2010年2月


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職業指導 体系的なキャリア教育を

 大学、短大教育で「職業指導」(キャリアガイダンス)が義務づけられた。文部科学省が設置基準をそう改め、11年4月から施行する。

 既に大半の大学、短大には、学生の相談を受けて情報も提供する就職支援センターや講座などがある。

 しかし、不況による就職難に加えて、大卒就職者の3人に1人以上が3年以内に辞める離職率の高さが大きな課題になっている。

 このため学内が連携して、学生の社会人としての資質を高め、職業的自立に必要な能力を培う指導を教育課程に位置づけようというのである。抽象的だが、一部の部署が担ってきた就職活動支援だけではなく、正規の教育として目的意識や主体的な選択能力を育てるということだ。

 各校はもともと建学の理念や文化が異なるのだから、職業指導もその個性や実情に即して創造、工夫されなければならない。文科省も画一的な内容の押しつけはしない。各校が腐心することになるが、取り組み実態と成果は定期的に外部の認証評価機関にチェックされ、結果は志願者数を左右する可能性がある。

 大学がそこまでやらなければならないのか、という嘆息もあるかもしれない。だが、大学、短大進学率が5割を超して久しい今、必ずしも学生たちが入学先の選択で将来の職業を思い描いているわけではない。目的がはっきりしないままだと、結局高い離職率の一因になる。

 今回の措置は政権交代後の昨年10月、政府の緊急雇用対策本部が打ち出した新卒者支援策に基づく。現状からは、このようなテコ入れは産業界からも歓迎されるはずだ。

 しかし、大学入試の段階でさえ目的意識が乏しい若者が少なくない現実を考えれば、こうした指導は高校や中学校にもさかのぼって、もっと体系的に行われるべきだろう。

 中央教育審議会は学校教育の早い段階から勤労観、職業観をはぐくみ、関心や意欲、適性を引き出す「キャリア教育」について審議しているが、学校現場にも論議を広げたい。

 また継続的な進学率の高まりで、今の学校体系は、大学受験を主軸に“単線化”した観がある。それを見直し、多様な進路選択の幅を広げる職業教育のあり方を探り、新しい可能性も論議すべき時ではないか。

 今回の大学、短大教育での職業指導の義務化は、こうした課題へ大きな一石を投じるかもしれない。

 なぜなら、突き詰めていけば、論議はカリキュラム全体の見直しや入試の改善にも及び、さらにはその前の段階での教育のあり方にも広げざるを得なくなるはずだからだ。

 そうした相乗的な教育改革効果も期待したい。

毎日新聞 2010年2月28日

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高校無償化 朝鮮学校除外は不適当だ

 4月からの実施を目指して国会で審議入りした高校無償化法案が、思わぬ暗礁に乗り上げている。朝鮮学校を対象外とするよう求める声が噴き出したのだ。

 中井洽拉致問題担当相が川端達夫文部科学相に対象から外すよう要請したことがきっかけとなって一気に焦点化した。鳩山由紀夫首相も一時は除外容認の姿勢を示した。

 拉致問題に進展が見られない中、北朝鮮に対してより強硬な態度を打ち出す必要がある、というのが除外の理由である。制裁を科す相手を間違えているのではないか。

 北朝鮮が度重なる約束にもかかわらず、拉致問題解決に誠意を見せないのは許し難い。だが、その怒りの矛先を在日朝鮮人子弟の教育に向けるのは、筋が違う。ここは法案の趣旨通り事を運ぶべきだ。

 首都圏や関西などを中心に設置されている朝鮮高級学校は、日本の高校とほぼ同程度の教育を行っているとされる。ほとんどの大学が卒業生の受験資格を認めているのは、高校と同列と見なしている証拠だろう。

 高校総体などスポーツ大会への門戸も大きく広がっている。こうした学校を「朝鮮学校だから」というだけで無償化の対象から外そうというのは、理不尽に過ぎる。子どもを政治対立に巻き込むことにもなる。

 26日になって鳩山首相は「国交がなく教科内容が見えない状況でどう扱うかだ。拉致にかかわりのある話ではない」と発言を修正した。川端文科相も同様のコメントを繰り返している。

 国交がなくても学校の教育内容やレベルを確認する方法はいくらでもある。除外論を先行させるのではなく、まずは、その確認に務めるべきだ。朝鮮学校側も学校開放などを通じて、公開性をより高めてもらいたい。

 高校無償化は保護者の負担を減らして教育の機会均等を実現するのが眼目だ。外国籍の子どもも、日本社会の構成員であることは疑いない。可能な限り等しく教育を受ける権利を保障するのは当然だろう。

 高校無償化法案は、第2条でその対象を五つに分類する。朝鮮学校は5項にいう「専修学校及び各種学校」に当てはまる。適用除外はこれをねじ曲げるものにほかならない。

 各地で朝鮮学校に通う児童、生徒に対する嫌がらせやいたずらが後を絶たない。拉致問題への「見せしめ」として、無償化の対象から除外する事態となれば、こうした傾向をさらに助長することにならないか。

 北朝鮮政府への批判と在日朝鮮人子弟の教育問題は全く次元の違う話だ。鳩山首相は持論の「友愛政治」に立ち返って指導力を示すべきだ。

新潟日報 2010年2月27日

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経団連献金 政治との関係より健全に

 日本経団連が、企業・団体献金への関与を打ち切る方針を固めた。政治献金の取り扱いは全面的に企業や業界団体の自主的判断に委ね、経団連としては政治的中立性を高めるという。3月8日に正副会長会議で正式に決定する予定だ。

 「政治とカネ」をめぐる事件が相次ぎ、世論の批判が高まっていることが背景にあろう。経済同友会も今月中旬、企業・団体による政治献金の原則禁止を打ち出している。政治献金は政界と財界の癒着につながりかねないと言われてきた。経済団体として、献金を介した政治との関係を見直す方向に動きだすのは適切な判断であろう。

 旧経団連は、非自民の細川護熙内閣発足やゼネコン汚職への批判の高まりを受けて1993年、政治献金のあっせんを廃止した。しかし、その結果政治への影響力が低下したとし、日本経営者団体連盟(日経連)との統合を経て日本経団連となった後の2004年、奥田碩会長時代に献金関与を再開した。

 自民、民主両党の政策や実績を経団連が求める政策と突き合わせて毎年評価し、結果に基づいて会員企業が献金先や献金額を決める方式をとってきた。

 関与打ち切りに伴い、政策評価も取りやめるという。国際競争の激化などにより、企業側が政治献金を出しにくくなっているという事情もあろう。

 今後は、経団連として政策立案能力を向上させ、意見や要望を政府の方針に反映させる方向にかじを切る。経団連にとっては、提言を着実に政府の政策に反映させていく仕組みづくりが今後の課題と言える。

 経済同友会は献金は原則禁止とするが、政党が政策立案のために設立するシンクタンクへの寄付は「企業の社会貢献」として例外的に認めるという。このため政策立案や人材を育てるためのシンクタンク設立を政党に促し、整備が進まない場合、企業が資金を拠出する「政策立案支援機構」の設立を検討する。1つの考え方であろう。

 歴史的な政権交代を経て政界と経済界の関係は変わりつつある。民主党中心の鳩山政権も企業・団体献金の禁止を掲げる。献金の問題を含め、新しい関係づくりの模索が続こう。5月に経団連の新会長となる米倉弘昌氏(住友化学会長)にとっても重要な課題である。

 経済界の意見が適切に政治に反映されることは、日本経済にとっても必要なことだ。経団連は、政治とよりよい関係を築いてもらいたい。

山陽新聞 2010年2月27日

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高校無償化 朝鮮学校除外は筋違い

 人種差別として国際社会をがっかりさせそうだ。

 衆院で審議入りした高校無償化法案に対し、在日朝鮮人の子弟が通う朝鮮学校への支援はすべきではない、という意見が閣内で上がっている。

 対北朝鮮強硬派の中井洽・拉致担当相が一貫して圧力強化を主張しており「(生徒は)日本が制裁している国の国民だ」と、朝鮮学校を除外するのは当然との考えを強調している。

 政府は当初、学校の種類で支援の有無を区別すべきではない、という考えだった。閣内から異論が上がったことで、川畑達夫文部科学相は学校の教育内容を見て適否を判断する、としている。

 拉致問題がある北朝鮮に日本が厳しく対処するのは当然だ。しかし、在日朝鮮人の子どもたちの教育をめぐる問題を外交問題と同次元で扱えるだろうか。

 国連人権差別撤廃委員会が9年ぶりに行っている対日審査会合で25日、この問題が取り上げられた。北朝鮮との外交関係を理由に差別的措置がとられようとしている、という問題認識が委員から指摘された。

 審査会前にNGOが放映したビデオは、日の丸を掲げた集団が京都の朝鮮学校前で集会を開き、「北朝鮮のスパイ養成所だ」と罵声(ばせい)を浴びせている様子が映し出された。

 審査員は「なぜ北朝鮮がやっていることで、子どもたちが責められるのか」と問うた。審査会は朝鮮学校が公的援助を受けられない現状を問題視した。それは人種差別とみなされる。

 朝鮮学校の高校課程に相当する高級学校は、沖縄にはないが全国で10校。約2000人が学んでいるという。

 日本の敗戦後、在日朝鮮人たちが母国語を取り戻そうと各地で始めた学校だ。1950年代後半から北朝鮮の援助を受けて存続してきた。厳格な思想教育が行われた時期があり、教育内容が偏向しているという批判もあった。

 現在は、例えば東京朝鮮中高級学校は生徒600人のうち韓国籍が49%、日本籍1〜2%で、民族の言葉や文化を大事にしたいと通わせる家庭も増えた。授業の大半は朝鮮語で行われ、朝鮮史など以外は日本の学習指導要領に沿って授業しているという。

 こうした「民族教育」に対する受け止め方も問われている。米国ハワイ州でもハワイ語で授業する学校があり、言語、風習を守ろうと取り組んでいる。

 教育と外交問題を同一視すべきではない。

 高校無償化法案は、公立高校の保護者から授業料を徴収せず、国が授業料収入相当額を補填(ほてん)する。私立高や専門学校生らには世帯の所得に応じて年額約12〜24万円の就学支援金を支給。学校教育法では「学校」と認定されていない外国人学校を含む「各種学校」も無償化の対象としている。

