2009年7月


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《地殻変動:9》日教組と文科省を仲立ち

 「かつて日教組は『反対』のイメージがあり、私をみると反対の頂点にいる輿石に見えるのだろう」

 25日、甲府市内。教職員や元校長らでつくる政治団体の集会で、山梨県教組の幹部らを前に民主党の輿石東(こしいし・あずま)・代表代行はこう訴えた。県教組の委員長を6年間務め、旧社会党の国会議員に。いまは参院民主党をたばね、ねじれ国会の陣頭指揮をとってきた。

 その輿石氏、そして民主党の支持団体である日教組に対し、自民党は批判を強める。

 27日、東京都新宿区内の住宅に、自民党の政策を紹介する小冊子が配られた。「政治は、ギャンブルじゃない」と表紙に書いたその冊子には、民主党に政権を「任せられない」理由を列挙。教育の項目では「日教組寄りの民主党の教育政策!」というタイトルで、「日教組は子供を置き去りにしたさまざまな政治闘争を繰り返し、教育委員会などの指導にも無視を続け、教育荒廃をもたらした元凶とも言われています」と記した。

 自民党・旧文部省と旧社会党・日教組は、かつて激しく対立してきた。しかし、自社さきがけ政権時代の95年、文部省と日教組は協調路線に転換。07年参院選で民主党が国会運営の主導権を握ると、文部科学省と民主党の距離も一気に縮まった。

 教育への公財政支出を国内総生産(GDP)比で5%以上に引き上げる――。民主党が23日に公表した政策集に、こんな項目が盛り込まれた。日本は先進国のなかで最低のGDP比3.4%。それを平均水準に引き上げようという意味だ。

 輿石氏と文科省の連係プレーの成果だった。

 発端は昨年5月のこと。文科省は教育振興基本計画の原案に「GDP比5%」を盛り込んだ。しかし、数値目標導入を嫌う財務省が拒み、計画は宙に浮いてしまった。

 当時の銭谷真美・事務次官が輿石氏の議員会館の部屋を訪れたのはそのころだった。窮状を訴える銭谷氏に、輿石氏は「予算の伴わない基本計画なんてありえない」。民主党は教育予算確保を政府に義務づける法案を提出し、趣旨説明で「5%引き上げ」を表明した。

 結局、自民党文教族も後押しした基本計画への「5%」盛り込みは実現せず、文科省の要望を受けた民主党の法案提出という実績だけ残った。自民党の国会議員は「日教組におもねるのか」と銭谷次官をなじり、別の文科省幹部にも「おまえのところの次官は何だ」と怒りをぶつけた。

 とはいえ、対立点がなくなったわけではない。

 8日の日教組定期大会で、文科相のメッセージが読み上げられなかった。教育基本法改正をめぐって対立していた時期以来で、今回は教員免許更新制への協力を求める文言が含まれていたためだった。大会後の記者会見で、中村譲委員長は「政権交代したら民主党と話し合い、免許更新制をストップする方向でいきたい」と語り、凍結・中止を求める考えを改めて表明した。

 これに対し、14日に就任した坂田東一事務次官も「教員の資質をしっかり確保していくために大事な制度だ。円滑な実施についてご協力をあおぐ」と譲らない。

 軟着陸か激突か。カギを握る輿石氏は、25日の演説ではこう述べるにとどめた。「政治家、政権の責任は、義務教育は無償という考えにたって教育整備をすればいい。教育の中身、先生の身分にまで口を出す必要はないのに、現実はそうなっていない」

     ◇

【日教組と文部科学省】

1947年 日教組結成

  58年 全国で勤務評定が相次ぎ日教組がストも含む反対闘争

  89年 日教組が分裂。反主流派が現・全教を結成

  95年 与謝野文相と横山委員長の間で協調路線に転換

2006年 改正教育基本法が成立

  08年 教育振興基本計画が閣議決定(7月)

朝日新聞 2009年7月31日

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朝日社説 18歳成人―実現へ課題克服の努力を

 20歳になれば、親の承諾がなくても携帯電話や通信販売などの契約ができるし、結婚もできる。20歳をもって成年とする、という民法の規定があるからだ。

 これを18歳に引き下げるべきだ。法相の諮問機関である法制審議会の部会が、そんな報告をまとめた。

 ことの始まりは、憲法改正に必要な国民投票の手続きを定めた法律が、投票年齢を18歳以上としたことだ。併せて、民法の成人年齢規定や20歳から選挙権を認めた公職選挙法の見直しを検討することになった。

 今回の報告書は民法に限っての検討をまとめたもので、妥当な判断だと思う。選挙権の年齢も引き下げることが前提になっている。こちらの方の検討も急いでもらいたい。

 欧米など多くの国々では、選挙権や成人年齢は18歳となっている。こうした国と比べ、日本の若者の成長がとくに遅いとも思えない。憲法改正の判断はできるのに、国政選挙などの投票は認めないというのも無理がある。

 少子高齢化が進む中で、税金や社会保険の負担は若い世代の肩に重くのしかかっている。彼らの声をより広く、政治に反映したい。

 ただ、世論調査では、こうした年齢の引き下げには反対論が結構多い。

 まだ自立していない。未成熟。そんな印象が根強いのだろう。だが、20歳をとうに過ぎても子どものような態度が抜けない大人はいる。

 そもそも20歳を成人と定めたのは明治時代だ。それからの教育制度の発展や民主主義の成熟といった社会や政治の激変を考えれば、20歳という線引きがどこまで有効なのか、疑わしい。

 成人しても親離れしない子ども、あるいは子離れしない親もいるだろう。成人年齢の引き下げをきっかけに、精神的にも経済的にも自立した個人を増やす社会につなげたい。

 それには、政府も国民もそれなりの費用と努力を払う覚悟がいる。家庭や学校で、18歳を目標に据えて、子どもたちの成長を促していく仕組みや制度を作り上げる必要がある。

 法制審部会の報告書は、悪質なマルチ商法などの被害者にならないよう、消費者教育と支援制度の充実を提言している。こうした手だてもしっかり講じなければならない。

 民法以外にも、成人年齢が関係する法令は300を超す。飲酒や喫煙も18歳から認めるのか。少年法の対象から18・19歳を除くべきか。年齢だけでは割り切れない事情も絡む。一律に整合性を求めることはないだろう。

