教科書県民集会 検定経緯の再検証求む
教科書検定意見の撤回を訴える「9・29県民大会決議を実現させる県民集会」が那覇市県民広場で開催された。政権交代により政府が方針を変える下地ができた、という期待感がある。新政権は次世代に真実を伝えたい、との声を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
これほど県民運動を背景に国政と対峙(たいじ)してきた地域がほかにあるだろうか。米軍統治下の自治権拡大闘争、いまなお続く基地問題に加え、教科書検定問題が出現した。沖縄は全国へメッセージを発信せざるを得ない。
今回の大会は2007年の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」から2年の節目に開催された。
夕暮れの中、会場は老若男女の参加者で熱気に包まれた。ライトに照らされた顔は特設ステージを見つめた。
団体代表らが「沖縄の思いはまだ無視されている」「政権交代を機に訴えよう」と気勢を上げると会場は「よーし」の声と拍手で応じた。
07年、文部科学省は教科書検定で、高校歴史教科書の沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」に関し、日本軍による「強制」の表現を削除させた。超党派の大規模な県民大会が開かれ、沖縄の訴えを無視できなくなった政府は軍の「関与」を認め、「複合的な要因」も記述するよう教科書会社に指示した。
県民大会の要求はあくまでも検定意見を撤回し、「強制」の記述を復活させることだ。現行の検定では次世代に伝えるべき沖縄戦の実相が「ゆがめられる」という危機感があるためだ。
沖縄戦をめぐっては、1982年に文部省(当時)が日本軍による「住民虐殺」の記述を削除させ、問題化したことがある。県議会をはじめとする抗議の広がりで、その記述を復活させている。
「集団自決」については家永教科書裁判で最高裁が「日本軍の誘導」があったと認定、以来「軍の命令」の記述は教科書に定着してきた。
今回の検定意見は唐突だった。当時、大阪地裁での「集団自決訴訟」で、慶良間諸島の元日本軍戦隊長らが命令は出していない、と否定したことを文科省は理由のひとつに挙げた。しかし一、二審とも原告敗訴で、隊長の証言は信ぴょう性に疑問がある、と判断された。上告している。
なぜ文科省は従来見解を覆したのか、いまも謎に包まれている。
政府の勇み足だったなら看過できない。戦争に対する日本の歴史認識が問われる問題だからだ。
いまのところ、新政権の川端達夫文科相は教科書検定意見について明言を避けているが、長年意見がつかなかった「集団自決」になぜ文科省は口を挟んだのか、その経緯を明らかにすべきだ。
岡田克也外相が「核密約」、北沢俊美防衛相が「普天間返還」の経緯を洗い出すよう各省に命じた。政府を政治主導に切り替えるなら、過去の暗部に光を当てる作業は欠かせない。
あいまいな形で国の方針が変わる構図がある以上、県民大会の役目は終わらない。
沖縄タイムス 2009年9月30日
県民大会2年 歴史の教訓が生きる政治を
沖縄戦の「集団自決」に関する日本軍強制の記述が削除された歴史教科書検定に抗議し、宮古・八重山を含めて11万6千人が集った「9・29県民大会」から2年がたった。
この間、大江・岩波訴訟控訴審判決があり、「軍関与」は認められたけれども、大会実行委員会が求めてきた検定意見の撤回と検定制度の透明性・中立性確保には至っていない。
自民党政権から民主党を中心とする政権に代わった。政治の大変動に県民の期待は大きい。川端達夫文部科学相は意見撤回の是非について「検定をどうしようというのは答えかねる」としているが、今こそ大臣がリーダーシップを発揮すべきだ。
大江・岩波訴訟では渡嘉敷島、座間味島で守備隊長の直接命令があったか否かが争点になったが、太平洋戦争は、徹底した皇民化教育や「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」の戦陣訓が国民に刷り込まれていた中で戦われた。
沖縄戦の「集団自決」は、いわば“国家的命令”の中で起きた悲劇だ。体験者の重い証言も多い中、そうした沖縄戦の実相を顧みることなく、2年前、唐突に削除の検定意見が付された。
県民の怒りは大きく、「島ぐるみ」闘争にまで広がったのは周知のとおりだ。安倍晋三元首相が「戦後レジームからの脱却」を掲げる下、急速に進んだ国家主義的な歴史教科書に対抗する全国的な動きにもつながった。
「集団自決」の記述復活はそれのみにとどまらない。「日本軍の『従軍慰安婦』強制連行」「南京大虐殺」の記述復活にも大きく影響してくる問題でもある。私たちは運動をより強固なものにしていかねばならない。
同時に、新政権には歴史教科書が持つ意義を今以上に認識してほしい。
「事実を検証して見詰め直し、そこから得た教訓を後世に正しく伝えていく」のが歴史教科書の使命である。県民大会の願いはその一点に尽きよう。
「教科書問題は終わった」というのが文科省の基本姿勢であり、民主党はマニフェスト(政権公約)で同問題を取り上げていないが、歴史を歪曲(わいきょく)することは国の大本を誤ることになる。民主党と川端文科相に強い取り組みを求めたい。
琉球新報 2009年9月29日
法科大学院 改革の理念どう実現する
裁判員裁判が各地で始まり注目を集めているが、司法制度改革のもう一方の柱である法科大学院は曲がり角に差し掛かっているようだ。
現在の改革は政府の司法制度改革審議会による2001年の意見書が基になった。「身近で頼りがいある司法」を目指し、当時2万1千人の法曹人口を5万人にするとした。規制緩和や経済国際化に対応し、市民が気軽に法律相談できる体制づくりを目標に掲げた。しかし、現状はその趣旨から大きくそれつつあると言わざるを得ない。
法務省が発表した09年の新司法試験合格者は、2043人だった。昨年より22人少ない。合格者数が前年を下回ったのは、今年が初めてである。10年ごろに合格者3千人という政府計画の達成は極めて難しくなった。合格率も28%にとどまった。初回の06年(48%)から低落が続き、目標の「7―8割」とはかけ離れている。
現在、法科大学院は74校ある。早い段階から乱立とそれに伴う教育の質の低下が懸念されてきた。最高裁の分析では新試験になって以後司法修習生の実力にばらつきが目立ち、下位層が増加しているという。法科大学院が教育内容をより高めねばならないのは確かだろう。
ただし、社会人経験者を含む幅広い人材を法曹界へ、という理念に照らし、司法試験の内容が適切かどうかの検証はあってよいのではないか。
法科大学院側も定員の削減に乗り出しつつある。法科大学院協会によれば、現在5800人近い総定員が11年度までに2割程度減りそうという。岡山大も6月に定員を減らす方針を示した。もっとも、法科大学院は今春の段階で既に59校が定員割れしている現状がある。
一方で、地方の法科大学院は定員を減らせば学生が集まらなくなり、多様な人材を確保できなくなるという矛盾を抱える。
法曹人口の増大そのものを疑問視する声もある。日弁連は昨夏、司法試験合格者年3千人の政府計画のペースダウンを求めた。法律事務所での弁護士の新規採用が困難で、新人を指導できない状況が懸念されることも理由の一つだ。
新人弁護士が就職難にぶつかることも多い。岡山弁護士会は今夏、司法修習生の就業や新人弁護士をサポートする取り組みを始めた。
当初の理念を実現するには現状をどう改革していけばいいのか。国も法曹界も大学も知恵を絞らなければならない。
山陽新聞 2009年9月28日
教員免許制度 実効性を検証するのが先決だ
問題のある制度を改めるのは当然だが、教育に関してはより慎重さが必要だろう。混乱して犠牲になるのは、学校現場であり、子どもたちだ。
今年度始まった教員免許更新制について、民主党の輿石東参院議員会長は先に、早ければ年明けの通常国会に制度を改正する法案を提出し、2011年度にも中止する考えを表明した。
一方、川端文部科学相は記者会見で「効果と現場の負担を慎重に見直す」と言うにとどめた。ただ、更新制とは別に、免許制度自体を見直し、教員養成期間を6年間に延長する意向を示した。
更新制では、10年に1回、大学で30時間の講習を受け、修了認定されないと、免許が失効する。
当初は指導力不足など不適格教員排除のため検討されたが、最新の知識や技能に刷新する制度という位置づけに変わった。免許取得時にはない適格性の審査が、更新時にあるのは不適当とされた。
不適格教員には、指導改善研修など別の制度が設けられた。
更新制では、毎年10万人前後が対象となる。昨年度は、本番と同様に受講時間に換算される「予備講習」が各大学で行われた。
講習内容など課題はあるが、教員や大学からの聞き取り調査など検証が先決だ。教員が指導力を向上できたか調べる必要もある。
民主党が過去に国会に提出した法案では、教員養成6年制のほかに、教員の普通免許状を一般免許と専門免許の2種類とし、一般免許を取得して8年以上の実務を経た後に、上級の専門免許を取るよう努力義務を課している。
川端文科相の発言は、こうした制度を念頭に置いたものだ。
教員養成6年制は、教育実習期間を延長するためだが、どれほどの効果が見込めるのか。養成課程の中身や体制を提示した上で、その是非を議論してもらいたい。
文科省は今年度から、各大学を通じ、どんな勉強をした学生がどういう教員に育つのか、3年計画で調査を始めた。免許制度をどう見直すかは、こうした調査の結果も踏まえた上で検討すべきだ。
教員が時間と労力を費やし、子どもと過ごす時間が減るだけなら子どもたちにも不幸なことだ。
興味を持たせる授業、的確な生徒指導など、教員が時代に合った知識や技能を身につけるよう研鑽(けんさん)するのは、当たり前のことだ。
更新制の背景には、教員に対する保護者らの不信感がある。その不信感をどう拭(ぬぐ)うか。それが議論の出発点でなければなるまい。
讀賣新聞 2009年9月28日
【教育動向】「免許更新制」存廃の論点は
先の総選挙で政権交代を果たした民主党は、「教員免許更新制」の廃止を含めた抜本的見直しを打ち出しています。更新制に関しては本欄でも、導入論議の段階から何度か紹介してきました。今年度、ようやく最初の対象年齢(2010<平成22>年度末に35・45・55歳の人)に対する講習が、本格的に始まったばかりです。それなのに、なぜ見直し論が浮上してきたのでしょうか。改めて論点を整理したいと思います。
まず、そもそも更新制が、何のために始まったかということです。今でも「ダメな先生を辞めさせるため」と思っていらっしゃるかたも多いようですが、実は違います。確かに制度化を後押しした安倍晋三首相(当時)の発想はそうだったのですが(『美しい国へ』参照)、教育再生会議第一次報告(2007<平成19>年1月)、中央教育審議会答申(同3月)などを経て、あくまで「定期的に最新の知識技術を身に付ける」ためのものであり、「不適格教員の排除を目的としたもの」ではない、とされました(文部科学省の説明)。そのような目的のために、現職の先生に対して10年に一度、2年間のうちに計30時間の講習を受けさせる制度が、本当に先生の質の向上につながるのかどうかが、確認されなければなりません。
