法科大学院 乱立解消は避けて通れない
法律家を養成する機関として、法科大学院の教育体制をどう改善していくのか――。司法制度改革を実のあるものにするうえで、急を要する課題である。
中央教育審議会の特別委員会が法科大学院教育の質向上に関する中間報告をまとめた。新司法試験の合格率の低迷が続いたり、定員割れに陥ったりしている法科大学院は、自主的に定員の削減を検討すべきだとした。
法曹人口を増加させつつ、裁判官、検察官、弁護士の質の低下を防ぐには、法科大学院の教育レベルの底上げが肝要だ。
経営上の理由から定員を多めに設定した結果、きめ細かい実務教育が不十分な大学院が多いとされる。実績を残せない大学院は、教育の質向上の観点から定員削減に踏み切るべきである。
法科大学院数は74に上り、乱立状態といえる。総定員は約5800人に達している。
新司法試験の合格率は当初、7〜8割が目安とされたが、今年の合格率は33%だった。新試験導入からまだ3年目とはいえ、実態は当初の狙いとかけ離れている。
今回の試験で、合格者がゼロだった大学院が3校あった。実績が振るわない大学院に学生が集まらなくなり、淘汰(とうた)されていくのは、自然の流れといえる。今後、統廃合は避けて通れまい。
新司法試験の合格者数の伸びも鈍化している。今年は法務省が最低線としていた2100人を下回り、2065人だった。
司法制度改革は、法的サービスを充実させ、司法を身近なものにするのが主眼だ。その実現には、弁護士を中心とした法曹人口を大幅に増やすことが欠かせない。
政府は2010年までに新司法試験の合格者を3000人に増やすとしているが、その方針は、堅持する必要がある。
合格率が低く、合格者が増えないままでは、有能な人材が法曹界に進むのを敬遠するようになる。そうなれば、学生の質の維持は一層、困難になる。
優れた教員をそろえた大学院で、数を絞り込んだ学生に、質の高い教育を施す。法曹界、教育界が協力して、そうした体制を整備することが、合格率向上、合格者数の増加につながるだろう。
法科大学院は第三者機関の評価を受けている。だが、専任教員数などが基準を満たしているかどうかといった外形的な評価が中心となっている。教育の質を見極める評価制度の導入も急務である。
讀賣新聞 2008年10月6日
留学生政策 30万人受け入れへ議論深めよ
国境を越えた人材の移動が増える中で、欧米諸国の大学は、優秀な留学生の獲得競争にしのぎを削っている。
とりわけ、米国の大学は、中国などアジア諸国の優秀な学生に最も人気のある留学先になっている。日本の大学が後れを取り戻すためには、留学生政策の抜本的な見直しが必要だろう。
政府は、大学などで学ぶ留学生を、現在の12万人から2020年をめどに30万人にまで増やすことをめざす「留学生30万人計画」の骨子を策定した。
政府が留学生受け入れ政策を打ち出すのは、1983年に「留学生受け入れ10万人計画」を掲げて以来、25年ぶりのことだ。
大学や大学院の国際化が進み、研究が活性化すれば、科学技術の振興や産業の国際競争力向上にも役立つ。
日本と諸外国との懸け橋となる優秀な人材を育てることは、国際社会で日本が発言力を増す上でも重要なことだ。
欧米諸国の受け入れ状況は、米国が58万人、非英語圏の仏独でも25万人前後で、日本の12万人を大きく上回っている。
受け入れ人数は、大学の魅力を示すバロメーターだろう。
留学生30万人計画には、国際化の拠点として30の大学を選定し、原則英語のみで学位が取得できるコースを設けたり、外国人教員の採用を増やしたりして教育水準を高めることなどを盛り込んだ。
英紙ザ・タイムズが昨年公表した世界大学ランキングでは、東大が17位、京大が25位だった。教員や学生のうち、外国人が占める比率も評価の指標に入っている。改善が進めば、日本の大学の評価も全体に向上するはずだ。
外国人を採用する日本企業が少ないため、卒業後の就職が難しいことも“障壁”の一つだ。
政府は昨年から、アジア人財資金構想に基づく教育プログラムをスタートさせた。
大学と協力企業で「ビジネス日本語」や「企業実習」など企業側のニーズに合った専門教育プログラムを用意し、これを受講した留学生は、企業が原則採用するという仕組みだ。
こうした産学連携を一層強化していくことも必要だろう。
海外での日本語教育の推進や、日本留学希望者のための海外の窓口一元化なども、30万人計画の重要な柱だ。
こうしたプランの早急な具体化に向けて、さらに議論を深めていかなければならない。
讀賣新聞 2008年10月6日
再編避けられぬ法科大学院
法曹を大幅に増やすための養成機関なのに、その役割が果たせなくなっているのではないか。発足から4年を経た法科大学院の実情をみると、そんな懸念を深めざるを得ない。中央教育審議会も入学定員の削減や再編・統合を初めて提言した。これを機に、各校は自主的に思いきった改革を進める必要がある。
今年の新司法試験は全国74の法科大学院すべての修了者が受験し、昨年に比べ200人ほど多い2065人が合格した。しかし合格率は32.9%と約7ポイント下がり、合格者ゼロが国立も含め3校あった。
新司法試験は、法科大学院で学んだ知識や技能が身に付いたかどうかを見極める資格試験という位置づけだ。だから修了者の7―8割は関門を突破できる。こんな青写真が示されていたからこそ法科大学院は幅広い志願者を集めてきた。
そのもくろみが大きく外れた要因は、乱立と過大な入学定員にある。74校も認可した文部科学省の制度設計ミスは責められるべきだが、しっかりした指導体制を整えないまま開設に走った大学も多い。そのツケが回ってきたのはたしかだ。
今のままでは法科大学院を目指す意味が薄れ、魅力が大きく減じてしまう。とりわけ一部の小規模校や地方校は危機的だ。名ばかりの法曹養成機関では優秀な志願者も指導教員も十分に確保できず、試験合格はおぼつかなくなる。すでに一部の大学院がこの悪循環に陥りつつある。
中教審の特別委員会がまとめた提言は、まずそうした不振校は定員削減や他校との統合を進めるよう求めている。文科省がその失策を認めて路線転換した形で、今後、実績の上がっている大学院も含めて影響が出るのは必至だ。国公立、私立を問わず教育内容を充実させるために大胆な再編の道を探り、それができないなら撤退も考える時期である。
法曹増員のペースダウンを主張する日本弁護士連合会は、その理由のひとつに新司法試験合格者の「質」を挙げている。しかし法科大学院が本来の姿を取り戻せば優秀な人材が集まりやすくなり「質」と「量」の両立も可能になるだろう。「大きな司法」の基盤を固めるためにも法科大学院の自己改革は急務である。
日本経済新聞 2008年10月5日
学力テスト結果 公表し上位の地域に学べ
全国学力テストをめぐり、自治体の首長が相次ぎ市町村別結果の公表を教育委員会に求め、論議を呼んでいる。
埼玉県の上田清司知事は記者会見で「公表した方がいい」との考えを示し、非公表の理由とされる「序列化や過度の競争につながる」との意見には「とんでもない。事実を確認することで取るべき対策が分かる」と話した。
また、大阪府の橋下徹知事は府の学力テストの成績が悪かったことなどについて16市長と意見交換し、その際、豊中市長や柏原市長らからは市町村別結果を公表すべきだとする知事の意見に賛成する意見が出されたという。
このほか寺田典城秋田県知事や平井伸治鳥取県知事が開示を求めている。平井知事は予算で差をつける意向も示している。
予算を絡めることの是非はともかく、地域別の結果を必要に応じて開示し、成績の良くない地域が成績上位地域の指導方法や学校運営を学び、学力向上に生かすことは必要であろう。
文部科学省は都道府県別の結果のみを公表し、市町村別結果の扱いについては市町村教委の判断に委ねている。小学校では秋田県、中学校は福井県が昨年に続いて今年もトップだった。
秋田県は優秀な「スーパーティーチャー」に複数校を兼務させるなどして、優れた指導技術の浸透を図っている。福井県は平成15年度以降、小学校低学年の授業に保護者などのボランティアを参加させ、地域ぐるみの教育を展開している。こうした取り組みは他の自治体の参考になるはずだ。
同じことは市町村についても言える。データを有効に生かし、互いに切磋琢磨(せっさたくま)しなければ全国一斉学力テストを行う意味がない。
学力テストをめぐる問題は昭和30年代にさかのぼる。36年に行われた全国学力テストに対し、日教組はボイコットを含む激しい反対闘争を展開した。学力テストの結果が教員勤務評定につながることを恐れたためといわれる。
このため、旧文部省は昭和41年に全国一斉テストを断念し、数年ごとの抽出調査に切り替えた。だが最近、ゆとり教育による学力低下が深刻化したこともあり、昨年から一斉テストが再開された。
市町村教委は学校や教員が評価されることを恐れず、積極的に学力を公表し、地域の子供たちの学力向上に役立てるべきである。
産経新聞 2008年9月19日
教員採用 もっと踏み込んだ調査が必要
大分県の教員採用汚職を受け、文部科学省は都道府県・政令市教育委員会に対し2回目の採用選考法の改善状況調査をした。
アンケートによると、大半の教委が事件後何らかの見直しをし、部外者によるチェック、問題・解答・配点や選考基準の公表、成績の本人への開示などを実施するところが増えている。
その効果を期待したい。しかし、東京の文科省でこれらのアンケート結果をながめているだけでは、実態は見届けようがない。
大分の事件は多額の金券が動かぬ物証となり、刑事事件になった。捜査によって、それが「出来心」や「例外的な不心得者」による不正ではなく、半ば慣行的に広く続いてきたコネと口利き横行の土壌から派生したことが分かってきた。
大分だけではない。こうした疑惑は各地にあり、過去にも散発的に表面化することはあった。だが、文科省は、基本的に採用は教委が行うべきものという考え方から、その実態解明や改善に積極的に関与することはなかった。
確かに教委が地域の教育目標や課題に合わせ教員採用に工夫をし、独自色を出すのは当然で、国が一律のやり方や基準を押しつけるのは物理的にも無理だ。
しかし一方では、採用や昇進人事をめぐる不正不当な操作が、大分の事件のように贈収賄の形をとるまでもなく、学閥や有力者とのコネ、議員介入などで起きる。事前の問題漏えいや対策指導という例もある。
大分では事件表面化後、県議の中にも口利きをしていた例が明らかになり、県議会は県の人事に絡む口利きを一切しないという異例の宣言をした。根は深い。口利きをしてくれる有力者に頼ったり、利用する側の責任も問う必要がある。
また教委の閉鎖的体質や身内意識も事件に表れた。それで、例えば選考過程に部外者をかかわらせる教委が増えるのはいいことだが、そんなに簡単に改まるのか。慣行を破り、受験者が公平をより強く実感、納得できるような選考法導入には、相当の改善努力や試行錯誤がいるはずだ。
だから文科省はあら探しではなく、実例を掘り下げ、どんな方法が理にかなうか、その過程にどんな障害があるかなどを検証し、全国の教委が共有・活用できるようにしてはどうか。
さらに選考試験の内容や基準も見直す必要はないか。例えば、大分の事件で、採用を取り消されながら子供や保護者からとても惜しまれた教員がいる。この現実をどう考えたらいいか。