 ほとんどの国公私立大学が朝鮮学校の受験資格を認めており、多くの地方自治体が独自の助成金を交付している。

 そこで学び、青春を過ごしている若者たちは何も違わないはずだ。

沖縄タイムス 2010年2月27日

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高校無償化 朝鮮学校の説明は不十分

 高校授業料無償化の適用を求める朝鮮学校側が、本紙を締め出して記者会見を開いた。

 出席者によると、同校の幹部らは「(適用除外は)国際人権規約や日本国憲法の精神に反する不当な民族差別、人権侵害だ」などと主張したという。だが、同校が講堂に金正日総書記の肖像画を掲げるなどして行っている肝心の同胞教育の中身については何も明らかにしていない。

 教育基本法は教育の目標として「我が国と郷土を愛する」などをうたっているが、朝鮮学校が国費の投入を求める以上、教育内容を明らかにするのは当然だ。

 朝鮮学校は以前、万景峰号での修学旅行(祖国訪問)を通じ、金総書記への忠誠心などを植えつける教育を行っていた。今も、そのような思想教育を行っているのか。北の国家犯罪で、日本の主権と日本人の人権を侵害した拉致事件をどう教えているのか。

 国民が最も知りたいのは、このようなことだ。無償化の適用除外が「民族差別」「人権侵害」に当たるか否かは、それらの内容を十分に説明してからの話だ。

 朝鮮学校に無償化が適用されれば、生徒1人当たり12万円の就学支援金が支払われることになる。それは国民の税金だ。今も、北を礼賛する教育を行っているとしたら、国民は納得しないだろう。

 この問題は、中井洽(ひろし)拉致問題担当相が「(北朝鮮に)制裁をかけていることを十分に考慮してほしい」との観点から、川端達夫文部科学相に朝鮮学校の適用除外を要請したことから表面化した。

 鳩山由紀夫首相は中井氏の考えに賛意を示し、「そのような方向性になりそうだ」と朝鮮学校を除外する方針を示唆していた。ところが26日に一転、「結論が出ていない」と発言を後退させ、「拉致にかかわりがある話ではない」とも述べた。平野博文官房長官も拉致問題との関連を否定した。

 しかし、原敕晁(ただあき)さん拉致事件では、国際手配されている北朝鮮工作員、辛光洙(シンガンス)容疑者に加え、元朝鮮学校長と朝鮮総連大阪商工会幹部の関与も明らかになっている。朝鮮総連とも深い関係にある朝鮮学校の無償化問題は、拉致問題と無関係ではあり得ない。

 川端文科相は「国会の議論も踏まえながら最終的に省令で決めたい」としている。単なるカリキュラムの調査だけでなく、同胞教育の中身の精査が必要である。

産経新聞 2010年2月27日

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高校無償化 朝鮮学校外しは筋が違う

 高校無償化法案がきのう、衆院で審議入りした。公立高校では授業料を徴収せず、私立高生らには「就学支援金」を支給して授業料負担を軽減する内容である。

 新学期に向け、政府、与党は来月末までの成立をめざしているが、その審議をめぐって新たな問題が浮上した。

 先日、中井洽拉致問題担当相が在日朝鮮人の子女が学ぶ朝鮮学校を対象から外すよう川端達夫文部科学相に要請したのだ。

 法案では、無償化の対象になるのは公私立高校だけでなく、日本の高校と同等とみなされる「各種学校」にも適用される。私立同様、所得に応じて年額約12万〜24万円の「就学支援金」が支給される。

 朝鮮学校も学校教育法でその「各種学校」に位置づけられる。ただ、政府は日本の高校と同等かどうかの判断基準を4月までに省令で定める方針を示しており、これに中井担当相が議論を投げかけた形だ。

 中井担当相は対北朝鮮強硬派で知られ、超党派の拉致救出議連の会長代行を務めている。拉致問題が全く進展しない現状を憂え、より強い姿勢を示すために「朝鮮学校外し」を打ち出したようだが、筋が違うと言わざるを得ない。川端文科相も「外交上の配慮などは判断基準にならない」と答えている。当然の判断だろう。

 この問題は、ジュネーブでおととい開かれた国連人種差別撤廃委員会でも取り上げられ、複数の委員が懸念を表明し、日本に説明を求めた。

 与党内からも疑問の声が上がっている。ここは政治とは切り離し、教育的観点から審議を行うべきだ。

 各都道府県の認可を受けた朝鮮学校は現在、73校を数え、うち日本の高校に当たる高級学校は12校ある。兵庫県内では7校あり、うち1校が高校に当たる。

 朝鮮学校が無償化の対象外となれば、国内で新たな差別を生み出し、北朝鮮が激しく非難してくるのは間違いない。拉致問題の解決がさらに遠ざかる恐れもある。

 ましてや、核・ミサイル、拉致問題を包括的に話し合う6カ国協議の再開に向け、米国と中国が水面下で交渉中の重要なときだ。足並みを乱さず、拉致問題はあくまでも外交交渉で強く迫る姿勢を求めたい。

 憲法は「国民は」としながらも「ひとしく教育を受ける権利」を保障し、教育基本法も機会均等を掲げる。無償化法案は、その理念に基づく制度である。朝鮮学校の生徒にも分け隔てない扱いをすべきだ。

神戸新聞 2010年2月26日

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経団連と献金 関与の打ち切りは当然だ

 日本経団連が政治とのかかわり方を見直し、企業・団体献金への関与を打ち切る方針を固めた。

 政治とカネの問題に対する世論の厳しい批判が背景にあるようだが、政財界の癒着を防ぐ上では当然の対応だ。この流れを企業・団体による政治献金の全面的な禁止につなげたい。

 経団連はゼネコン汚職などを機に1993年から献金あっせんをやめていたが、2004年に関与を再開した。自民、民主両党を対象に政策評価を行い、会員企業に自主的な献金を促す方式とはいえ、実質的に自民党への献金強化を狙ったといってよい。

 だが、鳩山内閣が誕生し、民主党はマニフェスト(政権公約)に将来の企業・団体献金禁止を盛り込んでいる。さらに、鳩山首相や小沢民主党幹事長をめぐる政治とカネの問題から、国民の視線は厳しさを増す一方だ。

 経団連はこうした状況を踏まえ、政治とのかかわり方を抜本的に見直す必要があると判断したのだろう。今後は献金の力に頼ることなく、政策立案の能力などを高めて正々堂々と政治に提言、要望していけばよい。

 関与打ち切りが企業・団体献金のありようにどんな影響を及ぼすのかはまだ分からない。ただし、企業献金が政治腐敗を生み出しかねないことは歴史が証明している。税金による政党助成金制度も、献金に頼る政治の在り方の変革が目的だったはずだ。

 経済同友会は今月、企業・団体献金を原則禁止すべきだとする意見書を発表した。政党が政策立案などのために設立するシンクタンクへの献金に限って認めるとの提案は慎重な議論が必要だが、禁止の方向に異論はない。

 企業・団体献金の禁止に併せて、個人献金の普及促進策を求める声も出ている。一つの考え方ではあるが、企業献金を個人献金に偽装する問題が相次ぐ中では、個人献金の透明性を高めるなどの抜け道封じが不可欠となる。

 鳩山首相は企業・団体献金を禁止するための政治資金規正法の改正について、今国会での実現を目指す考えを示すとともに、与野党の協議機関設置に賛同する意向を表明している。先送りは許されない。

高知新聞 2010年2月26日

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高校無償化 「排除」は理念にそぐわぬ

 「コンクリートから人へ」が民主党政権のキャッチフレーズである。人を大切にするという考えであり「教育費は広く社会全体で支える」という政策理念も、この流れにあるはずだろう。

 その理念が揺らぐ事態ではないか。

 政府が4月から実施を予定している高校無償化に関し、中井洽拉致問題担当相が川端達夫文部科学相に、在日朝鮮人の子女らが通う朝鮮学校を、その対象から外すよう要請していたというのだ。

 高校無償化は、公立高の授業料を徴収せず、私立高生についても公立高授業料と同額を原則、学校側に助成する制度である。法案によると、対象は公私立の高校や高等専門学校(1―3年生)だけでなく、高校に類する課程がある専修学校や各種学校も入っている。朝鮮学校はインターナショナルスクールと同様、学校教育法上は各種学校に該当する。

 朝鮮学校は、北朝鮮の影響が強い在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と関係が深いとされる。中井担当相は「日本は北朝鮮に制裁をしているのだから」と述べ、北朝鮮による日本人拉致問題と絡めた要請だったことを認めている。

 だが、拉致問題を在日朝鮮人子女の教育問題と関連付けることには違和感を覚える。筋が違うのではないか。

 「外交上の配慮などは(無償化の対象にするかしないかの)判断基準にならない」。川端文科相は、こう答えたことを明らかにした。妥当な考えだが、鳩山内閣内での意見の相違は気になる。

 朝鮮学校は民族教育を柱の一つに掲げ、朝鮮史なども教えている。一方で、日本の学習指導要領に合わせた教科書を使うなどして生徒が卒業後、日本社会で生きていけるよう指導しているという。

 九州朝鮮中高級学校(北九州市)は九州で唯一、高校に相当する高級部を持つ。50年以上の歴史があり、生徒たちは国体や高校総体(インターハイ)、福岡県高校ラグビー大会などにも出場している。地域との交流も盛んだ。

 生徒たちは日本国内で学び、生活している。高校無償化法案には、もちろん国籍で制限する条項はない。教育基本法が掲げる「教育の機会均等」の精神を持ち出すまでもなく、この法案の成り立ちから考えて、可能な限り多くの子どもの学ぶ環境を整えるのが趣旨だろう。

 朝鮮学校を対象にするのかどうか、川端文科相は「4月までに省令で定める」として明言を避けている。排除するのではなく、朝鮮学校を含む外国人学校を極力広く対象に入れるよう求めたい。

 高校無償化では、文科省が留年者を対象としていないため、九州各県の対応が混乱している。病気や不登校などやむを得ず留年する場合があり「こうした生徒こそ救済すべきだ」との声もある。

 国会で法案審議が始まった。法案に不備はないか。理念に照らして幅広く支援する仕組みになっているのか。徹底した論議をしてもらいたい。

西日本新聞 2010年2月26日

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子ども手当 社会にどう位置づける

 子ども手当法案の審議が衆院で始まった。

 民主党マニフェストの看板政策である。後には高校授業料無償化のための法案も控える。

 家計への直接支援を強化する政策転換のシンボルとして、国民の関心は極めて高い。

 だが肝心の法案の中身と審議のあり方には納得できない点がある。

 一つは、野党が求めたにもかかわらず、鳩山由紀夫首相が自ら本会議で答弁に立たなかったことだ。首相が「命を守る予算」と呼ぶ2010年度予算案の目玉だというのに、これはどうしたことだろう。

 鳩山政権は「コンクリートから人へ」を理念に掲げている。

 具体化のため子ども手当を日本社会にどう位置づけるのか。社会全体で子育てを支援する仕組みを検討し、福祉の将来像を含むビジョンを描く−。法案の審議を、そうした政策論議の入り口とすべきだ。

