新検定教科書 「詰め込み」逆戻りに懸念
2011年度から使われる小学校教科書の検定結果が公表された。学力低下批判を受け、脱「ゆとり教育」に転換した新学習指導要領下での初めての教科書となる。各教科とも、ゆとり教育で削減されていた内容の多くが復活。「知識を活用する力」の育成や学年、教科を超えた「反復による指導」にも工夫が凝らされているという。
ただ、「ゆとり教育」当時の教科書(02年度)に比べ、各教科の平均ページ数は4割、授業時間数が増えた理科、算数は7割近くも増えた。限られた授業時間にこれだけの内容すべてを本当に教えることができるのだろうか。「ゆとり教育」以前の「詰め込み教育」へ逆戻りするのではないかとの懸念が残る。
文部科学省は「どこまで教えるかは現場の判断」という言い方をしている。だが、現場の先生たちはこれまで「指導要領は最低基準」と刷り込まれてきただけに、なにをどう取捨選択すべきか、戸惑いは少なくあるまい。
そもそも、「ゆとり教育」に対する評価はまだ定まっていない。学力低下批判のきっかけは、OECD(経済協力開発機構)の03年「生徒の学習調達度調査(PISA)」で日本の子どもの成績が低下したことだとされている。当時の中山成彬文科相がその見直しを中央教育審議会(中教審)に要請したのは、ゆとり路線の指導要領が導入されてわずか3年後のことだった。
「ゆとり教育」のきちんとした検証がないまま、今度は大きく反対側にぶれた印象が強い。授業時間不足から土曜授業や夏休みの短縮、さらには学校5日制の見直しが起きる可能性もあるのではないか。
一方、新教科書そのものへの評価はおおむね悪くないようだ。学習する過程がビジュアルに提示され、「力量不足の教師でも教えられる」と指摘する専門家もいる。全教科を通して、言葉で表現する力を養おうという試みもうかがえる。
学校は教師と子どもがかかわりを通して学ぶところであり、「なぜ、どうして」という問いを子ども自身が熟成させるプロセスが大事だろう。教科書の増ページによる「脱ゆとり」で、そのプロセスがおろそかになっては元も子もない。
熊本日日新聞 2010年4月10日
小学校新教科書 「脱ゆとり」の混乱を防げ
2011年度から小学校で使用される新しい教科書(09年度検定)が文部科学省から公表された。
「ゆとり教育」から転換した新学習指導要領に対応する初の教科書であり、学習内容の拡充に伴ってページ数が大幅に増えている。
徳島県内の多くの小学校では、きょうから新学期が始まるが、新教科書に切り替わる来春からは授業の内容も大きく変わりそうだ。
日本の将来を担う子どもたちに、しっかりと学び、考え、創造する力を身につけてほしいものである。新教科書がその手助けとなるよう、うまく活用してもらいたい。
「ゆとり教育」に対しては、学力低下を招いたとの批判があった。このため、新しい教科書では基礎・基本を重視し、内容を全体にボリュームアップさせている。
例えば、5年算数では「3」としか表記せず、学びの浅さの象徴だった円周率を「3・14」と明記するようにした。指導要領の範囲を超える「発展的内容」とされていた台形の面積を求める公式も本文に復活させた。
このように、子どもたちの知識の幅を広げ、深めていくのはいいことだ。
注目したいのは、他教科と関連づけたり、実生活と絡めたりした例題が多いことである。
6年理科では、家庭科での学習を思い出しながらカレーライスの材料を調べ、それらを食物連鎖につなげていく。6年算数では、地球温暖化に伴う海面上昇を比例の考え方を使って予想させている。いわゆる「教科横断型」の内容である。
こうした工夫は、学習の面白さを引き出すとともに、物事を複眼的に見る姿勢を養うことにもなる。子どもたちの「学びの質」を高める取り組みとして評価したい。
しかし、質も量もアップして教科書がずいぶん分厚くなっている。
各教科平均ページ数の合計は、「ゆとり路線」を導入した現行学習指導要領下の00年度検定より4割増えた。算数と理科は7割もの増加である。
これに対して、11年度以降の主要4教科の授業時間は1割しか増えないという。
問題は、質・量ともにアップした新しい教科書の中身を教師が教え切れるかどうかだ。
文科省は「必ずしもすべて教える必要はない」としているが、現場の先生たちの間には「学習指導要領は最低基準」との意識が根強くある。
取捨選択するにしても、じっくりと考える時間が必要だ。忙しい先生に、その余裕があるだろうか。
教科書のページを増やせば、学力が向上するというわけではない。
むしろ、学習内容が多すぎて消化不良を起こし、授業についていけなくなることが懸念される。知識の詰め込み教育に戻ってしまっては元も子もない。