むろん、不正な選考に厳然たる取り消し措置がとられるのはやむを得ない。
ただ、空前の規模で表面化した大分の事件やさまざまな反応をきちんと検証し、真の改革のために、苦いが貴重な教訓として生かさなければならない。
毎日新聞 2008年9月15日
教員試験点検 教委の体質改善につなげよ
公正、公平な教員採用試験のため、透明性を高める。同時に、「閉鎖的」と言われる教育委員会の体質改善にもつなげていかねばならない。
大分県の教員採用試験をめぐる汚職事件を受け、文部科学省が各教委に求めた再点検の結果は、前回よりは好転した。
文科省は7月末、47都道府県と17政令市の教委に対し、採用選考基準や不正防止策などについて緊急点検したが、「改善が不十分」として再び点検を求めていた。
再点検では、筆記や面接、実技などの選考基準をすべて公表するのが14教委から31教委に、不正防止のため元のデータと選考後の確定データを照合するところも37教委から57教委に増えた。
これらの措置は、公正な試験実施の前提として当然のことだ。
答案など関係文書の保存期間すら定めていない教委も、なお存在する。早急に対応すべきだ。
今回は、校長・教頭昇任試験についても点検を求めた。事件後、何らかの改善をしたのは37教委にとどまる。面接官に教育委員や民間人のほか、PTA関係者の起用を検討しているところもある。
各教委は、他教委の取り組みも参考に更に知恵を絞るとともに、絶えず点検を続けてほしい。
大分県教委の調査報告書は、事件の背景の一つとして「色濃い仲間意識・身内意識」を挙げた。
収賄罪に問われた元県教委幹部らの初公判では、検察側は冒頭陳述で「教員採用試験はかねて各方面から合格依頼が寄せられ、上司の指示などで加点・減点する扱いが行われていた」と指摘した。
こうした実態は、試験制度だけでなく、教委自体の体質を変えねばならないことを示している。
報告書が例示した再発防止策に民間人校長の配置がある。各地の公立校では様々な取り組みを行う民間人校長が現れているが、大分県にはいない。教員への社会人採用も来年度初めて小中学校で計2人が予定されているだけだ。
大分県教委事務局の幹部にも民間出身者はいないが、思い切って起用し、新風を吹き込む手もあろう。県内でも、中津市の前教育長は会社社長からの転身だった。
事件の影響で見過ごせないのは学校現場の混乱である。県教委には、教員が子どもたちから「いくら払ったんですか」と聞かれる事例が多数報告されている。
事件は県教委が舞台となった。悪弊を断ち切れなかった県教委幹部らがけじめをつけなければ、教育への信頼は取り戻せまい。
讀賣新聞 2008年9月12日
見直しも必要な学力テスト
文部科学省が今春実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表した。昨年に続く2回目のテストで、傾向はさほど変わっていない。基礎的な知識はまずまずだが、応用力を問う問題となると不振が目立つ、という成績だ。
2年分のデータがそろったことで、子どもたちの学力の現状と問題点が見えてきたのはたしかだ。それと同時に、テストの生かし方や実施方法などで見直すべき点も浮かび上がっている。文科省も地方教育委員会も改善を怠ってはならない。
まず大きな課題は、心配される応用力を授業でどう養うかである。国語の場合は文章から必要な情報を取り出したり書き換えたりする技能、算数や数学では複数の資料を基に違いを説明したり数学的に解釈したりする能力が劣っているという。
こうした傾向は、じつは1960年代の学力テストでも指摘されている。今度こそテスト結果の分析を基に対策を確立すべきだ。新しい学習指導要領では授業時間が約1割増えるが、それがたんに知識の詰め込みにつながるのでは意味がない。
テスト結果をどこまで開示するかも議論の余地がある。文科省は市町村や学校別の成績開示には慎重な対応をするよう求めている。これに対し鳥取県教委が一度は開示に動きながら見送り、大阪府では橋下徹知事が市町村別の結果を公表するよう促している。
たしかに、やり方によっては地域でのランキングが独り歩きする恐れもある。しかし隣接市町村がそれぞれ成績比較もできないようではテスト結果が十分に活用できない。少なくとも市町村別の結果までなら公表をためらう必要はあるまい。文科省も画一的な指導を見直すべきだ。
テストは来年で3回目を迎え、文科省はそれ以降も小学6年生と中学3年生全員を対象にした調査を毎年続ける予定だ。しかし学力の実態がかなり把握できつつあるのを考えれば、こうした巨大調査もそろそろ見直しの時期に入るだろう。
「全員対象で毎年」にこだわらず抽出調査に切り替え、全員対象は数年おきにする手もある。いったん決めたからといって、同じような手法をただ繰り返すことはない。
日本経済新聞 2008年9月8日
武道の必修化 国柄の再生に大きく寄与
産経新聞 2008年9月6日
指導力不足 だめ教師の実態解明急げ
産経新聞 2008年9月4日
大分教育汚職―採用取り消しで幕引き?
2学期が始まっても、大分県の小中学校ではピリピリした空気が漂っている。今春から教壇に立っている新人教員のうち、不正に合格した21人が採用を取り消されることになったからだ。
贈賄罪で起訴された元小学校長の長男で、すでに辞職した教員を除く20人は、自主的に退職しなければ、今月5日をめどに採用が取り消される。その場合でも、本人が希望すれば、臨時講師として雇われる。それまで教えていた先生が一斉に教室から姿を消した場合の混乱を考えてのことだろう。
教員の採用と昇任にからむ汚職事件は子どもたちの心に深い影を落としているに違いない。学校では子どもたちの心のケアにきめ細やかな目配りをしてもらいたい。
不正合格者の得点は、収賄罪で起訴された元県教委参事らが水増ししていた。元参事のパソコンのデータや元参事らの証言から特定したという。
不正合格にけじめをつけるのは当然だとしても、心配なのは、大分県教委が今回の採用取り消しで事件の幕引きを図ろうとしているのではないか、ということだ。
元参事が同じようにかかわった07年度の不正合格者については、裏付けが十分取れないとして不問に付されそうだ。それ以前から得点の改ざんが続いていたことが、今回の処分と一緒に発表された調査報告書で明らかになったが、その責任追及もあいまいだ。
調査報告書には、採用や昇任で県議や県教委OB、教職員組合役員らが口ききをしてきた、という県教委幹部の証言がある。合格ラインに達しない受験生を押し上げたとの証言もある。
しかし、具体的に誰が口ききをしたのか。県教委の誰がどのように動いて合格させたのか。責任は誰が負うべきなのか。そうした県教委の不正の構造が明らかになっていない。
もうひとつの疑問は、不正が小中学校に限られていたのかどうかだ。教員の不正採用疑惑を警告してきたNPO法人「おおいた市民オンブズマン」には「高校の方がひどい」という情報がいくつも寄せられているという。これをどう受け止めるのか。
今回の事件を受けて、大分県教委は採用試験を県人事委員会との共同実施に改めた。「口きき防止要綱」も決めた。2次試験の判定基準の一層の明確化も図るという。
だが、これまでの事実と責任の所在の解明なしには、いくら対策を並べても、絵に描いた餅になりかねない。内部調査ではこれ以上解明できないというのなら、外部の第三者に委ねてはどうか。不正をチェックできなかった教育委員も一新した方がいい。
長年の悪弊をどのように絶ち、再生を図るか。全国の目が注がれていることを忘れてはならない。
朝日新聞 2008年9月3日
宇宙戦略本部 司令塔として責任を果たせ
日本の宇宙政策を政治主導で進める体制がようやく整った。その司令塔になるのが、政府の宇宙開発戦略本部だ。宇宙利用の将来展望を明確に示し、国家戦略としての宇宙開発を積極的に進めてもらいたい。
先の通常国会で成立した宇宙基本法が施行された。宇宙開発戦略本部は、福田首相が本部長を務め、全閣僚が参加する。
同本部は、来春をめどに、宇宙開発・利用の基本方針や、実施すべき政策などを盛り込んだ宇宙基本計画を作る。宇宙行政を一元化するため、内閣府に「宇宙局」を設置する。
宇宙基本法は、宇宙の軍事利用解禁と産業振興が大きな柱だ。
これまで非軍事分野に限定してきた宇宙利用について、防衛目的での利用を容認した。
日本の安全保障に、宇宙を有効活用するのは当然のことだ。現在保有する情報収集衛星よりも高い監視能力を持つ偵察衛星の導入など、自衛隊による宇宙利用のあり方を幅広く検討すべきだ。
縦割りの弊害は、宇宙行政でも顕著だった。
優れたロケットエンジンなどを開発しても、実用化に結びつけられず、省庁間の連携を欠いたまま、事業が進められてきた。
基本計画の策定では、最先端の技術研究を、安全保障分野にとどまらず、宇宙産業の活性化や国際競争力の強化につなげていく総合的な視点が不可欠だ。
戦略本部の事務局長に、文部科学省ではなく経済産業省の出身者を充てたのも、産業振興の観点を重視したためだろう。
宇宙開発には、巨額の資金とリスクが伴う。基本計画では、具体的な達成目標や時期を明示することが大切だ。国が投資額を含めた全体像を示さなければ、民間企業も、参入をためらってしまう。
もちろん、多額の税金を投入する以上、プロジェクトの費用対効果を厳しく見積もり、国民に情報を公開する責任がある。計画通りに事業が進まない場合は、早期に撤退する判断も大切だ。
欧米やロシアだけでなく、新興国の中国やインドも、宇宙利用に本腰を入れている。アフリカなど途上国からの衛星打ち上げの受注をめぐって、国際競争も激しくなるばかりだ。
一方で、近年、アジア地域で、気象衛星や情報通信を活用して災害監視のネットワークを作るなど国際的な協力も進んでいる。
いずれも、日本として、官民一体の取り組みが必要だ。
讀賣新聞 2008年9月1日
全国学力テスト 成績上位の教育力に学べ
小学6年と中学3年対象の全国学力テストの結果が公表された。成績の良い秋田県などをみると、学校の指導の工夫のほか、家庭での学習が学力向上に影響している。成績の差を素直に見て、熱心な地域や学校の取り組みに学んでほしい。
全国規模の一斉テストが復活して2年目の今年は、昨年に比べ問題が難しくなり、平均点が下がるとともに上位、下位の成績の差もはっきりしてきた。
文部科学省は過去の同一問題との比較では「学力は低下しているとはいえない」としている。しかし、文科省がねらいにしてきた考える力を試す問題は相変わらず成績が悪い。
今回は応用問題だけでなく基礎的問題にも課題がみられた。特に小学校国語のA問題で平均正答率が65%台にとどまったのは心配な結果だ。
例えば「会場」と「開場」のような同音異義語が苦手で、中学では「年頭」「金字塔を打ちたてた」といった慣用表現の問題ができた生徒がそれぞれ4割程度しかいなかった。
学校では「ゆとり教育」で学習量が減り、放課後もテレビゲームや携帯電話に熱中する。こうした現代の子供たちの語彙(ごい)の不足など弱点が裏付けられた形だ。
学力テストでは生活習慣を含めたアンケートも行われ、成績との相関が分析された。
都道府県別で上位の秋田、福井などをみると、学校では子供の考えを述べさせるなど指導の工夫のほか、宿題を出し家庭での学習もしっかり行われている。
