2009年11月


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学力テスト―狙い定めて絞り込め

 2007年に始まった全国学力・学習状況調査について、文部科学省は来年春は全員調査をやめ、40%の抽出調査にすることを検討している。都道府県別の成績を誤差なく出すためには、その程度の数は必要だという。

 対象に選ばれなかった所も、希望すれば同じテストを利用できるようにする。その結果、多くの学校が参加することになりそうだ。これでは過去3回の調査と、あまり変わらない。

 日本の子ども全体の学力水準や傾向、弱点をつかみ、教育条件の整備に反映させることは、政府の大事な仕事だ。学校現場でどうやったら児童・生徒の学力を向上させられるか、そのための素材提供も必要である。

 だからといって、毎年、多額の予算や人手を投入し、子どもたちを一斉に試験用紙に向かわせるやり方に、どれほどの意味があるだろうか。抽出数をもっと絞り込んだ形でもよいはずだ。

 行政刷新会議の事業仕分けでも「目的や効果が不明確」として、「予算の大幅縮減」の対象と判断された。

 文科省が今後やるべきことは、狙いをはっきりさせた小規模なサンプル調査を、より多角的に組み立ててゆくことだ。

 たとえば、従来小6と中3だけを見てきたが、他学年の傾向もつかむ▽国語・算数・数学以外の教科に対象を広げ、教科間の成績の連関を調べる▽教育格差拡大の中、家庭環境と学力の関係をもっと掘り下げる――などだ。問題を公表せず、同じ設問で繰り返しテストをして、年々の学力変化をみる方法もある。

 文科省には、全員調査の形で続けてほしいという要望が、各地の教育委員会から来ているという。だが仮に地域ごとの成績を比べるとしても、数年おきの抽出調査で十分だろう。

 全国の水準を参考にしながら、一人ひとりの力を把握し、きめ細かな指導をする。地域ごとに授業改善策を編み出し、結果につながったかどうかも検証する。そうした作業は、学校現場や教委が自律的に取り組むべきことだ。文科省は物差しや処方箋(せん)を押しつけず、支援に徹すればよい。

 地域や現場の学校の権限を広げて、教える内容や結果にもきちんと責任を負ってもらうのが、鳩山政権がめざす「教育分権」の姿のはずだ。

 これまでの全国学力調査に、意味がなかったわけではない。たとえば、知識・技能を生活の中で応用する力を問うた「活用」の設問は、これからどんな学力が求められるのかを示したものだった。「大きな刺激になった」という先生たちの声を聞いた。

 3年間を検証し、文科省と教委、学校がそれぞれすべきことを考え直してほしい。そのうえで全国学力調査は思い切った方向転換をはかるべきだ。

朝日新聞 2009年11月30日

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新卒者の就職難 食い止めたい氷河期再来

 来春卒業予定の大学生や高校生らの就職内定率が大きく落ち込んでいる。昨年秋以降の金融危機による経済情勢の悪化が直撃した結果といえる。

 社会全般に雇用情勢は厳しいが、日本の将来を担う学生の就職難も深刻化しつつある。特効薬はないだろうが、社会全体で危機感を強め、一人でも多くの若者が職に就けるよう対策を急ぎたい。

 文部科学省などの調べによると、10月1日現在で大学生の内定率は62・5%だった。前年同期に比べ7・4ポイントも低下し、下落幅は調査を始めた1996年以降で最大となった。

 内定率は過去3番目に低く、2000年前後の「就職氷河期」並みの状況という。氷河期の再来を思わせ、気が重たくなる。地域によって差があり、岡山県の場合、10月末現在で43・7%と過去最低である。

 岡山県の高校生の内定率は63・5%(10月末現在)と前年同期を15・1ポイント下回るなど、短大も含め極めて厳しい現状になっている。

 原因は経済情勢の悪化に加え、昨シーズンは内定取り消しが社会問題になったため、企業が採用数を意識的に抑えているとみられる。さらに退職者の定年延長や再雇用の拡大も、状況悪化の一因とされる。

 大学や労働局などは、企業と学生の合同面接会の回数を増やすなど対策に力を入れている。粘り強く継続してもらいたい。

 政府に設置された緊急雇用対策本部は、新卒者の就職支援として専門の相談員をハローワークに配備し、求人開拓などを強化している。

 地味で手間はかかるが、さまざまな角度からの支援が求められる。中でも特に人手不足が続く介護や福祉、農業関係などの求人掘り起こしを徹底すべきではないか。

 学生に対しては単なる求人紹介にとどまらず、こうした分野への誘導措置も欠かせない。まず現場を知ってもらうことが重要だ。これまで以上に短期の職場体験実施などに取り組む必要があろう。

 就職環境は悪いが、お先真っ暗ともいえない。人材情報関係の研究機関によると、来春の大卒予定者に対する企業の求人倍率は1.62倍である。

 前年より少し低いが、「枠」はある。会社の知名度や規模へのこだわり、地元志向の強さなどがネックとなり、就職できない学生が少なくないという。広く情報を集め、自ら活路を切り開く気持ちも大切だ。

山陽新聞 2009年11月30日

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子どもの権利 条約の定着は道半ばだ

 1989年の国連総会で、人類にとって歴史的といえる条約が採択された。「子どもの権利条約」である。

 18歳未満の子どもすべてに「生きる」「育つ」「守られる」「参加する」の四つの権利を保障し、抑圧からの解放、差別の禁止など54条の約束事を定めている。

 貫かれているのは、子どもを単に保護の対象とするのではなく「権利行使の主体」ととらえる視点だ。子どもの権利に対する世界共通の基準として、193カ国が条約に加盟している。

 条約の履行努力がもたらした最大の成果といえるのが、この20年で5歳以下の子どもの死亡率が28%も減少したことである。

 その一方、採択20年となるのに合わせ、国連児童基金(ユニセフ)が発表した報告書は「なお約10億人の子どもに十分な食料・住居・水が与えられていない」と指摘している。

 子どもたちの死亡の多くは予防可能かつ治療の容易な病気が原因だ。加えて貧困、無知、差別、暴力の悪影響がある。家族や国、そして世界の未来にとっても計り知れない損失である。

 こうした現状に対する認識を国民レベルで共有し、支援の輪を広げたい。

 日本が批准した1994年当時は、条約の周知へ自治体、学校などでさまざまな啓発が行われた。県内では2004年に都道府県レベルでは全国初となる県こども条例が施行されている。

 だが、新しい概念をはぐくもうとする国民の意識は十分だったとはいえない。

 日本政府は国連子どもの権利委員会から、いじめの根絶や児童相談所職員の増員、無国籍児をなくすための法改正、婚外子差別の法改正など多くの勧告を受ける不名誉を味わっている。

 子どもの権利条約と密接にかかわる「赤ちゃんポスト」をめぐっては、多くの命が救われたことが評価される一方、匿名性への懸念が強い。障害児や幼児が預けられるなど、倫理観の劣化という課題も浮き彫りになっている。

 全国の自治体では、小中高生による住民投票や子ども議会などを通し、子どもの声を政策に反映させる試みも少しずつ広がっている。

 だが歴史的に親権が重んじられてきた国内では、子どもを「権利の主体」とみなす考えの浸透は道半ばだ。学校や家庭、地域などさまざまな場面で、条約の定着を図る努力を重ねたい。