そうならないよう、先生は子どもたちの反応を見ながら柔軟に授業を組み立てていく必要がある。
新しい教科書が、児童や先生にとって重荷になるようでは本末転倒だ。文科省は、「脱ゆとり」で教育現場の混乱を招かないようにしなければならない。
徳島新聞 2010年4月8日
高校無償化/公私の格差解消に配慮必要
「教育とは人生前半の社会保障」ともいわれている。わが国の教育への公的投資が先進国では最低のレベルと指摘される中、財源確保の課題は別として、家庭の教育費負担が軽減されるのは歓迎すべきことだ。
ただ、私立では授業料負担が残り、低所得世帯では地方自治体の減免措置を充てても賄えない場合がある。私立には私立なりの独自性があるが、公私の負担差はできる限り縮小させたい。
法律には3年後の見直し規定が加えられた。より良い制度をつくっていくために、課題や問題点を整理し検証していかなければならない。
民主党は昨年の衆院選で掲げたマニフェスト(政権公約)の中で「家庭の状況にかかわらず、すべての意志ある高校生・大学生が安心して勉学に打ち込める社会をつくる」と約束した。高校無償化は、これに基づいて法制化された。
公立については、設置する自治体が授業料を徴収せず国が減収分を補てんする形を取る。東京、大阪などの例外を除いて授業料は全国同一で、本県も含めて全日制で1人当たり月額9900円、年間11万8800円が免除される。県内全体では、前年度実績予測からみて52億円から53億円になる見込み。各家計にとってはかなり助かることになる。
課題となっているのは、公立の年額11万8800円を基本にしている私立への就学支援金。県内では、18校の1万人強が対象になるとみられる。私立の年間授業料は、全国平均が約35万円、本県は約28万円。世帯年収により増額にならない場合は、公立と比較すると全国で23万円、本県では16万円の個人負担が残る。
世帯年収350万円未満の生徒には基本額の1.5倍、250万円未満には倍額の支給と低所得世帯に配慮した制度になっているが、導入に伴って授業料の減免措置を大幅に削減する自治体もある。
さらに、施設設備費や実習費など私立特有の費用は減免の対象にならない場合が多い。本県も対象は授業料だけだ。居住地などによって負担の軽重が生じることになり、教育の公平性の観点からすると課題として残る。
一方、家庭の経済負担の点から、高校進学の際にこれまで以上に公立志向が強まるのではないかとの懸念が私立の関係者の間にある。少子化の進展とも絡んで、存立にかかわる問題となる可能性をはらんでいる。
公私とも学校側には授業料の未納問題がある程度解消されるというメリットがあるが、特に私立の生徒や学校にはさらに配慮した施策を検討する必要があるだろう。
福島民友新聞 2010年4月6日
厚い教科書 指導力向上に支援も要る
小学校の教科書が来年春、大きく姿を変える。学ぶ中身が格段に増えるのだ。学校現場でどう使いこなし、いかに教えるか。指導力の充実が不可欠となる。
文部科学省は2011年度から小学校で使う教科書を公表した。「ゆとり教育」から学力重視へ転換した新学習指導要領(中学校は12年度から完全実施)が、完全実施されるのに伴う措置である。
今回、検定を終えた教科書は「脱ゆとり」を掲げる新指導要領を忠実に反映したといえそうだ。ゆとり路線が本格導入された02年度の教科書と比べ、ページ数は平均で43%増え、算数と理科に限ると1・7倍にも膨れ上がっている。
これだけ様変わりすれば、教える側も、保護者も、週5日の限られた授業時間で十分に教えられるのか、子どもは消化不良になりはしないか、と不安が先に立つのは分からないわけではない。
新しい教科書は、学ぶ知識の量が増えるだけにとどまらない。練習問題が増えて基礎基本の定着を図り、学年をまたぐ反復学習の欄もできた。生活と結び付けるとして観察や実験に工夫を求めた。思考力や論理力を養成しようと、図表から読み取れることを文章にする機会が増えた。コミュニケーション能力を養うため、討論などの実践も盛り込まれた。
いずれも、子どもに教える内容を丁寧に体系的に記す教科書本来の役割を考えれば、評価していいだろう。問題は、これをどう指導につなげるかだ。
まずは現場の創意が大切になる。週5日の制約のなかで授業時間は1割程度しか増えない。各単元で何を教えるのか狙いを明確にし、授業計画を練り上げる。授業に備えた教材研究をしっかりやる。学校内の連携も一層重要になる。
今回、目を引くのは、文科省が「教科書のすべてを取り上げる必要はない」との方針をはっきり打ち出したことだ。