生活習慣では朝食を毎日食べる、ゲームをする時間が短いなども成績上位の県や学校に共通しているという。学力向上には学校、教師の指導力とともに家庭学習を含めた地道な取り組みも必要だ。国語力向上を例にしても子供のころからの読書の習慣などが欠かせない。塾通いだけでは身に付かないものだろう。
全国規模で自身の成績の位置が分かる学力テスト結果は貴重な情報だ。
成績の悪い沖縄では学力向上に取り組んでいる、大阪府の橋下徹知事は「このザマは何なんだ」と強い調子で教育委員会にハッパをかけた。学力テストで競い合うことの良さが徐々に認識され始めているといえ、競争の効用を見直すべきだ。
産経新聞 2008年9月1日
全国学力調査―60億円はもっと有効に
小学6年と中学3年を対象とした全国学力調査の結果が公表された。学力低下への懸念を受けて、全員参加型の調査を文部科学省が43年ぶりに復活させた、その2回目である。
問題が難しくなったため、平均正答率が大きく下がった。しかし、応用力が低いことや都道府県別の成績など、前回とほぼ同様の傾向がみられた。
こうしたデータが教育行政にとって大事なのはいうまでもない。しかし、多額の税金を使って、この全員調査を続けることにどれほどの意味があるだろうか。
200万人以上がテストを受けるので、採点や分析には膨大な手間がかかる。昨年分について本格的な分析結果が出たのは今月になってからだ。しかも、少人数や習熟度別の授業に学力向上への効果があることは、従来の抽出調査などでわかっていたことだ。
さすがに当の文科省や分析を担当した有識者からも、このまま全員調査を続けることに疑問の声が出てきた。省庁の無駄遣いを調べている自民党の作業チームが「このままの調査なら不要」と判断したのも当然だろう。
さらに、当初から懸念されてきた問題も出てきた。鳥取県の情報公開審議会が先月、市町村と学校別の結果を公表すべきだと答申したのだ。
文科省は過度の競争につながらないように、こうしたデータの公表を控えるよう指導しており、県教委は学校現場からの反発にも配慮して当面は非公開と決めた。
しかし、住民が知りたいというのを退けるのには無理があり、今後、公開する自治体が出てくることも予想される。そうなると、学校の序列などにばかり関心が集まってしまい、どうやって教育を改善するのかという肝心な点に目が向きにくくなる。
このように、多額の予算と労力を費やして全員を対象にしたのに、ふさわしい果実は得られない。となれば、思い切って見直すのが筋だろう。
日本全体の学力の動向をみるには、抽出調査にしたうえで、同じ問題にする方が、効率がよく実態もとらえやすい。地域の学校格差の原因を探るのなら、自治体ごとに家庭環境も含めてきめ細かく調査するのが効果的だ。
そして何よりもいま力を注ぐべきなのは、少人数指導など、この調査でも有効性が確認された授業形態を少しでも実現させることではないのか。
そのために欠かせないのが、教員の数と質の向上である。
今年の調査にかかった費用はざっと60億円にのぼる。文科省は7月に決めた教育振興基本計画に小学校の外国語教育向けの教員増を盛り込もうとしたが、財政難を理由に実現しなかった。その予算が、学力調査の費用でそっくりまかなえるのである。
朝日新聞 2008年8月31日
全国学力テスト 集積データを授業に生かせ
ようやく2年分のデータがそろった。昨年、復活した文部科学省の全国学力テストの今年分の結果が公表された。
集まったデータをよく比較・分析し、文科省や各教育委員会の施策、学校の授業の改善に役立ててもらいたい。
今年は昨年に比べ、小学6年生、中学3年生ともに、国語と算数・数学の知識を問う問題、知識を活用する能力を問う問題の両方で、すべて平均正答率が下がった。文科省では「昨年より問題が難しかったため」としている。
難易度が大きく異なっては、結果が比較しづらくなる。「時間が足りなかった」という児童生徒も多い。今後の検討課題だろう。
文科省は、小中学校とも「都道府県で大きなばらつきはない」としている。だが、個別にみると、「知識」「活用」の双方で、中学校・数学トップの福井、小学校・国語トップの秋田と、いずれも最下位の沖縄では、正答率に20ポイント前後の差がある。
上位と下位の顔ぶれは、昨年とほぼ同じだ。上位の県は何が優れているのか。学校への実地調査など掘り下げた分析を行い、その結果を公表して全体の学力向上につなげるべきではないか。
気になるのは、昨年のテストを授業で使っているのが、小学校で5割弱、中学校では4割弱しかないことだ。どんな良問でも、授業に生かされなくては効果が薄れる。もっと利用を促すべきだ。
昨年と今年の結果を見ると、学力と家庭での生活・学習習慣には相関関係がある。
「朝食を毎日食べる」「学校に持って行くものを前日か当日朝に確かめる」など、規則正しい生活を送る子どもは正答率が高い。
学力の高い学校にも、一定の共通点がある。
例えば、物を書いたり様々な文章を読んだりする習慣をつける授業をしている。また、地域に理解と協力を求めるため、教育活動をホームページで公表したり、住民が自由に授業参観できる日を設けたりしている学校だ。
一方、市町村別・学校別のテスト結果については、鳥取県の情報公開審議会が7月に開示すべきだとの答申を出し、注目された。
しかし、「学校の序列化や過度の競争を招く」などとして、教育関係者や保護者から反対が出たため、県教委は公表を見送った。
序列化や行き過ぎた競争は無論、避けねばならない。だが、適度な競争はあっていい。公表のあり方は再検討の余地があろう。
讀賣新聞 2008年8月31日
学力テスト このまま続ける必要があるか
今春小学6年生と中学3年生に実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が出た。文部科学省によれば、少し難しくしたので正答率低下もあるが、全体的な学力低下はない。おおむね昨年の第1回と同様の傾向で活用力に課題があるという。
ならば、毎年、しかも全員対象の悉皆(しっかい)方式で巨額の費用(今回の予算約58億円)をかけてやり続ける意味があるのか。専門家も「毎年は無用」「抽出調査で十分」などと指摘する。自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」は今月「目的とコストが見合わない」と無駄な事業だとした。
これに対し文科省は「国全体の状況を見るだけなら悉皆調査である必要はないが、児童生徒一人一人の状況をつかんで指導に生かせる」「全国の中で自分の学校や地域がどういう位置にあるか分かる」「膨大なデータからいろいろな切り口で分析ができる」と言う。
どうだろうか。
さまざまな形の学力テストは多くの自治体で独自に行われており、各学校の特徴的な指導課題は示されている。子供の特性や教科学習の到達度も現場教師が最もつかみ、向上に腐心しているはずだ。国語と算数(数学)を基礎、活用に分けて行う程度の全国一律テストで教わるまでもない。まして子供にとって1回限りのテストで十分な個別指導資料になるだろうか。
そして、本来参考資料である都道府県別平均点が「ランキング」と意識され、教育委員会が一喜一憂するのはおかしい。情報は公開されるべきだが、それで無用な競争意識や圧迫感を現場に与えるなら、過熱した60年代までの全国学力テストと同じ轍(てつ)を踏む。
今回の調査でも、平均点の高い所では家庭学習や規則正しい生活習慣、少人数学級など指導の工夫と成績の相関が見られるという。自明のことだ。また、地域によっては、経済的格差など、学校や学習指導を超えた社会要因も影を落としているとみられる。これもさまざまな調査や研究、事例でとうに指摘されていることだ。問題は、ではどうやって状況を改善していくかだが、それがなかなか見いだせない。
その苦悩は学校教育現場が最も深く抱えている。孤立している教師も少なくない。全国学力テストがこのままの形で巨費を投じて毎年行われ、その度に「当たり前の結果」を確認し合うより、ただちに課題を抱えた現場を支援する方にもっと力を転じるべきではないか。
学力調査が無用といっているのではない。既に多数の調査・研究があり、合理的なやり方もある。連続悉皆調査はこの2回で十分ではないか。この調査で改めて確認した学習環境状況を踏まえ、しっかりした政策と支援策を打ち出すことに切り替えるべきだ。
毎日新聞 2008年8月31日
教員採用取り消し 教室の混乱防止が急務だ
大分県教員採用汚職事件にからみ、同県教育委員会は、点数改竄(かいざん)によって不正採用された小、中学校などの教員21人の採用を取り消すことを決めた。昨年の試験で採用され、今春から教壇に立っている教員らで、この年の採用者の約3割にもあたる異例の事態だ。
教委や学校側は、保護者と児童生徒にも経緯や今後の対応について十分説明責任を果たし、不安や混乱を防がねばならない。
2学期を目前にした29日に臨時教育委員会が開かれ、県教委の調査結果が公表され、採用取り消しなどが決まった。
事件は平成18、19年の採用試験をめぐり、県教委ナンバー2の元教育審議監の指示を受け、実務担当の元義務教育課参事が点数改竄などの不正工作をしていた。
不正採用者の特定は困難とみられていたが、県警が押収した元参事のパソコンデータの分析などから判明した。ただ県教委が特定したのは、昨年の試験分だけにとどまった。
教員自身は、親などが合格依頼していたことを知らないケースが多いだろう。
だが専門家が「不正を中途半端にごまかせば、子供はかえって不信感を持つ」と指摘するように、教育者にとってけじめは当然つけねばならない。
不正採用で辞職した元校長の長男は「疑われている状況では、子供たちに正義を教える立場になれない」などと話したという。
心配されるのは教室の子供たちへの影響だ。現場の混乱防止が急務である。
県教委は不正採用と特定した教員について、自主退職のほか、希望すれば臨時講師として雇用するという。教員が突然いなくなる混乱を避ける一つの方策だろう。
2学期が始まる中で、学校側は保護者会を開くなどして今後の対応を含め明らかにすべきだ。必要があれば教師自身の口から子供たちに誠実に語ってほしい。
専門家の協力も得て子供たちの心のケアも必要だろう。
過去10年の県教委人事担当者から聞き取りした調査結果では、県議や県教委OBのほか、教職員組合の役員などから「頼みます」「結果を知らせて」などの依頼があった実態も証言され、構造的な「あしき慣習」が続いていたことが明らかにされた。信頼回復へ教委、学校の責任は極めて重い。
産経新聞 2008年8月31日
大分教員汚職 採用取り消しを再生の契機に
前例のない事態である。大分県の教員採用汚職事件で、同県教育委員会は、今年度採用した小中学校教員らのうち21人が不正採用だったとして、採用の取り消しを決めた。
学校現場が混乱しないよう、最大限の努力を尽くしてほしい。
不正採用者は、収賄罪で起訴された県教委の元義務教育課参事・江藤勝由被告らが、得点を水増しして合格させていたものだ。
県教委では、パソコンから復元したデータや江藤被告らの話から不正採用者を特定した。しかし、同様に疑惑が持たれた昨年度の採用者については、裏付け不十分として、取り消しを見送った。
それ以前については特定が困難な見通しで、今回、採用を取り消されたのは氷山の一角だ。
21人の中には、自身が不正に合格したと知らなかった教員も含まれている可能性がある。採用を取り消された後、希望すれば臨時講師として雇用される。
