地方紙社説(2008年3月)


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集団自決訴訟 住民の目線に沿った判決だ

太平洋戦争中の沖縄戦をめぐり、ノーベル賞作家大江健三郎さんらの著書の出版差し止めを求めた訴訟で、大阪地裁が原告側の請求を棄却した。

裁判では、住民の集団自決に旧日本軍の命令や強制はあったのかどうか、関与の度合いはどうだったのかが争われた。判決は軍が深くかかわっていたことなどが認められると指摘し、出版差し止め請求を退けた。

集団自決については昨年、教科書検定の問題が浮上し、「強制」の削除に対して沖縄県の住民が大規模な集会を開いた経緯がある。検定意見で「強制」削除を求めた理由の一つに進行中だったこの裁判が挙げられた。

教科書検定ではその後「強制」削除が事実上撤回されたが、裁判の行方も注目されていた。

判決が根拠にしたのは、座間味島と渡嘉敷島での集団自決に使われた手りゅう弾を兵士が配ったとの体験談があることや、集団自決が起きたすべての場所に軍が駐屯していたことなどだった。

原告である元守備隊長らの関与は十分推認できるとの考えを示したが、その一方で、伝達経路がはっきりしないことから「自決命令」の認定までは踏み込んでいない。原告側は命令を否定していた。

さまざまな材料を調べてみれば、戦争末期に沖縄の現地にいた軍が深くかかわっていたことは認められる。命令を出したかどうかまでは明確でないものの、本の著者が「命令が出された」と信じるに足る根拠はあった。大阪地裁の判決はそうした判断を示した。

出版や報道に関する名誉棄損では通常、公益を図る目的だったのか、内容は真実か、または真実と信じるだけの理由があったのかどうかが問われる。判決は自決命令についての断定は避けているが、あったと信じたことに対しては理解を示した。そう判断するだけの合理的な資料や根拠が存在していたとみなしたためだ。

「軍が深く関与した」と認定した理由を、判決は何点か列記している。

座間味島と渡嘉敷島での集団自決には手りゅう弾が使用されたが、米軍の捕虜になりそうになった場合の自決用として、旧日本軍の兵士から渡されたと多くの住民が話していること。捕虜になった住民から軍の情報が漏れかねないことを警戒していたことなどだ。

いつ、何のために使うかを知らせた上で手りゅう弾を配り、その通りの結果になったのであれば、それだけでも責任は免れない。住民から「強いられた」「追い込まれた」との受け止め方が出るのも当然だろう。判決が「深い関与」を指摘した部分からは、住民が置かれた過酷な状況が読み取れる。

河北新報 2008年3月31日

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新学習指導要領 透明性を欠いた文科省の修正

渡海紀三朗文部科学相が告示した新しい小中学校の学習指導要領は、二月に公表された改定案にはなかった愛国心教育強化の文言を多数盛り込んだものとなった。

改定案の公表から一カ月間のパブリックコメント(意見公募)を経ていきなりの修正だ。唐突な感じは否めない。

「君が代を歌えるように指導する」と具体的に規定するなど国民の間で賛否が分かれている問題に修正を加えており、疑問の多い内容だ。そのうえ、文科省による土壇場での修正で不透明感をぬぐえない。

文科省は「意見公募のほか改正教育基本法の趣旨や国会審議、与党とのやりとりを踏まえた修正」と説明している。

中央教育審議会は約三年に及ぶ公開での審議で答申をまとめた。意見公募に期待されたのは最終段階での補完的なものだったのではないか。

今回の修正は中教審での議論を無視したものだ。そればかりか、意見公募がどう作用して修正に至ったかの過程が全く分からず、行政手続き面でも透明性を欠いている。

中教審の中心委員は「書き換えを迫る政治家の圧力が非常に強かった」としている。

修正の過程が明らかにされない限り、政治家の介入や官僚の恣意(しい)的判断が結果として修正に働いたとの疑念をぬぐい去ることはできない。文科省は今からでも修正過程を国民に説明すべきである。

指導要領改定で愛国心や日の丸・君が代の扱いをめぐる中教審の議論は低調だったという。現に改定案は総則で「伝統と文化を継承し、発展させ」と控えめな表現だった。

それが、新指導要領は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」と明記した。小学校音楽の君が代でも事実上、子どもたちに歌わせることに力点を置いた修正となった。

文科省は教育基本法改正時に議論が分かれた愛国心教育に、露骨で一方的な修正を加えたと批判されても仕方なかろう。

愛国心を一概に否定するものではない。しかし、心のありようは個人によって多様である。

学校には国籍や宗教などが異なるさまざまな子どもがいる。公教育の中で国が個人の心を支配するようなことをすべきではない。

君が代についても同様だ。歌に対する正しい知識を持つことは必要でもあろう。が、日の丸や君が代が戦前の軍国主義思想などと深く結びついていたことも忘れてはならない。

このため、国旗掲揚や国歌斉唱の受け止め方は人それぞれだ。思想や良心の自由は憲法で保障されてもいる。教育現場での押しつけは慎まなければならない。

文科省は「実質的な変更はなく、強制の意図もない」としている。が、学習指導要領は法的拘束力を持つともされる。

教育の中立性は大原則だ。新指導要領の実施に当たっては慎重な対応が求められる。

愛媛新聞 2008年3月31日

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学習指導要領 議論もなしに修正とは

唐突な印象がどうしてもぬぐえない。

文部科学相が告示した小中学校の学習指導要領に、「我が国と郷土を愛し」という文言が明記された。

小学校音楽では、「君が代を指導する」という従来の表現に、「歌えるよう」との言葉が加えられた。

いずれも中央教育審議会が三年余をかけてまとめた答申や、文科省が二月に発表した素案にはなかった内容だ。

実質的な議論もなしに、告示の最終段階で指導要領の内容をいきなり変えるやり方は、あまりに乱暴である。修正した理由についても、文科省の言い分で納得できる人は少ないだろう。

教育現場での愛国心や君が代の取り扱いをめぐっては、国民の賛否が分かれている。指導要領の修正に当たっては、幅広い議論を踏まえ、もっとていねいな判断が必要ではなかったか。

愛国心の記述は指導要領の「総則」に盛り込まれた。教育活動全体の方針を示す重要な部分だ。道徳面での指導を強化する狙いがあるのだろう。

文科省は、「改正教育基本法の趣旨を明確にするための修正だ」と説明している。

それならば、中教審に正式に諮問したうえで、専門家や教育現場の意見を踏まえて判断するのが筋である。

なぜ、告示直前になって修正に踏み切ったのか、理解に苦しむ。

文科省は、素案に対して全国から公募した一般意見も参考にしたという。インターネットなどを通じて、全国から約六千件の意見が寄せられた。

この中には「愛国心」の明記を強く求める意見があったことは事実だ。だが、特定の価値観の押しつけになるとして問題視する意見もあった。

賛否が分かれる問題だからこそ、より慎重な議論が必要だったはずだ。

今回の修正には、政治の「圧力」がちらついている。文科省は、一部の与党議員からの強い働きかけがあったことを認めている。

指導要領の内容に、政治家が意見を言うことが悪いというのではない。

文科相が指導要領を告示する以上、その内容が何らかの政治性を帯びる歴史があったことも事実だ。

しかし、文科省が、一部の公募意見を「隠れみの」にして、政治家の意向をなぞる形で素案を修正したのであれば、「国を愛する」教育につながると言えるだろうか。

指導要領の修正は、教育現場にも影響を与えかねない。

「君が代を歌えるよう指導する」という規定が独り歩きすれば、「歌えるまで指導する」「歌わせないことは許されない」となりかねない。

国旗国歌への親しみや愛国心は、本来、自然にはぐくまれるべきものだろう。それを押しつければ、教育の内容がゆがむことは明らかだ。

北海道新聞 2008年3月30日

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新学習指導要項 修正は露骨な政治介入

こんなことで果たしていいのだろうか。1カ月ほど前の改定案にはなかった愛国心強化の文言を多く盛り込み、小中学校の新学習指導要領が告示された。中央教育審議会の委員が「書き換えを迫る政治家の圧力が非常に強かった」との強い不満をあらわにするほど、文部科学省が行ったのは強引な修正だ。

露骨な修正でもある。中教審の約3年に及ぶ公開審議を踏まえて改定案を公表した後、賛否の分かれる愛国心教育に関する部分を政治的圧力で駆け込み的に修正したのは、どう考えても手続きとして不自然であり、不透明だ。教育への政治介入以外の何物でもない。教育現場への影響は避けられず、文科省の責任は重大だ。

総則での道徳の目標部分は、改定案では「伝統と文化を継承し、発展させ」と、控えめな表現になっていた。それが「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我(わ)が国と郷土を愛し」となり、愛国心に踏み込んだ表現に書き換えられた。