これだけ分厚い教科書を残らず授業でこなすことは、どだい無理な話である。全部教えてもらわないと納得しないという保護者の意識も変わるべきだろう。一方で、教える内容の取捨選択を任される現場には戸惑いが広がっている。子ども一人一人の学習進度に合わせた指導が必要になり、教員の力量も試される。
ゆとり教育は知識偏重を排し、知識を活用して課題を解決する「考える力」や「学ぶ意欲」の育成を目指した。その理念は決して色あせてはいないし、新指導要領にも趣旨は引き継がれている。
いろんな意味で、教員の指導力の向上が欠かせなくなるのは間違いない。そこで鍵となるのは少人数指導ではないか。文科省は学級人数や教員定数の見直しを始めている。ぜひ実現してもらいたい。教員を増やすことは、子どもと向き合う時間を確保するためにも必要だ。
新しい教科書が子どもたちに十分生かされ、本当に学力向上につながるのか。それは教員や学校だけでなく、国や自治体の支援のあり方にもかかっている。
西日本新聞 2010年4月6日
厚い教科書 学ぶ意欲につなげたい
来春から小学生のランドセルはぐんと重さを増す。
文部科学省が2011年度から小学校で使う教科書の検定結果を公表した。
「ゆとり教育」からの転換を掲げた新学習指導要領の完全実施に伴い、ページ数は前回03年度の検定より平均で25%も増えた。
中でも理科は37%増、算数は33%増と大幅に分量がアップしている。
教科書に書いてあることをすべて教えようとすれば、授業について行けない子供をこれまで以上に生み出してしまう。
かつての「詰め込み教育」に逆戻りさせてはいけない。小学生に大切なのは、「もっと知りたい」という学ぶ意欲をきちんと身に付けることだろう。
厚くなった教科書をどう活用するか。教師の力量も問われている。
算数では円周率の3・14や台形の面積の公式が本文で復活した。
各教科とも、過去に習った内容を折に触れて復習し、討論を促して知識と表現力を身に付けさせるなどの工夫も見られる。
日本の伝統や文化の尊重を明記した新学習指導要領に沿って、国語の低学年で「いなばのしろうさぎ」などの神話、高学年では簡単な古文、漢文なども盛り込まれた。
教科書が厚くなった背景には、国際的な学力調査で日本の順位が下がったことに対しての危機感などがあった。
しかし、「ゆとり教育」の効果や課題について追跡調査、分析を尽くしたとは言い難い。保護者には、学習量がころころと変更されることへの戸惑いもある。
各教委や学校が、教科書の活用法などについて父母らに丁寧に説明することも必要だろう。
民間の幼児教室などで先取り学習を始める子供たちも増えている中で、小学校入学の時点で既に学力面の差が生じている。脱ゆとりを一層の格差拡大につなげてはならない。
それぞれの子供の理解の度合いに応じて、きめ細かな指導ができるよう少人数学級の実現は不可欠だ。
授業の質が問われる中で、教科書を使いこなす準備もいる。各教委には、教師が教材研究に十分な時間を割ける環境づくりを求めたい。
アイヌ民族を先住民族とする08年の国会決議を受け、アイヌ民族の文化や歴史に関する記述も増えた。
全国の小学生がアイヌ民族について知識や理解を深めることにつなげてほしい。他者との違いを理解し、差別、排除しない社会について考える大切な機会になるはずだ。
子供の心に響く授業を行うためにも、全国の教師がアイヌ民族について詳しく学べる場を増やしたい。
北海道新聞 2010年4月5日
厚さ増す教科書 質の向上こそ問われる
教育現場に与える影響は相当大きい。来年春から小学校で使用される教科書が一気に厚くなるのである。
「ゆとり教育」を掲げて2002年度に導入された教科書に比べると、各教科のページ数は4割増える。教科別に見てみると、とりわけ算数や理科が7割近い増え方であることに驚かされる。
内容にはいくつかの特徴がみられる。その一つは、ある教科にほかの教科の要素を盛り込む「教科横断」だ。社会的な出来事を基に算数を学べるようにするなど、単なる計算で終わらせないための工夫が施されている。このほか、過去に習った内容の復習を繰り返し促すなど、課題である「反復」にも力点を置いた。基礎から応用まで、メニューがぎっしり詰め込まれているのだ。
学習内容を削減したことが、学力低下を招いた。ゆとり教育はそうした批判にさらされ、新学習指導要領での路線転換を余儀なくされた。ページの大幅増は、それに沿った展開である。
ただし、学習の量を増やせば問題解決につながるとの発想は短絡的であると言わざるを得ない。あれもこれもを要求することは、せっかく芽生えた学習意欲をそぐ結果にもつながりかねない。授業についていけない子どもが増えるのでは、本末転倒である。
