団体の声明・見解(〜2006年6月) 2006年7月〜


2006年6月19日 私学の自由を奪う教育基本法の改悪に反対し、公教育は公費で、教育費無償を実現しよう!
2006年6月18日 国会内外の動きをふり返り、新たな前進を決意しています 国会の閉会にあたって (談話) 教育基本法全国ネットワーク事務局長
2006年6月18日 教基法改正案修正求める 日本会議総会
2006年6月12日 教育基本法案の廃案を強く求める緊急アピール 日本私大教連第2次集約分まで(PDF)
2006年6月2日 教育基本法の基本理念を否定する民主党「日本国教育基本法案」
2006年6月1日 連名で反対アピール 東京の3教組委員長
2006年5月31日 教育基本法改正案の廃案を求める声明
2006年5月28日 現行教育基本法の維持を求める 日本科学者会議第37回定期大会決議
2006年5月27日 社会教育の国家統制に反対し、教育基本法改正案の廃案を求める声明
2006年5月27日 教育基本法改正:教職員組合が反対をアピール 署名活動やビラ配布−−松江 /島根
2006年5月24日 教育基本法改正:反対声明を発表―県弁護士会/島根
2006年5月22日 教育基本法「改正」法案の廃案を求める決議 自由法曹団札幌研究討論集会
2006年5月19日 私大教職員は教育基本法改悪法案の廃案を求めます 東京地区私立大学教職員組合連合中央執行委員会
2006年5月18日 第8回中央執行委員会/2006.5.18/総合政策局 教育基本法に対する連合の議論経過と国会審議に対する対応について
2006年5月18日 〈声明〉教育基本法の「改正」に反対します。 全国障害者問題研究会常任委員会
2006年5月19日 教育基本法改正:「議論尽くされていない」 県弁護士会が反対声明/佐賀
2006年5月18日 〈教育基本法改正案〉連合が反対の方針「原案容認しがたい」
2006年5月17日 教育基本法「改正法案」の徹底審議を通じた廃案を強く求める声明 日本私大教連
2006年5月15日 教育基本法「改正」に反対する 数学教育協議会常任幹事会(PDF)
2006年5月15日 民主党「日本国教育基本法案(新報)要綱」に対する日教組見解
2006年5月14日 改憲への道につながる教育基本法改悪に反対し、国会での廃案を求める 全国大学高専教職員組合中央執行委員会(PDF)
2006年5月14日 教育基本法改正案 鳥取県弁護士会が廃案要求
2006年5月14日 緊急声明「教育基本法改悪に反対し、『改正』案の廃案を求めます」 全国生活指導研究協議会常任委員会
2006年5月13日 教育基本法「政府法案」に対する日教組見解 日本教職員組合
2006年5月12日 教育基本法の「改正」に反対する 教育科学研究会常任委員会声明

2006年5月11日 教育への不当な国家介入をねらう「教育基本法改正案」の廃案を要求する
2006年5月11日 教育基本法「改正」法案の国会提出に抗議し同法の改悪に反対する声明 自由法曹団
2006年4月30日 <緊急アピール> 教育基本法「改正」法案の国会提出に対し、抗議の声をいますぐに 教育基本法「改正」案は、国家が教育に介入する時代への大転換 教育基本法全国ネットワーク事務局
2006年4月28日 教育基本法改悪案の国会提出に抗議し、父母・国民のみなさんと力を合わせ廃案をめざします(声明) 日本高等学校教職員組合(PDF)
2006年4月28日 【談話】憲法改悪につながる教育基本法改悪案の国会提出に断固抗議する
2006年4月28日 【談話】政府の教育基本法改悪法案の国会上程に抗議する!(PDF) 俵 義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)
2006年4月28日 教育基本法改悪法案国会提出に満身の怒りをこめて抗議する すべての父母・国民、教職員のみなさん、教育基本法改悪法案阻止のために全力をあげましょう 全日本教職員組合中央執行委員会
2006年4月18日 「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」に対する意見
2006年4月17日 与党教育基本法改正に関する協議会 「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」(2006年4月13日) その内容と問題点2006年4月13日 <緊急アピール> 教育を「子どものため」から「国家のため」に変えてはならない 与党の教育基本法「改正」案から「命令と強制の教育復活」が見えます 教育基本法全国ネットワーク事務局

2000年12月15日 「教育改革国民会議」に対する憂慮 社団法人日本ペンクラブ会長 梅原猛 

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私学の自由を奪う教育基本法の改悪に反対し、公教育は公費で、教育費無償を実現しよう!
全国私立学校教職員組合連合中央執行委員会


昨日、第164回通常国会が閉会しました。わたしたちが廃案を要求していた教育基本法改悪案は、残念ながら、「継続審議」とされ、秋の臨時国会に持ち越されることになりました。

今回の審議を通じて、改めて次の諸点が明らかになりました。

@なぜ教育基本法を改定するのか、現行法のどこが悪いのか一切明らかになりませんでした。それどころか、与党の質問の中では、教育勅語を読み上げて礼賛したり、「教育は強制である」という発言まで飛び出しています。

A今回の改悪では、教育基本法の前文を大きく変え、第2条(教育の方針)が削除され、第10条(教育行政)にいたっては、現行の「国民全体に対し直接に責任を負って」との条文が削除され、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」に変えられることによって、国家の管理・統制の下に教育が行われることになります。

B国民主権の教育、教育の自治と自由が否定され、国の監督の下に「愛国心」教育や格差を拡大する「競争の教育」のいっそうの推進が、教育基本法の改悪によって推し進められようとしていることです。「改正」案では、第2条(教育の目標)を掲げ、のべ20項目の徳目を列記し、その中には、「道徳心」「公共の精神」「我が国と郷土を愛する・・・態度を養うこと。」とされています。そして、第6条(学校教育)の中で、「前項の学校においては、教育の目的が達成されるよう・・・体系的教育が組織的に行われなければならない。」として、愛国心や公共心に忠誠を誓う教育、格差づくりの教育を強制しようとしています。

C今回の「改正」法案の中に、第8条として(私立学校)「私立学校の有する公の性質及び学校教育に果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。」と書き込まれました。衆議院本会議の代表質問でも、特別委員会の中でも「私立学校」について、記載したことを持って、「改悪」が正当であるかのような、質疑が行われました。『全私学新聞』5月3・13日合併号では「文教行政上に私学教育がこれまでにも増してしっかりと位置づけされることに私学関係者は強い期待を寄せている」としています。また、参考人質疑の中で、自民党推薦の日本私立中学高等学校連合会会長の田村哲夫氏が「私学は特別な学校ではない。私たちの要求の積み重ねが私学助成を項目に入れた。私学教育が国民教育の一つを担っていることを証明したことは、非常に喜ばしいことである。」として、教育基本法の改定に賛成の意見を表明しています。

教育基本法改悪は、私立学校法からの後退、私学「統制」法ともいうべき内容

このように今回の改悪を歓迎する私学の経営者も一部にいますが、改悪教育基本法は、これまでの憲法・教育基本法・私立学校法・私立学校振興助成法から見ると大きな後退です。

1949年に制定された私立学校法では、「その自主性を重んじ」となっているのに、今回は「その自主性を尊重しつつ」となっており、「つつ」とは、岩波国語辞典によれば、「イ一方の動作と共に他の動作も行われていることを表す。ロにもかかわらず」と解説されているように、私学の自主性が尊重されているわけではありません。

それどころか、私学も「教育の目標が達成されるよう」にしなければなりません。今回の改悪案の中に、「私立学校」が盛り込まれたのも、「教育の自由」を奪い、私立学校を国の教育の統制下におこうとするたくらみでしかありません。これまでも多くの私立学校では、「教育の自由」に基づき、自由な校風と、伝統・文化を育んできました。しかし、こうした私学にも「愛国心」や「公共心」が強制され、私学助成がヒモつき助成として、私学を国の教育の先導校や公立後追いの学校にしようとするものと言わざるをえません。今回の改悪はまさに「教育の自由」・「私学の自由」を奪い、私学の統制法、私学束縛法としかいいようがありません。

改悪教育基本法で私学助成は補助金化し、「ヒモつき助成」に
私学助成に関していえば、戦後私立学校も公教育と位置づけられましたが、残念ながらいっさいの私学助成がありませんでした。私学関係者の努力、そして私学助成を求める私たちの運動、時には2000万を超える私学助成署名によって、国民の合意を取り付けてきたといえます。1970年に地方交付税で高校生一人当たり5000円がついたことをはじめとして、1975年の私立学校振興助成法によって、文部省(当時)の国庫補助が始まり、今日の私学助成に到っています。しかし、与党は、私たちのこうした運動と国民の声を逆手にとり、今回の教育基本法「改正」案の中に「私立学校」を盛り込んで、「改正」への支持を取り付けようとしています。

しかし、「私立学校振興助成法」では、その付帯決議として、「私立大学に対する国の補助は2分の1以内となっているが、できるだけ速やかに2分の1とするよう努めること。」となっていますが、私大助成は一時20%まで引き上げられましたが、80年代後半以降は、むしろ、引き下げられ、現在では、経常費に占める割合が11%にまで下がっています。しかも最近は、一般補助が引き下げられ、特色補助が大きく増大しています。

2004年にも私立高校以下の文科省国庫補助制度が全廃の危機をむかえましたが、「10・31全国私学のつどい・銀座パレード」を初めとする全国の運動でこれを跳ね返し、逆に増額させるという運動を私たちは展開してきました。その時の私たちのスローガンは「教育に公平を」であり、「公教育は公費で」でした。私たちは、現憲法で保障されている、「教育の自由」、「私学の自由」や現行基本法で明記されている「教育の機会均等」を保障するために、私学助成は欠かせない権利であると考えていますが、改悪教育基本法では、「権利としての私学助成」ではなく、「国の教育を遂行するものに対する補助(おぎなう、たすける)」に全面的に変質させるものです。

教育の機会均等は保障されず、「親の教育責任」だけが強調されている

先日の私たちの調査で、212校で285名(1校当たり1.34人)も経済的理由によって退学せざるをえない生徒がいました。経済的理由によって、私立高校への入学を断念したり、高校進学すらあきらめた生徒もいますし、親のリストラによって大学進学を就職に変更した生徒もいます。教育における経済的格差が広がっていることは多くの識者から指摘されています。ところが、改革法案の中では「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって」と書き込まれています。本当でしょうか。教育における経済的格差を解消することこそ国や政治の責任ではないでしょうか。私たちは、「公教育は公費で」、「教育費無償」の実現するために、私学助成運動を旺盛に展開します。
 
このように改悪教育基本法は、子どもと父母・国民が主権者の教育から、国が権力を持って日本の教育全体の管理・統制をはかり、ひいては私学教育の変質・統制をはかろうとするものであり、断じて認めることはできません。

今国会の中での審議により、問題点がよりいっそう明らかになり、国民的な懸念が広がり始めています。私たちは、臨時国会までの間に、学習、署名、集会などを積み重ね、臨時国会で改悪教育基本法を廃案にするために全力を挙げて奮闘する決意です。

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国会内外の動きをふり返り、新たな前進を決意しています 国会の閉会にあたって (談話)

2006年6月18日
教育基本法全国ネットワーク
事務局長 山田 功

国会で三つの流れが見えてきました

今国会を何度も傍聴し、三つの流れが見えてきました。一つは今回の「改正」について、それが教育の国家支配を狙っているのに、本質を最後まで語らなかった政府・与党幹部の発言です。小泉首相は「衣食足りて礼節を知る。しかし礼節がだめ」と述べて倫理観の低下を理由にし、小坂文科相は「時代が変わった」とO三年の中教審答申を棒読みにし「不足部分」の追加改正論を一歩も出ませんでした。公明党の発言も同様ですが「現行の教育基本法を高く評価する(斉藤鉄夫議員)」と発言して、それでは「なぜ改正するのか」を一層不鮮明にしていました。