高知新聞 2009年11月29日

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科学立国  事業仕分けで将来心配

 「科学技術はコストではなく将来への投資。一緒くたの仕分けは見識を欠く」

 ノーベル賞や数学のフィールズ賞を受賞した日本を代表する科学者たちが、行政刷新会議の事業仕分けを痛烈に批判した。科学技術予算の削減、見直しが相次いだことに、居ても立ってもおれない気持ちが伝わってくる。

 京都大iPS細胞研究センター長の山中伸弥教授は、削減対象になっている研究費がなければiPS細胞は生まれなかったといい、「若い研究者や学生から希望を奪わないように」と訴えた言葉は切実だ。

 理系の東京大工学部出身である鳩山由紀夫首相は、行政刷新会議の議長だ。「科学技術は日本の将来を決める知的財産だ。結論が出ないからと、すぐに予算を切っていいのか慎重に判断する必要がある」と述べた見識を、ぜひ生かしてもらいたい。

 無駄を洗い出すという事業仕分けの対象に、すぐには効果の見えない科学技術や文化芸術がなじむのか大いに疑問だ。

 とは言っても、科学技術に投じる研究費は間違いなく私たち国民の税金である。長期的な展望、戦略、さらに科学の理念を入れて、公開の場で使い道を議論してもらいたい。

 事業仕分けは、科学者たちにとって不愉快だったかもしれないが、一方で国民の税金を使っているという自覚を、より強く持つ機会になったとも考えられる。科学が果たす役割や目的などをわかりやすく説明してもらわないと、国民も苦しい台所事情の中で科学技術に将来を託す気になれない。

 たとえば、次世代スーパーコンピューターの開発(要求額267億円)がなぜ必要なのか。仕分け人を納得させるだけの説明力があれば、「予算計上見送りに限りなく近い削減」とはならなかったはずだ。

 科学技術関係予算の中核である「科学技術振興費」は、例外的に毎年少しずつ増額されてきたが、それでも米国や中国の伸びとは比べものにならないと言われてきた。

 ましてや鳩山政権となって、2010年度概算要求は1・37兆円と前年度比0・8%減に抑えられた。政府の総合科学技術会議の有識議員は緊急提言を出し「極めて異例の事態」と危機感を示していた。

 昨年秋に日本人4人がノーベル賞を受賞した際に、国民は科学立国日本を誇りに感じたが、益川敏英京都産業大学教授は30年以上前の研究だと語った。現状をみれば、基礎研究よりも成果が見えやすい応用研究に巨費が投じられる傾向がすでに指摘されていた。

 さらに研究の成果主義を事業仕分けが助長し、科学の発展をゆがめることにならないか。そんな心配もする。

京都新聞 2009年11月27日

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科学技術振興 研究体制改革も忘れるな

 初めから「世界一」になることが分かっていれば、誰も苦労はしない。目標を立て、未知なるものへ挑み続けるからこそ新しい発見があり、成果も上がる。

 「世界一でないと駄目なのか」。行政刷新会議の「事業仕分け」では、この一言とともに次世代スーパーコンピューター(スパコン)開発予算が事実上「凍結」となったのをはじめ、科学技術振興関連予算が相次ぎ見直し対象になった。

 開発中のスパコンは毎秒1京(1兆の1万倍)回という世界最速の計算速度を目指し、現実にはできない大規模な科学実験の模擬実験などに使う。米国では実際の核爆発を伴わない模擬実験などを通じて、保有する核兵器の信頼性や安全性を検証するためにも利用されている。

 スパコンによる模擬実験は科学振興に欠かせないことから、開発凍結判定に対し、研究者や学会などが次々と反対を表明した。波紋の広がりを受け、菅直人副総理兼国家戦略相が予算維持の考えを示すなど、政府の対応も迷走している。

 無駄を省き、効率的な予算執行を図る。この点に異存はない。大いに結構なことだ。だが、短い時間の中で費用対効果ばかりに目を奪われ、欧米に比べて貧弱な日本の研究体制の問題点など本質的な議論が乏しかったのは事実だろう。

 スパコン論議が、科学技術振興のあり方が語られないまま進む予算削減の象徴と受け止められているのだ。

 「科学技術立国」を掲げる日本だが、実情は実にお寒い状況である。

 所管省庁の縦割りによる単年度が基本の予算支給のため、複数年度での運用や、研究者の裁量による人件費、施設整備費などへの使用が極めて難しい。

 科学技術の研究は分野が多岐にわたるため、学際的なチームによる研究が不可欠だが、大学を含めた各研究機関の連携も十分とは言い難い。研究に対する事前事後の評価システムもないに等しい。

 皮膚細胞などから心臓などの臓器や組織の再生が可能な新型万能細胞(iPS細胞)を世界に先駆けて開発した京都大の山中伸弥教授の場合、その後の研究では人的にも資金的にも層の厚い欧米勢に後れを取っている、との指摘もある。

 こうした研究体制の見直しは急務である。研究者が自主的に施設整備などにも自由に使える研究者優先の支援制度として、前政権時代に創設された「先端研究助成基金」は、その一環だった。

 結果的には政権交代のあおりを受け、2009年度補正予算見直しで、予算額が大幅に縮小されたが、趣旨そのものは最大限生かされるべきであろう。

 これは一例だ。鳩山内閣には鳩山由紀夫首相や菅副総理など閣僚に理系出身者が並ぶ。日本の科学技術振興はどうあるべきか。その戦略が見えないままでは心もとない。科学技術政策全体の構築が必要であり、日進月歩の科学技術に挑む研究体制の改革も忘れてはならない。

西日本新聞 2009年11月26日

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ビジョンが不足では困る/科学技術政策

 民主党の科学技術政策への立ち位置が見えない。学会や研究者などから戸惑いとともに、そんな批判が噴き出している。

 政府の行政刷新会議による事業仕分けで、軒並み事業が廃止されたり、予算が削減されたためだ。「国民目線からの判断」として、いわば「聖域」にダイナミックに切り込んだことは一面、評価できる。

 ただ、短い時間の問答で「国民の理解が得られない」と、評価を決める。それで、内容が理解されているのかには疑問がある。

 そもそも、事業内容によっては仕分け人を超える知力や情報を持つ科学者らだ。その知見をくみ取る必要はないか。短時間で判定するのには無理がある。

 漠とした財政規律の中で生じた95兆円超の巨額な来年度予算概算要求を削るのに奮闘する仕分け作業に対し、政府の総合科学技術会議の有識者議員からは、短期的な費用対効果のみを求める議論は、長期視点から推進すべき科学技術になじまない−と、強く批判する緊急提言が出てきた。

 成果への予測を直線的に求め、説得力なしとみなせば、無駄とする。その矢継ぎ早の裁きをよそに、科学者や文部科学省と、評定する仕分け人の間には深い溝が生じ始めた。

 科学技術政策の効果は、直ちに出るとも限らない。未来への投資が成果につながる確証もない。しかし、問題は政府の科学技術政策への姿勢、明確なビジョンが不足していることだ。

 これでは困る。

 前政権からの次世代スーパーコンピューター(スパコン)開発(要求267億円)は、日本独自の技術で半導体、薬品づくりへの波及効果を目指したが、大幅削減でほぼ見送りの判定。

