地方紙社説(2007年7〜8月)


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小中校の授業増 疑問解く説明が必要だ

現行の学習指導要領が小中学校に導入されたのは二〇〇二年度からである。このとき学校週五日制が完全実施され、各教科の学習内容が三割削減された。

「生きる力」や「自ら学び、自ら考える力」を養うという理念の下、「総合的な学習の時間」(総合学習)を新設したのもこのときだ。

それまでの詰め込み教育に対する反省から生まれたのが「ゆとり教育」である。大掛かりな方針転換であった。

だが、「ゆとり教育」はスタート時点から学力低下を招くとの強い批判を浴びてきた。見直しを求める声は根強い。

教育再生会議は六月の第二次報告で「ゆとり教育」の見直しを求め、具体策として授業時間数の10%増などを提言した。

結局、「ゆとり教育」は十分な成果が得られないまま修正を迫られることになりそうだ。

学習指導要領の改定作業を進めている中央教育審議会の小学校部会と中学校部会は、文部科学省が示した素案を相次いで了承した。

素案は、小学校の主要五教科(国語、算数、理科、社会、体育)の授業時間数を全体で一割程度増やし、「ゆとり教育」の象徴といわれてきた総合学習は週一時間程度減らす、という内容だ。

小学校の授業時間は一九七七年の学習指導要領以来、減少傾向にあり、三十年ぶりの転換となる。

小学校高学年で週一時間程度、「英語活動」の時間を設けることも打ち出している。

中学校では選択教科や総合学習の時間を減らし、必修六教科(国語、社会、数学、理科、外国語、保健体育)の授業時間を一割程度増やすという。

気になることがある。

授業時間を増やすことが果たして学力向上につながるのかどうか。根拠が必ずしもはっきりしない。

学力低下も確かに重大な問題だが、学習意欲の低下という新たな事態にどのように対応しようとしているのか、その点もよく見えない。

学力格差も大きな問題だ。経済の格差問題と同じ構図がここにもあって、教育の二極化が目立つようになってきた。教育の機会均等を脅かしかねない事態が確実に進行しているのである。

問題は複雑で、相互に関連しあっている。「生きる力」や「自ら学び、自ら考える力」を養うという「ゆとり教育」の理念を生かしつつ、同時に新たな事態にも対応できるような教育の仕組みづくりが求められている。

沖縄タイムス 2007年8月31日

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教科書裁判 踏み込んだ判断がほしかった

県教委が二〇〇五年に県立中等教育学校などで採択した扶桑社版歴史教科書の採択取り消しなどを求めた訴訟で、松山地裁は原告の訴えを退けた。

「えひめ教科書裁判を支える会」メンバーらの原告は、〇一年以降の教科書採択に関して十九件の訴訟を提起した。ただ、「原告の力を集中させる」として十六件の訴えは判決を待たずに取り下げている。

異例の経過をたどっている教科書裁判だが、残る三件の中で判決は今回が二件目。今回は原告がメーンと位置づける訴訟だけに意味合いは大きい。

原告は扶桑社版教科書の採択は公正確保義務や適正手続きに違反するなどとして取り消しを求めたほか、日本の歴史を過度に美化する同教科書はアジア諸国との友好を願う原告らに耐え難い精神的苦痛を与えたとして損害賠償を求めた。

採択取り消しについて、判決は原告やその子どもが扶桑社版教科書の使用を義務づけられておらず、具体的権利が侵害されたとはいえないため「原告適格を欠く」として訴えを却下した。つまり門前払いだ。

損害賠償請求については、同教科書が検定を通過しているため「誤った歴史観の教科書を採択したとはいえない」と判断した上で、原告側の主張は「一種の不快感、憤りに過ぎない」として棄却した。

そもそも教科書問題は県教委が〇一年に県立ろう、養護学校の一部に扶桑社版歴史教科書を採択したことから始まった。その際、加戸守行知事が教育長に「扶桑社版がベスト」という感想を伝え、教育行政への不当な介入に当たるのではないかと波紋を広げた。

県教委の採択はそうした不透明感を引きずっており、〇五年の採択では非公開審議が県民の疑念を増幅する結果となった。それだけに採択や手続きの是非について、きちんとした判断を聞けなかったのは残念だ。

原告適格についての判断は分からなくもないが、県立学校の教科書採択が持つ地域社会への影響度を考えると、中身に踏み込んだ審理を求めたかった。

〇五年の中学歴史教科書の採択では、扶桑社版の採択率(シェア)は全国で0・4%(共同通信社調べ)にとどまった。前回より広がりはしたものの、主導した「新しい歴史教科書をつくる会」が目標とした10%にはほど遠い結果だった。

県内でも市町教委の採択はゼロだった。内容への抵抗感や混乱を回避したい思いが強かったのだろう。アンケートの実施など教員の意見を尊重する動きもあった。

県教委は「学習指導要領に照らして一番いい」「自国に誇りが持てる」などの採択理由を挙げているが、全国や県内での突出ぶりは明らかだ。

同じ中学生が大きく性格の異なる教科書を使うのはどんなものだろう。愛媛だけがいつまでも突出していていいのか、県民にはそんな思いもあるはずだ。その意味でも判決では踏み込んだ判断がほしかった。

愛媛新聞 2007年8月30日

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学力テスト 格差広げる競争は困る

信州の短い夏休みは間もなく終わる。新学期が始まると、9月には全国学力テストの結果が公表される。その結果をどう受け止めて、指導に生かすか。点数競争に陥らない対応を考えたい。

約40年ぶりに行われた学力テストは、小学6年、中学3年の233万人余りが受けた。国語と算数・数学の2教科で、基礎的な知識と応用力を試す問題が出た。

文部科学省が公表するのは都道府県段階の正答率。詳しい結果は市町村教委や各学校に届けられ、それぞれの判断で成績を公表できる。扱いによっては、学校の序列化につながる心配がぬぐえない。

学力テストの問題点をあらわにしたのが東京都足立区での不正だった。昨年行った区独自のテストで、ある小学校が特別支援学級にも通う児童の答案を集計から抜き取っていた。別の小学校では、校長らが試験中に答案を指さして、児童に間違いを気付かせていた。学校の成績を上げるための不正である。

足立区では学校ごとの成績を公開している。区全体で学校を選ぶことができる制度になっているため、テストの結果は重大な意味を持つ。

人気のある中学は定員を超える入学希望者があり、抽選を行う。一方、希望者が定員の半分にも届かない学校もある。より多くの生徒を集めるために、点数アップが学校の目標になる。いったん評価が低くなると、逆転は難しい。

子どもや親にとって、学校が選べるのはいい面もある。一方、教育に熱心で経済的に余裕がある家庭が人気校に集中し、不人気校が困難な家庭環境の子どもを抱え込みがちという指摘もある。学校間競争の“先進地”の実情を見ると、教育格差が広がる危うさがうかがえる。

長野県内でも一部で私立中学を目指す小学生が増えつつあり、学校選択制も広がっている。義務教育での競争や選択に無縁ではいられない。

政府の教育再生会議は、生徒や保護者が学校を選択して、人気の高い学校には予算を多く配分する「教育バウチャー(利用券)制度」の検討を始めている。第三者による学校評価制度も課題だ。学校を競わせることで、教育の改善につなげるとの狙いである。