子どもはさまざまな可能性を秘めている。それをどう見いだし、いかに育てていくかが求められる。教師が一から十まで手取り足取り教え込むのではなく、子どもが自ら学ぼうとする意欲、問題解決しようとする力を引き出せるかどうかを重要視しなくてはならない。
教師の負担が重くなることは間違いない。なぜなら授業時間数の増加は10%程度であり、その中で膨らんだ学習内容を指導するのは至難の業だ。一人一人の力量が問われる。
文部科学省は「教科書の内容をすべて教える必要はない」としている。しかし、それには教育現場と保護者の側が、ともに考えを切り替える必要がある。その合意を形成するのはたやすいことではない。
教科書はあくまで学習素材だ。教師に一定の余裕がなければ、それを活用した質の高い授業も望めない。授業に集中できるよう、ほかの業務を減らすなど、負担を軽減する取り組みが必要だ。学習の質を高めるための研修にも力を入れるべきである。
学力向上に狙いを定めたとしても、実現するための具体策が現場任せでは、心もとない。結局うまく浸透せず、かつての「詰め込み教育」に後戻り―。そうなることだけは避けなければならない。
教育は国家百年の大計といわれる。その割には近年、ふらふらと揺れ動いている印象が否めない。焦らず、将来を見据えた取り組みが求められる。
秋田魁新報 2010年4月3日
教員力・授業力を磨きたい 新しい小学校教科書
文部科学省が来年春から使用する小学校教科書の検定結果を公表した。
学習内容を大幅に拡充した新学習指導要領は2009年度から一部先行実施、11年度から小学校、中学校は12年度から全面実施されることになっている。
新しい小学校教科書は、学力低下を招いたと批判された「ゆとり教育」から一転する新指導要領を踏まえて、どの教科もページ数が増えている。
00年度検定に比べると理科や算数が67%、各教科平均ページ数の合計は43%増加した。指導要領の範囲を超えた「発展的内容」が初めて盛り込まれた03年度検定との比較でも、主要4教科平均で28%増えた。
日本の教科書は欧米に比べるとページ数も中身も薄いといわれてきた。新教科書は既習内容の反復のほかに教科横断型や実生活に応用した例題などを盛り込んで、質の向上を目指した内容が多いとのことである。「脱ゆとり」を具体化したといえる。
その一方で、授業時間数の増加は主要教科で10%程度だ。教員からは教科書内容を「とてもこなせない」との懸念の声が上がっている、と報じられている。詰め込み教育に回帰する恐れがあるとの見解もある。
学校は学びの場である。楽しみながら学んで、知識を蓄え、活用していくことができれば、それに越したことはない。しかし、学ぶことは本来、とても忍耐が要ることである。
子どもたちの能力や育ち方は、一様ではない。一人一人に違いがある。だから教えることは、非常に難しい。マニュアルがあってないようなのが教育だ。
限られた時間で、増えた教科書の中身をすべてこなしていくのは大変なことだろうが、教員に求められているのは授業の創意工夫や指導力の向上である。分厚くなる教科書に向かって、「教員力」「授業力」を磨いてもらいたいものだ。
そのためにも、教育の最先端にいる教員たちが、教科指導以外の負担から余裕を取り戻せるようにすることが不可欠である。あらためて文科省や教育委員会にその条件整備を求めたい。
学習する量が増えるだけでは教員の負担感が増す。児童の消化不良も起きる可能性がある。
文科省は、教科書の内容をすべて教える必要がないと「教科書観」の転換を図るつもりのようだが、学校現場がすんなりついていけるかどうか。
長い間、指導要領が最低基準だとして、必修部分はすべて教えるようにとされてきた教員たちにとって、戸惑いや混乱が生じるかもしれない。
団塊の世代の退職が進む今の学校には、経験不足の教員が増えているといわれる。教員用の指導書は大事だが、先に述べたようにマニュアル通りにいかないのが教育である。
教科書は、学習素材の一つにすぎない。識者は、教科書の内容をそのまま教え込む「伝授型」の授業からの転換が必要だと指摘している。
働く条件の整備とともに「学びの質の変化」に対応できる教員の養成にも力を入れることが肝要である。そうしないと学力向上もおぼつかない。
東奥日報 2010年4月2日
子ども手当 長続きする制度へ再設計を
鳩山政権の目玉政策である総額3兆円の家計支援が動きだす。子ども手当の注目度は高い。きのうから自治体の受給手続きが本格化した。
中学卒業までの子ども1人当たり月1万3千円を支給する。所得制限は設けない。県内の受給対象は18万8千人とみられ、月内にも市町から申請や通知の書類が届く。初支給は6月となる見通しだ。