 選挙対策として夏の参院選前に支給を始めたいと成立を急ぐあまり、審議をないがしろにするようでは国民の期待には応えられまい。

 法案内容も不十分だ。

 新年度から中学生までの子どもに1人当たり月額1万3千円を支給するが、単年度限りの措置となる。全体像が見えないのでは新制度の創設とは言えない。

 公約では月額2万6千円の支給を明示していた。満額支給には5兆円を超える巨額の財源が必要だ。

 半額支給の新年度でさえ、政府は財源確保に四苦八苦した。次年度以降の恒久的な制度設計をどう考えているのか、ぜひとも知りたい。

 ところが首相は「(満額支給で)将来に借金を残したくない」と述べたかと思うと「マニフェスト通りに」とも語り、説明がぶれている。

 所得制限を設けるのか。保育所整備など総合的な子育て支援策はどうするか。詰めるべき事項は多い。

 国会では早速、野党から「支給額や費用負担のあり方について方向性が示されていない」などと厳しい質問が飛んでいる。ここはしっかり論議してもらいたい。

 残念なのは野党第1党の自民党が本会議での趣旨説明にも欠席したことだ。これまで「理念なきばらまきだ」と批判してきた以上は、やはり正面から議論するのが筋だろう。

 民主党は、一連の政治資金問題で自民党が要求する小沢一郎幹事長らの国会招致にがんとして応じようとしていない。

 「政治とカネ」も国民の重大関心事であることを忘れては困る。

 招致を受け入れ、予算審議とは別に特別委員会の場などで議論するのも一案ではあるまいか。

北海道新聞 2010年2月25日

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子ども手当 課題解消へ議論を尽くせ

 鳩山政権の目玉政策である「子ども手当」を支給する法案が審議入りした。

 「子育てに社会全体で責任を持つ」という民主党の考え方を象徴する政策である。持続可能な制度にするための財源確保策、所得制限の是非、少子化対策としての効果など論点は盛りだくさんだ。法案審議は、鳩山政権が描く子育て支援策や、あるべき社会保障の姿を浮き彫りにする場でもある。与野党ともに、国民に分かりやすい、真剣な議論が求められる。

 法案は、中学卒業までの子ども1人当たり月1万3千円を年3回に分けて支給する。所得制限は設けず、希望者は市町村に寄付できる仕組みも盛り込んだ。

 ただ、今回の法案は2010年度に限った暫定措置を定めたにすぎない。11年度以降は倍額の月2万6千円を支給することになっているが、そのための法案は財源負担などをあらためて政府内で協議した上で、来年の通常国会に提出するという。

 夏の参院選前に家庭への直接支給のレールを敷き、下がり気味の内閣支持率を回復させたい。政府、与党が数々の懸案を棚上げにして6月中の支給を目指す背景には、そんな思惑がないとはいえないだろう。

 実際、11年度以降の本格的な制度設計は支給額も含めてあいまいな点が多い。

 閣内には満額支給は困難との声もあるが、鳩山由紀夫首相はあくまで満額支給を目指す考えを示している。ならば、必要な5兆3千億円の財源をどう確保するのか。首相は政権任期中は消費税率を上げないと明言している。事業仕分けによる無駄の削減だけで賄うには限界があるだろう。

 10年度は、現行の児童手当を存続させて子ども手当の一部とし、自治体と企業にも負担を求める。11年度以降も地方負担を求めるとすれば反発は必至だ。保育サービスの充実など、他の子育て支援策とのバランスも求められる。未納給食費などの差し引きが可能かも検討課題だ。

 財政見通しが示されない中で首相がいくら満額支給を約束しても、国民の理解は得られないだろう。

 重要な法案であるにもかかわらず、最大野党の自民党は衆院で審議拒否を続けている。民主党の政治資金問題への対応に抗議するためとはいえ、本質に迫る政策論争がないままに成立させていい法案ではない。

 制度がばらまきになり、国民にツケを回すだけで終わることのないよう、与野党ともに議論の環境を整える努力が必要だ。

神戸新聞 2010年2月25日

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卒業式間近 国旗に敬意払うは常識だ

 もうすぐ春の卒業、入学式シーズンに入る。人生の重要な節目となる式典で、範を示すべき教職員が特定の政治的主張から国旗、国歌に敬意を示そうとしないことがある。極めて残念だ。

 卒業式の国歌斉唱時に起立せず、定年退職後の再雇用を取り消された東京都立高校元教員10人が再雇用確認や慰謝料などを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は1審東京地裁判決を支持し、元教員の訴えを退けた。この判決は当然である。

 東京都教育委員会などは卒業、入学式で教職員が国旗に向かって起立し、国歌斉唱することを求める通達とそれに基づく校長からの職務命令を出している。

 学習指導要領でも卒業、入学式などでの国旗、国歌の指導が義務づけられ、本来、通達がなくとも国旗、国歌に敬意を払うのは当然だ。だが、保護者や来賓が出席して子供たちを祝う場で、あえて不起立などで国旗、国歌の指導に反対する教職員がいる。

 不起立で処分などを受けた教職員らが「思想、良心の自由を侵害し、憲法違反」などと訴える例がこれまで起きているが、最高裁は3年前に国歌斉唱のピアノ伴奏を拒否した教師の訴訟で「(校長の職務命令は)憲法違反ではない」との判断を示している。

 再雇用取り消し訴訟では、1審段階で不起立教職員の訴えが一部認められる例もあった。しかし、控訴審では昨年10月と今年1月に東京高裁で教職員が逆転敗訴する判決が相次いで出ている。

 今回の判決でも都の通達や校長の職務命令は憲法に反せず、「不起立は職務命令違反や信用失墜行為にあたる」と断じられた。原告・弁護団は上告して争うとしているが、政治的主張を教育現場に持ち込むのはやめてもらいたい。

 民主党政権となり、一部組合員などが国旗、国歌への反対運動を強める懸念がある。

 卒業式などの教職員の不起立をめぐり、神奈川県教委は不起立教職員の氏名など情報収集を続けることを決めた。当然であり、教委は規律を守らない教職員に毅然(きぜん)とした処分を行うべきだ。

 冬季五輪の真っ最中だが、国際舞台では国を象徴する国旗、国歌に敬意を払うのが礼儀であり、世界の常識だ。自国の国旗、国歌すら尊敬できずに他国への敬意も生まれない。子供たちに国旗、国歌の大切さを教えていきたい。

産経新聞 2010年2月25日

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高校無償化―朝鮮学校除外はおかしい

高校無償化法案の国会審議が始まるのを前に、中井洽・拉致担当相が、在日朝鮮人の子弟が通う朝鮮学校への支援はすべきでない、と川端達夫・文部科学相に要請した。

 北朝鮮は国際的な非難や制裁にもかかわらず核・ミサイル開発を進め、日本人拉致問題解決への協力も拒み続ける。その北朝鮮を支持する在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下に朝鮮学校があることが、理由のようだ。

 北朝鮮という国家に日本が厳しい姿勢をとり、必要な外交圧力を加えるのは当然だ。しかしそれと、在日朝鮮人子弟の教育をめぐる問題を同一の線上でとらえていいのだろうか。

 全国各地にある朝鮮学校のうち、高校課程に相当する高級学校は、現在10校。2千人近くが学んでいる。

 朝鮮学校は日本の敗戦後、在日朝鮮人たちが、母国語を取り戻そうと各地で自発的に始めた学校が起源だ。1955年に結成された朝鮮総連のもとで北朝鮮の影響を強く受け、厳格な思想教育が強いられた時期もある。

 だが在日の世代交代が進む中、教育内容は大きく変わった。大半の授業は朝鮮語で行われるが、朝鮮史といった科目以外は、日本の学習指導要領に準じたカリキュラムが組まれている。

