民主党は廃案とすることを決め、これに社民、共産両党も賛同した。

不可解なのは民主党の態度である。

民主党は先月、政府案に対抗して独自の「日本国教育基本法案」を作成し、党首討論や衆院特別委員会などで論戦を繰り広げてきた。

愛国心について、政府案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」とし、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としている。また、民主党案は、政府案にない「宗教的感性の涵養」という文言を盛り込んでいる。

これといった対案を示さず、政府案にことごとく反対してきた以前の社会党や共産党と違い、この問題に取り組む民主党には、建設的な野党を目指す姿勢がう
がえた。

民主党案については、自民党内にも賛意を示す声があり、小泉純一郎首相も「なかなかよくできている」と評価した。他方、教育行政に関する規定では、日教組などが介入する余地を与えかねないとする指摘も出ている。政府案と民主党案は総じて、共通点が多く、歩み寄りは可能である。

その対案を民主党はなぜ、廃案にしようとするのか。しかも、教育基本法の改正そのものに反対する社民、共産両党と歩調を合わせるようでは、対案づくりに努力してきた民主党内のメンバーも納得できないのではないか。

小沢一郎代表は政府・与党との対決姿勢を強め、来夏の参院選に向け、社民党などとも共闘する意向を示している。選挙対策のために廃案にすると疑われてもやむを得ない。

鳩山由紀夫幹事長は「1年あるいは1年半、慎重に議論を進めることが必要だ」と言っている。だが、政府案は3年に及ぶ与党協議会での議論を経て作成され、民主党案も同党教育基本問題調査会における2年近い検討を踏まえたものだ。それ以前の教育改革国民会議や中央教育審議会での審議を含めると、6年を超える。いたずらに時間を費やすことは許されない。

政府案も民主党案も継続審議にしたうえで、公聴会などで国民の声をよく聞き、秋の臨時国会で改めて議論を深めるべきである。

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産経新聞社説 2006年6月1日
君が代判決 妨害行為に刑罰は当然だ

都立高校の卒業式で2年前、元教諭が「この卒業式は異常だ」などと騒いで式典を妨害した事件で、東京地裁は元教諭に罰金刑の有罪判決を言い渡した。

判決によれば、元教諭は校長や教頭の制止に従わず、「触るんじゃない。おれは一般市民だ」「何で(元)教員を追い出すんだ」などと怒号を発し、卒業式を遅らせたことが威力業務妨害にあたると認定された。教職経験者とは思えない言動だ。同地裁が「厳粛であるべき式典の進行を停滞させ、いくら言論の自由としても認められない」としたのは当然である。

この事件は、高校からの被害届を受けた警察が捜査し、東京地検が起訴した。教育現場で起きたことであり、刑事罰を科すほどの悪質な行為ではないとする一部新聞の論調がある。

しかし、元教諭が行ったことは、常軌を逸脱している。学校だからといって、許される行為ではない。安易に警察沙汰(ざた)にすべきでないということは、児童生徒の問題行動などに対しては言えても、大人である元教諭にはあてはまらない。

一部知識人は、今回の判決が教育現場を萎縮(いしゅく)させることになりはしないかと心配している。元教諭は国旗・国歌の実施を求めた都教委の通達を批判した週刊誌のコピーも配り、卒業生の9割が国歌斉唱時に着席してしまった。元教諭の妨害行為によって萎縮させられたのはどちらの方か、よく考えてもらいたい。

この年の都内の卒業式では、国歌斉唱時に起立しないなど不適切な行動をとった200人近い教職員が都教委の処分を受けた。一部マスコミはこの処分を「日の丸・君が代の強制」「内心の自由の侵害」などととらえ、都教委を批判した。同じように、大人と子供への対応を混同した批判だった。

学校は、子供たちが社会へ巣立つために必要な知識やマナーを身につけさせる公教育の場だ。卒業式や入学式では、国旗を掲揚し、国歌を斉唱することが求められている。

ふだんの授業で、日の丸や君が代の意義や由来を含めてきちんと指導していれば、式典で強制しなくても、子供たちが自然な気持ちで日の丸を仰ぎ、君が代を歌うことができる。それが教育というものである。

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朝日新聞社説 2006年5月31日
君が代判決 教育に刑罰は似合わぬ

都立高校を定年退職した62歳の元教師が、最後に受け持った教え子たちの卒業式に来賓として出席した。2年前のことだ。そのときの振る舞いが威力業務妨害の罪にあたる、との判決を東京地裁から言い渡された。

彼は何をしたのか。判決は次のように認定した。

式が始まる前の会場で、保護者にビラを配って、「国歌斉唱のときに、教職員は立って歌わないと戒告処分になります。国歌斉唱のときは、できたらご着席をお願いします」などと大声で呼びかけた。教頭や校長が止めようとしたところ、「触るんじゃないよ」「なんで教員を追い出すんだよ、お前」などと怒号し、会場を騒がせ、式の始まりを2分遅らせた。

この背景には、全国でも突出している東京都教委の国旗掲揚と国歌斉唱への徹底ぶりがある。こうした動きに疑問を持った元教師は「都教委が度を越していることを知ってほしかっただけだ」と話していた。