二つ目の流れは、自民・民主の「右派」議員による、戦前回帰を含めた露骨な教育への国家支配を求める発言です。「戦争後遺症を教育の世界から取り除け」(町村信孝議員)、「鳩山一郎はかつて『大国民たる自信を取り戻せ』といった」(鳩山邦夫議員)等々の発言。この発言にエールを送って民主党議員(牧義夫議員)が、同党の対案を紹介し「愛国心は態度よりも心の方が良い」と呼びかける姿もありました。

これらに対して、三つ目の流れは、院外の取り組みを背景にして「改正」の危険性を暴き、現行教育基本法の優れた本質を明確にしていった、共産党(志位和夫、石井郁子、笠井亮)、社民党(保坂展人)、参考人(市川昭午、堀尾輝久)の各氏の賢明な発言でした。またごく一部ですが「改正」に疑念を語る民主党議員(横光克彦議員など)もいました。その中で次々に明確にされた、愛国心通知表の実態や、一斉学力テストの歪み、日の丸・君が代強制等の告発は、教育の国家支配の危険性を国民に明らかにするものでした。特に愛国心通知表を突きつけられて小泉首相が窮地に陥った姿は、改悪の危険な正体を見せつけました。
こうした国会論戦の中から、教育に関する法律が抑制的に書かれてきた理由や現行教育基本法の優れている点について、あらためて気がついて、自分の問題として考えはじめた人が次々に広がってきたことは、今後につながる成果として大変重要だと感じました。 

廃案めざし、みんなの連携を深めて 

「改正」法案が国会に提案された時、地方紙が動きだし、「信濃毎日」は「廃案」を主張しましたが、「改正を急ぐな」というキャンペーンを多数(三十近くの都道府県の地方紙)が行なったことは画期的だったと思います。これは、教育基本法「改正」の危険性を、「子どもはお国のためにあるんじゃない」「子どもの問題を何でも教育基本法のせいにしていませんか」などと訴えて、全国各地でとりくみを発展させてきたことが背景になっていると思っています。従来はとかく組織の違いで、団体と市民の取り組みがバラバラになっていたものが、「戦争ができる国の人づくり」の危険性に直面して、互いの連帯を強めたことが今回の大きな特徴です。

いま、教育や法律の専門家集団としての教職員組合や自由法曹団などをはじめ、各分野から運動が立ち上がり、三つの流れが誕生して頑張っています。

その一つは全教・全労連などが「教育基本法の改悪を許さない各界連絡会」を組織したことです。農民連は機関紙の一面で教育基本法についての報道をし「あの戦争でまっ先に犠牲になったのは貧しい農民だった」ことを語り、民医連の中では「小泉医療改悪」とたたかいつつ「これは、いのちの問題」という認識を深める学習が広がっていきました。子どもと教科書全国ネット21、出版労連、新日本婦人の会など女性団体、商工団体、革新懇など多数の全国組織が自らの課題とし、さらに憲法九条の課題とも結合して全力で立ち上っています。

もうひとまわり幅広い取り組みが、市民団体の奮闘です。この数年間に「教育基本法全国ネットワーク」や「教育基本法『改正』反対市民連絡会」「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」「多彩な意見広告の会」など、さまざまな会が誕生し、連携を強めて動いています。全国集会での共同だけでなく、北海道、秋田、岩手、福島、茨城、東京、埼玉、静岡、愛知、京都、愛媛、大分、長崎、・・・等々各地では、全教と日教組の組織の違いを越えて連携を深めるきっかけにもなっています。

そして三つ目の流れとして頑張っているのが研究者の取り組みです。「教育基本法『改正』情報センター」などが専門性と機敏性を生かして動き、国会会期末に呼び掛けた「継続審議ではなく、廃案に」という電子メール署名は、わずか2日間で1619通に達しました。

こうした、■市民の流れ、■組織労働者や民主団体の流れ、■研究者の立ち上がり、という三つの流れが互いに連携を深めていくことが、今後の取り組みを進める上で大きな展望を切り開くと確信しています。

教育基本法全国ネットワークのみなさん! 

今国会の会期延長を許さず、強行採決も許さなかったお互いの奮闘に確信を持って、これからの取り組みをさらに展望していきましょう。みなさんのご努力の中で、改悪攻撃の本質を明らかにするだけでなく、逆に「教育基本法の大切さと、その良さを生かすことの重要さ」が、国民の中で再発見されていく(フィンランドの教育に教育基本法の精神が生かされている、との石井郁子議員の発言などもありましたが)芽生えが見えてきたことに、今後の大きな力を感じています。

国会が閉会し、継続審議になりましたが、子どもの未来を守るのはこれからが正念場ですね。ともに頑張りましょう。

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教基法改正案修正求める 日本会議総会

憲法の見直しや教育正常化に取り組む「日本会議」(会長、三好達・元最高裁長官)の総会が18日、東京・平河町の海運クラブで開かれ、教育基本法改正案の修正などを求める決議を採択した。

ジャーナリストの櫻井よしこさんら約500人が参加。教育正常化への国民運動推進などを盛り込んだ平成18年度運動方針が発表された。

決議は、教育基本法改正の政府案について(1)国を愛する「態度」を「心」に修正する(2)「宗教的情操の涵養(かんよう)」を明記する(3)教育行政混乱の原因である「不当な支配」の文言を削除するーを要望。

皇位継承問題をめぐっては「男系維持を原則としない限り皇室典範改定には賛同できない」とした上で、相続税問題など皇室制度の改善に正面から取り組むとした。

靖国神社に代わる国立追悼施設構想や「A級戦犯」分祀(ぶんし)要求には改めて強く反対し「首相の靖国神社参拝を支持する」と表明した。

産経新聞 2006年6月18日

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教育基本法改悪
連名で反対アピール 東京の3教職組委員長

東京都の公立学校の教職員組合三団体の委員長が三十一日、教育基本法改悪法案を廃案にするため、共同の行動を呼びかける連名のアピールを発表しました。

「全都の教職員のみなさんへ」と呼びかけたのは、東京都高等学校教職員組合(都高教=日教組加盟)の若林泰直委員長、東京都教職員組合(都教組=全教加盟)の中山伸委員長、東京都公立学校教職員組合(東京教組=日教組加盟)の吉田一徳委員長の三氏。

アピールは「子どもと教育の宝・教育基本法の改悪を絶対に許してはなりません。教育基本法『改正』案を廃案にするために東京のすべての教職員のみなさんが立ち上がることを心より訴えます。職場・地域から共に力を合わせて、声をあげ、行動しましょう」としています。

しんぶん赤旗 2006年6月1日

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教育基本法改正案の廃案を求める声明

4月28日、教育基本法改正案が閣議決定され国会に提出された。5月16日には衆議院に教育基本法特別委員会が設置され、現在審議中である。

本改正案については、教育の目標の一つとして「我が国と郷土を愛する」態度を養うとの文言が盛り込まれたことから、改憲案ともあいまって「戦争ができる国づくり」を目指しているのではないかという懸念や、「愛国心」が通知表で評価されたり強制されたりして内心の自由が侵されるのではないかという危惧が表明されている。マスコミの関心も「愛国心」に集中しているが、本改正案の問題はそれに止まらない。

たとえば、第2条に詳細に定められた教育の目標が現行学習指導要領の道徳の章に準拠している点である。教育が徳目の実現に一元化されている姿は異様である。しかも第10条では、親の義務として「生活のために必要な習慣を身につけさせる」などと記し、第13条では、学校・家庭・地域等の相互連携教育を定めている。学校・家庭・地域を総動員して子どもへの「心の管理」を進めようとしているのである。

また、文部科学省の権限が拡大し、教育の管理が一層深まる恐れがある。第17条に盛り込まれた「教育振興基本計画」の策定により、文部科学省が審議会の議を経ることで国会を通すことなく教育行政の重要事項を決定することが可能となるのである。小泉内閣の進める構造改革の手法や国立大学法人の経験からすると、「教育振興基本計画」の策定が、実施・評価、それに応じた資金配分の「適正化」につながるものと予想される。さらに、教育は「国民全体に対し直接に責任」を負っているとの現行規定を削除し、法令に従うことを明記している点も、教育行政による教育への支配・介入が法律の執行を理由に正当化される危険性をはらんでおり、重大な問題である。

今日、確かに教育は様々な難問を抱えている。しかしながら、教育基本法改正案がもくろむような、子どもの「心の管理」と文部科学省などによる教育管理の強化は、事態の改善への一助にもならない。以上を踏まえ、我々は教育基本法改正案の廃案を強く要求する。

2006年5月31日
佐賀大学教職員組合執行委員会

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社会教育の国家統制に反対し、教育基本法改正案の廃案を求める声明

教育基本法改正案が4月28日に政府与党によって国会に提出され、現在、審議が進められている。中央教育審議会から教育基本法「改正」に向けた答申が出されてから3年。与党の密室協議によって作られた「改正」法案は、学校教育のみならず社会教育に対する国家統制をねらうものであって私たちは断じて認めることはできない。

「改正」案は、前文から「この(憲法の)理想の実現は教育の力にまつべきものである」という極めて重要な文言を削除している。「改正」案第2条(教育の目標)では「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」などの徳目が列挙され、第10条(家庭教育)・第11条(幼児教育)・第13条(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)などを新設して、家庭教育・社会教育への国家統制を企図している。また、「改正」案は、第10条(教育行政)の「不当な支配に服することなく」の論理を変更し、第1項の「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と第2項の「諸条件の整備確立」を削除して、教育の自主性と教育における住民自治・住民参加を支える理念を否定し、教育内容を含む「教育振興基本計画」(「改正」案第17条)を通した教育への国家介入の仕組みが作られようとしている。

社会教育では、第7条(社会教育)から「家庭教育及び勤労の場所」が削除されて「個人の要望や社会の要請にこたえ、」が挿入された。この文言は、たとえば「愛国心」条項と結びつくとき、社会教育の現場でも君が代・日の丸の強要となってあらわれてこよう。第2項の「学習の機会及び情報の提供」の挿入によって、住民は単に学習の「受け手」にとどめられ、また、指定管理者制度など社会教育の市場化・民営化によって権利としての社会教育の空洞化が推し進められる。国の計画を「参酌」して作成される自治体教育振興基本計画(「改正」案第17条第2項)も社会教育への内容統制の水路になる。総じて、「改正」案は憲法・教育基本法で保障された人権としての社会教育の自由と自治を否定し、社会教育への国家統制が企図されているのである。

なお、第3条(生涯学習)の新設によって「生涯学習基本法」の制定が企図され、連動して社会教育法・図書館法・博物館法が改悪されることを危惧する。

いま、社会教育の現場では、主体的な学習ができにくい制度や環境がつくられ、学習内容や講師を選ぶ際にも有形無形の圧力がかかるようになってきている。人々の学習する権利が奪われていったとき、国に従属する人間が作られ、うたがいも持たずに戦争に協力する人をつくることになるであろう。

教育基本法が改悪されれば、これらの状況はますます強まることは明らかである。

日本国憲法と教育基本法の理念の実現に努め、社会教育の発展に力を尽くしてきた社会教育推進全国協議会は、教育基本法改悪に反対し「改正」案の廃案を求めることを強く訴える。

2006年5月27日 社会教育推進全国協議会


毎日新聞島根版 2006年5月27日
教育基本法改正:教職員組合が反対をアピール 署名活動やビラ配布−−松江 /島根

 島根教職員組合(石橋丈治執行委員長)と県学校事務職員労働組合(鎌田陽子・執行委員長)は26日、政府が国会に提出した教育基本法の改正案に反対するアピールを発表、午後6時から約10人でJR松江駅前で署名活動やビラ配りをした。

 アピールでは、改正案は「国を愛する態度」を国民に要求し、愛国心を無理やり押し付けていると主張。「個人の内心を評価することはできない」とした。
また改正案が密室で話し合われたと指摘し「改正が必要なのか議論し、多くの意見を聞いてください」と訴えた。【久野洋】

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毎日新聞島根版 2006年5月24日
教育基本法改正:反対声明を発表―県弁護士会/島根

