学力テスト 実りの少なさが鮮明に
全国の小学6年生と中学3年生を対象に、昨年に続いて行った全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が公表された。
昨年と同様、知識の活用に課題があるというのが実施した文部科学省の見解だ。都道府県ごとの結果も昨年とほぼ同じ傾向である。
子どもの学力向上のために、具体的にどんな課題が見え、どう現場の指導に生かせばいいのか、親や教育関係者が納得できるような明確な説明はない。
それもそのはずだ。学力は短期間で目に見えて身につくようなものではないからだ。「子ども一人一人の指導に役立った」と評価する教育現場の声も少ない。
文科省は来年以降も継続する方針だが、毎年数10億円もの費用をかけて行うには、子どもや現場にとって実りがあまりにも少ない。継続する価値が本当にあるのか、疑問が膨らむ。
今年の学力テストは、国語と算数・数学の各教科で、基礎的な知識を問うA問題の平均正答率と比べ、知識を活用する力をみるB問題は10ポイント以上低かった。昨年も似た傾向を示している。
都道府県別では秋田や福井で正答率が高かった。これも昨年同様だ。▽少人数学級で指導をしている▽自宅学習の習慣が根付いている−ためなどとされる。
知識の活用力や生活習慣の大切さなどは、かねて指摘されていることだ。学力テストの結果を待つまでもない。
文科省は「データを積み重ねることで課題が浮き彫りになる」と継続の意義を強調する。が、これまでの分析結果を見る限り、続ける論拠としては弱い。
無視できない問題がある。学力テストの弊害だ。文科省はテスト結果に基づき、教育委員会などに改善を促す。教育現場は次々に改善計画の提出を求められ、疲弊しているとの声も聞かれる。一部の地域では市町村、学校別の成績をオープンにするよう求められ、これも負担になっている。
学力テストが学力問題に取り組む契機となったというプラスの面も否定はできないが、全国の傾向を知るのなら抽出調査で対応できるとの指摘もある。
文科省は、批判や不満を謙虚に受け止めるべきだ。日本の教育投資は先進国の中でも最低レベルといわれている。現場に負担をかける調査よりも、教師や少人数学級を増やすなど、個々の子どもに目配りできる教育に変えていくことの方が先決だ。
信濃毎日新聞 2008年8月30日
教員採用取り消し 幕引きではなく出発点に
大分県の教員採用をめぐる汚職事件の処分が決まった。
県教育委員会が、二〇〇七年の教員採用試験で不正な点数操作により合格した教員二十一人の採用取り消しの方針を発表した。
当然、小中学校で今春から教壇に立っている若い教員が、現場を去らざるを得ないような事態も予想される。
二学期を前に、教育現場には動揺がみられるという。児童、生徒に与える影響が気がかりだ。まずは混乱を避けるために全力を注いでほしい。
この事件では、〇六年と〇七年の教員採用試験をめぐる点数改ざんで金品の授受があったとして、県教委の元教育審議官と元義務教育課参事の二人が収賄罪で、元小学校校長ら三人が贈賄罪で起訴された。
県教委は、起訴された元義務教育課参事のパソコンに残されていたデータを分析。〇七年試験分については、受験者の改ざん前の得点や改ざん過程が特定できたという。
特定されたのは小学校教員十四人、中学校教員六人、養護教員一人だ。
県教委は「不正には、きちんと対処しなければならない」とし、いずれも採用を取り消すという。
ただ、本人が希望すれば、臨時講師として雇用する余地も残した。短期間に二十一人もの教員補充は困難という現実問題も見据えた対応だろう。
県教委によると、採用取り消しとなる二十一人の大半は自身が不正採用の該当者であることを知らないという。
取り消し対象となる新人教員の精神的な打撃は大きいに違いない。学校現場は、子どもたちにどう伝えるべきかという難題も抱えることになる。
教員の不正採用は、そもそも県教委幹部らが引き起こした問題といえる。採用取り消しに際しては、対象者への丁寧な説明が欠かせない。
一方、本来の得点を減点され、不合格となった〇七年の受験者については希望を確認し、十月以降に採用するとしている。救済するのは当然だろう。
県教委とすれば、これで一連の不正採用に、けじめをつけたいところだろうが、後味の悪さも残る。
教員採用をめぐる不正は、〇六年以前にもあったが、県教委の調査では点数の不正操作は確認できなかったという。〇七年の採用取り消し対象者との不公平感はぬぐえない。
調査は「身内」ではなく、外部に任せるべきだったとの声もある。
父母らの視点がどこまで生かされたのかも疑問だ。教育界の密室性が不正の温床となっただけに、もっと開かれた議論が求められる。
そのうえで、ともに手を携えて学校運営にあたる契機とすべきだろう。
採用取り消し処分を幕引きの道具ではなく、正常化への出発点としたい。
京都新聞 2008年8月31日
全国学テ 継続より課題克服を
文部科学省が、今年四月に実施した「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)の結果を発表した。
昨年に引き続き行われ、全国の小学六年生と中学三年生の大半となる約二百二十三万人が参加。前回同様、国語と算数・数学の二科目で、基礎的知識と活用する力を検証した。
文科省の分析では昨年同様に「知識の活用に課題がある」との結果が出た。就学援助を受ける子どもが多い学校ほど正答率が低い傾向も前回同様に浮かび上がった。つまり、昨年と大きく食い違うところはなく、同様の結果が今年も得られたというわけだ。
こうした結果になることをわれわれは再三指摘し、実施に疑問を呈してきた。それは国際学力調査や、都道府県が独自に行う学力調査などで長年指摘されてきたことばかりだからである。
学力を把握することに異論はない。データがなければ指導につながらないからだ。だが、課題克服に本格的に取り組まないまま、同じことを繰り返しては時間、金、労力の無駄である。
課題把握はもう十分だ。これ以上の学テ継続は地域や学校の序列化を進めかねない。今後の指導に生かすという学テの本質を踏み外す恐れがある。
本県は小学生が全国水準である一方、中学生は大きく下回るという結果が今年も出た。ただ、今年は私立の高知小、土佐、学芸、高知の各中学校が参加しなかった。
それぞれ理由は異なるが、根底にあるのは学テの必要性、有効性を感じていないことであろう。公立校の現場にもテストのたびに繰り返す検証と改善作業への徒労感を嘆く声がある。
県教委は二〇一一年度末までの四年間に中学生の学力を全国水準に引き上げる計画を示した。また、七月県議会では公立中で単元テストを導入するなどの学力向上関連の補正予算約一億五千万円が計上された。
尾ア県政の教育改革が本格的にスタートするわけだが、課題は明白なだけに二度手間を省き、実効性ある克服策につなげなければならない。
全国学テ実施には二年間で計百三十億円を超える経費が投入された。これを全国に振り分ければ各自治体はもっと手厚い施策が展開できたはずだ。厳しい財政下、教育予算は限られている。文科省は学テのあり方を見直し、現場の切実なニーズを優先した教育投資を実現すべきだ。
高知新聞 2008年8月31日
採用取り消し 簡単ではない信頼回復
教員汚職事件に揺れる大分県教委は、不正な点数操作で合格した二十一人の採用を取り消す方針を決めた。
厳格な姿勢を信頼回復への一歩としたいところだろう。対象範囲が限定的となったことへの不満や不信感も指摘され、新学期を迎える学校現場の混乱も想定される。子どもたちを中心に置いたきめ細やかな対応が不可欠だ。
二〇〇六、〇七年の採用試験で不正合格した受験者は、採用者の半数に相当する計四十人近くとされる。県教委は可能な限りさかのぼって確認をするとの意向を示していた。しかし、受験者本来の点数が分かり、改ざんの過程も特定できたのは〇七年試験分に限られた。このため採用取り消しの対象は〇七年だけで、〇六年は裏付けが不十分として見送っている。それより前も証明できないという。