判決は元教師の言動について「威力にあたり、相当な手段とはいえない。現実に業務妨害の結果を生じた」と判断した。そのうえで、卒業式の妨害を直接の目的としておらず、妨害は短時間で、式はほぼ支障なく実施されたことを考え、罰金20万円という刑を選んだ。

検察の求刑は懲役8カ月だった。その落差は大きい。裁判所もさすがに検察の求刑は度外れていると考えたのだろう。

元教師は「『大声で騒いだ』などということはない」として控訴した。

元教師の行為は批判されてしかるべきだ。式の前とはいえ、式場で保護者に呼びかければ、混乱が起きるのは目に見えている。保護者が式場に入る前に声をかけるといった方法をとれなかったのか。

しかし、だからといって、暴力を振るったわけではなく、起訴して刑事罰を科さなければならないほどの悪質な行為だったとは思えない。まして、懲役刑を求めた検察の見識を疑う。

この問題は、卒業式に出席していた地元の都議が都議会で取り上げたのがきっかけだ。都教委が法的措置をとることを表明し、高校が警察に被害届を出した。これを受けて警察が元教師宅を捜索し、東京地検公安部が在宅で起訴した。

外からやって来て卒業式を妨害する者はただちに警察に突き出すしかない。それが都教委や高校の論理だろう。

しかし、教育のプロである教育委員会や高校が、学校で起こった問題をすぐに捜査機関に委ねようというのは安易ではないか。そうした教える側の態度は、生徒の目にはどう映るだろう。

元教師のような行為を二度と許さないというのなら、相手とじっくり話し合って解決の道を探ることもできるはずだ。

本来、教育にかかわる問題が刑事裁判の法廷に持ち込まれることは望ましいことではない。今回の判決で、その思いを新たにした。

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産経新聞主張(2006年5月28日)
教育基本法改正 「愛国心」は明記すべきだ

 国会で教育基本法改正をめぐる本格的な論戦が始まった。特に興味深いのは、愛国心をめぐる論議だ。政府案は「国と郷土を愛する態度を養う」とし、民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」としている。小泉純一郎首相は民主党案について、「なかなかよくできている。それほど大きな違いがあるとは思わない。十分審議してもらえば共通点は見いだせる」と述べた。前後の文章を含め、より簡明で素直な表現を目指し、与野党で知恵を絞ってほしい。

 衆院特別委員会で一部野党は、福岡市内の小学校で愛国心が通信簿の評価項目に入れられたケースを取り上げ、愛国心の明記が児童生徒の内心の自由を侵害する懸念を指摘した。

 これに対し、小泉首相は「小学生に愛国心があるかどうかの評価は必要ない」と答えた。子供については、首相の言う通りだが、先生の場合は別だ。学習指導要領で「国を愛する心」の育成が求められており、先生がその指導義務を果たしているかどうかの評価は必要であろう。

 七年前、国旗国歌法が制定されたときも同じような議論があった。当時の野中広務官房長官は「生徒や児童の内心に入ってまで強要しない」と述べ、有馬朗人文相も「口をこじ開けて(君が代を)歌わせることは許されない」と答えた。しかし、先生については、「校長が教員に職務を命じることは教員の思想・良心の自由を侵すことにならない」(有馬文相)とされた。

 国旗国歌法の成立により、先生の指導義務がより明確になり、教育現場の混乱は回避されつつある。愛国心についても、指導要領に加え、教育基本法にも明記し、先生の指導義務を明確化する必要があろう。

 内閣府の調査では「国を愛する気持ちをもっと育てる必要がある」と答えた人は八割を超えた。日本を誇りに思うことを聞いたところ、(1)長い歴史と伝統(42%)(2)美しい自然(41%)(3)優れた文化や芸術(40%)(4)国民の勤勉さ、才能(28%)の順だった。

 民主党案にある「涵養」は、水が自然にしみこむように育てるという意味だ。愛国心というものは、子供たちが日本の歴史を学び、伝統文化に接し、豊かな自然に触れることにより、自然にはぐくまれるものである。

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讀賣新聞社説(2006年5月26日)
[教育基本法改正]「共通点が多い政府案と民主党案」

 根本から作り直そうという方向性は一致している。共通点も多い。民主党の「日本国教育基本法案」に、対決法案の色合いは薄い。

 接点を探る中で、本質的な教育論議が期待できる――。衆院の教育基本法特別委員会で始まった審議は、そう思わせる内容である。

 「なかなか良くできている」。愛国心をめぐる表記について、小泉首相は民主党案を読み上げて、感心したように言った。委員会室がどっとわいた。

 愛国心に関し政府案は、教育の目標を掲げた第2条に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに…態度を養う」と記している。一時期、自民党は「心」の表記に執着していたが、公明党の主張に配慮して「態度」に落ち着いた。

 これに対し民主党案は、前文に「我々が目指す教育」として、「日本を愛する心を涵養(かんよう)し…、伝統、文化、芸術を尊び…」と書き込んだ。「国」ではなく「日本」とし、自民党が断念した「心」を、堂々と盛り込んだ点が特徴だ。