県弁護士会(吾郷計宜会長)は23日、政府が今国会に提出した教育基本法の改正案が慎重な調査や国民的議論を欠き、憲法に反する恐れがあるとして、法案に反対する会長声明を発表した。

声明では、現行の教育基本法の理念が教育現場に反映されているかなどを調査・研究した上で公開の場で議論すべきと指摘。改正法案の作成過程でこうした作業がされておらず、今国会での成立は拙速とした。

また「伝統と文化を尊重し、国と郷土を愛する」ことを教育の目標にすることは、憲法などが保障する個人の内心の自由や思想・良心の自由を侵す恐れが強いとも主張し、廃案を求めた。【久野洋】

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教育基本法「改正」法案の廃案を求める決議

本年4月28日、政府は、教育基本法「改正」法案(以下「法案」という)を閣議決定し、同日、国会に提出した。与党側は5月11日、衆議院に法案を審議するための特別委員会を設置し、今国会での成立を目指すという。しかしながら、この法案は、憲法及び現行教育基本法の理念に照らして、とうてい容認できないものである。

まず、第1に、法案は、徹底した平和主義と個人の尊重を基本とする日本国憲法に真っ向から反している。

法案は、教育の目標として「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する」態度を養うことを明記している(2条5項)。これは、教育現場において「愛国心」の押し付けを行うことの公式な宣言であり、戦争する国づくりをめざす改憲を先取りするものである。のみならず、愛国心を押しつける教育は現憲法が保障する国民の内心の自由を侵害する。

しかも、法案は、現行法前文の「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」との文言を削除して、平和憲法と一体の関係を断ち切る。そして、現行法前文が「真理と平和を希求する人間の育成を期する」としていたのを「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」に変更し、かつ、現行法1条の教育の目的から「個人の価値をたっとび」という文言を削除する。「正義」の名のもとに行われる戦争を肯定し、個人の価値よりも公益や国益を重んじる立場を明確にするものである。

第2に、法案は、義務教育の基本理念である「平等」や「機会均等」を変質させ、能力主義の徹底や競争のさらなる激化に道を開くものである。

法案は、義務教育について「九年間」(現行法4条)という文言を削除し、法律による義務教育の複線化や期間の弾力化に道を開くものとなっている。他方で、現行法5条の男女共学の規定をも削除し、男女差別教育への逆行をも許容している。

第3に、法案は、教育の主人公を国民から国家に切り替え、国家が教育に介入し統制することに道を開くものである。

法案は、現行法10条1項の「教育は国民全体に対し直接の責任をもって行われるべきものである」との文言を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」とした(16条1項)。そのうえで、国が「教育に関する施策を総合的に策定し、実施」するものと規定している(同条2項)。そして、政府及び地方公共団体に対し、教育振興基本計画の策定を義務付けている(17条)。行政の責務・権限を一気に拡大するものであり、「日の丸・君が代」の強制に代表されるような行政による教育への介入・統制に拍車をかけるものである。

教育基本法は、準憲法的な性格を持つ重要な法律であり、広く国民により議論され、かつその意見が反映されなければならない。にもかかわらず、政府・与党は、強引に衆議院に特別委員会を設置して、一方的に「迅速」な審議・採決を行おうと目論んでいる。断じて許されるものではない。

自由法曹団は、教育基本法の改悪に断固として反対し、法案の廃案を求めるものである。

2006年5月22日
自由法曹団札幌研究討論集会

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私大教職員は教育基本法改悪法案の廃案を求めます

2006年5月19日
東京地区私立大学教職員組合連合
中央執行委員会

政府・与党は5月16日、教育基本法改悪法案の上程に反対する国民の声を無視し、衆議院本会議で審議入りを強行しました。全国民的な課題である教育の基本を定める重要な法案を、与党一部議員のみによる密室協議で作成した上、特別委員会の設置により短期間での強行成立を謀ろうする政府・与党・文科省に対し、私たちは満腔の怒りをもって厳しく抗議します。

現行教育基本法は、日本国憲法に立脚し、教育の目的を、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」と規定するとともに、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」であり、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行する必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と、教育行政の役割を限定しています。これは、侵略戦争の反省にたち、教育行政による教育への「不当な支配」を排し、教育を国家が統制する体制を一掃したものです。また、現行教育基本法は、教育の機会均等、義務教育9カ年制、男女共学、社会教育の奨励などの原則を掲げて教育上の差別を禁止しています。さらに、「教員は、全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に努めなければならない。このためには、教員の身分は、尊重され、その待遇の適正が、期せられなければならない」ことを強調しています。

審議入りした法案は、現行教育基本法の理念を投げ捨て、国家による教育統制に道を切りひらく全面的改定と言わざるを得ません。
国家の教育への介入を否定した現行第10条について、教育は「この法律及び他の法律の定めるところにより」行われるものとの文言を挿入し、条件整備への限定を解除しました。「不当な支配に服することなく」という文言は残されましたが、それは国家統制に服さない教育を排除することを正当化するためにほかなりません。また、公教育を主体的に担う教員が、直接国民に対してその責任を負うことを意味する「全体の奉仕者」という言葉を削除し、教育行政に対する責任にすり替えることにより、教育の自由を制限しています。

法案が掲げる「教育目標」は、国家に「必要な資質」をもった人間、すなわち「真理と平和を希求する」のでなく、国策に従順な人間を育てることにあります。「愛国心」を強制し、能力主義的教育を前提とした義務教育年限の弾力化をねらって「九年の普通教育」を削除し、また「男女共学」を削除するなど、新自由主義的かつ新保守主義的な施策が随所に盛り込まれています。さらに、「教育振興基本計画」の新設は、行政に教育内容を決定し実行する権限を与え、教育への制限のない支配介入をねらうものとなっています。

法案で新設された条項のなかに、「大学」と「私立学校」があります。「大学」に関する条文は、大学の目的として現行学校教育法にはない「社会の発展への寄与」を新たに規定し、市場原理を至上の価値とする新自由主義的政策を、いっそう容易かつ直接に現場に持ち込むことを可能としています。これは、学問の自由と大学の自治を侵害する重大な問題です。

「私立学校」に関する条文は、私立学校法が私学の自主性を「重んじ」と規定しているものを、法案は「尊重しつつ」と相対的に弱めていることを除けば、私立学校法や私立学校振興助成法と大きく異なるものではなく、法案の問題性を隠蔽し、批判をかわすための作為と断じざるをえません。むしろ、国際人権規約の高等教育無償化条項を留保し、私学助成を著しく低い水準に放置してきた政府がこうした条文を法案に盛り込むことの欺瞞性を指摘せざるをえません。
また、現行教育基本法が教員について、国公私の別なく学校教育が国民全体のものであるという認識のもとに規定している「全体の奉仕者」という文言を削除したことについて、5月16日の衆院本会議で小坂文部科学大臣は、「私立学校の教員についても対象とする」ことが理由であるとの答弁を行いました。これは、私たち私立大学教職員を「国民に対して直接責任を負」う公教育の担い手ではないとする重大な発言です。

政府・与党は、現行教育基本法「改正」の理由として、「時代の要請にこたえる」ためと称し、それ以上の立法趣旨・理由を明らかにしていません。現行教育基本法のどこがどう時代にそぐわないかもまったく不明です。現在の学校教育の現場で起こっている諸問題は現行教育基本法に問題があるためではなく、むしろ現行教育基本法の重要な理念を投げ捨て、「競争原理と管理教育」を押しつけてきた教育行政にこそ根本的な原因があります。
法案のもつ重大な問題性、憲法違反の内実を徹底審議によって国民に明らかにすることを通し、教育基本法改悪案を廃案とすることを私たちは強く求めます。

以 上

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第8回中央執行委員会/2006.5.18/総合政策局
教育基本法に対する連合の議論経過と国会審議に対する対応について

1.政府は、4月28 日、教育基本法改正案を閣議決定して国会に提出した。そして、5月16 日の衆議院本会議で趣旨説明を行い、以降、「教育基本法に関する特別委員会」で集中審議を行い、与党側は、今国会での成立をめざしている。

また、民主党は、教育基本問題調査会を設置して教育基本法のあり方について集中した議論を深め、5月15 日に「日本国教育基本法案(新法)要綱」としてまとめた。そして、国会審議と並行して法案作成作業を行い、政府改正案に対する対案として国会に提出することにしている。

2.連合は、教育基本法については、中央教育審議会が2003 年3月に最終答申をまとめたこと等の状況を踏まえ、2003 年7月に「教育基本問題検討会」を設置し、教育基本法をはじめとした教育の基本にかかわる課題について多面的な議論を行い、2004 年6月に「答申」をまとめた。そして、6月17 日の「第9回中央執行委員会」に報告した後、構成組織および地方連合会に対して組織討議を要請した結果、6構成組織および5地方連合会から意見が寄せられた。

3.「教育基本問題検討会」の答申では、「公」の意識を育むことが重要であることは一致したものの、「愛国心」については両論併記とし、教育基本法については改正すべきであるという意見と、改正すべきではないという両方の意見があったため、一致することはできなかった。しかし、組織内をはじめ、国民的な議論を幅広く深めていく必要があるという認識については一致した。

4.以上のような連合内での議論経過および教育基本法をめぐる国会の動向等を踏まえ、教育基本法の改正をめぐる国会審議に対する対応についての基本スタンスを、下記の通り明らかにする。



(1)教育基本法改正問題については、より広範な議論を保障すべきであり、今国会において拙速に結論を出すことには反対する。

(2)政府の改正案は、その策定過程での情報開示が乏しく、また、内容的にも疑義が呈されており、原案のままでは容認しがたい。

(3)民主党が提案している「日本国教育基本法案(新法)要綱」、政府改正案、現行教育基本法を俎上にのせ、国会に協議の場を設けて、多岐にわたる論点について、慎重かつ十分に議論を行うことを求める。

以上


<声明> 教育基本法の「改正」に反対します

「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」(教育基本法 前文)

多くの人々の尊い命を奪った第二次世界大戦。私たちは、二度と戦争を起こさないと決意し、恒久平和を日本国憲法の中心に据えました。日本国憲法の中で私たちは、「民主的で文化的な国家」をつくり、「世界の平和と人類の福祉」に貢献していこうという理想をもったのです。教育基本法は、その理想の実現のために制定されました。

小泉内閣は、4月28日、国会に教育基本法「改正」案を提出し、特別委員会での審議を強行しようとしています。

今回の「改正」案の本質は、「教育の目標」条項を新たに設け、国が教育内容に直接加入できる道すじをつくったこと、そしてその「目標」に「国を愛する態度」を書き込んだことにあります。内心に踏み込む教育は、国民を戦争へと導いた戦前への逆行です。

「改正」案は、第4条2項に障害者教育について新しい規定を設けており、その充実を図るかのようにもみえます。しかし、「戦争のできる国づくり」と障害者の権利保障が両立しないことは、歴史の示すところです。個人の尊厳を守ることを基本においた憲法・教育基本法の理念のもとではじめて、障害の重い人も含め、すべての国民が「その能力に応ずる教育」をひとしく受ける道が切り開かれてきたのです。

また、同条1項が子どもの権利条約に背いて、障害による差別の禁止を明記していないことも見逃せません。そのもとで講じられる「支援」は障害者の権利を保障するものとはならないでしょう。

いま、すべての人びとの命と尊厳を守る教育を保障するため、そして障害者を生み出す最大の暴力である戦争のできる国づくりへの足がかりをつくらせないために、教育基本法「改正」に反対します。

   2006年5月18日 全国障害者問題研究会常任委員会

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教育基本法改正:「議論尽くされていない」 県弁護士会が反対声明 /佐賀

県弁護士会(団野克己会長)は18日、今国会で審議に入った教育基本法改正について「議論が尽くされておらず、法案の内容にも問題がある」として、反対する会長声明を出した。

声明では「憲法に準じた慎重かつ全国民的な議論・検討の上で改正を論じるべきだが、法案の概要が4月13日に公表されるまで国民に知る機会はなかった」と指摘。改正の必要性などの詳細な検討がなされておらず「今国会での改正は拙速のそしりを免れない」と批判している。