それは採用面にも反映される。本来の得点を減点されるなどして不合格となった〇七年の受験者には希望を確認し、十月以降に新たに採用する。〇六年の不合格者は特別試験で救済の機会を提供するようだが、やはり対応は分かれてしまった。
関係資料の廃棄などで当初から特定は困難視されていたとはいえ、対象範囲が限定されたことに不公平感は残る。それをいかに取り除くかは新たな課題となる。試験の不正排除はもとより、答案用紙などの取り扱いの重要さを再認識させる結果だ。
一方、教員が不在となれば学校現場の混乱は避けられない。県教委は取り消し対象の教員が希望すれば、臨時講師として雇用するとしている。確かに二学期が始まって教員の手当てができない事態は回避しなければならないが、場当たり的な印象はぬぐえない。
教員個々の適格性を問い採用を取り消す事案ではないことも、こうした対応の背景だろう。
不正合格したとされる教員には、親族が関与したものの当人は知らなかったケースがあるという。児童や保護者らから信頼され、問題発覚時には教員を守ろうと保護者が嘆願書を出す動きも報じられた。不正合格者を排除するだけでは問題は解決しないことを如実に示している。
信頼の回復は簡単ではない。そして採用試験の透明性の確保や情報公開がいかに重要かを浮き彫りにしている。この事件から多くを学び、対策を進めることが重要だ。
高知新聞 2008年8月31日
掛け声で再生はできない 大分教育汚職
教員採用などをめぐる大分県の教育汚職事件で、県教委は「処分」と特別チームによる「調査報告書」を公表した。
事件自体、大分県教育界を揺るがす前代未聞の不正である。私たちは「教育界のウミを出し切る覚悟が必要だ」と主張してきた。結果はどうか。厳しいようだが、「否」と言わざるを得ない。
処分では、2008年度に採用された教員のうち、不正合格者21人の採用を取り消す。大量処分だ。本人が望めば臨時講師として雇用するという。大半は不正に合格したことを知らないとされ、すでに学校現場になじんでいる。混乱を最小限に抑える努力を求めたい。
採用取り消し者は、収賄罪で起訴された元県教委参事らが得点を水増ししていた。元参事のパソコンからデータを復元するなどして特定したという。
しかし、元参事が同じく採用にかかわった07年度はもちろん、それ以前から得点の不正操作が続いていたことは、今回の調査報告からも明らかだ。
過去の不正合格者が不問に付されたのは、不正の事実が確定できないためだが、一方で、採用を取り消される教員はいったん職を失うのに、不正に関与した県教委職員は最も重い処分で停職にとどまった。何回も採用試験に挑んできた受験生や保護者らが「不公平だ」と指摘するのは、二重の意味で当然だろう。
調査報告書は、過去10年の県教委人事担当者や県内の小中学校、県立校の校長・教頭の声をまとめている。
「(教員採用で)県議、県教委OB、市町村教委幹部、教職員組合役員らから依頼があり、『脅威に感じる』依頼者からの受験者がボーダーラインに達していなかった場合、ライン内に含めて合格させたことがある」(元県教委幹部)
「(校長・教頭候補者選考で)県教委幹部から『(この候補者については)考えてくれないか』と言われ、各年度、3人程度点数を上げた」(県教委職員)
口利きの横行や点数操作の常態化など生々しい状況が浮き彫りになった。新たに高校教頭昇任試験で、県教育委員に働きかけたことを認めた教員もいた。
報告書は、事件の原因・背景に(1)口利きを許すなど選考の不適切な運用(2)色濃い仲間意識・身内意識(3)県教委のチェック機能の欠如‐の3点を挙げている。
いずれも、その通りだろうが、今回の事件は50万円、100万円という金品が行き交っている。露見したのは「氷山の一角だ」という証言もある。そこまで腐敗した実態に調査は迫れたか、疑問だ。
報告書は、教員採用試験をさらに見直すとともに、昇任試験でも校長推薦を廃止するなど改善策を示した。同時に、県教委職員から現場の教員まで「教育の再生」に向けた取り組みを求めた。
教育界が失った信頼は、掛け声だけでは戻らない。「組織を挙げて」(小矢文則教育長)出直してほしい。
西日本新聞 2008年8月31日
大分教員汚職 処分にも目立つ身内意識
教員汚職事件を起こした大分県教育委員会は、二〇〇七年の教員採用試験で不正な点数操作により合格した教員二十一人を特定、採用を取り消す方針を決めた。当然の措置であろう。不正は〇六年以前にもあったとみられるが、答案用紙の廃棄などで裏付けが不十分として取り消しを見送った。
取り消しの対象は、小学校教員十四人、中学校六人、養護教員一人。希望すれば、臨時講師として雇用する。また、不正操作で不合格となった〇七年の受験者については、希望を確認して十月以降に採用する。
不正の実態を調べていたプロジェクトチームは、過去十年間の人事担当者や校長、教頭など約千七百人に聞き取りやアンケートによる調査を実施した。それによると、過去十年間にも教員採用や管理職昇任などで不正が行われていたことが明らかになったが、調査で不正を認めたのは二人だけだったという。
今回の不正操作の中心にいたとみられる富松哲博教育審議監(60)については、大分県警が近く取り調べを行い、収賄容疑で逮捕する方針。本来なら合格していた人を不合格にするなどした行為は地方公務員法違反になるという指摘もあるが、証拠となる受験者の答案用紙が廃棄されたこともあり、立件するかどうかは微妙な状況という。
教育界には「教育的配慮」という言葉がある。本来は子どもの発達や安全を重視するという意味だが、現実には教育行政や学校の「隠れみの」として使われる場合が多い。
今回の事件そのものが、学校教育を担う者同士の「身内意識」が甘えやもたれ合いの構造を生み、それが県議会議員など外部からの口利きにも利用され、教員採用試験受験者の点数を操作するという前代未聞の不祥事だった。
処分についても、〇七年分だけを対象にしており、身内だけで事件の収拾を急ぐ「教育的配慮」だけが浮き彫りになっている。長年続いてきた不正を清算する措置としては不公平、不十分であり、教育への信頼回復につながるとは思えない。
一方で、保存義務のあった答案用紙を廃棄した教育庁職員などへの処分もかなり甘い。県教委は、事件の中心にいたとされる富松審議監を告発するぐらいの厳しさを持つべきではないのだろうか。
同様の風土は全国の教育界にもある。教育委員会制度を含めた根本的見直しが必要な時期を迎えている。
熊本日日新聞 2008年8月31日
学テが最下位 学校現場の充実こそが大事
小学校6年と中学校3年を対象に実施された全国学力テストの結果が29日、明らかになった。それによると、県内公立学校の平均正答率は国語、算数・数学の各教科で全国平均を5・4―13・5ポイント下回って、昨年に引き続き全教科で全国最下位となっている。
ただ、小学校国語Aと算数Aを除く教科で、全国との平均正答率の差が、わずかながら縮小している。とはいえ、中学校数学は基礎基本を問うA問題、応用力を問うB問題共に10ポイント以上下回り、昨年同様の課題は残ったままだ。
本土との学力格差の問題は、実は戦後一貫してあり、県教育界の最大の懸案事項となっている。1965年に実施された全国学力テストでも、沖縄は全国最下位だった。当時、ワースト2は鹿児島県だったが、数年後には一躍、九州のトップに躍り出た。当時の琉球政府文教局は鹿児島に学力調査団を送りそのノウハウを学ぼうとしたほどである。官民挙げてさまざまな取り組みがなされたが、実態は変わらないというのが現状だ。
確かに、長い目で見れば児童生徒の学力の低さは、県益の確保という観点からも弱点となるかもしれない。国政を動かす高級官僚の多少は、出身県にとって少なからぬ影響を及ぼすのは間違いなかろう。経済界はもちろん、学界などについても同じことが言える。
肝心なことは今回の調査結果を今後、どう学力向上に生かしていくか。行政だけに任せるわけにもいかない。月並みな言い方かもしれないが家庭や学校、地域がどれだけかかわることができるかだ。
これも以前から指摘されていることだが、沖縄の子どもたちの生活習慣についてである。学力テストと同時に実施された生活環境の調査を見ると問題点が浮かび上がる。「朝食を毎日食べているか」「学校のことで家族と話しているか」「家族と夕飯を一緒に食べているか」などの質問に、全国平均に比べていずれも5ポイントほど低いのだ。