小学校の国語では、読み聞かせや発表し合う対象として「昔話や伝説などの本や文章」とされていたのが「昔話や神話・伝承など」と修正された。

いずれも国会や中教審で議論を積み上げた末、改定案の表現に落ち着いたいきさつがある。それが覆された。これまでの議論は一体何だったのか、と言いたくなる。

文科省は、指導要領には「法的拘束力がある」としている。その一方で、告示した新指導要領には改定案と照らし合わせてみても「実質的な変更はなく、強制の意図もない」と説明する。しかし、告示までの経緯をみれば、文科省の意図が浮かび上がってくる。

2006年12月、愛国心の条文化などをめぐって賛否が分かれた改正教育基本法が成立し、政治が教育内容に踏み込む道が開かれた。今となってみれば安倍前内閣の「遺産」であるといえるが、「国と郷土を愛する態度」などを身に付けた国民の育成に重点を置くことになり、教育理念として「公共の精神」「伝統と文化」の尊重などが掲げられた。その意味では、今回の告示は改正教育基本法の趣旨に沿う内容となった。

それは、愛国心の押し付けではなかろうか。一人一人が抱く国や郷土への思いは異なる。にもかかわらず、時の政府の意向を受けて強制すれば表面的な教育行為にすぎなくなり、反発も強まるのではないかと危惧(きぐ)する。大切なのは、愛したいと思う国や郷土にするためにはどうすればいいのか、ということであり、考え方の順序が逆なのではないか。

文科省はパブリックコメントも踏まえた修正とするが、中教審委員が圧力を受けたという政治家の意向と合わせ、透明性を欠く。告示までの過程が一切見えない。義務教育の根幹は政治的に中立であるべきだ。

秋田魁新報 2008年3月30日

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学習指導要領 勝手に総則を変えるとは

小中学校の新しい学習指導要領に、文部科学省が異例の修正を加えて告示した。指導要領の基本的性格を示す総則に愛国心の育成が明記されたのである。

中央教育審議会が原案を公表して一カ月以上がたつ。告示という最終段階での修正は、あまりに唐突と言わざるを得ない。

原案では「伝統と文化を継承し、発展させ」となっていたのが、告示では「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」に変わった。道徳を強化し、君が代を「歌えるよう指導する」との項目も盛り込まれた。総じて愛国心の涵養(かんよう)を強調する内容といえる。

愛国心教育をめぐっては国民の間でも賛否が分かれている。慎重に扱うべき問題であることは言うまでもない。三年間の年月をかけて改定案を練り上げた中教審の論議は何だったのか。

教科書検定問題で指摘された文科省の密室性を、あらためて見せつけられた思いがする。

愛国心や郷土愛は改正教育基本法に盛られている。修正は基本法の趣旨を生かすためのものであり、微調整にすぎないというのが文科省の言い分だ。

授業の事実上のマニュアルである指導要領が教育現場に及ぼす影響は大きい。「国を愛する」とは具体的にどういうことか。根源的な問題を放置しておいて、愛国心を強調しても混乱を招くだけではないか。

学習指導要領は、ほぼ十年で改定される。とりわけ今回は、ゆとり教育路線を転換し、主要教科の授業時間を増やすという大幅な改定となった。小学校高学年での英語活動や中学体育の武道必修化など、学校現場には関心の高い内容もある。

文科省は、原案公表後に公募意見(パブリックコメント)を求めた。さらに国会審議や与党とのやりとりなどを踏まえ
総合的に改定案の修正を決めたとしている。戦後教育の大きな転換点となるだけに、広く意見を募るのは当然だろう。

気になるのは、重要な修正が総則をはじめ、道徳教育に目立つことだ。背景には、愛国心教育強化を進める一部自民党議員の強い働き掛けがあったとされる。

一部の政治家の圧力によって指導要領の根幹にかかわる部分が修正されたのだとすれば、由々しき問題だ。

脱ゆとり教育という大きな方針転換をどうやって軟着陸させていくか。武道など新しい分野の指導者をどう確保するのか。

まずはこうした現場の不安に応えることが先決だろう。不透明な手続きによる指導要領改定は、教育不信を深めるだけだ。

新潟日報 2008年3月30日

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新学習指導要領 強引さ感じる愛国心教育

小学校は二〇一一年度、中学校は一二年度に完全実施される新しい学習指導要領が告示された。見逃せないのは、二月十五日に公表された改定案と比べ、基本的な方針を示す総則に「我が国と郷土を愛し」との文言を書き加えるなど、告示された新指導要領が愛国心教育を強調していることだ。

愛国心をめぐっては、押し付けになるのではないかと懸念する声が根強い。国や郷土を愛することは大切だが、強制的な意図が感じられるようでは反発を招き、逆効果になりかねない。より慎重に取り扱うべきテーマであろう。

文部科学省は改定案への加筆について「改正教育基本法の趣旨を明確にするためであり、さらにパブリックコメント(意見公募)や与党とのやりとりを踏まえて修正した」と説明する。〇六年に成立した改正教育基本法には「我が国と郷土を愛する態度を養う」と明記されている。ただ、当時の安倍晋三首相は「国を愛する心情を内面に入り込んで評価することはない」と述べていた。

愛する態度を、子どもたちの内面の自由を尊重しながらどうすればはぐくむことができるか。困難な課題であるだけに、教育現場を中心に知恵を絞り、工夫を重ねながら丁寧に取り組んでいくことが何よりも重要ではないのか。

改定案の総則は「伝統と文化を継承し、発展させ」と控えめな表現にとどめ、「国を愛し」の文言は現行の指導要領通り「道徳」の項目に納めていた。押し付けや強制を抑える配慮だったと思われる。文科省は、告示段階での修正は「特に重要な部分はない」とするが、賛否のある愛国心教育に関する文言をあえて総則に盛り込んだのだから、教育現場へは大きな影響を与えよう。

総則だけではない。例えば小学校音楽では、改定案が現行指導要領の「『君が代』はいずれの学年においても指導する」を踏襲していたのに、新しい指導要領は「歌えるよう指導」と踏み込んだ。

渡海紀三朗文科相は「新指導要領の趣旨をあらゆる場面を活用して教師など教育関係者はもとより、保護者や広く社会に対してしっかりと説明する」と強調する談話を出した。

これからの学校教育は、家庭や地域社会との連携を強化することがますます重要になってくるだけに、十分な説明は当然だ。だが、告示段階で唐突に愛国心教育を強めるような密室、独断的な手法を取っていては決して理解は広がるまい。

山陽新聞 2008年3月30日

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なぜ唐突に「愛国心」なのか 指導要領修正

学校で何を、どこまで、どのように教えるか。その具体的な基準となるのが学習指導要領だ。「全国的に一定の教育水準を確保する」として文部科学省が、学校教育法などに基づいて定めている。

ほぼ10年ごとに改定されており、新たな小中学校の指導要領を渡海紀三朗文科相が官報で告示した。

主要教科の授業時間数を約1割増やす一方、現行の指導要領で導入した「総合的な学習の時間」は削減し、中学校の選択教科も廃止した。

学力低下批判を受け、「ゆとり教育」を転換する改定である。教育基本法の改正を踏まえ、政府の教育再生会議が求めていた道徳の教科化は見送ったものの、道徳教育の充実も盛り込んでいた。

改定案は先月15日に公表され、国民の声を幅広く募るパブリックコメント(意見公募)の手続きを経て、正式に告示された。

ところが、ふたを開けてみると、総則に道徳教育の目標として「我が国と郷土を愛し」という文言が新たに加わった。小学校の音楽では、君が代の指導が「歌えるよう」指導と改められた。

国民の間で賛否が分かれている「愛国心」教育をより強調する修正である。なぜ、こんな修正が唐突に行われたのか。

文科省は「意見公募のほか、改正教育基本法の趣旨や国会審議などを踏まえた」と説明している。「とくに重要な修正ではない」とも言う。

ちょっと待ってほしい。指導要領の総則は、全体を貫徹する根幹部分だ。その文言が変わったのに「微修正」とは強弁ではないか。

君が代を「歌えるよう」に‐という加筆について、文科省は「現行指導要領の解説書の記述に合わせた。強制の意図もない」と言うが、指導要領の本文に“格上げ”する根拠は判然としない。

学習指導要領の改定案に対しては、自民党内の一部から「愛国心条項を盛り込んだ改正教育基本法が反映されていない」と強い不満が挙がっていたという。

今回の修正との具体的な関係は必ずしも明確ではないが、「与党とのやりとり」が修正の一因だったことは文科省も大臣も認めている。国民から見て不透明な修正だと指摘せざるを得ない。

学習指導要領の改定は、中央教育審議会が約3年に及ぶ公開審議を積み重ねて練り上げた答申が、下敷きとなっている。文科省の改定案も答申を踏まえて作成されていた。

それが、わずか1カ月の意見公募で修正されるのは理解に苦しむ。もちろん、国民の意見にきちんと耳を傾ける姿勢は大切だ。その結果、改める判断があってもいい。しかし、それならば、修正の経緯や理由を詳細に明らかにして再度、意見公募にかけるのが筋ではないか。

微修正で問題なしと勝手に「告示」した文科省の姿勢は納得できない。

宮崎日日新聞 2008年3月30日

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新学習指導要領 危うい公教育の中立性

どう考えてもひどい話だ。公教育の政治的中立性が、こうも安易にひっくり返されてしまうとは。日本の教育はどうなっていくのか。時の権力に、いとも簡単に左右される教育のありようには、暗たんたる気持ちを抱かざるを得ない。