既に教壇に立つ21人が、年度途中に一斉に教室から姿を消せば、多くの児童生徒は新学期から担任の先生が突然いなくなる。
「不正採用」と認定されながら何人が再雇用を望むかどうかは不明だが、こうした事態を考慮した措置だろう。
県教委は、スクールカウンセラーの派遣、児童生徒や保護者への丁寧な説明はもちろん、できる限りの対策を取らねばならない。
一方、本来は合格していたのに、減点されて不合格になった今年度試験の受験者は、本人が希望すれば採用される。
重要なのは、大量の一斉採用取り消しという異常事態を踏まえ、教育界が再発防止と信頼回復をどう図っていくかだ。
県教委は事件を機に、教員採用試験を県人事委員会と共同で実施するなどの改善策を取っている。今後、2次試験の判定基準を一層明確化する。
さらに、校長、教頭の昇任試験では市町村教委などの推薦を廃止する方向で検討するという。
今回の事件は、教育委員が単なる“名誉職”であってはならないことも示した。
6人全員が、不正に気づかなかった監督責任を認め、今後の報酬を自主返納する方針だが、当然だろう。お目付け役としての役割をしっかり果たしてもらいたい。
間もなく江藤被告らの公判が大分地裁で始まる。裁判で明らかになった事実も含め、事件を教育界全体の教訓とし、腐敗の根を断ち切る決意が欠かせまい。
讀賣新聞 2008年8月30日
医師確保策 総論に賛成、各論を詰めよ
地域の拠点医療機関だった公立病院の閉鎖が増えている。産科、小児科をはじめ医師が足りない。病院の勤務医が過重な労働によって疲弊しきっており、離職者も増えている。救急患者の「たらい回し」が頻繁に起きる。
今、この国の医療制度はさまざまな問題を抱えて、身動きが取れない状況に追い込まれている。各国に比べ低い医療費で、高水準の医療が受けられると、高い評価を受けてきた日本の医療制度が崩れ出している。「医療は大丈夫か」というのが大方の国民の声だ。
厚生労働省の「安心と希望の医療確保ビジョン具体化検討会」が医師確保策などを提言した。大きな柱は医学部定員について数値目標を示したことだ。提言には、将来的に現在(7793人)の1・5倍の1・2万人程度まで増やすことが盛り込まれた。日本の医師数は人口1000人当たり2・1人(06年)で、ドイツ(3・5人)や米国(2・4人)などと比べて少なく、経済協力開発機構(OECD)の平均水準である3・1人まで増やす必要があるとしている。定員増の数値目標については厚労省や文部科学省などの抵抗があったが、具体的な数字を初めて書き込んだことは評価したい。
だが、目標を作れば終わりではない。どういう手順で、何年かけてどれくらいずつ増やしていくのかなど、各論の検討はこれからだ。1人の医師養成には年間約1000万円必要とされる。厚労、文科省が09年度に500人の定員増で合意しているが、約50億円かかる。定員増に見合う教員の増加も必要で、財源の確保が最大の課題となる。
国民の健康を守るためのコストをどこまでかけるのか、誰がどのように負担するのか、その前に医療のムダの排除や効率化を図ることも当然必要になる。複雑に絡み合った問題に幅広く目配りしながら、具体的な対策を打ち出すという難しい作業が待っている。
定員が増えても、医師の偏在やへき地医療の拡充、病院勤務医の減少や産科・小児科医の不足対策が確実に実行されるとはかぎらない。国民全体を巻き込んだ議論を起こし、最後は政治が決断をして果敢に実行することが必要だ。そのためには与野党が社会保障を政争の具にしないことだ。
検討会の提言には▽産科、救急、へき地などで勤務する医師への手当支給▽初期臨床研修制度の見直しなど、重要な課題も入っている。
こうした「安心の医療」を実現するためには、保険料の引き上げや財源確保のための増税など、国民が痛みを伴う対応策の議論も避けては通れない。国民の合意がなければ、医療改革は進まない。国民にすべての情報を公開し、医療崩壊を食い止めるための具体的な対策作りに着手すべきだ。
毎日新聞 2008年8月29日
外国人の子ども受け入れに備えを急げ 人材開国を考える
多くの学校現場が今、外国人の子どもの教育をめぐる悩みを抱えている。日系ブラジル人をはじめ様々な形で日本にやってくる労働者の子どもをどう就学させ、日本語指導などをいかに進めるべきか。政府には総合的な指針がなく、自治体や学校が孤軍奮闘しているのが実情だ。
専門教員養成の道探れ
外国から人材を受け入れるということは、どんな人材をどの程度まで受容するか、それが定住や永住につながるかどうかを別にして、彼らの子どもへの教育にもかかわる問題である。まず現状を直視し、将来への備えを早急に築かねばならない。
文部科学省の調べでは、公立の小中高校に在籍する外国人の児童生徒は約7万人。このうち日本語指導が必要な子どもは昨年9月時点で約2万5000人に上る。前年度に比べ13%の大幅増だ。こうした現実はすでに教育現場を突き動かしている。
たとえば外国人が人口の16%ほどを占め、全国の市町村で最も比率の高い群馬県大泉町。子どもを伴った日系ブラジル人らの増加を受け、町立の全小中学校に日本語学級を設けたのが特徴だ。町費でポルトガル語などができる日本語指導助手を雇っているほか、県も教員を増員して町の取り組みを支援している。
指導内容も手づくりだ。教育委員会考案のテキストを使い、初期、中期、後期の3段階に分けて言語指導と適応教育を並行して進めている。中学校卒業までに日本社会への適応がほぼ可能になるといい、今春の高校進学率は90%を超えた。
地域でこんな取り組みが進む一方で、国の対策は始まったばかりだ。そのひとつが、文科省の有識者会議が最近まとめた報告である。報告は(1)教育委員会やボランティアによる就学支援(2)総合的な日本語指導のガイドライン開発や指導教員の育成(3)地域社会による放課後の「居場所」づくり――などを提言した。
具体策に乏しく、実現への道筋もあいまいだが、これでも過去にない提言だという。このこと自体が国の対策の遅れを示しているが、報告が外国人子女対策の課題を浮かび上がらせているのも事実だ。
まず根本的な問題は、学齢期なのに就学しない子どもも多く、現場でもその実態を十分に把握できないことだ。保護者の認識不足だけでなく、転出や帰国を把握しきれない外国人登録制度の不備も背景にある。
就学後の課題も山積している。有識者会議は日本語教育カリキュラム「JSL」の普及などを提唱しているが、これを一般の教員が使いこなすのは難しい。大泉町のような独自のプログラムもしっかりした担い手なしには機能しない。日本人の子どもへの異文化理解教育も必要だ。
こうした要請にこたえるためには、国も本気で外国人子女教育のための人材養成を考える必要がある。自治体が自力で一定の成果を収めているにせよ、現場任せには限界があろう。専門教員などの育成はコストと時間がかかる施策だけに、効果的な手立てを探らなければならない。
同時に、使い勝手のよいカリキュラムを開発し、学習指導要領などに盛り込む必要もある。米国などでは言語指導を中心にした多様なプログラムを用意し、子どもたちが社会に適応するのを支えている。内外の様々な取り組みを参考に、指導内容と方法の確立を急ぐべきだろう。
高度人材の子女対策も
外国人の子どもが、これまでのように特定の学校だけに集中しているならここまでの体制整備は必ずしも必要ではないかもしれない。しかし現実は大きく変わりつつある。
文科省の調査では在籍人数が4人以下の学校が約8割を占め、様々な地域や学校に分散する傾向が出てきた。在籍する学校数も増え続けている。もはや一部の集住都市だけの問題ではないと覚悟すべきだろう。
将来、もし単純労働者を本格的に受け入れるとすれば子どもの教育は極めて深刻な課題となるし、そこに至らない段階でも日系人などの流入は続く。現時点でしっかりした対策を打ち出しておくことは、将来にも必ず生かされるはずだ。
一方で高度人材は政府が今後も受け入れを進める方針で、日本への留学生についても卒業後にそのまま日本で働けるよう規制緩和を促す動きもある。その子女が漸増するのに備えて、英語を軸とした教育機関を整備するのも怠ってはならない。いわゆるインターナショナルスクールへの積極的な支援も必要だろう。
外国人の力を借りる以上、たんに労働力だけを借用して済ませられるだろうか。人材開国の行方は、日本社会が外国人の子どもたちに十分な教育を施せるかどうか、その備えがあるかどうかにもかかっている。
日本経済新聞 2008年8月24日
学校基本調査 結果を速やかに政策に生かせ
毎夏文部科学省が全国の学校教育の状況を統計値で集約する「学校基本調査」がまとまった。いわば教育の国勢調査で、在学者数、進路など基本項目のデータがぎっしり並ぶ。
毎回最も注目されるのが小中学校の「不登校」だ。概数でいうと、07年度で児童生徒全体の1・2%、12万9000人で、前年より2000人以上増えた。中学にしぼると、2・9%と過去最高率を更新した。
文科省は増加の背景を探ろうと今回初めて“思い当たる節”を10項目挙げ、教育委員会に複数回答で選ばせた。すると93%が「人間関係をうまく築けない子が増えた」、82%が「家庭の教育力の低下で基本的生活習慣が身に着いていない」を選び、65%は「欠席を安易に容認したり『嫌がるのに無理に行かせることはない』と考えるなど保護者の意識が変化」と甘やかしの風潮を挙げた。
学校外の問題に起因するところが大きいという見方だろう。確かに給食費未納や放置などの問題に象徴されるように、保護者側に責任感や養育意志が欠けるといわざるをえない例はあり、身勝手な要求を強引に通そうとする「モンスターペアレント」に困惑する教委や学校も少なくない。
しかし、そこで嘆息するだけでは事態は改まるまい。保護者だけではなく、学校内には、教師の側には問題はないのか。例えば、調査で「いじめ」が不登校のきっかけとされたのは3・5%だが、見逃しはないのか。対策の結果、不登校の子の3割が登校するようになったが、経過や手法はどのようなものだったか。類別の統計整理にとどまらず、具体的な個別検証や情報・教訓の共有へと深め、広げることが必要だ。
同じことは大学問題についてもいえる。今回の調査で大学・短大進学率は55・3%と過去最高を更新した。志願率も6割を超した。文科省・中央教育審議会は、07年には総定員に志願者総数が収まる「全入時代」になると見込んでいたが、外れ、今春も入学者は志願者の92%程度にとどまった。一方で私立大の半分近くは定員割れを起こし、分極傾向も顕在化している。
文科省は「予想以上に高学歴志向が高まった」というが、なぜなのかは判然とせず、その「高学歴志向」の内実の分析もない。入試改革も遅々としている。一方、大学院生のうち社会人が2割を超し、高度に専門的な知識・能力を向上させる役割を高等教育に求めている。これも注目し、政策的に対応すべき現象だ。
データは臨機に活用してこそ意味がある。「ゆとり」から「学力向上」と旗印を翻しながら、どこかつかみどころがない。そうした国の教育政策が分かりやすく説得力を持つためにも、現実を映すデータがたなざらしになってはならない。
毎日新聞 2008年8月18日
学力テスト非開示 競争ためらわず活用せよ
小中学校の全国学力テストの市町村別や学校別の結果について、鳥取県教育委員会が非開示を決めた。