 報告書は、いつから成人年齢を引き下げるかは国会の判断に委ねた。丁寧な合意づくりが大事だというのはもっともだが、実現に向けて課題を乗り越える積極的な努力を国会はすべきだ。

朝日新聞 2009年7月31日

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日教組集会拒否 司法無視のホテル敗訴は当然

 日本教職員組合が、会場の使用を拒んだプリンスホテルに対し、約3億円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は、訴えを全面的に認める判決を言い渡した。

 判決は、使用させるよう命じた裁判所の仮処分決定に従わなかったホテルの姿勢について、「司法制度を否定するもの」と厳しく非難した。ホテル側は控訴した。

 裁判は、紛争を解決する重要な手段だ。その結論に従わなくてよいのであれば、法治国家は成り立たない。判決は当然だろう。

 訴訟の発端となったのは、東京都港区のプリンスホテルが、教育研究全国集会の全体集会の場所として契約した会場を、一転して日教組に使わせなかったことだ。

 判決によると、遅くとも一昨年5月には、日教組とホテル側で会場の使用契約が成立した。

 ところが、半年後、ホテル側は一方的に解約を通告した。「調査の結果、例年、右翼団体の街宣車などで騒音にさらされる実態を確認した」という理由だった。

 日教組は会場の使用を求めて仮処分を申し立て、東京地裁、東京高裁はいずれも認めた。それでもホテル側が応じず、昨年2月の全体集会は中止に追い込まれた。

 判決は、「集会は参加者が様々な意見や情報に接し、自分の思想や人格を形成する場」と述べ、参加者には法律で保護すべき利益があると判断した。その上で、参加者個人への慰謝料も含め、請求通り約3億円の賠償を命じた。

 憲法が保障する「集会の自由」の重要性を踏まえたものだろう。

 さらに、会場の使用拒否について「集会の運営を阻害する違法なもので、その程度も著しい」とし、社長らの責任を認めた。

 どんな集会であれ、合法的なものである限り、保障されるのが民主主義社会だ。もちろん反日教組の集会でも、同様である。

 ホテル周辺には学校も多く、集会の時期は受験シーズンだった。だが、第三者に迷惑をかけることを理由に使用を拒むのなら、契約すべきではなかった。

 いったん契約し、会場費の半額の支払いも受けながら、突如、使用拒否を通告するのは、商道徳に反する。しかも、仮処分の結論が出る前に別の予約を入れるなど、司法軽視も甚だしい。

 ホテル側は警察などと打ち合わせ、混乱を防ぐべきだった。街宣活動などを恐れ、対応を変えたのなら、右翼団体の思うつぼだ。妨害行為を助長しかねない。社会的責任を自覚すべきだ。

讀賣新聞 2009年8月31日

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成年18歳 じっくり合意目指そう

 法制審議会の民法成年年齢部会が、民法上の成人の年齢を20歳から18歳に引き下げることを適当とする最終報告書をまとめた。公職選挙法も改正して選挙年齢も18歳にそろえるのが望ましい、としている。

 1876年の太政官布告以来、20歳から「おとな」とする考え方が定着してきたが、教育水準や体位の向上などを背景に、成年を引き下げるべきだとの意見は少なくなかった。法制審部会の論議は昨年2月、当時の鳩山邦夫法相の諮問を受けて始まったが、元はといえば一昨年5月に成立した国民投票法で18歳以上に投票権を与えたことがきっかけだ。法制審部会とは逆に、選挙年齢に民法の成年をそろえようとの発想が作用しており、国民の重大事が与野党の政治的な駆け引きの具とされた経緯にはわだかまりなしとしない。

 しかし、「社会への参加時期を早め、若者の大人としての自覚を高めることにつながる」とする報告書の指摘に共感し、効果を期待する人は多いはずだ。国際化が進む折、先進諸外国が成年を18歳に引き下げていることも考慮されねばならない。

 一方で、内閣府の昨年の調査に約8割が反対したように、引き下げには根強い不安があることも確かだ。進学率の上昇に伴って18歳の大多数が就学中で親に扶養されているのが実情だから、親権から離れることに現実味がない面もある。最近の若者には、早い自立よりも親の保護下にいることを望む性行も認められる。

 成年を変更すれば300を超す法令に影響が及ぶというが、関係法令ごとの具体的な適正年齢の再検討が不可欠だ。法制審部会が婚姻年齢を男女とも18歳にそろえるべきだ、と結論づけたのは男女平等原理や最近の結婚観などには合致しているが、異論が生じる余地はあるかもしれない。成年を引き下げるとしても、喫煙や飲酒などの年齢要件を変更することが、社会の要請にかなうとは考えにくい。いわゆる年長少年を少年法の対象から外すことの可否も、少年の人権と非行の実態を踏まえつつ慎重に検討されねばならない。

 法制審部会が成年の引き下げには若者の社会的、精神的な自立を促すための公的な仕組みが必要、としたのも当然で、小中学校段階からの徹底した教育や指導が求められる。

 法制審部会は反対論を意識してか、法改正の時期は国会の判断に委ねるとしたが、本来、時期だけでなく成年のあり方なども、国会で特別委員会を設けて慎重に論議すべき課題だ。国民生活の根幹にかかわる一大改革となるだけに、拙速は禁物だ。将来的には18歳成年を目指して、じっくりと国民のコンセンサスを作り上げたい。

毎日新聞 2009年7月31日

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18歳成人 国民の合意形成に努力を

 法務大臣の諮問機関である法制審議会の部会は、選挙権年齢を18歳に引き下げるなら、民法が20歳と定めている成人年齢も18歳に引き下げるのが適当だとする最終報告書を公表した。