そこに学力テストが選択の材料として使われれば、足立区のような不正が繰り返される心配がある。それでは質の向上どころではない。

学校や保護者が、まずは冷静にテスト結果を受け止めたい。その上で、指導にどうつなげるか、国や教育委員会の姿勢が問われる。

信濃毎日新聞 2007年8月16日

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全国学力テスト 宿題となった活用方法

今春に実施された全国学力テストについて教育再生会議は夏休み前に結果を伝えるよう提案していたが、間に合わなかった。集計に手間取ったためだ。テストをどう活用するかは関係者の宿題だ。

テストは全国の小学六年生と中学三年生約二百四十万人を対象に、国公私立の約三万二千七百校で行われた。国公立では愛知県犬山市が、私立は四割弱が参加を見送った。

国語、算数・数学とも、身につけておくべき基礎知識を問う問題と、基礎知識を活用して考える問題の二種類が出された。全児童・生徒対象のテストとしては四十三年ぶりの復活だった。

採点や集計作業は小学校がベネッセコーポレーション、中学校がNTTデータに委託された。費用は準備も含めて約七十七億円という。

文部科学省は結果の公表を九月に予定していたが、教育再生会議は各学校に伝える時期を夏休み前の七月中に前倒しするよう提案した。学力向上のため、結果を速やかに活用してもらおうという意図からだ。

文科省は集計が終わり次第、発表する方針にしたが、七月中にはできなかった。記述式解答の採点で、てこずったことが主な要因だ。

正解の基準はあるのだが、誤字や類義語をどこまで認めるか、助詞が適切かどうかなど、採点の際に協議を要するケースが多発した。

記述式導入を決めた時点でさまざまな解答が出ることは予想されたことだ。解答者数と子供の多様性を考えると、健全な結果といえよう。七月前倒しという教育再生会議の提案に無理があったということだ。

学力テストはデータ集めが目的であれば、全校対象で実施する必要はなく、いくつかの学校だけによるサンプリング調査で済んだはずだ。民間会社への集計委託も、個人情報の漏出や目的外使用という問題が解消されていない。

教育再生会議は、子供や保護者が学校を選び、支給された利用券で授業を受けるバウチャー制の導入を検討している。このテストが学校評価や学校選択制と結びつけられる、という懸念がぬぐえない。

学校選択制と連動した足立区独自の学力テストでは、先生が誤答部分を指さして児童に気づかせるといった学校側の不正が発覚した。学校序列化のものさしにされるだけのテストだったらやめたほうがいい。

膨大な費用と手間をかけて行う以上、活用方法は文科省や教育委員会、学校にとって大きな課題だ。どうしたらテストの結果を子供に生かせるのかしっかり検討してほしい。

東京新聞 2007年8月7日

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【審判のあと 教育改革】現場軽視では困る

参院選で安倍首相が実績として強調したのが、約六十年ぶりに実現した教育基本法の改正である。

首相は就任以来、「教育再生」を看板として掲げ、戦後体制からの脱却を訴えてきた。しかも、基本法改正は自民党の積年の悲願であり、それを自らの政権で成し遂げただけに力が入ったのも当然だろう。

だが、それはあくまで党内での実績であり、肝心なのは国民から評価される実績かどうかだ。

道徳や規範意識に力点を置く法改正は首相の目指す国づくりの方向性まで明確にした。先の国会では一連の教育関連法案が成立したが、実態は前政権の遺産である数の力を背景にした強行採決である。

文部科学省から教育委員会への「是正指示権」を盛り込み、終身制の教員免許を十年ごとの更新制にした。十分な議論が尽くされぬまま、国の関与が強化されたのだ。
こうした教育改革の内容、方向性、手法が参院選では問われた。自民惨敗の結果は安倍流の教育改革にも国民の支持が広がっていないことをうかがわせる。

教育再生会議の提言も首相の意向の追認にすぎない。最終提言が出ないうちに参院選に出馬し当選した委員もいる。会議の重みに疑問符がつく。しかも、こうした提言が国の施策として重視されているのが実情である。こんな仕組みでは現場の声が反映された改革は期待できない。

教員免許更新制にしても講習態勢、評価基準など中身は不透明だ。拙速さが際立つ改革の象徴である。この流れを止めなければ、教員の能力給制度など教育現場に競争原理が持ち込まれる懸念がさらに強まる。

民主党はマニフェストで現場を尊重した教育の実現を訴えた。自民に対峙(たいじ)した内容といえるが、理念先行の感は否めない。教育予算増が盛り込まれなかった自民のマニフェストに対し、民主党は五割増を目指すと記した。だが、財源の裏付けが示されておらず説得力を欠いている。

国の関与を強めながら制度ばかりをつつき、現場に混乱を招いているのが今の教育改革の姿ではないか。国民が望む教育改革は、いじめ、学力低下など子どもが今まさに直面している問題の改善である。

民主党には自民党に考えの近い議員もいる。拙速な改革に歯止めをかけ、現場重視の改革へかじを切れるのか。力量が試される。

高知新聞 2007年8月5日

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教科書検定撤回 知事の真意が計りかねる

文部科学省の高校教科書検定で「集団自決(強制集団死)」の日本軍関与の記述が削除されたことについて、検定撤回と記述の回復を求める声が高まっている。超党派の県民大会開催に向け、県子ども会育成連絡協議会などでつくる準備実行委員会が発足、全県規模の参加を呼び掛ける。

歴史を改ざんする動きに県民が怒りと強い危機感を持っていることの現れだ。県内四十一市町村すべての議会が全会一致で意見書を可決、県議会による二度の意見書可決はそうした県民の思いを反映している。

それにしては県民の総意を代弁すべき県の対応が見えない。とりわけ、仲井真弘多知事の発言は真意がどこにあるのか、はっきりしない。

知事は二十七日の定例記者会見で、検定撤回をめぐる現状について「かなりの目的(削除撤回)は達成しつつあるのではないかという感じを持っている」と述べた。

何を指して「かなりの目的は達成しつつある」と見ているのだろうか。今月四日、安里カツ子副知事ら県内の行政・県議会六団体代表の撤回要求に、文科省の布村幸彦審議官は「審議会が決めたことに口出しできない」と述べ、困難との姿勢を堅持。伊吹文明文科相は「日程上の都合」を理由に、面談にすら応じなかった。

塩崎恭久官房長官は十一日の県議会での異例の再可決を受けても撤回要求に応じる考えはないことを示した。政府が県民の要望に応じる姿勢は見られない。

知事が県益のため、政府と良好な関係を保つことは重要だろう。ただ、知事のよって立つところは県民の総意だ。やむなく、県民と政府が対峙した場合の対応もおのずとはっきりしている。実際、知事は六月八日には「個人の率直な気持ち」としながらも「当時の社会状況から考えて軍命はあったと思う」と踏み込んでいる。

「かなりの目的は達成しつつある」と言うなら、何が達成されつつあるのか、県民への説明が必要である。

沖縄タイムス 2007年7月29日

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9月入学 大学だけいじっても

大学九月入学が政府の思うように進んでいない実態が文部科学省の調査で明らかになった。

二〇〇五年度、四月入学以外の制度を導入していた大学百五十三校のうち、四月以外の入学者がいた大学は約四割にとどまり、前年に比べて入学者のいた大学数、全体の入学者数ともに減少していた。