次に、制度の運用の問題です。教員免許状は個人の資格ですから、更新制も資格を持つ人の自己責任で行うことが求められます。講習講座は全国の大学などで開設する中から自由に選ぶことができるのですが(通信教育を含む)、先生自身が校務との関係をにらんで、夏休み期間中や土・日曜日、放課後など、受講する日程を調整しなければなりません。
また30時間のうち12時間は必修(教育の最新事情に関する事項)ですが、残り18時間の選択(教科指導、生徒指導など)に関しては、受講者のニーズに合った講座が、受けやすいところで開講されているかどうかも、運用上の課題になります。
さらに、費用や予算の問題です。個人の資格にかかわるということで、更新のための費用は一切、先生の自己負担です(更新講習を免除される校長なども更新手続き料が必要)。ただし文科省は更新講習を開設する大学などを支援するために、2009(平成21)年度予算では約10億円、8月末提出の2010(同 22)年度概算要求でも約12億7,000万円を計上しています。
そして何よりも、そうした制度が国民に十分理解されたものであったかどうかです。当時の安倍首相が導入を強く推し進めたのは、前代の小泉純一郎首相が 2005(平成17)年の≪郵政選挙≫(前回の衆院選)で獲得した自民党296議席という勢力と、当時の首相自身の個人的人気が背景にあってのことでした。それが総選挙で与野党が議席・人気とも逆転した今、改めて問われているのだ、と言うこともできます。
なお、教壇に立たない「ペーパー教員」に関しては、もともと更新制の下でも免許状自体が失効することはなかったので(ただし今年4月からの授与分は10年の期限付き)、論議がどちらに転んでも、履歴書などに書く資格としては影響が出ないものとみられます。
産経新聞 2009年9月28日 10:00
教育政策変更は柔軟に
全国学力テストとのかかわりで
政権交代がなり、これまでの政策の中止や廃止が打ち出されている。教育政策も例外ではない。全国学力テスト(以下、全国学テ)や教員免許更新制もそうである。学校現場では戸惑いが生じ、教育行政機関は混迷していることだろう。選挙公約は守らなければならない。だが、国民はすべての公約に賛意を表し政権党を選択したわけではあるまい。現状を十分に把握し精査した上で柔軟な公約の実行を求めたい。
■全国学テの実施は
本紙は全国学テの全員参加方式―悉皆(しっかい)調査―に否定的な立場をとり、抽出調査でその目的は十分に果たせるとこれまで主張してきた。民主党も抽出調査でいいとしている。悉皆調査だと各県、各教育員会、各学校はどうしても順位を意識する。また、そのための準備学習等で適正な調査ができず目的にそぐわないことが生じる。
現に、鳥取県教委は09年度の全国学テ結果を、全国で初めて学校別、市町村別に開示した。
全国学テは「調査」である。適正な調査で良きデータを得、教育課程の習得具合を知り授業に生かすことが目的なはずだ。学校別等の開示は調査目的から遊離し、教育の市場競争化に拍車をかけるのではないか。それは、やがて、児童生徒や学校を追い込み、教育をいびつなものにしかねない。
全国学テは07年から毎年実施されている。初めて実施したときの小6年は、来年、中3年で再び全国学テを受けることになる。つまり、同一児童生徒による実施である。そこからは、これまでにない貴重なデータが得られるのではないか。例えば、学力の推移や各県の変化、小中間の連携、学力の平行移動か否か、児童生徒の意識や生活の変化等がそうである。
先に述べたように本紙は抽出調査を主張している。だが、ここはこれまでのデータを生かすために次年度に限り全員参加方式を望む。このような柔軟さがあってもいいのではないか。
■県平均に及ばない石垣市
石垣市教育委員会は先に全国学テの結果(平均正答率)を公表した。このことを評価したい。市民が知り共有することで課題を浮き彫りにし解決への糸口となるからだ。
石垣市の学力は深刻な状況にある。小、中とも全8科目(教科は国語、算数・数学)において県平均を下回っている。しかも、昨年と比して6科目で拡大し、2科目で逆転されている。県平均は全国平均に遠く及ばない状況にある中でのことだ。
なぜこのような結果になったのか。石教委、八重山教育事務所はもちろんだが、学校はより深刻に受け止めなければなるまい。県教育庁は各学校に「授業づくりの支援プラン」を配布したが、授業改善プランを作成し授業に反映させてきたか。教科コーディネーター導入は指導力向上につながっているか。校内研修体制はどうか。あるいは、学習と部活動とのバランスのとれた学校生活かどうか等、検証をすることは多い。
また、指導の継続や指導技術等で課題を残す臨時的任用教員の多さ、郡外教員の転出入、他地区からの新規採用教員の採用など八重山ならではの構造的な問題もある。人事面のテコ入れも学力向上対策に加えたい。
■教員免許更新制度の廃止
今春始まったばかりの教員免許更新制度を民主党は廃止するという。唐突で乱暴すぎはしないか。
更新制度は教員の指導力向上を目的とした教育改革の1つである。10年ごとに指導法や最新の教育課題について30時間以上の講習、模擬授業や実技もあり評価も受ける。もう少し成果や問題点を見ながらの政策変更でいいのではないか。混乱は児童生徒に跳ね返ってくる。
八重山毎日新聞 2009年9月26日
教育の充実 生き生きした学校こそ
経済の悪化が教育現場を直撃している。親の失業や急激な収入の減少で、進学を断念したり、中退したりするケースも目立つ。
収入格差が子供の教育格差をもたらし、さらなる格差拡大につながる。そんな負の連鎖は、早急に断ち切らなければならない。
新政権は「子ども手当」の支給や高校授業料の実質無料化など、家計の教育費負担を軽減する施策を打ち出している。
しかし、肝心の学校教育が十分なものでなければ、せっかくの多額な財政支出も無駄になってしまう。
家計への支援と並行して、教育の中身を充実させていく施策が求められる。
未来につながる教育をどう構築していくのか。国民的論議を深め、その道筋を明確に描き出したい。
日本の教育投資は世界的に見て、けっして高いレベルにあるとはいえない。
経済協力開発機構(OECD)が先ごろ発表した統計によると、2006年の日本の教育機関に対する公的支出の対国内総生産(GDP)比は3・3%で、データ比較が可能な28カ国の中で下から2番目だった。
各国の平均4・9%を1・6ポイントも下回っている。公的支出の割合の高いのはアイスランド、デンマーク、スウェーデンなどで、いずれも6〜7%に達する。日本はトルコの2・7%をかろうじて上回った。
1学級の児童、生徒数も各国平均より多く、教育効果の高いきめ細かな指導を行うために欠かせない少人数教育も実現していない。
OECDが実施している国際学習到達度調査でも、読解力などの分野で向上が求められる。
高校中退者の中には、経済的困難から断念する以外に、勉強について行けず意欲を失ったことによる場合も多い。
学びの喜びと達成感を味わうことなく学校に背を向けてしまう若者をこれ以上増やしてはならない。
教員の労働環境も悪化している。残業が増え、心を病んで休職する教員が少なくないのも気がかりだ。
教える側も、教わる側も生き生きとした学校を実現するには、教員の増員は不可欠だろう。
それと同時に充実した授業ができる教員の力量アップも求められる。
民主党は政権公約で、保護者や地域住民も加わった「学校理事会」による学校運営に加え、教育委員会や教員免許制度の抜本的な見直しなどを提唱した。その具体策を早急に示してほしい。
教育を地域の課題としてしっかり受け止め、困難にたくましく立ち向かう意欲あふれる子供を育てよう。
北海道新聞 2009年9月26日
児童ポルノ規制 放置せず、法改正急げ
先の通常国会で廃案となった法案に見逃せないものがある。児童ポルノの規制強化法案だ。
各政党とも認識は共有している。臨時国会のテーマは多いが、児童ポルノ規制も忘れないでほしい。先送りせず早急に法改正を実現するべきだ。
児童ポルノ規制は1999年に「児童買春・児童ポルノ禁止法」が施行され、児童ポルノの提供を目的にした製造や所持、輸出入などが禁じられている。だが、個人の「単純所持」は違法とされていない。
社会的に害悪がある児童ポルノの映像などを売ったりネットに流すのは犯罪だが、手に入れて見るのは罪に問われない。これでは、児童ポルノ根絶に力不足なのは当然だろう。主要8カ国(G8)のほとんどが単純所持を違法としている点を重視したい。
力不足の実態は統計でも明らかだ。昨年1年間に警察が摘発した児童ポルノ製造、提供事件は676件で、18歳未満の被害者数は351人に達した。今年1〜6月は382件、218人と昨年同期を上回る。摘発件数、被害者数とも統計を取り始めた2000年以降、最多となっている。
実際の被害はもっと多かろう。警察庁も「取り締まり強化で摘発が増えた側面はあるが氷山の一角だろう」と見ている。アニメや漫画を含め、日本が“児童ポルノ大国”と非難されても仕方ない状況が続いている。早急に改めるのは国際的な責務ではないか。
国会の対応は、昨年6月に自公両党が単純所持の禁止を盛り込んだ現行法改正案を提出、捜査機関の権限乱用が起きぬよう配慮した民主党の対案は今年3月に提出された。だが両案とも、衆院法務委員会で審議入りしたのは会期終盤の6月26日だった。与野党の協力で修正案の原案もできたが、政局のあおりで廃案となった。
修正原案では焦点の単純所持について、禁止で一致した。ただ一方的にメールで違法画像を送りつけられた場合などを考慮し、本人の意思で取得したことの明確な立証を捜査機関に求めることを規定したという。
悪質メールも多い毎日だ。無実の個人が罪に問われない配慮は要る。修正原案には、インターネット接続業者に児童ポルノの拡散防止や捜査機関に協力する努力義務も盛り込まれた。
衆院法務委で参考人陳述し、法規制の強化を訴えたアグネス・チャン日本ユニセフ協会大使らには、共感の拍手が続いた。新たな被害者を出さないためにも早急な対処が必要だ。各党で一致した部分だけでも再確認して、一日も早い法改正を実現してもらいたい。
京都新聞 2009年9月25日
【鳥取学テ対策】 もはや抽出調査で十分だ
かねて懸念されていた全国学力テストの負の側面が顕在化してきた。
学テの学校別結果を今月、全国で初めて開示した鳥取県で、県教職員組合の調査に回答したうち、少なくとも公立7小中学校がテスト直前に過去の問題を解くといった事前対策を行っていた。
同県は昨年11月、市町村別・学校別開示を決めている。保護者らの厳しい目が注がれる中、「少しでも点数を上げないと」というプレッシャーが学校現場にあったのではないか。
学テ対策の影響で「本来の授業が遅れた」との報告もある。情報公開が競争をあおる弊害がこれ以上強まるようなら、子ども一人一人の課題を見つける目的から大きく外れる。