学力テストの結果公表に対して依然として「序列化や過度の競争を招く」という考え方があるのは極めて疑問だ。
鳥取県には、児童生徒数が10人以下の学級を除いて学力テスト結果を原則開示するよう定めた全国でも珍しい情報公開条例があり、県独自の学力テストは市町村別や学校別が開示されている。
今回の問題については、昨年10月に地元紙記者から全国学力テスト結果の情報開示請求があったが、県教委が非開示とした。
記者の異議申し立てを受けて県情報公開審議会は、県条例などに基づき県教委に開示するよう答申し、教育長も開示の方針を示した。これは妥当な判断だった。
ところが、「学校間の競争をあおる」と懸念する市町村教委などから反発が強く、教育委員会は一転して昨年度と今年度の結果を非開示とすることを決めた。
開示派の教育長が「大人が先回りして心配ばかりするのでは、子供の力を奪うだけ」というように、おかしな決定だ。
全国学力テストは差をつけてふるい落とす入試問題と違って学習指導要領の内容をきちんと学べばできる良問を工夫している。
つまり、基礎問題といっていい内容なのだが、昨年公表された結果では、都道府県別で成績のいい秋田や福井、富山と、悪かった沖縄などでかなりの差が出た。学校間ではさらに差があった。
こうした結果は素直に反省し、改善に活用すべきだろう。
全国学力テストで文部科学省は結果公表を都道府県別にとどめ、市町村別や学校別ランキングは公表しないよう求めている。
一方で自治体や学校によっては自身の成績をホームページで保護者らへ情報発信するなど改善につなげている例がある。文科省も、もっと積極的な公表を再考すべきである。
学校や教師は自分が評価されるのを嫌い、公表に消極的といわれる。競争や評価に臆(おく)していては学力向上は望めない。
学力テストは同時に行うアンケートで生活習慣などとの関係も分析され、学校の「通信簿」ともいえる。貴重なデータをできる限り公表し、成績の良い学校の授業や指導法に学ぶべきだ。
産経新聞 2008年8月17日
不登校増加 安易な欠席容認はやめよ
小中学校の不登校の児童生徒が、昨年度は約12万9000人にのぼり、2年連続で増加した。中学では各クラスに1人はいる計算だ。どの学校も抱える問題で、学校と家庭が連携を密にして対策をとる必要がある。
文部科学省の調査で、不登校は平成13年度の約13万9000人をピークに、いったんは減少傾向にあった。
今回、増加した要因について教育委員会の回答で気になるのは、「嫌がる子供を学校に無理に行かせることはない」など、安易に欠席を認める保護者の意識変化が指摘されたことである。
一昨年、いじめによる自殺事件が相次ぐなどし、親の学校不信が影響しているとみられる。この風潮が広がるのは心配だ。
学校生活は勉強だけでなく、教師や友達と集団生活を送る大切な時間だ。子供が「行きたくない」というだけで安易に認めてしまっては親の責任放棄だろう。
調査では、基本的生活習慣が身についていないことなど、家庭の教育力低下を指摘する回答も多かった。学校不信の前に家庭の役割やしつけを見直してほしい。
専門家によると、不登校は早期対応が重要だ。欠席が長引けば、ますます学校へ行きづらくなり事態は悪化する。小中学校時代の不登校から、大人になっても引きこもりが続くケースさえある。
親や教師は不登校の子供に、はれものに触るような対応をしがちだ。親は部屋にこもったままの子供に言葉もかけず、学校側は子供の家庭訪問もしない指導放棄のようなケースが目立つ。
保護者も「うちの子を刺激しないで、放っておいて」と学校側の接触を拒むこともある。学校と家庭のつながりを絶てば、相互不信が募る結果にもなる。
文科省も不登校対応を見直しはじめた。同省は平成4年に「無理に学校復帰を促すと逆効果の場合もある」との見解を示したが、学校現場が不登校に消極的対応をする一因ともなり、その後は専門家会議が個別事情に応じた積極的な働きかけを求めている。
教委からは「人間関係をうまく構築できない」「無気力で何となく登校しない」など最近の子供の変化を指摘する回答もあった。
学校と家庭は日常の指導、しつけにしっかりと責任を持ち、子供の変化や問題の兆候を早期に見つけて対応をしてほしい。
産経新聞 2008年8月9日
私大定員割れ 合併・再編も視野に入れよ
こんなに多くの大学が必要なのか。そう思わせるような結果である。
日本私立学校振興・共済事業団が発表した今年度の私立大学入学者の動向で、全国の私大の47%が定員割れを起こしたことが判明した。
募集停止などを除く565校のうち266校にも上る。定員の50%未満だった私大も29校ある。
延べ受験者数はわずかながら増えている。大手私大を中心に、1回の入試で複数の学部を受験できる制度や地方会場での入試を増やしたためだ。定員3000人以上の大規模校は全体の4%しかないが、受験者数の半分を集めた。
人気が集中する都市部の大規模校と地方の小規模校の「二極化」が、一段と鮮明になった。
国公立大志向が強まっていることもあろう。しかし、大きな要因は少子化にもかかわらず、規制緩和で大学設置基準が弾力化され、大学が増えている点にある。
18歳人口は10年前の約160万人より40万人近く減ったのに、大学は国公立も含め約600校だったのが750校以上になった。多様な大学、学部が登場する一方、「大学」の名に値するのか疑わしいところもある。
規制緩和は、新しい大学の参入によって競争を促し、教育の質を高めるのが狙いだったはずだ。だが、AO(アドミッション・オフィス)入試などで安易な入学者確保に走るところも少なくない。
中央教育審議会は7月にまとめた答申案で、「社会の負託に応えられない大学は、淘汰(とうた)を避けられない」との認識を示した。
設置を認めるかどうか審査する大学設置・学校法人審議会は、事前チェックを厳格化すべきだ。文部科学省も、私大の破綻(はたん)に備え、学生の受け皿など処理策を練っておく必要がある。
私大は学部ごとの定員割れの割合に応じて私学補助金を減額され、定員の50%以下ならゼロになる。定員を満たせないと、経営は一層苦しくなる。
破綻すれば影響を受けるのは在学生だ。私学には建学理念や経営方針があるが、早めに思い切った対策を打ち出さねばならない。
人気の低い学部は廃止し、特色のある学部に特化する。地域が求める人材の育成・輩出に絞った学部などに改組する。こうした措置が考えられよう。
国立大学は法人化を前に再編が進み、私大でも一部に合併の動きが見られる。合併・再編も一つの手だ。破綻に追い込まれる前に、大胆な経営判断が必要である。
讀賣新聞 2008年8月4日
教員採用調査 本当に危機感を抱いているか
大分県の教員採用汚職事件を受け、文部科学省は全都道府県・政令市の64教育委員会の採用試験実態アンケートをした。
選考基準の公表をしているか、成績の本人開示はどうか、など9項目にわたって尋ねた。回答に共通傾向もばらつきもある。その中で特に気になるのは、答案や面接判定の元データと確定データを突き合わせた最終チェックをしているところが、37教委にとどまっていることだ。さらにその大半が外の目を入れず教委事務局内ですましている実態だ。
大分の事件では、これをきちんとしていなかったことが不正をやりやすくした要因の一つに指摘されている。チェックするにしても、それが教委内部で行われていたのでは心もとない。大分の場合は教委の中枢的人物が不正に関与していた。データや答案廃棄などわけないことだろう。
今回の調査結果について文科省は「不十分」とし、さらに改善を求めて1カ月後に再調査をするという。それはいい。しかし、こうした調査だけでは必ずしも実態の細部は見えない。不正行為についてはどこの教委も「ない」と答えたが、検証・点検をいったいどこまでしたのか。すんなり受け入れることはできない。
仮に金品が介在していなくても、コネと口利き、学閥など、実力とは別の「力」が作用しているとの指摘や疑惑は多くの地域で絶えない。さらに採用(入り口)だけでなく、その地域の教育界での昇進までそれは絡んでくる。まさに大分の事件はそれを実証してみせたといわざるをえない。
だが、今回の文科省の調査は、各教委が「不正」に対しいかなる対策をしているか、つまり「戸締まり」具合の点検をしているふうで、不正、不公平を生む土壌を掘り下げるものではない。それは各教委が自らにメスを入れる覚悟でやらなければならないことだ。
この事件では教育委員会制度が問われている。そういう危機感を抱いている教委はどのくらいあるだろうか。自治的に地域の公教育に責任を担い公正に運営するはずの組織が、なれ合いの身内意識に漬かっていたのでは、公教育も首長の直轄にすべきだという教委廃止論さえ強まりかねない。
全国でいじめ自殺が相次いだ時も、教委が迅速な対応ができないことが問題になり、権利侵害などが深刻なケースでは文科相が教委に是正要求できるよう法改正された。今回は「怠慢」どころではなく、教育行政をつかさどる人物や教員の資質の「偽装」ともいうべき実態を露呈したのだ。
教育改革、学力向上の論議も、その土台であり動力であるはずの教員や教委に疑念を持たれては、いかにも空疎ではないか。
厳しい自己点検を避けていては、信頼回復はおぼつかない。
毎日新聞 2008年8月2日
教員採用汚職 教委のあり方を問う根深さ
大分県教育委員会をめぐる汚職事件が、際限のない広がりを見せ、教委のあり方が問われている。教育への信頼回復に、全国の教委や文部科学省は全力を挙げねばならない。
事件では、教員採用試験だけでなく、校長や教頭の昇任試験でも贈収賄の疑いが浮上し、人事担当の県教委参事に商品券を贈った校長、教頭の勤務先の小学校まで県警の捜索対象となった。
現職の教育審議監も、抜擢(ばってき)が決まった参事から20万円の商品券を受け取ったほか、採用と昇任の両試験で点数水増しを指示した疑いが浮かんでいる。
県教委は、不正採用が判明した教員の採用を取り消し、合格水準に達しながら不合格となった受験者の救済を明らかにしている。
だが、答案用紙は廃棄され、すべての不正採用者や救済対象者の特定は容易ではない。児童生徒への影響も考慮する必要がある。
県教委は改革のため、弁護士など外部の識者を顧問に加えた特別チームを発足させた。捜査とは別の観点から早急に調査を進め、対策を取らねばならない。
少なくとも7、8年前までは、受験者の得点一覧表の「備考欄」に、県教委関係者や県議ら口利きした人物の名前や肩書が記入されていた。「不正は20年前から行われていた」との証言もある。
合格を決定する権限が少数の幹部に集中し、不正の温床になっていることは、18年前に起きた山口県教委汚職の裁判でも明るみに出ている。
ところが、読売新聞の調査では、大分を除く63都道府県・政令市教委のうち、58教委が事務局職員だけで合否を判定していた。問題の配点公表も17教委だけだ。受験者が自己採点できる解答と配点の公表は、不正防止の第一歩だ。
他県の不祥事から何を学んできたのか。猛省すべきだ。
金品を介さないまでも、各地の教委が県議らの口利きを受け、受験者より前に合否を伝えていたことも判明した。口利きと事前の合否連絡は、不正を生みかねない悪弊だ。根を絶たねばならない。
昨年の地方教育行政法改正で、文科相は、教委の法令違反や怠慢で児童生徒が教育を受ける権利を侵害されていることが明らかであれば、具体的な内容の是正を要求できるよう明記された。