夜更かしが過ぎ、規則正しい睡眠がない。朝食の時間もなく、親とのコミュニケーションもほとんどない。これは学力以前の問題だろう。つまり、学習する環境に乏しい、ということにならないか。
ここまで考えてくると、私たち大人の今なすべきことが見えてくる。誤解を恐れずに言えば、机に向かう前にまず、子どもには基本的生活習慣を身に付けさせるべきだ。
文科省にも言いたい。昨年77億円、今年58億円。これだけの予算を投入する意味が、全国学力テストにあるのか。アリバイ的な予算消化だとすれば、これほど無駄なこともない。むしろ、教員の拡充や30人学級の実現に力を注ぐべきだ。学校現場の充実こそが、学力向上への近道だと思う。
琉球新報 2008年8月31日
全国学力調査 毎年実施の意味あるか
多額の金と労力、全国の子供たちを巻き込んで、得られた結果は、この程度なのだろうか。そんな思いを抱かせる内容だ。
文部科学省が、四月に実施した全国学力・学習状況調査(学力テスト)の結果を発表した。
昨年度に続いて二回目で、全国の小学六年と中学三年のほぼ全員約二百二十三万人が参加した。
出題は前回と同様、国語と算数・数学の二教科で、知識と活用の能力を検証した。
文科省の分析によると、平均正答率は低くなったが、出題内容が難しかったためで、学力が低くなったとはいえない、という。
都道府県の平均正答率の差は、前回と同様プラス・マイナス5%以内で大きな差はなかった。
道内小中学生の成績は今回も全国平均を下回ったが、だからといって学力が低いと短絡的に評価するべきではないだろう。
併せて実施した児童・生徒への質問紙調査の結果からは、学校のきまり・規則を守り、テレビゲームなどをする時間が短い児童・生徒の方が、正答率が高い傾向にあることも分かるという。
これらの結果に、新鮮味があるとは思えない。
文科省は、データを蓄積していけば、多様な切り口での学力分析が可能になっていくと、全員参加型テストの意義を強調している。
しかし、実施には本年度も六十億円近い経費がかかった。初年度と合わせると約百三十億円に上る。
全国の小中学校の教職員が、実施に向けた準備に時間を費やし、子供たちは貴重な授業時間を割いた。
気になるのは、同時に行われた各学校への調査で、前回の学力テストの問題を授業でも活用したと回答した学校は、小、中学校とも五割に満たなかったことだ。
文科省は、「テスト問題をぜひ授業で使い、できなかった子供には補充的な指導をしてほしい」というが現実には役立っていない。
地域ごとの成績ランク付けや競争激化につながるとして、文科省は市町村・学校別の成績を各教育委員会に開示しないよう求めている。
この方針に対しては保護者の知る権利を制限していいのか、議論の余地が残る。膨大な個人情報の集積は漏えいの懸念や開示・非開示をめぐる混乱要因を構造的にはらんでいるといえよう。
自民党内などからも、「全員参加は数年に一度にして、あとはサンプル調査でいい」との声が出ている。
文科省は、現行のやり方にこだわらず、費用と効果に配慮した実施方法を検討すべきではないか。
北海道新聞 2008年8月30日
全国学力テスト「学力調査事業の再編が必要」
日本の小・中学生は、基礎知識はかなり身に付いているものの、活用したり応用する力がいまひとつ―。文部科学省が公表した今年度の全国学力テストの結果で、かねてから指摘されていた「活用力や応用力の不足」という課題が改めて浮き彫りになった。
しかし、心配されるような学力の低下は見られなかった。また町村部、へき地の公立学校の平均正答率は都市部を下回ったものの、学力格差が激しかった1960年代の学力テストの結果に比べ平準化し、大きな差は見られないことも分かった。
総じて憂慮すべき状況には至っていないが、都道府県の相対順位などで昨年度と同じ傾向が確認され、地域規模や家庭の所得が子供の成績と関連しているなど、対応が難しい問題が改めて裏付けられた。
教育委員会や学校は差異をきちんと受け止め、学習指導方法の見直しや教員配置、予算などの行財政施策にも調査結果を生かすべきだが、絶対に学校間競争の具にしてはならない。
というのは、全国学力テストが学校や地域の間での過剰な競争や序列化をあおるのではないかという懸念が依然根強く残っているからだ。
昨年度の学力テストでは、東京都内の小学校で教師が答案を指で示して誤答に気づかせる不正が発覚。今年度は滋賀県教委が独自の問題を作ってホームページに掲載していた。いずれも、全国テストで好成績を得ようという競争意識から生じたものだろう。
過去に全国テストが、過度な競争を招いたとして中止されたことを決して忘れてはならない。
昨年、全国学力テストを43年ぶりに再開したことについて、文科省は「全国的な学力や学習状況を把握し、各学校が課題を見つけて改善を図るため」と説明したが、2003年の国際学力調査で日本の低下傾向が明らかとなり、「ゆとり教育」に対する批判が高まったことが背景にある。
文科省は当面は毎年続ける意向を示しているが、国が教育政策の改善を図るために実施するのであれば、すでに国が実施している抽出方式のテストで十分だろうし、自治体レベルの学力調査もさまざまな形で実施されている。
教委や学校が改善のためのデータを得るためなら、全国学力テストに不参加の愛知県犬山市教委のように独自の教育改革に対応した検証方法が認められてしかるべきではないか。
全国学力テストには昨年度は約77億円、今年度は約58億円かかっている。学校規模と地域を考慮した抽出方式で実施すれば費用が大幅に削減でき、全校参加でなくとも所期の目的は達成できるだろう。
今年度は私立校の参加が約半数に減った。文科省は学力調査事業の在り方を見直し、再編すべきと考える。
陸奥新報 2008年8月30日
全国学力テスト 本県の教育力に誇りを
文部科学省が4月に実施した全国学力テスト(小学6年と中学3年対象)で本県の小学6年は、基礎的知識を問う国語Aと知識の活用力を調べる国語B、同じく算数A、Bの計4種類とも全国トップとなり、昨年に続いて完全制覇を果たした。中学3年も国語Aの1位をはじめ、4種類で昨年同様に3位以上の好成績を挙げた。
本県の教育関係者は昨年の全国トップに喜び半分、驚き半分だったが、2年連続トップは「実力の証明」ではないか。素直に喜びたい。
本県の小学6年、中学3年は国語A、Bと算数(数学)A、Bの4種類とも全国平均との差を昨年以上に広げた。特に小学6年の国語Bは昨年が全国平均を7・0ポイント上回っていたが、今年は12・4ポイントも上回った。県教委もこの点に注目しており、「全国平均との開きが大きくなったことは、本県の児童生徒の力が伸びていることの証し」としている。
全国トップの要因はさまざまな角度から分析できるが、教育行政面でみると、県教委が17年度に義務教育課内に設置した算数・数学学力向上推進班の取り組みや、18年度からの教育専門監制度などの施策の成果が出てきたといえる。専門監は当初4人だったが、本年度は地域別に小中校へ計15人配置し、周辺校も含め国語、算数(数学)、英語の模擬授業や現場教師の指導に当たっている。
こうした学力向上へ向けた県教委の姿勢を現場の教師が理解し、定着させてきたことが何よりも大きな要因だろう。
さらに見逃せないのは、家庭や地域の教育力だ。学力テストと同時に行われた生活習慣や学習環境に関する調査によると、秋田っ子は早寝早起き型で、朝食も家族と共にしっかり食べている。また、自宅での復習にも時間を割いている。祭りなど地域の各種行事にも積極的に参加するなど、家庭や地域に子どもを育てる力が備わっていることがうかがえる。さらに地域住民が自由に授業参観したり、地域に学校便りを配布するなど、学校と家庭や地域の連携、きずなが強い。こんな点が全国トップの背景にあるのではないか。
ただ、今後への課題もある。教育関係者によると、本県の学力、学習状況は「学年が上がるほどダウンする傾向」との指摘がある。小・中校レベルでは良好だが、それを高校段階までどう伸ばすかだ。そのためには小・中、中・高間の連携が一層求められる。隣り合う小・中校での公開研究会や授業の改善などへ向けた共同研究、また中高一貫校を軸にして周辺校も巻き込んだ共同研究などを充実させるべきだろう。関係者の奮起を期待したい。