過去3回の調査で教育課題は十分把握できたはずだ。民主党が主張するように、悉皆(しっかい)調査から抽出調査への移行を検討する時期だろう。
文部科学省は学テの実施要領で、都道府県別より詳細なデータ開示を禁止している。にもかかわらず、秋田や埼玉、大阪の府県教委は市町村別の平均正答率などを開示した。公教育はプライバシーを除き公開が原則で、学力向上には情報を共有し活用することが必要といった考えに基づいてのことだ。
鳥取県の場合、一歩進んで学校別開示に踏み切った。ただし、対象学年の児童生徒が10人以下の小規模校は開示していない。データを使う際、学校が特定されないよう求める配慮規定もある。しかし強制力はなく、データが独り歩きする懸念はぬぐえない。
実施要領の形骸(けいがい)化で結果を公表する動きは広がっている。現実的にデータの扱いを委ねられている自治体の開示ルールが緩ければ、地域や学校の序列化につながるというマイナス面がより顕著になるのは必至だ。
学テ対策に力点を置くあまり、本来の授業がおろそかになるなど本末転倒の傾向も強まろう。それでは過度の競争につながった旧文部省の学テの二の舞いである。
「知識の活用力に課題がある」といった結果も、3度のテストでほぼ同じだ。もはや毎年一斉に行う意義は薄れている。対象学年や教科を増やすなど抽出調査を工夫すれば十分だろう。
今後はテストで明らかになった課題の克服に力を注がねばならない。教員の増員など教育力を向上させる施策に重点投資すべきである。
高知新聞 2009年9月25日
新司法試験 放置すれば理念が揺らぐ
こんなぶざまな状態を放置はできない。4回目となった今年の新司法試験は合格率が過去最低を更新したばかりか、合格者数が初めて前年を下回った。制度のあり方を抜本的に見直すべきだ。
新司法試験は原則、法科大学院の修了生しか受験できない。合格率は48%だった1回目の2006年以降、下がり続け、今年は28%になった。それでも合格者数は毎年増えていたが、今年はついに2043人と昨年より22人減ったのだ。
政府は、新制度で合格者数を段階的に増やし、来年ごろには3千人にする想定だったが、遠く及ばない。これでは、弁護士、裁判官、検察官の法曹人口を現在の約3万1千人から18年ごろまでに5万人にする計画の実現は極めて難しい。
司法改革で見込まれた「合格率7―8割」という目算は、当初から外れている。なぜか。法務省は「合否の判断基準は変わっていない」と、受験する大学院修了生の能力不足を指摘する。
そうであるならば、まず法科大学院の「質」こそ問われるべきだろう。
もともと大学院は全国で74校と乱立気味で、総定員が1学年約5800人に膨らんだ。今春の入試では志願者数が前年度より25%も減り、定員割れは全体の8割に当たる59校に上った。乱立が新司法試験の合格率低下を招き、それがさらに優秀な志願者を遠のかせるという悪循環に陥っているのは間違いない。
中央教育審議会は4月、報告書で入学選考の厳格化や定員削減を求めた。入試段階から学生の質を見極め、教育水準を保証する。教育の質を高めるためにも定員減は必要だろう。各校の自主的な取り組みで、2年後には全体で定員が2割程度減るという。それでも実績を挙げられない大学院の再編は避けられまい。
法科大学院の設立を安易に認めてきた文部科学省の責任は重大である。法務省と連携し、各大学院を指導すべきだ。
その際、地域に根差す法律家養成を目指す地方の法科大学院の重要さを忘れないでほしい。大学院は関東、関西に6割以上と集中しすぎている。今回、九州大など九州・沖縄の7校の合格率はすべて全国平均に届かなかったが、定員削減や連携強化など改善努力を続けている。
さらに、新司法試験自体に問題はないか。社会人や法学以外の学部出身者にも門戸を開き、大学院に3年制の未修者コースを設けたのは、人間性あふれる多様な人材を集めるためだ。試験の内容や仕組みがそうした特性をくみ取るものになっているのか、検証が必要だろう。
法曹人口を増やし、市民に身近な開かれた司法にする。それが司法改革の理念であり、その理念を支えるのが新司法試験と法科大学院である。裁判員裁判や法テラスの定着もかかっている。
今後とも合格者数が増えなければ、改革の理念から遠ざかる。政府や関係者は、そのことを肝に銘じるべきだ。
西日本新聞 2009年9月23日
新司法試験 先祖返りでは困るのだが
司法改革の流れに揺らぎはないのか。新司法試験をめぐる昨今の迷走ぶりに、そんな疑念と不安が先に立ってしまう。
憂慮される問題の一つは新司法試験の合格者数だ。法科大学院修了者を対象にした今年の合格者は昨年実績を下回り、2043人にとどまった。合格率は3年続けて低下し、とうとう30%を切った。
合格者のうち、大学の法学部卒業者を中心とする既修者コース(2年)の出身者は1266人、合格率は39%。未修者コース(3年)出身者は777人、合格率19%だった。4年目にして初めて法科大学院の全74校から合格者が出たが、合格率が40%以上の大学院もあれば、一けた台もあり、ばらつきが目立つ。
そんな中、法科大学院の見直しが進む。中央教育審議会の特別委員会が4月、定員縮小や統廃合を通じて合格率向上と志願者確保を図るよう提言したことを受け、文部科学省が各校に対応を求めている。
52校が来年度、計850人程度削減する予定だが、地方の小規模校が目立つ。東京都内の24校に全国の入学生の5割近くが集中することになりそうだ。
法の恩恵をあまねく行き渡らせるとして始まった司法改革である。合格率の低い地方の大学院ほど削減を余儀なくされ、入学者の一極集中を招くというのでは、何のための改革なのかと、ならないか。もう一度、原点に立ち返ってほしい。
司法試験合格者を2010年までに年間3千人とし、その後も増やすことを検討するとしたのは02年の閣議決定である。
昨年、その方針を政府自ら覆した。法務省が司法試験の合格者の減少を視野に入れた見直し作業に着手すると言明し、流れは加速した。日弁連さえ「当面の増員のペースダウンを求める」と宣言し、従来の方針を転換させた。
合格率が2、3%だった旧司法試験を合格した人にとって、4割も5割も通る新試験の合格者と、同じ法曹として並ばれることに複雑な思いもあるのだろう。「質の低下」や就職難への危機感を募らせる前に、十分とはいえない法の恩恵を社会にどう浸透させていくかを考えるのが先決ではないか。大学院の門を狭くし、合格者減に走るのは、改革の後退と映る。第一、質の低下を判断するのは国民のはずだ。
旧試験の反省に立ち、経験豊かな人材を幅広い分野から求める。その方向は決して間違っていない。
神戸新聞 2009年9月23日
学力再考 授業の質向上が大切だ
宜野湾市立長田小学校でわくわくする授業を参観した。
戦後の授業実践論の草分けとされる斎藤喜博氏に師事した元小学校教諭の川島環(たまき)さんの授業だった。
3年生の算数でかけ算を教えた。小さなブロックをL字形に黒板に張り、数えさせた。一人一人に耳元で答えをささやかせて「正解」と陽気な声を上げる。
テーマは、48個の答えを導くかけ算の「数式」を書くこと。黒板前に男の子を呼び出し、人さし指でブロックを数えながら、縦に何個、横に何個並べてあるかを確認させ、式をつくるヒントを与えた。
「ほかの子の答えと見比べてみな」
児童は一斉に席を立ち仲間探しを楽しむ。「8×6」「4×12」。同じ答えのグループごとに前に出し、数式の意味を説明させる。
「4個の塊が12ある」
一塊にくくれる数がいくつあるかに気づき、式を書ければこの単元はクリアだ。川島さんは満面の笑みを子に向け、全員が答えるたびに「すごいね」「よくできたね」を連発した。
そういえば授業の終わりまで教科書を一度も開かなかった。
教材を徹底的に研究した上で教壇に立つ教師は、さながらオーケストラの指揮者のようだ。見えない糸を張り巡らし、子どもたちを思い通りに操っている。「授業は真剣勝負です」と76歳のベテラン教師が語る。
授業が終わるころ、子どもはすっきりした表情をみせていた。
長田小の校長は、県内初の民間人校長、横山芳春氏。外部講師の招聘(しょうへい)授業を積極的に取り入れ、本年度だけで5回の研修を予定している。
教師が授業実践を身につけることで、「学力は向上する」と横山氏は確信している。教え方の工夫がカギを握ると考えているからだ。
そう信じる出来事があった。5年国語の授業で北原白秋の詩「海雀(ウミスズメ)」を取り上げ、作者が海雀をどうながめたのか、情景を児童に想像させた。
6行の詩に「銀の点点、海雀」が2度繰り返される。「点々」とせず「点点」と書いたのはなぜだろうか。さまざまな意見が出た。
ある児童が「海雀も命に限りある生き物だから、一つ一つ大切に点、点と書いた」と答えた。
児童の情景理解はそこまで深まった。授業の先導人である教師の力量によるだろう。川島さんは現役のころ教材研究で何度も徹夜したという。
民主党の政権公約(マニフェスト)は「教員の質と数を充実させる」ことを政策目的に挙げた。
具体策として、教員養成課程を6年制(修士)にし、子どもと向き合う時間を確保するため教員を増員する、という。予算を現在のGDP比3・3%から他先進国並みの5%以上に引き上げる。
公立小中学校は保護者や住民も参加する「学校理事会」が運営する新体制を築く。
政権交代が教育現場をどう変革するかなお未知数だが、基本はやはり授業の質だ。
沖縄タイムス 2009年9月22日
教員免許制見直し、疑問の声も 養成6年「無駄」/更新「意義ある」
教員免許制度見直しが注目されている。川端達夫・新文部科学相は、民主党のマニフェスト(政権公約)に沿い、教師の資向上のため、大学の教員養成課程を現行の4年制から医学部並みの6年制に延ばすことを検討する考えを示した。6年制にすれば優れた教師が生まれるのか。免許更新制は廃止されるのか。校長や識者などからは疑問の声がある。
「教員養成を6年にするなんて無駄もいいところ」。中学校校長の一人は厳しい見方だ。
校長は「大学院を出て教師になっても授業もだめ、学級を持たせれば崩壊…そんな教師は掃いて捨てるほどいる。一方で短大卒でもすばらしい統率力を発揮し、学級をまとめる指導力のある教師はたくさんいる」と指摘する。
今年度から始まった教員免許更新制について「負担になる」など教師の間にも反対する意見があることには、「熱心な教師は新たな研修の機会として期待する声が少なくない。結局は教師としての使命感、研修意欲がすべて」とし、「6年制にするなら『一般社会人経験2年』を義務づけた方がよほどいい先生が集まる」と話す。
また別の中学教諭は、「教員採用試験に落ちた臨時採用の中には、学級担任を任されたり、部活の指導で子供や保護者から信頼を得るなど資質を持つ若手が少なくない。採用試験自体も工夫しなければ、優秀な教員は確保できない」と訴える。