 北朝鮮の体制は支持しないが、民族の言葉や文化を大事にしたいとの思いで通わせる家庭も増えている。

 かつては全校の教室に金日成、金正日父子の肖像画があったが、親たちの要望で小・中課程の教室からは外されている。そうした流れは、これからも強まっていくだろう。

 学校の経営はどこも苦しい。自治体からの助成はあるが、国の支援はゼロ。年額40万円ほどの授業料に寄付も求められ、家庭の負担は重い。

 高校無償化は、すべての高校生らが安心して勉学に打ち込める社会にしよう、という政策だ。

 先月に閣議決定された法案は、国公私立の高校や高等専門学校に加え「高校課程に類する各種学校」を対象とする。ブラジル人学校や中華学校、朝鮮学校なども想定されていた。

 外国籍の子も含めて学ぶ権利を保障することは、民主党がめざす教育政策の基本でもある。朝鮮学校の除外は、こうした理念からはずれる。

 朝鮮学校に通う生徒も、いうまでもなく日本社会の一員である。

 川端文科相は昨日、無償化の対象を決める際に「外交上の配慮、教育の中身は判断材料にならない」と述べた。

 中井担当相は一度、川端文科相とともに朝鮮学校を視察してみてはどうだろう。

 そこで学んでいるのは、大学を目指したり、スポーツに汗を流したり、将来を悩んだりする、日本の学校と変わらない若者たちのはずである。

朝日新聞 2010年2月24日

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いじめ訴訟 和解合意の意味は重い

 滝川市の小学校で6年生の女子児童がいじめを苦に自殺し、母親が市と道に損害賠償を求めた訴訟は、和解することで合意した。

 札幌地裁が示した和解骨子は、いじめが自殺につながることを予見できた可能性を認定した。

 さらに再発防止の観点から、道などは、いじめ被害者側の意見を聞いて調査する第三者機関の設置に向け努力することも盛り込まれた。

 和解金の支払いや謝罪も含め、原告側の意向をくみ取った内容だ。和解合意の持つ意味は重い。

 来月下旬には和解が成立する。滝川市と道は合意内容を真摯(しんし)に受け止め、悲しい出来事を二度と起こさない体制をつくらなければならない。

 訴状などによると、女児は小学校5年ごろから同級生に「気持ち悪い」などと言われるようになった。

 担任教師に悩みを相談したが、学校側は実態の調査や自殺を回避する措置を取らなかったため、女児は2005年9月に教室で自殺を図り、翌年1月に亡くなった。

 残された教訓は多い。当初、滝川市教委は「いじめの事実は把握できなかった」と発表している。

 また道教委は女児の遺書のコピーを入手していながら放置し、それを紛失していた。

 ひとりの少女がいじめに苦しみ、教室で命を絶つという重大な事態に対する当事者意識の欠如は甚だしく、教育行政への不信を募らせた。

 学校や教委は子供の命を守るという重い責任を負っていることをあらためて自覚してほしい。

 文部科学省は、この事件などを受けて07年に「いじめ」の定義を改定し、児童・生徒が「いじめられた」と感じれば「いじめ」と判断するよう全国の都道府県教委に通知した。

 しかし、学校でのいじめは後を絶たない。

 文科省の08年度調査では、いじめが原因で中学で1人、高校で2人が自殺している。また確認されたいじめの件数は小・中・高校など合わせて8万4648件にも上った。

 インターネットや携帯電話のメール、掲示板などによる「ネットいじめ」の深刻化も社会問題になっている。いじめられている事実を親には知られたくないと思う傾向も強い。

 見えにくい場所で起きるいじめに、いかに早い段階で気づき、適切な対応を取れるかが問われる。

 教師が教室で、親が家庭で、子供たちの変化を見逃さないことが第一だが、それだけでは解決できない。

 学校、家庭、地域社会が協力し合い、それぞれの立場で、子供たちの日常に関心を持ち、温かい目で見守ることが大切だ。そのための仕組みづくりが急がれる。

北海道新聞 2010年2月23日

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筋違いな政治的線引き

 4月から実施予定の高校無償化をめぐり、朝鮮学校を対象から外す案が浮上している。

 対北朝鮮強硬派の中井拉致問題担当相が川端文部科学相に除外を要請し、同省の政務三役が検討に入ったという。

 教育基本法の「教育の機会均等」の精神に反する上、教育に政治的思惑を持ち込むことに強い違和感を覚える。在日朝鮮人の子どもたちの教育と拉致問題とは直接関係はないのである。

 北朝鮮の敵対心をあおるような政策は、拉致問題の交渉をさらに硬直化させることにもなりかねない。

 無償化は、子ども手当とともに「教育や子育てを社会全体で支える」という民主党の基本理念に基づく看板公約でもある。

 法と公約という「筋」を踏み外さぬよう、政府には冷静な判断を求める。

 高校無償化法案では「高校と同等」とみなされる各種学校の生徒には、私立高生と同様、年額約12万円の「就学支援金」が支給される。

 朝鮮学校を含む外国人学校の多くは各種学校という位置付けだ。無償化の対象にすべきかの議論はこれから本格化するが、「授業内容と本国の教育課程が日本の学習指導要領におおむね合致していると確認できること」を対象の条件とする案も上がっている。

 この条件に照らせば、国交がなく、確認できない北朝鮮が無償化の条件から外れることになる。朝鮮学校の反発は避けられまい。

 北朝鮮への「圧力」強化を一貫して主張している中井氏の担当相任命は、拉致問題解決への鳩山政権の強い意志を示すものだ。

 だが、展望は開けず、高齢化する拉致被害者家族らは危機感を募らせている。中井担当相の熱意は伝わるものの、教育現場に制裁の矛先を向けることが必ずしも事態を望ましい方向へ動かすことになるとは限らない。

 朝鮮学校は、母国語による授業や民族教育で朝鮮人としての誇りを重んじる一方、日本の子どもたちとの相互理解にも力を入れている。

 県内でも十数年前から四国唯一の朝鮮学校である四国朝鮮初中級学校(松山市)と小中学生がスポーツの交流合宿などを続けてきた歴史がある。

 こうした未来志向の純粋な草の根交流にまで政治的思惑が暗い影を落とすことを強く憂える。

高知新聞 2010年2月23日

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仕送りゼロ1割 学生負担を軽減しなければ

 親元から離れて学生生活を送る大学生(下宿生)のうち仕送りが全くない割合は、データが残っている1970年以来初めて10%を超えたことが、全国大学生協連の学生生活実態調査で明らかになった。

 2009年のGDP(国内総生産)は、12月期までの3四半期連続でプラス成長となり、景気は持ち直しているとされている。だが、従業員が受け取る「雇用者報酬」は同年、過去最大の減少率を記録し実感のない回復にとどまっている。

 一昨年秋の世界同時不況から特に、学生、生徒もさまざまな局面で負の影響を受けている。安心して勉学に励むことができる環境を確保するためにも、一日も早い実態の伴った景気回復が求められている。

 同生協連の調査は、昨年10月から11月にかけて全国の73大学生協を通じて行われた。このうち毎年指定している31大学から得られた9660人の回答をまとめた。

 調査結果によると、仕送りがないと答えた下宿生は、前年の8.3%から10.2%に急増した。10年前の1999年は2.4%だったが、2000年には3%台になり、さらに増え続けてきた。毎月の仕送り5万円未満も前年より2ポイント上昇し22.7%を占めた。

 下宿生の仕送りの平均額は7万4060円で、四半世紀前(1984年7万4240円)のレベルに落ち込んだ。過去最高だった96年の10万2240円より2万8180円(27.6%)減少している。保護者の収入減が顕著に表れているとみてよいだろう。

 一方、奨学金受給者は37.2%と4割に近づき、下宿生は44.6%を占めた。平均受給金額も6万650円と初めて6万円を突破、下宿生の平均は6万2180円で、自宅生でも5万6250円と高額になった。

 増え続ける仕送りゼロの学生の生活は、奨学金7万5380円とアルバイト3万6060円で支えられていることも調査で判明。奨学金がなければ、勉学の機会を確保、維持できない姿が浮き彫りになっている。

 その奨学金だが、日本では卒業後に返済する貸与型がほとんどで、仕送りゼロの学生の卒業時点での返済元本は360万円余りとなる。社会人になると同時に、これに利息を含めたお金を返してゆかなければならないのは、かなりの負担となる。

 不景気が学生の負担増に直結してしまうのは、社会の在り方からみていびつであり、学びたいという若者にはもっと手厚い支援が必要だ。

 対策として、肌で感じられる着実な景気回復を図るのは論をまたない。さらには、民主党が衆院選でのマニフェスト(政権公約)に掲げたように、給付型の奨学制度を広めるなど教育への投資内容を早急に見直し、充実させることも必要だ。

福島民友新聞 2010年2月21日

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子どもの貧困 総合対策を講じる時だ

 学校現場のうめきが聞こえてくるような重い調査結果である。

 本紙は1月から2月にかけて、県内の小中学校教員を対象に、「子どもの貧困」に関する独自のアンケートを実施した。調査結果は、この問題が深刻さを増しつつあることを示している。

 家庭・経済状況が厳しい子が増えたと思いますか、との問いに、回答を寄せた241人のうち83%が「はい」と答えた。

 義務教育は無償だが、修学旅行費や制服代、補助教育費などは親が負担しなければならない。社会全体が貧困化することによって、そのような負担に耐えられない家庭が急速に増えているのである。

 「給食費を払えない子どもがいる」(63・1%)、「病気やけがでも病院に行けない子どもがいる」(31・1%)、「夜、子どもだけで過ごしている子がいる」(56%)

 アンケートに応じた教員からは「布団がなくて体調を崩した」「制服が準備できず、登校できなかった」「カッパや傘がなく、雨天時は無断欠席する」「お金がかかるから部活をあきらめる生徒がいた」などの痛切な声もあったという。

 「子どもの貧困」問題が深刻なのは、貧困と生活習慣、学力が連動し、結果として世代を超えて貧困が固定化する可能性があるからだ。

 民主主義社会にとって最も大切な「機会の平等」を保障するためにも、子どもたちの健やかな成長のためにも、この問題に本腰を入れて取り組むべき時期を迎えている。

 離婚率や失業率がかなり高いにもかかわらず沖縄の社会が比較的安定しているのは、「共同体」「門中」「ユイマール」などの言葉に象徴される社会の包摂力がうまく機能しているからだといわれる。

 遺族年金など国からの財政移転が祖父母の経済力を支え、子どもや孫の面倒を見る余力を与えている、とも指摘されてきた。

 そのような側面が今も一部に残っているのは確かだが、家族や地域社会の包摂力は急速に低下しつつあるのではないだろうか。

 非正規雇用の拡大で世帯主は親を支える余力を失い、年金を削って家族の生活を支えてきた高齢者も、以前のようなゆとりを失った。核家族世帯の割合が全国4位(2008年)と極めて高いのも沖縄の特徴だ。社会的な関係性の豊かさが急速に失われ、貧困が、もろに子どもを直撃しているのである。

 厚生労働省は昨年、政府として初めて貧困率を公表した。新政権が貧困の問題に正面から向き合う姿勢を示したことは素直に評価したい。

 実態を正確につかむことが施策の前提だ。

 4月から始まる子ども手当や高校授業料の無償化は、「子どもの貧困」問題に対する取り組みの第一歩といえる。

 沖縄県もこの問題を最重要課題と位置づけ、市町村や関係団体を網羅して総合的な対策を打ち出してほしい。

 カネがないという理由だけで問題解決を後回しにするのは責任の放棄である。

沖縄タイムス 2010年2月21日

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土曜の授業―親子、地域と話し合って

 土曜のきのうを、小中学生はどう過ごしただろう。家族と遠出、部活か塾か。それとも手持ちぶさただった?

 東京都では今春から、学校に行く子が増えそうだ。都教委が公立の小中学校が土曜に正規の授業をすることを、後押しする通知を出したからだ。

 学校週5日制で土曜がぜんぶ休みになったのは、8年前の春。詰め込み教育を反省して「ゆとり」を目指す。地域と家庭の役割を重視し、子どもに社会や自然を体験させて生きる力を育む。そうした考えからだった。

 都教委は今回、土曜を使うのは月2回までに限り、地域に授業を公開することなどを条件としている。「5日制の趣旨を変えるものではない」として文部科学省も認める姿勢だ。

 きっかけは、2011年度から学習指導要領が改まること。学力低下を心配する声を受け、授業時間と教える内容が増やされる。

 移行措置で時間増の前倒しが始まり、月曜から金曜の間でどうやりくりするか、先生は苦慮している。7時限目を設けたり、朝の読書の時間を振り替えたりで窮屈になるばかりだ。土曜も使いたい、という現場の声は多い。

 5日制の理念と現実の矛盾がどんどん広がっているということだろう。

 授業のない土曜日に、みんなが居場所を見つけて、生き生きと過ごせているわけではないという事情もある。

 受け皿になる活動や施設が不十分な地域は多い。不景気で、家庭でも塾や習い事に回せるお金が減っている。希望者に補習授業を行う学校が増えており、「独りでゲームをするよりずっといい」という親子もいる。子どものためになるなら、土曜の授業を再開することは悪いことではない。