安倍首相も九月入学を教育再生の柱の一つに掲げ、「骨太の方針2007」に盛り込むなど四月入学からの転換に意欲を見せる。だが、就職の不利が浮き上がるなど、条件整備もないまま旗を振ったところで制度が浸透しないのは当然だろう。

九月入学は古くて新しいテーマである。一九八七年、中曽根内閣時の臨時教育審議会が答申に「検討課題」として盛り込んで以来、たびたび議論されてきた。

二〇〇〇年の森内閣では首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が最終報告で「積極的に推進する」とさらに踏み込んだ。安倍首相が義務化を提案する三月の高校卒業から九月の大学入学までの間の社会奉仕活動はこの時、既に示されていた。

転換の理由は過去の議論も安倍首相の持論も共通している。

欧米の主流である九月入学に合わせ、互いが留学しやすい環境を整えることで大学の国際競争力を高める。少子化の時代、留学生を迎えやすくして経営の安定につなげる。社会奉仕活動をすることで「公」の意識を育てる。以上に集約されよう。

だが、理念だけで乗り切れるほど軽い問題ではない。企業の通年採用が増えているとはいえ、新卒採用は三月卒業者に集中している。九月入学制では六月卒業が一般的であり、就職面で大きな不利を被る。

しかも、日本社会は小・中・高校ともそうであるように「四月入学、三月卒業」が文化・伝統として根付いている。行政はもとより企業の会計年度も四月から翌年三月末までというケースが多い。

大学の入学制度だけをいじり、社会全体の仕組みに手を付けないのでは混乱を招くだけである。

社会奉仕活動も、本来は自発的なものであり押し付けは筋違いだ。四月入学のままでも大学のカリキュラムに組み込めば済む話である。また、進学しない若者との公平性をどう保つつもりなのか。

実現にはあまりに課題が多い。理念先行の安倍改革を象徴する必然性に欠ける政策だ。慎重な議論がもっと必要である。

高知新聞 2007年7月27日

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教育問題 実情踏まえた論議を

参院選で各党とも教育問題を重要課題に掲げているが、論争は高まっていない。各党、各候補者の取り組み方は投票の際の重要な基準だ。教育に対するそれぞれの主張にじっくり耳を傾けたい。

安倍晋三首相は政権の主要課題に憲法改正と並んで教育改革を挙げ、教育基本法や教育関連三法の改正を成し遂げた。自民党は参院選での公約に「教員免許更新制や不適格教員を教壇に立たせないシステムの円滑実施」などを掲げている。

民主党もマニフェストで「教育への財政支出五割増を目指す」とし「公立学校は保護者、地域住民、学校関係者などが参画する『学校理事会』が運営」とうたう。

教育関連三法改正では教員免許の更新制が導入され、教育委員会への国の関与を可能にすることが盛り込まれた。ことしは全国学力テストも復活した。教育を取り巻く環境は大きく変化している。

自民党は「幼児教育の無償化を目指す」とし、民主党は「公立高校の授業料などを無料」といい、社民党も「高等教育の無償化を目指す」とする。子育てまで広げると、児童手当を公明党は「対象を中学三年まで引き上げる」、共産党は「小学六年まで月一万円に倍増し、十八歳まで支給を目指す」と訴えている。

無償化や手当拡充は聞こえがいいが、財政的裏付けが必要となる。費用がどれだけで、どうやって工面するのか、各党の公約やマニフェストからは読み取りにくい。

有権者が聞きたいのは現場の実情を踏まえた議論だ。いじめはなくならず、学校に理不尽な要求や抗議をする親「モンスターペアレント」が増えている。学校や先生任せにしておいていい問題ではない。

学力問題の関心も高い。自民党は「『確かな学力』を約束」といい、教育再生会議は「授業時間の10%増と土曜授業の復活」を提言した。ゆとり教育の転換を明確に打ち出している。時間増で学力向上となるのか、もっと議論が必要だ。公明党は「小学校で英語教育を必修化。中学卒業段階で日常英会話ができるようにする」という。期待させる公約だが、可能か。

安倍政権の進める教育政策の特徴は競争原理の導入と言える。東京都足立区独自の学力テストでは学校側の不正行為が発覚した。教育への競争原理導入の是非は候補者が大いに語らなければならないテーマだ。

有権者は各党、各候補者の主張をじっくり聞き分け、投票に行きたい。そして、選挙後の取り組み方も見守っていかなくてはならない。

中日新聞 2007年7月26日

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合格者水増し  教育をゆがめる行為だ

大阪府や兵庫県内の一部私立高校で、成績優秀な生徒に学校側が受験料を負担して有名大学を多数受験させ、合格実績を水増し発表している実態が明らかになった。

受験者の実数は伏せ、合格延べ人数だけを公表することで、多数の合格実績があるように装う手法だ。

生徒一人に四私大の計七十三学部・学科を受験させ(すべて合格)、七十三人分の合格実績として公表していた大阪市内の高校もある。願書のほとんどは教師が代筆、受験料百四十三万円は学校が負担し生徒には謝金まで出していた。

公表された実績を信じて子どもを私立高に入学させた保護者たちから、一斉に「学校に裏切られた」の声が起きたのは当然だろう。

少子化の進行で私立高が生き残り競争に直面しているのはわかる。とはいえ、不公正な手段で生徒集めに走るのは、保護者や社会への背信であるばかりでなく「教育をゆがめる行為」と言わざるをえない。

学校の要請で受験させられる生徒の心理的、肉体的負担も決して小さいとはいえまい。過去に、その役目を果たした卒業生らにまで今後、負い目を感じさせるとすれば、責任はより重大だ。

水増しにかかわった私立高関係者は、真摯(しんし)に反省してほしい。実績づくりのためだけの「やらせ受験」は直ちに廃止すべきだ。

大阪府は、府内の私立高全校を対象に実態調査に乗り出す方針を決めた。合格水増しは、かなり以前から生徒や保護者の一部では、うわさになっていたといわれる。

私学の自主性は尊重しながらも不当、不正な行為には行政として素早く適切な指導を行うようのぞみたい。

私立高の合格水増しのほとんどは、大学入試センター試験の成績だけで合否が決まるセンター試験利用入試が使われていた。

一学科二万円弱の受験料で出願さえすれば結果が出るので、高校側には好都合だった。大学側も全く無関係とはいえまい。一人で数十件も出願するような不自然なケースには、今後チェックを入れることも検討されてよかろう。

合格水増しの再発を防ぐ一つとして、合格実績の公表様式を厳格に統一する方法が考えられる。

進学者の多い公立高などで取り入れているように、現役、浪人に分けたうえで合格内容をセンター試験利用や推薦、一般入試など全種別に分け明記してはどうか。合格者数は、実際に進学した数も併記するとわかりやすい。

姑息(こそく)な実態が広く知られた以上、合格水増しのあった高校は率先して名乗り出るべきだ。あしき慣行を自ら改める姿勢を見せないなら、生き残りが難しくなるだけだろう。

京都新聞 2007年07月25日

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かじを切るか真っすぐか 教育

いじめ、校内暴力、不登校、学級崩壊、学力低下など、教育現場はさまざまな問題を抱え、私たちは改革の必要性を痛感している。だが、改革の方向を問われたとき、個々の答えはプリズムを通した光のように分散する。