ともかく連続しての全国トップは県民に自信と勇気を与えてくれた。経済の低迷などで閉塞(へいそく)感が漂う本県だが、子どもの頑張りに大人も負けられない。
秋田魁新報 2008年8月30日
全国学力テスト 早くも不要論が出るとは
二回目となる全国学力テストの結果が公表され、学力改善の課題や都道府県ごとの成績がほぼ前年と同様な結果を示したことで、早くも一部に「税金の無駄遣い」などといった学力テスト不要論がせり出してきたのは残念である。
石川県、富山県とも、昨年の成績をもとに学校ごとに学力向上プランを策定し、底上げをめざして授業の改善に生かしている最中である。今回のテストで、昨年と大きく異ならぬ課題が浮かび上がったことは、改善策をより一層確実に進めていかねばならないことを示している。学力向上策の成果が出るのは少し先になるだろうが、その成果を把握する意味でも、全国レベルで成績を公平に比較できる学力テストは必要である。
学力テスト不要論の背景には、テストの成績を市町単位で公表しない理由としてよく使われる「学校の序列化や競争の激化を生む」といった考えもあるかもしれない。しかし、経済協力開発機構が一昨年、加盟国の高校生に実施した学習到達度調査で、日本の科学的応用力の順位が二位から六位に下がったように、応用力を中心に、国際社会でも日本の子どもの学力低下がはっきり示されている。
そんな中で、教える側、学ぶ側双方に、健全な競争の刺激を与えることは意味があり、また、教育の課題を地域ぐるみで共有するためにも、テスト結果を公表する自治体がもっと増えていいだろう。
今回の学力テストでは、石川、富山とも、前回と同様、いずれの教科でも全国平均を上回る結果となった。石川では、小学校の応用的分野で、国語、算数とも昨年より大きく順位を上げ、富山では、いずれの教科も五位以内の成績を維持した。福井も含め、北陸の成績は全国で群を抜いているが、結果を分析し、学校教育の改善を進めてほしい。
全国的に共通する課題は、基礎知識の活用力である。石川県では対策として、大学教員ら支援アドバイザーの学校派遣を始めたが、テストによって問題意識が高まった結果と言えよう。今後も学習指導に生かしていきたい。
北國新聞 2008年8月30日
全国学力テスト 毎年実施の意義はどこに
小学六年と中学三年のほとんどの児童・生徒を対象に今春実施した全国学力テストの結果が、文部科学省から発表された。
全国一律のテスト実施は、四十数年ぶりとなった昨年に続く。今年も同じ学年が対象で、昨年同様、国語と算数(数学)の二教科で行われた。
テストの内容は、基礎的知識を問う問題と、知識を活用する問題に大別される。平均正答率が全般的に昨年より低下したが、問題を難しくしたためで、学力低下を示すものではないと文科省は説明する。
昨年の結果から、課題として浮かび上がった「知識の活用力不足」は、今回も同じ傾向と分かった。応用力の弱さは、経済協力開発機構(OECD)による学力調査の国際比較で、すでに明らかになっている。それが学力低下への批判を高め、全国テストの復活につながった経緯がある。
また、昨年同様に公表した都道府県別の成績でも、秋田県、福井県を上位とする順位にも大きな変動はなかった。
結局、全体としての結論は、昨年と比べ、ほとんど何も変わらなかったということになる。同じようなテストを行って、たった一年で大きな変化が起きるとは考えにくい。当然の帰結といえるだろう。
一方、この種の全国テストは、学校間の競争などを過熱させる心配もある。過去に取りやめた理由でもあり、成績の公表は都道府県レベルにとどめている。
しかし、昨年のテストで市町村別、学校別の成績をめぐり、鳥取県の条例に基づいた開示請求が出された。最終的に県教委が「非開示」としたのが大問題となったばかりだ。埼玉県でも開示請求が出るなど、教育現場の競争を再燃させるきっかけになりかねない、という難題も抱えている。
全国学力テストをめぐっては、不要論が少なくない。学習上の問題点や課題の把握なら、学校などを抽出して行う方法で十分だし、すでに国や自治体独自でも行っていることだ。「全国テストで現場は不安をあおられ、ますます多忙となり疲弊する」という教育専門家の指摘もあった。
こう見てくると問題点が目立ち、十分とはいえない教育予算の中で数十億円もの費用をかけて学力テストを毎年行う意義は見えにくい。来年また実施したとしても、同じような結果になるのではないか。
まずは、結果を徹底分析し、活用法をもっと探るべきだ。継続するかどうかは、意義と効果がはっきりしてからでいい。
神戸新聞 2008年8月30日
学テ再び最下位 意欲を引き出す工夫を
今年四月に小学六年と中学三年の全児童生徒を対象に実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で、沖縄県は二年連続で全国最下位となったことが分かった。文部科学省が公表した。
国語、算数・数学の二教科で、それぞれ基礎力をみるA問題と、応用力をみるB問題に分けて実施された。県内の小中学校の平均正答率は昨年に引き続き八科目すべてで最下位だった。
県教委は今回の結果をある程度予測していたようだ。
昨年十月に公表された前回の結果は、全国平均との差が大きく、しかもすべてで最下位だったことにショックを受けた県教委は県検証改善委員会を立ち上げ、改善プランを策定した。
今年から学校や家庭向けの冊子をつくり、実施の最中だった。
効果が出てくるのはこれからだと見ている。
最下位は最下位でも、平均正答率が全国平均と比べ、六科目で差が縮まり、中身はわずかながら向上している。一方で小学校国語Aと算数Aは逆に広がっている。
全国的にはA、B問題とも正答率が8―16ポイント低下し、難易度が上がった。県教委は全国と比較し、細かな分析をして対策を立てる必要があろう。
前回、粘りややる気がないと指摘された無解答率の高さは全国平均の二倍だったのに対し一・三倍にとどまった。
県教委は、同時に実施したアンケートの分析結果から子どもたちの「学びに向かう前向きの姿勢」がうかがえるとみている。
最下位ではあるが好転の兆しがみえるとの分析だ。
ただ、家で宿題をしているのは小学生、中学生とも全国平均を下回っている。
家庭学習など基本的な生活習慣の定着化を図るのが課題だ。
全国的には就学援助を受ける子どもが多い学校ほど正答率が低くなる傾向があり、所得による格差がみられる。
県検証改善委員会は昨年十二月、県内では両者に相関関係がみられないと報告しているが、さらに分析を深める必要がある。関係が認められれば、充実した支援策が求められよう。
県教委は今回の結果を受け、八月に十人から成る学力向上推進プロジェクトチームを設置した。学力問題は夜型社会、離婚率の高さ、低所得などが複合的に絡み、沖縄を映し出す鏡でもある。これらを含めた総合的な分析と対策が欠かせない。
二年連続で上位を占めた秋田県と福井県は、少人数学級でのきめ細かな指導や、自宅学習を習慣化し、学校と家庭の二人三脚が功を奏しているようだ。
子どもは好奇心のかたまりだ。知る喜びを感じれば、強制されなくてもおのずから学んでいく。
大切なことは子どもたちの「学ぶ意欲」「知る意欲」を引き出すことだ。
学力テストの結果に一喜一憂することなく、学校、家庭、地域が一緒になって子どもたちの意欲をはぐくむ雰囲気をつくっていきたい。
沖縄タイムス 2008年8月30日
医学部定員増 量とともに質も問われる
救急や産科、小児科などで医師が足りず、地域医療の崩壊が大きな問題となっていることを受け、医学部の定員増を目指す動きが活発になっている。
政府は医師数を抑制してきた姿勢を転換し、来年度の大学医学部の総定員数を過去最多の八千五百六十人程度とする方針を決めた。
厚生労働省の「安心と希望の医療確保ビジョン具体化に関する検討会」がまとめた中間報告では、医学部の定員を将来的に現在の一・五倍程度に当たる約一万二千人にする必要があると指摘している。