 しかし、先生に負担をかけて学習時間を増やすだけでよいのか。その結果、「量の教育」に後戻りしたのではもったいない。

 先生の数を増やし、教え方を工夫し、ムダを減らし、「質の教育」をめざすことが基本だ。

 そのうえで各地域で、学校と、保護者と、ボランティア活動に熱心な人たちとが話し合い、土曜の過ごし方を決めるようにしてはどうだろう。子ども自身の意見もよく聞いてほしい。

 ボランティアが主導し、意欲をかき立てるような授業を考え出して、学校内外で実践してはどうか。「土曜は近所のおじさん、おばさんがいろんなことを教えてくれる」。そんなことができないだろうか。

 行政、学校主導でプログラムを考えた方がいい地域もあるだろう。部活や地域活動が盛んな町なら、「土曜休み」のままがいいに違いない。

 通知や通達にしばられることなく、地域の実情に合った子育てをする。みんなで考えるきっかけにしたい。

朝日新聞 2010年2月21日

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北教組の違法資金問題 「中立な教育に反する」 自民・義家氏ら道内調査

意見交換を終えて記者会見する義家参院議員(右)ら
 民主党の小林千代美衆院議員(道5区)陣営に北教組が選挙資金を違法に提供したとされる政治資金規正法違反事件に関連し、自民党文部科学部会長の義家弘介参院議員ら3氏が18日、調査のために道内入りし、自民党道議や高橋教一道教育長らと意見交換した。

 義家氏のほか馳浩、北村茂男両衆院議員が来道。北教組に対し幹部との面談を申し入れたが断られたという。

 3氏は意見交換後の記者会見で、2005年の衆院選の際に北教組が組合員に配布した文書を公表。文書には組織推薦者などとして道内の民主党候補5人(いずれも現衆院議員)の名前のほか、「組合員1人5人の支持者獲得」などと記されており、義家氏は「教育の政治的中立という観点から問題がある」と批判。違法な資金提供については「他の陣営にも恒常的に行われていたはず」と、調査を継続する考えを強調した。

 調査について、民主党北海道幹部は「単なるパフォーマンスだ」と批判した。

北海道新聞 2010年2月19日

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大学院大学 政府の責任で明確な道筋を

 沖縄科学技術大学院大学の施設整備費が当初予算額を40億円超過していることが明らかになった。「世界最高水準」の研究機関を目指す大学院大学だが、整備や運営に投じられる予算は、国民の血税である。

 超過分について、同大の別施設の整備費を充当していたが、予算の交付決定の変更手続きをしていなかった。

 国民の税金を使う整備事業では、適切な事務手続きは欠かせない。事業を進める沖縄科学技術研究基盤整備機構は、予算管理を含め組織運営を見直し、適正な事務作業に取り組んでもらいたい。

 厳しい経済環境の中で、目標に近づけるため、いくらでも予算を膨らませられる状況ではない。徹底した予算執行体制を求めたい。

 当初の研究分野に関する研究者招請のめどが立たなくなり、研究科目の変更による施設整備が予算超過の原因である。

 昨年末、予算編成の優先度判定で沖縄科学技術大学院大学は「減速」と判断された。3段階の中で減速は最低の判定だ。科学技術の振興発展にどう尽くせるのかが懸念された。

 厳しい視線が注がれている中で、予算超過や不適切な事務手続きが明らかになった。限られた予算で整備を進めることは、整備費の節減が重要だ。今後、大学の魅力をアピールできる環境整備ができるかが課題だ。

 大学院大学は、先端技術研究の拠点づくりが設置目的だ。だが、拠点が沖縄だとする意義は不明確だ。世界の科学技術発展と沖縄の振興、自立の両立を図るための具体策が見えない。

 事業の成功には、大学周辺の衣食住環境や教育環境、医療体制など開学までの整備は不可欠である。

 県は、子弟が学ぶインターナショナルスクール校舎の整備事業費3億9千万円を県費で負担することを決めた。当初は、寄付金や補助金制度の活用で県支出を抑える意向だったが、もくろみが外れた。資金確保の甘さは否めない。

 整備機構側の心もとない管理運営体制もさることながら、国家的プロジェクトに位置付けて整備推進に躍起となってきた政府の姿勢も問われる。

 県民につけが回される事態は避けたい。政府の責任で「世界最高水準」を洗い直し、明確な道筋を示してもらいたい。

琉球新報 2010年2月19日

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子ども手当 「満額」より条件整備を

 子どもたちの成長を、社会全体として支える。鳩山政権が掲げる子育て支援の方向性である。

 経済的な面から家計の負担を軽くするのが子ども手当だ。初年度は中学生以下に1人月額1万3千円。6月の支給開始に向け、自治体の予算編成も始まった。一方で保育所の待機解消など取り組むべき課題は山積している。

 厳しい財政状況の中で、保護者らのニーズをどうくみ取り、施策のバランスを取るのか。議論を尽くしておくべきだろう。

 今、焦点となっているのは2011年度以降の子ども手当の金額である。民主党のマニフェスト(政権公約)に基づけば倍の2万6千円に増やす。全体では、防衛費を上回る5兆3千億円が必要という。お金もないのに、ばらまいて大丈夫か。そんな受け止め方もあろう。

 政権内にも負担をためらう空気があるようだ。鳩山由紀夫首相も子育て中の父母との懇談で「将来に借金を残すことはしたくない。無駄の削減で余裕ができた分だけでやる仕組みにしたい」と発言。翌日になって満額を支給すると修正した。腰がふらついているような印象を受ける。

 子育て支援は手当だけではない。政府は1月末に「子ども・子育てビジョン」を閣議決定した。今後5年間にハード、ソフト両面で取り組む数値目標を盛り込んでいる。認可保育所の定員を26万人増やす。幼稚園と保育所の機能を備える認定こども園を5倍以上に拡大する。一時預かりの利用者も10倍以上にする―などだ。

 自民党政権時代の少子化対策は、掛け声だけでなかなか前に進まなかった。それだけに目標を明確にした点は評価できよう。

 ただ、心配なのは財源である。厚生労働省は目標とする14年度には、少なくとも年に7千億円かかると試算しているが、どう調達するのかめどは立っていない。

 国債による借金が税収を大きく上回るのが、今の財政状況である。このままでは絵に描いたもちとなりかねない。子ども手当にかける巨費との兼ね合いが議論となってこよう。

 手当が有効に使われるかどうかも見えない。民間の意識調査によると、教育や育児に限定するとしたのは保護者の3人に2人。半数は、もらった年度内に使わないとしている。政府は初年度をテストケースとし、世論の反応も含めてしっかり見極めるべきだろう。

 新年度分の予算案計上に当たっては、財源難から政府部内の調整に手間取った。現行の児童手当制度を残し、自治体や企業に一部を肩代わりさせた形である。

 それだけにマニフェスト通りにすれば11年度の予算編成はもっと厳しくなろう。財政状況によっては満額にこだわらず、条件整備を先行させてもいいのではないか。

 将来的な制度設計と必要な事業をきちんと示し、そのうえで優先順位を付けるなら、国民の多くの理解は得られよう。目先の功を焦るべきではない。

中国新聞 2010年2月17日

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子育てビジョン 財源確保し施策実現を

 政府は来年度から5年間の新たな少子化対策大綱である「子ども・子育てビジョン」をまとめた。保育サービスの大幅な拡充を目指し、約40項目に及ぶ数値目標を掲げた。

 3歳未満の子どもの保育所利用率を現行の24%(75万人)から35%(102万人)に拡大するなどして、保育所全体の定員を26万人増やして241万人にする。学童保育の利用者を81万人から111万人に増やすことなども盛り込んだ。

 国民に分かりやすく、達成度の検証も容易な数値目標を示した点は評価できる。「社会全体で子育てを支える」という鳩山由紀夫政権の意気込みの表れだろう。

 問題は財源である。2014年度で年間約7000億円、保育所利用料の軽減などの制度改善も含めると1兆6000億円の追加費用が必要となるが、具体的な財源は示さなかった。

 前政権下で自民党がまとめたビジョンの原案は、消費税率1%分を少子化対策に充てるよう提案していた。これと比べて、財源論では後退した印象が否めない。厳しい財政状況でどう財源を確保するのか。この難問に正面から向き合わなければ、施策の実現性に疑問符が付く。

 政府は4月から子ども手当(初年度は半額)を支給する。11年度以降、満額支給ならば年間約5兆3000億円が必要となるが、保育サービス拡充と両立できるのか、優先順位を付けるのか、十分な論議が必要だ。

 少子化対策は1990年代のエンゼルプランから2000年代の子ども・子育て応援プラン、新待機児童ゼロ作戦など多様な取り組みがあったが、あまり実効はあがっていない。

 昨年10月の内閣府の調査で「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要はない」と答えた人は過去最高の約43%で、20〜30代の女性では60%以上にも達した。若者が出産や育児をためらう状況の改善は急務だ。

 ビジョンは従来の「少子化対策」の視点は「将来の生活に不安を抱く若者や子育ての当事者のニーズに応えていない」と指摘して、「当事者目線」への転換を強調している。

 待機児童の解消に効果が期待される幼保一元化がなかなか実現しないのは、幼稚園は文部科学省、保育所は厚生労働省と所轄が異なることが一つの障害となっているからだといわれる。当事者目線に立てば、省益や族議員のしがらみを断つことができるはずだ。政府の強力なリーダーシップを期待したい。

南日本新聞 2010年2月17日

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子ども手当の迷走は理念のなさ映す

 子ども手当をめぐる政府の迷走ぶりが目に余る。2011年度からの満額支給について、1月末に野田佳彦財務副大臣が「厳しい」と発言し、鳩山由紀夫首相や菅直人副総理・財務相が火消しに追われた。ところが14日には首相自らが満額支給にこだわらないと受け取れる発言をし、翌日にはそれを打ち消した。

 こうした迷走は、子ども手当の理念や基本的な設計のあいまいさを映している。これでは効果もはっきりしないまま、税金や国債で集めた巨費をつぎこむことになりかねない。

 中学生以下の子ども全員に月額2万6千円(10年度は半額)を配る子ども手当は、民主党の目玉政策だ。だが、実現のためには10年度で2兆3千億円、11年度からは毎年5兆3千億円の財源が必要になる。

 10年度予算編成に際しても、所得制限の導入や地方負担について首相や閣僚、民主党の意見が割れ、二転三転した経緯がある。

 法案の閣議決定後も混乱は続いている。学校給食費の未納に悩む自治体の要望を受け、法案で給付金の差し押さえなどを禁じているにもかかわらず、首相が検討を指示した。外国人労働者の子どもへの手当の支給に対し、民主党内では法案の趣旨と違うとの異論も出ている。