 現行民法は「20歳をもって成年(成人)とする」としている。明治29年に制定されてから、113年間もそのままである。

 河村建夫官房長官は30日の会見で部会の最終報告書について、「ひとつの流れだ」と一定の評価を示した。世界的にも「18歳成人」を実施している国が多いことを考慮すると、今回の報告書は、選挙権年齢の引き下げを前提条件にしているとはいえ、妥当な内容といえる。

 とはいっても、成人年齢を2歳引き下げることになれば、多くの課題や問題点も出てくる。成人年齢の引き下げについては、これまで国会などで深く議論されてきたとはいえず、国民の意見もバラバラなのが現状だ。

 内閣府がちょうど1年前に行った世論調査でも、引き下げに否定的な意見が多数だった。特に70歳以上の高齢者に多く、年齢が低くなるほど引き下げ支持が増える傾向は見られたものの、それでも慎重論の方が大勢だった。

 法制審の部会が、成人年齢引き下げの議論を始めたのは、憲法改正手続きを定めた国民投票法が2年前に成立したことがきっかけだ。その中で投票年齢は18歳以上とされ、付則で、来年5月の同法施行までに公職選挙法と民法が定める選挙権や成人年齢の規定についても引き下げるよう検討を行うと定めたからだ。

 報告書でも指摘しているように、少子高齢化が進む日本にとって、成人年齢の引き下げによって若者の「大人への自覚」が芽生え、自立心の向上が期待できる。また、クレジットやローンなどの金銭的契約を独自に結べる年齢層が広がれば、経済活性化にもつながるだろう。

 しかし一方では、高額取引や悪質業者からの勧誘による消費者トラブルの被害拡大などを懸念する声もある。飲酒・喫煙など年齢制限を設けている法律は、政令も含めると300以上もある。少年法も20歳未満となっている。

 これらの法令と、どう連動させるのか。成人年齢の引き下げは、国民の社会意識や社会構造を大きく変える。国民の合意形成にこれまで以上の努力が求められる。

産経新聞 2009年7月31日

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18歳成年 若者の意見が聴きたい

 取りあえず、道筋はつけた。実施に当たっての条件を付け、課題も指摘した。後は国民の判断に任せる。

 民法の成人年齢を、20歳から18歳に引き下げるのが適当とした法制審議会部会の最終報告は、こういう趣旨なのだろう。

 秋の総会を経た後に、法相に答申される。公職選挙法に基づく選挙権年齢の18歳への変更を前提にしているが、肝心の実施時期は「国会の判断に委ねるのが適当」として審議会の判断を避けた。

 1896年(明治29年)に「年齢20歳をもって成年とする」と、民法に定められて以来の大改正となる。

 私たちは昨年2月、当時の鳩山邦夫法相が諮問した段階で、世論の動向を見据えながらじっくりと議論してほしいと注文をつけた。社会的影響が極めて大きく、国民の権利や義務に直結する問題と考えたからだ。

 その思いに今も変わりはない。国会はもとより、国民の幅広い論議が巻き起こることを期待したい。

 「18歳以上を一人前の大人として処遇するのは、若者や社会に大きな活力をもたらすことが期待される」 報告書はそう説明している。少子高齢化時代を迎え、年金の危機が叫ばれ、雇用問題も深刻だ。憲法9条を変えようとの動きもある。若い世代に政治や社会のあり方を考えてもらうのは当然のことだろう。

 ただ、昨夏の内閣府調査で7割もの人が反対したように世論は消極的だ。「経済的に親に依存」「判断能力が不十分だ」との理由からだ。

 現在の民法では、未成年者が親の同意なしで高額商品の購入やローン契約はできない。悪徳商法への対策が徹底されていない中、年齢引き下げで若者がその餌食になる、と危惧(きぐ)する声が各方面から聞かれる。

 報告書もこうした課題は指摘している。その上で、消費者教育や消費者庁設置などの施策が効果を発揮し、国民に浸透した段階で引き下げに踏み切るのが望ましいとした。

 それにこしたことはあるまい。ただ、一朝一夕にいく話ではない。波及する関連法令も300に上るという。18歳成人の実現には、そうした多様な課題に総合的に取り組む窓口を整備する必要も出てこよう。

 国民意識の転換も欠かせまい。そもそも若者たちや親の世代が年齢の引き下げを求めたわけではない。2007年に成立した改憲のための国民投票法が投票年齢を18歳以上としたことが、ことのはじまりだ。

 選挙への参加や飲酒、喫煙、経済的な自立、犯罪の責任など若者を取りまく社会環境が激変する。

 法律論で仕切る前に家庭や学校、職場などで若い世代の意見にも耳を傾けていくべきではないか。

北海道新聞 2009年7月31日

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集会拒否判決 表現の自由を守りたい

 プリンスホテルに厳しい判決が出た。

 日教組の教育研究全国集会をめぐり、グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が会場使用などを契約後に拒否したことから、日教組側がホテル側に損害賠償などを求めた訴訟である。

 東京地裁は、ホテル側に計約2億9千万円の賠償支払いと、謝罪広告の掲載を命じた。日教組側の全面勝訴だ。

 ホテル側は不服としてただちに控訴した。しかし、今回の判決の意味は重い。

 「集会は参加者がさまざまな意見や情報に接することで思想や人格を形成、発展させる。利益は法律上保護されるべきだ」

 使用拒否により中止に追い込まれた全体集会の意義について、判決は明快に述べている。

 使用を断られた日教組側は裁判所に申し立て、東京地裁と東京高裁はともに、会場使用を認める仮処分を決定した。にもかかわらず、ホテル側は従わなかった。

 法治国家の下、社会的に名の知られた企業が取る行動とは思えない。判決はこうしたホテル側の対応について「違法性が著しい」と厳しく批判した。公然とルールを無視する姿勢は、市民からも理解を得られないだろう。