元東京都国立市教育長で教育評論家の石井昌浩氏は「6年制は選択の余地はあるが、現在の養成課程そのものに切り込まなくては、ただ大学に通うのが2年延びるだけに終わる。養成課程はカリキュラムが実践的でない、教える理論そのものも問題があり、レベルが確保されているか疑わしい。4年制の養成課程の内容をまず改善しなくては本末転倒だ」と指摘する。
また免許更新制について夏休みに更新講習の講師として教師と接した経験を踏まえ、「講習を受ける教員は極めて真剣だった。既存の研修と異なる意義があり、講習する側の準備や受ける側の意気込みで高いレベルが期待できる。けっして無駄ではない」と話す。
◇
■文科相の主な会見内容
【教員免許制度】「教員養成課程6年制検討。免許更新制は効果と負担検証し慎重に見直す作業から始めたい」
【全国学力テスト】「抽出でいいという意見ある。科目を増やす、公表の仕方など幅広く意見聴取し方向性を見いだしたい」
【日教組】「教育について先生や生徒、保護者、地域など幅広く意見を聞く声の1つ。大事な声であることも事実」
【高校無償化】「22年度から実施したい。給付方法や財源の問題もあり来年4月から実施できるようにと思っている」
産経新聞 2009年9月21日 11:48
新司法試験 街の法律家どう育てる
法科大学院修了者を対象にした「新司法試験」の合格率が、過去最低の27・64%まで下落した。「市民に身近な司法」を実現するため、法曹人口を増やすことを目的に始まった新試験は、実施4年目で早くも曲がり角に立たされている。
新試験には、法科大学院に社会人経験者ら幅広い人材を集めることで、人間性豊かな法律家を生み出すという目的があった。さらに、全国に74の大学院が設置されることで、地域に根ざした弁護士が育つのではという期待もあった。
だが、大学院別の合格率を見る限り、その目的も期待も達成されていない。合格率が5割を超える上位には、一橋、東京、京都などの常連校が並び、一方で地方の大学院が下位に名を連ねる。県内の学校も、神奈川6・67%、関東学院12・50%、桐蔭横浜12・90%と、いずれも合格者は10人に達しない。
上位常連校が、まるで司法試験予備校のようになって優秀な学生が集まり、それ以外の大学院との格差が広がっているとすれば、そもそもの趣旨からは本末転倒だ。都市部にばかり優秀な法律家が集まることにもつながりかねず、かねて弁護士不足などに悩む地方との格差は、さらに広がることになる。
合格率と学生の質の向上のために、各大学院は文部科学省の指導などにより定員削減を進めている。だが、それでは法曹人口の増加という本来の目的は達成できない。実績を挙げられない大学院の変革は必要だが、法科大学院全体の質向上を図る議論をしなければ、本質的な改善は望めないだろう。
ちまたでは弁護士を“街弁(まちべん)”“渉外”などと呼ぶことがある。渉外とは、外資系企業などの依頼で企業法務を扱う弁護士のことで、比較的収入が高く、人気もある。街弁とはその名の通り、街なかに事務所を構え、よろず相談に乗る弁護士だ。
どちらの弁護士も大切な仕事だが、新司法試験の目的は、いわば良質な街弁の育成にあると言っていい。「身近な司法」には街弁が不可欠で、全国に散らばった法科大学院には、地域に根ざした法律家の育成拠点となることが求められている。
教育内容だけでなく、試験のあり方も含め再検討が必要だ。各大学院任せではない、法曹三者を中心とした、社会全体での抜本的な議論をしてほしい。
神奈川新聞 2009年9月20日
新司法試験 教育の在り方見直そう
法科大学院修了者を対象とする2009年新司法試験の合格者2043人を法務省が発表した。合格者数は昨年より22人少なく、初めて前年を下回った。合格率も前年を5ポイント下回る28%に落ち込み、過去最低を更新した。
司法試験委員会が決めた合格者数の目安である「2500〜2900人」を大きく割り込んだ結果、法曹人口の拡大という社会的要請に応えるため、10年ごろに年間合格者を3000人にまで増やすという政府計画の実現は極めて困難になった。
法務省人事課は「合否の判定基準は変わっていない」としており、水準に達していない受験生が多かったことを示唆している。その最大の原因は、法科大学院が74校も乱立し、十分な教育体制を提供できていない点にある。法科大学院の在り方や教育内容を再検討する必要があろう。
今回は昨年より1131人多い7392人が受験し、合格者の内訳は男性1503人、女性540人だった。合格者のうち、大学の法学部卒業者を中心とする既修者コースは1266人で、合格率は昨年比5ポイント減の39%。未修者コースは777人で、合格率は3ポイント減の19%だった。
昨年まであった合格者ゼロの法科大学院はなくなり、今回初めて74校全校から合格者が出たことは、一定の底上げが図られた結果だろう。しかし、法科大学院開設当時、新司法試験の合格率が70〜80%と想定されていたことを考えれば、合格率はまだ低いといわざるを得ない。
東京大など合格率40%以上の大学院が8校ある一方で、一けた台は14校に上るなど、ばらつきが大きい状態も相変わらずだ。鹿児島大学からは未修者コースの35人が受験し、昨年を上回る2人が合格したが、6%の合格率は下から5番目で、十分な成果を挙げているとはいい難い。
法科大学院の質の向上策を検討している中教審の特別委員会は4月、修了者の多くが司法試験に合格していない大学院に対し、10年度から入学定員の削減や入試の厳格化などを求める最終報告書を公表。これを受けて、鹿児島大が30人の定員を半分に削減するなど各校が見直しを進めている。法科大学院協会によれば、11年度までに全国で1000人程度が削減される見込みだ。
だが、受験者を減らして合格率を上げるだけでは意味がない。法曹を目指す学生の期待に応えるために大学院の統廃合を進めるなど、学習環境を高めることがなにより重要だ。
南日本新聞 2009年9月18日
文科相、教員養成課程6年化を検討
川端達夫文部科学相は18日の閣議後記者会見で、今年度始まった教員免許更新制を見直す方針に関連し「教員の質の向上のため、教員養成課程の6年制化を含めて早急に検討に着手したい」と話した。そのうえで「副大臣、政務官と検討を始め、方針を決めてから役所に指示を出したい」と述べた。
鳩山内閣が打ち出した官僚の記者会見禁止については「政治家の政治判断を超えて発言するのを控えようというのが趣旨。事実関係を説明するのがいけないわけではない」と改めて説明。「技術的に何が一番良いのかは整理する必要がある」として、統一見解を示すよう内閣官房に求めたことを明らかにした。
日本経済新聞 2009年9月17日 14:38
教育投資 国の支出増やす方策を
国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合について、経済協力開発機構(OECD)が調べた結果が公表された。日本は3.3%で、比較が可能な28カ国のうち下から2番目だった。2006年の数字である。
OECDの調査では下位低迷が続き、支出割合は1992年以降、ほとんど変わっていない。
文部科学省は昨年、教育振興基本計画の策定に当たって、教育投資の目標について「GDP比5%を上回る水準」と盛り込もうとした。
しかし、歳出削減と財政健全化などを理由に財務省が猛反発。結局は、教育予算拡充の数値目標を明記できなかった。
教育振興基本計画は、今後10年間の教育の目指すべき姿と、5年間に重点的に取り組む施策を示したものである。
国の発展の原動力となる人材の育成に向けて、あらためて「教育立国」を宣言し、「欧米主要国を上回る教育の実現を図る」と強調している。
日本の教育は、もともと公的支出が諸外国に比べると少なく、家庭の支出が補っているといわれてきた。国の支出を現状より増やす方策を考えていく必要があるのではないか。
民主党は、「GDP比5%」への引き上げを目指しているようである。予算づくりを政治主導に変えるとも主張している。
財務省の抵抗をはねのけて、来年度予算で教育費の拡充を果たすことができるのか。新政権の試金石の一つであろう。
調査結果によると、加盟国の対GDP比の平均は4.9%。1位はアイスランドの7.2%で、デンマーク、スウェーデンと続き北欧が上位を占める。
わが国は、最下位だった05年調査の3.4%より減少している。文科省の分析だと、教育費の多くを占める教員の人件費が減ったのが原因のようだ。
公的支出を教育段階別にみると、日本は小中高校までの初等中等教育が2.6%で、下から3番目。大学など高等教育は0.5%と各国平均の半分で、最下位である。
全教育費に占める私費負担の割合は、平均の2倍以上の33.3%。韓国に次いで2番目に高い。初等中等教育は平均と大差ないが、幼稚園などの就学前教育と大学段階での私費負担が国際的にみて大きいのが特徴といえる。
民主党は公立高校の実質無償化、私立高校生の学費負担の軽減、大学などの学生に希望者全員が受けられる奨学金制度の創設−を約束している。
教員が子どもと向き合う時間を確保するため、教員を増やし、教育に集中できる環境を整備することも政権公約に盛り込んでいる。
教育は中長期的なグランドデザインを示しながら、着実に成果を上げていくことが求められる。授業時間数を大幅に増やす「改定学習指導要領」の全面実施は小学校が11年度に、中学校は12年度に迫っている。
「ゆとり教育」からの転換には、人もカネも重要である。教育現場の実情を踏まえた議論を積み重ね、十分な手当てを講じるよう望む。
東奥日報 2009年9月16日
新司法試験 抜本的見直しが必要だ
もはや本来の目標や想定から大きく外れた。新司法試験の09年結果にはそう感じざるを得ない。
法科大学院修了者が対象の新司法試験は06年から実施されている。法務省は合格率7、8割を見込んだが、初めから5割に届かず年を追って下落、4回目の今回は27・6%と過去最悪を更新して2割台に落ち込んだ。初めて合格者数も前回を下回り、2043人。目安の2500〜2900人に遠く及ばなかった。
このままでは、2010年には合格者を3000人と想定し、法曹人口を18年には5万人(08年約3万1000人)と描いた政府の計画は画餅(がべい)に帰すほかない。
一方で、法科大学院は74校で1学年定員約5800人。後れを取るまいというふうに相次いで設立され、「乱立」とも評される。その内実は一定ではなく、各校の合格率は大きな開きが生じている。
新司法試験をめぐるこうした状況は制度発足時から懸念された。中央教育審議会は今春、法科大学院の入学者の質の確保、修了者の質の保証、教育体制充実、評価システム確立を柱に改善を強く求め、入学定員削減を迫った。入学者選抜や修了認定を厳格にし、高水準の教育を保つ。当然のはずだが、多くの大学院にそれができていない実態がある。
だが、法科大学院にメスを入れれば万事解決する話ではない。
裁判員裁判、法テラスとともに司法改革の柱である新司法試験は、法曹人口を大幅に増やし、市民が日常のトラブルなどでも適正な法的解決がしやすくすることが主眼だ。