文部科学省が28日付で小中学校の新しい学習指導要領を告示した。2月15日に公表した改定案を修正。小学校音楽で、君が代を「指導する」から「歌えるよう指導する」に変えた。また、総則に道徳教育の目標として「我が国と郷土を愛し」との文言を付け加えるなど、愛国心教育をより強調するような内容となっている。

改定案の公表からわずか1カ月余り。その間に、すっかり書き換えられてしまった。政府、自民党内のタカ派による圧力に押し切られた結果というのだから、信じ難い話というほかない。

中央教育審議会が長期にわたり公開審議を続け、その結果まとめた改定案は何だったのか。中教審や国会で国民的論議となったテーマを政権与党との密室のやりとりで、あっという間に書き加えてしまう。国民のものである義務教育の内容を一部の政治勢力が力ずくで押し付けていいはずがない。

君が代について、改定案では単に「指導する」となっていたのを「歌えるよう指導する」と修正した。「歌えるよう」というからには当然、実際に歌わせなければならない。嫌がる児童にまで無理やり歌わせる、ということになるのは、憲法が規定する内心の自由との関連でも大いに疑問がある。

愛国心の問題についても、優れて心の問題だ。問題は、愛するにたる国かどうか、が問われているのではないか。決して強要できる性格のものではないはずだ。

さらに、「神話や伝承」(小学国語)、「国際貢献について考えさせる」(中学社会)、「政治及び宗教に関する教育を行う」(同)など、いずれも保守色の強い表現を書き加えている。どのテーマも中教審などで激論が交わされたもので、それが一部の意見で不透明なまま加筆されるというのは、どうしても納得がいかない。

文科省の責任は重大だ。
沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)に関する検定意見の例を見てもそうだ。教科用図書検定審議会では専門家を交えた論議もなく、文科省の調査官の意見書がそのまま検定意見となった。つまり、極端に言えば国(文科省)の思う通りの教科書が作れることになる。これでは国定教科書と何ら変わらないではないか。

政権与党におもねるだけの文科省に存在意義はあるのか。教育は「国家100年の計」という。公教育への信頼を損なわせるような姑息(こそく)なやり方は、到底承服できない。

琉球新報 2008年3月30日

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集団自決判決 歴史を見る「冷静な目」

太平洋戦争末期の沖縄戦の住民集団自決に、「軍は深く関(かか)わった」−。

旧日本軍の元隊長らが、作家の大江健三郎氏らを訴えていた訴訟で、大阪地裁は、集団自決の背景に軍の存在と深い関与があったことを認定した。

沖縄戦の史実を見つめ、大江氏の著作を詳細に検討したうえでの冷静な司法判断といえるだろう。

この訴訟は、二〇〇六年度の高校歴史教科書検定で、文部科学省が「軍の強制」の記述を認めないとする検定意見をつけた根拠の一つとなった。

裁判が起こっている以上、「軍の命令や強制があったかは不明だ」という理由だ。

今回の判決に照らしてみると、当時の文科省の判断は、原告側の主張のみを重視し、慎重さを欠いていたと言わざるを得ない。

沖縄県内では今なお、検定意見撤回を求める声が根強い。文科省は、沖縄の訴えに正面から向き合うべきだ。

問題となったのは、大江氏が一九七〇年に出版した「沖縄ノート」の記述だ。集団自決は当時の沖縄住民が皇民化教育を受け、捕虜になる辱めを軍が許さない状況で起こったと論じた。

元隊長については、実名は避けながら、「沖縄にむけてなにひとつあがなっていない」と書いた。

こうした記述が名誉棄損に当たるというのが、訴えを起こした元隊長らの主張である。

これを退けた判決の論旨は明快だ。軍が自決用の手りゅう弾を住民に配ったという多数の生存者の証言がある。軍が駐留していた島では「上意下達の組織」があったと認定した。

さらに、〇五年度までの教科書では「軍の強制」が明記され、学界の通説になっていたことにも触れている。

大江氏は記者会見で「教科書に軍の関与という言葉しかなくても、教師はその背後にある恐ろしい意味を子供たちに教えることができる」と語った。

沖縄戦の真実を次世代に語り継ぐことが、今回の訴訟が持つ意義だろう。

軍命の有無が争点となった裁判は、史実にどう向き合うべきかも問いかけている。判決は、自決命令の伝達経路は判然としないとして、命令があったとは「断定できない」と認定した。

これを不服として、原告側は控訴する意向を示している。

しかし、大江氏も判決も、集団自決の責任を元隊長個人の言動に帰しているわけではない。

大江氏は陳述書で、集団自決は「すでに装置された時限爆弾としての『命令』で実行された」と述べている。

裁判で真に問われたのは、集団自決の悲劇を招いた軍国主義の異常さであろう。軍命の有無や個人の言動に目を奪われては、沖縄戦の真実を見逃すのではないか。

北海道新聞 2008年3月29日

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沖縄ノート訴訟 過去と向き合いたい

ノーベル賞作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐる訴訟で大阪地裁は「軍が集団自決に関与した」と判示した。今年で戦後六十三年。あらためて沖縄で起きた悲劇と向き合いたい。

訴訟は、沖縄・座間味島の元守備隊長と同・渡嘉敷島の元守備隊長の弟が二〇〇五年八月、大江さんの著作「沖縄ノート」などで「誤った記述により、非道な人物と認識される。名誉を傷つけられた」と提起した。

大江さんは「沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男」「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と実名を伏せて著した。原告は「命令していない。記述は個人を非難している」などと主張していた。

原告の請求は出版差し止めや慰謝料の支払いだが、裁判は沖縄戦での集団自決に日本軍の関与や命令があったかどうかという史実論争として注目された。

判決は原告の請求を棄却した。まず「沖縄ノート」が戦後民主主義を問い直した書籍であり、公共性と公益性を認定。自決を命令したなどの記述も、学説の状況や文献などから「真実と信じる」理由があった、とした。

記述に公共性、公益性、真実性があれば名誉棄損は成立しない。判決は三要件を認めており、これまでの判例を踏襲している。

判決を何よりも評価すべきは「集団自決に軍が深くかかわった」とあらためて認定したことだろう。多角的な証拠検討が行われ「軍が自決用の手榴弾(しゅりゅうだん)を配った」という住民の話の信用性を評価し、軍が駐屯した島で集団自決が起きたことも理由に挙げている。沖縄戦を知るうえでこれらは欠かせない事実であり、適切な歴史認識といえよう。

原告は、遺族年金を受けるために住民らが隊長命令説をねつ造したと主張したが、判決は住民の証言は年金適用以前から存在したとして退けた。住民の集団自決に軍の強制があったことは沖縄では常識となっている。沖縄戦の本質を見つめていくべきだ。

文部科学省は昨春の高校教科書の検定で「軍の強制」表現に削除を求めた際、この訴訟を理由にしていた。検定関係者の罪は大きかったと言わざるを得ない。

大江さんは判決後に「(戦争を拒む)戦後の新しい精神を信じて訴え続けたい」と述べた。その精神をつちかうには、過去と真摯(しんし)に向き合わなければならない。

中日新聞・東京新聞 2008年3月29日

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指導要領告示 ルール無視の修正だ

文部科学省はいかにも姑息(こそく)である。

愛国心教育を強調する幾つかの修正を、国民の目のとどかないと

ころで土壇場になって強行し、新しい学習指導要領を告示した。

「愛国心」という個人的な価値観を押しつける教育には反対意見が根強い。2006年の教育基本法改定時にも議論が分かれた。

2月に公表された改定案にはなかった踏み込んだ内容だ。改定案は、政令に基づく公式の機関である中央教育審議会で時間をかけて話し合い、まとめ上げたものだということを忘れてはならない。

「特に重要な修正部分はない」という文科省の言い分は、説得力がない。

今回の修正は行政手続きとしても不透明である。道徳教育をことさら重視したがる役所なのに、ルールを軽視し、国民を欺くかのようなやり方は道徳的ではない。不信感が募るばかりだ。

改定案からどう変わったか。主な修正点を示す。

全教科に共通する「総則」は、「伝統と文化を継承し、発展させ…」という表現だったのが、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し…」となった。

小学校の国語では読み聞かせなどの素材として「神話・伝承」を加え、音楽では君が代を「歌えるよう指導する」と特記した。愛国心教育を、より強調し、復古的な色合いを濃くしている。

文科省は「強制の意図はない」という。だが、同省のこれまでの説明では、学習指導要領には法的拘束力があることになっている。言うことがちぐはぐだ。

新指導要領は小学校で3年後、中学校では4年後に完全実施となる。もともと、ゆとり教育を見直す今回の指導要領によって、詰め込み教育にならないか心配されている。そこへ新たな問題が持ち込まれることになる。「歌う」ことを強制するとなれば、教育現場は混乱するだろう。