欧州並みの手当支給が実現することは、子育て政策の大きな転換点にちがいない。これからの国のかたちを考える好機でもある。
残念ながら「社会全体で子どもを育てる」という理念がいまひとつ浸透していない。制度設計から閣内の意見が割れ、国会での論議も深まらなかった。いまだ国民の側に賛否があるのも事実だ。
「社会で育てる」のとらえ方が、さまざまなのだ。長らく「家庭の問題は家庭で」との考えのもと、国家関与は敬遠されてきた。代わりに再分配機能を担ったのが企業社会だ。日本独特の賃金制度として、基本給外の家族手当や教育手当は生まれた。
が、国内企業が成果主義に傾倒するなか、家族手当は廃止の方向にある。働き方も多様化している。家庭や親族、地域社会の人のつながりが希薄になり、子育ては非常に難しい時代を迎えている。
社会の要請として子ども手当を考えたい。所得制限を設けないのは「子どもには手厚い支援を等しく受ける権利がある」という人権保障の発想ゆえであろう。選別給付は不正や差別の温床ともなりうる点も見落とせない。
理念が伝わらないから「ばらまき」との批判を呼ぶ。少子化対策か。生活支援か。経済対策か。堂々巡りの議論は麻生政権の定額給付金で経験済み。制度の意義を鳩山政権は明快に説明するべきだ。国籍にかかわらず親が国内に住む場合に限るとした給付の仕組みも説明不足である。
子育ては現金でなければ解決しないことも多い。が、待機児童は過去最高を記録している。都市部を中心に保育設備の充実を望む声があるのは当然で、現物給付との均衡を考えていく必要もある。
今回の手当は2010年度限定の半額支給だ。暮らしの将来展望が描けないと、手当は預金に回ってしまい、政策効果は限りなく薄くなる。11年度からの1人月2万6000円の満額支給も、財源難から懸念が高まっている。
日本は政府支出も国民負担率も主要国で最低の部類に入る「超低福祉・低負担」の国だ。今後「高福祉・高負担」へとかじをきるべきなのか。税財政のあり方とともに、いま一度「社会で育てる」の理念を確かめたい。政府は長続きする制度へと再設計し、参院選前に示すべきだ。
愛媛新聞 2010年4月2日
新教科書 分厚さを学びに生かせ
来春から小学校で使われる教科書が様変わりする。文部科学省が発表した2009年度検定結果によると、学力向上を目指して教科書が厚みを増し、教える内容が大幅に増えた。
教科書のページ数が各教科平均で現指導要領下の00年度検定より4割も増加した。中でも理科と算数は7割近く増えた。学力低下を招いたと長年批判されてきた「ゆとり教育」からの脱却を図った結果である。
一方の授業時間数は1割程度しか増えておらず、これだけの分量を学ぶことができるのか疑問が残る。何よりも本当の学びに必要な「なぜ、どうして」の問題意識をはぐくみ、学ぶ喜びにつなげる取り組みが学校現場には求められよう。
増えた中身は「ゆとり」で削減された内容が復活したというだけではない。実験・観察などの学習活動の過程と結果を細かく示した。既に学んだ内容の反復や繰り返し、練習問題を充実させた。加えた内容は多彩である。
指導要領の範囲を超えて教えなくても済んだ「発展」学習の割合は現行よりも減り、増えたページはほとんどを必修の範囲内にした。
情報があふれているネット社会に対応するために、新聞やテレビを題材に情報を主体的に読み解く「メディアリテラシー」の力をつける学習なども盛り込んだのも新しい試みとして評価されていい。
一方で、厚い教科書への不安や懸念も聞かれる。文科省は「どこまで教えるかは現場の判断だ」としている。教育界でいわれてきた「教科書を教えるのではなく、教科書で教える」ということなのだろう。だが、指導要領は最低基準だとされ、必須部分をすべて教えるよう長年求められてきた現場の教師たちが混乱することは避けられそうにない。
先生の力量の見せどころといっても、ベテランの教師の引退が進む中で若い教師の負担は少なくないだろう。小学校ではすべての教科を一人の教師が教えるのが基本だ。いきなり現場で判断をしろと言われても、果たしてうまくいくかどうか。
新しい教科書は従来のものより分かりやすく、力量不足の教師でも教えられる上、自学自習が可能になり、学習効率はあがるという指摘もある。しかし、個々の教師によって教える内容が異なるようなことになれば、新たな学力格差を生み出す恐れも否定はできない。そうならないように細心の注意が必要だ。
南日本新聞 2010年4月2日
新教科書検定 現場支援こそ厚くしたい
来春から小学校で使われる教科書の検定結果が発表された。