大分では組織ぐるみの不正が明らかになり、4小学校では校長か教頭が不在だ。県教委が迅速に対策を打ち出せないなら、文科相は介入を躊躇(ちゅうちょ)してはなるまい。
讀賣新聞 2008年7月28日
教員採用汚職 教委改革で不正連鎖断て
大分の教員採用汚職事件で県教育委員会ナンバー2だった元教育審議監らが起訴された。現職の教育審議監についても捜査が行われている。
教員採用、人事の最高責任者である新旧審議監が関与し、組織的不正が続いていた県教委の体質改善を早急に図らねばならない。
事件では、現職の教育審議監も不正採用を指示した疑いや昇進人事にからみ商品券を受け取っていた疑惑が明らかになった。十分な説明もせず、体調不良などを理由に休んでしまっている。
さらに教育長経験者が合格を依頼した口利きの疑いもでている。監督すべき責任者がこれでは不正防止などできるはずもない。
採用試験で点数改竄(かいざん)まで行われ、元参事は「汚れ役をやれば出世できると思った」とさえ供述しているという。教職者とは到底、思えない不正連鎖の構造を絶たねばならない。
教育委員会をめぐっては平成19年に、当時の教育再生会議が「教委の閉鎖性や責任感のなさ、危機管理能力の不足」などを指摘し、第三者評価制度の必要性などを提言した。
北海道滝川市の小学6年女児の自殺で、いじめを示す遺書が公表されなかったことなど、隠蔽(いんぺい)体質が批判をあび、教委改革が強く求められたからだ。
大分県教委は教職員組合との癒着が批判されて以降、平成13年から教育長に知事部局出身者をあてている。
今回の事件でも採用試験の採点などを県人事委員会に委託するなど再発防止を図ってはいる。
しかし、選考基準の公開など透明性確保や不正採用教員の確認など課題はまだある。抜本改革へ対策は十分とはいえない。
信頼を失ったいま、教委だけの手による改革には限界がある。
再生会議の提言なども参考に、外部からの点検、評価制度を含め、改革への明確な姿勢を打ち出し、具体的な再生策を早く明らかにすべきである。
教委の人事でも教育界の悪弊に染まっていない人材を積極的に登用することが必要だろう。こうした改革は、同じ問題を抱える他の教育委員会にも望みたい。
大分の事件をきっかけに各地で教委幹部らが事前に採用試験の合否を伝えていた問題も明らかになった。全国の教育委員会は不信を払拭(ふっしょく)する改革を進めるべきだ。
産経新聞 2008年7月27日
教員採用改革 もう先送りにはできない
大分県教員採用汚職はここだけの例外的事件か。そう考える人はほとんどいないだろう。毎日新聞が47都道府県と17政令市教育委員会にアンケート調査したところ、半分近くは受験生本人に得点を開示せず、大半の自治体が第三者チェックの仕組みを持っていない。
また、多くの自治体で合否結果を県議ら「有力者」の求めに応じて事前に知らせている実態が明るみに出た。大分県の教育長も昨年、複数の県議らの要請で発表直前に通知したことを認めている。この際、毎日新聞の取材に文部科学省の担当課は「同様の事例は聞いたことがない」と評したが、不可解だ。では、これまで入れ代わり立ち代わり全国の教育委員会に出向してきたキャリア官僚たちは何を見聞きしていたのか。
教育振興基本計画は「教員は、子どもたちの心身の発達にかかわり、その人格形成に大きな影響を与える存在であり、その資質・能力を絶えず向上させる」ため研修などの充実をうたうが、それ以前の入り口=採用制度の公正確保には言及しない。「地方が自律的に取り組むべきで、国が上から介入すべきことではない」というのが文科省の基本的な考え方だ。しかし、実態を直視し、改善策に知恵を絞り、提起するのは全く別の問題である。
互いに「先生」と呼び合う内輪世界で、コネと金品を動力源に採用や昇進人事が行われていたのが事件の構図だ。程度や規模の差はあれ、こうした土壌は大分のみならず他の地域でも多く指摘されてきた。
そして、改ざんなど恣意(しい)的な操作が行われたら十分なチェックができるか、多くの自治体が心もとない体制であることも毎日新聞の調査で明らかだ。大分では10年保管と規定されている採用試験答案用紙などもあっさり廃棄されていた。
とりあえず文科省は各教委に、チェック体制や公正性を保つ措置、文書の保存期間など9項目の回答を求めた。月内に集約するが、肝心なのはそれを受けて何を提起し、改革へ確かな一歩を踏み出すかだ。
情けない話だが、教委の現場では、大分の事件が大きく報じられたので今後は有力者も介入しなくなると期待する声がある。また答案など文書保存徹底もある程度効果はあろう。それも小さな一歩には違いない。ただ、第三者のチェック、正答・成績の本人開示と説明、コネや介入を遮断する対応ルール作りなど、これまでも指摘はありながら一部にとどまってきた抜本策を講じる時にきている。
全国に共通した構造的な問題と多くの人たちが受け止めているから、大分県の事件は関心の高いニュースになったのであり、これをどう改革に転じさせるか注目されている。
今回ばかりは「先送り」は絶対に禁じ手である。
毎日新聞 2008年7月20日
教員不正採用 再試験辞さず信頼回復を
大分県の教員採用汚職事件で、県教育委員会が不正合格した教員の採用取り消しを決めた。合格点だったのに点数改竄(かいざん)で不合格になった受験者も救済する。
不正をただすのは当然の措置で、この方針を早急に実施すべきだ。
不正合格者は平成18、19の両年だけでも合格者の半数の約40人にのぼる疑いがでている。
不正採用は、両年だけでなく慣習化していた可能性も強い。
一方で、既に答案用紙が廃棄されており不正採用の確認が難しい。県教委は具体的調査方法や時期となると「いつというメドはない」などとあいまいだ。
調査をいたずらに長引かせてはならない。「あの先生は裏口採用ではないか」と、保護者や子供たちから不信が募るばかりだ。
県警の捜査では、逮捕された県教委参事のパソコンのデータ解析などから、点数の水増しのほか、成績上位者が減点されて不合格になったケースが相次いで判明しているという。
逆に低い点数を大幅に改竄し、不正に採用された者が教壇に立っている。県警の協力も得て、厳正に対処しなければならない。
不正採用の確認が難しくとも疑惑がもたれる教員には再試験も辞さないなどの対策を検討すべきだろう。
そうした採用者の解雇にあたっては急に担任がいなくなるなど混乱が懸念される。子供たちへの精神的ケアなどを含め、教育現場の混乱を避ける対策にも知恵を絞ってほしい。
事件は県教委ナンバー2の現職の教育審議監の自宅が家宅捜索を受ける事態となっている。
不正採用を続けたり、見過ごしたりしてきた歴代の県教委幹部らの責任が重いことはいうまでもない。事実関係を明らかにするなど、メスを入れねばなるまい。
不正採用の背景は、他の教育委員会にも共通する問題である。
「1次試験を通ればコネがきく」などのうわさが絶えないのは、採用試験の選考基準があいまいなことが一因だ。
多面的な評価を工夫し、選考法を積極的に公表するなど採用の透明化に取り組む教委もある。
学力低下や少年非行など学校をめぐる課題は山積している。社会の変化に対応できる教員が求められているのに、採用方法が旧態依然では信頼回復にはほど遠い。
産経新聞 2008年7月18日
学習指導解説書 「竹島」明記は遅いぐらいだ
国の将来を担う子どもたちに、自国の領土や歴史についてきちんと教えていくことは、学校教育の重要な責務だろう。
中学校社会科の新学習指導要領の解説書に、韓国が領有権を主張している竹島について、日本の領土であると教えるよう初めて盛り込まれた。
竹島は、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土である。それが日本政府の立場だ。
日本の領土として、北方4島は、指導要領や解説書に加え、地理と公民の中学教科書全14冊に書かれている。竹島も4冊に記述があり、今回、解説書に記載されたのは遅すぎたぐらいだ。
解説書に入れる方針が報じられた後、韓国の李明博大統領は懸念を伝え、韓国国会も日本固有の領土と明記しないよう決議した。
解説書では、「竹島は我が国固有の領土」という直接的な表現を避けている。
「北方領土は我が国固有の領土」として的確に扱うよう求めたうえで、竹島も「北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせる」とした。その際、竹島は日韓間に主張の相違があることに触れるよう求めている。
韓国への配慮だろう。韓国政府は駐日大使を一時帰国させる方針を示すなど反発を強めているが、冷静な対応を求めたい。
竹島は、遅くとも江戸時代初期の17世紀半ば以降、日本が領有権を確立し、1905年、閣議決定を経て島根県に編入された。
ところが、サンフランシスコ講和条約が発効する直前の52年、当時の李承晩大統領が突然、日本海に「李承晩ライン」を設け、竹島を韓国領域内に入れて以降、不法占拠を続けている。
韓国は、北朝鮮の核廃棄や拉致問題解決のため、密接に連携していかねばならない隣国である。
だが、領土問題はもちろん、国民にどういう教育をするかは、国の主権にかかわる問題だ。外交上の配慮と、主権国家として歴史や領土を次世代に正しく伝えていくこととは、次元が異なる。
解説書は指導要領と異なり、法的拘束力がないが、出版社の教科書編集や授業の指針となるだけに、意義は小さくない。解説書の趣旨を踏まえ、出版社はわかりやすい記述を心掛け、教師もしっかり指導していかねばならない。
竹島の領有権をめぐる問題の解決は難しい。だからこそ、国民が正しく理解し、国際社会に日本の立場を明確に主張していけるようにすることが大切だ。
讀賣新聞 2008年7月15日
竹島記述 領土問題は冷静さが必要だ
日韓両国が領有権を主張している竹島(韓国名・独島)について文部科学省は14日、中学の新学習指導要領の社会科解説書に日本の領土として取り上げることを決めた。
韓国は駐日大使の一時帰国を決めるなど強く反発している。しかし、ここは韓国側の冷静な対応を求めたい。
日韓間では、4月に来日した李明博(イミョンバク)大統領と福田康夫首相が「新時代の日韓関係」構築を誓ったばかりだ。しかも、北朝鮮の核問題を協議している6カ国協議は、同国の核計画申告の検証方法をめぐって重要な局面を迎えている。
日韓両政府は連携を強化して北朝鮮に対応すべき立場にあることを忘れてはならない。一朝一夕には解決が難しい問題で大切な日韓関係を逆戻りさせては何の得にもならない。
解説書は、新たな学習指導要領について教員、教科書執筆者の理解を深めるため文科省が発行するものだ。指導要領のような順守の法的拘束力はないとされているが、教科書記述は事実上これに沿い、授業内容にも反映される。
領土に関する記述の拡充は、改正教育基本法に規定された伝統・文化の尊重、国・郷土を愛する心の養成という目標をよりどころとしている。
現行指導要領の解説書では、北方領土問題だけを「我が国固有の領土」と明記して取り上げている。今回の解説書は北方領土問題の記述のあとに、「また、我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」との記述を加えた。