参院選は、日本のこれからを担う人材をどう育てていくべきか、その基本的な枠組みを固めるために国民個々の答えの平均値を求め、総意としての方向を示す機会でもある。

しかし、教育という「100年の大計」について確信をもって語り進路を示すことの難しさもあるせいか、選挙戦での各党と候補の論調を聞く限りでは残念ながら、与野党のどちらからもそれほど熱っぽさが伝わってこない。

安倍晋三首相は就任以来「教育再生」を内閣の看板に掲げ、昨年暮れには「教育の憲法」と形容される教育基本法を改正した。「愛国心」や「公共の精神」に力点を置く変更である。

その半年後、さきの国会では教育基本法の改正に合わせた教育改革関連三法が成立した。文部科学相から教育委員会への「是正指示権」を新たに定め、終身制だった教員免許を有効期間10年の更新制に変えるなどが柱だった。

こうした一連の教育改革には、上からの管理を強めることも教育再生上の重要な鍵になるとする考えが土台になっていよう。自民党は、これらの改革を「実績・成果」として掲げ、今回参院選に臨んでいる。

今回の参院選は、こうした安倍流教育改革を是とし、直進方向にさらにアクセルを踏むように促すか、それとも、この方向に注文を付け、かじを切り直すように求めるか‐という大切な判断を下す機会でもある。

では、安倍流の教育改革に対し野党はどんな対案を示しているだろうか。たとえば民主党は「学校の運営は地方自治体が責任を持って行う制度に改める。その一環として、親や地域住民が学校運営などに参加できる『学校理事会』を設置する」とうたっている。

地域の主体性を重視する学校運営の提案には、安倍流改革への対立軸を際立たせたいという考えがあろう。ただ、良くも悪くも性格が際立った安倍流改革に真っ向から対峙(たいじ)した政策と言えるだけの個性までは感じられない。

民主党はまた、「教育への財政支出は先進国で最低水準」だとし、「現行の5割増を目指す」としている。しかし、財政的な裏付けのある提案とまでは言えず、実現可能性でいまひとつ説得力を欠いている。総じて与野党の論戦はかみ合っていない。

教育現場では、教師と児童生徒の関係に加え、子ども同士の関係が絡まり合っている。いじめの問題は、成長しきっていない人格と人格が複雑な人間関係を結ぶ中で起きる。

子どもたちの間での心理的な力学は日々変化しており、教師は日ごろから注意深く観察していなければ、だれがいじめられて自殺まで思い詰めているかが見えてこない。

参院選での論戦はどうしても、こうした教育現場を踏まえた議論とは別の理念論、制度論、予算配分論に終始しがちだ。聞いていて、もどかしい。しかし、選挙結果は確実に今後の教育現場のありように投影する。極めて重要な選択だ。

西日本新聞 2007年7月25日

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07参院選・教育改革 「大計」の選択悔いなく

年金記録不備問題や閣僚の事務所費問題など逆風続きの安倍政権が、参院選で最大の「実績」の一つに挙げているのが「教育改革」だ。

最重要課題と位置付け、内閣発足間もない昨年十月に教育再生会議を設置。年末には教育基本法を制定から約六十年ぶりに全面改正した。

安倍首相は「個人の尊厳」を重んじてきた戦後教育を「豊かになる中、価値の基準を損得に置くきらいがあった」と総括する。「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げ、改正教育基本法には教育の目標として国と郷土を愛する態度を養うことが明記された。

参院選を前に成立した教育改革関連三法も、国のかかわりを強めている。教員免許の更新制や教育委員会に対する文部科学相の是正指示、要求権の導入などが盛り込まれた。

これら安倍首相が描く「教育再生」のシナリオは、学校現場に一大変革を迫るものだ。本来教育改革には多角的に掘り下げた検証や論議が欠かせない。ところが国会ではいずれも尽くされたとは言い難い。

首相肝いりの教育再生会議も、短期間のうちに報告書がとりまとめられた。学力向上のための「授業時間10%増」の具体化に向け、土曜授業の実施を打ち出した。矢継ぎ早の改革路線は「現行教育の検証を欠いている」「付け焼き刃的」との反発も招いた。

授業時間数と学力の因果関係についてもはっきりしていない。学力低下の原因は学校教育にのみ押し付けられるものではない。学力には学び、伸びようとする意欲の元となる「自己肯定感」なども深くかかわっている。複眼的に検証されるべきものだ。

学校週五日制は子どもたちの「受け皿」づくりを進めながら、時間をかけて定着してきた。保護者の働き方も含め、社会的影響が大きい。学力は授業時間を増やせば本当に保証されるのか。野党ももっと教育の本質に迫る論戦を展開し、有権者の疑問の解消に努めてほしい。

先進国で最低レベル
一連の教育改革が予算の裏付けがないまま進められようとしていることに、現場の不安は高まっている。日本は国内総生産(GDP)に対する教育費の公的支出の割合が先進国では最低レベルだ。
学校に常識を逸脱した要求を突き付ける保護者の増加、エスカレートする学級崩壊など、次々と発生する問題への対応に現場は振り回されている。

子どもを中心に据えたきめ細かい教育を実現するには、人手と時間が絶対的に不足している。こうした条件が整備されないまま現場の負担ばかり増大すれば、教員のメンタルヘルスへの影響は免れまい。既に公立小中高の教職員の精神性疾患は、病気休職の主要因になるほど深刻だ。結果的に影響を受けるのは子どもたちであることを忘れてはならない。

いじめや不登校、学力の「格差」など、教育をめぐる問題は山積している。どれ一つとっても手間暇をかけた息の長い取り組みが求められる。にもかかわらず、参院選での教育論議は年金問題などに隠れ、盛り上がりに欠けたままだ。

教育の今後を決定づける重要な法律が相次いで成立したものの、運用については不透明な要素が多い。国による地方の教育行政への関与の強化は地方分権の流れと逆行するとの疑問もある。論点は多岐にわたっているはずである。

有権者は各党のマニフェストを吟味し、「百年の大計」にふさわしい選択を実行する時だ。

高知新聞 2007年7月24日

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教育改革 現場の問題を直視して

参院選で、安倍晋三首相が教育改革の実績として挙げるのは、約六十年ぶりに実現した教育基本法の改正だ。

「愛国心」の涵養(かんよう)を教育目標に掲げ、法律の定めるところによって教育を行うことを明記した。

国が教育内容を定め、道徳心や規範意識を重視する−。こんな安倍流の教育改革の方向性が明確になった。

戦後体制からの脱却を掲げる首相は自民党の「積年の悲願」を実現したと胸を張りたいのだろう。

先の通常国会で、一連の教育関連法案はすべて強行採決で成立した。必ずしも十分な議論は尽くしていない。

参院選で問われるのは、こうした教育改革の内容と方向性だ。

教育は「国家百年の大計」と言われる。参院が良識の府であるなら、各政党や候補者は、将来を見通した教育再生の道筋こそ真剣に論じてほしい。

自民党の選挙公約には、子どもの学力や規範意識の向上などが並ぶ。公明党は教育費の軽減、民主党は公立高校の授業料無料化などを掲げた。

もっともな内容だが、有権者が各党に聞きたいのは、現場の実態に即した具体的な論議ではないか。

今の学校は子どものいじめや自殺、学力低下など複雑な問題を抱える。親の所得格差が子どもの学力格差を生んでいるという専門家の指摘もある。

教育がゆがんでいるとすれば、何が原因なのか。どのような解決策があるのか。各党が素通りしているこうした観点こそ、教育改革の出発点となるはずだ。

改革の手法も重要な論点だ。

首相の肝いりで設置された政府の教育再生会議は、これまで二回の提言を発表した。道徳の教科化や子どものしつけ方など、素人の思い付きのような施策も並んでいる。

提言内容が、そのまま国の政策としてまかり通る今の仕組みでは、学校現場の声が反映される余地は乏しい。

十二月の第三次報告を待たずに、参院選に出馬した委員もいる。再生会議は、腰を据えた議論ができていないのではないか。

文部科学省は今後、実績に応じて教員給与に差をつける制度の新設や、学校選択制の本格的導入などを視野に入れている。教育現場に競争原理を持ち込む方向はさらに強まりそうだ。