 右翼団体による街宣活動などが心配され「近隣住民や利用者への迷惑を防ぐために、やむなく集会を断った」というのがホテル側の言い分である。

 しかし、迷惑をかけるのは右翼団体であって日教組ではない。警察などと協力し、妨害を排除するのが、本来取るべき態度だった。

 判決は直接触れてはいないが、憲法が保障する集会や言論の自由にかかわる問題である。そのことをあらためて確認したい。

 県内では今月、天皇制がテーマの映画上映をめぐり、岡谷市文化会館(カノラホール)の使用許可を管理者側が上映前日に取り消した。映画監督から仮処分申し立てを受けた長野地裁が、許可取り消しの効力を停止する決定をし、映画はどうにか上映された。

 ほかにも、靖国神社を題材にしたドキュメンタリー映画の上映中止が一時、各地であった。

 表現の自由を危うくするケースが後を絶たない。市民の知る権利にかかわる。一人一人が意識して守る姿勢が大事になる。

 非があるのは、あくまでも集会を邪魔しようとする側である。警察はしっかり目を光らせ、施設側も連携しながら、不当な妨害をはねのけてもらいたい。

信濃毎日新聞 2009年7月31日

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18歳成人 国民的論議を始めるとき

 20歳になれば晴れて大人の仲間入りができる。そんな私たち日本人の常識が、何年か先には変わるかもしれない。

 民法で定められた成人年齢について、法制審議会の部会が「18歳に引き下げるのが適当」とする最終報告をまとめた。

 選挙権年齢の18歳への引き下げという前提に加え、実施によるマイナス面を補う対策も求めている。まだまだ曲折が予想されるが、実現すれば社会通念が変わり、さまざまな仕組みの見直しに通じる。

 実際、法律の上で「成人」になる意味は大きい。選挙権や飲酒・喫煙が認められるほか、親の同意なしに住まいの賃貸契約を結ぶことなども可能になる。

 報告は引き下げの意義を「若者を将来の国づくりの中心としていくという強い決意を示すことにつながる」などと記した。

 とはいえ、引き下げには根強い慎重論がある。たとえば、18歳が成人となると、高校3年生のなかに成人と未成年が混在することになり、混乱しないか。教育現場にすれば、当然の懸念だろう。

 成人年齢引き下げに絡んで改正の検討を迫られる法令は300余もあり、影響は広い範囲に及ぶ。これらを変えるのであれば、よほど十分な吟味が要る。

 ただ、少子高齢化が進む日本では将来、若い世代の負担増が予想される。その意思を正しくくみ取り、他世代とともに社会を担ってもらうには、より早い自立や参画を促す手だてが欠かせない。

 そもそも、日本では当たり前の20歳成人も、世界では少数派になっている。こうした時代状況を考えれば、18歳成人に向き合うときに来ていることは確かだろう。

 問題は、ここに至る引き下げ論議が国民から離れたところで進んできたことだ。

 憲法改正のための国民投票法は原則18歳以上に投票権を与え、2010年の施行までに成人年齢や選挙権年齢を見直すことを明記した。これが議論のきっかけだ。

 ところが、昨年の内閣府世論調査では、「反対」が多数を占めた。日ごろ、引き下げの必要性を感じていないためだろう。

 明治初期の太政官布告から1世紀以上も続き、生活に根付いた考え方を変えるかどうかの選択である。改正時期の判断を委ねられた国会が、こうした世論を置いたまま議論を進めるようでは困る。

 成人年齢引き下げの功罪を一つ一つ確かめながら、国民的な議論を高めていく。そうした姿勢を忘れてはならない。

神戸新聞 2009年7月31日

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教研集会拒否 指弾されたホテルの対応

 街宣車が取り囲み、音量いっぱいに上げて、ときに威嚇、挑発する。右翼団体のこうした行為は多くの利用客が集まる施設にとって、はなはだ迷惑なことに違いない。

 だからといって、ホテルが交わした集会や宿泊の契約を一方的に破棄する理由にはならない。裁判所の仮処分命令の決定にも従わなかったとなれば、なおさら悪質といわざるを得ない。

 日教組が起こした民事裁判で、東京地裁はプリンスホテル(東京)に厳しい司法判断を示した。2億9千万円の損害賠償支払いと全国紙への謝罪広告掲載を命じたもので、日教組の全面勝訴といえる内容だ。

 問題の契約は2007年3〜10月に交わされた。日教組は08年2月に開催予定だった教研集会の会場としてグランドプリンスホテル新高輪と、宿泊用の部屋を系列の別のホテルなどと契約した。その後、ホテル側は「右翼団体の街宣活動などで宿泊客や周辺住民への危険が予想される」などとして、一方的に契約を破棄した。

 日教組はホテル使用の仮処分を求めた。東京地裁と高裁は、使用させるよう命じる決定を相次いで行った。しかし、ホテル側はこれにも応じようとはせず、日教組は教研集会を中止せざるを得なかった。

 いうまでもなく、集会の自由は国民に認められた権利だ。参加者はさまざまな意見や情報に接することで自己の人格を形成、発展させる。その利益は思想、信条にかかわりなく保護されるべきものだ。ホテル側にそうした配慮や自覚が感じられない。

 2度の仮処分を受けてなお、社長以下の役員が使用を拒否したことについて、判決は「司法制度を無視する不当な行為」と断じた。さらに、ホームページなどで自らの正当性を主張する記事を載せたことも、名誉棄損に当たるとした。判決を不服として控訴したことと併せ、ホテル側の対応は常軌を逸したものといわざるを得ない。

 日教組の集会が中止になった2カ月後、ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止や延期が相次いだ。「政治的に中立かどうか疑問がある」などとして、国会で事前に内容を確かめる動きが出たことを受けて、映画館側に上映を見直す連鎖反応が起きたのである。

 有形無形の圧力におびえ、口を閉ざしたりすれば、自由にものを言えない窮屈な社会にならないとも限らない。それこそ、相手の思うつぼである。判決を機に、あらためて肝に銘じたい。

神戸新聞 2009年7月31日

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成人年齢18歳 国民の合意形成が前提

 政府の法制審議会部会が、民法の成人年齢の18歳引き下げを条件付きで容認する最終報告をまとめた。1876年に定められた「20歳成人」の線引きが見直される可能性が出てきた。