医師不足は都市部から離れるほど深刻になる。山間地や離島を抱える本県も地域医療を守るため苦労を強いられている。適正な医師数論はさておき、定員増が地方の医療再生につながるなら歓迎すべきことだ。
医学部の定員増を契機にあらためて論議を深め、具体的な取り組みを進めてほしいテーマがある。それは時代の要請に応じた医師像を示し、医療の質を向上させていくことだ。
それには国や大学など養成する側の体制と意識の改革が必要だ。数を増やせば事が足りる問題ではない。
増員の一義的な狙いは、医師不足が深刻な過疎地や産科などのなり手の少ない診療科で医療に携わる人材の確保にある。それだけに増員分が都市部に集中し、必要な診療科が充足しないようでは困る。
回り道に見えても「医は仁術」の原点を粘り強く説いていくことが大切ではないか。同時に医療に熱意を持ち、医師としての適性がある学生を選ぶ工夫がこれまで以上に求められよう。
各大学は、高齢化や高度医療に対応した医師の在り方などを教えるカリキュラムの充実に不断に取り組み、入試方法についても見直しや改善を怠らないようにしてほしい。
医師には患者の不安や悩みを受け止める全人的対応が求められる。高齢者らには身近なかかりつけ医の役割が重みを増し、こうした総合力がより重視される。生命倫理などをめぐる問題も複雑化する一方だ。
だからこそ技術を磨くだけでなく、医師としての理念など土台を固める教育に力を注ぐべきだ。
日弁連が司法試験合格者を増やす政府計画のペースダウンを求める緊急提言を採択したことは記憶に新しい。その理由は、合格者の増加に伴い、質の維持に危機感を抱いたからだった。
政府や大学、医学界はこの教訓を重くとらえ、きちんと対応しなければならない。医師の質の善しあしは患者の生命や健康に直接かかわる。数の議論ばかりに終始して法曹界の轍(てつ)を踏んでは医師増員の意味がなくなる。
新潟日報 2008年8月29日
奨学金制度 土台補強する論議を
国の奨学金制度の土台が大きく揺らいでいる。返済が三カ月以上止まっている延滞や、一年以上の滞納が年々増加し続けているからだ。
奨学金を受けて社会に出た人が、借りたときの契約に基づいて返すお金は、新しく奨学金を利用して進学する人の財源となる。滞納の増加は奨学金の根本理念も危うくする。
「不良債権」とも言える延滞額は二〇〇七年度末に二千二百五十三億円に上り、前年度末に比べて百七十九億円増えた。これは返済しなければならない奨学金全体の7%を占める。
財務省は多額の未回収金があるとして独立行政法人「日本学生支援機構」に、督促などの回収努力を求めた。回収できない場合は税金で穴埋めする可能性があり、危機感を強めている。
延滞や滞納は借りた人の責任が第一だが、返済できない理由として、「無職・失業」を挙げる人が多い。派遣労働の拡大など、卒業後に安定した職業が見つからないという若者の雇用環境の悪化も背景にある。
ただし、延滞や滞納の問題は、同機構が〇四年に旧日本育英会から業務を引き継ぐ以前からのものだ。会計検査院が育英会の延滞債権を見積もった際に、四百億円以上が回収不能と見込まれていた。督促や法的措置による回収を強化するだけでは、解決できない問題があるのではないか。
経済的に修学が困難な学生への無利子貸与から始まった奨学金制度は、その後、より条件の緩い有利子貸与を導入。親などの人的な連帯保証がなくても指定の機関が保証する制度も創設され、いまでは希望者のほとんどが借りられるまでになった。
そのこと自体は悪くはない。だが、若者の雇用環境の悪化はいまに始まったことではない。教育費の家計圧迫も長年の問題だ。返したくても返せない人の増加は予想されたのに、根本的な対策はほとんどとられていない。
返済金は奨学金制度の収入の大部分を占める、いわば土台だ。延滞や滞納の増加は、きちんと払っている人の間に不公平感も生みかねない。
その一方で奨学金の有利子貸与の月額上限は、〇八年度に十万円から十二万円に引き上げられた。与野党も政府も、奨学金の拡充には積極的だ。選挙が近づくとその傾向はより強まるだろうが、同時に「土台」をどう補強するかという議論も、避けては通れない。
高知新聞 2008年8月28日
今を生きる 考える 「大分」が迫る教員採用改革
夏休みを終え、子どもたちが教室に戻ってきた。先生にとっては勉強ばかりでなく、何が正しく、何がいけないことなのかを教える日々が始まる。
その先生を、子どもが疑いかねないような事件が、大分県で起こった。
教員採用試験の不正にかかわった大分県教育委員会事務局の幹部らと小学校の校長、教頭が逮捕、起訴された。管理職への昇任試験の不正に絡み、小学校の校長、教頭の三人が書類送検されたのに加え、現職の県教委ナンバー2も関与が指摘されている。
問題は判定用データ作成などの実務が一人に集中していたことだ。そこに口利きと商品券などの授受が絡み、不正が常態化した。教育長ら幹部が口利きなどを考慮する非公式の合否判定会議が存在したとの証言もあり、組織ぐるみだった可能性も否定できない。
昨年二月、大分の特定非営利活動法人(NPO法人)に情報が寄せられ、県教委に調査を求めたが、回答は「不正と認められる事実はない」。調査には事件の中心人物がかかわり、組織の自浄作用が働くことはなかった。
大分県警は、教員採用の競争率の高さも口利きの慣習化を招いたと見ている。二〇〇七年度の小学校教員採用試験の競争率は一一・九倍で全国平均の倍以上。財政悪化で正規採用の教員枠を広げず、非常勤講師を増やす傾向も「狭き門」に拍車をかけている。
とはいえ、「大分で起こったこと、では済まない」(渡海紀三朗前文部科学相)。文科省は七月に都道府県・政令市教委への調査を実施したが、「改善の余地がある」として再調査を決めた。戦後最大と言われる教員汚職の土壌を「大分の体質」と切り捨てるのでなく、他山の石として教員採用の不正防止策に生かしてもらいたい。
点数主義のジレンマ
京都府教委は本年度実施の採用試験を採点から合否判定まで、受験者が特定されない仕組みに変えた。
採点や合否判定では受験者の名前を伏せ、判定用データの作成には教職員課職員がかかわらないようにした。
これまでから複数の人間で採点を行っている京都市教委は本年度、企業など民間の面接官を増やすことで、透明性向上に努めたという。
受験生が自己チェックできるよう、両教委とも筆記試験の解答・配点を公表、結果の開示方法にも配慮した。
大分の事件に後押しされた形だが、一層の透明化にはジレンマもある。
点数主義の弊害をなくすため、面接などを通じて人物評価に力点を置いてきたが、選考基準を詳しく公表すれば受験テクニックのマニュアル化が進む恐れがあるからだ。
文科省の調査でも、昨年段階で公表していたのは二十教委にとどまる。
教員は、学力や生活環境に幅のある子どもたちや、多様化する保護者らと向き合わなければならない。透明性を確保しつつ、優秀な人材を得るための採用システムはどうあるべきか。絶えず見直す必要がある。
教委の閉鎖性も露呈
戦前の軍国主義教育への反省から、政治的中立性を守るために導入された教育委員会制度も、形骸(けいがい)化が叫ばれて久しい。大分の事件で、その機能不全が、またも露呈した。
〇六年、北海道滝川市で自殺した女児が残したいじめを示す遺書を公表しなかった教委の閉鎖性が問われた。
政府の教育再生会議が問題視し、教委への文科相の指導権限が地方教育行政法に「復活」した。かつて、地方分権一括推進法で廃止されたものだ。
今回も、同様の動きがみられる。
教育再生会議を引き継いだ教育再生懇談会が大分の事件を踏まえ、秋にも教委制度の抜本的見直しを打ち出す。
教委廃止論も出ているが、まずは今の枠組みで教委を活性化する道筋を考えるべきだ。委員の人選や会議の運営方法など工夫のしようはあろう。
さらに、再生懇からは都道府県教委が持つ人事権を中核市の教委などに移譲することへの異論も聞かれる。
しかし、子どもの実態に即した教育を行うには本来、権限を子どもの近くに置くのが望ましい。
大分の事件が教育の地方分権に水を差さぬよう、教員採用や教委制度を改革できるか。地方の覚悟が問われる。
京都新聞 2008年8月27日