 民主党は特別委で、民主党案をベースに政府案の疑問点や不備な点を突く形を取った。それでも、相当に議論のかみ合った、中身の濃いやりとりになった。首相も「相違点より共通点がある。与野党が慎重に審議すれば十分、今国会での成立は可能だ」と述べた。

 民主党案については、「政府案よりいい」という声が自民党の中からも出ている。愛国心などの表現が素直で理念が伝わりやすい、家庭教育に力点を置くなど内容が充実し時代にも合っている――といったものだ。

 今後、特別委の審議は、政府案と民主党案を土台に共同修正協議に進む可能性もある。両法案が主要な点で共通していることを見れば、共同修正もそう難しいことではないだろう。

 共産党などの一部野党や教職員組合は、「愛国心の強制だ」「内心の自由の侵害だ」と廃案を主張している。

 自国の伝統や文化に関心を持ち、理解し、国を愛するという価値観を形成できるよう「指導」することは、「強制」とは全く次元が違う。諸外国ではごく当たり前のこととして教えている愛国心について、きちんと子どもたちに指導できない教員の方にこそ問題があろう。

 教育基本法の制定から60年を前に、新しい日本の教育の理念を定める初めての改正へ、実質審議の幕が開いた。

 拙速に流れることなく、最良の改正案を目指し、内容全般にわたる十分な論議を求めたい。

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毎日新聞社説(2006年5月17日)
教育基本法改正
必要性と緊急性が伝わらない

 後半国会の焦点となっている教育基本法改正案の審議が16日、衆院で始まり、本会議で政府による改正案の趣旨説明と質疑が行われた。会期延長がなければ国会閉会まで残り1カ月というタイミングでの審議入りだが、基本法をなぜ今、改正しなければならないのかという必要性と緊急性は、この日の政府側の説明でも相変わらず伝わってこなかった。

 現行の教育基本法制定から半世紀余りで、情報化、国際化、少子高齢化など教育をめぐる状況の変化やさまざまな課題が生じ、道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和への寄与などが求められている。新しい時代の教育理念を明確にして国民の共通理解を図り、未来を切り開く教育の実現を目指す−−。これが、小泉純一郎首相や小坂憲次文部科学相が繰り返し語った提案理由である。

 しかし、状況の変化は今に始まったことではなく、教育を取り巻く課題は基本法を改正したからといって解決するわけでもないだろう。現行法のどこに問題があり、どのように変えればどんな課題が克服されるのか、という具体的な「設計図」が見えてこない。

 毎日新聞の全国世論調査(電話)では、改正案を「今国会で成立させるべきだ」と答えた人が17%に対し、「今国会にこだわる必要はない」は66%に上った。改正の必要性・緊急性が国民に十分理解されていない以上、国民の多くが早期改正を望まないのは当然だ。

 対案の法案をまとめた民主党の鳩山由紀夫幹事長は本会議で「1年、2年をかけて議論しよう」と呼びかけた。民主党案は焦点の「愛国心」表記で「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」との表現を盛り込んだ。改正案で公明党に配慮した自民党への揺さぶりを狙ったとも受け取れるなど、改正にどこまで熱心か分からない部分もあるが、じっくり議論すべきなのはその通りだ。

 改正案が成立した場合、教育現場にどのような影響があるのかという説明も、この日の政府側答弁ではほとんどなかった。現行法で「9年」と定めている義務教育期間を改正案で削ったことについて、「将来の延長も視野に入れている」と答えた程度だ。

 教育目標の一つとして盛り込んだ「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現については「児童・生徒の内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁した。しかし、国旗・国歌法の国会審議で当時の小渕恵三首相が「内心にまで立ち入って強制するものではない」と答弁したものの、実際は卒業式の国歌斉唱をめぐって混乱する自治体もあり、教育現場への影響ははっきりしない面もある。

 また、改正案は教育行政に関する条文で「全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため」として、国に教育施策の策定と実施の権限があることを明記した。しかし、実際には文科省が教育指針となる学習指導要領を作成したりしている。わざわざ明文化して念押しする必要があるのだろうか。文科省はその意図をきちんと説明する必要がある。

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讀賣新聞社説(2006年5月16日)
[民主「教育」対案]
政府案との妥協点を探るべきだ

政府案との共通点も目立つ対案だ。与党と民主党は審議を通じて、妥協点を探ることができないのか。

民主党が教育基本法改正案の対案をまとめた。

愛国心について政府案は公明党に配慮して直接の表現を避け「我が国と郷土を愛する…態度」としている。

民主党案は「日本を愛する心」と、はっきり書いた。自民党内で「心」と修正するよう求める強い主張があることを意識してのことだろう。

民主党案が明記した「宗教的感性の涵養(かんよう)」も、公明党の反対で政府案には盛り込まれなかった部分だ。これにも自民党内には不満の声がある。民主党案には自公分断の狙いがうかがえる。

政府案に対する与党内の批判を対案に採り入れたのは、16日から始まる国会審議を通じて、与党内の足並みの乱れを誘う意図が働いているようにもみえる。

だが、政府案との共通点も多い。「公共の精神」を育(はぐく)む大切さを掲げ、「家庭教育」の条文も新設した。政府案が教育の目標に掲げた「職業教育」については一条を設けた。いずれも1947年に制定された現行法に欠落する部分だ。