 民法は判断の未熟な未成年を保護する目的で20歳未満の場合、結婚には父母の同意、契約締結には親など法定代理人の同意が必要としている。未成年者喫煙禁止法や未成年者飲酒禁止法なども20歳未満を適用対象にしている。

 民法の成人年齢を引き下げれば、こうした年齢基準を設けた約300の法令が改正の検討を迫られる。国民生活の基本にかかわる問題だけに、個々の法令について見直しの必要性や妥当性を吟味し、国民の合意形成を図ることが不可欠だ。

 法制審に引き下げの検討が諮問されたのは、2007年に憲法改正のための国民投票法が成立、投票できる年齢を18歳以上と規定したことが発端だ。国民投票法との整合性を考えれば、公職選挙法改正で国政選挙の選挙権を18歳に引き下げることを条件に、民法の引き下げを容認したのは当然の選択と言えるだろう。

 だが、そのための環境整備はまだこれからと言っていい。最終報告は「若者を将来の国づくりの中心としていく強い覚悟を示すことにつながる」と意義を強調する一方、マイナス面も指摘した。親権の対象となる年齢引き下げで、ニートなど自立できない若者がますます困窮し、悪徳商法被害が拡大する恐れもある。

 「18歳成人」には国民にも根強い抵抗感がある。内閣府の昨年の調査では反対が約7割に上った。「経済的に親に依存し、判断能力も不十分」が主な理由だ。機が熟していない中、弊害が大きいと判断すれば法改正は見送るべきだろう。

 そもそも、民法改正の条件となる公選法改正についても国会で掘り下げた議論をしていない。本来なら国民投票法案の審議過程で、民法など諸法律への影響も検討すべきだった。衆院選での論争が必要だ。

 法制審の議論は1年半に及んだが、明確な結論を導き出せたとは言い難い。18、19歳を悪徳商法などから法的にどう守るかなど具体策を示すべきではなかったか。

 法改正の時期についても、消費者教育の充実や消費者庁設置などの施策が浸透した段階がふさわしいとして国会に判断を委ねてしまった。法律家による専門的見解が答申に盛り込めるよう議論を続けるべきだ。

南日本新聞 2009年7月31日

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成人年齢下げ 国民的な議論を尽くせ

 法相の諮問機関である法制審議会部会が「民法の成人年齢は18歳引き下げが適当」とする最終報告をまとめた。日本で明治以来定着した「20歳成人」を見直し、どのような項目で「18歳引き下げ」を認めるか議論を深めてほしい。

 法制審は、改憲手続きの国民投票法が原則18歳以上の投票と定めたのを受け、選挙権年齢と併せた成人年齢引き下げを検討してきた。海外の成人年齢は主要国の多くで18歳が主流である。

 しかし、国民の間には「なぜ今、成人年齢の引き下げか」という戸惑いも強いのではないか。

 それは昨年末の中間報告で、世論調査の結果が「引き下げ」に慎重な意見が多く、賛否両論併記となったことにもうかがえた。

 議論は難航したが、最終報告は「若者を将来の国づくりの中心に」、選挙参加で「政治参加意欲を高める」などの積極姿勢で「18歳成人」の方向を打ち出した。

 若者の政治、社会参加を促し社会の活性化を図る狙いは評価できる。問題は20歳から18歳に引き下げる項目の選定だ。

 20歳を基準にした法令は選挙権をはじめ飲酒や喫煙など数多い。最終報告は婚姻年齢を男女とも18歳とし、株式、不動産の契約、馬券購入などを認める内容だ。

 これに対し、親の同意を必要としない契約行為や馬券購入には相当の異論も予想される。経済にうとい18歳の若者が悪徳商法の餌食ともなりかねないからだ。

 最終報告は“18歳の経済活動”を推奨する一方で、消費者被害の拡大にも懸念を示す。消費者庁の設置や消費者教育の充実を待つべきとし、法改正の時期は「国会の判断に委ねる」とげたを預けた。

 飲酒・喫煙は安易に18歳に引き下げるべきではない。健康維持を第一に検討すべきだろう。

 民主党は衆院選マニフェストに「成人年齢18歳」を盛り込み、選挙権の付与に積極姿勢だ。共産党も従来、選挙権の18歳引き下げを提唱している。

 改憲にらみの国民投票法の是非とは別に、選挙年齢の引き下げは与野党一致する部分が多い。

 「20歳」「成人」の年齢要件がある法令は300余に及び、これを18歳とすべきか、見直しが検討される。国民生活の大きな変革にもつながり、当事者の若者を含めた国民的な議論が不可欠だ。

琉球新報 2009年7月31日

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成人18歳以上 問題点の吟味と議論を

 明治以降、100年以上続いた「大人」の法的定義が変わるかもしれない。

 政府の法制審議会(法相の諮問機関)部会は、選挙権年齢の引き下げを念頭に「民法の成人年齢を18歳に引き下げるのが適当」とする最終報告をまとめた。

 実現すると、「成年・未成年」や「20歳」など年齢基準を定めている民法や少年法など、約300本の法令見直しの検討が必要となる法制度の大改革となる。

 最終報告は成人年齢引き下げについて、「若者を将来の国づくりの中心としていくという強い決意を示すことにつながる」と強調。「18歳に達した者が自ら就労して得た金銭を法律上も自らの判断で使うことができるようになるなど、社会的・経済的に独立した主体として位置づけられることになり、有意義だ」と結論づけている。

 法改正の実現まで社会的、法的な課題は山積しているが成人年齢引き下げの意味は大きい。有権者が増えることは、それだけ将来の国づくりや暮らしの在り方など議論の幅が広がることにつながるからだ。

 実際、世界的には成年18歳以上が潮流になっている。欧米、ロシア、中国などは18歳以上で、20歳以上の国は日本や韓国などむしろ少ない。

 長年続いてきた法制度を大きく変えるには不安がつきまとう。100年以上も変わらなかった成人年齢の引き下げについても、時間をかけた国民的な議論は不可欠となる。自由な幅広い視点で論議を深めたい。