修正に至った経過が見えないことも問題だ。文科省は修正した理由の真っ先に一般からの意見公募を挙げている。だが、それで今回のように踏み込んだ修正になるか。意見採否の基準がはっきりせず、不自然だ。官僚の恣意(しい)的判断や政治の介入があったと疑われても仕方ない。

「愛国心」が強化されれば、教育現場は今以上に息苦しさが増すことになる。文科省は、修正に至った経緯も含めて説明し、責任を明らかにすべきだ。

信濃毎日新聞 2008年3月29日

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集団自決訴訟 「軍関与」は当然の判断だ

歴史教科書再検定騒動の発端ともなった沖縄戦での集団自決をめぐり、大阪地裁が明確な判断を示した。

岩波新書「沖縄ノート」などの出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、請求棄却としたのがそれだ。

元守備隊長らは「集団自決を命じてはいない」と主張、出版の差し止めと損害賠償を求めていた。深見敏正裁判長は「軍が深く関与したと認められる」とし、「著者が命令があったと信じるに足る理由があった」と述べた。

軍の命令を裏付ける直接的な資料はないが、「軍による強制」は従来の教科書にも記述されており、いわば通説だった。ところが、文部科学省はこの訴訟の提訴を理由に挙げ、いったん合格した教科書の再検定を命じた。

地元沖縄をはじめ、世論の反発を受けた文科省は再検定を事実上撤回する失態を演じていた。再検定は合理性を有しない政治的なものであることが明らかになった。教科書検定を一から考え直す契機にしてもらいたい。

この裁判は二つの重要な問題を含んでいた。一つは確定していない史実とどう向き合うかだ。判決は多くの証言を検証し、原告二人の関与を推認できるとした。旧日本軍の体質や住民が手りゅう弾を持っていたことなどから導き出した結論だ。

史実には常に確定的な証拠が伴うとは限らない。全体状況から事実を推論する手法を認めたことは踏み込んだ判断といえよう。

二つ目は、出版物と名誉棄損の関係である。表現の自由とも絡む問題だ。記載された事柄が真実と断定できなくても、著者が真実と信ずる理由が認められれば名誉棄損は成立しないとの判示は、説得力がある。

旧日本軍は戦時中の記録の多くを廃棄している。現代の出来事でありながら検証が難しいのはそのためだ。沖縄戦をはじめ、見方によって評価が異なる史実は多い。頭から決めつけず、丹念に検証する姿勢が求められる。

同時に、一つの訴訟が提起されたからといって教科書検定をやり直すなどの拙速さも排さねばならない。歴史を学ぶ意味は、過去を教訓として生かすということであろう。一つの結論にこだわって、自由な研究や言論を封じるのは間違いである。

歴史認識についてはもっと闊達(かったつ)に論議されていい。出版差し止めを認めなかった判決はそう示唆している。政治の力や社会的圧力で、異なる意見を封殺してはならないということだ。

戦争を遠い昔の話と片付けるべきではない。なぜ日本は無謀な戦争にのめり込んでいったのか。沖縄ではなぜ悲惨な集団自決が起きたのか。私たちはもっと歴史に学ぶ必要がある。

新潟日報 2008年3月29日

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新学習指導要領  密室での修正は問題だ

文部科学省は、小中学校の教育現場で実際に教えられる教科の内容と詳細を定めた新学習指導要領を二十八日付で告示した。

二月に公表した改定案を修正し、総則に道徳教育の目標として「愛国心や郷土愛の育成」を新たに盛り込んだ。また、小学校の音楽で君が代を「歌えるよう指導する」と具体的に規定するなど愛国心教育をより強調する内容となっている。

国民的論議のある項目について、改訂案をまとめた中央教育審議会に諮らず、国民への説明もないまま、土壇場で一方的に修正したのは問題が大きい。

文科省は中教審の意見も踏まえて、新指導要領を再修正すべきだ。

新指導要領は、二〇〇九年度から移行措置期間に入り、小学校は一一年度、中学校は一二年度から完全実施されるが、現場の教師らが戸惑うのは必至だ。

教育基本法が〇六年十二月に初めて改正されたのを受けて、文科省は十年ぶりとなる指導要領の抜本的な見直しに着手。文科相の諮問機関である中教審が、国民に開かれた場で三年越しの論議を重ねてきた。

効力が発生する告示直前になって、改訂案が加筆、修正されたのは、いかにも唐突で独善的であり、理解に苦しむ。

文科省は「実質的な変更はない」としているが、強引で不透明な手続きに中教審委員からも批判の声が上がっている。

最大の問題点は、修正が密室で行われたことだ。

文科省は、意見公募(パブリックコメント)や国会での論議、与党部会とのやり取りを加味して修正したというが、論議主体の中教審が最終の修正作業に一切関与していないことが判明した。

沖縄での集団自決をめぐる教科書検定で、厳しい批判を受けた文科省の密室性が、ここでも問題の根っこにあるのではないか。

また、文科省が修正について国民に対する十分な説明責任を果たしていない点にも疑問がある。

修正の根拠となった五千六百七十九件のパブリックコメントは、道徳教育の強化を求めるものが大半で、渡海紀三朗文科相自身も結果をいぶかる内容だったという。  また、改定案公表後に一部の自民党国会議員が文科省に対して道徳教育について書き換えを強く要求したことも分かっている。

文科省が修正の経過を明らかにしない中で、これでは修正が特定の思想、意見を持つ勢力の影響を強く受けたのではないかという疑念がぬぐえない。

文科省は、修正に至った経過や根拠を国民の前に明らかにするとともに、きちんと手順を踏んで出直すべきだ。

このままでは、中教審の審議をないがしろにした上、教育現場にも混乱をもたらす二重の失敗を犯すことになる。

京都新聞 2008年3月29日

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集団自決訴訟  沖縄戦の実態映す判決

旧日本軍の元少佐らが、作家大江健三郎さんと岩波書店を相手取り、大江さんの著書「沖縄ノート」の出版差し止めなどを訴えた沖縄戦集団自決訴訟で、大阪地裁は大江さん側の主張を認め、請求棄却の判決を下した。

判決は、「自決命令は出していない」という原告側の主張については明確な判断を避けたが、自決命令があったと大江さんが信じる相当の理由があったと認め、名誉棄損にあたらないとした。沖縄戦の実態や生存者らの証言に基づいた妥当な判決と評価できる。

争点となったのは、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長(元少佐)らが、住民に自決命令を出したかどうかだった。

判決は、提出書面などに基づく原告側の主張を認めず、兵士が自決用の手りゅう弾を配ったとする住民証言などから、集団自決に対する守備隊長の関与は十分推認できるとした。

半面、自決命令の伝達経路がはっきりしないことから、本に書かれた通りの自決命令だったかについては、躊躇(ちゅうちょ)を禁じ得ないとした。

この点は、控訴の方針を表明した原告側だけでなく、当時の壮絶きわまる状況の中でかろうじて生き残った住民たちにとっても不満の残る部分だろう。しかし裁判所は、個々の主張と全体状況の双方を考慮した、バランスのとれた判断を下したと思える。

今回の訴訟は政治的思惑も感じさせるものだった。高校歴史教科書をめぐる昨年の教科書検定で、「集団自決」に関し文部科学省が軍が関与した記述を認めない検定意見の根拠にしたからだ。

だが文科省の方針には、沖縄県議会が全会一致で検定意見の撤回を求める意見書を提出しただけでなく、それまで口をつぐんでいた生存者たちもつらい過去の体験を話しはじめ、沖縄戦の実態を一層明らかにする結果を招いた。

最終的には文科省の教科書検定審議会が検定意見を実質的に撤回し、集団自決に軍の関与を認める教科書の採択が認められたことは、今も記憶に新しい。

沖縄戦に限らないが、歴史認識については、事実は事実として誠実に向き合う姿勢が必要だ。歴史資料に加え、今回裁判でも、生存者たちが過去の体験を証言した。それが裁判所の判断を助けたことは間違いあるまい。

沖縄戦では日本軍九万人余に加え、九万四千人ともいわれる一般住民が犠牲になった。集団自決という言葉についても「強制集団死」とするべきだとの意見もある。隠れていたガマ(洞穴)から追い出されたり、スパイと疑われて日本軍に殺された住民の事例も多数ある。

沖縄戦から何を学ぶかは今日の日本の選択にもつながっている。政治的思惑からではなく、事実から学ぶ姿勢を大切にしたい。現在、在日米軍の75%が沖縄に集中していることにも思いを寄せたい。

京都新聞 2008年3月29日

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集団自決判決 「関与」認定の意味は重い

太平洋戦争末期の沖縄戦では多くの住民が犠牲になった。米軍に殺された人だけではない。旧日本軍に死を強いられた人もいた。慶良間諸島の座間味島や渡嘉敷島の集団自決は、特に悲惨な例で知られる。

作家の大江健三郎さんは「沖縄ノート」(岩波新書)で惨劇に触れている。その記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍守備隊長らが出版差し止めなどを求めた裁判で、大阪地裁は請求を退けた。