2008年3月の改訂で、「ゆとり教育」から「学力重視」へと大きくかじを切った新学習指導要領を踏まえ、現指導要領下の00年度検定より、各教科の平均ページ数は4割以上増えることになる。
国際的な学力調査で、日本の子どもの順位が下がり、高校や大学などからは「基礎的な知識や能力が身に付いていない」という指摘もあった。
「脱ゆとり」の流れを反映し、教科書に載せる内容は増えたが、あまりにも極端という印象がぬぐえない。算数や理科のページ数は、00年度に比べて67%も増えた。これに対し、授業時間数は10%程度しか増えない。これでは学校現場の混乱を招くのではないか。
そもそもゆとり教育は、詰め込み教育の反省から始まった。授業時間を減らして学習内容を厳選し、教科の枠を超えた「総合的な学習」や絶対評価を導入した。だが、子どもの学力低下への批判が強まり、5年ほど前から見直しが進んできた。
新しい教科書では、繰り返し学習を重視して基礎力を高めるとともに、筋道を立てて考えさせたり、日常生活に関連づけて興味を持たせたりする工夫がみられる。
算数では円周率の3・14や台形の面積を求める公式が復活し、応用力の向上に重点を置いた。理科は、仮説を立てて結果を予測する科学的な道筋を重視し、各科目で教科横断的な内容や記述が増えた。こうした点は評価できる。
重要なのは、この教科書をどう使うかだ。教える内容に時間数が追いつかなければ未消化で終わる項目が出る。すべてを教えようとすれば、授業のスピードに対応できない子どもが出てくるだろう。
基礎学力の向上は大事だ。しかし「脱ゆとり」が詰め込み教育への回帰や学力の格差拡大になってしまっては意味がない。
文部科学省は「教科書の内容をすべて教える必要はない」とする。「教科書を教える」から「教科書で教える」への転換を図るが、現場の戸惑いは大きい。教員の努力が欠かせないにしても、学校の負担が重くなるばかりでは、学びの質を高めることにはつながらないだろう。
教員の増員や資質向上につながる教育環境の充実は当然必要だ。ころころと変わる教育行政に翻(ほん)弄(ろう)される現場への支援こそ、もっと手厚くしたい。
神戸新聞 2010年4月1日
教科書検定 生きた知識にどうつなぐ
文部科学省は、来春から小学校で使用する教科書の検定結果を発表した。学力低下を招いたと批判された「ゆとり教育」からの脱却に転じた新学習指導要領が本格実施されるのを受け、教科書の内容は大幅に増えることになった。
新指導要領下での小学校教科書の検定は初めて。記述内容は理科や算数を中心に増え、各教科平均ページ数の合計は、ゆとり路線の導入で削減された現指導要領下の2000年度検定時を42・8%も上回った。
具体的には理科の「食物連鎖」(6年)など、ゆとり路線で指導要領から消えていた項目が多く復活した。教科別の学習内容が増えただけではない。日常生活や他の教科と関連づける工夫もうかがえる。ゆとり路線を見直す大きな要因となったOECD(経済協力開発機構)の国際学習到達度調査(PISA)などで課題として指摘された「知識の活用」を意識してのことだろう。
吸収力が高い時期に、さまざまな知識を得ることは大切だ。その意味からも、多様な角度から児童の学ぶ機会を設けようと試みている点は評価できよう。問題は盛りだくさんの内容を、どこまで教えられるかである。学校5日制の枠組みは変わらず、11年度以降の主要4教科の授業時間は約1割増えるだけという。無理に全部教えようとすると児童も教員も負担が増す。ついていけない児童も出てこよう。詰め込み教育への回帰にしてはならない。
児童が興味を抱き、自ら意欲を持って知識を身につけていく。そのためにも、教える中身を取捨選択し、児童の理解度に応じた授業にしていく工夫が求められる。教員の教育力向上とともに、それを支えていく環境整備が欠かせない。
山陽新聞 2010年4月1日
小学教科書 「重み」に耐えられるか
この「重み」に耐えられるのか。教員はもとより、教えられる側も、そんな不安を少なからず抱いているのではないか。
文部科学省が新学習指導要領下では初となる、来春から使用する小学校教科書の2009年度検定結果を発表した。
ゆとり路線を導入した現指導要領下の00年度検定に比べ、各教科平均ページ数の合計は約43%増える。算数と理科はともに約67%という激増ぶりだ。
これらの数字が物語るのは、ゆとり教育との決別だ。分量の重みは、学力に対する危機感や不安の強さの表れとも言える。
量だけでなく、質も変わる。経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査では、「知識の活用」が日本の子どもの課題として浮かび上がっている。