改革を先取りする東京都足立区は、教育予算を成績の良い学校に加重配分している。予算を確保するため、統一学力テストの点数を上げる学校ぐるみの不正が発覚した。

今の教育改革は、子ども不在になってはいないか。参院選の論議を通じ、有権者は改革の行方をじっくりと見極める必要があるだろう。

北海道新聞 2007年7月20日

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「食育」推進  一律の押しつけなら疑問

食育基本法の施行から二年がたった。同法に基づき、国は昨年三月に食育推進基本計画を作成し、都道府県は同計画を具体化した食育推進計画と、その確かな実践を求めている。既に四十都道府県がそれぞれの推進計画の作成を終えているが、神奈川県は二〇〇九年三月までに作成する意向で、まだ具体化の途上にある。

取り組みは出遅れているが、ただ早く作ればよいというものでもあるまい。周到に計画を練れば時間がかかる。理念や抽象的な文言の羅列ではなく、いかに実効性の高い計画ができるか。そこに自治体の真価が問われてくる。

同法は食育を「健全な食生活を実践できる人間を育てる」と定義した。国の基本計画は、特に地域や社会を挙げた子どもの食育推進を強調、その取り組みを通し「大人自身の食生活の見直しも期待できる」と相乗効果に期待した。

国が法律によってまで、栄養の偏りや食習慣の乱れが目立つ現状から健全な食生活の重要性を示したことは注目できるし、意図も理解できる。ただ理念先行で現実がかすむような運動の展開なら、一方で危険もはらむことを念頭に入れておかなければならない。

国の基本計画は数値目標を設定した。小学五年生の実態調査から朝食をほとんど食べていない割合(週六、七回)が4%あるとし、小学生はこの欠食率を二〇一〇年度までに0%を目指すとしている。保護者が食育の意義を理解し改善できるならいいが、必ずしもそうしたケースばかりではない。養育力に欠けた家庭の子どもをサポートする仕組みがないまま、学校や地域を挙げて「食べろ」と大合唱すれば、食べたくても食べることのできない子どもはどうすればいいのか。食育推進の言葉かけが、いじめにまで映る子どもたちが現実にいるのである。

学習指導要領の改定でも食育が盛り込まれる見込みだ。正規の授業で食の知識や選択力を習得させることになるが、現実の生活が空腹と向き合う子どもには、苦痛でしかないだろう。食は家庭の事情などデリケートな部分も含んでおり、肩に力を入れて一律に教え込むようなものではなかろう。

国が採用した欠食率の実態調査データは七年前の数値であり、今はもっと割合が高くなったとみられている。国の全国調査でみると神奈川県の場合、労働時間の長さは東京都に次いで二位、通勤時間の長さと睡眠時間の短さではいずれも一位。大人のゆとりのなさが際立つ県であり、こうした背景からも子どもの食生活が乱れやすいことは容易に察しがつく。

神奈川県が作ろうとする食育推進計画が、国の計画を踏まえ欠食率0%を目指すなら、家庭で食べられない子どもも例外なく学校や地域で食べられる機会を与える、きめ細かい対策が欠かせない。

神奈川新聞 2007年7月19日

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教育改革 格差拡大を助長する心配も

安倍晋三首相は就任直後から、「戦後レジーム(体制)からの脱却」を唱え、その象徴として憲法改正と教育再生を内閣の最重要課題に掲げている。

教育再生では既に、愛国心の必要性を強調した教育基本法改正を行い、学校教育法、地方教育行政法、教員免許法など三法の改正を可決した。それらの内容はやはり、国や郷里を愛する心や規範意識の養成、地方教育委員会への文部科学省の指導権限強化、教員免許の更新制度や研修制度の導入などに重点が置かれている。さらに、具体的な対策については、政府の諮問機関として設けられた「教育再生会議」で煮詰めようとしている。

ただし、日本の教育が先進国の中で際立って不調ということでもない。あえて課題を挙げるとすれば、社会や産業の変化の中で伝統的な家族像も変容しており、親の教育観が多様化し、子どもが社会的な自立への展望を持ちにくく、一部には学習意欲の低下もみられること、などであろう。学校現場でも対応策を工夫しているところだ。

ところが、安倍首相は、学力向上と規範意識の養成という目標を強調し、教育委員会、学校、教師への管理を強める政策を打ち出している。全国一斉の学力テストも実施。学校や教師の評価も行う方針だ。

これらは、英国のサッチャー政権が実施した新自由主義的な教育政策に酷似している。しかし、「新自由主義的な教育は、学校や生徒間の格差拡大を助長し、社会的な格差まで固定してしまう」とする社会学者の研究もある。

学力テストの成績を公開し、学校選択の自由も認めている東京都足立区の小学校では、学力テスト中に教師が児童に誤答を気付かせるなど学校ぐるみで不正を行っていた。特定の子どもの成績を採点対象から除くこともあったという。信じ難い現実だが、学校評価制度がテストの成績に気を取られがちな教師や子どもを増やすことは、英国でも既に指摘されている。

教育政策の具体化について話し合う「教育再生会議」に教育学者が一人もおらず、現場経験を持っていた数少ない委員の一人は参院選の候補者となっている。教育学会や教育関係者の間からは「素人論議の域を出ていない」という強い批判や不満が出ている。教育改革は長期的な視点から行われるべきで、短期的な成果を求める施策は子どもや教師を苦しめる心配がある。

今回の参院選は、安倍内閣の教育観についても問われるべきだ。野党のマニフェストを見ると、教育への財政支出の増額を明記したものが目立つ。民主党は「五割増」とし、親や地域住民が学校運営に参加する「学校理事会」の設置を行うとしている。社民党は、先進国の中でも低い教育予算を「GDP比6%水準」に引き上げると主張している。教育予算の増額は、慢性的な疲労に悩む教育現場が渇望するものだが、有権者は、その財政的な裏付けについても見きわめる必要があろう。

熊本日日新聞 2007年7月19日

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学力テスト不正 本末転倒の成績向上追求

昨年四月に東京都足立区が独自に行った学力テストの際、区西部の小学校で校長と教員が児童の答案を指差し、誤答に気付かせるなどしていた問題で区教育委員会が学校ぐるみの不正行為があったとする調査結果を公表した。