「集団自決には軍が深くかかわり、元隊長らの関与も十分推認できる」「自決命令があったと信じる理由があり、名誉棄損は成立しない」などと述べている。

沖縄戦については、悲惨な体験をくぐり抜けてきた人が、今も多く生存する。豊富な資料や米軍の作戦資料も残る。

判決は、そうした証言や資料から丹念に情報を集め、集団自決と日本軍の関係は動かしがたいものだとした。

「沖縄ノート」は、日本人と日本の民主主義を問い直した本だ。沖縄が本土に返還される二年前に出版された。

集団自決について「住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という軍隊の命令があった、と記す。

両島の元守備隊長については「生き延びて本土にかえりわれわれのあいだに埋没している」などと批判した。

元守備隊長らは「耐えがたい苦痛」を提訴の理由にしている。発刊から三十年以上たって法廷に持ち込まれた背景に、二〇〇三年の有事法制や、昨年の教科書検定意見での「軍の強制」排除など、右傾化の動きと結びつける指摘がある。

昨年の検定では、日本軍に強いられたという記述や軍の関与そのものも文部科学省によって削られた。大きな波紋を呼び、沖縄では抗議の県民集会に発展し、政治問題化した。その結果、日本軍による「強制」を、事実上認める表現が復活した。

検定で右往左往し、あらためて注目された問題が、判決で動かしがたい事実と認定された意味は重い。

判決後の会見で、大江さんは戦争を拒むことが戦後の民主主義が生んだ新しい精神と語った。検定で危うく歴史がゆがめられそうになったばかりである。同様の流れが検定などで再び起きないとも限らない。

道を踏み誤らないためにも、歴史と向き合う勇気を持つことが重要だ。今回の判決の重みをよくかみしめたい。

神戸新聞 2008年3月29日

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「集団自決」判決 軍のかかわり重い判断

軍の深い関与のもとで住民の集団自決は行われた―。岩波新書「沖縄ノート」などの沖縄戦の記述をめぐる名誉棄損訴訟で、大阪地裁はきのう、軍のかかわりを明確に認めた上で、原告の請求をすべて棄却する判決を言い渡した。

沖縄は、太平洋戦争で唯一の地上戦を体験し多くの尊い命を失った。住民の証言などで集団自決に軍がかかわってきたことは共通の歴史認識となっていたが、あらためて判決はそれを確認した形だ。

ただ、争点である軍の命令について、判決は「あったと断定することまではできなかった」としている。一方で、軍の有形無形の力が住民に圧力となって、強制的に働いていたことも認定している。

原告は、元座間味島守備隊長と元渡嘉敷島守備隊長の弟。住民に集団自決を命じたかのように書かれたとして、作家の大江健三郎さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めていた。

一九四五年三月、米軍の攻撃を受け、座間味、渡嘉敷両島住民は壕(ごう)内に追われ、手りゅう弾などを使って自決した。犠牲者は合わせて四百三十人以上とされる。

こうした惨劇を招いた直接の引き金として、軍の命令があったのかどうか。沖縄ノートで大江さんは「住民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよという旧日本軍の命令があった」と記した。

これに対して元隊長側は「命令は絶対出していない」「誤った記述で多くの読者に非道な人物と認識される」などと主張した。

判決は、集団自決の体験者の多くが日本兵から自決用の手りゅう弾を渡されたと証言したことや、集団自決が発生したすべての場所に日本軍が必ず駐留していた事実などを踏まえ、住民側に立った視点から「集団自決に日本軍が深くかかわった」と認定した。

具体的な判断を避けた形の自決命令については、大江さんらの主張を取り入れ、「命令があったと信じる相当の理由があった」とした。「状況証拠」を積み重ねた判決をたどっていくと、住民が軍に自決を強制されたと受け止めても無理はなかったのではないか、という思いもうかがえる。

集団自決では「軍の強制」を明記した歴史教科書が検定に合格していたが、昨年三月の文部科学省の検定意見で一変した。「沖縄戦の実態について誤解する恐れの表現がある」として、「軍の強制」の記述が修正・削除されたからである。その論拠の一つが今回の訴訟だった。

「強制」の削除に対しては県民が強く反発。県議会全会派による意見書採択や十一万人といわれた抗議集会などの運動で、事実上撤回された。歴史の歪曲(わいきょく)は許さない。そうした県民の強い思いが政治を動かした。

「軍の深い関与」を認めた今回の判決によって、文科省の検定意見はその根拠が揺らいだ。歴史に対しては、絶えず謙虚な気持ちで向き合いたい。

中国新聞 2008年3月29日

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集団自決訴訟 軍の深い関与認めた妥当な判決

沖縄県民はこぞって六十三年前の悲しい出来事を思い起こしているだろう。

太平洋戦争末期の沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐり、当時の守備隊長らが岩波書店とノーベル賞作家大江健三郎さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の判決が、きのう大阪地裁で言い渡された。

文部科学省の教科書検定とも絡んで論争に発展した集団自決問題に、司法がどんな判断を下すか注目された。判決は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘した上で、元守備隊長らの請求を棄却した。史実論争に踏み込んだ判断は妥当であり、評価できる。

原告は沖縄・座間味島の守備隊長だった梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の守備隊長だった故赤松嘉次さんの弟秀一さん(75)。二人は大江さんの「沖縄ノート」や歴史学者の故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する部分をめぐり、二〇〇五年八月に「誤った記述で非道な人物と認定される」として提訴していた。

大江さん側は住民の証言や手記を基に兵士が自決用の手りゅう弾を住民に渡したとし、「軍(隊長)の意思と無関係に配ることはあり得ない」と指摘。自決命令はあったとして、請求棄却を求めていた。

判決は隊長を頂点とする「上意下達の組織」という軍の特徴を挙げ、隊長の関与も推認した。自決命令の伝達経路などが判然としないため命令の存在までは断定しなかったが、「あったと信じる相当の理由があった」とする大江さんらの抗弁を認め、名誉棄損の成立を否定した。体験者の証言などを積み上げた判断は説得力がある。

集団自決に軍が関与した理由として、兵士が自決用の手りゅう弾を配ったとする住民証言や軍が駐屯していなかった島では集団自決がなかった、ことを挙げたのもうなずける。

この訴訟は文部科学省の教科書検定にも大きく影響した。訴訟が起こされるまでは「軍の強制」を明記した日本史教科書は検定に合格しており、命令説はいわば「通説」だった。

ところが、昨年三月に公表された検定審議会の意見は「軍が強制」という記述を誤解を生む表現として否定した。この裁判が係争中だったことも理由の一つとされた。沖縄の戦争体験者たちが反発し、島ぐるみの抗議に発展したのも当然だ。

そこで検定審は昨年末、教科書会社の訂正申請を承認する形で「軍の関与」を示す記述を認めたが、当初の検定意見は撤回しなかった。沖縄では「軍の強制や命令の明確な記述がない」と不満がくすぶる。検定側は判決を重く受け止めるべきだ。

悲劇の舞台となった渡嘉敷島できのう、くしくも六十三回目の慰霊祭があった。この島では住民ら三百人以上が手りゅう弾などで犠牲になっている。元隊長らの主張は腹立たしいものだっただろう。あの日沖縄であったことを、ありのまま後世に伝えていかなければならない。

愛媛新聞 2008年3月29日

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新学習指導要領 公開審議が軽視された

一体、何のための三年にわたる公開審議だったのか。答申をまとめた中央教育審議会の委員ならずとも、強い疑問を感じざるを得ない。

新しい小中学校の学習指導要領が、愛国心教育をより強調する修正が加えられて告示された。

総則の道徳教育の目標に「我が国と郷土を愛し」の文言を加え、小学校音楽は君が代を「歌えるよう指導する」と目的を明記。中学社会は「宗教に関する教育を行う」や国際貢献の記述などが追加された。

要領案が公表後にこれほど修正されるのは異例のことだ。しかも、国民の間で賛否が分かれる内容が多い。教育現場の混乱が懸念される。土壇場での修正の裏で何があったのか。文部科学省は国民に明らかにする責任がある。

指導要領は、子どもに教えなければならない教科や学習内容など教育課程の最低基準で、約十年ぶりの改定となる。

新指導要領は小学校は二〇一一年度、中学校は一二年度に完全実施するが、〇九年度から移行措置期間に入る。改定案は、文科相の諮問機関である中教審の公開審議を踏まえ、二月中旬に公表、意見公募を経て告示されることになっていた。

文科省は修正した理由について、公募された意見や改正教育基本法の趣旨、国会審議などを踏まえた、と説明する。だが、修正の内容は公の議論を要するものばかりだ。

違和感を覚える文言も見受けられる。例えば、小学校国語の読み聞かせをする本や文章に関し、改定案の「昔話や伝説」が「昔話や神話・伝承」に変更されている。「神話」に唐突な印象を覚える人は少なくあるまい。

そもそも、修正に至る不透明な手続きは、学習指導要領という、影響力の重大さと相いれないものだ。

事実上の「大幅修正」にもかかわらず、中教審の審議を経ることもなかった。有無を言わさぬような修正は、学校現場への締め付け強化とも受け取れる。教員が委縮し、不安が広がればその影響は子どもたちに及ぶ。「特に重要な修正部分はない」という文科省の見識を疑う。