 最終報告は、成人年齢の18歳引き下げに伴う問題点や解決策を列挙。(1)18、19歳の者が、悪質業者のターゲットとされ、消費者被害が拡大する(2)親の保護が受けにくくなり、ニートや引きこもりなどがますます困窮化する(3)高校の指導が難しくなる―などとし、教育や各種施策の充実を求めている。

 ほかにも、「少年」を「20歳に満たない者」と規定する少年法の改正が検討されることになれば、「少年」の対象年齢見直しや飲酒、喫煙の禁止規定なども議論の対象となる。

 いずれも、一朝一夕には解決しない難しい課題で、実現までのハードルは高い。ただ、そこで思考停止するのではなく、国会を中心にさまざまな場面で、成人年齢引き下げによって起きる問題点を一つ一つ慎重に吟味し、解決策を模索する姿勢も必要だろう。

 成人年齢引き下げの議論は2007年に成立した、憲法改正の手続きに向けた国民投票法で投票権者を18歳以上としたことに端を発している。10年に施行される同法の付則で民法の成年年齢について「必要な法制上の措置を講じる」としたからだが、その後の国会論議は低調だった。

 最終報告は、年齢引き下げの時期について「国民の意識を踏まえ国会の判断に委ねるのが相当」とした。国民の権利・義務や将来の国の在り方にかかわる重要な問題だけに、政党の党派的な思惑に左右されてはならない。

沖縄タイムス 2009年7月31日

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法制審報告 18歳成年は世界の大勢だ

 大人の仲間入りとする年齢を20歳から18歳に改める。実現すれば、国民の意識にも変革を促す歴史的転換となる。

 法制審議会の民法成年年齢部会が「選挙年齢が18歳に下げられるのであれば」と条件付きながら、「民法の成年(成人)年齢を18歳に引き下げるのが適当」とする報告書をまとめた。

 「若者が将来の国づくりの中心であるという、国としての強い決意を示すことにつながる」と、その意義を記している。少子高齢化が進む社会に「大きな活力をもたらしてくれる」とも強調する。

 こうした効果を、ぜひ期待したいものだ。世界の大勢は18歳成年だ。日本の若者だけ未熟というわけではあるまい。国際標準にそろえるという意味もある。

 2年前に成立した、憲法改正手続きを定めた国民投票法の付則に成年年齢や公職選挙法の選挙年齢を18歳以上とするよう、「必要な措置を講ずる」ことが盛り込まれた。これが議論の発端である。

 報告書も指摘するように、成年年齢と選挙年齢が一致してこそ、若者に大人になることの意味を理解してもらいやすい。

 民法は法務省、公選法は総務省と所管は違っても、政府一体で改正作業を進めるべき問題だ。

 成年年齢が18歳以上になるということは、18歳でも親の同意なく契約できるということだ。父母の監督・保護の対象になるのは17歳までということでもある。

 報告書は、18歳や19歳に悪徳商法などの被害が広がる危険性に触れるとともに、政府として、消費者教育や若者の自立を援助する施策の充実が必要だとも指摘している。こうした対策は法改正前から進めなければならない。

 肝心の成年年齢引き下げの時期だが、報告書は、消費者保護施策などの国民への浸透度などを踏まえ、「具体的時期は国会の判断に委ねるのが相当」としている。

 何をもって施策が浸透したとするか、判断は難しい。施行まで長めの猶予期間を置いて、その間に準備するという方策もある。

 未成年者飲酒禁止法や少年法など、民法の成年年齢は民法以外の多くの法令の基準年齢にもなっている。こうした法令の見直しも課題となってくる。

 報告書は「何が変わることになるのか、国民生活にどんな影響を及ぼすのか、周知徹底が必要」だとしている。改正手続きが具体化した段階では、改正の意義を含めて、国民に丁寧に説明していくことが重要になるだろう。

讀賣新聞 2009年7月30日

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会場使用拒否 自由な集会保障の重さ

 「集会は参加者がさまざまな意見や情報に接し自己の思想や人格を形成、発展させ、交流する場。参加者には固有の利益があり、それは法律的に保護されなければならない」

 日本教職員組合(日教組)の教育研究全国集会の会場使用拒否をめぐり、プリンスホテル側に賠償を命じた東京地裁判決の理由に、こうしたくだりがある。

 集会・言論の自由は、日ごろ、ともすれば空気のような存在と感じがちだ。その保障の意義や努力が必要なことも、じっくり考えることは少ない。ハッとさせたのが、この会場拒否問題だった。

 経緯はこうだ。08年2月に東京で開催の教研集会全体会場、参加者宿泊所として、日教組は07年春以降ホテルと契約を結んだが、同年11月になってホテル側から一方的に契約解除を通知された。「右翼の活動で他の利用客や住民に大きな迷惑がかかる恐れがある」が理由だった。

 日教組は解除無効の仮処分申請をし、東京地裁も高裁も認めて仮処分命令が確定した。過去の別会場の集会でもこうした手続きを踏んだことがあり、これで落着していた。

 ところが、ホテル側は受け入れず、仮処分命令を無視した。日教組は全体集会を中止、宿所変更を余儀なくされる。日教組も裁判所も想定外のことだった。

 判決は「他の利用客に迷惑が生じると認められる証拠はない」と正当な理由のない債務不履行を認定したうえ、仮処分無視は「法の予定しない行為で、司法制度無視の不当な行為」と指弾した。あえてそんたくすれば、司法の立場で断じて看過できないという思いもあったろう。

 会場外側の行き過ぎた街宣行動などがあるなら、警察の適切な規制で抑止効果はあるし、これまでの集会、大会で実際そうされてきた。

 だが、今回の問題のような、正当な手続きを無視してでも日教組に会場を使わせないという行為は妨害を企図する団体側の思うつぼであり、公共的な使命を負う施設やスペースが内側から安易に集会を選別、締め出す風潮を生みかねない。東京地裁の判示は一つの歯止めにはなった。