調査で教員は校長や副校長らの指示があったと説明したが、校長は指示を否定した。だが、区教委は「幹部の指示なしには起きない」とし、学校ぐるみの不正と認めた。

教える立場にある者がテストなどで不正を行うこと自体、許されない。実際の学力よりも点数さえよければというのは本末転倒だ。

その上で、問題の背景である。足立区はテストの学校順位を公表しているほか、学校予算の傾斜配分、学校選択制などを次々に採用した。これら競争促進策が影響したのではと指摘されている。この小学校は二〇〇五年には区内七十二小学校中、四十四位だったが、不正のあった昨年は一気に一位になっている。

公教育への競争原理の導入は政府の教育再生会議も強く打ち出した。小中学校では今春、四十三年ぶりの全国学力テストも実施された。一九六〇年代に行われた全国学力調査で事前の補習や今回のような指差し指摘が横行し、中止された経緯がある。問題の再燃が心配されたが、今回先取りする形で足立区で表面化したといえる。

学力テストが過度の競争を強いて知識偏重につながっては学ぶ意欲に基づく「確かな学力」は身に付くまい。点数至上主義は排除すべきだ。

区教委は、検討委員会を設けて今後の対応を協議するという。不正を招かない成績の公表方式、学校予算に成績を反映させる方法などを検討する必要がある。

山陽新聞 2007年7月18日

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学力テスト不正 点数が良ければいいのか

昨年4月に実施された東京都足立区の学力テストで、公立小学校の校長や教員が試験中に児童の答案を指さして間違いを気付かせていた問題は、学校ぐるみの不正行為だったことが同区教育委員会の調査で明らかになった。

足立区は2004年度から学校予算の一部を傾斜配分する施策を講じており、学力テストの伸び率も予算査定の判断材料になっているという。点数至上主義のひずみが学校ぐるみの不正となって表れた。

何よりも懸念されるのは児童への悪影響だ。試験中に解答の誤りを教えられた児童はどう受け止めたのだろうか。教師による不正を目の当たりにし、いい点数を取るためならどんなことをしてもいい―と考えたとすれば不幸なことだ。

学力テストの成績を引き上げるために、未来を担う子供たちの健全な成長を阻んでしまっては、それこそ本末転倒である。

同小学校は、通常学級に在籍しながら必要に応じて特別支援学級にも通う「通級」の児童3人の答案用紙を保護者の了解がないまま無断で抜き取り、採点対象から除外していた。足立区内の別の小学校一校も保護者に無断で特定の児童を採点対象から外していた。

そもそも、児童生徒の学力の実態を正しく把握し、指導方法などの改善につなげるのが学力テストの本来の目的であるはずだ。

平均点の良しあしが、校長や学校を評価する判断基準になっているとすれば、学力テストの趣旨を逸脱している。

区教委の調べでは、校長と5人の教員が、数人の児童の問題文を指さすなどして誤答に気付かせていた。教員は、校長、副校長、主幹の指示があったと説明していた。

このような不正を指示した学校幹部を「教育者」と呼べるのか。不見識極まりない。疑問に思いながら指示に従った教員も、主体性がなさすぎる。

政府の教育再生会議は公教育への競争原理導入を打ち出しているが、足立区の小学校のようなひずみを生まないか。点数さえ良ければいいというのでは教育の荒廃を招くだけだ。

琉球新報 2007年7月18日

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入試外注 大学の信頼を損なう

どんな事情があるにせよ、「責任の放棄」とのそしりを免れないのではないか。

全国で七十一もの私立大学が入試問題の作成を企業や予備校などに外注しているという。すべての教科・科目の問題を外注していたのはうち十八校に上る。これほど多くの大学が「丸投げ」している事実に驚き、あきれる。

調査を行った文部科学省はすべての国公私立大学に対し、「入試問題の作成は大学の方針に基づき、自ら行うことを基本とすること」との通知を出した。当たり前のことだ。大学は「建学の精神」に立ち返り、「どんな学生に来てほしいか」を自らの力で発するべきだ。

調査は国立大八十七校、公立大七十六校、私立大五百七十八校を対象に行われた。外注していた私立大のうち、企業への外注は六十二校、学校法人の予備校などその他の外部機関が十一校(一部重複)で、国公立大での試験問題の外注はなかった。

なぜ私立大でこれほど外注が増えているのか。背景には、入試の多様化に伴う業務負担の増大がある。十八歳人口の減少による危機感から、受験生を確保するため、受験機会を増やす大学が相次いでいる。

今回の調査でも「一般教養などを担当する教員がいない」「入試形態が幅広くなり、学内で対応しきれない」「問題の質の確保に自信がない」などの声が寄せられている。
一方で、大学間のネットワークで入試業務の負担緩和を目指す動きも広がっている。

「数々の良問が蓄積された過去の問題は大学の共有財産」との共通認識に立ち、高知工科大を含む国公私立六十七大学が来年以降、過去問題を相互利用していくという。「過去問題は大量にあり、暗記に頼るのは不可能で、受験生間に不公平はない」との判断だ。

これに対し「丸投げ」には問題漏えいの懸念がつきまとう。文科省も「入試の機密性や公平性の確保の観点から社会的な疑念を招く恐れがある」と慎重な対応を要請していた。

ところが今回の調査で、外注が私立大間で拡大しているという実態が浮き彫りになった。それだけ状況が逼迫(ひっぱく)しているということだろう。文科省も私大事情への認識をあらたにする必要がある。

だが、度の過ぎた外部委託は大学の信頼や存在意義をも損ないかねない。何より、受験生への誠実味に欠けるのではないか。

高知新聞 2007年7月16日

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高校再編計画 教育に欠かせぬ地域の視点

県立高校の再編整備計画を進めている県教委は、県内十カ所で先月開いた第二次素案の地域説明会を踏まえて、「県民の理解を得られつつある」との見解を示したが、果たしてそうだろうか。

過疎地域を中心とした大規模な統廃合や、通学区域の拡大による一極集中などに対する不安は解消されていないように思える。にもかかわらず、県教委は近く「案」に格上げし、パブリックコメント(意見公募)を実施した上で、秋にも計画決定する予定だ。「県教委は再編を急ぎすぎる」との指摘はまさに的を射ていると言えよう。

県教委が昨年七月に発表した再編計画の素案は、二〇〇七年度から九年間で二十一校を対象に統廃合。学区も〇九年度から、現行の八学区を三学区に拡大し、学区外枠も6・5%から20%に広げるとしていた。

しかし、統廃合対象となった高校を抱える地元自治体や同窓会を中心に反発が広がり、計画策定が当初より一年繰り延べされた経緯がある。第二次素案では、スクールバス導入や学区外枠の拡大を二段階にするなどの緩和措置が取られたが、統廃合など主な内容は一次素案を踏襲したものとなった。

昨年七月以降、県教委は一次素案段階で延べ二十回の地域説明会を開くなど、説明責任を果たそうとした姿勢は評価できる。しかし、各説明会で上がった意見が、二次素案づくりに十分反映されたかというと疑問だ。

先月開かれた地域説明会では、統廃合地域の参加者から、「交通手段も少ない中、三十キロも通学しなければならない」「高校がなくなれば地域が崩壊する」という声があらためて上がった。県境の蘇陽、南関などの地域関係者にとっては切実な問題だ。

学区拡大による熊本市への一極集中や、受験競争の激化に対する懸念も根強い。「親の経済力が進学先の選択に影響する。それぞれの地域に低コストで教育を提供するのが県立高校の使命ではないか」という意見もあった。