理科ではカレーライスの材料を調べ食物連鎖につなげたり、国語では表やグラフから読み取れることを文章にするといった試みもある。他教科との関連付けや、実生活に引き付けた工夫が凝らされたことは、評価できよう。
ゆとり教育に批判的な保護者や教員は、内容が大幅に拡充されたことについては好意的に受け止めている。塾に通わなくても、授業だけで必要な学力が身に付くようにしてほしいと願う保護者は多い。
問題は、ボリュームアップした中身に現場が対応できるかどうかだ。11年度以降の主要4教科の授業時間の増加は1割ほどだ。
改正教育基本法を反映し、道徳や伝統文化に関する記述も多数登場する。情報を読み解き活用する力を養うための新たな学習も始まる。
「教えきれるのか」という不安に対し、文科省は「教科書の内容をすべて教える必要はない」と「教科書観」の転換を図ろうとしている。だが、取捨選択を任されることは現場にとって負担となる。かえって混乱を広げよう。
教員が教科書に振り回され、「脱ゆとり」が単なる詰め込み教育となってしまっては元も子もない。何より懸念されるのは、学習内容の増加に「消化不良」を起こし、授業についていけなくなる児童が増えることだ。
学校への要求に見合った条件を整えなければ、教員はますます疲弊してしまう。現場の不安を今から取り除いておく必要がある。
高知新聞 2010年4月1日
2011年度から小学校で使われる教科書の検定結果が発表された。
08年3月に改定された新学習指導要領は、ゆとり教育からの転換を図り、授業時間数や学習内容を増やした。今回は新学習指導要領に基づく初めての検定である。
来年春、子どもたちの手に届く新しい教科書は、それまでの教科書と比べ、どこが違うのだろうか。
目に見える最大の変化は、算数、理科を中心に分量が大幅に増えたことだ。
文部科学省によると、ゆとり教育全盛期の2000年度教科書に比べ、平均ページ数は全体で42・8%、理科で67・3%、算数で67・0%も増えた。脱ゆとり路線が鮮明だ。
国語を「学力の基本」と位置づけ、「表やグラフから読み取れることを文章にする」(5年)などの例に見られるように、書く力を前面に押し出した。討論などの実践を随所に盛り込むなどコミュニケーション能力を重視する傾向も強まった。各教科とも「言葉で表現する力」を重視しているのが特徴だ。
これだけの分量増加に現場の先生は応えることができるのだろうか。
授業時間が大幅に増えれば、その分、研究時間が削られ、丁寧に教える余裕もなくなる。
ゆとり教育からの脱却が、詰め込み式授業を復活させ、ゆとりのない教育を生みかねない。
教員の数を増やして負担感を解消するとともに、授業力向上のための取り組みが不可欠だ。
沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」については、軍の関与には言及していないものの、小学校社会6年の教科書計3冊に記載されている。
3冊のうち1冊は本文で「追いつめられた住民のなかには、集団自決した人も多数いました」と記述し、ほかの2冊は写真説明で「集団自決」を取り上げた。
学習時間が限られていることや、小学生の発達段階を考えると、現場の先生が「集団自決」の背景にまで踏み込んで日本軍の関与を説明するのは難しいかもしれない。
子どもたちに教える以前の問題として、沖縄戦を体験していない若い世代の先生が、果たしてどの程度、沖縄戦を理解しているのか。そっちのほうが心配である。
文科省は今回初めて、教科書調査官が作成した「調査意見書」や検定審議会部会の議事概要を公表した。これは県民の取り組みの成果である。
パソコンやケータイが爆発的に普及し、小学生でもネットを当たり前に活用する時代になった。新しい教科書が、インターネットの活用方法や危険性を教える記述を増やしたことは時代の要請だといっていい。
「メディア・リテラシー」(新聞やテレビなどの情報を批判的に読み解き活用する力)は、21世紀を生きる知恵である。「メディア・リテラシー」を高めるには、子どものころから新聞や本を読む習慣を身につけることが大切だ。学校現場での取り組みに期待したい。
沖縄タイムス 2010年4月1日
集団自決記載 軍関与の正確な記述を
2009年度の文部科学省教科書検定の結果、来春から用いられる小学校6年の社会科教科書4社5冊のうち、3社3冊で沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が記載されることになった。また5、6年生の教科書4社10冊すべてが沖縄戦について記載し、より詳しく分量も全体的に増えた。