また、早期からの子どもの選別や教育の複線化を志向し、教育の機会均等を崩していく恐れが強い▽内心(価値観など)は公教育で上から押し付けるものではない▽家庭の責任のみを強調することは、国家の家庭教育への介入をもたらす懸念がある――などと指摘している。

声明は18日、首相と法務・文部科学相をはじめ、衆参両院議長、各政党あてに発送した。すでに福岡、横浜、鳥取、兵庫などの弁護士会が反対声明を出しているという。【姜弘修】

『毎日新聞』佐賀版 2006年5月19日付

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<教育基本法改正案>連合が反対の方針「原案容認しがたい」

連合は18日の中央執行委員会で、与党が国会に提出している教育基本法改正案を「原案のままでは容認しがたい」とし、今国会で結論を出すことに反対する方針を決めた。連合は、同改正案に関して、民主党が対案をまとめているとして、現行の基本法と与党改正案、民主党案を幅広く議論すべきだとした。

(毎日新聞) - 5月18日20時48分更新

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教育基本法「改正法案」の徹底審議を通じた廃案を強く求める声明

2006年5月17日
日本私立大学教職員組合連合
(日本私大教連)
中央執行委員会

政府・与党は5月16日、衆議院本会議において教育基本法「改正法案」(以下、「法案」)の審議入りを強行しました。
「法案」は、現行教育基本法(以下、現行法)を、「全部改正」の体裁の下に実質的に廃棄し、新たな基本法制定を企図するものとなっており、絶対に認めることのできないものです。私たちは、極めて重大な問題をはらんでいる「法案」を、国会会期末までわずか1ヶ月足らずの短期間で強引に成立させようとしている政府・文部科学省・与党に対して強く抗議するとともに、国会が徹底審議し、その問題性を明らかにした上で廃案とすることを断固として要求するものです。

「法案」は、現行法の重要なキーワードを利用しながら、その理念・精神・性質の根本的な転換を企図するものであり、全条項にわたり数多くの重大な問題を含んでいます。もっとも重大な問題は、「教育」と「国家」との関係を180度転換していることです。
現行法は、戦前の教育勅語体制=教育と人格の国家統制の否定のうえに、憲法13条に規定される「個人の尊厳」を基盤にして、教育が「不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接責任を負って」(現行法第10条)自主的に行わなければならないことを宣言し、教育行政に対してはその任務を「諸条件の整備確立」(同2項)に規制しています。しかし「法案」は、現行法第10条の「不当な支配に服することなく」の直後を、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべき」(法案第16条)との文言に置き換えて、法律にさえ基づけば教育への国家介入が不当な支配に当たらないとの重大な意味転換を行っています。同時に教育が国民全体に直接の責任を負って行われるとする現行法の理念を抹消し、さらに条件整備に限定されていた行政の義務を「教育の振興」のための「総合的」な施策策定に押し広げています。また、「教員」の条項から「全体の奉仕者」であるとする規定を削除し、「修養に励」むこととあわせ、教育行政による「研修の充実」を図ることによって、教員を国家による教育の忠実な遂行者へと「養成」することを露骨に表現しています(法案第9条)。これらにより、教育は教育機関・教育者が憲法の精神に則り、国民全体に直接の責任を負って自主的に行われるものとした現行法の理念を完全に否定して、国家による教育の権力的統制を可能とするものへと根本的に転換しているのです。

こうした転換を企図するねらいは、「法案」に明白に現れています。
その第1のねらいは、教育内容の国家主義的統制の道を用意することです。つまり、上述した理念転換を土台として、国家が法定した教育内容を学習者・教育者・すべての国民に強制することを可能にすることにあります。「法案」第2条に「教育の目標」を新設し、その第1号から第5号において教育現場で達成すべき目標を詳細に規定していますが、それらは現行学習指導要領の「道徳」の内容に準拠したものであり、「愛国心」に象徴的に現れているように極めて徳目主義的な「目標」となっています。さらに、「法案」第6条(学校教育)に第2項を新設し、すべての公教育に対して「教育の目標」を達成するために「体系的」「組織的」に教育を行うよう義務付けています。このことにより私立学校の自主性も大きく脅かされることになります。また、国家による教育目標の強制、国家による教育内容への介入の思想は、家庭教育、社会教育、地域連携の各条項にも貫かれています。国家がすべての教育目標を独占し、その強制を正当化するのが「法案」であり、それに反対するものは法律違反者となります。まさに戦前回帰であり、民主主義とはまったく相容れないものです。
憲法13条「個人の尊重」および憲法19条「思想及び良心の自由」は、個人の内心を国が立ち入ってはならない領域としているのであり、「法案」は、憲法に明記されたこの基本原理を侵す憲法違反の法案です。このことは現行法の「日本国憲法の精神にのっとり」という文言を「法案」に残したからといって粉飾・隠蔽できるものではなく、断じて容認することはできません。

第2のねらいは、こうした国家主義的転換を基礎にして、教育の新自由主義的な「改革」を全面的に推進する条件を整えることです。
「法案」は、「国は、全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るため、教育に関する施策を総合的に策定し、実施」(第16条2項)するとし、「教育水準の維持向上」という目的の下、国に対して教育内容統制を含む「総合的」な施策を実施する権限を無限定に付与しています。また「教育振興基本計画」条項が新設され(第17条)、「教育の振興」に関する計画を立案し「国会に報告する」のみで実施できる権限を「政府」に付与し、地方自治体に対してはこの計画を「参酌」することを義務付けています。
近年のいわゆる構造改革は、学校に対しても“計画・実施・評価・評価に応じた財政配分”の手法を押し付け、競争とそれにもとづく格差を前提とする政策を推進してきました。この実態に照らし合わせてみれば、今回の法改正により、内閣府におかれた経済財政諮問会議や規制改革・民間開放推進会議などの経済至上主義に基づく政策が、「基本計画」を通じてより容易にストレートに教育現場に持ち込まれ、例えば、それら「会議」がしきりに主張している、大学に対する補助金の「機関補助から直接補助への転換」や教育バウチャー制度の導入などの諸「改革」をさらに進める条件が整うことになります。
「法案」第7条には「大学」条項が新設され、「成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与する」ことが明示されましたが、政府がこの間、国際的な経済競争に勝ち抜くために大学の教育・研究成果を動員する政策を推進していることにかんがみれば、この規定が企図するところは明白です。さらに付け加えれば、大学に対する財政支援や諸条件整備については一切規定されておらず、世界で最低水準の高等教育予算に起因する教育・研究条件の貧困、異常な高学費といった問題状況はまったく省みられていません。

また、「法案」が提出される過程においても重大な問題があることを指摘しなければなりません。
まず第1に、教育という重要な国民的課題であるにもかかわらず、「法案」の立法趣旨・理由について何ら説得的な説明がされていない点です。改正の「理由」に挙げられているのは「諸情勢の変化にかんがみ、時代の要請にこたえる」という抽象論のみであり、どのような社会的事実が現行法とどのように関連し、なにゆえに法改正が必要なのかまったく明らかにされていません。与党幹部をはじめとする「改正」推進勢力が繰り返し喧伝している、さまざまな教育問題・社会問題の原因があたかも教育基本法にあるような主張も、何ら合理的な根拠が示されてのものではありません。
第2に、教育基本法が準憲法的な性格を持つ重要なものであるにもかかわらず、与党一部議員が完全密室で政治議論を繰り返し、中教審答申(03年3月20日)から立案までの議論内容、資料を一切公表しないまま、国民の眼を避けて生み出した「法案」である点です。
このような手法で作成された「法案」を、終了間際の本国会において短期間で成立させようとする手続き自体、きわめて異常なことであり、到底許されることではありません。また、このような「法案」を与党と一体となって成立させることに狂奔している文部科学省の姿勢は、憲法遵守義務を負う立場を放擲するものであり、厳しくその責任が問われなければなりません。

わたしたち日本私大教連は、国会において「法案」をその立案過程も含めて徹底的に審議し、その問題性を明らかにした上で、廃案とすることを強く要求します。

以上

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2006年5月15日 日本教職員組合書記長 中村 譲
民主党「日本国教育基本法案(新法)要綱」に対する日教組書記長談話

民主党は5月12日、「教育基本法に関する検討会」にて独自案となる「民主党の教育基本法法案要綱」をまとめた。そして、本日の「教育基本法問題調査会」にて正式に決定する予定である。その後、党内の所定の手続きを経て、立法作業を行い今国会へ提出するとしている。

要綱は、前文と21条の条文からなり、「政府法案」のように現行法の改定案ではなく、新法の形を取り「日本国教育基本法案」としている。民主党は、この法案について「学ぶ権利の保障」をきちんと位置づけたと主張する。また、「高等教育」の無償化条項は新たなものであるとし、保護者の教育費負担率が6割という現状などから格差是正がはかられるべきだとする。

第2条に「学びを十分に奨励・支援・保障され、その内容を選択・決定する権利を有する」として学習の権利保障を規定している。また、第3条には「適切かつ最善な教育機会・環境の確保・整備を受ける権利」を明記し、国・地方公共団体にはそれを実現する責務を有すると規定している。教育行政に対しては、「民主的な運営」「民意の反映」を旨とし、教育振興計画に関しては「公教育費の確保・充実の目標を計画に盛り込むこと」としている。教育財政措置を確保した教育の機会均等の保障などについては、「政府法案」に比べて明確に規定していると言える。一方、現行法で教育の独立性、政治的中立性を規定する「教育は不当な支配に服することなく」は「それぞれの立場で違いなじまない」として盛り込まれていない。

「愛国心」については、「日本を愛する心を涵養し」とする表現が条文ではなく、前文に盛り込まれた。この内容について民主党は、政府・与党の「国を愛する態度」は意識しておらず、また「強制するものではない」「押し付けにならないように配慮した」としている。

わたしたちは、教育基本法は、憲法の理念をふまえ、「内心にかかわることを法律で規定すべきではない」と主張してきた。それが、前文であろうと、条文であろうと法律に規定されることには問題があると考える。

日教組は、教育の憲法である教育基本法の改正については、慎重を期すべきであり、これまでの教育政策について十分に検証すべきであること、教育基本法の理念を実現するための子ども・学校教育をめぐる諸課題に対して具体的な施策を講ずることなどを求めてきた。また、拙速な法案を提出することなく、憲法をはじめとする国内法や「子どもの権利条約」などの国際条約をふまえ、「教育基本法調査会」を衆参両院に設置し、そこにおいて慎重かつ徹底審議を行うことも求めてきた。

憲法にもとづく民主主義の場である国会においては、時間をかけて慎重に審議を行うことが重要であり、決して、数の論理で法案成立が強行されるべきではない。

教育基本法の改正については、「国民の教育権」の保障にかかわることであり、一人ひとりの問題であることから、国民に開かれた議論を喚起し、多くの国民の意見を反映すべきである。

わたしたちは、残された今国会の会期で拙速に審議をすすめ、成立を図ろうとする政府・与党の態度に強く抗議するとともに、現行の教育基本法を読み生かすとりくみをさらに強化する。

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『日本海新聞』2006年5月14日付
教育基本法改正案 鳥取県弁護士会が廃案要求

鳥取県弁護士会(河本充弘会長)は十三日、国会で審議されている教育基本法改正案の廃案を求める会長声明を発表した。「思想統制への道を開くもの」などと非難した。同法の廃案を求めた弁護士会の声明は、全国初。

声明では「『(教育は)この法律および他の法律に定めるところにより行われるべき』と改変したことは、国民の教育を受ける権利が法律の制限の下におかれる危険性がある」と指摘。

また「『伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する』態度を養うことが盛り込まれたのは、戦前のような思想統制への道を開く」などと懸念を示している。

さらに「検討会の議論が中間報告を除いてすべて非公開で進められ、国民に開示されなかったことは極めて遺憾」としている。

鳥取市東町二丁目の県弁護士会館での会見で、河本会長は「国家が教育を事実上支配する内容と言わざるを得ない」と見解を表明。また、大田原俊輔副会長は「『なぜ改正しなければならないのか』を国民に明示すべき」と非難した。