「駆け込み修正」には政治の力が働いたとされる。中教審の中心委員は「書き換えを迫る政治家の圧力が非常に強かった」と不満をあらわにしている。

長期にわたる公開審議を軽視し、幅広い議論を封じ込めるかのような手法を容認することはできない。

高知新聞 2008年3月29日

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集団自決判決 歴史の深さ検定にも

太平洋戦争末期の沖縄戦に関する岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐる訴訟の判決で、大阪地裁は「慶良間諸島での住民集団自決に軍が深く関与したのは認められる」として、作家、大江健三郎さんらの記述は誤りとする当時の守備隊長らの訴えを退けた。

表現の自由にも配慮した妥当な判決と言えるが、判決は教科書検定の在り方にも一石を投じる。昨年三月の高校日本史教科書検定では、この訴訟を理由の一つに「日本軍による強制」という記述の削除・修正を求める意見が付いたからだ。

今回の判決とて史実論争では一つの結論にすぎない。その奥深さを思うと、確定判決も出ていない段階で特定の結論を押し付ける検定制度は見直すべきだ。

元守備隊長らが岩波書店と大江さんに出版差し止めと損害賠償を求めたこの裁判には、集団自決と日本軍の関係、元守備隊長らの自決命令の有無という二つの争点があった。

前者について判決は、兵士が自決用の手りゅう弾を配ったとする住民証言、集団自決があったすべての場所に日本軍が駐屯していた―などを根拠に軍関与を認定した。「集団自決は国、日本軍、現地の軍を貫くタテの構造の力で強制された」とする大江さんの主張に沿った形だ。

自決命令については「認定するのはためらいを禁じ得ない」として明確な判断は避けたが、大江さんも公判では守備隊長の命令はあったとは書いていない、と述べている。「日本軍の指揮官の命令で住民が集団自決した」とする記述は誤りとする原告とは、認識が食い違っている。

この裁判は沖縄戦をめぐる史実論争に波紋を広げたが、見逃せないのは教科書検定に与えた影響だ。

裁判が始まった二〇〇五年ごろまでは「軍の強制」を明記した教科書は検定に合格していた。軍の命令も集団自決の一因だったとの認識に学界でもほぼ異論がなかったことをうかがわせる。

しかし、昨春の検定では日本軍が強制したとの記述に修正を求める意見が付いた。方針転換について文部科学省は今回の訴訟を論拠の一つに挙げたが、沖縄県民から強い抗議を受けると、「関与」は認める方向に軌道修正した。

史実には多面性があり、新事実の発掘によりその様相が変わることもある。根拠もあいまいなまま特定の方向に誘導するような検定制度は、歴史学習にふさわしくない。

高知新聞 2008年3月29日

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沖縄集団自決訴訟 「軍の関与」で一歩踏み込む

沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐり、当時の守備隊長らが、岩波書店とノーベル賞作家大江健三郎さんに出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁は原告の請求を棄却した。元守備隊長側は「到底容認できない」と控訴する方針だ。

判決理由で深見敏正裁判長は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。その上で「元守備隊長らが命令を出したとは断定できないにしても、大江さんらが命令があったと信じる相当の理由があった」とした。

この訴訟は、「軍の強制」という記述削除を求めた教科書検定意見の根拠の一つとなったほか、ノーベル賞作家の大江さん本人が出廷し証言するなどしたため司法判断が注目された。判決は史実論争に一歩踏み込んだ判断を示す形となった。

判決は軍が関与した理由として(1)兵士が自決用の手りゅう弾を配ったとする住民証言(2)軍が駐屯していなかった島では集団自決はなかったを挙げた。さらに学説、文献の信用性などから「記載の事実には根拠があった」と結論付けた。

二〇〇五年八月、座間味島の元守備隊長梅沢裕さん(91)と、渡嘉敷島の元守備隊長の弟赤松秀一さん(75)は、大江さんの「沖縄ノート」、故家永三郎さんの「太平洋戦争」の集団自決に関する部分をめぐり「誤った記述で非道な人物と認識される」として提訴した。梅沢さんらは「命令はしていない。本の記述は個人としての『事件の責任者』を批判し、個人を非難している」と主張した。

一方の岩波書店、大江さん側は、住民証言などに基づいて兵士が自決用の手りゅう弾を住民に渡したとし、「軍(隊長)の承認なしに渡されることはあり得ない」と指摘。自決命令はあったと反論していた。

裁判では出版社側にとって有利な事情もあった。これまで「軍の強制」を明記した教科書は検定に合格しており「命令説」はいわば通説だった。

そうした中、「軍の強制」の記述削除を求め、その後事実上撤回した教科書審議会の迷走ぶりは際立っていた。

記述削除を求めた検定意見をめぐっては「まるで沖縄戦があったことまで否定されているようだ」と沖縄の戦争体験者らが反発。島を挙げての抗議にまで発展した。文科省の審議会はこれを受けて昨年末、教科書記述に「軍の関与」を認めた。問題はこれで一応決着したが、沖縄では今も「軍の強制や命令の明確な記述がない」との不満がくすぶっている。

沖縄戦では戦闘で、約十二万人の県民が犠牲になった。座間味、渡嘉敷両島での集団自決した人数ははっきりしないが、六百人前後といわれる。ほかに読谷村や伊江村など各地で集団自決が起きた。

せい惨な体験は、生存者の記憶に生きており裁判を機に貴重な証言が語られた。史実を検証し、誤りを正すことは重要だが、その大前提は歴史に誠実に向き合うことだ。

熊本日日新聞 2008年3月29日

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歴史の状況見つめた判決 沖縄ノート訴訟

沖縄戦で旧日本軍の元守備隊長らが住民に集団自決を命じたかどうかが争点となった訴訟で、大阪地裁は「集団自決に軍が深くかかわり、元隊長らの関与も十分に推認できる」と認定した。

判決は集団自決を目撃した体験者らの証言を重視し、軍が駐屯していなかった島では集団自決が起きていない事実や、上意下達の軍隊組織の特徴などを挙げて「軍の関与」と「守備隊長らの関与」があったとの判断を導き出している。

直接的な争点だった現場の軍指揮官の命令があったかどうかについては「断定できない」として事実認定を避けたが、集団自決に「軍の深い関与」を認める初の司法判断となった。

「集団自決は軍の強制や誘導なしには起こり得なかった」とする沖縄の人々の事実認識を裏づける判決といえる。

住民らの体験に基づくこの事実認識は重い。司法といえどもこれを無視するわけにはいくまい。命令の存在が確認されなかったとはいえ「軍の関与」を明確に認定した判決は、集団自決をめぐる沖縄戦の全体状況を見つめた妥当な司法判断と評価したい。

この訴訟は、太平洋戦争末期の沖縄戦当時に慶良間諸島に駐屯していた元守備隊長と遺族が、旧日本軍の隊長が住民に自決を命じたとした岩波新書「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、著者の大江健三郎さんと出版元の岩波書店に出版差し止めと慰謝料を求めて2005年8月に起こしていた。

提訴以来この訴訟は沖縄戦の集団自決をめぐる論争に大きな影響を与えた。

昨年の高校日本史教科書の検定では、文部科学省がこの訴訟などを根拠に、それまで認めてきた「軍による自決の強制や命令があった」とする記述の削除・修正を教科書会社に求めた。

沖縄県民挙げての抗議などで、その後文科省は検定意見を事実上撤回し、強制的な状況の下で「軍の関与」があったとする記述の復活を認めた。

歴史に多様な見方があるのは当然であり、史実を絶えず検証することは重要である。その結果、事実に誤りがあれば正す。それは歴史認識を誤らせないために欠かせない作業であろう。

しかし、多くの事実や証言を経て、ほぼ国民の共通認識となっている歴史認識を見直すには、説得力ある根拠と慎重さが要る。明確な根拠と慎重さを欠いた昨年の教科書検定の混乱と迷走が、その難しさを浮き彫りにした。

今回の判決は「自決命令の有無」についての事実認定を避け「命令の存在を信じる相当の理由がある」として、元隊長らの名誉棄損の訴えを退けた。

「自決命令は絶対に出していない」と訴える原告らには容認できない判決かもしれないが、控訴審でも戦後60年以上たったいま裁判所が命令の有無について事実認定するのは極めて困難だろう。

宮崎日日新聞 2008年3月29日

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集団自決判決 軍の関与を明確に認定

太平洋戦争末期の沖縄戦における集団自決に、旧日本軍の強制があったかどうかをめぐって争われた訴訟で、大阪地裁は原告の請求を棄却した。「軍の深い関与」を認めた判決が、教科書検定問題にも発展した史実論争に与える影響は大きい。

裁判はノーベル賞作家の大江健三郎さんが1970年に岩波書店から出版した「沖縄ノート」などの記述で名誉を傷つけられたとして、渡嘉敷島と座間味島の元守備隊長らが出版差し止めなどを求めて起こした。「集団自決は命令しておらず、軍が命じた証拠もない」との主張だ。