 遺伝子を調べ、植物の機能を産業等に活用する植物科学研究事業(12億円)、マウスなど生命科学の研究素材を提供するバイオソース事業(31億円)は3分の1に。研究費は少なく、波及効果を期待された基礎科学分野は削減とした。

 地域科学技術振興・産学官連携(268億円)は廃止。宇宙航空研究開発も廃止や削減方針となった。

 先の総選挙で国民生活重視の姿勢は評価され、国民は民主党を支持した。マニフェスト実現は大事だ。ただ、それぞれの科学技術政策の研究価値については、検証してみるべきだ。

 全国では博士課程修了者らの就職難が続く。こうした若手研究者の経済的不安を減らすための特別研究事業(170億円)も削減の判定だ。このまま推移すれば、研究者を目指す若者が減り続けるのではないか。10月には若手向けの科学研究費補助金の一部公募が廃止され、仕分けも予算縮小の方向を打ち出した。

 政府は長期視点に立ち人材を育てるべきだ。研究者の意欲を低下させることがあってはならない。

 24日には、東大や東北大など国立7大学の学長と早慶トップが政府に、公共投資の明確な目標設定などを求める共同声明を出した。

 スパコン凍結は再検討の動きも出ているが、鳩山政権は判定すべてをそのまま受け入れるべきでもない。

 冷静で適切な政治判断を求めたい。「進歩」や「夢」への戦略もほしい。

東奥日報 2009年11月25日

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科学技術政策 研究の土台修復を目指せ

 政府の行政刷新会議による「事業仕分け」で俎上(そじょう)に上げられた科学・技術分野の事業には、軒並み予算縮減や見送り、あるいは廃止という厳しい判定が下された。当然と思われる判定がある一方で、ハコモノなどの「ハード」から「ソフト・人材育成」への転換という鳩山政権の基本方針に反すると言わざるを得ない判定もある。

 1996年に始まった科学技術基本計画は人材育成に失敗した。このまま行けば、10年後には第一線の研究者がいなくなる分野が出てきそうだ。鳩山政権は事業仕分けの判定をうのみにするのではなく、それを消化した上で、人を育て、科学や技術を持続的に発展させる政策を、根本から構築する必要がある。

 同計画ではさまざまな大型プロジェクトが打ち出され、2009年度までに計56兆円がつぎ込まれた。一方、研究の拠点である大学の運営基盤への投資は、財政難を理由に毎年削減された。

 その結果、何が起きたか。若手研究者の就職難、研究者を目指す若者の減少、プロジェクトに振り回される研究者の疲弊。つまり科学や技術を生み出す肝心の土台が危機に陥ってしまったのだ。

 にもかかわらず政府は解決策を示せていない。昨年、自民党は非正規雇用の研究者、いわゆる「ポスドク」の就職支援事業や、大学院生を支援する「グローバルCOEプログラム」を無駄と切り捨てた。これを受け、ポスドク就職支援は廃止、グローバルCOEは補助金が大幅に削減された。

 大学院で経済的に苦しい生活を強いられる。それに耐えて博士号を取ったのに、なかなか就職できない。研究者を目指す若者が減るのは当然ではないか。

 さらに文部科学省は10月、若手向けの科学研究費補助金(科研費)の一部を突然、公募停止してしまった。事業仕分けの判定も予算縮小の方向を打ち出している。

 鳩山政権が人材育成を重視するのなら、こうした流れを断ち切らねばならない。若手の教育、研究、就職を支援する一貫した制度をつくり、政策全体の柱にすべきだ。

 研究のインフラとなる施設や事業をきちんと維持することも重要だ。基礎科学は波及効果が大きい半面、研究費に恵まれない。研究には放射光施設やバイオリソース(実験用生物)など共同利用できるインフラが不可欠だが、事業仕分けはその予算を大幅に減らす判定をした。

 議論の中で利用料の値上げを求める声もあったが、そうなると利用する研究者は減り、インフラの機能も研究レベルも確実に低下する。海外にはそんな失敗例がある。

 財源がないなら、前政権が残した「最先端研究開発支援プログラム」をやめればいい。約30人の研究者に計2700億円を配分する予定だったのを、鳩山政権は700億円しか減額していない。代表研究者についていくだけで巨額の研究費がもらえる仕組みに、研究者から強い批判がある。

 研究はビジネスではない。競争原理や大型プロジェクトが優れた成果を生むわけではない。鳩山政権は「ソフト・人材育成」の基本方針を堅持し研究の土台の修復を目指すべきだ。

山陰中央新報 2009年11月24日

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悩む教員たち 支え合いができる環境を

 採用1年以内に教壇から去った新人教員や、校長など管理職的立場から自ら望んで降格したベテラン教員が、調査開始以来、最多になった。文部科学省が先ごろ、こんな調査結果を公表した。

 いわゆる指導力不足教員問題の陰で注目度が低かったが、さまざまな課題に取り組む教育現場のあり方を考えるうえで見逃すわけにはいかない事態だ。

 教員は1年間の条件付き採用期間(試用期間)を経て、正式に採用が決まる。全国の公立校(小中高校、特別支援学校など)で2008年度、試用期間後に正式採用されなかった新人教員は前年度より14人増え、315人に上った。

 08年度の全採用数2万3920人の1・32%だから、わずかなようだが、10年前の37人(0・27%)からすると8・5倍も増え、割合も急増している。

 315人のうち、懲戒免職や死亡、正式不採用決定は11人だけで、残りは依願退職だ。そのうち93人は病気が理由で、大半の88人が精神疾患だった。「教員に向いていない」と早々と見切りをつけた人もいようが、指導力が未熟なまま理想と現実のギャップに悩み、つまずく悲しい姿が浮かび上がるようではないか。

 悩んでいるのは新人だけではない。校長、副校長・教頭、主幹教諭らが自主的に降格する「希望降任制度」の利用者も08年度、過去最多の179人に上っている。前年度の1・7倍に増えた。

 東京都など一部で降任制度の対象を主幹教諭にまで広げたのが増加の要因とされるが、そればかりではあるまい。

 主幹教諭は、校長ら管理職を補佐する一方、現場のリーダーとして一般教諭らとの調整役を果たす。08年度に副校長とともに正式に導入されたポストで、九州でも全県で徐々に増えている。

 学校業務を中核として担う立場だが、降任を申し出たのは、この主幹教諭と副校長・教頭が大半を占めた。希望降任の急増は、こうした中間管理職に業務が集中している実態を反映した結果だ。

 実際、学校現場は忙しい。授業だけでなく、子どもたちや家庭の姿も多様化して指導は複雑になっている。06年の文科省調査によると、公立小中高校の教員は1日平均2時間前後の残業をしており、教頭などはそれを上回っている。

 若い教員は悩みを相談したいのに、相談相手となるべき管理職的立場の教員も余裕がない。どこでもそうだとは言わないが、そんな事態が広がっているのではないか。教育現場の環境が厳しくなっている現実を軽視すべきではない。

 保護者や地域住民への対応などもあるが、学校は授業を通した教育が一番の務めである。教員が一体となって全体で支え合うことが欠かせない。そのためには何をなすべきか。民主党は政権公約で、子どもと向き合う時間を確保するための教員増を掲げた。それは当然として、学校で教員同士も話し合ってほしい。