現行法を改め、時代に合った基本法を制定することが喫緊の課題、との認識が民主党にはあるのだろう。

ただ、民主党内も一致しているわけではない。旧社会党系議員を中心に、「愛国心を強制する教育につながる」として改正に慎重な意見は根強い。

民主党案は、政府案が残した教育行政に対する「不当な支配」を削除した。

現行法には「不当な支配に服することなく」の文言がある。日教組などが、教科書検定などの教育行政を否定する根拠としてきたのは、この文言だ。

民主党案は「支配」は削除したが、一方で学校教育は「学校の自主性及び自律性が十分に発揮されなければならない」との文言を盛り込んでいる。これでは、かえって日教組などの教育行政への介入を許すことになりはしないか。

こうした根幹部分について、党内の意思統一ができるのかどうか。民主党内でも、審議の中で、立場の違いによって相反する主張が出るという滑稽(こっけい)な場面も出かねない。

教育基本法は「教育の憲法」とも呼ばれる、国家の基本を成す法律だ。多くの政党が賛同して制定されることが望ましい。政略を優先したり、ましてや審議をいたずらに引き延ばす国会戦術で対応すべきではない。

民主党は、政府案との共通点を生かす道を歩んでもらいたい。

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産経新聞社説(2006年5月16日)
教育基本法 民主案もいいではないか

後半国会の焦点の一つである教育基本法改正をめぐり、政府案に加え、民主党も対案をまとめた。十六日から本格的な論戦が始まる。

民主党案は「日本を愛する心」の涵養(かんよう)を前文に盛り込んだ。愛国心の表現を「国と郷土を愛する態度」とした政府案と比べると、「国」が「日本」、「態度」が「心」になっている。前後の文章を読み比べても、政府案にある「他国を尊重」などという言わずもがなの言葉がなく、愛国心がより素直に表現されているといえる。

政府案には公明党への配慮から「宗教的情操の涵養」という文言が入っていないが、民主党案は「宗教的感性の涵養」を明記した。「情操」と「感性」は意味が少し違う。民主党案は政府案にない宗教的な伝統や文化をはぐくむ重要性をうたっている。

「宗教的情操」は現行教育基本法が制定された当時、GHQ(連合国軍総司令部)の干渉により、日本側原案から削除された文言だ。公明党の支持母体である創価学会を除くほとんどの宗教団体が、この文言の条文化を求めているといわれる。

日本の地域に伝わる伝統行事や生活習慣は、それぞれの神社や寺などと深い関係にあり、それらを子や孫たちに継承したいという宗教界の願いが込められている。自然に対する畏敬(いけい)の念やその恵みに感謝する気持ち、死者をいつくしみ先祖を尊ぶ心などの日本的感性をはぐくむためにも、宗教的な情操や感性の涵養は必要であろう。

また、民主党案では、現行法にあり政府案にも残された「不当な支配」という文言がない。「教育は不当な支配に服することなく」という現行法一〇条の規定は、教職員組合などが国や教育委員会の指導に反対する根拠として使われてきた。教育基本法改正に反対してきた日教組出身議員らを抱える民主党内で、この文言が削除されたことの意義は大きい。

全体として、自民党と公明党の折衷案とされる政府案より、民主党案の方が、戦後教育の問題点を正し、新しい時代に即しているように思われる。自民党内にも政府案を疑問視する声がある。与野党でさらに議論を尽くし、日本の未来を担う子供たちのためのより良い改正案を目指してほしい。

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毎日新聞社説(2006年4月30日)
教育基本法改正
各党の本音を聞きたい

政府が教育基本法の改正案を閣議決定し、5月の連休明けから審議入りする見通しとなった。安倍晋三官房長官らは「自民党結党以来の悲願」と意気込むが、実際には与党内の意見もまちまちだ。十分な審議時間を確保するには国会の会期延長が必要と政府・与党も認めているが、その会期延長も明確な結論が出ていない中での国会提出である。

戦後間もない1947年の制定以来、初の改正となる今回の改正案は、基本理念と言うべき前文を変更し、教育の目標、大学、私立学校、家庭教育、幼児期の教育などの条項を加えたものだ。

とは言っても、やはり最大の焦点は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」との文章を盛り込んだことだろう。

何でもかんでもつめ込んだような文言になったのは、「『愛国心』という言葉は戦時中の国家主義・軍国主義を思い起こさせる」と公明党が反発したからだ。その結果、当初の自民党案にあった「国を愛する心」の「国」が「我が国」に、「心」が「態度」に変わり、「他国の尊重」も加わったという経緯がある。

ところが、長い協議の末、決着したという割には、自民党には「なぜ、公明党側に配慮するのか」「愛国心ときちんと書くべきだ」との不満が今もくすぶっている。一方で、小泉純一郎首相の関心は元々高くないといい、自民党内にも今国会成立にこだわる必要はないとの意見がある。