また最難関試験で合格率数%だった旧来の司法試験とは違って、新制度は法学知識偏重の「ペーパーテスト秀才」ではない、人間性、教養、柔軟な発想力など幅広い適材を求めたはずだ。法科大学院に法学部出身者以外の未修者コース(3年)があるが、今回の合格率は18・9%で法学部出身者向け既修者コース(2年)の半分にも満たなかった。
法科大学院側からは、結局は法学系以外の社会人らに不利な試験になっていないかという指摘もある。試験内容や選考基準などを本来の目的に照らし、詳しく検証してほしい。
合格者大幅増で「質の低下」の指摘もあり、日本弁護士連合会は増員のペースダウンを提言した。弁護士の就職難という状況もある。
だが忘れてならないのは、司法が市民生活にとけ込み、気後れなく活用できることは、これからの社会の活性化に不可欠ということだ。
その理念を下ろさず、どう問題点を改善するか。政府、教育界、法曹界は試行錯誤をいとわず、一致して取りかかってほしい。正念場だ。
毎日新聞 2009年9月14日
子ども手当は所得制限も考慮して
民主党がマニフェスト(政権公約)の目玉に掲げた子ども手当が、現実のものになってきた。新政権は秋の臨時国会で法案を成立させ、中学生以下の子ども1人に2010年度はまず月1万3000円、11年度からは2万6000円を支給する方針だ。
女性が一生に産む子どもの数を示す合計特殊出生率は、やや持ち直しているが08年は1.37だ。人口を維持できる2.08にはほど遠い。大きな要因として指摘されるのが、子育てにお金がかかることだ。
家族手当や育児休業給付など、家族を支援するための財政支出が国内総生産(GDP)に占める比率は、日本の場合は0.75%にとどまる。欧州諸国はその比率が2〜3%だ。思い切った経済支援は、社会全体で子育てを応援するとのメッセージにもなり、評価できる。
問題は財源だ。初年度は総額2兆7000億円、11年度からは毎年5兆3000億円のお金をどうやって確保するのか。民主党は無駄な予算を削り、特別会計の「埋蔵金」などでひねり出すという。09年度当初予算で4兆8000億円の防衛費を上回る金額を、それだけで本当に用意できるのか。
民主党は配偶者控除と扶養控除をやめ、子ども手当の財源の一部に充てるとしてきた。しかし、岡田克也幹事長はこうした控除の廃止を先送りすると示唆した。参院選前に痛みを伴う政策は避けたいのだろう。財源が確保できず国債に頼れば、それこそ子どもたちにツケを回す結果になる。賛成できない。
厳しい財政状況を考えれば所得制限も考慮していい。今回の手当は額が大きいだけに不公平感を生まない配慮は必要だが、所得が高くなるにつれて、配る金額を減らすなど工夫の余地はある。第1子には所得制限をするが、第2子以降は制限をなくし、子どもを多く持てるようにするということも考えられる。
民主党は公立高校に通う学生がいる家庭へ授業料相当額を渡したり、希望者全員に大学の奨学金を受けられるようにするとも約束している。低所得者にお金を支給する、給付付き税額控除の導入なども掲げている。子ども手当と重複が生じないかどうか、きちんと点検してみる必要がある。
少子化を食い止めるには、保育所を増やし学童保育を充実するなど、働きながら子育てできるようにすることが欠かせない。夫婦で働ける環境を整えれば、家庭の将来不安の解消にも役立つ。出生率の向上には子ども手当ばかりでなく、育児支援を総合的に進めることが重要だ。
日本経済新聞 2009年9月14日
OECD調査 教育の貧困いつまで続く
こんなお寒い状況が続くようでは、いっそ「教育立国」の看板を下ろしてしまったらどうだろう。
経済協力開発機構(OECD)の調査によると、日本の2006年国内総生産(GDP)に占める教育費への公的支出の割合は3・3%だった。加盟30カ国のうちデータ比較可能な28カ国の中で、ワースト2位だった。
前年の最下位より順位を一つ上げたとはいえ、最下位クラスに張り付いている傾向に変わりはない。
調査で二つの大きな問題が浮かび上がった。一つは教育現場だ。日本の小学校では、1学級の平均人数は28・2人で、OECD平均の21・4人を大きく上回る。中学校でも違いは顕著だ。
40人、50人学級が当たり前だったころに比べれば、学級規模は小さくなってきている。だが、教師の負担は軽くなるどころか、うつ病など心の病に苦しみ、長期休職が増えている。
授業以外にも事務作業が増え、精神的に追い詰められているという背景があるとみられる。教育の質を上げるには、教員一人一人のレベルアップが欠かせないが、量にも目配りしたい。教師の増員は急務だろう。
二つ目は、全教育費に占める私費負担の割合が大きいことだ。日本は33・3%と、韓国に次いで2番目に高い。とりわけ、幼稚園など就学前教育と大学などの高等教育では、加盟国の平均を大きく上回る。
OECDは「日本の大学の授業料が高く、奨学金など学生支援体制が十分に整備されていない」と指摘する。
昨年来の深刻な不況により、家庭の負担感はさらに重くなっているのは間違いない。公的支出の乏しさを家計が補いきれなくなってきている。
勉強したくても授業料が払えず、退学や進学断念を余儀なくされる子どもが後を絶たない。奨学金を受けようと大学側に申し込む学生が殺到している。教育のセーフティーネットの充実を急がねばならない。
文部科学省は昨年、教育振興基本計画に教育費をGDP比5%とする目標を盛り込もうとした。しかし、健全財政を掲げる財務省の猛反発を受けて見送った。そこには教育を再生させようという政治の力強いリーダーシップはみえなかった。
民主党は先の衆院選で同様の目標数値を掲げた。高校の実質無償化や子ども手当もうたっている。高校無償化は年約5千億円、子ども手当は年5兆3千億円掛かるとされる。
教育への支出は明日の日本を担う子どもたちへの投資だ。これには誰も異論がないだろう。確かな財源に基づいて教育再生のきちんとした道筋を示す。政治の実行力が試される。
新潟日報 2009年9月14日
教育費の国際調査 機会均等、立て直し急げ
先進国の中で、依然「低空飛行」が続いている。国内総生産(GDP)に対する国や地方自治体の教育支出の割合である。
先日、経済協力開発機構(OECD)が公表した2006年分の加盟国調査によると、各国平均4・9%に対し、日本は3・3%。28カ国中「ワースト2位」だった。
とりわけ気になるのが、全教育費に占める「私費」の負担だ。33・3%と韓国に次いで2番目に高く、各国平均の2倍以上にもなる。公的支出で足りない部分を各家庭で補っている姿が見えてくる。
経済格差が深刻でない時代なら、まだそれでもよかったのかもしれない。しかし低所得者層が増えている中、各家庭の「教育費格差」は見過ごせない問題だろう。
文部科学省の全国学力テストの分析でも、保護者の年収と子どもの成績が比例する傾向があることが明らかになったばかりだ。勉強したいと望む子どもたちには、質の高い教育機会が保障されるシステムを考える必要がある。
私費負担の割合が67%と、各国と比べて特に高いのが大学や専門学校などの高等教育である。経済的な理由で中退する若者を増やさないためにも、奨学金の拡充も急がねばならない。
民主党は教育予算を「対GDP比5%以上」にするという目標をうたっている。各国のほぼ平均値だ。
具体的な政策としては、教員の増員を挙げている。日本は教員1人当たりの児童生徒数が多く、一人一人のニーズに応えにくい。教員の忙しさも増す中、子どもとしっかり向き合う時間をつくれるようにとの狙いだ。教員の質を高めるため、3年後には教員養成を6年に延長する方針も示している。
高校生のいる世帯に対しては、授業料の無料化や助成をする公約を掲げている。家庭の学費負担を軽くするためだ。
日本の教育予算は、対GDP比の数値は低くても、児童生徒1人当たりの支出はそう少なくない、という見方もある。先進国の中で最悪の財政状況の中、他予算とのバランス論もあるだろう。
ただ、教育の機会均等の保障さえ危ぶまれるような公教育の状況は放置できない。現場の実態を踏まえながら、より効果的な対策から優先的に打ち出していくべきだ。
中国新聞 2009年9月13日
授業と新聞 道教委通知こそ不適切
帯広市内の道立高校が、公民の授業に教材として北海道新聞の社説を使った。
道教委は1社のみの社説使用は「特定の政党の政策について偏った認識を生徒に持たせかねない」として、全道の道立高校長に授業への新聞活用の実態を報告するよう通知した。
道教委はこの授業を「不適切な指導」とも断じている。本紙の社説を活用することが、政治的にゆがめられた授業につながるとする論理は理解できない。
道教委が問題とした8月18日の社説は、衆院選公示にあたり、「歴史的な選択の幕が開く」との見出しで選挙の意義を論じたものだ。
特定の政党を支持する意図で書かれたものでないことは、一読して分かるのではないか。
帯広市選出の道議から「授業を受けた生徒や保護者は問題があると言っている」との指摘が道教委にあり、実態調査をしたという。
授業は、社説の文中にある「政権交代」「マニフェスト」「国内総生産」など九つの言葉を空欄にし、用語の知識を問うた。
教師は社説の論調には触れず、後日、各政党の政権公約について生徒にグループ討論させたという。
そのどこが不適切なのか。
通知は、特定政党を支持するなどの政治教育や政治的活動を禁じた教育基本法14条2項を挙げ、これに反しないよう求めた。
条文は、教育への政治の不当な介入を排除するものでもある。
行政が現場の教育内容に言及するのは慎重であるべきだ。議員の指摘によって通知を出す行為は、政治の介入とも受け止められかねない。
また、14条はその1項で「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重しなければならない」とも定めている。
社説を使った授業の意図は、素直に受け止めれば、この趣旨に沿うものだ。政治的に偏っていると解釈するにはどうみても無理がある。
新聞業界と教育界は、新聞を教材として活用するNIE活動に協力して取り組んでいる。
NIEは世界各国で実施され、読解力向上や社会的問題についての関心を高める教育効果が高く評価されている。
北海道は国内でも活動が盛んな地域だ。道教委の通知が教師を畏縮(いしゅく)させ、この活動に水を差すことにつながらないか。それが心配だ。
自由に創意工夫を凝らし、教師と児童・生徒が向き合う授業こそが教育の原点といえるだろう。
道教委の役割は生き生きとした学校づくりを支援することだ。管理を強化することではあるまい。
北海道新聞 2009年9月12日
法科大学院―法曹が連帯し質向上を
法科大学院を卒業した人を対象にする新司法試験の合格者が発表された。4回目のことし、年々下がってきた合格率はさらに27%にまで落ちた。
合格者も初めて前年を下回り、2043人。来年あたりをめどに合格者を3千人にする計画なので、本来なら2500〜2900人が目安だった。
法務省は、大学院修了生の水準が反映された結果という立場だ。
しかし合格者の多い上位校では、今回3度目の受験機会だった06年度の修了生でみると、合計7割前後が合格を果たした。「修了者の7、8割が合格」の理想を達成しているといえる。