素案では、将来の少子化に対して、一定規模の学級数の確保による教育効果の向上と効率的な学校運営を目指している。県教委は年間十数億円の財政効果が生じると試算。財政難の折、再編は避けられないとの指摘もある。

他方、教育を費用対効果で計っていいのかという疑念もある。地域の人材を、地域でどう育てるかという視点も欠かせない。再編でどんな人材を育成しようとしているのかという理念もまだ明確とは言えない。

今回の再編は、競争原理を最優先する小泉改革の流れに沿ったものだ。同時に、この間に拡大した地域間格差、所得格差も大きな影を落としている。教育の機会均等をどう図っていくか。今回の参院選と衆院補選でも、格差是正と教育改革は争点の一つである。

道州制をにらんだ均衡ある県勢の発展、大学を含めた人材の流出防止などについても、今回の再編論議ではまだ不十分だ。今後、知事部局も交えた多面的な検討が必要であり、来年の知事選に向けた重大な争点ともなろう。

熊本日日新聞 2007年7月14日

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学力至上主義の弊害だ 足立区のテスト不正

東京都足立区が昨年四月に学力テストを行った際、ある小学校の校長や教員が誤答を「指さし」し、児童に気付かせるなどの不正をしていたことが明らかになった。

さらに校長は情緒的な障害などがある三人の児童の答案を保護者の了解を得ないで、採点対象から外していた。

このほか校長は二〇〇五年の問題をメモし、翌年の児童に練習問題として繰り返しやらせることなどもしていた。

〇六年のテストは九割以上、〇五年と同じ問題が出たという。この結果、同校は〇五年は同区内で七十二小学校中四十四位だったのが、〇六年には一気に一位となった。しかし問題を作成する業者が代わった今年は、再び五十九位へと下がった。

子どもたちの学習到達度を調べるのが学力テストだが、よい成績をとることが目的となっていた。主客転倒としか言いようがない。

一校長の暴走のようにも見えるが、根は深いものがある。

足立区は東京都の学力テストで二十三区の最下位グループに低迷。危機感を強めた区教育委員会は〇五年度から区独自に学力テストを実施し、競争をあおるように、学校別の順位を公表してきた。

また同区は〇二年度から、政府の方針を先取りする形で、保護者や児童が就学先を選べる学校選択制を採用している。

保護者が選択する場合の重要な要素となるのが、学力テストの結果。テストの成績がよければ児童が集まってくるが、逆に悪ければ児童は減る。学校にとって学力テストの結果は、かなりのプレッシャーになっていたようだ。

政府の教育再生会議は六月に第二次報告を提出。学校選択制の導入促進を掲げ、児童、生徒が集まった学校には予算を多く配分するよう提言した。

子どもの学力向上を願う保護者の間には学校選択制を歓迎する声がある。競争原理を導入して、学校を活性化しようという考え方だ。地方よりも、公立校が私立校に後れを取っていると言われがちな都会で、その意見が強いようだ。県内では選択制への動きはないが、保護者の気持ちには共通する部分がある。

しかし光が当たる部分があれば、陰になるところも出てくる。

希望者の多い学校はいいが、子どもたちの集まらない学校は、さらにそのことで志願者が減るという、負のスパイラルに陥りかねない。統廃合される学校も出てきた。

成績優秀校と下位校のランク付けは、学校間格差を助長することにつながる。義務教育の公立の小、中学校の段階での序列化は、学力で子どもたちを差別し、学習意欲をそぐことになりかねない。

安倍晋三首相は就任以来、教育基本法を改正し、教育改革関連三法を成立させるなど、国を愛する態度や公共の精神を強調することで、教育の再生に取り組んできた。

きょう公示となる参院選では年金記録の不備問題や憲法改正、政治とカネが争点となっているが、同時に、わが国の教育をどうするのか、教育政策も問われている。

東奥日報 2007年7月12日

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学力テスト不正 現場の荒廃招くだけだ

東京都足立区の学力テストの最中に区西部の公立小学校で、教員が児童の答案を指さして誤答に気付かせる不正があった。昨年四月のことだが、背景に学校間の競争原理があるとすれば、将来にもつながる由々しき問題だと言わざるを得ない。

安倍晋三首相が進める教育改革は、学力テストの結果公表や学校予算の傾斜配分、学校選択性の導入など多岐にわたって学校を競い合わせる施策になっている。足立区は改革を先取りしているともいわれている自治体だが、程度の軽重はあれ、不正が単に一自治体にとどまるとは考えにくい。

今年四月に行われた全国学力テストが「学校のランク付けに使われてはいけない」ことは明らかだ。しかし、少子化の進展と経済格差の拡大など子供を取り巻く教育環境の変化は父母や保護者の間にも競争意識を生み出している。いい学校イコール学力テストの点数の高い学校という連想が働くのは避けられない。

いい学校に子供を入れたいとする親心が学力テスト結果の公表を求めるのは自然な感情だ。教員の評価も結果に左右されるとなれば、試験結果を上げるための特訓が行われたりする。

現に答案指さしのあった小学校では校長が過去の問題をほとんどメモして、翌年の児童に練習問題として繰り返しやらせていたという。

沖縄県教職員組合の全国学力テストについての教員アンケートで「成績が悪いと困るので、何らかの手立てをするよう教頭に言われた」「放課後の補習設定があった」などの回答があった。学校現場の長に相当な心理的重圧がかかり、それが現場教員にのしかかっている構図が見て取れる。

足立区の学校では三人の答案用紙を抜き取り、採点から除外することまでやっていた。教育の機会均等の理念から由々しき問題だ。子供のためを考えれば教育者としてやっていけないことは自明の理。“熱心さ”のあまり学校現場を荒廃させていることにもっと気付くべきだ。

沖縄タイムス 2007年7月10日

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07参院選 教育の行方を左右する

統一の学力テストを行う。学校の評価やテスト結果を参考に、親が学校を選ぶ。学校を評価、指導する行政機関を設ける。こうした学校間の競争で教育に活力を生み、子どもたちの学力を向上させる−。

1988年に始まったイギリスの教育改革の話だ。サッチャー首相は国際的な競争力を高めようと、改革に乗り出した。先ごろ退陣したブレア政権も受け継いだ。

その功罪は、英国で子どもを育てるジャーナリスト、阿部奈穂子さんの「イギリス『教育改革』の教訓」(岩波ブックレット)に詳しい。

英国ではかつて、授業内容などは学校や先生の裁量の範囲が大きかった。全国共通のカリキュラムを作ったことで、教えるべき内容が標準化し、目指す学力水準が明らかになったという評価がある。

その一方、競争や国の査察によって学校に優劣を付けた結果、学校が「勝ち組」と「負け組」に分かれ、格差が広がった。成績優秀校の近くの不動産価格が高騰し、裕福な家庭しか通えなくなったケースもあるという。

  <猛スピードの改革>

安倍政権が始まって9カ月余り。「すべての子どもに高い学力と規範意識を身に付ける機会を保障する」と“教育再生”を猛スピードで進めてきた。そのモデルはイギリスの教育改革である。