医学部の定員増 医療改革へ総合対策を
「大学医学部の定員を早急に過去最大程度まで増員する」との方針が「骨太の方針2008」に盛り込まれたのを受け、具体化する作業が進んでいる。
「過去最大規模」の入学定員とは、8280人。2008年度は7793人だから、500人近い規模で増やすことになる。
医師増員は医療崩壊を防ぐ最も急務の対策といわれながら、国は長年、医師数削減方針を崩さなかった。その意味からは大転換といえる。
しかし、医学部定員増の直接的な効果が表れるのは、最初の入学生が卒業し2年間の臨床研修を終えてからであり、早くても8年以上先のことだ。医療崩壊を招かないための総合的な対策は一瞬たりとも緩められないことを指摘したい。
医師の養成は、大学医学部だけでは完結しない。卒業後、医療の現場で行う臨床研修が大きな意味を持つ。この臨床研修制度の見直しを含め、医師養成に関する厚労、文科両省の合同検討会を設置することが、24日決まった。
医療をめぐる問題は多様化している。医療供給側には、都市部と地方の格差、診療科による医師の偏在、病院勤務医の過労死寸前の多忙化、大都市圏での救急医療の機能不全などがある。
患者側にも、軽症なのに安易に救急外来を訪れる「コンビニ的受診」や、病院をはしごする「ドクターショッピング」、理不尽な要求をし医療者に暴力を振るうケースまで出てきた。医療崩壊は既に始まっているといえる。
これに対し、06年の新医師確保総合対策、07年の緊急医師確保対策を打ち出しながら、目立った成果が上がっていない。一時的な医師派遣や若干の待遇改善をしても根本的な解決にはならない。医療の高度化、患者の高齢化、意識の変化などを視野に入れた総合的な対策がとられていないからだ。
この方針転換の基となったのは、舛添要一厚労相の私的懇談会「安心と希望の医療確保ビジョン」が6月にまとめた最終報告。それによると、総合的な診療能力を持つ医師の育成、女性医師の離職防止・復職支援、医師と看護師・臨床検査技師らとの一層の協働などを提言している。
さらに、地域完結型医療、在宅医療の推進、患者や家族の医療に関する理解の支援なども盛り込んでいる。いずれも繰り返し指摘されてきたことだが、実効性ある政策につなげられるか注目したい。
今春から医師不足が深刻な地域を対象に、限定的に医学部定員の増加が認められた。岩手医大医学部でも08年度から10人増えて90人の定員となった。
しかし、このときの増員は医師数削減方針のまま、将来の分を前倒しで養成するという考え方で、医大への補助、奨学金など地方の負担は多かった。今回は国の方針転換に伴うものであり、国は手厚い支援策を講ずべきであることはいうまでもない。
岩手日報 2008年8月26日
全国学力テスト やはり成績開示は慎重に
全国一斉テストの市町村別、学校別成績を一般に公開することは、是か非か。
昨年春に実施された全国学力テストをめぐって、鳥取県内の成績公開を条例に基づいて求めた請求に対し、県情報公開審議会が「開示」の答申を出した。全国初の開示となるのか、大きな注目が集まったが、先ごろ県教委は非開示を決めた。
文部科学省は、学校別などの成績公表は過度の序列化を招くとして非開示を要請する通知を都道府県教委に出していた。また鳥取県内の市町村教委も非開示を強く求めていた。このため県教委は、開示の影響があまりに大きいと判断したようだ。
情報公開の流れの中で「その精神に反する」との批判や、「学校間の競い合いの芽をつむ」という意見がある。ただ、今回のような情報を開示すれば、公立学校の序列化を過熱させる恐れがぬぐえない以上、やはり慎重にならざるを得ないだろう。
全国学力テストは、小学六年と中学三年を対象に国語と算数(数学)で昨春、四十数年ぶりに行われ、今春にも実施された。ほとんどの国公立校が参加している。
文科省は全国テストの実施理由を「全国的な学力や学習状況をつかんで各学校が課題を見つけて指導の素材にしてもらうため」と説明してきた。近年、国際調査で日本の学力が低下傾向をたどるなど、学力低下への批判の高まりもあった。
半年後に発表された概要では、心配されたほどの学力低下は見られず、成績比較も都道府県レベルにとどめた。
隣の学校との優劣を知りたくなるのは世の常だろう。内閣府が保護者に行った調査でも七割が「学校ごとの成績を公表すべき」と回答している。だが、過去の全国テストは学校間競争が過熱したため中止されたことを忘れてはならない。
そもそも、全国一律で全員に課すテスト自体に「屋上屋を架す」とする声は少なくなかった。学習上の問題点や課題の把握なら学校などを抽出して行う方式で十分だし、国や自治体独自でも行われてきた。
全国テストは一回数十億円もかかる。日本の教育予算が先進国でも最低レベルにとどまる中で、有効な使い道といえるのか。与党内にも「無駄」の声が上がる。
子ども一人一人の学力向上は教育の重要な目標であるのはいうまでもない。全国テストも手法の一つなのだろう。だが、さまざまな課題がある以上、テストのあり方も含めて議論を深めるべきだ。
神戸新聞 2008年8月17日
鳥取「学力テスト」 非開示でよかったのか
全国学力テストの市町村別、学校別の成績を開示するかどうか。鳥取県情報公開条例に基づく請求に対し、県教委は「非開示が適当」という判断を下した。「過度の競争や序列化を生みかねない」という懸念や反発の声に押され、「開示すべきだ」との県情報公開審議会の答申まで覆した。本当に、それでいいのだろうか。
請求があったのは、二〇〇七年度、全国の小学六年生と中学三年生を対象に文部科学省が行った学力テストの鳥取県分である。もし開示を認めていれば、全国でも初めてのケースだった。
住民の知る権利を保障する情報公開という観点からは、大きな後退とも言えるかもしれない。ただ、教育現場や家庭の動揺などを考えれば、やむを得ない面があるのも確かだろう。
鳥取県の情報公開条例には、小・中学生の学力調査については十人以下の学級を除き、集計結果を学級ごとの単位まで開示しなければならない―とする、ユニークな条項がある。
文科省の学力テストに先立つ〇二年度、児童・生徒の基礎学力調査を県独自でスタートさせたからだ。県議会から「税金で調査する以上は、データを公開するべきだ」と注文が付いた。
〇六年度までに四回続けた学力調査では、学級ごとの成績まで明らかにしても、表立った反対の声は出なかった。ペーパーテストの点数が独り歩きしないように、家庭での学習態度や生活習慣のチェックと併せて調査結果を知らせた配慮が、保護者たちにも理解されたからだろう。試験科目も、国語と数学(算数)だけの国のテストに比べ、県の調査は五教科(小六は四教科)と多様だった。
これに対し、全国学力テストは一九六〇年代に、地域間や学校間の競争を激化させるとして、中止に追い込まれたいわくつきのテストである。安倍晋三前首相が「教育再生」を掲げる中、学力向上などの判断材料にするため、〇七年四月に復活させた。私学の参加もあって、結果を公表することで「保護者に学校選択の材料を提供できる」とされた。
こうした状況を考えれば、今回の開示の動きに「学校が序列化されてしまう」と反発が出たのも無理はない。「非開示」を求める要請書が、県内の市町村教委の研究協議会や教職員組合をはじめ、全国の教育関係者などからも届いている。
もちろん、基本になるのは、子どものために、何をどうするのがベストかを考えることだろう。学校や教委、教員だけで判断するのでは、独り善がりになりやすい。汚職事件で明るみに出た大分県教委の閉鎖的な体質を持ち出すまでもあるまい。
子どもたちのプライバシー保護の問題もあるだろう。どのような形にしていけば、学校現場の混乱が少ない開示が可能になるだろうか。保護者や地域住民を含めて、もっとオープンに議論を深めてほしい。
中国新聞 2008年8月13日
学テ開示問題 当初の懸念が現実になった
小中学生を対象にした全国学力テストの市町村別、学校別の結果を開示するかどうか。その判断を求められていた鳥取県教育委員会はきのう、非開示と決定した。
テスト結果の公表をめぐっては、情報公開請求が出れば開示は拒めないとの懸念が実施前からあった。鳥取県の開示請求はその懸念が現実になったものだ。