公明党も力が入っているわけでない。自民党と妥協したのは、来年は参院選などがあり支持者の反発も予想されるため、「どうせ成立させるのなら、なるべく早く」が本音だったという。野党の民主党にも「愛国心の明記」を主張する議員もいて、意見集約は容易でなさそうだ。要するに各党とも腰は定まっていないのだ。

しかし、問題はそんな各党事情だけではない。今回の文章を盛り込むことにより、実際に教育がどう変わるのかという説明が、まだほとんどされていないことだ。

戦後日本社会は「個人」が優先される余り、「公共」といったものを軽視しがちだったのではないかという問題意識に異論はない。今の教育がすばらしいと言う国民も少ないはずだ。

ならば、仮に今回の改正案が成立した場合、それを受けて学習指導要領や学校教育法は実際にどう変更されるのか。そして、それによって日本の教育はよくなるのか、ならないのか。必要なのは、そうした議論だ。それができなければ、結局、推進派の本音は国家の統制を強めたいだけではないかという話になる。

教育基本法の改正は、確かに戦後日本のあり方を見直すテーマであり、今後の憲法改正論議にも直結する。この際、各党、各議員にはとことん本音をぶつけ合っていただこう。それが政治の実像を国民が知る機会にもなる。

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朝日新聞社説(2006年4月29日)
教育基本法
「愛国」をゆがめないか

小泉内閣は教育基本法の改正案を国会に提出した。与党は連休明けに特別委員会を衆院に設け、審議を急ぐ方針だ。

今回の改正論議は、00年に首相の私的諮問機関が教育基本法の見直しを提言して始まった。それを受けて、中央教育審議会が「郷土や国を愛する心」などを盛り込むよう答申し、与党が文案づくりの協議を重ねてきた。

論議が始まって6年になる。与党の検討会も3年にわたった。与党の中でさえなかなかまとまらなかったのは、愛国心をどうとらえるかが、それだけ難しい問題だったからだろう。

国を愛する心は人々の自然な気持ちであり、なんら否定すべきものではない。しかし、その愛し方は人によってさまざまだ。法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか。私たちは社説で、そうした疑問を投げかけてきた。

こんな疑問を抱いている人は少なくないだろう。すでに教育現場では、どう教えるのか、愛国心を成績として評価することになるのか、といった戸惑いが広がっている。国会で政府はまず疑問や不安にきちんと答えてもらいたい。

教育基本法は、戦前の教育勅語に代わる新しい教育の指針としてつくられた。教育の機会均等、男女共学などの理念を掲げた11条から成り、「教育の憲法」と呼ばれている。

改正法案では、生涯学習、大学、家庭教育などの項目が加わり、条文が18に増えている。だが、与党の協議では、教育の目的に「愛国心」の言葉をどう盛り込むかがもっぱら焦点だった。

愛国心を入れたい自民党と、愛国心が戦前のような国家主義につながることを恐れる公明党がせめぎ合った。その結果、伝統と文化をはぐくんできた我が国と郷土を愛するとの表現になり、「他国を尊重し」という言葉も加えられた。

それでもなお心配が尽きないのは、ひとつには、気に入らない相手を「愛国者ではない」と決めつける嫌な風潮があるからだろう。

イラクで人質になった日本人が自衛隊派遣に反対していたとして、自民党議員が国会で「反日的分子」と非難した。韓国や中国に強硬姿勢をとらなければ「売国」だと言わんばかりの論評も目立つ。「売国」や「反日」というレッテル張りがひどくなっている。

基本法の改正が、こうしたゆがんだ愛国心に拍車をかけないだろうか。

教育は国の将来につながる重要な政策である。その理念をうたう基本法は、憲法に準ずる重い法律だ。

「国を愛する」を教えるとはどういうことなのか。その影響はどうなのか。さらに今の時期に基本法を変える必要はどこにあるのか。

さまざまな分野の人たちの意見に耳を傾け、各地で公聴会を開くなど、ていねいな審議が求められる。野党と論議を尽くすことは言うまでもない。

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讀賣新聞社説(2006年4月29日)
教育基本法改正
民主党も意見集約を急いでは

教育基本法の改正案が、1947年の法制定以来初めて、国会審議の舞台に乗る。

日本の将来を担う人材を育てるための教育の目的や理念はどうあるべきか。充実した審議を展開してもらいたい。

改正案は、現行法に記述のない「公共の精神」「伝統」の尊重や、「我が国と郷土を愛する…態度」との表現で愛国心を養うことなどを盛り込んだ。

鳩山、池田、中曽根の各内閣が是正を目指したが、そのたびに野党や日教組が「軍国主義教育を復活させる動きだ」と反対し、改正を阻んできた。

平和国家としての戦後日本の歩みを見れば、もはや、戦前と無理に重ね合わせた反対論が通用する時代ではない。

学校現場は、いじめ、校内暴力、不登校など多くの問題を抱えている。犯罪の低年齢化や自己中心的な子どもの増大、「ニート」に象徴される若者の職業観の乱れも深刻だ。

改正案では、「家庭教育」の条文も新設する。戦後教育が家庭の役割をおろそかにしてきたとの反省から、父母が子どもの教育に第一義的責任を持つことを明確にする趣旨だ。

政府に、政策目標などを明示した「教育振興基本計画」を策定することも義務づけた。

教育が直面する問題の是正のため、どんな政策目標を掲げるのか。国民の関心も高い。国会での法案審議と並行して、国民の関心に応える基本計画策定の作業を急ぐべきだ。

与党は審議の場として衆院に特別委員会を設置したい考えだ。だが、民主党は特別委に反対している。特別委では連日、審議が進むが、民主党が対応できる状況にないからだろう。