西日本新聞 2009年11月22日

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関空補給金は凍結=住宅機構、出資金を減額−刷新会議

 政府の行政刷新会議(議長・鳩山由紀夫首相)は16日午前、2010年度予算概算要求の無駄を洗い出す「事業仕分け」4日目の作業に入った。国土交通省所管で、多額の有利子負債を抱える関西国際空港会社に対する財政支援のための補給金(160億円)を検証し「近接する伊丹空港との抜本的な役割分担の解決策が出るまでは凍結」として、予算計上の見送りを決めた。

 この日の議論では、「甘い需要予測の結果で多大な借金が生まれた。税金を投入するのは不合理」などの意見が出た。凍結の判定に国交省の担当者は、「政務三役に相談する」と述べた。

 また、独立行政法人住宅金融支援機構が民間金融機関による住宅ローンの安定供給を下支えするために行っている証券化支援業務は、出資金(819億円)を減額する方式への変更を決定した。

 老朽化した空港や航空保安施設の更新などを行う「空港整備事業」(425億6500万円)については、緊急性や必要性が高い事業に限定して、予算額を10%程度縮減すべきだとの結論を出した。13空港を対象に航空機の騒音対策を行う空港周辺環境整備事業(67億4500万円)も、10〜20%縮減を求めた。

 このほか、文部科学省所管の教員免許関連予算(7億1200万円)では、教員免許更新制の廃止に伴う新制度などの調査検討費は半額程度、新制度移行までの関連費用は3分の1から半額程度に削減するよう指摘。その上で、免許更新制はできるだけ早期にやめるべきだとの判断を示した。厚生労働省所管の高年齢者職業相談室運営費(3億3400万円)は「ハローワークとの二重行政の典型だ」として廃止と判断した。 

時事通信 2009年11月16日

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教育政策、日教組の影?自民の批判に政府反論 学力テスト縮小 教員免許制見直し

 鳩山政権発足後、教育行政が様変わりを始めている。文部科学省は高校授業料実質無償化や全国学力テストの縮小、教員免許更新制の見直しなど、政権交代を反映した新たな政策に相次いで着手しているが、背景には、民主党支持団体の日本教職員組合(日教組)の影響があるとの見方も強い。

 「ぜひ、長く大臣の職を続けていただきたい」。10月中旬、川端文科相を訪ねた日教組の中村譲委員長はこう切り出し、関係の良好さを印象づけた。

 全国学力テストの縮小は変化の代表例だ。テストは、小学6年と中学3年全員が対象だったものを、来年度から全国の小中から40%の学級を抽出する方式に替える。日教組は政策提言で、全国一斉の学力テストを「序列化・競争をあおる」などと批判していた。学力テストは来年度予算の概算要求の事業仕分け対象にもなり、57億円の予算は36億円に縮減。今後さらに縮小される可能性があるという。

 自公政権が導入した教員免許更新制についても、日教組は「教育現場から不安や不信の声が多く出ている」と反対してきた。

 民主党は衆院選の政権公約(マニフェスト)に教員免許制度の抜本見直しを掲げた。日教組出身の輿石東・民主党参院議員会長は9月、「法律をできるだけ早く変えなければいけない」とし、来年の通常国会で法改正を検討する意向を記者会見で表明した。政府は現在、学校経営や生活・進路指導などの「専門免許制」の導入を検討している。

 自民党は批判を強めている。5日の衆院予算委員会では、同党の下村博文氏が「民主党のマニフェストと日教組の提言は一致し、日教組の政策が色濃い」と指摘した。自民党内からは「参院選を前に、日教組の影響力は一段と強まるだろう」との懸念も出ている。

 政府はこうした指摘に敏感だ。川端文科相は6日の記者会見で、「子供たちにどういう教育ができるか、しか物差しはない。『日教組から言われたからする』ということは一切ない」と反論した。鳩山首相も5日の衆院予算委で「民主党と日教組の政策が近いことは事実」と認める一方、「民主党の『日本国教育基本法案』は日教組から批判された」と説明し、一線を引いていることを強調した。

 ただ、「政府は、日教組や輿石氏の主張には今後も配慮するだろう」(日教組出身議員)との見方は、民主党内でも強い。

 全国学力テスト 2007年に始まり、小学6年と中学3年全員の計200万人以上が毎年受ける。川端文部科学相は来年度から、全国の小中学校から40%の学級を抽出し抽出から漏れた場合は市区町村などが希望すれば参加できる方式とすることを決めた。

 教員免許更新制 安倍首相(当時)が掲げた「教育再生」の具体策。2009年度に正式導入された。国公私立の幼稚園から高校までのすべての教員免許を、原則として10年ごとの更新制とし、更新時には計30時間の講習を義務づける。

讀賣新聞 2009年11月8日

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教員免許更新制、予算委で議論

 衆院予算委員会で5日、政権交代して初めて教育関連の質疑があった。下野した自民党から質問に立ったのは元官房副長官の下村博文氏で、新政権で動いている教育施策をただした。

     ◇

 ――日教組は教職員組合とは思えない政策要求を出し、民主党の政策は連動している。

 鳩山由紀夫首相「民主党と日教組の政策に近いことがあることは事実。しかし、日教組に依存して政策まで任せているわけではない。教育における政治的中立性は必要だ」

 ――教員免許更新制は、最初は「不適格教員」の排除のために検討された。新政権が始まってすぐ廃止という拙速な議論は教育現場が混乱する。

 川端達夫文科相「導入時にそういう議論があったが、不適格教員を排除するのが目的ではないと整理された。不適格教員が教壇に立つことのないように研修や対策を取っている」

 ――全国学力調査を(全員対象の)悉皆(しっかい)調査から抽出にするというが、民主党のマニフェストには書いていない。

 文科相「マニフェストに具体的な記述がないのは事実。ただ、税金の使い方を効率良くする観点で見直すとある」

 ――日教組は抽出調査にするように圧力をかけている。

 文科相「そういう事実関係は承知していない」

 ――国旗国歌への考えは。

 首相「国民にとって大変大事なものだ。国を愛する気持ちは上から目線で押しつけるのではなくて、一人ひとりの心の中に自然と育まれるように」

 ――入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱は、自由はあり得ない。

 文科相「学習指導要領で、国旗と国歌の意義をしっかり教え、同時に諸外国の国歌国旗も大事にするようにとしている。この方針は94年に村山内閣の政府統一見解で確認された。文科省としては従来通りだ」

朝日新聞 2009年11月8日

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国旗・国歌 新政権も「尊重」は当然だ

 鳩山由紀夫首相は国会質疑で国旗・国歌について「国民にとって大変大事なものだ」と述べ、学校での指導を従来通り進める考えを示した。当然の見解である。

 民主党政権では支持母体の日本教職員組合(日教組)寄りの教育政策が目立っている。これに対し、衆院予算委員会で自民党の下村博文氏が政治的中立性をただしたものだ。

 鳩山首相は、愛国心や公共心育成などが盛り込まれた改正教育基本法について「尊重するのは当然のことだ」とし、学校での国旗掲揚、国歌斉唱について「必要なときに指導していく」と述べた。