県弁護士会は同日、声明を小泉純一郎首相や小坂憲次文科相らに送った。

政府は四月二十八日、教育の目標を「わが国と郷土を愛する」とした教育基本法の改正案を今国会に上程。六月十八日までの会期中の成立を目指している。これに対し、民主党は前文に「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」と明
記した対案を検討している。

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緊急声明「教育基本法改悪に反対し、『改正』案の廃案を求めます」
2006.5.14. 全国生活指導研究協議会常任委員会    

さる4月28日の閣議をもって今国会に上程された教育基本法「改正」案は、一九四七年制定の現行法の「全部を改正」するとしています。このことからも、同「改正」案は、条文の文言としては現行法を受け継ぐかに見える部分もあるが、全体として、まったく別の法律をもくろむ改悪であり、とうてい認めるわけにはいきません。

第一に、我が国がすでに「民主的で文化的な国家」であるとして、現在の新自由主義体制を前提とした教育の推進を掲げています。「公共の精神」で意図していることは、新たな「公」の創出のために教育を従属化させる構図です。

第二に、「愛国心」の教育を「教育の目標」に位置づけ、その「目標」達成を学校教育に求めるという仕掛けにしています。今でさえ、「日の丸・君が代」の強制が各地で進められているのを見れば、この「改正」を根拠として、教育を受ける者、教育を実践し創る者の内心(精神的自由)を権力が統制することがいっそう公然と行なわれるのは明白です。

第三に、九年の普通教育を削除し、現在の二極化構造にそのまま順応した教育の複線化への道を法的にも準備しています。しかも、教育の中身に踏み込んで「学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに自ら進んで学習に取り組む意欲を高めること」を子どもたちに道徳的義務として求めています。

第四に、家庭教育をも法規定の対象にして父母など保護者の子育て・教育を国家の見地から監視することをねらっています。これは、第二点で指摘した国家という「公」への囲い込みの家庭教育版であり、まさに家庭にまで介入する国家教育権の露骨な表明でもあります。

他にも個別に挙げるべき問題点は多々ありますが、要は、同「改正」案は、我が国の教育のかたちを根本から改悪するものであり、何よりも重大なことは、国家による「公」への従属という枠組みで子育て・教育を縛るものである点です。

「改正」案の描く教育とは、国家を意識するように子どもたちの生き方とおとなの関わり方を変えさせ、秩序や規律への従順さをとおして、日米の軍事同盟の強化や世界戦略に資する人材養成につなげていくものです。「改正」案は、教育を超えた、国策推進の根拠法案にほかなりません。

今回の「改正」が契機となって、教育改革にプラスにつながるのではないか。このように願う方々もおられます。しかし、法案提出者みずからが「全部を改正する」と明言していることからも、またすでに見てきた諸点からも、現行法の国民主権・平和主義の根本理念は棄てられると見ざるをえません。

それで一体、誰の、何のための改革でしょうか。

また、相次ぐ子ども・若者の事件を理由に「改正」を支持する声もあります。しかし、教育基本法を変えれば問題が解決するのではないのです。ほんらい、教育基本法の理念を実際生活に即して創造することが重要です。わたしたちの課題から言えば、子どもたちの参加に基づき自主・自治と学びと文化をゆたかに創造する過程で社会的正義や集団の自律性や友愛の関係性、道徳性がはぐくまれ、暴力を持ち込まない平和的で対話的な市民社会の基礎が実現されるのです。
いま生きづらさを抱えてさまざまなトラブルや孤立化をみせる子どもたちをすくう真の教育創造こそ、国民みんなで力をだしあうべき共通課題です。すなわち、「格差」拡大の競争システムを見直し、自治と共同性や活動性にひらかれた学校空間を築いていくことです。

わたしたち常任委員会は、2006年5月開催全国委員会において、その喫緊の課題に取り組んでいくことを全国委員各氏と確認しあうと共に、このたびの「改正」案は廃案にすべきことを表明するものです。

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2006年5月13日 日本教職員組合
教育基本法「政府法案」に反対する日教組見解

1.教育基本法の理念、公教育のあり方を根本から変えることに強く反対する

現行の教育基本法は、「憲法の理想の実現は教育にまつべきもの」として、教育の目的を「人格の完成」におき、「一人ひとりの学習権を保障する」ための国の責務を規定している。しかし、「政府法案」は、教育の目的に「人格の完成を目指し」は残しながらも「必要な資質を備えた国民の育成」を定めている。「必要な資質」の具体的な内容として、知識と教養、豊かな情操と道徳心、公共の精神、伝統と文化の尊重、国と郷土への愛などを教育目標としている。「政府法案」は、「人格の完成」から「人材の育成」へと公教育のあり方を根本から変えている。グローバル化した大競争時代を勝ち抜く国家戦略の手段として公教育を位置づけている。そして、教育に市場原理、競争主義を持ち込み、その結果分断される個を「公共心」や「我が国と郷土を愛する」ことで国家の枠組みで統合しようとする。そこからは、格差拡大はあっても、連帯や協力・協働の視点、平和な社会の主体的な形成者を育む観点は見出せない。同時に、社会教育の軽視は、改正のねらいが学校教育における国家政策の強化にあるといえる。また、「宗教的情操」の文言は盛り込まれなかったが「宗教に関する一般的な教養」が入った。これらのことは、まさに、「国民の教育権」から「国家のための教育」へ大きく転換するものである。

2.共生・共学、教育の機会均等を保障するため、教育環境格差の拡大こそ解決すべき課題である

「政府法案」の第4条では、「ひとしく」という文言は残ったものの第2条、第5条で「個人の能力を伸ばし」と個人の能力の伸長が強調されている。障害児への教育支援についても「障害の状態に応じ」と、「特別支援教育」よりも後退し「特殊教育」につながる規定となっている。このことは、国際的な流れであるインクルーシヴ教育の観点からも逆行するものである。また、義務教育の年限や男女共学の条文も削除されている。

今日の子どもたちの教育環境は、経済的な背景などが就学や進路選択にも大きく影響しており就学援助を受ける子どもの数も増加している。能力主義による選別、経済格差・地域格差など教育の機会格差が拡大しつつある現状から見れば、機会の均等は必ず保障されなければならない。地域・性別・階層・国籍などによる教育環境格差が拡大していることこそ教育行政の解決すべき課題である。すべての子どもたちの教育条件整備・充実、共生・共学、教育の機会均等など、子どもの権利条約の具現化に努めるべきである。

3.個人の内心にかかわることを法律で規定すべきではない

「政府法案」は、教育の目的や目標に「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛する」「公共の精神」など個人の内心にかかわる事項を規定し、態度を強調している。これらが、法律で定められれば、すべての国民に強要されることも考えられる。それは、憲法が保障する思想・良心の自由に抵触する。そもそも個人の内心の自由にかかわることを法律で規定すべきではない。法律で規定することにより、教育現場では「国を愛する態度」の実践・指導が課され、その実施状況の点検・調査が始まり、子どもたちへの評価につながる。このことは、「国旗・国歌」法が成立した後の学校現場での「日の丸・君が代」の強制の現実をみても明らかである。

一人ひとりに様々な「郷土」や「生い立ち」があり、「国を愛する」ことについても一人ひとりの心の問題である。また、国際化の流れとともに、学校ではさまざまな子どもたちが学んでいる。一つの価値を押し付けるのではなく、多様性を認め合う教育こそが必要だと考える。

4.学校・家庭・地域への役割と責任の義務付けは、基本的人権の侵害につながる

現行の教育基本法では、教員を「全体の奉仕者」、教育行政には「国民全体に対し直接責任を負うべき」と規定し、教育が国民のために行われることを謳っている。しかし、「政府法案」では、「全体の奉仕者」「国民全体に対する直接責任」の文言が削除されている。他の条文とも合わせると、学校教育は、国民のためというより国家のために、教育の責任をもつように読みとれる。

一方で、家庭教育を新設して「子の教育について第一義的責任を有する」として、家庭教育の具体的な内容までも示している。教員には「自己の崇高な使命の自覚」と規定しており、国家のために職務に邁進する教員像を想定させる。学校現場には、様々な職種の教職員が協力・協働で子どもたちの教育にかかわっている。条文からは、教職員の協力・協働の視点が見えてこない。また、学校・家庭・地域住民に「それぞれの役割と責任」「相互の連携・協力」を規定した。このことは、学校教育、幼児教育、家庭教育など、市民生活全般にわたって役割と責任が義務付けられ、行政の関与を強めることになる。それは、個人の基本的人権を侵害し、憲法や教育基本法の理念を否定することにつながる。

5.政府主導による教育振興基本計画の策定は、教育の主体性や自律性が失われる

現行教育基本法は、教育の独立性を定め、教育への不当な支配を戒めている。しかし、「政府法案」には、文言は残ったものの後に「他の法律の定めるところにより」の挿入など新たな内容が盛り込まれた。また、政府や地方公共団体による教育振興基本計画や施策の策定が明記された。教育政策の定立が立法府による法律制定から行政府による計画策定に移行し、政府主導で教育政策がすすめられることになる。近年、教育行政に対する内閣府などの影響力が強くなっているが、さらに強まることが予想され、教育の主体性や自律性が失われることになりかねない。
 現行法の理念にもとづく教育条件整備・拡充の財源確保こそ、計画的に図られるべきである。

6.検証・審議過程を明らかにせず、国民不在の「改正」論議は、断じて容認できない

教育基本法の改正については、なぜ改正が必要なのか、改正により教育がどう変わるのかなど、これまでの審議経過を一切国民に明らかにせず、政府・与党内で密室のうちに協議されてきた。この3年間で70回とされる与党検討会は、資料も回収するなど非公開で行われた。「愛国心」を盛り込むための「言葉さがし」に工面したという自公両党の「妥協の産物」といえる。

教育の憲法である教育基本法の改正は、慎重を期すべきであり、これまでの教育政策について十分に検証すべきである。

この間の世論調査などでも慎重審議を求める意見が多く、メディアの報道においても「あわてる必要はない」「なぜ、そんなに急ぐのか」「なぜ、改正が必要なのか」など、「政府法案」の問題点を指摘したり、拙速な決め方を批判しているものが多い。

日教組は、拙速な法案提出をすることなく、憲法をはじめとする国内法や「子どもの権利条約」などの国際条約を踏まえ、「教育基本法調査会」を衆参両院に設置し、そこにおいて慎重かつ徹底審議を行うことを求めてきた。

政府・与党は、衆議院に特別委員会を設置して、今国会の会期内に成立させようとしている。しかし、なぜ改正を急ぐのかその理由は明らかになっていない。改正するのならばなおさら、国民に開かれた議論を喚起し、多くの国民の意見を反映し時間をかけて論議をすべきである。このような政治主導の動きと拙速な審議で、21世紀を生きる子どもたちの教育の根幹を決めることは断じて許されない。「政府法案」からは、子どもたちが将来の夢を描き、生き生きと学ぶ姿が見えてこない。わたしたちは、国民不在の「政府法案」に反対し、その廃案を強く求める。

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教育基本法の「改正」に反対する
教育基本法の「改正」に反対する 教科研常任委員会声明  2006年5月12日

(一)小泉内閣は、4月28日、教育基本法「改正」法案を閣議決定し、国会に提出した。「教育の憲法」とも呼ばれる教育基本法の「改正」について、国民的な議論を経ることなく、与党内部の密室協議によって「成案」を作り、直ちに国会に提出して強行成立をはかろうとすることは絶対に許されない。

