新自由主義教育改革 学校選択・バウチャー制


2006年12月5日 教育バウチャー制度に関する誤解


義務教育の構造改革(文科省サイト)
教育バウチャーに関する研究会(文科省サイト)

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教育バウチャー制度に関する誤解

教育改革の論点のひとつに、教育バウチャー制の導入の是非がある。voucher(ヴァウチャー)とはクーポン(金券)のことで、要するに、私学助成の公金を各学校へではなく、子供の親に金券で配り、親子が好みで入学した学校に納入金としてそのバウチャーを提出する制度である。導入論者は、それにより、学校間に競争原理が働き、良い学校はさらに伸び、不人気な学校は、(現在のように不人気でも教員数に応じて学校に直接配分される助成金で存続できるのではなく)自然に消滅する…と考える。

しかし、そのような論者は、大きな勘違いをしているのではなかろうか。まず、たとえば開成や桜蔭に代表される大学進学名門校は、人気はあるが、水準が高く、教員数と施設に見合った定員があるので、バウチャー制であろうとなかろうと、収入に変化はない。と同時に、いくらそのような学校に行きたくても、学力が及ばない子供は、結局、自分の偏差値に見合った学校に入学するしかないので、不人気校でも、それなりに入学者を確保できるため、経営に支障はない。もっとも、現在の制度でも、よほどの不人気校は、定員割れになり、親たちからの学校納入金が入らないので、いずれは滅びる運命である。

それに、バウチャー制を導入しようとしまいと、学校(に限らずこの世のすべて)は、常に「競争」に晒(さら)されている。現に、バウチャー制であろうがなかろうが、人気校が競争の勝利者であることに変わりがない。

ところで、議論のもとになっているアメリカのバウチャー制は、公的助成金を私学の中にある宗教系の学校にも直接交付すると、宗教施設に対する公金支給として、政教分離原則に触れ憲法違反になってしまう…という理由で、親たちが宗教上の理由からミッション系の私学を選んだ場合にも親の負担増にならぬよう、学校にではなく親に公的な助成を金券で配ったことに由来している。

このように、教育の質を高めるという理由で語られるバウチャー券の導入論は大きな誤解の上に組み立てられている。

さらに、そもそも教育は営利事業とは異なる。サービスが良く人気のある店には客が集中し繁盛し、逆に、サービスが悪く不人気な店は客が来ず収入が途絶え滅んでゆく…という意味での市場原理は、本来的に、学校経営になじまないものであろう。

(慶大教授・弁護士)

日本海新聞 2006年12月5日

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