 また川端達夫文部科学相も「国旗・国歌の意義をしっかり教え、音楽では歌えるよう指導する」と明言した。答弁通り適切に行ってもらいたい。

 学校現場では国旗・国歌の指導を「強制」などとして反発する政治的な動きが依然としてある。

 天皇陛下ご即位20年の記念式典が行われる今月12日には官公庁などのほか、学校で国旗掲揚する閣議決定がされている。

 卒業式・入学式を含め、こうした限られた機会でさえ反対する動きがある。民主党政権となり、一部組合員などが反対を強めることが予想されるが、国旗・国歌に敬意を払うことは決して押しつけなどでなく、国際的な常識だ。

 道徳教育で文科省は小中学生の副教材「心のノート」の全員配布をやめる方針だ。新しい学習指導要領は改正教育基本法を踏まえ、道徳教育充実が盛り込まれた。これに逆行するような施策は首相答弁に反するのではないか。

 民主党は改正教育基本法の対案の「日本国教育基本法案」で、愛国心や宗教的情操教育について現行法より率直な言葉で踏み込んでいた。そうした公徳心を養う教育こそ実践してもらいたい。

 今年の夏には、民主党が鹿児島県霧島市の集会で2枚の国旗を切り張りして作った民主党の旗を掲げて問題になった。当時、民主党代表だった鳩山首相は「それは国旗でなく、われわれの神聖なマークなのできちんと作られなければいけない」と述べた。こうした国旗より党旗を重視するかのような考え方も改めてほしい。

 民主党は国旗国歌法(平成11年)に反対した議員も多く、これまでの党大会で国旗が掲げられなかったが、これからは与党として堂々と国旗を掲げるべきだ。

産経新聞 2009年11月8日

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体力テスト 全員参加を再考しては

 文部科学省は小学5年と中学2年を対象にした「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」(全国体力テスト)を、来年度も全員参加方式で実施する方針を示している。

 全国学力テストの「体力版」ともいえるテストで、昨年度から導入された。

 学力テストも体力テストも、その背景には全員を参加させ、能力を競わせ、数値向上を図るという教育手法が見て取れる。

 文科省は、全員参加方式の意義が問われていた学力テストについては、来年度から抽出方式に切り替えるという。

 学力テストを見直して、体力テストは継続するというのは、整合性に欠けるのではないだろうか。

 体力調査としては、すでに1964年度から毎年続いている抽出方式の「体力・運動能力調査」がある。6歳から79歳までの幅広い世代の体力の推移を調査しており、目的や内容は体力テストと重複している。

 文科省は来年度予算の概算要求で全員参加方式を維持するための関連経費として約2億8千万円を計上した。厳しい財政事情の中で、それだけの事業費を投じる価値があるのか疑問が残る。

 体力テストは、握力、上体起こし、50メートル走、立ち幅跳びなど8種目について測定する。併せて子供たちの生活・運動習慣、各学校の体育行事の実施状況なども調査する。

 実施2回目の本年度は、全国約2万8千校、200万人が参加した。

 学力テストと同様に、文科省は都道府県別の結果を公表するが、市町村別成績などを公表することは認めていない。

 過度の競争を避けるためという理由は、学力テストと同じだ。

 学力テストは、競争を促すためや情報公開の観点から結果公表を求める一部の知事と教育委員会が対立するなど、ごたごたが絶えなかった。

 体力テストでも、大阪府が市町村教委に結果公表を求めるなど、成績開示について混乱が起きていた。

 競争が学習や体力向上のきっかけになる面は否定できないが、子供の能力をデータ化し、全国平均と比較して、一喜一憂することにどれだけの意味があるだろう。

 それぞれの地域、学校にあった方法を工夫し、子供たちの個性を見つめながら、丁寧に指導することこそが大切ではないか。

 肝心なのは学習や運動の楽しさ、喜び、達成感を子供たち一人一人に身に付けさせることだ。

 地域のスポーツ指導員養成や体力づくりのきめ細かな情報提供など、やるべきことはたくさんある。

北海道新聞 2009年11月8日

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母子加算復活 貧困解消の足掛かりに

 今年3月末に全面廃止された生活保護の母子加算が来月から復活する。

 廃止後、修学旅行や進学を断念する子供が増えたとして、復活を望む声が出ていた。政府が復活を決めたことを評価したい。

 母子加算は生活保護世帯のうち、18歳以下の子供がいる一人親世帯を対象に上乗せ支給されていた。支給額は地域により異なるが、札幌などの都市部では子供1人の場合で月額2万3260円だった。

 廃止は自公政権による社会保障費抑制策の一環で、2005年度から段階的に削減された。

 廃止の根拠となったのは、母子加算を行うと、生活保護を受けていない母子世帯より消費支出が多くなる、との厚生労働省の調査だ。

 だがサンプル数が少なく、実態を反映していないとの指摘があった。廃止の妥当性も疑問視されていた。

 厚労省がまとめた2007年の子供の貧困率は14・2%で、7人に1人が貧困状態にいることになる。また、経済協力開発機構(OECD)の08年の報告書では、日本の一人親世帯の子供の貧困率は59%だった。

 貧困を親から子供に連鎖させないためには、母子加算の復活は必要な措置だったと言えよう。

 問題は、財源として確保できたのは本年度の残り4カ月分の約60億円に限られることだ。年間の費用は180億円になるが、来年度予算の概算要求では、必要額を見積もらない「事項要求」になった。

 本年度分にしても当初、財務省が復活の条件として、生活保護世帯への高校生等就学費や小学生から高校生までの学習支援費の廃止を要求し、厚労省との間で調整が難航した経緯がある。

 これらは母子加算と関係なく支給されており、対象も母子世帯に限らない。最低限度の生活を維持する意味からも、加算復活の代わりに、廃止するのは筋違いだろう。

 政府が人に優しい政治を目指すなら、来年度以降も支給額を減らさないようにしてもらいたい。

 もちろん、母子加算の復活だけでは貧困をなくすことはできない。

 支給対象者の中には、働く意欲も体力もあるのに、不景気で働き先が見つからない人もいる。きめ細かな職業訓練など就労支援を充実させなければならない。

 生活保護世帯に限らず、母子世帯の生活水準を引き上げることも大事だ。母子世帯の母親は非正規で働く人が多く、一般的に収入は低い。

 最低賃金の引き上げ、同一労働同一賃金の政策推進、保育所の整備など働きやすい環境づくりなど、政府が進めるべき施策は多い。

北海道新聞 2009年11月7日

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希望降任 要が機能する学校に

 中間管理職≠フ深いため息が聞こえてくるようだ。

 全国の公立小中高校で、校長、教頭、主幹教諭らが自主的に降格する「希望降任制度」の利用者が調査開始以来、最多の数字を記録した。

 文部科学省の調査によると、2008年度に降任を申し出たのは、教頭や主幹教諭ら179人で、前年度比で約1・7倍も増加した。

 東京などで降任制度の対象を主幹教諭にまで広げたことなどが増加の要因として指摘されている。

 主幹教諭は07年に学校教育法に規定されたポストで、副教頭的な立場から教育活動に当たる。本県ではまだ一部の学校にしか配置されていないが、全国的にその数は年々、増えている。

 実際、降任を希望したのはこの主幹教諭と教頭らで大半を占めた。自ら望んで降格する背景には、こうした中間管理職的な立場の教員にさまざまな業務が集中しがちな現場の現状がある。