地裁判決は、隊長から直接命令が出たとは断定しなかったが、集団自決への関与は十分推認できるとした。集団自決に関する学説状況や信用性の高い諸文献を取り込んでの判断は評価できる。両島で600人前後ともいわれる犠牲者や沖縄県民にすれば、当然の判決に違いない。

大阪地裁は、集団自決は援護法の適用を受けるため、捏造(ねつぞう)されたとする原告らの主張も退けた。「生きて虜囚の辱めを受けるな」と教え込まれた沖縄の人々にすれば、遺族年金欲しさの“うそ”と言われてはたまったものでない。

元隊長2人に対する記述が名誉棄損に当たるかも争点だった。地裁は「自決命令があったと信じるに足る理由があり、名誉棄損は成立せず、出版差し止めなどの請求は理由がない」と断じた。隊長に関するかなり強い表現はあっても「論評の域を出ない」との判断である。

原告側は「軍全体の関与をもって名誉を棄損する表現を正当化するのは論理の飛躍」として控訴を決めた。大江さんが疑問視したのは旧日本軍の構造的な問題や殉国思想のありようであって、元隊長からの具体的命令の有無ではない。それは特定が容易とはいえ、守備隊長の実名記載は控えたことからも察せられる。

この裁判は、2007年の教科書検定で、高校の日本史から「軍の強制」を示す記述を削除する動きの引き金にもなった。判決は拙速に削除を求め、その後に事実上撤回した教科書検定審議会への手厳しい警鐘として受け止めてほしい。

「沖縄ノート」がこれまでに30万部売れたのは、歴史を検証する中で過ちを繰り返すまいとの願いと、戦後民主主義への問い掛けが支持されたからだろう。くしくも判決は、渡嘉敷島で惨劇が起きた日から63年目に下された。反戦の誓いを新たにするとともに、基地の島・沖縄の現状を見詰め直す契機としたい。

南日本新聞 2008年3月29日

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大江訴訟判決 体験者の証言は重い 教科書検定意見も撤回を

「集団自決」の構造的な問題に言及できるかが焦点だった岩波・大江訴訟で大阪地裁は28日、体験者の証言や、これまでの沖縄戦研究を重く見て「日本軍が深くかかわったと認められる」と判断。訴えた座間味島の元戦隊長梅澤裕氏らの主張を全面的に棄却した。この日は63年前に渡嘉敷島で「集団自決」が起きた日である。同島では慰霊祭が行われ、島は深い悲しみに包まれた。惨劇を証言した体験者は、証言を重視した判決に報われた思いを抱いているに違いない。座間味・渡嘉敷両村長も判決を納得し、評価しており、「沖縄戦」の本質を理解した妥当な判決だといえよう。

◆軍の関与は明白
梅澤氏らは、沖縄戦で軍指揮官が「集団自決」を命じたとする岩波新書「沖縄ノート」などの記述をめぐり、岩波書店と作家の大江健三郎さんに、出版差し止めなどを求めていた。

最大の争点は座間味島、渡嘉敷島での「集団自決」であるが、判決は、日本軍の深いかかわりを認めた。「元守備隊長らが命令を出したとは断定できない」としながらも、「関与したと十分推認できる」と指摘。「その事実について合理的資料、根拠がある」として(1)多くの体験者が、兵士から自決用に手榴弾(しゅりゅうだん)を配られた(2)沖縄で「集団自決」が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、駐屯しなかった渡嘉敷村前島では「集団自決」が発生しなかった―ことなどを挙げた。

岩波側の証拠として提出された女性の証言には「『自決しなさい』と手榴弾を渡された」とある。「軍官民共生共死」の意識を徹底させられた住民にとっては、軍民は一体であり「命令」と受け取るしかないだろう。判決にもある通り、この女性だけでなく多くの住民が同じような証言をしており、軍関与を認めた判決は妥当といえよう。

さらに判決が「集団自決」の要因として、前島の事例を挙げたのは分かりやすい。住民を守るはずの軍隊が駐屯した島で惨劇が起き、その一方で無防備の島では多くの住民が救われた。「集団自決」の本質にかかわる重要な指摘だ。

原告側の「激しい戦闘で追い込まれ、死を覚悟した住民の自然の発意によるもので、家族の無理心中」という主張は、県民の思いとあまりにも懸け離れている。

被告側の大江さんは「非常につらい悲劇についての証言が裁判に反映された。心から敬意を表したい」と語った。

戦時の極度の混乱状況では、書類など物的証拠が残されることはほとんどない。それ故に、戦争体験者の証言は貴重である。地裁がその証言を重視したことは、沖縄戦の史実の真偽について争う今後の議論にも影響を与えるに違いない。

◆史実継承の重要性増す
今回の判決はここだけにとどまらない。高校歴史教科書検定問題である。昨年3月、文部科学省の教科書検定で、高校の歴史教科書から「集団自決」の「軍の強制」記述が修正・削除された。検定意見の根拠の一つとなったのが、梅澤氏が訴訟に提出していた陳述書である。判決ではその陳述書が否定された。修正・削除は教科書検定審議会の慎重さを欠く突出した対応であり、いっそう批判を浴びることは免れない。司法判断を受けた今、検定審議会は検定意見を速やかに撤回するべきである。

原告側は週明けにも控訴することを表明した。「軍の関与をもって、隊長命令に相当性があるとすることは、明らかに論理の飛躍がある」という主張である。

ここで問題にすべきは、大江さんの言うように「個人の犯罪」ではなく、「太平洋戦争下の日本国、日本軍、現地の第32軍、島の守備隊をつらぬくタテの構造の力」による強制であろう。

戦争の体験者は「人が人でなくなる」と繰り返し語る。国家の思想が浸透され、個人の意思を圧倒する。タテの構造により命令が徹底され、住民は「軍官民共生共死」を強要される。

この裁判によって、沖縄戦史実継承の重要性がいっそう増した。生き残った体験者の証言は何物にも替え難い。生の声として録音し、さらに文字として記録することがいかに重要であるか。つらい体験であろう。しかし、語ってもらわねばならない。「人が人でなくなる」むごたらしい戦争を二度と起こさないために。

琉球新報 2008年3月29日

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「集団自決」訴訟 史実に沿う穏当な判断

日本軍の関与を認める
座間味・渡嘉敷両島で起きた「集団自決(強制集団死)」に旧日本軍はどのように関与したのか。戦隊長の自決命令はあったのか、なかったのか。沖縄戦の「集団自決」をめぐる史実論争に初めて、司法の判断が示された。

判決は、体験者の証言を踏まえた穏当な内容であり、今後この問題を考える上で里程標になるだろう。

ノーベル賞作家の大江健三郎さんの著作「沖縄ノート」などの中で集団自決を命じたように書かれ、名誉を傷つけられた、として元戦隊長と遺族が大江健三郎さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟の判決で、大阪地裁の深見敏正裁判長は、請求を棄却した。

判決は、戦隊長による自決命令について「伝達経路が判然とせず、(あったと認定するには)ちゅうちょを禁じえない」と指摘した。

戦隊長命令の存在までは断定しなかったものの、「日本軍が深くかかわった」と認定。戦隊長が「集団自決に関与したことは十分に推認できる」との判断を示した。

また、大江さんらの著述について「真実であると信じる相当の理由があった」ことを認め、名誉棄損に当たらないと結論付けた。

今回の判決でもう一つ注目したいのは、体験者の証言の重みを理解し、さまざまな証言や資料から、島空間で起きた悲劇の因果関係を解きほぐそうと試みた点だ。

一九八二年の教科書検定で文部省(当時)は、日本軍による住民殺害の記述にクレームをつけ修正を求めた。記述の根拠となった「沖縄県史」について「体験談を集めたもので研究書ではない」というのが文部省の言い分だった。あしき文書主義というほかない。

文書は貴重な歴史資料である。だが、文書だけに頼って沖縄戦の実相に迫ることはできない。軍の命令はしばしば、口頭で上から下に伝達されており、命令文書がないからと言って自決命令がなかったとは言い切れない。

今回の判決は、沖縄戦研究者が膨大な聞き取りや文書資料の解読を基に築き上げた「集団自決」をめぐる定説を踏まえた内容だといえるだろう。

「住民殺害」も根は一つ
戦後世代の私たちは、ごく普通に「集団自決」という言葉を使う。だが、この言葉は戦後に流布したもので、沖縄戦の際、住民の間で一般に使われていたのは「玉砕」という言葉である。

座間味でも渡嘉敷でも、島の人たちは、折に触れて幾度となく「米軍が上陸したら捕虜になる前に玉砕せよ」と軍から聞かされてきた。

「軍官民共生共死」―軍はそのような死生観を住民にも植え付け、投降を許さなかった。部隊の配置など軍内部の機密がもれることを心配したのである。日本軍がどれほど防諜に神経をとがらせていたかは、陣中日誌などで明らかだ。