約1年前、民主党は基本法改正に関する報告書を作成した。「何十年たったら、愛国という言葉を普通に使える国になるのか」という意見と、「全体主義的な教育につながる」との反対論を併記した内容で、その後は論議を怠ってきた。

民主党は早期に対案をつくる方針というが、正反対の意見を一本化するのは容易ではあるまい。

鳩山幹事長は、「教育基本法は憲法と並ぶ重要なものだ」として、基本法の改正は憲法改正と同時に進めるよう主張している。鳩山氏の発言は、事実上、基本法改正の先送りを図るものだ。審議を通じて党内の意見対立が浮かび上がることへの懸念があるからではないか。

重要な問題だからこそ、意見を一つにするよう努めることが、政権を目指す政党の取るべき態度である。

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日本経済新聞社説(2006年4月29日)
教育基本法改正が問うもの

戦後日本の教育が「知」と「徳」のバランスを欠いてきたことは、公共心や社会性を欠いた子どもたちが増えている現実を見てもあきらかだろう。家族やコミュニティーの変容に加え、国際化や情報化がすすむ社会基盤の変化も大きくかかわる。

こうした背景の下で、教育の目的として「我が国と郷土を愛する態度を養う」などを明記した政府与党による教育基本法の改正案が閣議決定され、国会に提出された。今国会で成立すれば、占領下の1947年に制定された現行法がおよそ60年ぶりに改められることになる。

現行の教育基本法は個人の尊厳の重視や真理と平和への希求を理念として掲げ、個性あふれる文化創造をうたっている半面、戦前の国家主義教育に対する反動から国の伝統や公共的な価値とのかかわりを避けていいる点が指摘されてきた。「教育の憲法」と呼ばれる基本法の欠落を埋めて、新しい人材育成の指標とすることを巡って与野党間や学校現場で賛否の論議が重ねられてきた。

首相の私的諮問機関だった教育改革国民会議が「郷土や国を愛する心や態度を育てる」という観点をふまえてまとめた2000年の報告をもとに、自民党と公明党でつくる与党協議会で重ねられてきた改正案の論議では「愛国心」の表記を巡って溝を広げたが、公明党などへの配慮から「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という表現で合意した。

改正案は前文で個人の尊厳の重視など現行法の基本的な精神を踏襲、その上で公共の精神に基づく社会発展への寄与や伝統文化の尊重と継承などをうたった。また家庭教育や生涯学習、障害者への配慮などの条文も新たに付け加えられている。

教育基本法は理念法であり、法改正が直ちに子どもたちの教育と現場の改革につながるわけではないが、あわせて提出される「教育振興基本計画」では学力向上といじめや不登校の削減など具体的な課題で5年ごとの政策目標を掲げる。画一化した教育行政の見直しも重要な課題になる。教育行政の在り方も含めて十分な国会審議をすすめ、新しい理念の下で知徳のバランスある人材育成を具体化する道筋を示したい。

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朝日新聞社説(2006年4月14日)
教育基本法
「愛国」を教える難しさ

「国を愛する」か、それとも「国を大切にする」か。教育基本法の改正をめぐって焦点となっていた「愛国心」の表現について、与党の自民、公明両党が合意した。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」。これが合意した文言である。

国を愛せということが統治機構を愛せということにならないか。公明党はそう疑問を投げかけ、「大切にする」を主張してきた。自民党の主張通り「愛する」という表現に決まったが、「伝統と文化をはぐくんできた国」というくだりが加わった。統治機構の色合いは薄れたとして、公明党は受け入れた。

公明党はなぜ、「国を愛する」を避けようとしたのか。支持母体である創価学会は、戦前、国家から弾圧された経験を持つ。初代会長は獄死した。愛国心という言葉に戦前の国家主義のにおいをかぎ取り、最後まで抵抗したのだろう。

両党の合意では、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言が続く。「他国を尊重し」は今回、加えられた言葉だ。

戦前の「忠君愛国」のスローガンは、自分の国だけを思うゆがんだ愛国心となり、アジアへの侵略をあおった。日本を大切だと思うなら、他国の人が自分の国を大切にする心にも敬意を抱かねばならない。「他国を尊重する」という文言は愛国心の暴走を防ぐうえで、重要な意味がある。

今回の合意は、戦前への反省も踏まえており、これまでの自民党案に比べて改善されたことは間違いない。

ただし、教育基本法を改正することについては、なおも疑問が残る。

第一に、急いで見直す必要が本当にあるのだろうか。基本法でうたっているのは理念である。改正しなければ実現できない教育施策や教育改革があるというのなら、どんなものかを聞きたい。