 文科省の全国調査(06年)によると、教頭の勤務日の労働時間は約12時間と校長や一般教員より長い。会議や報告書の作成などのほか、教育委員会や保護者などの対応に追われ、孤立化する教頭もいる。

 文科省は「負担が集中しない体制づくりを求めたい」としているが、国としてなすべきことも当然ある。

 民主党はマニフェスト(政権公約)で「教員を増員し、教育に集中できる環境をつくる」とし、来年度予算の概算要求に公立小中学校の教職員定数の5500人増を盛り込んだが、どれだけの増加が実現するかは未知数だ。

 日本の教員は、欧米諸国と比べ、授業以外の仕事が多いとされる。それが教頭らの負担を重くしているとするならば、教員増は少しずつでも実現していくべきだろう。

 現場では、校長の目配りが何より大切だ。逆に校長が校長としての役割を果たさず、教頭らのストレスを増幅させるケースも少なくない。教育委員会も報告書の作成などで、現場の業務のスリム化に協力していく必要がある。

 教頭や主幹教諭は学校の要のポストだ。その要が自ら降格を希望するような教育現場は、その機能が十分に発揮されているとは言い難い。そのマイナスは子どもたちにも当然、影響する。

 希望降格だからと軽視することなく、そこに至った経緯を丁寧に検証し環境を改善していくことが必要だ。

高知新聞 2009年11月6日

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教員の質向上策 研修効果を検証し改善進めよ

 教育の質を高めるには教員の指導力向上が不可欠だ。昨年度から始まった指導改善研修などの効果を検証し、充実していかねばならない。

 文部科学省によると、都道府県と政令市の教育委員会が昨年度、「指導力不足」と認定した公立小中高校などの教員は306人で、4年連続で減少した。

 公立校教員約90万人のごく一部だが、不祥事で懲戒処分を受ける教員の存在と相まって、教員不信を高める要因になっている。

 指導力不足の教員については、これまで各教委が独自の基準で判定し、研修を行っていた。昨年度からは法律で教委に指導改善研修の実施が義務づけられ、文科省が基準の具体例を示した。

 指導力不足と認定されるのは、学習指導や生徒指導、学級運営を適切にできない教員だ。指導改善研修では模擬授業などを行い、最長2年間で改善しないと、教委が免職や転任などの措置を取る。

 教員免許更新制の目的が、不適格教員の排除から最新の知識・技能を教員に身につけさせることに変わったため、この研修が導入された。それだけに指導力不足の認定は厳格でなければならない。

 指導力不足とまでは言えないが課題のある教員に、研修を行っている教委は4割未満だ。未実施の教委は積極的に導入すべきだ。

 新任教員約2万4000人中、1年間の条件付き採用期間を経て正式採用されなかったのは、5年前の3倍近い過去最多の315人に上った。3割近くはうつ病など心の病による依願退職である。

 一部の教委では、新任教員が赴任した学校の校長を集めて情報交換の場を設けたり、初任者研修に「心の健康」に関する内容を盛り込んだりしている。こうした取り組みを広げる必要があろう。

 新政権は、教員の質向上のため教員養成課程を4年間から6年間に延ばす方針だ。教育実習期間などを長くするためという。

 だが、6年制の課程と専任の教授陣を用意できる大学は、どれほどあるのか。学生の学費負担も増す。志願者が減り、採用試験の倍率も下がって、意欲のある優秀な人材が敬遠しては本末転倒だ。

 本当に質の向上につながるのかその功罪を見極めるべきだ。

 来春には、昨年度から開設されている教職大学院を経て教員になる新卒者が出る。最長2年とされた指導改善研修の期限も来る。授業や研修の効果を点検し、その結果を教員養成課程や採用試験の改善に生かしてもらいたい。

讀賣新聞 2009年11月5日

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指導力不足教員 もっと実態に踏み込め

 統計数字は必ずしも実情をそのまま映し出さない。文部科学省が全国集計した08年度の「指導力不足教員」認定状況もそうかもしれない。

 認定された公立学校教員は306人で前年度より65人減り、ピーク時の04年度から260人減った。文科省の言う「取り組みの成果」もあるとしても、80万人以上いる教員の中で状況が抜本的に改善されているのか、現場に根ざした検証が必要だ。

 「学習計画が立てられない」「子供とコミュニケーションが取れない」「間違いが多い」など「指導力不足」が見られる教員は通例校長が教育委員会に報告し、認定は専門家や保護者らの判定委員会の意見を踏まえて教委が行う。原則1年以内の研修を受け、職場復帰や他職種への転任、依願退職などに分かれる。

 そこに至らなくとも「指導力に課題あり」と判断された教員は校内研修や授業支援などを受けたりする。その人数などは分かっていない。指導力不足の認定可否を受ける前にこれを受け、改まらない教員につき判定へという手順が多いという。

 一方、管理的職責が大きくなる校長、副校長、主幹教諭などから自ら望んで降りる「希望降任」は年々増え、今回179人。増加は制度導入の教委が増えてきたことも反映しているが、この数字を過小評価すべきではない。現実とのギャップなどから正式採用前に辞める新人がいる問題と同様に、職務の過重さからこうした傾向は強まる可能性がある。

 文科省の教員勤務実態調査によると、1日の残業は約2時間で、教科指導だけでなく雑多な校内業務に追われる。また、いわゆる「モンスターペアレント」と呼ばれる保護者らへの対応など、心身の負担は増えている。中央教育審議会の論議でも「諸外国では多くの専門的・補助的スタッフが配置されているが、日本では教員が授業以外に広範な業務を担っている」問題が指摘された。

 例えば、米国では進路指導や生徒指導なども教員以外のスタッフが一部担っており、すべてを背負うような日本の場合と異なる。

 また希望降任は、家族の介護など私生活上の必要や事情を理由にしたものもある。私生活を大切に維持し、かつ降任したりせずに働ける余地はないか。教育現場こそ、多様な生活体験や事情を生かして教えることができる人材が必要なはずだ。

 互いに「先生」と呼び合う学校社会は、かつて長く互いが口出しをしないような風土があった。改まりつつあるが、今指導力不足や過重な職務、新人の孤立に支援態勢を充実させるには、開放的で率直な意見交換と協力が欠かせない。そこまで結実させてこそ調査の意義はある。

毎日新聞 2009年11月5日

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県立高再編と無償化 向学心はぐくむ施策を

 県教委は、向こう10年程度を展望した県立高再編の指針づくりを進めている。第2次県立高校長期構想検討委の答申を得つつ、年内に立案し、県民から意見を募った上で年度内に成案とする方針だ。

 来年度からは個別の学校の再編整備計画が策定される。検討委は、望ましい学校規模として「学級定員40人、1学年4〜6学級」との方向性を示す。統廃合を含む再編は避けられず、各論に至っては、さまざまな立場から反発も予想されよう。再編に、明確な理念が求められるのは言うまでもない。

 特に今回、背景として見逃せないのは自民から民主へ、歴史的な政権交代によって、高校教育の「無償化」が具体化しつつあることだ。

 高校進学率は、全国で既に100%に近く、本県も例外ではない。高校入試に関し、旧文部省は1963年、その完全実施と同時に「適格者主義」を明確化した。民主党の「無償化」方針は、「高校全入」主義への転換を、制度面から追認する意味合いがあるだろう。その結果、高校教育の位置づけが変質していくことは、想像に難くない。