実際、米軍への投降を呼び掛けたためにスパイと見なされて殺害されたり、投降途中に背後から狙撃されて犠牲になった人たちが少なくない。

「集団自決」と「日本軍による住民殺害」は、実は、同じ一つの根から出たものだ。

座間味や渡嘉敷では、住民に手りゅう弾が手渡されていたことが複数の体験者の証言で明らかになっている。今回の判決もその事実を重視し、軍の関与を認定した。「沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯し、日本軍のいなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生していない」とも判決は指摘している。

犠牲者と向き合えるか
大江健三郎さんの「沖縄ノート」が発行されたのは復帰前の一九七〇年のことである。なぜ、今ごろになって訴訟が提起されたのだろうか。私たちはここに、昨年の教科書検定と今回の訴訟の政治的つながりを感じないわけにはいかない。

高校教科書の検定作業真っ盛りの昨年八月、安倍晋三前首相の側近議員が講演で「自虐史観は官邸のチェックで改めさせる」と発言したという。文部科学省の教科書調査官は、係争中の今回の訴訟を引き合いに出して軍の強制を否定し、記述の修正を求めた。昨年の検定が行き過ぎた検定であったことは、判決でも明らかだと思う。

ところで、名誉回復を求めて提訴した元戦隊長や遺族は、黙して語らない「集団自決」の犠牲者にどのように向き合おうとしているのだろうか。今回の訴訟で気になるのはその点である。

沖縄タイムス 2008年3月29日

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学習指導要領 疑念ぬぐえぬ道徳強化

告示された新学習指導要領は原案よりも「道徳」が強化された。あってよい環境教育面の充実はみられず、慎重意見も多い武道の必修化はそのままだ。修正の仕方にバランスを欠いてはいないか。

文部科学省は今年二月、幼稚園と小、中学校の次期学習指導要領について改定案を公表し、今月十六日までの約一カ月間、一般から改定案への意見を電子メールや郵便などで募っていた。そして、学習指導要領を告示した。

指導要領はほぼ十年ごとに改定されている。今回は四十年ぶりに授業時間数と教える内容を増やし、小学校の高学年で新たに英語教育を取り入れることなどが主な特徴だ。

これまでの「ゆとり教育」からの方向転換であり、国民から広く意見を募るのは当然の手続きだ。約五千六百件の意見が寄せられたという。多様な意見に耳を傾け、場合によってはただすことも妥当だろう。

修正個所をみると、道徳にかかわる記述が目立つ。小、中学校とも「総則」の「伝統と文化を継承し、発展させ」が「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛し」などと変更された。

小学校の音楽で「君が代」は各学年で「指導する」となっていたが「歌えるよう指導する」と加筆された。「外国語活動及び道徳」が「道徳及び外国語活動」に変わるといったこまやかな文言入れ替えもある。

「総則」は学校の教育活動全体について方針を示す指導要領の根幹部分だ。改定案が修正、加筆されるのは異例といえる。同省は修正について「与党や一般からの意見などを総合的に判断した」と説明する。

同省がまとめた一般意見の概要では「『国を愛する心』を総則に明記し、社会科以外でも教えるべきだ」との主張がある一方で「愛国心などの徳目を子供に押しつけるのは問題だ」という意見もあり、道徳の強化は必ずしも賛成ばかりではない。

修正は、一般意見を反映させたというより一部与党議員の意見に従った、との疑念がぬぐえない。

総則には「環境の保全」という言葉も加わったが、各教科での加筆はみられない。子供にとって環境教育は重要な課題だ。道徳並みに補強しないのはなぜか。

一般意見からは中学での武道の必修化に「施設の整備が必要」「指導者確保に疑問」といった声が出ていたが、ほとんど黙殺されている。

国民の意見聴取を名分に、与党の意を酌んで原案を変えるようなことがもしあるとするならば、「我が国を愛する」教育につながるとは、とても思えない。

中日新聞・東京新聞 2008年3月28日

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硬直した制度の見直しを 教科書検定

文部科学省の教科書調査官は、実際に虫眼鏡を使って、原稿段階の申請本を事細かに審査しているようだ。

「眼光紙背に徹す」とばかりに、職務に精励する姿勢には敬服するが、これでは一体、何のための教科書検定なのかと首をかしげざるを得ない。

2009年度から主に高校高学年で使われる教科書の検定結果を文科省が公表した。このうち、美術教科書の検定で美術家の横尾忠則さんの演劇ポスターに、教科書検定審議会の検定意見が付き、別の作品に差し替えられた。

文科省がとがめたのはポスターの図柄ではない。ごま粒ほどの小さな文字で端にあった「私の娘展示即売会場」の文字だった。作品を「娘」に例え、会場で展示即売する案内の表現について、検定意見は「健全な情操の育成に必要な配慮を欠いている」と指摘した。「人身売買を思わせる」というのだ。

これが、文科省の言う「教育的配慮」なのか。横尾さんが「重箱の隅のまた隅をつつくような検定は異常」とあきれるのも無理はない。

ほかにも、たばこを持った肖像写真に「心身について必要な配慮を欠いている」と検定意見が付き、写真からたばこが削除される事例もあった。

教科書検定とは、学校教育法などに基づいて、民間で著作・編集された図書が、教科書として適切かどうかを文科相が審査し、合格したものを教科書として使用することを認める制度だ。

検定の申請があると、文科相が教科書調査官に調査を命じ、教科書検定審議会に諮問する。検定審で「必要な修正をした後に再度審査するのが適当」と判断された場合、合否の決定を留保して申請者に通知するのが検定意見だ。

文科省は「教科書の編集を民間に委ねることで、著作者の創意工夫に期待するとともに、検定で適切な教科書を確保するのが狙いだ」と説明している。

ところが、実際は学習指導要領や教科書検定基準を根拠として、まさに「重箱の隅をつつく」ような検定意見を繰り返している。横尾さんの作品のケースはその典型だろう。これでは民間の創意工夫は十分に発揮されず、型にはまった一律的な教科書しか量産されない。

もっと自由な発想で多様な教科書があってもいいはずだ。とりわけ心身ともに発達し一定の判断力も身に付けている高校生の教科書なら、検定の廃止も含めて自由化を検討すべきではないか。

1年前の教科書検定では、高校日本史で沖縄戦の集団自決について「日本軍の強制」との記述に削除・訂正を求めた検定意見に「根拠や経緯が不透明だ」と批判が相次ぎ、文科相が検定審に透明性の向上を求めている。

審議の過程を一切公表しない検定審のあり方とともに、硬直化した教科書検定制度の抜本的な見直しを求めたい。

宮崎日日新聞 2008年3月27日

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「九条の会」施設利用

平和憲法を守ろうと箱根町で結成された市民団体が、町立公民館を借りる際に「九条堅持に偏って主張することは避ける」などと町教育委員会から条件を付けられ活動の制約を受けているという。

公務員は「全体の奉仕者」(憲法一五条)であり、行政こそが政治的に中立でなければならず、勝手な判断はできないはずだ。ところが町教委は個人的な見解を振りかざして、町民の集会の自由、表現の自由を損なった。憲法、地方自治法、地方公務員法などに反した行為だと言わざるを得ない。

町教委は団体に対し「一方的な考えを強く主張するのはやめてほしい」と伝えたり、施設に掲示されたポスターの「憲法九条が危ない情勢」との表現について、「内容が中立的でない」として紙で覆い隠したりしたという。一体何を根拠に「一方的」「中立でない」と判断し、そのような行為に及ぶのか。権限も必要もないはずだ。集会の自由、表現の自由に対する明らかな侵害である。

そもそも世論調査では「九条堅持」は多数派である。ならば「九条改定」を訴える団体は、より「一方的な主張」として厳重な制約を受けるのだろうか。また「九条が危ない」が隠されるのならば「年金が危ない」「環境が危ない」「日本映画が危ない」などの表現も隠されるのだろうか。まるで、戦前の出来事のようである。

町教委は公の施設の運営を基本から取り違えているようだ。民主主義社会では、国民はそれぞれ独自の意見を持ち、集会を行い、表現する自由を持つ。また思想信条などで差別されてはならない。教育文化行政を担当する教育委員会はなおさら、そうした国民の精神的自由を尊重しなければならないはずだ。多様な施設利用者を公平・平等に扱うため、施設運営者側にこそ中立性が求められるのだ。個々の利用者に中立を求めるなど見当違いである。

公の施設について地方自治法は、「正当な理由がない限り」住民の利用を拒否できないとし、「差別的取扱いをしてはならない」と明記している。大阪・泉佐野市民会館の使用不許可をめぐる国家賠償請求事件で最高裁判決(一九九五年)は、「明らかな差し迫った危険が具体的に予見される」ような場合を除き、市は使用申請を拒否できないとした。集会の自由を最大限に保障するためである。

問題視されがちな政治関係の利用についても、全国の公民館でつくる公民館連合会は、政党の講演会などでさえ、「全く問題はない」と明確に説明する。各政党・政治団体が公平・平等に利用できれば何の問題もないのだ。

九条問題は国政の争点の一つだ。箱根町の施設で、護憲、改憲、加憲など、さまざまな立場の町民がそれぞれに集い、議論するのはごく当たり前のことである。

神奈川新聞 2008年3月5日

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