問題は大学院間の格差が広がり、下位校が全体の足を引っ張っていることだ。今回も、合格者5人以下の大学院が74校のうち24校もあった。
04年から開校した法科大学院は乱立気味で、1学年の総定員は約5800人だ。大学院側はこれを大幅に削減する方針だが、もっと早く手を着けるべきだった。すでに6割の大学院で入試の競争率が2倍に満たない状態になっている。実績を上げられない大学院の再編は避けられまい。
法曹界には「法科大学院を出た司法修習生の質が落ちている」との嘆きがある。日本弁護士連合会は昨年、「合格者増のペースダウン」を求めた。
だが、市民に司法を利用しやすくするため法曹人口を増やすことは、裁判員制度や法テラスと並ぶ司法改革の3本柱だ。その中心が法科大学院である。合格者数を絞ることより、全体の質を高めることを考えねばならない。
弁護士会と裁判所、検察庁の法曹三者は、法科大学院教育の充実について、連帯して責任を持っていることを改めて認識してもらいたい。
旧司法試験のような一発勝負の勝者ではなく、法科大学院から司法修習へというプロセスによって、人間性豊かで思考力を持った法律家を育てる。それがこの制度の理念だ。一部で法科大学院が予備校化しているとも言われる。そうであれば本末転倒だ。
法科大学院と司法研修所、法曹三者が学生の育成過程をきめ細かく分担し、法律家として独り立ちさせるまで責任を持たねばならない。
大学院の充実のためには、法曹の現場を経験した人材を教員としてもっと送り込む必要がある。
最高裁長官を昨年、70歳で定年退官した島田仁郎氏は今年、東北学院大の法科大学院で教壇に立った。合格者の少ない下位校だ。半年前まで最高裁のトップにいた法律家が、自ら東京の自宅から仙台まで通勤し、学生たちに直接教えたのだ。
経験豊かな法律家が、現実に法がどう運用されているかを伝える意味は大きい。大勢力である弁護士界から教育の場に転じる人がもっと出てほしい。
朝日新聞 2009年9月12日
新司法試験 大学院の統廃合が必要だ
試験問題が難しすぎたのか、法科大学院の質の問題なのか。4回目を迎えた新司法試験の合格者数が過去最低となった。
合格率も27・6%と初めて30%を切った。裁判員制度、法テラスとともに司法制度改革の3本柱といわれた新司法試験が、当初の構想から大きくずれてきた。法務省は法科大学院の在り方など改革の中身を精査すべきだ。
新試験は裁判官、検察官、弁護士の法曹人口を増やすことを目的に2006年から始まった。専門の大学院で法律の基礎をしっかり学ばせ、毎年3000人程度を法曹界に送り出すとの狙いが込められていた。
背景には旧試験が合格率3%前後と超難関なために受験技術偏重となり、幅広い知識を有した法曹人が育ちにくくなったことがある。社会人や法学部以外の学部出身者にも門戸を開き、3年制の未修者コースを大学院に設けたのもそのためだ。
しかし、今年は7392人が受験、合格者は2043人にとどまった。法務省は「法曹資格にふさわしい能力の有無で合否を判定した結果だ」と、暗に受験生の力不足を指摘している。
当初の予定では大学院修了生の7、8割が合格するはずだった。それが3割にも満たない。この厳しさに法曹希望の学生や社会人は二の足を踏むのではないか。「幅広い人材の確保」をうたった新試験の趣旨は、どこにいってしまったのか。
問われるのは法科大学院そのものである。新試験の導入とともに各地の大学が大学院を設置した。その数は法務省の予想をはるかに上回る74校に達し、教員の不足が心配されていた。
大学院に入ったものの、十分な勉強ができない。これでは学生のレベルが上がらず、合格率が低くなるのもうなずける。特に地方の大学では軒並み合格率が10%台以下だ。教育の在り方自体を見直す必要がある。
法科大学院の新設を安易に認めてきた文部科学省の責任も問われてしかるべきだ。国の根幹をなす司法制度の大改革にかかわる意識が欠如していたのではないか。
大学院乱立で期待した教育が受けられず、困惑しているのは院生である。法務省、文科省は連携して合格率7、8割、合格者3000人から逆算し、大学院の統廃合を進めるべきだ。
裁判員制度が始まり、法曹界には新たな人材が求められている。裁判官には市民裁判員をまとめていくコミュニケーション能力が必要となる。検察官、弁護士もまたしかりだ。
「人づくり」こそ新司法制度を支えるものである。そのことを忘れては改革は画餅(がへい)となる。
新潟日報 2009年9月12日
新司法試験 改革の理念生きてるか
質が高くて、多彩な人材を多く法律家として育てる。そんな司法制度改革の理念がぐらつくような結果だ。
法科大学院の修了者を対象とした新司法試験の合格者が、今年は2043人と初めて前年を下回った。しかも合格率は28%と過去最低を更新した。
3年前に試験が始まった当初は合格率70〜80%を想定し、2010年ごろには合格者3千人を目標にしていたから、その落差にがくぜんとする。
とくに法学部卒でない、社会人出身が多い「未修者コース」の合格率が19%にまで下がったのは残念だ。社会経験のある多様な法律家がもっと増えてほしいからだ。
社会人入学は当初5割近くあったのが、その後は3割前後で推移している。合格率が低迷していることもあって、会社を辞めて3年間高額の授業料を払い、3回しか認められない司法試験に挑戦するリスクを避ける傾向があるという。無理もないことだ。
社会人が勉強しやすい環境を積極的に作り出さなければ、多彩な人材を確保する司法改革の理念は絵に描いたもちになる。働きながら通学できる夜間コースや長期履修コースを設けたり、適切な奨学金や雇用者の協力なども必要だ。
合格者の75%が法科大学院74校のうち上位16校に集中している点も見逃せない。合格率40%以上は8校だけで、京都では京都大が50%(合格者145人)だったが、私立大は立命館大が25%(60人)、同志社大19%(45人)など苦戦している。
中央教育審議会の特別委員会は4月の報告で、法科大学院の定数削減と、合格率が低迷し続ける大学院には抜本見直しを求めている。
定数削減によって教育の質が上がることが期待されるからで、文部科学省の指導で来年度までに入学定員総数は2割程度減少する見通しだ。
法科大学院からは「これ以上定員を減らせば学生が集まらず、教育が成り立たない。多様な人材も確保できなくなる」という悲鳴が聞こえてくる。
現実に、今春の入学で定員の半数に満たなかった法科大学院は13校に上っている。
大学経営のうまみだけで学生を集め、十分な教育を提供できないような法科大学院は淘汰(とうた)されても仕方ない。
しかし、合格率が低いだけで一律に切り捨てるのは乱暴だ。地方の法科大学院の合格者は少ないが、地域の法律家を育成するために考慮が必要だ。
裁判員裁判で判事、検事、弁護士に求められる能力が、法律知識だけでないと言われるようになった。
司法改革の理念は新司法試験のあり方に生かされているのか。法律家以外の目も入れて見直してはどうか。
京都新聞 2009年9月12日
新司法試験 見直しに地方の視点を
裁判官や検察官、弁護士を増やすために創設された法科大学院が、スタートから5年で早くも試練を迎えている。
おととい発表された法科大学院修了者を対象とする2009年新司法試験の合格者は、昨年より22人少ない2043人。目安とされた「2500〜2900人」を大きく割り込んだ。合格者数が前年を下回ったのは初めて。合格率も過去最低の28%に落ち込んだ。
法科大学院は、裁判員制度などと並ぶ司法制度改革の柱の一つである。暗記と受験テクニックに偏りがちだった旧司法試験の反省から、大学院でまず実務・実践的な法理論を学ぶ。そのうえでいわば「修了試験」として新試験を受ける仕組みだ。
政府は、10年ごろに年間合格者を3千人にまで増やす方針だった。しかし、計画の実現は極めて難しい状況になった。当初の構想では、新司法試験の合格率を70〜80%としていた。ところが、年々下がって今回は2割台になってしまった。
中国地方4法科大学院の合格率は広島大25%(合格者21人)、岡山大25%(13人)、広島修道大13%(6人)、島根大4%(1人)。いずれも全国平均を下回った。
合格率低下の大きな原因は、法科大学院が74校にも上り、総定員が約5800人と膨らんだことにある。安くない学費を出して法曹界を目指す学生たちには「こんなはずでは」との思いも強かろう。
今春の入試では、法科大学院への志願者数は、前年度より25%も激減。8割の59校で入学者が入学定員を下回った。法科大学院の乱立が司法試験合格率の低下を招き、志願者減につながっているのは間違いない。優秀な人材が法曹界への転身を敬遠し始め、それがさらに学生の質を下げるという悪循環に陥っていないだろうか。
危機感を抱いた日本弁護士連合会や中央教育審議会が、相次いで定員削減を提言した。学生の質を確保する観点からも、やむを得ないだろう。
文部科学省は各校と調整を進め、来年度は定員を399人削減する。11年度までに計千人程度減す方向だ。中国地方の4校でも2〜4割減になる。
ただ、このような事態を招いた責任は文科省にもある。規制緩和政策で基準に達したところはすべて認可したからだ。
定員削減や統廃合は避けられないとしても、見直しには地方の視点が欠かせない。司法改革は「弁護士過疎」の解消も大きな柱である。「地域に根ざした人材育成」のためにも、まず都市部を中心に手をつけるべきだ。また、大学院側も他校と連携や統合するなどの生き残り策を探ってほしい。
法科大学院に法学部以外の出身者や社会人など多様な背景を持った学生を集める。新しい教育を核として質量ともに分厚い法曹人を生み出していく。司法改革の基礎には、こんな理念がある。法科大学院と司法試験の在り方を含め、法曹の養成制度を見直したい。
中国新聞 2009年9月12日
1紙だけの社説を高校授業で使用 道教委が問題視、実態調査
帯広市内の道立高が8月下旬、公民の授業で衆院選を取り上げた新聞の社説を活用したことをめぐり、道教委が「1紙のみの活用は特定政党の政策について偏った認識を生徒に与えかねない」と問題視し、全道の道立高を対象に新聞や雑誌を使った授業の実態調査を行ったことが10日、分かった。道高教組と北教組は「教育現場への不当な介入だ」として、道教委に抗議している。
道教委などによると、帯広市内の道立高は8月20日、3年生の公民科で、学校が設定できる科目「時事問題研究」の授業を実施。その際、担当教諭は衆院選公示日の18日の北海道新聞の社説を教材に活用し、文中の「政権交代」「マニフェスト」「郵政民営化」などの九つの言葉を空欄としたプリントを作り、生徒に配布、回答させた。社説は雇用や景気などの政策課題と、自民、民主など各党の政策について取り上げた内容で、教諭は授業では社説の論調には触れず、後日の授業で各政党の公約について生徒に討論させたという。
この授業に対し、自民党の小野寺秀(まさる)道議(帯広市)が8月末、「保護者から『自民党を批判しているように見える社説を教材に使うのはおかしい』との声が挙がっている」と道教委に指摘。これを受けて道教委は高校側を調査するとともに、今月7日、全道立高に、政党の政策に関する新聞の社説や雑誌記事を公民科で活用しているかどうか8日までに報告するよう通知を出し、回答を分析中。