県教委が持っている学力テストのデータは、市町村や学校ごとの平均正答率の一覧だ。これが開示されると学校別の成績一覧表ができる。テストの結果公表は地域、学校間の序列化を推し進め、競争激化を招くことは容易に想像できる。
一九六〇年代の学力テストが中止に追い込まれたのは激しい得点競争が自治体、学校間で繰り広げられた結果だったことを思い出したい。子どもたちへの配慮も必要だし、教育現場の混乱も避けねばならない。
また、テスト結果は地域や学校の教育力の一部にすぎず、公表には学校現場や子どもの地道な努力を否定しかねない側面がある。県教委の非開示決定は妥当といえる。
学力テストは教育施策や指導の改善に活用するのが目的である。今のような学年全員を対象にするのでなく、抽出方式で十分だろう。
約七十七億円の巨費を投じるなら教員の増員に当てるべきとの指摘もある。自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチームも「不要」としている。
文部科学省は学校名、市町村名を公表しないよう要請していた。もし「開示」だったならば実施方法など手直しを迫られていたはずだ。継続の是非を含めた学力テストの見直しを求めたい。
教育長は、県教委の非開示決定を取り消した県情報公開審議会の答申を尊重する考えを示していた。しかし、市町村教委などの根強い反発が県の開示方針を覆した。
もともと学力テストの参加主体は学校の設置管理者の市町村教委だ。県教委が上から一律に決める事柄ではない。市町村の意見を反映せざるを得なかったのも当然だろう。
ただ、鳥取県の情報公開条例は、県独自のテストを想定し、全県的な学力調査の結果について十人以下の学級を除き情報を開示するように定めている。非開示決定は条例違反の恐れもあり、今後も論議を呼ぶのは間違いない。
行政に情報公開を求める住民の意識は高まっている。公開制度も定着してきた。現に大阪府枚方市が実施した学力テストの学校別結果の非公開は違法と判断された。
開示が教育の質を高めるとの意見もある。一律の開示、非開示は別にして保護者らに十分な説明と情報提供が必要なことはいうまでもない。
愛媛新聞 2008年8月12日
私大生き残り 地方の試練が始まる
十八歳人口の減少を背景に、四年制私立大を選別する流れが地方の小規模校を中心に強まっている。
日本私立学校振興・共済事業団の調べによると、今春、定員割れを起こした私立大は全体の47・1%と過去最悪を記録したが、都市圏と比べ地方圏の苦戦が目立っている。
文部科学省は定員割れの大学に対する経常費補助金の削減を強化しているから、入学者の減少は大学の存立基盤を危うくする。生き残りのためには、教育や研究内容を再点検し、魅力を高めるしかない。
調査対象の全国五百六十五校のうち定員割れだったのは二百六十六校。定員割れは一九九八年は8%だったからこの十年で大幅に増えている。
入学者の減り方は均等ではない。
「入学定員充足率」は、東京の116%を筆頭に、南関東、京都、大阪では100%を超えている。この半面、四国は83%しかなく、中国、北関東、北海道なども100%を下回った。志願倍率は定員規模の大きい大学ほど高くなる傾向があり、地方の小規模校は二極化のしわ寄せを受けた格好だ。
しかも文科省は定員充足率が下がるほど経常費補助金をカットする政策を強化している。大学にとっては死活問題で、実際、経営状態の悪化が指摘される事例は少なくない。
こうした現象は、十八歳人口の減少が引き金になっているが、それだけではない。
一九九〇年代からの規制緩和によって大学の設置は容易になり、この十年間をとっても大学数は増えている。つまりより厳しい競争にさらす中で、それに耐えた大学だけが存続を許される政策ともいえる。
地方の私立大は総じて規模が小さく、地方経済の疲弊もあって卒業生の就職活動でもハンディがある。極めて厳しい条件下に置かれているが、もし破たんすれば学生や地域社会に与える影響は計り知れない。
経営改善の余地はありそうだ。人口減少に対応した定員規模の見直しをはじめ、地域の特性に合った教育・研究の推進、社会人や定年退職者への開放など課題は多い。高知工科大が来春からの公立大法人への転換を表明し、学部を再編するのも、こうした流れの一つであろう。
単なる生き残り策ではなく、大学再生につながるかどうかも問われる。
高知新聞 2008年8月11日
文科省無駄撲滅 まず歳出削減ありきでは
あれもこれも、みんな無駄だったのか。「政策の棚卸し」の結果には驚くより疑問の思いが膨らむ。
自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)が、文部科学省の主要事業の必要性を検討した結果、十事業を「不要」、六事業を「今のままなら不要」とした。この十六事業の本年度の予算総額は約千六百億円に上る。
PTは与党の立場から政府の歳出削減策を検討するのが狙いだ。文科省から始め、各省庁にも棚卸しの手を伸ばす。今後どれだけの無駄遣いが指摘されるのか見ものでもある。
文科省では自民党が積極的に進めてきた全国学力、体力調査が「今のままなら不要」とされた。理由は「全員を対象に毎年実施する必要性が認められない」だ。道徳教育の副教材として配布されている心のノートも「今のままなら不要」とした。
全国学力、体力調査や心のノートは導入時から反対を含めて論議があった。棚卸しの結果が「不要」では、当時の論議は何だったのか。思いつきで始めた事業だったのかと言いたくなる。
このほか「豊かな体験活動」や「総合型地域スポーツクラブ育成」「子どもの総合食育」、文科省所管の独立行政法人「教員研修センター」なども不要と判断された。
また、大学関係では本年度に計百億円以上が計上された「大学教育の国際化加速プログラム」や「質の高い大学教育推進プログラム」を不要と結論付けた。歳出削減の刀を縦横無尽に振るったように見える。
無駄遣いを徹底的に洗い出すことには大いに賛成である。だが、体験活動やスポーツクラブ育成、総合食育などの事業が無駄だとは思えない。PTの判断には「削減ありき」が先にあったのではないか。
農山漁村で自然と触れ合うことは環境問題を学ぶ第一歩となろう。食育は自給率の引き上げなど食料問題を考える足掛かりとなる。地域のスポーツクラブは少子化の中で子どもたちの体力増進に欠かせない。
いずれも子どもたちが大人になったときに直面する問題である。効率だけで論じられていいものではない。事業の中身を精査してのものだったのかと問いたい。
むしろ本当の無駄は一貫しない教育行政そのものにあるのではないか。ゆとり教育からの転換など、教育指針が猫の目のように変わる。その度に教師や子どもが右往左往させられる。これこそ大いなる無駄であろう。
教育には時間とカネが掛かる。不動の柱がなくて何が教育か。無駄遣いの撲滅と文科省の改革は一体でなければならない。
新潟日報 2008年8月10日
まず医局運営の民主化を
横浜市立大学医学部を舞台に、特定の医局で学位取得をめぐって謝礼金の受け渡しが長年行われている-。こんな内部通報が大学のコンプライアンス(倫理法令順守)推進委員会に寄せられてから約九カ月。同大はようやく関係者の処分までこぎつけた。
計二十人もの教授、准教授が、謝礼金を受け取ったことや管理・監督上の責任を問われた。そのこと自体、「あしき慣習」が学内に蔓延(まんえん)していたことを示すもので、極めて残念な結果だ。
今回の問題は、同大の評価を著しく損ねた。さらに、学位取得者から審査に当たった教授らに多額の謝礼金が贈られていたことは、学位の審査手続きと学位そのものに対する社会の信頼をも大きく揺るがす結果を招いた。
「慣例として行われており、金品のやりとりによる学位審査への影響はなかった」。謝礼金の授受の趣旨について、大学が設けた対策委員会は、報告書の中でこう結論付けてはいるものの、世間の常識から懸け離れた慣習であること自体には間違いなく、容認できるものでは決してない。