 巨額の資金を要する政策は、合理的で持続可能な制度設計をしなければならない。しかし、子ども手当はいまだに政策目標自体がはっきりしない。「子育てを社会全体で応援する」というが、経済的に苦しい世帯を支援するのが目的なのか、少子化対策なのかが不透明だ。

 経済支援なら、所得制限を設け、低所得世帯により手厚くなるよう制度設計をすべきだ。少子化対策なら、現金給付だけではなく、保育所整備など効果が見込める政策にも予算をさくべきだ。

 首相は赤字国債に頼らず、無駄を省いて11年度から満額支給するという。だが、10年度の半額でさえ国の費用でまかなえず、児童手当を存続させて地方と企業に負担を求める予算案を組んだ。それでも国債の新規発行額は44兆円強になった。

 先ごろ示した「子ども・子育てビジョン」では、14年度まで毎年5万人分の保育サービス拡充を打ち出した。学童保育も5年間で30万人増やす方針だ。施設整備費に加え、運営費として14年度から年間7千億円の追加財源が要る。

 子ども手当法案は、11年度以降について安定財源を確保したうえで必要な措置をとるとしている。じっくり制度設計をし直したらどうか。

日本経済新聞 2010年2月17日

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子育てビジョン 子ども本位の政策推進を

 政府が来年度からの5年間で取り組む子育て政策をまとめた「子ども・子育てビジョン」を閣議決定した。

 ビジョンは、実施5年を経た「少子化社会対策大綱」の見直しにあわせて策定。鳩山政権の「子どもを産み育てることを社会で支える」姿勢を明確に打ち出したものだ。

 具体的には、看板政策である子ども手当の創設や高校の実質無償化などの直接給付とともに、保育サービス拡充などの子育ての基盤整備を「車の両輪」として示した。

 一連の公約を盛り込み、認可保育所の定員を26万人増やすなどの数値目標も掲げた。子ども・子育て支援にかける意気込みがうかがえる。

 ただ保育事業、出産支援、若者対策、働き方の見直しなど、メニューの大方は従来の対策と変わらない。結果を出せないまま受け継がれたという見方もできよう。

 特に保育所の待機児童解消は喫緊の課題だ。自公政権も取り組んできたが、2009年春に2万5千人を超えるなど対策は追いついていない。

 打開策の一つ、幼稚園と保育所機能の統合(幼保一元化)は縦割り行政の弊害が指摘されており、政府は規制改革などを検討する方針だ。こうした施策ごとの問題点の洗い出しが欠かせない。

 08年度補正予算で創設された「安心こども基金」は柔軟な運用が許されず、自治体独自の取り組みが阻まれた。待機児童のいない地域もあり、一律ではなく実情に応じた施策を奨励すべきだ。

 対策が立ち遅れた理由としては、他の先進国と比べても顕著な子育て支援予算の貧弱さが挙げられよう。

 ビジョンは14年度目標を実現するために、09年度と比べて約7千億円の追加費用が必要だと試算した。が、財源については「公費、事業主や個人の負担・拠出の組み合わせ」とするにとどまる。

 前政権のプロジェクトチームは消費税1%分を家族関係施策に使用するよう提言していた。財源確保の議論を避けず、国民に提示して理解を求めるべきではないか。

 今ビジョンの特徴はとりわけ「少子化対策」を銘打たなかった点にある。支援の対象を「子ども」とし、すべての子どもの生きる権利を保障し育ちを応援する視点で、施策を体系づけた。

 出産・育児奨励に傾きがちな少子化対策は、個人の生き方への国家の介入も懸念される。むしろ、少子化問題の有無にかかわらず次代を担う子どもへの投資は必要で、そうした視点の転換は歓迎だ。

 だからこそ、施策の実行においては子ども本位の立ち位置を崩さないでほしい。たとえば目標達成を急ぐあまり、保育の質を低下させないよう注文しておきたい。

愛媛新聞 2010年2月15日

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40人学級見直し 教員の数と質充実も必要

 文部科学省は公立小中学校の学級規模を見直す方針を打ち出した。1学級当たりの児童生徒数の上限を40人とする国の現行基準を、2011年度以降、引き下げて少人数学級化を促すという。

 実現すれば、1980年度に学級定数の上限を45人から40人に減らして以来、約30年ぶりの改正となる。

 鈴木寛文科副大臣は1月の記者会見で「教育現場は複雑な問題を抱えており、きめ細やかな少人数指導が必要だ」と意欲を示した。問題意識は私たちも同じであり、期待は高まるが、教員増とそれに伴う予算措置が不可欠となる。民主党政権のやる気、本気度が問われる。

 新学習指導要領が小学校で2011年度から、中学校でも12年度から完全実施される。小学校英語や中学校では武道が必修になるほか、既存の主要教科でも教える内容が増え、授業時間は増加する。今回の見直しは当然、そうした新しい事態にも対応しなければならない。

 文科省は有識者や学校現場などから意見を聴くなどして、11年度予算の概算要求期限である8月末までに一定の結論を得たいという。見直しの実現に向け、着実な施策に練り上げる必要がある。

 学級規模の基準は義務教育標準法で定められている。それに見合う教員数の給与は、小泉政権時代の三位一体改革を経て現在、都道府県が3分の2、国が3分の1を負担することになっている。

 この二つが学級規模や教員数を制約しているが、実は01年、都道府県教委の判断で学級基準を決められるようになって以降、少人数学級は増えている。いまや自治体教委の裁量で学級編成は相当弾力化され、市町村教委が給与を全額負担して教員を採用することもできる。

 福岡市教委が、小学1―3年と中学1年で導入している「35人学級」を10年度に小学4年まで拡大する方針を固めたのも、そうした弾力化の一環である。いまでは東京都を除く46道府県で、福岡市のように何らかの形で40人未満の学級編成に取り組んでいる学校があるという。

 ただ、学級基準を国レベルで見直せば、必要な教員数は大幅に増え、国も地方も負担の増加は避けられない。ここで問題となるのは、やはり財源確保だ。

 文科省が2年前、教育振興基本計画を策定する段階で、教育投資の増額とともに小中学校教職員の2万5千人増員を盛り込もうとしたが、財務省に阻まれた。少人数学級が普及してきたといっても、財政難のため多くの自治体が非正規の講師増でしのいでいる実態もある。

 昨年、行政刷新会議の事業仕分けでは「義務教育の教職員給与は国が全額負担したらどうか」という意見も出た。国として真剣に少人数教育を目指すのなら、そこまで論議する意味はあろう。

 文科省は少人数学級実現と教員の数・質の充実をセットで考えるべきだ。適正な学級規模と教員数はどうあるべきか。国民に開かれた論議を求めたい。

西日本新聞 2010年2月15日

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学術会議―今こそ社会の知恵袋に

 21世紀の日本をどんな国にするかという議論が本格化しようとするなか、新しい「ルネサンス」実現へ学者の立場から積極的に提言していきたい。

 日本学術会議(金沢一郎会長)は、先月半ばに発表した幹事会声明で、こんな決意を明らかにした。

 日本の科学や技術をどう育み、社会の発展や問題解決にどう役立てるか。科学者の立場で提言していく組織として生まれたのが、学術会議である。今年で61歳になる。

 現在は内閣府に置かれて、首相が議長を務める総合科学技術会議と「車の両輪」という位置づけだ。会員は自然科学から人文、社会科学まで、全国約83万人の研究者を代表する210人、日本の頭脳集団である。

 といっても、多くの人にはほとんどなじみのないことだろう。社会が直面する問題に対する積極的な取り組みが見えないことがその背景にある。

 たとえば昨年、大きな社会問題になったダム建設の是非についても、議論のもとになるような専門家としての見解が求められもしたはずだが、それに応える姿勢は見えなかった。

 内外ともにいま大きな変革期を迎えている。教育や環境、医療から食の安全まで、課題が山積みだ。学術会議には、本来あるべき、社会の知恵袋としての役割を果たしてもらいたい。

 「学術会議の機能強化が必要だ」という声は、ほかならぬ学界からも出ている。科学技術予算に逆風が吹いた昨秋の事業仕分けの後、20の学会の代表者が急きょ集まって議論し、中長期の展望に立った科学技術政策を提言する役割が重要だとした。

 鳩山政権は政治主導の政策決定を掲げ、官僚主導による審議会は減らす方向だ。ならば、科学に根ざし、科学者の専門性に裏打ちされた見解や選択肢をもとに政治家が最終判断する。それが政治主導の一つの望ましい姿だ。

 「政策の基礎に科学がなければならない」。そういって米国で「科学アカデミー」を創設したのはリンカーン大統領だ。南北戦争さなかの1863年のことだ。政府はカネは出すが口は出さない。これが変わらぬ原則である。

 いま工学、医学の専門機関もでき、合わせて千人余のスタッフがその活動を支える。主に連邦政府の諮問にこたえて年200件もの報告書を発表し、それが政策のもとになっている。

 学術会議の提言者としての役割を強めるとともに、政権もその提言を政策に生かしていくべきだ。国民の納得が得られるような、新しい時代の政策づくりをめざしてほしい。

 研究者の側にも、社会に対する責任の自覚と、学会の利害や壁を超えた行動が求められている。過去にとらわれないためには、思い切って若い力を生かすことを考えるべきだ。

朝日新聞 2010年2月15日

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特別支援学校入学 育ちの場を必要な子へ

 「わが子をよりよい環境の中で育てたい」。子どもを持つ親なら誰もがそう願う。しかし障害があるというだけで、当たり前の幼稚園入園が当たり前にいかない、というのは何とも理不尽だ。

 沖縄市にある県立美咲特別支援学校の幼稚部入学をめぐって、学校側が保護者へ願書の提出を見送るよう働き掛けていたことが明らかになった。実際に子どもの入学をあきらめた父母もおり、金武正八郎県教育長は「不安や誤解を抱かせたことは大変申し訳ない」と謝罪している。

 ごく限られた幼稚部の定員枠が事の発端だ。同幼稚部の対象となるのは知的障害のある3〜5歳児。県教育庁が定めた来年度の定員は1学級の上限枠となる8人。

 今春は、それを上回る入学希望者がいたことから、学校側が事前に保護者へ電話し、定員がいっぱいであることや、他に受け入れ先がないかなど、暗に入学見送りを促した。

 連絡を受けるまで13人が入学を希望していたものの、教育庁が今月発表した志願者は定員内の8人だった。

 選抜する側とされる側、学校と保護者の力関係を考えると、電話が「圧力」となったのは容易に推測できる。

 さらに言えば、「障害のある子どもは手がかかる」「教員や学級数を増やすには、お金がかかる」という、学校や行政の都合が働いてはいないか。

 「育ちの場」を必要としている子の立場に立った対応とは言い難い。

 そもそも健常児が公立の幼稚園に通おうという時、入学者が何人いるかなど気にも留めない。たいていは学級の増減で柔軟に対応してくれるからだ。

 美咲特別支援学校幼稚部の定員に関しては、昨夏「幼稚部は1年ごとに修了する」としたことから、在籍児の保護者に動揺が走った。慣れ親しんだ場所で継続指導を求める親たちは、学級や教員を増やすよう要望。昨年11月には1万人近くの署名を集め、教育長へ提出している。