調査に対し、道高教組は「教育実践の一部だけを取り上げ、不適切とするのはおかしい。創造的な実践が畏縮(いしゅく)してしまう恐れがある」と批判、北教組も「今回の授業には政治的偏りがあったとは言えず、教育への不当な介入」と反発している。
道教委の田端明雄学校教育局次長は「選挙期間という微妙な時期でもあり、1紙だけでなく、別の論調を紹介するなどの配慮が欠けていた。問題は『自民党を批判しているようにみえる』との外部の指摘のあった社説だけを紹介したことだ。北海道新聞の社説に偏りがあったとは言っていない」と説明している。小野寺道議は「保護者の指摘を道教委に伝え、授業の実態確認を求めたもので、教育への政治的介入の意図はない」と話している。
北海道新聞社は「公示日の社説は今回の衆院選の意義を論じたもので、特定の政党に偏ったものとは考えていない」としている。
北海道新聞 2009年9月11日
教育投資 新政権の覚悟が問われる
経済協力開発機構(OECD)の2006年調査で、日本の国内総生産(GDP)に占める教育費の公財政支出割合は3・3%と、比較可能な28カ国中、下から2番目だったことが分かった。
最下位かブービーか。近年の状況をたどってみると、「定位置」といっても差し支えない。これまでの教育予算をめぐる文部科学省と財務省の綱引きからしても、今回の結果は想定内といったところだろう。
3・3%(OECD加盟国平均4・9%)は、過去最低の数値だ。文科省は「教育費の多くを占める教員の人件費が減ったため」としている。
しかし単純に、少子化の影響で教員が減ったから、数値が下がったと言わんばかりのコメントは説得力に乏しい。小中高校や大学で、教員の数など教育環境は果たして十分に整っているといえるのか。
義務教育の少人数教育は少しずつ進んでいるとはいえ、1学級の平均人数はOECD平均に比べても、依然として6〜9人多い。国立大学も、運営費交付金の減額で、施設整備もままならない厳しい状況が続いている。
さらに問題となるのは、就学前教育と高等教育の家庭負担が、国際的にも突出して大きいことだ。
OECDは「日本の教育を支えているのは私費負担割合の高さ」と分析し、「奨学金を中心とする公財政支出の役割が期待される」と注文を付けている。中でも高等教育の私費負担は67・8%にも達しており、教育格差や国際競争にも負けない人材育成の観点から見ても、看過できる数字ではない。
文科省は昨年、教育振興基本計画に「GDP比5%」の数値目標を盛り込もうとしたが、財務省の猛反発で頓挫した。しかし民主党政権の誕生で、こうした状況は少なからず変化してくるはずだ。
同党は、政策集で「(GDP比を)先進国の平均水準以上に引き上げる」とし、高校教育の実質無償化を公約。就学前教育と高等教育の無償化も段階的に進めると明言している。これを実行に移せば、数値は間違いなく上昇に転じる。
来年度予算にどこまで反映できるかは、未知数の部分が大きい。問題はいかに鋭く財政当局と渡り合えるか。そこには新政権の覚悟も問われる。じっくりとその姿勢を見定めたい。
高知新聞 2009年9月10日
OECD調査 教育費増は効果的な政策で
先進諸国に見劣りする教育予算を拡充していくことに、誰も異論はあるまい。教育政策に優先順位をつけ、着実に実施していくことが必要だ。
経済協力開発機構(OECD)が、加盟各国の教育関連データを公表した。
国と自治体を合わせた2006年の教育予算が国内総生産(GDP)に占める割合では、各国平均4・9%に対し、日本は3・3%と、下から2番目だった。
教育予算は、各国とも教員の人件費が多いが、対GDP比は、教育への取り組み姿勢を表す国際指標として評価されてきた。
注意が必要なのは、このデータは学校など教育機関への支出に限られている点だ。例えば、民主党が掲げる「子ども手当」も、幼児教育などのために確実に使われる保証がなければ、データには含まれないという。
民主党は政策集で、教育予算について、先進国の平均水準であるGDP比5%以上を目標に引き上げるとしている。
ただ、予算額は具体的な教育政策あってのものだ。数値目標だけを独り歩きさせてはならない。
昨年7月に策定された国の教育振興基本計画には、文部科学省が当初、10年間でGDP比5%まで増やすという数値目標を盛り込もうとした。
だが、その実現には7兆円余りが必要なうえ、文科省の示した内訳も粗雑な内容だったことから、見送られた。
OECDのデータには難点もあるが、重要な示唆もある。
日本は、教育支出のうち、家計を中心とする私費負担が重い。特に、幼児教育は6割近く、高等教育は7割近くを占めており、2、3割程度の加盟国平均に比べ、負担の重さが際立っている。
また、日本の高等教育予算は、GDP比では0・5%と、加盟国平均の半分にすぎない。
大学の授業料が高いのに、奨学金などを受けている学生の割合が低いことが、その一因だ。
民主党は、大学生などの希望者全員が受けられる奨学金制度の創設を打ち出している。
今年3月時点で、大学などの中退者のうち、経済的な理由によるものは15%余りを占める。経済的理由で、進学や学業の継続を断念することのないようにしていかねばならない。
同時に、日本が、科学技術立国として国際競争力をつけるためには、研究・開発費など予算の充実も欠かせない。
讀賣新聞 2009年9月10日
教育予算調査 ダメ教師が増えては困る
国や地方自治体の教育予算について、日本は国内総生産(GDP)比で3・3%にとどまり、経済協力開発機構(OECD)の加盟国の中で最低レベルだという調査結果が出た。
日本の教育予算のGDP比が低いとはいっても、別の調査で1人当たりの公的教育費支出をみると平均以上だ。日本の教育費はけっして少なくない。
今回の調査でGDP比が高い北欧などは「大きな政府」で、その分、国民負担率も高い。一方で教員の給与をみると、日本は米国などと比べはるかに厚遇されている。限られた予算で優れた教員を育てて支援し、数よりもまず教育の質向上につなげるような施策を優先すべきではないか。
民主党は政策集で加盟国平均にあたるGDP比5%以上に増やす目標を掲げており、教育予算は来年度予算編成の注目点だ。
教育予算の大部分は今も教職員の人件費だが、文部科学省は8月末にまとめた来年度予算概算要求で公立小中学校の教職員5500人増など今年度を大幅に上回る増員を盛り込んでいる。
民主党は、支持母体の日教組が教職員の増員を強く求めてきた経緯もあり、マニフェスト(政権公約)で教員の質と数を充実させるとしている。文科省の増員要求には追い風が吹いている形だ。
だが、いたずらに教師の数を増やすだけで、公教育の信頼回復が図れるとは思えない。
GDP比をめぐっては国の教育基本振興計画をつくる際にも「5%」の数値目標を盛り込むかどうかで論議を呼んだ。
文科省は、少人数学級や習熟度別授業などを進めるには教員の増員が必要とする施策を打ち出し、5%目標を基本計画に書き込もうとした。しかし、財務省が難色を示して見送られた経緯がある。
児童生徒数が減少する中で増員を続ける必要性も明確とはいえない。少子化にかかわらず、これまでも教員を増やしてきたが、ゆとり教育の中で逆に学力低下など批判が出ている。
教育現場では相変わらず評価や競争を嫌う傾向が強い。教員への査定昇給制度に反発し、日教組傘下の北海道教職員組合が違法ストを行い、教職員の3分の1が処分されるあきれた例も起きた。
教育投資の成果を適切に評価、検証し、教育の質を高める施策を進めねばならない。
産経新聞 2009年9月10日
教育への公的支出、日本は下から2番目 OECD調査
日本や欧米など30カ国の教育の現状をデータで紹介する経済協力開発機構(OECD)の「図表でみる教育」が8日公表された。06年の各国の国内総生産(GDP)に占める学校など教育機関への公的支出の割合を比べると、日本は3.3%で、データがある28カ国中、下から2番目だった。
28カ国の平均は4.9%。日本の支出割合はこれまで最下位層で低迷し、28カ国中最下位だった前年より、今回は順位を一つあげたものの、支出割合では3.4%から3.3%に落ちた。
支出割合が高い国の1位はアイスランドで7.2%、次いでデンマークの6.7%、スウェーデンが6.2%の順。最も低いのはトルコで2.7%だった。
一方、教育支出に占める家計負担の割合は21.8%で、データが比較可能な22カ国中、韓国に次いで高かった。
また、教育環境面で、先生の負担と結びつく児童生徒数をみると、小学校1クラスの平均人数(07年)は日本が28.2人で、OECD平均の21.4人と開きがあった。中学校も1クラス33.2人で、平均の23.9人と大きく差があった。
教育への公的支出の低さをめぐっては、経済危機で教育費の負担感が増したことを背景に、今回の衆院選で各党が公約にOECDの指標を引用し、改善をうたった。
民主党は、教育への公的支出を「先進国平均(対GDP比5%)以上を目標に引き上げる」「OECD先進国並みの教員配置を目指し、少人数学級を推進する」と掲げた。仮に5%とすると、新たに7、8兆円の財源が必要となる。
文科省の今年度当初予算は約5兆3千億円。教育の諸指標をOECD平均並みに、という民主党の公約は、省内では期待とともに「本当にできるのか疑問」と受け止められている。(見市紀世子)
朝日新聞 2009年9月9日
選択のあとに:09政権交代 減額続く交付金 「教育の質、保てない」国立大は悲鳴
◇教員削減など
経済協力開発機構(OECD)が8日に公表した教育調査で、他国と比較して大きく見劣りするのが大学など高等教育費の貧弱さだ。ただでさえ乏しい教育費が小泉政権から続く歳出抑制策で減らされ続けており、各大学からは「教育の質を保てない」との悲鳴が漏れる。OECD平均並みの教育予算を目指す民主党の具体策が問われる。
「大学教員の数が付属校よりも少なくなるなんて」。東京学芸大の馬淵貞利副学長は嘆く。04年度以降、国立大の主要財源である国からの運営費交付金は毎年度1%ずつ減額され、86ある国立大への全交付額はこの5年間で720億円減った。
学芸大の削減額は毎年度約7000万円。付属の小中高校など計13校はクラス編成があり教員を減らすのが困難で、代わりに大学教員を削減した結果、04年度の約380人から350人以下に減り、付属校の教員とほぼ同数まで落ち込んだ。
交付金削減で「施設補修工事を先送りした」(福岡教育大)、「教員の補充ができずになくした講義もある」(上越教育大)と教育の質の維持が困難との声が上がる。国立大学協会は「このままなら一部国立大は破綻(はたん)し基礎研究の芽はつぶれる」と訴える。
子ども手当支給や高校無償化が目玉になっている民主党マニフェストでも、高等教育は奨学金創設がうたわれているだけ。ある国立大学関係者は「最高学府の質が維持されなければ国際競争に勝てない。新政権にすぐにでも陳情し現状を訴える」と語った。【井崎憲、井上俊樹】