学校で事件や問題が起きるたびに、教育基本法を改正すべきだという声が政治家から上がる。しかし、本当に基本法が悪いから問題が起きるのか。きちんと吟味する必要がある。

第二に、「国を愛する」ことは自発的な心の動きであり、愛し方は人によってさまざまなはずだ。法律で定めれば、このように国を愛せ、と画一的に教えることにならないか。それが心配だ。

こうした不安が消えないのは、国旗・国歌法について当時の首相が「強制は考えていない」と答弁したのに、強制が広がっている現実があるからだ。

基本法の改正をめぐる与党検討会は3年間で計70回にのぼる。しかし、与党内だけのやりとりであり、国民の関心や論議はいっこうに盛り上がっていない。

教育という大事な政策の基本にかかわることである。今回の合意をたたき台にして、国民が大いに論議することが必要だ。改正法案を出すかどうかは、それから先の話である。

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毎日新聞社説(2006年4月14日)
教育基本法改正
「愛国心」の本音がちらつく

「教育の憲法」といわれる教育基本法について、自民、公明両党でつくる与党検討会が改正案の内容に合意し、1947年の制定以来初の改正に向けて大きく踏み出した。上部組織の与党協議会も了承した。改正を求める中央教育審議会の答申から3年を経ての結論だが、その間の議論の経過は公開されなかった。

今後の教育のあり方を決定づける法律の全面改正作業が、国民とは離れた「密室」で進められたことは残念だ。

両党の議論の最大の焦点が「愛国心」の取り扱いだった。教育の目標に掲げる文言として、自民党が「国を愛する心」を養うことを明記するよう主張したのに対し、公明党は「戦前の国家主義を想起させる」と反発し、「国」に統治機構(政府)は含まないことが分かる表現を求めていた。最終的に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」との表現でまとまった。自民党案の「国」が「我が国」に、「心」が「態度」に変わり、「他国の尊重」が加わった。

来年の参院選をにらみ、早期に決着させたい両党の思惑が最後には一致した。70回に及んだ検討会での論争の中心は結局、「言葉探し」に費やされたとの印象が強い。

戦前の教育への反省から個人の尊厳を重視する理念を打ち出した現行基本法に対し、改正論は古くからあったが、教育勅語を再評価する森喜朗首相(当時)のもとで教育改革国民会議が00年、「郷土や国を愛する心や態度を育てる」との報告をまとめ、今日へのレールが敷かれた。自民党文教族らの本音はあくまでも「愛国心」であり、表現をいかに工夫しようとも、国民には小手先の修正としか映らないのではないか。

前文と18条で構成する改正案には、生涯学習の理念や障害者への教育支援、幼児期教育の振興など、現代社会に合った取り組みも盛り込まれた。一方で「公共の精神を尊ぶ」「道徳心を培う」など、精神論を重んじる表現も入ったのが特徴だ。

いじめ、不登校、学力低下、ニートの問題など、教育現場に対する危機感が改正論議を後押ししたが、愛国心も含めた精神論だけでこうした問題の「特効薬」になるとはとても思えない。現に小中学校の道徳や小学校6年の社会科の学習指導要領には、既に「国を愛する心」を育てることが目標に掲げられている。本来は国民一人一人の自主性や見識に委ねられるべき精神的理念を法律に規定することにも疑問がある。

基本法改正によって、課題が山積する教育現場をどう変えていこうとしているのか。その狙いや将来像は、閉ざされた自公の協議から見て取ることはできなかった。改正内容は他の教育関連法や学習指導要領の見直しに多大な影響を及ぼす。自公は今後の国会審議などで、国民を十分に納得させるだけの説明責任を負っていることを肝に銘じるべきだ。

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産経新聞社説(2006年4月14日)
教育基本法改正
「愛国心」はもっと素直に

教育基本法改正案に盛り込む「愛国心」の表現をめぐり、与党検討会の大島理森座長が示した案を自民党と公明党が了承し、ようやく合意に達した。

座長案は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という長い文言だ。

自民党は「国を愛する心」という表現を主張していたが、「国」と「郷土」を併記し、他国の尊重もうたい、「心」を「態度」に変えるなど、公明党への配慮がにじむ妥協の産物といえる。「国を愛する」は明記されたものの、含みが多く、簡明な文案とはいえない。

「愛国心」の表現で、これだけもめる国は、おそらく日本だけだろう。愛国心は、どの国の国民も当然持っているものだ。そして、愛国者であることは最大の誇りとされる。国の根本法規である教育基本法は、もっと素直な表現であってほしい。

「愛国心」以外の与党合意についても、多くの問題点が残されている。

自民党は「宗教的情操の涵養(かんよう)」の盛り込みを求めたが、これに反対する公明党の主張に譲歩し、条文化が見送られた。この文言は、現行の教育基本法が制定される前、日本側の原案にあったが、GHQ(連合国軍総司令部)の指示で削除されたものだ。

その結果、給食前の合掌や座禅研修などが次々と排除され、修学旅行では伊勢神宮などの神社仏閣が避けられるようになった。宗教的情操の欠如が、オウム真理教などのカルトに若者が入り込む一因になったといわれる。