 この問題を受け、学級増も視野に、「願書の再受け付けを含めて前向きに検討する」というが、行政の動きは鈍い。 

 保護者へプレッシャーを与えるような対応は、ほかでもあると聞く。この機会に、すべての特別支援学校で、育ちの場の確保について調査を進めてほしい。

 「共生」を目指す時代の流れとともに、障害があっても普通学校で学ばせたいという親が増え、就学先をめぐって、行政と保護者が対立する場面も少なくない。特別な学校で専門の指導を望む今回のケースは、その逆に思えるが、問題の根っこは一緒だ。

 地域で受け入れてくれる幼稚園を探せなかったのではないか。あったとしても障害に応じた支援が整っていなかったのではないか。幼稚部に殺到した背景を慎重に分析していくことで、必要な特別支援の全体像が見えてくる。

 「普通に学校を選びたい」という宿題≠フ答えを早急に示すべきだ。

沖縄タイムス 2010年2月14日

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学校図書館 地域格差の解消を急ごう

 今年は「国民読書年」である。活字離れの危機感から、政官民あげて読書推進に取り組もうと制定された。キャッチフレーズは「じゃあ、読もう」。子どもたちにとって、一番身近な本との出合いの場は学校の図書館だろう。

 1954年施行の学校図書館法は学校図書館を「欠くことのできない基礎的な設備」と位置づけ、市町村など学校設置者が充実に努めると定めている。だが、その充実の度合いは地域や学校で格差があるようだ。

 一つは本の数である。文部科学省は公立学校の規模ごとに標準となる蔵書冊数を決めている。2007年度末で達成している学校の割合は全国で小、中学校とも4割前後だが、地域ごとのばらつきが大きい。

 岡山県は小学校62・5%、中学校49・7%と全国平均は上回る。だが、市町村ごとにみると達成率100%の自治体がある半面、0〜20%程度にとどまる自治体もある。

 国は図書購入費を地方交付税で財政措置しており、07年度からは読書教育の充実のため増額した。しかし、実際の使い道は自治体が決めるため、“目的外”に使う自治体が多い。

 09年度、国の算定額のうち、全国の自治体が図書購入に充てたのは77%しかない。岡山県は88%、広島、香川両県は56%にとどまっている。

 自治体側にも言い分はあるだろう。三位一体改革で地方交付税の総額が削減され、財政が厳しいからだ。その中で学校図書館の優先度をどう位置づけるか。首長や地方議会の姿勢が問われていると言えよう。

 もう一つは、子どもと本の出合いを支える「人」の存在だ。

 ほとんどの学校には司書教諭がいるが、学級担任などとの兼務が多い。学校図書館に常駐する「学校司書」と呼ばれる専任職員の存在が欠かせない。

 岡山市が全国に先駆けて全校配置に踏み切るなど、岡山県は学校司書に関しては先進県だ。県内の公立小中学校の約8割に配置されている。ただ、県北などの一部市町村では司書ゼロの状態が改善されていない。

 文科省の全国学力・学習状況調査では、家や図書館で1日に全く本を読まない小学生は2割強、中学生は4割近くもいる。保護者の経済格差拡大も指摘される中、学校図書館の役割は一層増していると言えよう。

 どこに住んでいても、子どもたちが知の世界に出合える最良の環境を整えたい。地域格差の解消を急がねばならない。

山陽新聞 2010年2月11日

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子育てビジョン 財源の手当ては大丈夫か

 これで安心して子どもを産み、育てられるだろうか−。政府が閣議決定した「子ども・子育てビジョン」は、保育サービスの拡充など今後5年間の数値目標を初めて掲げるなど意欲的だが、肝心の財源の手当ては示されず、物足りない印象だ。

 数値目標では、保育所に入れない待機児童の解消策として認可保育所の定員を26万人増やすほか、延長保育を17万人増、休日保育も5万人増など働く親のニーズに応える内容を盛り込んだ。「切れ目のないサービス保障」として放課後に小学生を預かる学童保育も30万人増を目指す。

 必要な費用として、2014年度で年間約7千億円と試算。保育所の利用料を軽減したり、育児休業給付率を現行50%から80%に引き上げるなどの制度改善も含めると計1兆6千億円の追加費用がかかるという。

 国民に分かりやすい数値目標や必要経費を明示したことは評価できるが、裏付けとなる財源が示されなかった点に不満が残る。10年度から半額給付が始まる子ども手当も、満額では5兆3千億円が必要。手当を満額支給するのか、ビジョンで示したサービスなどを拡充するのか、財源を含めてしっかり議論すべきだ。

 「少子化」は個人的な選択の結果というより、出産や育児がしにくい社会状況が招いた側面が大きい。家族や親だけでなく、「社会全体で子育てを支える」とする鳩山政権の理念はうなずける。妊婦健診の負担軽減や小児医療体制の充実、育児の悩みを相談できる子育て支援拠点の整備など早急に取り組んでほしい。

 教育費の問題もある。新政権は公立高校授業料の実質無償化を打ち出したが、最も費用がかかる大学以降についての施策は乏しい。家庭の事情で進学をあきらめるなど、経済的な格差も影を落としている。高等教育への公的支出の割合が経済協力開発機構(OECD)加盟28カ国で最下位という現状を見直し、子どもの学ぶ権利を最大限保障すべきだ。

 非正規雇用の増加も少子化の一因となっている。雇用の安定は緊急課題だ。仕事と家庭の両立、男性の育児参加なども個人の努力だけでは実現は難しい。男性の育児休業取得率は1・23%にとどまる。ビジョンが目指す10%達成には、職場の意識改革とともに公的支援も欠かせない。

熊本日日新聞 2010年2月11日

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産学連携で地域貢献へ 農学部の使命

 地域経済を活性化するには、産学官・農商工の連携による研究成果の普及、地域ブランドの商品開発などが強く求められている。最近は農業生産、食品製造の現場に最も近いところに位置する大学農学系学部の活発な取り組みが目に付き始めた。産学連携を深めて、地域の活性化に貢献してもらいたい。

 国立大学が法人化されて今年で7年目。以前に比べ、学術研究に対する社会評価が一層厳しく問われる時代になったことが、産学官連携の活発化の背景にある。

 全国の国公私立大学の71学部長で構成する全国農学部系学部長会議は、2002年の「農学憲章」の中で、「農学は地域の農林水産業の振興を図るとともに、自然環境の保全・修復に関する教育研究を通じて地域社会に貢献する」とうたっている。これを名実共に実現するためにも、産学連携でリーダーシップを発揮し、地域に開かれた大学としての役割を果たすことを期待したい。

 同会議は理系から文系まで数多い学部長会議の中でも、唯一、国公私立大学を横断的に結集して構成されているのが特徴だ。農水省農林水産技術会議事務局とは毎年1月、意見交換の場を設け、生産現場への普及や民間企業による事業化を進めるための支援策を協議している。

 同会議代表幹事の菊池眞夫千葉大学園芸学部長は「産学連携を主に担っているのは、より現場に近い各大学の付属農場やフィールド科学センターなどだ」と強調する。それが顕著に表れているのが、産学官の関係者が一堂に会する食品と農林水産分野の新技術交流展示会「アグリビジネス創生フェア」(同省主催)だ。昨年11月に開いた同フェア(6回目)には、157の企業、大学、試験研究機関、団体が出展し、大学側の積極的な姿勢が目を引いた。

 6回目のフェアでも、プレゼンテーション、ポスター展示などで最新の成果が数多く紹介された。その中には、ヤマブドウ・桑・ヒエの製品開発(岩手大学)、良食味水稲新品種「ゆうだい21」(宇都宮大学)、スイートソルガムを用いたバイオ燃料生産システム(茨城大学)、家畜ふん尿媒介感染症制御法の開発(東京大学付属牧場)、九州大学ブランドビーフ「Q beef」など興味深い成果が多い。

 同会議は昨年12月、鳩山由紀夫首相と川端達夫文部科学相に食料増産、食品の安全性確保につながる技術開発、人材育成などの研究予算増額を求める要望書を提出した。

 自ら行動する大学として、教官も最新の研究成果を売り込み、技術移転によって広く社会に還元することが求められる。今後は農業者、JAグループ、農業生産法人関係者とも連携を深め、高付加価値商品開発と販路拡大に結び付く成果の普及に努めてもらいたい。

日本農業新聞 2010年2月9日

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子育てビジョン もたもたせず着実に実施を

 来年度から5年間の新たな少子化対策大綱である「子ども・子育てビジョン」を政府がまとめた。

 鳩山政権による初めての包括的な指針である。約40項目に及ぶ数値目標も盛り込んだ。

 3歳未満児向けの認可保育所の定員を現在の75万人から102万人に。保育所全体でも215万人から241万人に増やす。延長保育も17万人増、休日保育も5万人増とし、放課後に小学生を預かる学童保育も30万人増を目指す―などが柱だ。

■「ハードル高い」の声■

 子ども手当支給とともに要望が強かったのが保育サービスの拡充だった。ビジョンはそれに応える内容で、意気込みは評価できる。

 問題は裏付けとなる財源である。5年後の2014年度で年間7千億円、保育所利用料の軽減などの制度改善も含めると1兆6千億円の追加費用が必要になるとされる。不況で税収が落ち込むなど厳しい財政状況下でその額を確保するのは容易なことではない。

 子ども手当だけでも満額支給になれば年間5兆3千億円という巨額の財源がいる。

 目玉政策なのに「ハードルが高い」「相当無理がある」などという声が閣内からも上がっているほどだ。

 少子化対策はこれまでもさまざまな取り組みがなされてきた。だが、あまり実効があがらなかったのは、必要なお金を掛けなかったからだと指摘せざるを得ない。

 家族関係支出の国内総生産(GDP)比ではスウェーデンの約3・5%やフランス、英国の約3%に対して日本はわずか0・75%である。

 今度こそ同じ轍(てつ)を踏んではならない。というのは、子どもを持つことについて若者の意識が変化していることがうかがえるからだ。

■待機児童100万人■

 内閣府の昨年10月の調査では「結婚しても必ずしも子どもを持つ必要がない」と答えた人は過去最高の約43%に上った。

 20代や30代の女性では60%以上にも達している。

 男性の育児休業取得率は1・23%。6歳未満児を持つ女性の育児や家事時間は1日平均447分だが、男性は60分。生活基盤が不安定な非正規労働が増えていることも影響しているだろう。