毎日新聞 2009年9月9日
全国学力テスト、学校別成績を開示 鳥取県教委が初
鳥取県教育委員会は7日、小学6年と中学3年を対象に本年度実施した全国学力テストについて、情報公開請求者に対し、県内の市町村別・学校別の成績を一部を除いて開示した。都道府県教委が学校別成績を開示するのは初めて。文部科学省の実施要領は都道府県による学校別成績の開示を認めておらず、同省は「国会での議論を踏まえた要領を守るのが本筋。県が開示すると判断したのは残念」と批判している。
開示されたのは県内19市町村すべてと、計166の小中、特別支援学校の国語、算数・数学のそれぞれの平均正答数と平均正答率。鳥取県では市町村別・学校別成績をめぐり、2007年10月に住民が県に開示を請求。県教委は教育関係者らの了解を得られず非開示を決定した。08年12月、県情報公開条例改正案を県議会が可決し、開示を受けた人に対して学校が特定されないよう求める「配慮規定」を盛り込んだ上で、09年度分以降は開示できるようにしていた。
共同通信 2009年9月8日 01:11
世界の名門大 進学資格、立命館宇治高で取得教育…国際機構が認定
立命館宇治高(京都府宇治市)は7日、ハーバード大(米国)など世界の高等教育機関への進学資格が取得できる「ディプロマ・プログラム(DP)」の実施校に同高が認定されたと発表した。関西の高校でDP実施校に選ばれたのは同高が初めてという。
DPは、国際的教育プログラムを実践している財団法人「国際バカロレア(IB)機構」(本部・スイス)が運営する教育プログラムの一つ。DP実施校で所定の課程を学んだ上で世界統一の修了試験(基本は英語)をパスすると、世界各地の100か国以上の大学に優先的に入学が認められるという。
DP実施校になるためには極めて高度な英語教育を実施していることが条件。同高では、英語専門コースを設けて英語授業を多く採り入れたカリキュラムに取り組んできた。現在、同コースに所属する1年生が、2年生時からDPの教育課程へと進み、2011年11月の修了試験に挑む。
同高の汐崎澄夫校長は「日本の学校でもDPが広まるモデルケースとなりたい」と話している。
讀賣新聞 2009年9月8日
全国学力テスト 全員参加方式を続け検証せよ
どういう環境の下でどんな勉強をしてきた子どもが、学力を伸ばせるのか。その手がかりをつかむには、調査の継続と分析・検証が不可欠だ。
文部科学省は先月末、小学6年生と中学3年生を対象に実施した3回目の全国学力テストの結果を公表した。
テストは、国語、算数・数学で知識とその活用力を問う内容だった。各教育委員会や学校は、結果の分析を始めている。
鳥取県では条例が改正され、県教委が市町村別・学校別の結果を公表できるようになったため、近く今年度分を開示する予定だ。
今年度の全国の結果は過去2回と同様、秋田県や福井県が小中学校ともに正答率で上位だった。
注目されるのは、小中学校の全分野で2年連続最下位だった沖縄県が小学校の国語・算数の一部で最下位を脱し、大阪府なども小学校で順位を上げたことだ。
沖縄県では秋田県と教員の交流を始め、大阪府も計算問題や漢字の反復学習に取り組むなど、教育改革を重ねている。
学力テストでは、毎日同じ時間帯に寝起きし、朝食を取る子や、携帯電話の使い方で保護者との約束を守る子のほうが、正答率が高いことがわかってきた。規則正しい生活は学力を支える要因だ。
昨年度から始まった文科省の全国体力テストでも、睡眠や食事など生活習慣がきちんとした子ほど体力があるとの結果が出た。いかに規律ある生活を築くかが、学力や体力向上のカギと言えよう。
全国学力テストに対する政策は各政党で温度差がある。
民主党は、現行の全員参加方式ではなく、抽出調査で十分としている。社民党も抽出調査への変更を求めている。一方、国民新党は継続実施を主張しており、連立政権を組む予定の3党でも違いがある。自民党は継続の立場だ。
来年度は、小6時にテストを受けた子どもが初めて中3として受ける。過去の結果と比べ、わかることは多いはずだ。全員参加方式で続けるのが妥当ではないか。
文科省の実施要領では、都道府県教委は、市町村別・学校別の結果を公表できないことになっている。だが実際には、情報公開請求に応じ、知事や教委が市町村別を公表する例も出ている。
そうであるなら、都道府県教委が少なくとも市町村別の結果を示せるようにすべきではないか。
適度な競争は学力向上への取り組みを活性化させる。教員配置数など施策を考えるにも必要だ。
讀賣新聞 2009年9月7日
全国学力テスト 必要性の議論を深めたい
このテスト、本当に必要なのだろうか。文部科学省が先月末に結果を公表した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)である。
児童・生徒の学力低下批判を受けて43年ぶりに復活し、今年で3回目になる。今年も国語と算数・数学の2教科で、基礎的知識と活用力をみる問題が出題された。文科省は「知識、技能はおおむね定着しているが、活用力に課題がある」と分析した。過去2回とほぼ同じ内容であり、目新しさに乏しい。
生活習慣と成績の関係について分析すると、正答率の高い子どもほど「家で宿題をする」「読書が好き」「朝食を毎日食べる」傾向がある。一方、給食費などを補助する就学援助を受ける子どもが多い学校ほど正答率が低いという。重要な指摘ではあるが、既に知られていることばかりで、全国調査までしなくても分かるのではないか。
狙いとされる一人一人の学力向上に役立っているかも不透明だ。テスト結果が返ってくるまで数カ月もかかり教師が指導に生かすのが難しいからだ。
さらに心配なのはテスト結果が一人歩きすることである。文科省は市町村別や学校別での成績公表を禁じているが、昨年は大阪府や秋田県が順位公表に踏み切るなど混乱を招いた。むしろ学校や地域の序列化を助長しているのではないか。
実施には問題作成費も含め約58億円、3年間で延べ192億円もかかった。新政権を担う民主党は、2011年度から一部の学校に絞る「抽出方式」へ大幅縮小する方針だ。抽出への切り替えで数十億円規模の事業費削減を見込んでいる。自民党は継続実施を主張しているが、一部にはテストの無駄を指摘する声もある。新政権発足後、議論を深める必要がある。
山陽新聞 2009年9月7日
先端研究助成 科学技術を政争の具にするな
科学技術は、日進月歩だ。先端分野ではなおさらで、激しい国際競争に勝つには、立ち止まっている間はない。
政府の総合科学技術会議が、総額2700億円の「先端研究助成基金」を配分する研究者30人を決めた。研究開発に速やかに着手できるよう、政府は手続きを急ぐべきだ。
この基金は今年度の補正予算で創設された。厳しい経済状況の下で、未来の成長の種、日本の科学技術力を底上げする原動力、となる研究開発を後押しする。
1人の研究者に3〜5年で30億〜150億円と、かつてない巨額研究費を投じる点が特長だ。従来は最高でも、一つの研究テーマに年間3億円程度だった。
30人のリストには、日本を代表する科学者がずらり並ぶ。
例えば、京都大学の山中伸弥教授は、病気などで傷んだ組織や臓器を再生させる次世代の医療の主役と目される「iPS細胞」(新型万能細胞)を作った。助成金でまだ基礎レベルにあるiPS細胞の技術を、一気に、実用化の一歩手前まで近づけるという。
ノーベル化学賞受賞者の田中耕一さん(島津製作所)も、リストに入った。新たな化学分析装置の開発に挑む。がんの早期発見、アルツハイマー病の早期診断などに役立てることを目標に掲げる。
純然たる基礎研究もある。宇宙分野で、従来の観測では捉(とら)えることができない「暗黒物質」の正体を解明する研究などだ。
研究開発では思い通り成果が出ないことが多々ある。だが、厳しい財政状況下の助成金だ。選ばれた研究者は、期待に応えるべく全力をあげてもらいたい。
政府も、予算の適切な利用や研究の進捗(しんちょく)に、しっかり目配りする必要がある。特に今回は、新たな試みとして、経費の使途などで自由度を広げている。その効果を含め、事後の評価が大切だ。
ひとつ心配なのは、民主党から政権交代直前の研究者選定に異論が出ていることだ。同党は「凍結もあり得る」と言う。
だが、国会審議で民主党も賛成して創設された制度のはずだ。その上、このまま事務手続きを進めても、予算支出は早くて11月末となる。遅いくらいだ。
日本の未来が科学技術力に立脚するしかないことに、与野党で異論はないはずだ。しかも民主党の鳩山代表は、戦後初の理系出身の首相となる。制度の微修正はあるかもしれないが、科学技術を政争の具とすることは戒めたい。
讀賣新聞 2009年9月6日
抜本的な再検討が必要
小学6年と中学3年を対象に今年4月行われた全国学力テストの結果が公表された。秋田や福井など上位県の固定化傾向がみられ、都道府県ごとの成績のばらつきは小さかった。文部科学省は「全国平均と5ポイント差内なら学力の差はない」としている。鹿児島県は全問題でこの範囲内だった。
文科省は昨年と同様、「知識の活用に問題がある」と分析した。給食費などを補助する就学援助を受ける子どもが多い学校ほど正答率が低い傾向や、「朝食を取る」「読書が好き」などの生活習慣と学力に相関関係があることも指摘した。
いずれも学校現場や家庭で生かすべき大切な指摘だが、全国一斉に、学年全員を対象に実施しなければ得られない内容だろうか。2007年に43年ぶりに復活し、これまでに180億円以上を投入したが、毎回同じような分析である。民主党は縮小して経費を削減する方針を明らかにしている。継続するなら抜本的に再検討し、国が主体となって実施するにふさわしいテストとすべきだ。
学力テストは1956年に小中高校生を対象に始まった。しかし、成績の悪い生徒は試験を受けさせないなど極端な点数主義に走る学校もみられたため、66年に中止された。
復活したのは、国際的な学力調査で日本が順位を下げたのがきっかけだ。「競い合い向上することが大切」と当時の中山成彬文科相が提案した。教育関係者らを中心に反対の声があったが、文科省は「教育水準を把握して、教育施策の実効性を検証する」との名目でスタートさせた。テストの性格付けや導入の目的があいまいだったことは否めない。
学校の序列化を避けるため、文科省は都道府県別の成績発表にとどめた。しかし、大阪府や秋田県のように、教育委員会や学校の奮起を促そうと市町村別の成績公表に踏み切るところが出て、混乱を招いている。
文科省は毎年続ける理由を「一人一人の課題を見つけ指導に役立てる」と説明するが、結果が出るまで4カ月以上もかかり、どんな問題を解いたか忘れている子どもは多いだろう。教員が指導に生かすのは現実的に難しいのではないか。学力把握なら、すでに実施している都道府県単位のテストなどで十分なはずだ。
学力向上には教員の増員や質向上の方が、年1回の全国テスト以上に役立つだろう。鹿児島県などで広がっている少人数クラスを検証し、全国的な導入を論議してもいい。
南日本新聞 2009年9月1日