沖縄戦教育の「一歩前進」と評価する声もあるが、ぬか喜びはできない。集団自決に触れた3冊とも「日本軍の関与」を記載していないからだ。
沖縄やサイパンの集団自決で共通するのは日本軍のいる場所で集団自決は起き、日本兵が自決用の手りゅう弾を渡した事例の多さだ。日本軍の関与は明白であり、だからこそ軍命の有無を焦点とする岩波・大江訴訟の大阪地裁、高裁判決とも「軍の関与」を認定した。
集団自決や沖縄戦の記述が増えたのは文科省が小学社会科の新学習要領の指針となる解説書に「沖縄戦」を明記したことによる。
高校教科書から集団自決の「軍関与」の記述が削除され問題化した際、沖縄側の批判を受け文科相が「沖縄戦の学習の充実」を表明したことが背景にある。
しかし、いくら記述を増やしても、沖縄戦の実相がぼかされたままでは正しい歴史継承は期せない。
検定を通った教科書は「アメリカ軍の攻撃で追いつめられ…集団で自決」など、日本軍はかかわることなく、あたかも県民自ら集団死に赴いたかのような記述だ。日本軍による強制・誘導など関与の事実が欠落したままでは、集団自決の実相は伝えられない。
沖縄戦の特質は本土決戦の時間稼ぎのために戦闘が長期化し、兵員不足を補う県民の動員、日本兵による住民虐殺や壕追い出し、軍が関与した集団自決などだ。米軍の激しい攻撃による多大な犠牲とともに、軍事優先の日本軍の戦略や戦術、戦闘、直接的な加害による県民の犠牲の事実を検証し、継承していかねばならない。
教科書に沖縄戦の記述が増えても、日本軍の集団自決への関与や加害の記述を欠いては「日本軍、県民ともに奮戦し犠牲となった」式の美談となりかねない。
県民は沖縄戦の体験に基づき「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た。同じ戦禍を繰り返さないために、粘り強く沖縄から声を上げ、教科書への正しい歴史事実の記載を求めたい。
琉球新報 2010年4月1日
小学校教科書―「分厚い」を「楽しい」に
来年春、新学年に進んだ小学生たちは、盛りだくさんになった教科書を手に驚くだろう。その戸惑いを学ぶ喜びにつなげてゆくには、どうすればよいだろうか。
文部科学省の検定をパスした教科書は、いまのものに比べ、どの教科もページ数が大きく増えた。理科や算数は3割以上という変わりようだ。
「ゆとり教育」への批判を背に、2年前に学習指導要領が改められた。基礎的な知識や技能の習得を大事にすることに加え、その知識を活用して問題を解決したり、表現したりする力をつけるよう求めた。授業時間も増やす。
新しい指導要領はまず小学校から適用される。それを受けて、教科書も一気に欲張ったものになったのだ。
ページを繰ってみる。台形の面積の出し方(5年算数)など、これまでは「発展的な内容」としてしか取り上げられなかった項目が、全員が学ぶべきこととして復活した。国語では、まだ習っていない漢字も、振り仮名つきで載るようになった。
目立つのは、教え方や学び方の工夫がたっぷり盛り込まれたことだ。前の学年で習った内容の繰り返し、討論会のように言葉での表現を促す問い、気づいたことを書き込めるコーナー。ノートのとり方の例を載せた本もある。
子どもたちの知識が薄っぺらになっていることは心配だった。教科書の内容が豊かになったのはよいことだ。学びの幅も広げられるだろう。
課題は、先生たちにこの教科書をうまく使いこなしてもらうことだ。
日本の先生はまじめだ。「教科書は内容をすべて教えるもの」と思っている人は少なくない。だが、新しい教科書をこれまで通りに教えていては、たちまち授業はパンクし、落ちこぼれる子どもがたくさん出るかもしれない。
これからは、もっとやわらかく教科書を使う必要がある。基礎は大事にしつつ、子どもの理解に合わせて、取り上げる内容を吟味し、考える時間をたっぷりとるようにする。教え込むだけの素材ではなく、子どもの気づきを引き出す道具でもある、と考えたい。
手取り足取りのヒントがたくさん載っている。でも本来、教える工夫を編み出すのは、教室で毎日子どもと向き合う先生たち自身だ。そのためには、先生たちへの応援も必要だ。最近は、授業方法や教材を研究する暇もないほど忙しいという。先生の数を増やし、雑務を減らして、指導力を磨く時間を確保してゆかねば。
近年の教育現場は学力低下への批判を浴び、授業時間や教科書のページ数など、量をめぐる議論に目が向きがちだった。そろそろ「質の教育」をめざすことに本腰を入れるときだ。
分厚くなった教科書を、そのきっかけにしたい。
朝日新聞 2010年4月1日