竹島の記述部分に「固有の領土」との表現を結びつけず、日韓両国に主張の相違があることを指摘したことは韓国側への配慮といえる。一方で「北方領土と同様に」という記述で、竹島の固有領土明記を求める勢力にも気を配っている。
竹島の領有権問題は1965年の日韓基本条約締結時にも結論を出せなかった未解決の案件である。しかし、韓国の教科書は「独島は我が国の領土」と記述している。そうしたことを考えれば、「歴史的事実に照らしても、国際法上も明らかに我が国固有の領土」との立場の日本が教科書で竹島を取り上げても不自然ではないだろう。
しかし、こどもたちを教育するための指針をめぐって日韓が対立するのは不幸なことだ。さまざまな配慮をめぐらした揚げ句、日本語としてすっきりしない表現になったことも現場の教師を惑わすだろう。
国民感情を刺激しやすい領土問題は、両国政府が外交の場で理性的に、粘り強く話し合っていくべき問題である。感情的な対立を繰り返しているだけでは何の解決にもつながらない。
毎日新聞 2008年7月15日
竹島 明確に「日本領」と教えよ
竹島に関する新学習指導要領の解説書の内容が公表された。日韓両国の領有権をめぐる争いを踏まえ、「北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせる」としている。だが、竹島が日本固有の領土であることがはっきりと書かれておらず、大いに不満が残る。
文部科学省は当初、竹島を「我が国固有の領土」と明記する方針だった。しかし、外務省や首相官邸と調整した結果、最終的には福田康夫首相の判断で、このような表現になったとされる。町村信孝官房長官は「日韓関係をできるだけぎくしゃくしないようにしたいとの意図の表れだ」と韓国側に配慮したことを認めた。
領土問題は日本の主権にかかわる問題である。その指導のあり方を示す解説書に外交的配慮を加えたことは、日本の公教育の将来に禍根を残したといえる。
韓国はこの日本政府の対応にも「深い失望と遺憾」の意を示し、駐日大使の召還を発表した。韓国側の不満は理解に苦しむ。
解説書は教科書編集の参考とされる重要な資料である。最近の検定では、竹島について「日韓両国が領有権を主張」といった申請図書(白表紙本)の記述に意見が付き、日本の領土であるとする記述が少しずつ増えていた。今回の福田内閣の対応は、こうした検定方針とも矛盾している。
ただ、解説書は領土問題について「我が国が正当に主張している立場」に基づくべきだとも書いている。外務省のホームページによれば、竹島は日本の領土でありながら、韓国に不法占拠されている。解説書の竹島に関する表現は曖昧(あいまい)だが、学校では、この日本の立場を踏まえて指導すべきだ。
竹島は江戸時代から日本の中継基地として利用され、明治38(1905)年の閣議決定と島根県告示で日本領に編入された。戦後の昭和27(1952)年、韓国の当時の李承晩政権が一方的に竹島を韓国領とする「李ライン」を設定した。サンフランシスコ講和条約の起草過程で、韓国は日本が放棄すべき領土に含めるよう要請したが、米国は竹島が日本の管轄下にあるとして拒否した。
実際の社会科の授業では、こうした歴史的経緯を含め、竹島が歴史的にも法的にもまぎれもない日本領土であることをきちんと教える必要がある。それが公教育というものである。
産経新聞 2008年7月15日
教員採用汚職 他教委も調査し改革せよ
大分県の教員採用汚職事件で、採用や昇進人事が金品で左右されていた実態が次々と明らかになっている。
教員採用や人事をめぐる縁故や口利きの疑惑は、大分だけの問題ではない。他の教育委員会も徹底的に調査し、不正の根を絶たねばならない。
事件で逮捕された採用実務担当の県教委参事は、上司の元教育審議監から受験者の名前を指示され、合格させる点数の改竄(かいざん)工作までしていた。
点数水増しだけでなく、本来、合格点に達していた受験者を減点するなど許し難い不正だ。
あきれたことに、こうした不正は、慣習化していた疑いがある。口利きした関係者には県議らもいるという。
昇進人事などでも商品券が贈られ、県警に自分で名乗り出る校長や教頭が相次いだ。
これまでも「頼まなくては昇進できない」「謝礼がいる」などのうわさがあったという。教師の資質でなく、縁故や金品がものをいうとは教職者として嘆かわしい。不正の構図をすべて明らかにし、対策につなげねばならない。
大分県の教育界は、教職員組合の組織率が高く、教育委員会にも教組出身者が少なくない。
教委と教組が人事を含め多岐にわたる事前協議を行ってきた過去がある。こうした癒着体質も改めて問題にすべきだろう。
文部科学省が当初、県教委の調査を見守る姿勢だったのには首をかしげる。渡海紀三朗文科相がやっと「保護者、国民が教委の人事にいろいろ疑問を持っているのは否めない」とし、他の教委にも調査を求めたのは当然だ。
教育委員会は、いじめ問題や不祥事を隠すなどの体質がこれまでも批判を浴びてきた。
事件で校長、教頭5人が不在となった大分県佐伯市の教育長は、市議会からの実態調査の要求に「調査権限がない」などと難色を示していた。事態収拾ばかり考えた、事なかれ主義では問題は解決しない。
教育委員会は、教員が、学校現場と教委事務局を行き来するなど閉鎖的だ。他分野との積極的な人事交流を含め、体質を変え、透明性を高めねばならない。
公教育再生で地域に応じた特色ある教育改革が求められているとき、教委の責任は重大で、教委の抜本的改革が急務だ。
産経新聞 2008年7月13日
看護基礎教育 4年制大学化に向け動き出せ
厚生労働省の「看護基礎教育のあり方に関する懇談会」が、これまで専門学校を中心に行ってきた看護師の養成を将来、4年制大学に移行する方向性を打ち出した。医療の高度化などに対応するために、看護職員の資質の向上が求められており、4年制大学での看護師養成は当然の流れである。
日本の大学化の取り組みは遅いと言わざるを得ない。欧州や東南アジアの各国では、すでに大学での養成が行われている。懇談会では「20年先の中長期のあり方」として、大学化を提言したが、悠長なことを言っている時間はない。
大学で看護師養成を行うには、教員の養成や現在ある3年制の専門学校など看護師養成所と大学との統合など、事前の準備に相当な時間がかかる。大学化となれば、厚労省だけではできないので、文部科学省などとの調整も必要だ。
高齢化によって「多病・多死の時代」がすでに始まっている。20年先などと言わず、看護基礎教育の大学化は待ったなしで、準備に取りかかるべきだ。
世界で最も早く進む高齢化の下、看護師の役割は今後ますます重要になる。医療機関だけでなく、広がる在宅医療を現場で支える看護師の仕事は専門性や判断力が求められるようになっている。
現在、専門学校などで8割、大学で2割の看護師が養成されているが、3年制の専門学校では詰め込み教育にならざるを得ない。看護の基礎教育をみると、老年看護学、精神看護学など新しい科目が増えた結果、専門学校では1科目当たりの授業時間や実習時間が減っている。日本看護協会が新卒看護師にアンケート調査したところ「専門知識・技術が不足している」(77%)「医療事故を起こさないか不安」(69%)という答えが返ってきた。こうした点が、就職して1年以内に看護師の1割弱が離職する背景になっている。
医療を支える貴重な人材が、仕事への不安や疲弊によって職場を去っていくことを何とか防ぐことができないものか。欧米では短時間勤務の正職員制度がある。こうした制度を導入して結婚や出産による看護師の離職を減らすための手を打つべきだ。
医師不足への対応策として、看護師により高いレベルの仕事を役割分担してもらうことも今後の課題となっている。また医師と看護師らによるチーム医療を円滑に行うためにも、看護教育の一層の充実を図ることを国民は望んでいる。
大学化を進めると同時にやるべきことがある。看護師の労働条件改善や社会的評価をもっと上げていくことだ。厳しい勤務に耐え献身的に医療を支えている看護師の賃金など処遇を改善し、働きがいのある職場環境を作り上げていく必要がある。
毎日新聞 2008年7月11日
教員採用汚職 これでどう「道徳」を説くのか
公務員に袖の下を渡してものを頼む。警察が動く。次々に関係者が逮捕され、並ぶ顔写真を金の流れの線が結ぶ「汚職相関図」がメディアに掲載される。
組織的な贈収賄事件でしばしば見る報道だが、今大分県警が捜査を進めている事件の相関図に驚かされるのは、登場者が教員や県教育委員会幹部ら教育者たちだからだ。
小学校校長らがわが子を採用してもらうために、県教委幹部らと贈収賄サークルを成したのが事件の構図だ。しかし、関係者の証言などでは、これにとどまらない。例えば、逮捕者の一人は少なくとも35人の口利きを受け、成績改ざんをした疑いがある。また別の一人は小規模校から県教委に転勤する際、現職幹部に高額金券を贈っており、関係者は「人事の前後には、モノ、金が動く」と金品授受横行の体質を語る。
公立学校教員採用試験は都道府県、政令指定都市教委が夏場に2段階選考で実施する。県警の調べでは、不正は合格点に足らない者に加点するやり方だ。採用倍率は全国的に団塊世代の大量退職や少人数学級導入の動きもあってひところより下がり、07年度で平均7・3倍だが、大分県は11・9倍と人気は高い。
文部科学省は教育振興基本計画の策定で、向こう5年間で2万5000人の教員定数増加を盛り込もうとし、支出抑制を図る財務省に拒まれた。
確かに授業時間を大幅に増やす新学習指導要領を実施するには教員を増やすことは必要だ。しかし、今回のような実態が露呈しては説得力はそがれる。
それだけではない。教員採用にはコネや情実が利いているのではないかという疑念、不公平感は多くの地域で語られ、採用不祥事が報じられる度に嘆息が漏れてきた。文科省は「そのような採用実態は聞いていない」としてきたが、ならば、疑念を払うために、捜査機関とは別に、今回の事件の土壌を徹底検証してその内実を開示し、速やかに事件も疑いも生じさせない改革をすべきではないか。
それには、採点・判定などが二重、三重に他者によってチェックできる仕組みが必要だ。恣意(しい)的な加点、減点の形跡が明確に残り、第三者が検証できれば抑止効果は上がる。しかし、それは情けない手段だ。こと教育界でこうした対策を考えなければならないこと自体が問題なのだ。
今回の事件はごく一部の不心得者が起こした、では説明できない根の深さと広がりを示唆している。自制の感覚が鈍磨するほど長く続いてきた慣行慣習ではないのか。そんな疑念さえぬぐえない。例外として扱い、これを教訓としないで放置するなら「教育不信」をさらに深めるだけだろう。
真剣に子供と向き合っている多くの先生たちのためにも、徹底解明が必要だ。
毎日新聞 2008年7月8日
教育基本計画 必要な予算を精査すべきだ
国の教育振興基本計画に教育予算や教員増の数値目標が入らなかったのは、やむを得まい。
文部科学省は明確な論拠を示せなかった。しっかり検証し、今後の予算要求にメリハリを付けるべきだ。
改正教育基本法に基づく初の基本計画は、今後10年間に目指す教育像と直近5年間の教育施策を描くものだ。多くの施策が盛り込まれたが、裏付けとなる予算があいまいなままでは、「教育立国」も掛け声倒れに終わりかねない。
なぜこうなったのか。
教育以外にも社会保障など重要な課題が山積している。その中で、政府は「骨太の方針2008」で歳出削減の方針を維持した。