 一向に改善しない就業や家庭習慣が長く続いたことも相まって、若者の間で結婚や出産、子育てを半ばあきらめる心境が定着しつつあるのではないか。

 ここで官民力を合わせて実効性のある対策を打っておかないと取り返しがつかないことになる。

 何よりもスピード感が大切である。保育所に入れない待機児童ひとつとっても100万人ともいわれる。

 「ハードルが高い」などと言わずに必要な財源をきちんと確保し、掲げた数値目標を前倒しで達成するくらいの積極的な姿勢を求めたい。

宮ア日日新聞 2010年2月9日

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子育てビジョン 幼保一元化に踏み込め

 子ども手当だけでは足りない。保育所の待機児童解消、安心して子どもを産み育てられる職場づくりを求める声は大きい。鳩山政権の「子ども・子育てビジョン」はそうした期待に応えることができるだろうか。

 5年間で認可保育所の定員を計26万人増、延長保育を17万人増、休日保育を5万人増とするほか、小学1〜3年生が対象の児童クラブの定員も30万人増、認定こども園も358カ所から2000カ所以上に増やす−−などがビジョンの内容だ。

 市町村の保育所の整備は年々進んでいるが、どれだけ整備しても待機児童が増える状況が続いている。長引く不況で家計が苦しくなり働かざるを得なくなった主婦が増えていることや、保育所の整備によって潜在的な就労意欲が掘り起こされているためという。特に3歳未満の乳幼児の保育ニーズは高く、現在の待機児童約2万5000人のうち約8割を占めている。ビジョンは3歳未満の子の4人に1人しか利用できない現状を、3人に1人が利用できるようにすることを目指している。財源は示されなかったが、十分な予算措置をしなければ絵に描いた餅になることは言うまでもない。

 待機児童は一部の地域に偏在しており、少子化の進展によってはいずれ解消するとの見方もある。制度を抜本的に変え、建物の新設などハード面に過剰な予算を投入するよりも、今ある制度や資源を有効活用することをまず考えるべきだ。実際、幼稚園の定員割れは進んでおり、小中学校の空き教室も増えている。

 06年に制定された「認定こども園」は就学前の子どもの教育と保育を一体的に行うもので、非効率な利用状況の改善が期待されたが、思ったほど増えていない。乳児を預かるには専用のトイレやもく浴の設備、調乳・離乳食などに対応した給食設備などが必要だが、予算措置が不十分であることが原因といわれる。幼稚園と保育所では職員の資格や勤務時間が異なることなどもネックになっている。さらには文部科学省と厚生労働省に族議員もからんだ縄張り争いが長年にわたり壁を作ってきた。

 政権交代によってしがらみや規制を排除できる環境が整った今こそ、幼保一元化へ大胆に踏み出すべきだ。夜間や病気などの緊急時の対応も重要だ。看護師資格を持ちながら離職している人は地域に大勢いる。24時間体制で運営している高齢者や障害者福祉の事業所もある。さまざまな資源の活用を検討する価値はないだろうか。高齢者と乳幼児が一緒に過ごす小規模多機能型のデイサービスだってある。管轄する省が違うだけで子どもを分離して壁を作っている理由はもはやないのではないか。

毎日新聞 2010年2月3日

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幼保一元化で子育て環境の整備急げ

 政府は幼稚園と保育所の垣根を取り払い、両者の役割をひとつにする幼保一元化に向けて本格的な検討を始めた。先ごろ発表した「子ども・子育てビジョン」では2011年の通常国会までに必要な法案を提出すると明記した。仙谷由人国家戦略・行政刷新相は今年6月をめどに基本方針をまとめると表明した。

 働く女性が増え、地方自治体が認可した保育所に入れない待機児童が問題になっている。一方で、全国に1万4千カ所ある幼稚園のなかには定員を満たせず廃園するところもある。両者を一元化し、既存の施設や人材を有効に活用して子育て環境を整備することは、少子化対策のためにも急ぐべき課題だ。

 幼保一元化はこれまでも議論されながら、実現しなかった。幼稚園は文部科学省、保育所は厚生労働省と縄張りが分かれている。既得権益を失いたくない役所や族議員、幼稚園・保育所の関係団体などが抵抗してきたためといわれている。

 妥協の産物として06年10月にスタートしたのが「認定こども園」制度だ。親が働いているいないにかかわらず小学校に入る前の子どもを受け入れ、教育と保育をひとつにした施設で、幼稚園や保育所が都道府県の認定を受ければこども園になれる。

 だが、縦割り行政はそのままで「幼稚園型」「保育所型」など制度が複雑だ。金銭上のメリットは少なく、事務手続きもややこしい。面積基準など規制の中身は両省で違い、幼稚園がこども園になるには調理室を備えるなど新たな負担もある。

 現状は幼稚園、保育所、こども園の3つがあり、利用者にわかりにくいことおびただしい。政府は11年度に2000カ所以上を目指しているが、09年でまだ358カ所だ。

 今や女性の生き方や働き方は様々だ。幼稚園は主に専業主婦家庭を対象にした就学前の幼児の教育施設で、保育所は「保育に欠ける」子を預かる福祉施設。そんな位置づけそのものが時代にそぐわない。親が仕事についているかどうかで受けられる教育や保育が違うのもおかしい。

 現場ではすでに保育と教育の融合は進んでいる。幼稚園で、親の要望を受け夕方まで子どもを預かるところが増えている。幼稚園教育要領と保育指針もほぼ同じになった。幼稚園や保育所に就職する新卒職員の8割以上は、幼稚園教諭と保育士両方の資格を持っている。

 鳩山由紀夫首相は、衆院予算委員会で一元化に関し「新政権には族議員は存在しない」と明言した。今度こそ本気で取り組んでほしい。

日本経済新聞 2010年2月3日

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子育てビジョン 意気込み分かるが財源は

 少子化の流れを変えることができるだろうか。

 政府が政権交代後、初の少子化対策の指針となる「子ども・子育てビジョン」を閣議決定した。少子化社会対策基本法に基づき、5年ぶりの改定となる。

 政権交代に伴い、ビジョンは従来の少子化対策からの転換を強調する内容だ。

 これまでの対策は、子育ての当事者の悩みやニーズにこたえていないと指摘。個人の過重な負担を減らし、社会全体で子育てを支える必要がある、としている。

 具体策として、共働き夫婦の負担軽減や喫緊の課題となっている待機児童の解消のため、今後5年間で、認可保育所の定員を26万人増の241万人にし、主に小学校1年生から3年生までを預かる学童保育の利用者も30万人増の111万人にするとした。親に代わって病気の子どもを一時的に預かる病児保育の利用者も、6倍強の200万人まで引き上げるとしている。

 具体的な数値目標が盛り込まれるのは初めてで、政権の強い意気込みを示したものといえよう。目玉政策として打ち出している子ども手当に関し、子育て中の世代を中心に、待機児童の解消など保育サービスの充実を優先すべきとの意見があることも踏まえた対応とみられる。

 ただ、せっかく打ち出したビジョンも実効性には疑問符がつく。数値目標の達成に必要な費用は2014年度で約7千億円と試算されるが、財源確保のめどは立っていない。

 子ども手当だけでも財源捻出(ねんしゅつ)に苦しんでいる。10年度は一部支給で約2兆3千億円で済むが、11年度に満額支給となれば5兆3千億円が必要となる。子ども手当と保育サービス拡充のバランスをどうとるか、議論を詰めなければならない。

 日本の少子化対策は1990年の「1・57ショック」が出発点だ。その前年の合計特殊出生率が、丙(ひのえ)午(うま)という特殊要因で過去最低だった1966年を下回ったことが明らかになり、国は対策に着手した。今年でちょうど20年になる。だが、少子化傾向に歯止めはかかっていない。従来の対策の成果について、さらに十分な検証作業を行うことが必要だろう。

 ビジョンは、結婚や出産に関する個人の希望が「普通にかなえられる環境を社会全体で整備していかなくてはならない」とうたっている。ビジョンを第一歩に政策を着実に実行し、「希望はかなう」という実感を国民に与えてもらいたい。

山陽新聞 2010年2月1日

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子育てビジョン 財源論を欠いて実現できるか

 鳩山政権が「子ども・子育てビジョン」をまとめた。政権交代後に初めて打ち出す、包括的な子育て支援策である。

 正式には少子化対策基本法に基づく「大綱」だが、あえて堅い名称を避けた。少子化対策と呼ぶより、子どもを中心とした家族全体の支援策であると政府は強調している。

 保育所定員を年に5万人ペースで増やす、といった今後5年間の数値目標を掲げ、意気込みは感じられる内容だ。

 鳩山政権は子ども手当の創設をマニフェスト(政権公約)の柱にすえ、大規模な現金支給の実現に力を注いできた。

 だが、子育て家庭が求めているのはお金だけではない。延長保育や支援拠点の拡充など行政サービスも重要である。今回のビジョンで、鳩山政権はようやく「両輪整備」に動き出したと言えよう。

 ただし、自公政権でも内閣が替わるたびに、新しい少子化対策や子育てプランが何度も打ち出されてきた。

 それらが子育て家庭のニーズを満たせなかったのは、財源の裏付けを欠いていたからだ。

 今回のビジョンはどうか。必要となる追加支出は年間1・6兆円と試算されているが、財源がやはり明確ではない。

 これも予算の無駄を見直し、組み替えることで捻出(ねんしゅつ)するというのだろうか。だとすれば、新ビジョンに盛られた施策の実現には疑問符を付けざるを得ない。

 鳩山政権は2011年度から年5・3兆円を投じて、子ども手当を完全実施する、との方針を変えていない。

 これに固執した場合、まずその財源確保だけで難航し、とても新ビジョンに回す予算は出てこないのではないか。むしろ、しわ寄せを受ける懸念すらある。

 仮に子ども手当の設計や優先順位を見直すなら、新ビジョンの実現性は高まるだろう。その場合でもやはり、無駄減らしと予算の組み替えだけで必要な財源を得るのは容易でない。

 少子化対策をはじめ社会保障施策の財源は、現行の消費税を福祉目的のみに使う「社会保障税」とし、税率を引き上げることできっちりと確保すべきだ。

 財源論を欠いたままでは、どんなに意欲的な少子化対策も、これまで同様、絵に描いた餅にしか見えない。

 社会保障施策の優先順位を再検討し、消費税の議論に早急に着手すべきだろう。

讀賣新聞 2010年2月1日

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