 高校無償化は、先の総選挙で民主党と国民新、社民両党の共通政策とされ、連立政権に引き継がれた。国公立高の生徒1人当たり年間授業料の平均約12万円を目安に、国が相当額を間接給付。私立高についても、低所得世帯は無償化する方向だ。

 事業費は約4500億円。その財源や具体的な支給方法など細部を詰め、来年の通常国会に提案、4月からの実施を目指す。

 無償化は、子育てや家庭と仕事の両立支援の一環として立案された。景気や雇用の悪化で、授業料の滞納や中退者が増えている現状から、教育というより、むしろ経済対策としての印象が強い。

 しかし生活困窮家庭の教育に対する支援制度は、授業料の猶予や減免、奨学金など現在でも種々用意されており、それらの拡充で補うことも可能だ。なぜ無償化なのか。その意義を、純粋に教育的観点から吟味する姿勢が不足しているのではないか。

 少子化の進展で、学校規模の適正化を図る必要は否めない。その過程で統廃合が行われ、地域から高校がなくなる場合もあるだろう。一方で、無償化が実現されれば、権利として、どこにいても自宅から高校に通えるような環境を整える必要も生じよう。それが高校教育の充実に、どう結びつくかは未知数だ。

 生徒数の減少から、存廃が取りざたされる沿岸部の高校に片道1時間以上かけて通ったという60代のOBは「大事なのは、勉強したいという気持ち」と言う。「大切なのは学校の場所ではない。勉強したいと思えば、どうやっても通うものだ」

 高校再編の意義は、少子化対策でも効率化でもない。いかに教育環境を整え、子どもらの向学心をはぐくむか。今後の議論では、そうした原則を忘れたくない。

遠藤泉

岩手日報 2009年11月5日

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貧困率 対症療法にとどまらずに

 厚生労働省が、わが国の「相対的貧困率」を初めて発表した。

 相対的貧困率とは、全人口の可処分所得の中央値(2007年は1人当たり年間228万円)の半分未満しか所得がない人の割合で、07年調査では15・7%だった。7人に1人以上が中央値の半分にも満たない所得だったことになる。

 生存に必要な最低限の生活水準を維持するための所得が確保できない「絶対的貧困」とは違う。相対的貧困率は、所得などの偏りの大きさを示す「ジニ係数」とともに経済格差を示す指標といえる。

 ただ、相対的貧困率は目新しいデータではない。先進国クラブともいわれた経済協力開発機構(OECD)が日米欧など加盟30カ国の統計を出している。

 2000年代半ばの日本は14・9%でアイルランドや韓国と同水準、加盟国平均の10・6%を上回り、最も高いメキシコ、トルコ、米国に次ぐ高率だった。

 所得の二極化、貧富の格差は広がっている。相対的貧困率で見るまでもなく、多くの国民の実感だろう。実は内閣府の本年度の「経済財政白書」も多くのページを割いて格差について分析している。

 一つは正規労働者と、パート・アルバイトや派遣など非正規労働者の収入格差である。男性の場合、生涯所得で正規・非正規は約2・5倍の格差が生じる。

 中小企業と大手の違いもある。02年からの景気拡大局面では、大手の社員は収入増となっても中小企業まで及ばず、格差が広がったことが白書でうかがえる。

 景気が悪くなれば格差は拡大する。さらに、人口の高齢化も格差を広げる。

 高齢者は千差万別だ。まだ働いている人、資産もあって悠々自適の人から、蓄えも年金も少なく倹約生活の人、不本意ながら生活保護という人もあろう。

 自民、公明両党の連立政権では、高齢化という社会構造の変化を格差問題の主因ととらえていた印象がある。

 これに対し、鳩山政権は行き過ぎた競争、市場原理主義が強まったことに主因を求めている。そこで政府が格差是正に積極的役割を果たそうとしている。

 厚労省による相対的貧困率の発表は、そうした政策転換の象徴である。

 子ども手当の支給、それに先だって12月からの生活保護の母子加算復活が決まった。対象は約10万世帯で本年度予算の予備費から58億円が支出される。
 しかし、これは対症療法でしかない。

 格差是正とは大ざっぱにいえば、高いところを削り低いところを埋めて平準化する作業ともいえる。そこで大きな役割を果たすのが、税制や社会保障制度による所得の再分配機能である。

 例えば高額所得者に対する税率引き上げ、相続課税の強化などが考えられる。最低賃金の大幅引き上げなどと同じで一筋縄ではいかない。だが、利害が対立する部分にまで踏み込まなければ、あるべき社会も絵に描いたもちになる。

西日本新聞 2009年11月4日

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憲法公布63年 改正論をなぜ封印するか

 憲法公布から63年を迎えた。北朝鮮の核・ミサイルや中国の軍事力増強が日本の安全を脅かしているにもかかわらず、国のありようを定める憲法論議は封印されている。

 今国会でも衆参両院の憲法審査会は始動していない。一昨年8月、国会法に基づいて設置された常設機関の活動をこれまで阻止してきたのは民主党などだ。鳩山政権発足時の連立合意では平和主義などの原則を確認する程度にとどまり、審査会への具体的対応は明記されなかった。

 政権協議で審査会の凍結を迫っていた社民党の福島瑞穂党首は、「社民党が政権にいる限り、憲法審査会は動かさない」との立場を改めて打ち出した。

 来年5月18日には国民投票法が施行され、憲法改正原案の発議が可能となる。国会は法の手続きに即して日本の国家像を明確にする責務を担っている。それを阻止しようという社民党の立場に民主党が同調するなら、きわめて遺憾である。

 民主、自民両党は発議に向けた憲法論議を開始する大きな責任がある。

 民主党が直視すべきは、終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)に押しつけられた形の憲法の規定で果たして現在の日本が抱える多くの難題を解決できるのかという疑問である。

 「政権交代を実現させ、憲法の議論も可能になるような安定政局を作り出さなければ」。鳩山由紀夫首相が民主党幹事長だった今年3月、メールマガジンで述べた言葉だ。著書「新憲法試案」では、「自衛軍の保持」や統治機構の再編成に意欲を示している。だが、就任後、憲法に取り組む気配を見せていない。2日の衆院予算委員会でも、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈を変えないと明言した。国のかたちよりも連立を重視する姿勢が、社民党に公然と改憲阻止を唱えさせている。

 自民党は、昭和30年に改憲を掲げて保守合同を実現した立党の精神をなぜ追求しないのか。谷垣禎一総裁が、憲法改正や集団的自衛権行使を容認するための憲法解釈変更に慎重な立場をとってきたことも一因だろう。

 だが、自民党に求められているのは、この国をどうするかという基本設計であり、保守政党としての覚悟と構想力である。それをいかにして示すかが、党再生の道といえる。

産経新聞 2009年11月3日

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貧困率15%/この実態は放置できない

 生活に苦しむ人が国民の中にどれぐらいいるのか。その割合を示す「相対的貧困率」を厚生労働省が初めて公表した。2007年時点で15・7%。7人に1人以上が貧困状態ということになる。格差問題が深刻になっている実情を裏付ける数字である。