また、現行法の「教育は、不当な支配に服することなく」という規定は、残されることになった。だが、この規定は、国旗・国歌などをめぐる国や教育委員会の指導に反対する一部教職員らの運動の根拠に使われ、逆に、過激な教師集団による不当な支配を招いてきた一面を持っている。

これまでの与党合意には、家庭教育の充実など評価すべき点も多いが、現行法より後退しかねない部分は、なお修正が必要である。戦後教育の歪(ゆが)みを正し、子供たちが日本に生まれたことに誇りを持てるような格調の高い改正案に仕上げてもらいたい。

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讀賣新聞社説(2006年4月13日)
教育基本法
区切りがついた「愛国心」論争

国を「愛」するのか、「大切」にするのか――。与党内の「愛国心」論争に、ようやく終止符が打たれた。

自民、公明両党が教育基本法改正を巡る検討会を開き、改正案に盛り込む「愛国心」の表記について合意した。与党は党内手続きを急いだ上で、改正案を早期に国会に提出し、今国会で成立を図るべきだ。

合意した表現は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」というものだ。「…とともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と続く。

愛国心を巡っては、自公両党が自説を譲らず、平行線をたどってきた。

「国を愛し」を求める自民党に対し、公明党は「戦前の軍国主義、全体主義的な教育に戻る印象を与える」とし、「国を大切にし」を主張した。反対の理由に「『国』だと『統治機構を愛せ』の意味にもなる」「『愛し』は法律になじまない」と指摘することもあった。

「国」も「愛し」も残った点は、公明党が歩み寄った。自民党は、「伝統と文化をはぐくんできた我が国」と読めるようにして「統治機構」と無関係であることを明確にし、公明党に配慮した。

「愛国心イコール戦前の教育」との考え方は共産、社民両党も主張している。民主党内にも、旧社会党系議員を中心に同様の意見が根強い。

だが、愛国心を教えることを否定的にとらえる国など、日本以外にない。戦後の平和国家としての歩みを見ても、わが国が「戦前の教育」に戻る可能性は、微塵(みじん)もない。

そもそも、不毛な論議に終始していられるほど、日本の教育は楽観できる状態にない。

戦後間もない1947年に制定された現行法は、「個人の尊厳を重んじ」などの表現が多い反面、公共心の育成には一言も触れていない。制定当初から、「社会的配慮を欠いた自分勝手な生き方を奨励する」と指摘する声があった。

青少年の心の荒廃や犯罪の低年齢化、ライブドア事件に見られる自己中心の拝金主義的な考え方の蔓延(まんえん)などを見れば、懸念は現実になったとも言える。

自公両党は、改正案に「公共の精神」を明記することでも合意している。「親こそ人生最初の教師」との考えから「家庭教育」の条文も新設し、ニート(無業者)の増加を念頭に、「勤労の精神の涵養(かんよう)」を盛り込む。

日本社会の将来のしっかりとした基盤を作る上で、極めて重要なことだ。教育基本法の改正は時代の要請である。

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産経新聞社説(2006年4月7日)
教育基本法改正 自民は主導権を取り戻せ

教育基本法改正をめぐる与党協議が大詰めを迎えている。最大の焦点は、「愛国心」をどういう表現で改正案に盛り込むかだ。

従来の「国を愛する心」とする自民党案、「国を大切にする心」という公明党案に加え、「祖国日本を愛する心」「郷土日本を愛する心」といった案が浮上している。また、自民党の関連部会では「祖国愛」を支持する声も強まっている。

この問題で自民党と公明党の歩み寄りが見られず、両党が納得できそうな折衷案として、これらの対案が出されたという側面も否定できない。

しかし、与党協議に先立つ平成十五年三月、中央教育審議会は「郷土や国を愛する心の涵養(かんよう)を図ることが重要」とする答申を出した。その答申に沿って、素直に「国を愛する心」と表現することに、何か不自然さや不都合があるのだろうか。自民党は「国を愛する心」の涵養を改正案に書き込むべきだとす
る当初の方針を貫いてほしい。

「国を愛する心」の涵養は学習指導要領に盛り込まれており、改めて法律に明記する必要はないという意見もある。しかし、国旗・国歌の指導義務が指導要領に書かれていながら、一部の教師がこれを守らず、校長が自殺する事件も起きた。平成十一年、国旗国歌法が成立し、教育現場の混乱は是正されつつある。「国を愛する心」を教育基本法に明記する意義は大きい。

与党協議のもう一つの大きな焦点だった「宗教的情操」の涵養を改正案に盛り込むかどうかについては、自民党が公明党に譲歩し、盛り込まないことになったとされる。だが、子供たちが身につけていかねばならない伝統行事や礼儀作法などは、日本の伝統的な宗教と深い関係にある。規範意識をはぐくむためにも、宗教的情操をはぐくむ教育は必要である。

現行の教育基本法には、「教育は不当な支配に服することなく」との規定がある。一部教師が国や自治体の指導に従わない根拠としてきた面がある。この規定も残されることになりそうだが、これも公明党の意向が反映されてのことだといわれる。

教育基本法は憲法と並ぶ国の根本法規である。不透明な政治的妥協は許されない。教育基本法改正に向け自民党は主導権を取り戻すべきだ。

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