(二)教育基本法「改正」の意図は、次の四点に明確に示されている。

第一に、あらたな条項として、「教育の目標」(第二条)が付け加えられた。現行法にある「教育の目的」条項は、戦前の国家が国民の精神や教育内容を統制し、侵略戦争に国民を動員した忌まわしい歴史への反省から、教育は、「人格の完成」という教育本来の目的達成のために行われるべきものであって、国家が政策目的を実現するために教育を利用し統制することを2度と繰り返してはならないことを規定したものである。しかるに「改正」案は、国民に求められる「必要な資質」という文言を組み込み、その「資質」を定めた「教育の目標」を第2条として設定し、そこに二〇項目にもおよぶ態度を書き込んだ。これは、教育基本法を、教育の自由、国家統制批判の法から、具体的な教育価値や教育内容を定めて、それを管理する教育内容統制法に180度変化させるものである。

第二に、その「目標」の一つに、「国を愛する態度」が書き込まれ、その愛国心を国家が強制することが法的に正当化されようとしている。これを許すならば、国旗・国歌への忠誠が求められ、それに従わない教員が処分されるという、いま東京都に出現している憲法違反の内心の自由の侵害が、「改正」教育基本法の名において進められるだろう。「国を愛する態度」を表す行動様式が国家によって恣意的に決められ、国民はその行動様式をとらないと、教育基本法に書かれた国民たるに「必要な資質」を欠くものとして譴責され、差別されることになりかねない。このような人間の態度や内心を拘束する法律への「改正」それ自体が、日本国憲法に違反するものであるといわなければならない。

第三に、「改正」案では、教育の自由の理念が大幅に後退させられている。現行の教育基本法では、第一〇条に書き込まれた三つの理念によって、教育の自由の論理が明確に組み込まれている。一つは「不当な支配」の禁止規定、二つは「国民全体に対し直接に責任を負」うという「直接責任性」の規定、三つは、「教育の目標を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」という規定である。ところが今回の「改正」案では、第一の「不当な支配に服することなく」という規定に「法律の定めるところにより」という文言が付け加えられ、法律に規定されていれば「不当な支配ではない」という論理が組み込まれている。第二の「直接責任性」の規定は削除されている。「直接責任性」は、教育の自由の核心的理念であり、また親・住民の教育・学校参加を直接根拠づける理念でもあるが、完全に削除されている。第三の「条件整備行政」の規定も取り除かれている。

すでに教育基本法の改悪を提言した中教審答申(2003年3月20日)では、「『必要な諸条件の整備』には、教育内容等も含まれることについては、すでに判例により確定している」として、教育内容についての国家関与は、国民に一定の教育水準を保障するために不可欠だという見解をとっていたが、その見解を受けるかのように、今度の「改正」案には、「教育水準の維持向上を図る」教育行政活動を「実施しなければならない」と記されており、教育行政による教育内容への干渉が正当化されようとしている。

第四に、教育振興基本計画の根拠規定が第一七条に盛り込まれている。これは閣議決定されればただちにその内容が、現場に強制されるものとなるだろう。その結果、内閣の政策意図に沿って行われる教育基本法理念の勝手な解釈も、その具体化としての「教育振興基本計画」に組み込まれて、「日常的」に進められることになる可能性が高い。教育基本法は政府を監視する法から、政府の勝手な法文解釈と政策を絶えず合理化して現場に具体化していくための法に変質させられることになるだろう。

(三)今回の政府の教育基本法「改正」案は、その条文のいくつかについては、現行法の条文にわずかな文言を付け加えたりするだけで、ほぼそのまま引き継ぎ、また新たな条文についても、現行法の文言を移動して使用しているという形を取ることで、今回の「改正」が部分的な「改訂」であるという印象を作り出そうとしている。しかしそれは「改正」の実態と異なっている。今回の「改正」は、現行の教育基本法とは全く異なった構造を持った、教育と国民の思想に対する国家統制法を出現させる暴挙に他ならない。

国民に求められる「必要な資質」として「国を愛する態度」などを書き込むことは、あの忌まわしい侵略戦争と結びついた教育勅語の悪夢をよみがえらせる。また、「改正」案では、「教育の目標」の実現のために、国家が学習指導要領で詳細な内容を定め、学校と教員はその実現の責務を背負わされ、その達成度に応じた「待遇の適正」(第9条「教員」)化がはかられ、そういう教育を推進する「教育振興基本計画」が、国や自治体当局から出され、予算措置を伴って学校や地域にまで強力に及ぼされることになる。今日本の各地で強引に推進されている行政主導の教育改革、教育の自由の原理を踏みにじって競争と格差拡大を進める新自由主義的な教育改革の全体が、「改正」教育基本法の論理によって正当化され、権威化されることになるのである。

(四)加えて、「改正」案の文言には多くの問題が組み込まれている。第一に、「教育の方針」条項が削除されている。この条項は、あらゆる「機会」と「場所」で行われるべき教育が、「学問の自由」の保障の下、「自発的精神」を養成する仕方で、しかも「自他の敬愛と協力」という個人の尊厳と人間の相互信頼に基づいて行われるべきことを示した、教育の自由についての格調高い理念表明であった。第二に、「男女共学」条項が削除され、男女の平等を教育制度としてどう実現するかという教育制度全体にかかわる理念につながる文言が、取り除かれることになる。第三に、「義務教育」、「学校教育」、「家庭教育」などの条項には、国民と子どもの義務、学習規律や意欲を保持する子どもの責任、態度などが書き込まれ、さらに自己責任の原理で生きていく「自立」力を求めるという方向が打ち出されている。第四に、「教員」の条項で、国民に対する直接の責任を規定した現行法の「全体の奉仕者」規定が削除され、「教育の目標」や教育振興基本計画に従うことが教員の「崇高な使命」とされ、国家と行政による教師統制が正当化されている。第五に、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」では、「国を愛する態度」などの「教育目標」に従う地域ぐるみの国家管理の危険性が指摘されなければならない。第六に、「宗教教育」では、「宗教に関する一般的な教養」という文言が加えられ、「宗教的情操」の教育を組み込もうとする動きに大きなとっかかりを与えるものとなるだろう。

また多くの新設条項が組み込まれている。先にふれた「教育の目標」、「教育振興基本計画」、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」のほかには、「生涯学習の理念」、「大学」「私立学校」、「家庭教育」、「幼児期の教育」、等がある。「教育の機会均等」条項に「障害児教育」が書き込まれたのも新設に近い性格を持っている。しかし、これらには、教育基本法のレベルにふさわしい教育理念の発展を意図した文言の追加は全くない。現行の憲法と教育基本法の理念の発展的な理解で、これらの課題はすでに展開している。むしろ、これらは、あたかも新しい教育領域を重視するかのような印象を付加して、今回の「改正」が望ましいものであるとの印象を作り出すことをねらったものであろう。しかし、これらの広範な教育領域に、「改正」案の意図する「教育の目標」実現という規制と統制を及ぼす性格がより強まる可能性がある。

(五)現行法の前文には「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつ」ということが格調高く宣言されている。人間の尊厳と平和に基づく教育の創造を目指した教育基本法は、日本国憲法と一体のものとして、日本社会の人権と自由の水準を規定する貴重な財産であり、社会的正義の指標である。その理念は、未だ未完の目標であり、二一世紀社会における教育事業に対して、民主主義的な指針を与えるものである。今、日本社会がこれを失うことは、歴史的な深い痛手を背負わされることを意味する。

人権と教育をめぐる権利の国際的到達点と対比しても、「改正」案の正義はない。「世界人権宣言」(1948年)と「国際人権規約」(1966年)、教員の専門職性とその職業上の自由を規定したILOの「教師の地位に関する勧告」(1966年)、「学習権宣言」(1985年第4回ユネスコ国際成人教育会議)、「子どもの権利条約」(1989年)等の到達点に対するいかなる関心も示さない「改正」案は、教育をめぐる権利の水準を向上させることにほとんど関心がないことを表わしているというべきだろう。

現行の教育基本法は、直接1945年の戦争反省と世界平和への決意に結びついている。悲惨な戦争を二度と引き起こしてはならないという悲願に立ち、過去を根本的に批判し、新しいものをつくり出す歴史的な意志を持っている。それ故に現在の日本社会をもその視角から照らしだし、未来への課題を提示し続けている。その意味で教育基本法は、日本社会にとって未だ未完のプロジェクトである。

教育科学研究会は、平和と民主主義、人間の尊厳を実現する教育を推進する立場から、今回の教育基本法「改正」に対して強く反対し、この法案を廃案に追い込むために全力を尽くす決意を表明する。

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教育への不当な国家介入をねらう「教育基本法改正案」の廃案を要求する

4月28日、政府は「教育基本法改正案」を閣議決定し、国会に提出した。

この法案は、まず作成過程が全くの密室での話し合いであったことに根本的な問題がある。今日の日本の教育をどのように改革していくことが、子どもたちと日本の将来のために必要なのかという議論は全くおこなわれなかった。そして、教育に関心を持つ多くの国民、教職員、保護者、子ども自身の声を聞くことはほとんどなかった。ただただ、与党の自民党、公明党の合意を作り上げることだけに時間がかけられ、党利党略のためだけに法案が作成された。安倍官房長官は「自民党結党以来の悲願」と述べたが、この言葉にこそ、子どもたちの健やかな成長とこれからの豊かな教育のあり方を考えるのではなく、党派的な願望しか頭にない政府・与党の姿勢がはっきりと表れている。

当然、法案の内容も子どもたちの健やかな成長とは全くかけはなれたものとなった。それは現行教育基本法第一条にある「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という、よりよい個人を育成する方向から、国家のための人材育成という方向へと180度方向転換することをねらったものであり、そのために教育への国家の介入と支配を強めることだけを目的とした法案である。
「公共の精神を尊び」「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する」などの文言が入れられた代わりに、現行法にある「(日本国憲法)の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」を削り、教育行政に関しても「(教育は)国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである」「教育行政は…教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」などの重要な文言が削除されたことに、今回の「改正案」の本質がはっきりと表れている。

特に「我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」を教育の目標として規定したことは、憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」に反する疑いが濃厚である。愛国心についてはさまざまな考え方があるが、その中身が国家によって決められ、子どもに態度が強制され、それが評価されることになったら、子どもたちの心の自由は奪われてしまう。当然、教える側の教師の心の自由が奪われることは明白である。現在でさえ、学習指導要領を根拠に卒業式、入学式などで「国旗・国歌」の強制が行われ、多数の教職員の処分をおこなっているのに、この「改正案」が通れば、新しい学習指導要領などによって、さらに「国家への忠誠」を求める教育がおこなわれるようになるだろう。

今回の「改正案」が日本の教育を良くするのではなく、国家の教育への介入を強め、教育現場をいっそう混乱させるだけのものであることは、以上のことから明白である。よって、「改正案」を廃案にすることを強く求めるとともに、その成立阻止のため、「改正案」に反対し、あるいは慎重審議を求める国内外の広範な人々と共同して運動を強める決意を表明する。

2006年5月11日
歴史教育者協議会常任委員会

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2006年5月11日
自由法曹団声明
教育基本法「改正」法案の国会提出に抗議し同法の改悪に反対する声明

本年4月28日、政府は、教育基本法「改正」法案(以下「法案」という)を閣議決定し、同日、国会に提出した。与党側は5月11日にも衆議院に法案を審議するための特別委員会を設置したうえで、今国会での成立を目指す方針であると伝えられている。しかしながら、この法案は、憲法及び現行教育基本法の理念に照らして、とうてい容認できないものである。

まず、第1に、法案は、徹底した平和主義と個人の尊重を基本とする日本国憲法に真っ向から反している。

法案は、現行法前文の「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」との文言を削除した。これは、現行教育基本法が平和憲法と一体のものとして、「世界の平和と人類の福祉」への貢献をめざしてきた関係を断ち切るものである。

また、法案は、現行法前文が「真理と平和を希求する人間の育成を期する」としていたのを「真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」に変更し、かつ、現行法1条の教育の目的から「個人の価値をたっとび」という文言を削除した。これは、法案が「正義」の名のもとに行われる戦争を肯定し、個人の価値よりも公益や国益を重んじる立場にあることを明確に示している。