ただ、それだけではない。
文科省は原案作成の際に教育予算の数値目標がない点を批判され、急きょ、10年間の目標値として経済協力開発機構(OECD)平均の対国内総生産(GDP)比5%を掲げた。現在は3・5%で、7・4兆円も上積みが必要だ。
“内訳”を示す過程で、初等中等教育予算が3・7兆円から2・8兆円へ、高等教育が2・5兆円から3・5兆円へと変転したこともある。1兆円が簡単に増減する数値目標に現実味はなかった。
教育で目標とする児童生徒の具体的な将来像を描き、それを達成する施策にはいくら予算が必要か。1年以上の中央教育審議会の議論では、こうした点こそ専門家に検討してもらうべきだった。
学力低下が懸念される中、国民に関心の高い学力面の数値目標は計画に盛り込まれなかった。
教育の成果が数値で測りにくいのは一面で事実だろう。だが、文科省をはじめ教育界全体に“甘え”がないか。こうした姿勢が、教育予算の説得力を欠く一因になっていないか。点検が必要だ。
文科省が優先すべきは、学習内容などを増やした新学習指導要領実施に伴い、学校現場にしわ寄せがいかないための環境整備だ。
全面実施は小学校が2011年度、中学校が12年度である。
文科省はいったん原案に掲げた教員増2万5000人に固執せず、知恵を絞らねばならない。退職教員や地域の人材を生かすなど、努力を重ねてもなお足りない教員数を精査すべきだ。
教育は、人材育成という未来への先行投資である。その重要性は多くの国民も承知している。
来月には、来年度予算の概算要求の時期を迎える。具体性のある現実的な予算額と理由を示し、理解を求めていかねばなるまい。
讀賣新聞 2008年7月3日
教育振興計画 骨太の像なく総花のむなしさ
この1カ月余、数値目標を入れる入れない、で文部科学省と財務省などが対立し、結局は文科省が完敗した。そして教育振興基本計画がようやく定まった。そんな政府内の争いが、国民の前から教育論議を遠ざけた。これがそもそもの間違いだ。いくら官僚や文教族議員が熱くなっても、国民が冷めていては不毛なコップの中の嵐にすぎない。
そもそも教育振興基本計画というしかつめらしい名の政策は何か。06年に改正された教育基本法が政府に策定を義務づけた。10年先のあるべき状況を見据え、5年間でなすべき施策を定めるという。
教育基本法の改正前、改正は無用とした反対派に対し推進側が「改正基本法による振興基本計画で長期に安定した財源を確保し、条件整備が着実に進められる」と利点を強調し、説得材料にした経緯もある。
だが、一方で政府は支出抑制を基本とする行財政改革を進める。さらに「教育再生」を最重要政策に掲げた安倍晋三政権が突然倒れたことも逆風になった。
不可解な展開もあった。
基本計画案は文科相の諮問機関・中央教育審議会が4月に答申したが、財政引き締めの状況を踏まえ数値目標はほとんどなかった。これには自民党文教族などから強い不満が出、その意を受けて文科省は(1)教職員定数を5年で2万5000人増やす(2)10年で教育投資額の国内総生産(GDP)比を今の3・5%から経済協力開発機構(OECD)諸国平均5%へ−−などと数値を入れた案を作成、財務省との折衝に臨んだ。
授業時間が大幅に増え、小学校に英語も導入する新学習指導要領を円滑に実施するにはこれだけ先生が必要。教育にかける金を先進国並みにしないと高等教育などで太刀打ちできなくなる−−などという主張だ。だが財務省は納得せず、投資の根拠や成果の見通しを求めかみ合わなかった。
もちろん基本計画はただ数値獲得を主眼としているのではない。子供の自立、学力と体力、世界最高水準の大学、留学生受け入れ拡充、校舎耐震化などあらゆる課題が「あれもこれも」とばかり盛り込まれた。
すべて重要だ。しかし、大半は既に個別施策としてやったり、進めることができるもので、新たに引きつける理念、訴えかけてくる意思に乏しい。10年後の社会に向け、どのような人格、人材を教育が目指し、そのため5年間に何を最重点にどのように学校、社会、家庭の教育のかたちをつくり出すか。
何をさておいても、の目標が国際学力コンテストの順位を上げることでは寂しい。高々とした理念と、一人一人の子供や学生に思いを致せる想像力に満ちた教育目標と手法こそが、今求められている。
それが国民世論を引きつけ、財務当局を説得する。
毎日新聞 2008年7月3日
教育基本計画―学力向上へ大胆な投資を
様々な政策が総花的に盛られているが、肝心のことが書かれていない。
教育基本法の改正を受けて、初めての政府の教育振興基本計画が決まった。しかし、焦点となっていた教員数や教育予算などの数値目標は軒並み削除された。
10年先のあるべき姿を見据えて今後5年の施策に取り組む。それが基本計画のねらいだ。
文部科学相の諮問機関である中央教育審議会の答申に、数値目標はなかった。これに対し、教育の底上げには数値目標が必要だ、との批判が教育現場だけでなく、与党からも上がった。
文科省は急きょ、数値目標を基本計画に書き足した。教育予算の対国内総生産(GDP)比を、現在の3.5%から経済協力開発機構(OECD)加盟国平均の5%に引き上げる。教職員を2万5千人増やす――。
だが、何せ付け焼き刃である。なぜ、5%なのか、2万5千人なのか。この投資でどんな成果が得られるのか。説得力に乏しかった。ただでさえ、歳出削減を求められる時代に、ただ金をよこせ、人を増やせだけではさすがに通らなかった。
しかし、今回の文科省の要求の仕方が稚拙だったからといって、大胆な教育投資が必要でないわけではない。
そもそも今回の基本計画から根本的に抜け落ちているのは、日本の教育の問題点をどう総括し、そのための処方箋(せん)をどのように描いていくかである。解決方法をきちんと打ち出していけば、教育予算をどのくらい増やさなければならないかもはっきりする。
例えば、日本の教育が抱える大きな問題は学力低下だ。特に国際的な調査で深刻さが浮き彫りになっているのは、考える力の不足と、できる子とできない子の二極化である。
この解決に必要なのは、子ども一人ひとりの状況に合わせて、きめ細かな指導をすることだろう。それには子どもたちと日々向き合う教師の量を増やし、質を高めていくしかない。
今はかつてない教師受難の時代である。一部のダメ教師の存在をきっかけに、教員免許更新制が導入された。いじめや不登校に加え、学校に理不尽な要求をするモンスターペアレントも増えた。そうしたことに嫌気が差して、教師の志望者が減っている。
そんな中で、人材を集め、質の高い教師に育てるには、教師の待遇を良くし、養成方法を工夫する必要がある。
公立学校への不信が指摘されて久しい。東京都杉並区の公立中の夜間塾などの対症療法ばかりが注目されるのも、不信の裏返しである。
財政が厳しいのはいつの世も変わらない。政府は教育の重要性を言葉で語るばかりでなく、教育投資を着実に増やしていってもらいたい。
朝日新聞 2008年7月2日
「教育」が見えぬ教育振興計画
「教育立国」を高らかに掲げているわりには、総花的で胸に迫るものがない。新しい教育基本法の規定に基づき、政府がきのう閣議決定した初の教育振興基本計画である。
計画には、今後10年間の大きな方向性と5年間に取り組む個別の施策を盛っている。しかし取りまとめの過程では具体的な議論は置き去りにされ、教育への財政支出について数値目標を明記するかどうかをめぐって延々と時間を費やした。
もともと中央教育審議会が4月に出した答申では数値目標は記していなかった。ところが自民党の文教族議員などから批判が高まり、文部科学省は(1)教育支出を10年間で国内総生産(GDP)比5%に引き上げる(2)教職員の定数を5年間で2万5000人増やす――などを打ち出した。
これに財務省などが強く反発し、迷走の果てに結局は数値目標盛り込みを見送ったのが今回の計画だ。
たしかに日本の教育支出はGDP比で約3.5%と、経済協力開発機構(OECD)諸国の平均である5%とは開きがある。特に、国際的な人材育成競争にさらされる高等教育段階での見劣りは憂慮すべきだ。
しかし、ひたすら数字を巡る攻防に終始したのは不毛だった。「学校をこう変える」「こんな人材を育てる」といった未来図を示し、メリハリをつけたうえで投資額を導き出すべきではなかったか。財政規律を重んじる財務省などと議論がすれ違いに終わった要因はここにある。
個々の施策をみても「社会全体の教育力を向上させる」「世界トップの学力水準を目指す」などと多彩ではあるが、突っ込んだ手立ては書き込んでいない。目立つのは「検討する」「図る」「推進する」といった役所用語だ。「教育立国」への決意は、そこからは伝わってこない。
もうひとつ気になるのは、教育の地方分権に向けた熱意が欠けていることだ。計画は地方の自主性を尊重する姿勢をにじませてはいる。しかし本気で分権に踏み出すなら、学習指導要領をはじめとして国の画一的な統制を緩める必要がある。計画にそうした発想はみられない。
10年先まで見据えたという長期計画だが、こうした内容で時代の激変に本当に耐えられるのだろうか。
日本経済新聞 2008年7月2日
わいせつ教師 教壇に戻さず厳罰で臨め
教師が教え子や未成年者にわいせつ行為や性的問題を起こす事件が相次いでいる。教育者としてあるまじき行為だ。教育委員会は厳罰で臨み、こうした教師を教壇に立たせてはならない。
文部科学省が年末に公表している調査によれば、わいせつ行為などで懲戒処分や訓告などの処分を受けた教職員は平成18年度で190人にのぼり、前年度に比べて48人も増えている。
調査では自校の児童・生徒へのわいせつ行為が目立つ。教師の立場から教え子の弱みに付け込む卑劣な犯罪に怒りを禁じ得ない。
つい最近も、茨城県行方市の市立中学教諭が11歳の女児に性的暴行を加えたとして、強姦(ごうかん)容疑などで県警に逮捕された。
このケースでは、昨年4月ごろには教師と女児の関係がうわさになっていた。しかし、学校側の確認に対しても教師はこれを否定、その後も教壇に立っていた。学校側の対応は、あまりに身内に甘すぎたと言わざるを得ない。
学校や教委が、教師の不祥事について情報を得ていながら、警察の捜査が始まるまで適切な調査すら行わずに放置する。そんなケースは過去にも起きている。
逮捕や処分されたケースは、氷山の一角にすぎないとの指摘もある。文科省の調査では、過去に処分歴がある再犯者がいることも明らかになっている。
都道府県教委などはそれぞれ懲戒処分の独自基準を設け、処分した場合は原則公表する流れになってきてはいる。だが処分の具体的統一基準はないのが実情だ。
例えば、児童・生徒への性行為やキス、盗撮などをした場合には「免職」とするなど、事例と処分の重さを具体的に明示し、インターネットのホームページなどで公表している教委がある一方、基準が抽象的なままの教委も多い。
処分を受けた教職員の氏名公表も、教委や事案などによって基準が異なり、あいまいだ。
文科省は「懲戒処分基準を作成し、教職員に周知を図ることは厳正な運用や抑止につながる」としている。教委は処分基準を明確にし、厳正に処分すべきだ。
校長までが逮捕され、学校不信は広がるばかりだ。かつて教師は地域の相談役でもあり、尊敬を集める存在だった。高い倫理観が求められるのは当然だ。教壇の信頼回復のためにも、不適格教師には厳罰で臨むほかなかろう。
産経新聞 2008年7月1日