昨年12月には、戦後教育の根幹である教育基本法を全面的に改定した。公共の精神、愛国心といった教育の目標を盛り込み、個人よりも公を重んじる意味合いが強まった。

官邸直結の「教育再生会議」も発足させている。第一次、第二次の報告は思い付く限りの提言を盛り込んだといってもいい内容だ。

その中から今国会で決まったのは、教員免許の更新制など教育関連三法の改正である。文部科学大臣に教育委員会に是正を求める権限を持たせる。学校には新たな管理職を置けるようになる。

今後は「ゆとり教育」の見直しによる授業時間の一割増、土曜授業の復活、大学・大学院の改革、などが具体的な検討課題となる。教員の給与にも、指導力などの評価を踏まえて差をつける方針だ。

矢継ぎ早に見直しを急ぐ安倍政権の考え方の基本は、教育の場で競争を強めることだ。学校や教員を競わせ、評価することで、学校の質を高めようとしている。

学校の現状を見れば、「こんな人には教えてもらいたくない」という教員はいる。子どもに理由のないレッテルを張ったり、わいせつな写真を集めたり、盗撮するなどは教員として論外だ。いじめや不登校などにきちんと対応できない学校が、このままでいいわけがない。

一方で、うつ病など精神的な疾患で休まざるを得ない教員が増えている。保護者や地域住民の考え方、価値観が多様化し、増え続ける仕事をこなすだけで精いっぱいという先生が多いのも現実である。

親の所得や私学のあるなしで、教育格差が広がっているとの指摘もある。いまの学校をなんとかしたいという思いは多くの人にある。

  <競わせるだけでは>

ただ、企業社会のように学校に競争原理を入れ、国の管理を強める方がいいのか。安倍政権の教育改革路線の是非を考えるのが、参院選のポイントの一つになる。

教育関連三法の論議などを通じて気になるのは、学校に過剰な競争や管理を持ち込むと、先生が子どもたちに向き合うゆとりがなくなるのではという心配だ。政府は、教育予算や教員の定員を増やすどころか、削減していく方向だ。

各党の公約を読み比べると、教員の数をどうするか、学校の権限をどこまで広げるかなど、これからの教育の在り方を左右するポイントが見えてくる。

自民党は新憲法の制定に続いて、教育の再生を掲げる。教員の資質・能力の向上、高等教育の国際競争力の向上、規範意識の育成、など9項目が並ぶ。

公明党は、少人数教育システムや地域・学校に権限を移すことなどをうたっている。

野党の民主党は教員養成を6年に引き上げるなど、教員の質と数の充実を図ると訴える。高校の無償化も一つの柱だ。

少人数学級の実現を掲げるのは共産党と社民党である。国民新党はゆとり教育を見直し、教員を増やすと訴える。新党日本は、30人学級の導入、教員採用試験の年齢制限撤廃などに触れている。

  <進むべき方向は>

教育にかかわる公約は、聞こえのいい内容が並びがちだ。一つひとつの是非も大事だが、各党は教育全体がこれから進むべき方向について、明確に語ってほしい。

イギリス方式で、子どもも学校も競わせるのか。「ゆとり教育」を転換し、土曜日の授業を復活させるのか。規範意識を高めるために「徳育」を教科にするのか−。

とりわけ、先進国では最低水準の日本の公的な教育費を、今後どうするかは重要な問題だ。

自分の子どもには、こんな教育を受けさせたい、学校はこうあってほしい、といった願いを1票に託すのが大事になる。

信濃毎日新聞 2007年7月9日

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学力テスト不正 競争原理が生むひずみ

子ども不在の「学力コンテスト」になっていないか。そんな疑問がわく。自治体が実施する学力テストをめぐり、学校の成績を上げるため校長主導の不正が行われたことが明るみに出た。背景には、成績によって評価される学校の競争意識が浮かぶ。

不正があったのは昨年四月の東京都足立区の学力テスト。小学校二年生から六年生を対象に国語と算数で実施された。

公立小で試験中に、複数の教員が児童の答案を指さして誤答に気づかせていた。教員らは校長の指示を認め、「校長が教室に来て、率先して指さしをした」と証言している。校長は平均点を上げるため、保護者の了解がないのに児童三人の答案用紙を抜き取り、採点対象から外していた。

また、そのまま回収しなければならなかった二〇〇五年のテスト問題をメモし、翌年受ける児童に練習問題として繰り返しやらせた。学力テストの結果は、区内七十二小学校中、〇五年は四十四位だったが、昨年は一気に一位になった。テストの九割以上が前年と同じ問題で、「特訓」の効果はてきめんだった。

そこまでして、なぜ成績にこだわるのか。保護者への「説明責任」を理由に、成績を公表する自治体は増加している。保護者の関心も高く、学校を競争的な環境が包んでいるのは間違いない。

学力テストは児童生徒の指導改善に生かすのが目的だ。だが現実には、校長が目先の評価にとらわれ、逸脱する例も少なくない。

一昨年春、三次市内の全小中学校の学力到達度検査でも、小学校長が児童の答案を改ざんしたことがあった。市広報に学校名を明示して、結果を掲載していたことがプレッシャーになったようだ。

足立区は学校選択制をすでに導入している。テストの成績などに応じて学校の「特色づくり予算」を傾斜配分する施策も本年度から取り入れた。下位で不人気校になるのを恐れるあまり、不正に走ったのだろうか。

政府の教育再生会議は、公教育への競争原理の導入を強く打ち出している。先の全国学力テスト結果を都道府県別に公表する方針である。足立区などの例を参考にして、むやみに競争をあおらないよう配慮することが大切になる。

義務教育の最大の目標は、子どもたちみんなに基礎学力をつけることだ。行き過ぎた競争とは相いれない。

中日新聞 2007年7月9日

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格差社会は憲法十三条と二十五条違反だ

「戦争していた日本とアメリカが、戦争が終わったとたん、日米合作であの無垢(むく)な理想憲法を作った。(中略)日本もアメリカもあの無垢な理想に向かい合えたのは、あの瞬間しかなかったんじゃないか」とお笑いコンビ“爆笑”の太田光さんは、『憲法九条を世界遺産に』(太田光・中沢新一)=集英社新書=の中で述べている。日本国憲法が世界遺産になるかは別にして、確かに世界に誇れる品格ある憲法には違いない。

今回の参院選の争点としては、年金問題ばかりでなく、格差社会や憲法改正問題も見逃せない。先日取材した日本キリスト教団元堅田教会牧師の川端諭さんは「憲法九条とともに大事なのは十三条です。『すべての国民は、個人として尊重される』とありますが、これは個人の尊厳であり、個人の人権が保障される基本です。この後に『生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』と続きますが、自民党の憲法改正の草案では、これを変えて『公益及び公の秩序に反しない限り』と枠をはめてしまう。これでは戦前の憲法と同じです」と指摘した。さらに同氏は二十五条の「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を付け加えた。

「政府が現憲法の十三条と二十五条を真剣に受け止めていたら、いまのような格差社会は現れなかった」とも。厚顔無恥な筆者は調子に乗って「十三条と二十五条は、まさに浄土真宗の開祖・親鸞の『善人でさえも極楽浄土に往くことができる。まして(罪深い)悪人はいうまでもないことだ』という『歎異抄』の世界ですね」と“憲法と親鸞とキリスト”談義に。「小泉前首相が進めた格差社会は、十三条と二十五条を踏みにじるものです」別れ際の川端さんの言葉がいまも胸にささっている。

滋賀報知新聞 2007年7月7日

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