第2に、法案は、教育を国家の望む人材づくりの道具とし、国民の思想・良心の自由を侵害するものである。

法案は、国が求める5項目の「態度を養うこと」を教育の目標として、新たに法定化しようとしている。国が求める「態度」のとれる子どもをつくる教育が行われるということは、法定化された「期待される人間像」に子どもをはめ込もうとすることである。これは子ども一人一人の成長発達権を保障する本来の教育のあり方とは明らかに異なっており、教育を国家の望む人材づくりの場に転換させるものにほかならない。

そのうえで、法案は、教育の目標として「伝統と文化を尊重し」「我が国と郷土を愛する」態度を養うことを明記した(2条5項)。これは、教育現場において「愛国心」の押し付けを行うことの公式な宣言であり、憲法が保障する国民の内心の自由を侵害するものである。

このような考え方に立つ法案は、9条改憲の策動と呼応して、日本を「戦争する国」に作り変える狙いをもつものであることが明らかである。

第3に、法案は、義務教育について「九年間」(現行法4条)という文言を削除し、「別に法律で定めるところによ」るものとした(5条1項)。これは、法律による義務教育の複線化や期間の弾力化に道を開くものであり、義務教育の基本理念である「平等」や「機会均等」を変質させるものである。

第4に、法案は、現行法5条の男女共学を削除した。これは近年の性教育やジェンダーフリー教育に対する攻撃と軌を一にするものであり、戦前の男女別学、これに伴う男女差別教育への逆行である。

第5に、法案は、現行法10条1項の「教育は国民全体に対し直接の責任をもって行われるべきものである」との文言を削除して、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」とした(16条1項)。そのうえで、法案は、国が「教育に関する施策を総合的に策定し、実施」するものと規定している(同条2項)。

これは教育の主人公を国民から国家に切り替えることを意味し、国家が教育に介入し統制することに道を開くものである。

さらに、法案は、政府及び地方公共団体に対し、教育振興基本計画の策定を義務付けている(17条)。これは、現行法が教育行政の責務を「諸条件の整備」に限定したのに対し、行政の責務・権限を一気に拡大するものであり、国及び地方公共団体による教育内容の強い統制につながる危険が極めて高い。現行法のもとでも、東京都教育委員会による「日の丸・君が代」の強制に代表されるような教育行政の教育内容への介入・統制が顕著になっているが、このような法改定がなされれば、この傾向に拍車がかかることは目に見えている。すなわち、現行法10条が保障した「教育の独立、中立」は完全に骨抜きにされてしまうのである。

第6に、この法案は、与党の協議会が本年4月13日に発表した「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」の表現に多少の手を加え、整理したにすぎないものである。この最終報告は、与党検討会という、審議過程も公開されず、参加者に配布した資料さえも回収するという異常なまでの密室の中で審議・作成された。そして、政府は、この最終報告を発表してから法案提出に至るまでの間に、全く国民から意見を募ろうとはしなかった。したがって、法案には国民の意見は全く反映されていないのである。

教育基本法は準憲法的な性格を持つ重要な法律である。このような「法律」の審議・検討にあたっては、国会の内外において、広く国民によって議論され、かつその意見が反映されなければならないことは当然である。

にもかかわらず、政府・与党は、強引に衆議院に特別委員会を設置して、一方的に「迅速」な審議・採決を行おうと目論んでいる。これは、自民党の総裁選挙や来年の参議院選挙をにらんで、何としてでも今国会で法案を成立させたいという与党側の政治的な思惑に基づくものである。このようなやり方は、日本の将来にわたる教育のあり方を政治的駆け引きに利用するものであって、到底許されない。

自由法曹団は、教育基本法「改正」法案の国会提出に抗議し、同法の改悪に断固として反対する。  

2006年5月11日
自由法曹団団長 坂 本 修

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<緊急アピール> 教育基本法「改正」法案の国会提出に対し、抗議の声をいますぐに
教育基本法「改正」案は、国家が教育に介入する時代への大転換

2006年4月30日
「子どもたちを大切に…いまこそ生かそう教育基本法」全国ネットワーク  事務局長  山田 功

(1)国家が「教育に介入しよう」との意図が見え見え

小泉内閣は4月28日、多くの反対の世論を無視して教育基本法改悪法案を国会に提出しました。「改正」法案は、法律を根拠に「国を愛する態度」を強制し、また「格差拡大社会」をささえ、いっそう教育に競争と能力主義を持ち込む「教育振興基本計画」を政府が策定する権限を持つものとしています。まさに「子どものため」の教育から「国家のため」の教育へと大転換する改悪であり、命令と強制で教育を支配していく道筋がはっきりと見えてきました。

(2)国家が「教育の主体」に

「改正」法案は、第2条に「教育の目標」を新設して、その第5項に「国と郷土を愛する態度を養う」ことを明記しています。また、現行法の第10条(教育行政)は教育行政の目標を「条件の整備確立」としていますが、「改正」法案の第16条ではこれを削除し、「国は…教育に関する施策を総合的に策定する」として、教育の内容や方法まで国家が勝手に決められるしくみにしています。「教育の水準維持や機会均等のため」といえば政府がなんでも決めて実施できるような条文に変えてしまったのです。現行法を策定する際には、戦前の教育体制への反省にたって、「教育は国民に対し直接責任を負って行われるべきもの」と明記し、教育行政の目標を条件整備に限定したのです。「改正」案はこのような戦前の教育への反省を全く無視するものです。

(3)子どもを大切にする教育をめざして「改悪反対」の一点で繋がろう
「改正」案に対して、新聞各紙はいっせいに危惧の念を表明しています。「愛国心の強制を恐れる」(「北海道新聞」「琉球新聞」など多数)、「内心を縛る懸念はぬぐえない」(「愛媛新聞」など)、「卒業式の君が代強制で処分しやすくするための法ではないはず」(「佐賀新聞」など)、「なぜそんなに急ぐのか。改正で荒廃が解消するのか。党利党略に教育が利用されることにならないか」(「中国新聞」など)、「論議がもっと必要だ」(「徳島新聞」など)等々です。教育の基本を定める法律であるがゆえに、「改正には国民的な同意が必要である」「合意が形成されたとはとてもいえない」「慎重な上にも慎重でなければならない」という主張が相次いでいます。「教育は法律で決めていいことと悪いことがある」「愛することは、命じて出来るものではない」と、強制により異論が許されなくなる社会への危惧が急速にひろがっています。「国民が国に対してその責務を要請・注文する法律から、国が国民に対して命令する法律への切り替え」を許してはならないと、主権者国民の立場に立ち、子どもの成長発達を保障し、未来を大切にする教育の実現を求める声が大きく発展しようとしています。

子どもの権利条約は、子どもの意見表明権を含め「子どもを大切にする」国際基準が明確にされています。教育に関する重要な問題は、子どもの意見を聴く場や、市民や教職員、教育の専門家などが「国民自らの総意を表明する」場も設けて論議されるべきです。ところが「改正」案は、与党の国会議員だけが密室で「言葉合わせ」の作業をすすめ、「ガラス細工でつくったものだから、継続審議にしている間に壊れてしまうかもしれない、7月いっぱいくらいの延長国会で通したほうがよい」(片山虎之助・自民党参議院幹事長)というほどに、政治的な思惑や妥協でつくられたものであり、教育の基本法にはまったく値しないものです。

いま教育の現場には政治のゆがみが大きく影を落とし、経済的な格差の拡大が子どもの教育にも反映しています。憲法第9条の改悪の動きと連動して、戦争賛美の教科書の登場や日の丸・君が代の強制がはげしくなっています。こうした時に、子どもの可能性をひきだし成長発達をうながすのではなく、上から刷り込む教育の復活をねらった教育基本法改悪を今国会で強行成立させようとすることは断じて許せません。子どもたちを大切に思う一人ひとりや団体が「改悪反対」の一点で繋がり、法案は廃案以外にないことを訴えましょう。私たちはこのことを再度よびかけます。

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【談話】憲法改悪につながる教育基本法改悪案の国会提出に断固抗議する

2006年4月28日
全国労働組合総連合
事務局長 坂内三夫

1.政府は本日午前、教育基本法「改正」法案(以下、法案)を閣議決定、国会へ提出した。
 法案全体に貫かれているのは「戦争する国」を支える人づくりという憲法違反の思想である。「国を愛する態度」を強制する条文がもり込まれた法案は、「国民」のための教育から「国家」のための教育へと大転換をはかる危険な内容を持つものである。平和・民主主義教育の指標である教育基本法の改悪は、まさしく憲法9条改悪と一体をなすものであり、全労連はこの法案提出に満身の怒りを込めて抗議するものである。

2.この法案の最大の問題点は、法案がその手続きにおいて徹底した秘密主義が貫かれている点である。自公両党による「合意」が反映されたこの法案は、その協議の舞台となった「与党・教育基本法改正に関する検討会」での3年に及ぶ協議内容は、一切非公開であった。さらに、今後の国会審議では、特別委員会を設置し国民にその本質を知られる前に早期成立を目論んでおり、国民不在の姿勢が法案の危険な内容を体現している。
 さらに法案の条文を見ても、国民の教育権の剥奪に加え、国による教育への支配・介入に法的根拠を与えるものとなっている。また法案には、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と定めた第10条1項の空洞化、教育行政の教育条件整備義務の放棄、「公共の精神」の強調、義務教育の「9年」規定の撤廃、「男女共学」の削除、家庭教育への行政権力の介入といった反動的な内容が盛り込まれており、教育基本法の精神を根底から変質させるものであり、到底容認許できない。

3.私たち全労連は、憲法改悪阻止、国民投票法反対のたたかいとあわせて、教育の憲法である教育基本法を守りいかす取組みを職場・地域からまきおこしていく。
 当面、本日の4・28集会をはじめ5・10日比谷集会や国会前座り込みなど予定されている行動・集会の一つひとつを大きく成功させ、広範な国民諸階層との共同を強めて、廃案に向けて全力で奮闘することをここに表明する。

以上

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2006年4月18日
「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」に対する意見
全日本教職員連盟

1 はじめに

全日教連は「美しい日本人の心の育成」を基本理念として、教育専門職として次代を担う子供たちのために全力で教育実践に励んできた。そして、教育の成果を上げるために自らの資質向上に取り組むとともに、教育諸条件の整備を各方面に訴えてきたところである。

しかしながら、社会の急激な変化により、教育をめぐる問題は多岐にわたり、その解決には国民全体で取り組まなければならない重要な問題であるという認 識が国民全体に広がっている。

ここに至っては、教育の根本理念を示す教育基本法の改正に着手し、これから先を見据えたより良いものにするとともに、教育問題は国民すべてにかかわる重要な問題であることを明らかにしなければならないと考える。制定から半世紀以上経過し、制定当時の社会状況とは大きく変化したこの21世紀の日本において、現実を直視し、これからあるべき方向を示す教育基本法にすること は、私たち大人に課せられた責任である。

今回、「与党教育基本法改正に関する協議会」が3年の歳月をかけ、のべ70回に及ぶ検討会を経て最終報告を取りまとめたことに対して、全日教連としては敬意を表するとともに、この最終報告を全体的に評価するものである。将来の日本を背負って立つ子供たちの教育は、国の最重要課題である。その意味において、政治的思惑が入ることなく、開かれた国民的議論を経て、純粋に教育という観点から論じられ、真に「子供たちのためになる」法律となることを望むものである。

2 内容について

(1)「国を愛する心」について

教育目標の中に「我が国と郷土を愛する心」が明記されたことは評価できる。 我が国には優れた伝統文化、そして、「美しい日本人の心」があったにもかかわらず、戦後教育において、反省すべき点と引き続き生かしていくべき点が明確にされなかった。このことにより、日本人のアイデンティティーが揺らぎ、日本人としての誇りを見失ったかのような言動が見られるようになったことが、今日の様々な社会問題の一因となっているとも思われる。「国を愛する心」は世界中の全ての人が共通に持つ大切な価値観の一つであると考える。

(2)教育の機会均等について

特別支援教育の充実が求められている中で、今回「障害のある者」が十分な教育を受けられるように明記されたことは評価できる。今後は障害種にかかわ らず、軽度発達障害をはじめとする全ての「障害のある者」に適切な教育がなされることが必要である。