 いうまでもないが、反日教組団体の集会でもルールを守る限り不当に会場使用を拒否されたり、締め出されたりしてはならない。

 自由な意見交換、交流の場である集会がフェンスに囲まれ、大音量の音声を浴びせられている状態自体異様である。いったい集会・言論の自由など民主主義の基本理念がどこまで成熟した社会なのか、と首をかしげさせる光景ではないか。

 私たちの内なる「慣れ」も自戒したい。

毎日新聞 2009年7月30日

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日教組集会判決 いかなる言論も守られる

 グランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)が昨年2月、日教組の教育研究全国集会(教研集会)の会場使用を拒否した問題で東京地裁は、プリンス側に約3億円の損害賠償の支払いなどを命じた。

 今回の問題は、いったん契約を結びながら破棄したプリンス側の分が悪い。日教組の損害賠償請求額を満額認めた判断に若干の疑問は残るものの、おおむね妥当な判決といえるだろう。

 問題は、日教組が教研集会(全体集会)の会場を旅行会社を通じて探し、一昨年5月にプリンスと契約を結んだことに始まる。プリンス側は、想定以上の右翼団体の街宣活動が予想されるとして同11月、契約解除を通告した。

 日教組は会場使用を求めて裁判所に仮処分を申請した。東京高裁が会場使用を認める決定を出したがプリンス側は従わず、全体集会は中止になった。

 この裁判所の仮処分決定を無視したことについて判決は「司法制度を無視し、違法性は著しい」と厳しく断じた。教職員の意見交換や交流の場としての教研集会の意義にも触れ、「法律上保護されるべきだ」と指摘した。

 集会が受験シーズンと重なることから、周辺への影響を考えたというプリンス側の言い分も分からなくはない。

 また日教組はかつての闘争路線から協調・柔軟路線に変わってきたとはいえ、最近の教研集会でも一部組合員の中から、来賓に「帰れコール」が起きるなど旧来の体質が依然消えていない。

 だが、「警察当局などと十分な打ち合わせをすることで混乱は防止できる」とした裁判所の仮処分の判断を尊重し、集会の開催に協力すべきだったのではないか。

 先ごろ広島市では、原爆の日の8月6日に予定された元航空幕僚長の講演会に対し、秋葉忠利市長が「被爆者や遺族の悲しみを増す恐れ」を理由に、日程の変更を文書で申し入れるという問題が起きた。主催者側は市長の申し入れを拒否し、講演会を予定通り開催するとしており、当然である。

 市長名の文書には表現の自由を尊重するとのくだりもあるが、日程変更の申し入れは言論・集会の自由に重大な制限を加えようとしたとされてもやむを得まい。

 民主主義社会では、いかなる言論の自由も保障されねばならないことを改めて肝に銘じたい。

産経新聞 2009年7月30日

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教研集会拒否 賠償命令の意味は重い

 「使用拒否は正当な法的根拠がない」。東京地裁は明確に断じた。

 教育研究全国集会の会場使用を契約後に拒まれ、集会の自由を侵害されたとして、日教組などがプリンスホテル(東京)と役員に損害賠償を求めた訴訟の判決が28日下された。

 地裁はホテル側に対し、請求全額の約2億9000万円の支払いと全国紙への謝罪広告の掲載を命じた。

 憲法が保障する「集会や表現の自由」を、ホテルが阻害したと認定した。当然の判決だろう。

 プリンスホテルは猛省し、民主主義の根幹にかかわる問題であることを認識してほしい。

 日教組は、教研全国集会を2008年2月に開くため、07年5月にグランドプリンスホテル新高輪と会場使用の契約を結んだ。

 ところが、ホテル側は07年11月、契約解除を通知し、集会への参加予定者の宿泊予約も取り消した。

 右翼団体の抗議活動が想定され、客や近隣住民の安全を保てない。これがホテル側の言い分だ。

 しかし、客や近隣住民に迷惑をかける恐れがあるのは、借り手の日教組ではない。

 混乱は、警察との十分な打ち合わせで防げたはずだ。名の通った企業がこんな対応しかとれないのなら、右翼団体の思うつぼではないか。

 政治をはじめ、さまざまな集会の場となるホテルは、公共施設に準じる場と言っていい。

 同業者も「『すべてはお客さまのために』という公共的な考えを持たざるを得ない」と指摘している。

 プリンスホテルのような対応が他に広がるようなことになれば、憲法で保障される権利は守られない。そのことに気づかなかったのか。

 さらに、この問題では、東京地裁と東京高裁が会場使用を認める仮処分を決定したにもかかわらず、ホテル側は従わなかった。

 司法の決定を公然と無視したことになる。法治国家の企業とは思えない行動だ。

 ホテル側は会見などで、日教組が右翼の抗議活動による騒音などの発生を事前に説明しなかった、としたが、判決は「真実ではない」と一蹴(いっしゅう)した。

 責任感のかけらもうかがえない。情けない対応だ。

 集会や表現の自由をめぐっては、映画「靖国 YASUKUNI」などの上映中止問題も起きている。

 樋口陽一東大名誉教授は本紙で、「この風潮が進んでいくと、お互いに萎縮(いしゅく)して物言わぬ社会になる」と厳しく指摘した。

 プリンスホテルは企業の社会的責任の重さを再認識する必要がある。

北海道新聞 2009年7月30日

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ホテル使用拒否 集会の自由重視した判決

 会場使用契約の一方的破棄で集会や言論の自由を侵害されたとして、日教組などがプリンスホテル(東京)や役員らに約2億9千万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は全額の支払いと全国紙への謝罪広告掲載をホテル側に命じた。

 問題は2008年の教研集会に絡んで起きた。日教組は07年3月以降、グランドプリンスホテル新高輪の大宴会場を全体集会の会場に使用することなどでホテル側と契約した。ところが、同11月になってホテル側が「右翼団体の街宣活動などで宿泊客や周辺住民への危険が予想される」と契約の破棄を通告した。日教組の仮処分の申し立てを認めて使用させるよう命じた東京地裁、東京高裁の決定にも応じず、全体集会は初の中止に追い込まれた。