 政府はこれまで、貧困率を出していなかった。しかし、低所得者層の生活実態が把握できていなければ、対策を講じても効果を客観的に検証できない。

 そこで長妻昭厚労相が、経済協力開発機構(OECD)が貧困調査などに採用している方式での算出を指示した。

 相対的貧困率は、全人口の可処分所得の中央値を基準に、その半分未満しか所得がない人の割合を示す。国民生活基礎調査を基に1998年以降3年ごとに算出したところ、14〜15%台で推移していた。

 OECDの08年報告では、加盟30カ国の平均値は10・6%。日本はそれを大きく上回り、メキシコ、トルコ、米国に次いで4番目に高い。福祉国家といわれるデンマークやスウェーデンは5%台だ。

 日本の07年の所得中央値は年228万円だった。つまり15・7%の人が年114万円未満の所得しかなく、しかもその割合は調査した98年以降で最悪だ。非正規労働の広がりなどが背景にあるとみられるが、昨年来の不況を考えると、さらに状況は悪化しているだろう。この実態を見据えた上で、対策を急ぎたい。

 政府は先日、10万人の雇用創出などを盛り込んだ「緊急雇用対策」をまとめた。職探しや生活支援の窓口一本化、介護や情報処理などの職業訓練の拡充などを柱に、5%を超えた失業率を改善するという。

 加えて、貧困率の目標も設定し、不安定雇用や賃金格差の解消に努めてほしい。

 厚労省は同時に、17歳以下を対象にした「子どもの貧困率」も算出している。07年は14・2%で、親の所得の低さや乏しい公的支援などが積み重なった結果とみていい。鳩山政権が事態の改善に取り組もうとしているが、確かに放置できない課題だ。

 生活保護の母子加算は12月からの復活が決まった。長妻厚労相は「子ども手当などの政策を実行し、数値を改善していきたい」と述べ、手当が導入された場合、貧困率の推移も公表していくという。

 貧困の解消には、手当だけでなく、雇用や福祉など総合的な対策が欠かせない。貧困率の公表を機に、日本社会の現状にしっかり向き合わねばならない。

神戸新聞 2009年11月2日

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教員免許制度 望ましい先生を語ろう

 文部科学省は教員免許制度の見直しに着手する。

 10年ごとに講習と認定試験を課している教員免許更新制を来年度限りで廃止する。その上で、教員養成課程を現行の4年間から6年間に延長するという。

 免許更新制は今春に本格導入されたばかりだが、教育現場からは目的と効果への批判が出ていた。問題を先延ばしにせず、早期に見直す姿勢を評価したい。

 しかし、教員養成課程を大学院修士課程修了までの6年間に延長することについては、その意義が十分に説明されているとはいえない。

 まずは、いまの教育課題を克服していくために、どんな教員が求められているのかを確認し合うことが先ではないか。

 必要な資質は何かを見極め、それを踏まえて人材を養成する仕組みを検討するのが筋だろう。

 前政権が導入した免許更新制は、そもそもは指導力不足など不適格教員を教育現場から排除することを目的にしていた。

 ところが、公務員の中で教育公務員だけ定期的に適格性をチェックすることへの問題点などが指摘され、文科省は制度の目的を「最新の知識や技能の習得」に変更した。

 趣旨があいまいなまま拙速に導入された制度だ。廃止は妥当な判断といえる。

 一方、教員養成課程を6年制にする方針は、民主党がマニフェスト(政権公約)で示していたものだ。

 併せて、現行では2〜4週間程度の教育実習期間を1年間に拡充するという。

 短期間の教育実習では、その学生が教員に向いているかどうかを判断するには短すぎるとの見方もある。

 しかし、受け入れる学校側が、現在の体制で長期にわたる研修を十分にサポートできるだろうか。

 学生にとっても大学と大学院に6年間通うには、学費の負担などが重くのしかかる。受け皿となる大学院の増設も必要だ。

 教育の現場は、いじめや不登校、学習放棄、保護者の教員不信など難しい問題を数多く抱えている。

 情熱を持って困難な課題に挑む。創意工夫にあふれた授業で学ぶ喜びを伝えられる−。

 そんな先生が、すべての学校、教室にいてほしい。子供たちを学校に通わせる親の共通の願いだろう。

 保護者や地域住民も巻き込んで、学校を元気にする人間的な魅力を持った人材も育てたい。社会人経験者をもっと登用し、多様な価値観を学校に取り入れることも必要だろう。

 これを機会に、望ましい教員像についての論議を深めたい。

北海道新聞 2009年11月1日

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「18歳成人」答申 慎重な議論欠かせない

 成人年齢を20歳から18歳に引き下げるのが適当だ-。法制審議会(法相の諮問機関)がこんな民法改正の意見をまとめ、千葉景子法相に答申した。

 悩ましい問題である。若者に自立を促し、大人としての自覚を高める。引き下げの狙いをそう受け取れば、一定程度理解が得られるかもしれない。

 その半面、大丈夫だろうかと思う人も多そうだ。一人前になるのがますます遅れているように見える昨今だからである。成人式で暴れる若者が依然後を絶たない点に限れば、幼児化が進んでいるとさえいえる。

 興味深いデータがある。内閣府が昨秋発表した世論調査によると、親権が及ぶ年齢を20歳未満から18歳未満に引き下げることに約7割が反対。「18歳成人」への根強い抵抗感を浮き彫りにしているのである。

 答申も引き下げ時期については、国民の意識を踏まえる重要性に言及し、国会の判断に委ねるのが相当としている。やはりここは慎重に国民的な議論を積み重ね、機が熟するのを待つのが妥当ではないか。

 法制審での検討が始まった経緯にも留意しておかなければならない。憲法の改正手続きを定めた国民投票法(2007年5月成立)で、投票権者を原則18歳以上と規定したことが契機となっているのである。

 同法の国会審議自体が生煮えだったばかりか、成人年齢引き下げの必要性や世論の高まりがほとんどないまま、法制審へ諮問されたとみていいのだ。

 引き下げによって生じかねない問題への目配りも欠かせない。18歳で親の同意なしに結婚できるほか、ローンやクレジットの契約も可能になる。

 極端な例ではあるが、未熟なまま結婚し、ローン地獄に苦しみながら、子供の虐待に走る、といったケースが出てこないとも限らない。

 論議や検討に相応の時間をかける必要があるのは、民法の成人年齢変更が競馬法や未成年者飲酒禁止法、少年法など「成年・未成年」「20歳」といった規定のある約300法令に影響するからでもある。

 仮に民法で「18歳成人」とした場合、20歳未満を少年とし、更生に重きを置く少年法をどうするのか。18、19歳を同法の対象から外すと、少年の立ち直りに支障が生じないか。少なくとも単純に連動させ、18歳に下げれば済む話ではない。

 公選法の選挙権年齢をどうするかも重要課題だ。20歳から18歳への引き下げにはまさに賛否両論あるのが現状だ。

 ただ、未来永劫(えいごう)このままでいいと考える人はむしろ少ないのではないか。「20歳成人」の民法が制定されたのは110年以上も前の1896(明治29)年だ。世界的には「18歳成人」が大きな流れとなっている。

 「大人の在り方」をじっくり見極めた上で、世論も納得できる結論を見いだすべきだ。

秋田魁新報 2009年11月1日

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