処分という一つの区切りがついたからといって、それを免罪符に幕引きのできるたぐいの事柄ではないことを、関係者はまず肝に銘じるべきだろう。その上で、何ができるのか、大学の教職員が一丸となって知恵を絞り、揺らいだ信頼を回復するための一歩を踏み出すことが肝心だ。
そのためにはまず、こうした悪弊をなぜ断ち切れなかったのかについて、思いを巡らす必要がある。関係者によると、学位取得をめぐる謝礼金のやりとりは、「やましい行為だと分かっていても、医局の慣例となっていてやめられなかった」といわれる。
教授室という密室の中で代々受け継がれ、ある医局では謝礼金をプールするための専用の口座まであったというから、まさに常態化していたといってよい。
同大医学部の医局がすべてこうしたありようだったとは思いたくない。中には「あしき慣習とは決別している」と胸を張る教授も少なからずいるはずだ。
しかし、教授を頂点に診療科ごとに設けられた「医局」は、任意の組織でありながら、関連病院も含めた医師の人事権を長らく握ってもきた。対策委の報告書の中でも、「医局を主宰する教授の権限が強大になりすぎた場合、人事、予算などを独占し、閉鎖的な組織になりがちとなる」とその弊害が指摘されている。今回の処分を契機に、「医局改革」に本格的に乗り出すときではないか。
少なくとも、「絶対君主」と恐れられるような教授の存在を許す風土は改めたい。医局で研鑽(けんさん)を積む若い医師が、研究に、そして患者の治療に専念できる、真に民主的な医局を目指すべきだ。
神奈川新聞 2008年8月9日
私大定員割れ 「なぜ学ぶのか」問い直せ
今春の入試で、四年制私立大学のほぼ二校に一校が「定員割れ」を起こしていたことが分かった。
少子化による「大学全入時代」を迎え、小中規模の私立大を中心に経営環境は一段と厳しさを増している。生き残るには、基盤強化が欠かせない。
日本私立学校振興・共済事業団がまとめた調査で、ほぼ全校にあたる全国五百六十五校のうち、約47%の二百六十六校が定員割れだった。前年よりも四十四校増え、過去最悪の水準だ。
十年前の一九九八年度は8%にすぎない。いかに定員割れ校が急増したかを示す数字だ。入学者が定員の半数に満たない大学も三十近くある。
定員割れの要因は少子化による十八歳人口の減少と大学数の増加だが、状況は一様ではない。地方の小規模私大は敬遠され、都市部の大規模私大に志願者が集中する。規模や所在地による二極化が際立っている。
入学定員三千人以上の大規模私大の数は全体の4%程度にすぎないが、志願者数は全体のほぼ半数を占める。定員の充足率を地域別にみると、東京都や京都・大阪などは100%を超えたのに対し、四国や中国は80%台だ。
定員割れが進むと、国からの補助金が削減され、さらに経営が追い詰められるという悪循環に陥る。魅力のある教育を打ち出さなければ、地方の小規模私大は「退場」を免れない。
しかし、現状は教育の充実よりも、入試のハードルを下げることで学生を獲得しようとする傾向が強い。
書類や面接で選抜するアドミッション・オフィス(AO)入試を実施する私大は70%を超える。学力以外の秀でた面を評価する制度のはずだが、理念は薄れ、安易な学生獲得の手段となっている。
「学力不問」ともいえる入試の広がりで、大学教員の60%が新入生の学力低下を問題視する。高校の学習内容を大学で補習することも珍しくない。
中央教育審議会が先月まとめた答申案に、初めて大卒者が身につけるべき能力を「学士力」として打ち出したのも、学力低下への危機感からだ。
答申案は一層の改革も迫る。「質の維持・向上の努力を怠り、社会の負託に応えられない大学は淘汰(とうた)を避けられない」と警告した。
私大も含め地方の大学が地域社会の要請に応える人材を送り出してきたことを考えれば、人材育成に絞った学部・学科の再編も検討すべきだ。魅力ある大学づくりには、補助金頼みから脱却する、意識の改革が欠かせない。
大学入試は受験競争の激化など、学校教育をゆがめる元凶だとみられてきた。入試の状況が一変し、「なぜ学ぶのか」がより問われる時代になった。今こそ、初・中等教育も巻き込んだ本質的な議論が必要だ。
京都新聞 2008年8月5日
教員採用改善 付け焼き刃ではだめだ
際限なく広がった大分県教委の汚職事件を受け、文部科学省は全国64の都道府県・政令市の教育委員会を対象に教員採用について実態調査した。すべての教委が何らかの改善策に取り組む意向だが、熱意には差がある。付け焼き刃では不正防止や透明性確保に十分な効果は期待しづらい。
大分県教委ではナンバー2の現職教育審議監までが、元職に続いて捜査対象となった。県警は昇進人事にもメスを入れており、事件は組織ぐるみの様相を濃くしている。権限が幹部に集中し、恣意(しい)的な評価を許した体質が不正の温床になった。いま求められているのは、こうした土壌まで掘り下げた上での対処法だ。
事件は「独立王国」とも評されるほど閉鎖的な教育委員会制度のありようを問うている。各教委は危機感を持ち、体質改善を急がなければならない。採用システムを改善するだけでは限界があり、かかわる人間の意識が低ければ、抜け道を生む。
全国調査では新たな不正行為は見つからなかった。だが、昨年の採用選考では48教委が特定の受験者の合否を地元議員らに個別連絡していた。口利きとはいえないとしても、不公平な処遇が平然と行われていたことは感覚のまひが疑われる。
文科省調査からは、事件に背中を押されるように、対応策を打ち出した様子が透けて見える。採用選考基準の公表には、昨年まで「受験対策が進み選考に影響する」などと及び腰だったのに、踏み切る教委は倍以上に増えた。だが、全項目を公表しているのは14教委にとどまる。
面接や答案の点数改ざんを防ぐ元データと確定データとの照合は、依然として27教委が実施していないのも首をかしげる。受験者名を匿名にする教委が増えたが、鹿児島は複数で点検する体制ができているとして見送った。しかし、二重、三重の防止策、チェックはあっていい。
各教委は「コネがなければ教員にはなれない」といった疑念を一掃する覚悟で、あらゆる方策を講じるべきだ。点数主義の弊害に陥ってはならないが、選考基準や試験問題の公表は厳正さを担保する。面接に外部民間人を活用すれば、透明性や幅広い人材の確保にもつながろう。
失墜した教育への信頼回復は急務だ。これから教育改革や学力向上に取り組むにも意欲と能力ある担い手の確保が欠かせない。そのために採用試験や人事が機能するよう、点検と改善を前向きに続けてほしい。
南日本新聞 2008年8月3日
私大定員割れ 生き残りへ地域と一体で
定員割れを抱える四年制私立大学が増え続けている。日本私立学校振興・共済事業団の調査によると、今春の入学者が定員を下回った私大は前年度を7・4ポイント上回る47・1%(二百六十六校)で過去最悪となった。大学経営を取り巻く環境は一段と厳しさを増してきた。
一九九八年度の8%から、この十年間で約六倍にも跳ね上がった。しかも、大都市や規模の大きい私大には学生が集まる一方で、地方や小規模な私大は苦戦を強いられる「二極化」が進んでいる。
定員割れが広がる背景には少子化に伴う十八歳人口の減少に加え、規制緩和による参入や学部の多様化で定員が増えていることなどが挙げられる。文部科学省は、定員割れの学校に対する経常費補助金の削減率を強め是正を促しているが、定員は増え続けて本年度は約四十四万八千人に上る。事業団は「多くは規模を縮小しないと将来、淘汰(とうた)される」と警鐘を鳴らす。
激しい大学間競争の中、地方の私大が生き残っていく上で鍵を握るのは大学と地域のきずなの強さだろう。時代の要請に応じた特色ある学部・学科の設置や、効率的な運営など大学の自己改革はもちろん、地域に開かれ貢献する大学として信頼を築いていくことが大切だ。
地元にも大学への強い思い入れが求められる。地方にある大学は学究の場だけでなく、学生たちが集い生活することで生じる経済効果をはじめ地域に活力をもたらす貴重な存在である。大学が消えることは地域の衰退を意味する。魅力あるまちづくりや就職の受け皿整備など有形無形の支援が欠かせない。
大学と地域が危機意識を共有し、生き残りへ向けて一体となって取り組みを強め、大学の存在感を高めてもらいたい。
山陽新聞 2008年8月1日