(3)規律について

学校教育の条項に「規律を重んずる」が入ったことは評価できる。現在の学校のいわゆる「荒れ」といわれる状況は、過度の人権意識にその一因があると思われる。教育は、教員による指導に委ねられているという意味で「強制」を伴う側面もある。従って、教える側と教えられる側の関係において規律は必要であり、それなくしては正常な教育の成立は困難である。

(4)教員の身分の尊重について

教員の身分が明示されたことは評価できる。教員は高い専門性を有する教育専門職である。教える側にあるものとして、教育技術の向上はもとより、自らの人格向上についても必要であり、社会からの信頼と尊敬なくしては成り立たない職業である。そのための「研究と修養」が求められるのは当然であり、それを行い得る者がその身分を尊重されるべきであると考える。

また、養成と研修の充実が明記されたことによって、今後、教育専門職とし てのインセンティブを持たせる改革が必要となってくると考える。

(5)家庭教育について

今回新たに「家庭教育」が盛り込まれたことは評価できる。子供は親からの 温かな愛情ときめ細やかな保護を受けながら成長するのであり、家庭における 教育は、その子供の人格形成に極めて大きな影響を与える。この事実により、家庭が子供に対する教育の第一義的責任を負っているのである。今後さらに家庭の教育力を高めなければならない。

(6)幼児期の教育について

幼児期の教育の重要性が明記されたことは評価できる。「生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものである」との文言は十分共感できる。ただし、理念 に終わることなく、幼児の健やかな成長が確実になされるような環境づくりと、親としての自覚を促す施策がなされなければならない。

(7)学校、家庭及び地域住民等との連携協力について

教育は学校教育のみで完結するものではないことは明白である。現在、家庭や地域等との相互連携に基づいて、子供を見守り育てていくことが強く求められている。これらの相互連携が明記されたことは評価できる。

(8)国および地方公共団体の財政上の責任について

今回、「国および地方公共団体の財政上の責任」が新たに加えられたことは評価できる。義務教育費国庫負担制度をはじめとして、教育における財政的責任が、国および地方公共団体にあることは、教育の機会均等、水準の維持向上を保障する上で当然なことである。教育には大きな財政支出を伴うとはいえ、国民一人一人に保障されるべき基本的人権の一つである。

(9)教育振興基本計画について

教育振興基本計画を策定する必要性が明記されたことは評価できる。教育は財政上の責任はもとより、国が責任を持って行うべき重要な営みである。教育 の成果が確実なものとなるためには理念だけでなく計画と実行、そして評価が必要である。同計画によって、教育基本法の理念が実現されるものと確信する。

3 最後に

教育基本法は教育に関わる根本法である。今回の最終報告を契機としてさらに大きな国民的議論が起こり、一日も早い法改正がなされることを強く望むものである。

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与党教育基本法改正に関する協議会 「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」(2006年4月13日) その内容と問題点

最終報告は、2004年6月16日の中間報告への批判を意識し、多少文言・表現は異なっているが、基本的には同じものである。

最終報告は、「教育の目的」(現行第1条)から、「個人の価値をたっとび」が抜けていることに象徴されているように、人間の尊厳よりも国家の立場・利益を優先させる教育の推進を企図するものである。平和と人権の価値にもとづく教育が今日、ますます強く求められている状況を考えると、これを容認することはとてもできない。

「教育の目標」として、あらたに、国家が国民に求める徳目を教育目標として盛り込もうとしていることは、人権の基底をなす思想・良心の自由を尊重するという観点からみて憲法上、問題をはらんでいる。

個別の教育目標のなかで、中教審では盛り込まれていた「国を愛する心」について、「我が国と郷土を愛し」とされたが、心の自由を保障する、という点からも、また、国家を主体にする「国家中心の発想」であり、憲法上、さらに歴史の教訓に照らして望ましいことではない。
教育の目標のなかで、「男女の平等」が示される反面、中教審答申・中間報告と同様に「男女共学」が削除されているのも大きな問題である。男女の特性を強調する方向性が見え隠れしており、女性差別の容認することにつながる。

教育の機会均等に触れたところでは、「障害」のある者について触れられているが、「障害のある者が、その障害の状態に応じ、十分な教育が受けられるよう、教育上必要な支援を講じなければならない」とされ、分離教育を固定化させかねないものになっている。

義務教育年限も法定されず、現行より後退させる余地を残すものである。

新たな項目として家庭教育が示され、その役割・目標も法定されているが、そもそも国家が法律で家庭教育に介入することに疑義がある。そればかりか、子育ての責任だけが強調され、子どもの権利条約でしめされた、子どもの権利を守るための親の権利については何ら触れてない。

さらに教員については「全体の奉仕者」が示されてない。その一方で教育の「崇高な使命の自覚」を求めている。「崇高さ」の強調は、戦前の聖職者教師を彷彿とさせる。また、学校教育の部分で、「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない」としたことは問題である。これは、教育する側の心構えを規定するものであり、この性格になじまない項目であるばかりか、法の性質を変えてしまうものであるという批判を受けた、中間報告の学習者側に対し「規律を守り、真摯に学習する態度」を回避するものである。そもそも「学校の規律」の中には憲法上問題があるものも多数あり、このような条項を入れることは憲法上も疑義がある。しかも、子どもには強制しないとした「日の丸・君が代」がいまや教職員の処分を通して強制している事態をもたらすおそれがある。

最後に第10条については、中間報告と表現は異なったが内容的にはまったく同じである。中間報告は、現行第1項の主語が「教育」となっているのに対し、「教育行政」になり、「教育行政は不当な支配に服することなく」と変えられていた。最終報告は、その批判をかわすかのように、「教育」はとなっているが、現行法にある「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」はなくなり、すべて、教育行政の役割として規定されている。結局第10条第1項の「主語」は教育行政であり、教育行政は「不当な支配に服することなく」として教育行政以外(教育行政を批判する組合や市民等)の「不当な支配」を規制するものとなっている。

だが、そもそも現行法10条は、戦前において教育行政による教育への不当な支配があったことを反省し、その懸念を払拭するために規定されたものであり、教育基本法の理念の根幹を守るための条項である。最終報告は、現行法と発想をまったく逆転させてしまうものである。さらに、教育行政が法令に基づいてする行為も不当な支配になりうるとするのが最高裁判決(1976年旭川学テ最高裁大法廷)である。だが、最終報告は、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」として、教育行政は、法律さえあれば、どのようなことも可能とするものであって(仮に、教育基本法に「愛国心」が入らなくても他の法律で定めれば可能となる)、教育基本法の根幹を否定し、現行の教育基本法とはまったく異なるものとなる。

最終報告は、基本的に中教審答申の趣旨を継承し、「大競争時代」との認識に立って、国家主義的方向と能力主義的方向とを組み合わせた国家主導の教育を押しすすめようとする内容となっており、同報告どおりに現行法が改定された場合、教育上、良心の自由を無視した「愛国心」の押し付けや選別の強化・格差の拡大など、さまざまな問題の発生が予想される。わたしたちは、子どもたちの幸福のために平和・人権・民主主義の教育が必要であると考える立場から、最終報告の内容に対して「ノー」の見解を表明するものである。

国民教育文化総合研究所運営委員会 2006年4月17日

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<緊急アピール> 教育を「子どものため」から「国家のため」に変えてはならない
与党の教育基本法「改正」案から「命令と強制の教育復活」が見えます

                                             2006年4月13日
                                        教育基本法全国ネットワーク
                                            事務局長 山田 功

(1) 教育の主人公は国民のはずなのに

「子どもたちを大切に」と願う、すべての市民と教職員のみなさんに、私たちは緊急に訴えます。

本日、自民党・公明党の「与党教育基本法改正に関する協議会」が「最終報告」を提出し、前文の「改正」及び「国と郷土を愛する態度を養う」など18項目の内容を盛り込む「改正」に合意をしました。しかしこの「改正」は、以下に述べるように、教育の主人会を国民から国家に切り替えて、国家のために「命令と強制」で教育が行えるようにするという大転換をはかるもので、子どもの成長と発達を根本から危うくするものです。

与党協議会の「最終報告」の第2項は「教育の目標」とされ、ここには子どもに「国と郷土を愛する態度を養う」など、上から「態度」を養うという言葉が5回も使われています。その教育内容を誰が決めるのかでは、第18条でその主語を国と地方公共団体としながら、国は「教育に関する施策を総合的に策定する」、地方公共団体は「当該地域における教育に関する施策を策定する」として、まさに教育の主人公を国と地方公共団体に転換することを明言しています。現在の教育基本法第10条の「教育は、不当な支配に服することなく」を残したもののこれに続く「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」を削除したことにそれは端的に現れています。ここに、現行法が厳しく禁じている「命令と強制で教育内容を自由に操る」という教育の復活の法的根拠づくりが明らかに姿を現しています。

しかしみなさん、一人ひとりの子どもを大切にする教育の創造は、日々目の前の子どもと接し苦闘している教育現場(最前線)を原点としてうまれてくるものであり、子どもと関わりを持つすべての人の参加と共同という「教育の主体」の構築があってこそ前進を切り開けるものです。今回のように、「教育の主体」を根本から切り替えて、命令と強制の教育復活への転換をはかる「改正」は、まさに子どもの教育を取り返しのつかない道に連れていくものではないでしょうか。

(2) これを生んだのは、教育をハイジャックする与党の「密室協議」

こうした悪法の構想が生まれたのは、与党検討会が毎回“密室”で協議され、資料はその場で回収されて絶対に部外者には見せないなど、文字通り国民を無視して「教育の前に政治の都合を優先する」という異常な舞台設定で行われたところに根源があります。“ゴール”は両党の都合の良い中身で政治的に決着をはかる、という手法こそ、これも現行法が戦前の反省から「やってはならない」と作成過程で厳しく論じあったことです。こうした秘密主義のやり方は教育の本質を無視し「良い教育が良い政治を生む。政治から良い教育が生まれるのではない。ここを取り違えて古代ギリシャは滅びた」(「毎日新聞」社説)という歴史の教訓を学ぶことなく、教育を政治がハイジャックするに等しい行為です。

ここから、どうして子どもに夢が与えられる未来の教育がスタートできるのでしょうか。

現行の教育基本法は、戦前の「国家主義的な教育」を反省し、「国民自らの総意を表現」するものとして、憲法の理想を実現する立場から作成に着手され、南原繁、務台理作をはじめとする当時の代表的な教育学者・知織人を中心に据えて「教育刷新委員会」の献身的努力の中で完成されたものです。与党議員だけが密室で協議し作成した今回の作業とは、まったく逆の方法で作成されたことを想い起こすことが必要です。

(3) みんなで力をあわせる時

みなさん、いま教育の世界には政治の歪みが大きく影を落としています。子どもの教育に経済的な格差の拡大が進行し、憲法九条「改正」の動きと連動して戦争賛美の教科書まで登場しています。東京都では、この教科書をまず障害児に押しつけ、国旗・国歌や性教育の分野から教師に対する「命令と処分」の乱発が始まっています。そして教師に上意下達の教育を強制することによって「子どもにも強制していく」というやり方をとっています。これこそ教育基本法によってストップをかけられてきた教育の禁じ手であり、教育基本法「改正」の後に現れてくる教育の歪んだ世界を、今から示唆しているのではないでしょうか。

みなさん、私たちには、教育を二度と悲惨な戦争の準備手段にさせてはならないという、大きな責任があります。立ち上がるのは今です。今回、与党の政治家だけで密室で作成した「改正」案の本質が子どもをはぐくむのではなく、上から刷り込む教育の復活をねらった「国民から教育の権利を剥奪する法」であることを知らせあいましょう。そして、法案の国会提出をやめさせ、「教育基本法を今こそ生かす」ために一人ひとりが立ち上がり、働きかけていきませんか。私たちはこの一点で心を重ねあい、手をつないでいくことを呼びかけます。

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