 判決は解約について「法的根拠のない一方的なもので、債務不履行は明白」と厳しく指摘。裁判所の決定に従わなかった姿勢を「司法制度無視で違法性が著しい」と断じた。その上で、集会を「意見や情報を交わして思想や人格を形成、発展させる場」と位置付け、参加は法律上保護されるべき利益に当たるとして損害賠償責任を認めた。

 「集会の自由」は憲法で保障されている。不当に奪われることは民主主義の根幹を揺るがす問題である。今回の判決からは、その危機感とともにホテルの公共性を問う裁判所の姿勢がうかがえる。

 ホテル側が言う拒否理由は契約前から予想されたはずだ。日教組や警察と打ち合わせて対策を講じることにこそ力を入れるべきではなかったか。ホテルが企業として負う社会的責任は重い。にもかかわらず、集会・言論の自由の軽視や法令順守意識を欠いた一連の行為は残念だ。社会の理解も得られまい。

山陽新聞 2009年7月30日

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プリンスホテル判決 「集会封じ」厳しく指弾

 予約を受けながら、右翼の抗議活動による混乱を恐れて一方的に断った。しかも「断ってはいけない」と命じた裁判所の決定まで無視した。これは捨て置けぬ、という意志がにじむような判決だ。

 日教組と組合員1900人がプリンスホテル(東京)と社長らを相手取って起こした損害賠償訴訟で、東京地裁は約2億9千万円の請求すべてを認めた。

 高額な請求には、開けなかった教研集会にかかわる実損に加えて1人5万円の慰謝料が含まれている。原告側が「社会的な制裁」の意味も込めた額だ。

 まるまる認められたのは「同じことを二度と起こさないように」との警告と見るべきだろう。

 判決は二つのことを厳しく指弾している。一つは、ホテル側が契約を正当な理由もなく取り消し、結果的に、集会の自由を奪ったことである。

 「さまざまな意見や情報に接して、思想や人格を形成する場」が集会だと、判決は言う。集会の自由は、言論の自由などとともに憲法で保障され、自由で民主的な社会を形作る土台になっている。

 ところが残念ながら、大音量の街宣車で威圧して、気に入らない相手の言い分を封じたり、集会の場の提供者にいやがらせをしようとする人たちがいる。

 許されないひきょうなやり方だが、これに屈したのがプリンスホテルだった。

 民間企業であり、客商売の立場からするとトラブルは避けたいのはよく分かる。しかしホテルには公共の性格もある。

 理不尽な圧力に負けず、仮に多少の混乱は予想されるにしても、警察の力を借りて筋を通すことができなかったか。判決はそう読み取れる。

 ホテルが弾劾されたもう一点は仮処分に関して「裁判所の命令に従わない」という姿勢だ。

 急を要する時、とりあえず裁判所から相手に「待った」をかけてもらうのが仮処分。日教組は「ホテルは契約解除の破棄を」と東京地裁に仮処分を申請し、認められた。東京高裁も、日教組の言い分を支持した。

 ところがホテルは「集会を受け入れれば右翼の抗議活動で周辺に迷惑を掛ける」と、裁判所の決定に耳を貸さず、契約も元に戻さなかった。

 判決はこの行為を、ホテルの判断が裁判所の判断に優越すると主張するようなものだとし、「司法制度の無視」とまで断じた。ここまで言うのはよほどのことだ。ホテル側は厳しく受け止めなければならない。

 広島市で2月、教研集会が開かれた。右翼の街宣車に対し警官2千人が出動し、道路も渋滞した。そこで「日教組が来るのは迷惑」と思った人がいたかもしれない。とすれば妨害する側の思うつぼだろう。

 たとえ反対意見であっても、威圧的に封じようとする行為は許さない。そうした強い決意を、判決を機に固めたい。

中国新聞 2009年7月30日

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会場使用拒否 厳しい判決は当然だ

 集会の会場使用や参加者の宿泊を契約後に拒まれたとして、日教組がプリンスホテル(東京)と社長ら役員に計約2億9千万円の損害賠償を求めた裁判で、東京地裁が請求全額の支払いを命じる判決を下した。

 プリンスホテル側は「(日教組に批判的な)右翼団体の街宣活動などで宿泊客や周辺住民への危険が予想される」とし、会場を貸す契約を一方的に破棄していた。

 混乱の恐れがあるという理由で会場使用が拒否されれば、集会を妨害しようとする側の思うつぼになりかねない。

 「集会の自由」は、言論や表現の自由と並んで民主主義社会を支える重要な権利の一つだ。これが侵されると自由な意思表示ができなくなり、知る権利も阻害される。

 判決が「違法性は著しく、不法行為責任がある」と厳しくいさめたのは当然である。

 プリンスホテル側は控訴したが、潔く非を認めるべきではなかったか。二度とこうした行為を繰り返さないよう、肝に銘じてもらいたい。

 判決によると、日教組は2007年3〜7月、グランドプリンスホテル新高輪の大宴会場を、08年2月に開催する教育研究全国集会の全体集会会場などとする契約をホテル側と結んだ。ところが、ホテル側は07年11月になって一方的に契約を破棄した。

 さらに、日教組側の仮処分申し立てで会場使用を認めた東京地裁、東京高裁の決定にも従わず、全体集会は中止に追い込まれた。1951年から毎年開催されており、中止されたのは初めてである。

 一流のホテルであるにもかかわらず、裁判所の命令に従わないというのは理解できない。コンプライアンス(法令順守)意識の欠如に、あらためて驚かされる。

 民間のホテルは公共施設ではなく、会場の貸し出しを強制されることはない。しかし、さまざまな立場の人や団体が集会の場として利用しており、限りなく公共性の高い場所と言える。

 しかも、全国に系列のホテルを持つプリンスホテルは、これまで数多くの集会に会場を貸し、要人が宿泊することも多い。警備の面で十分な実績があり、今回の集会に限って対応できなかったというのは筋が通らない。

 今年2月に広島市で開かれた教研集会では、会場などで大きなトラブルはなかった。

 判決は、プリンスホテルがホームページで、日教組側の説明が不正確だったなどと主張した点についても、「自らの違法行為を正当化し、右翼団体の違法な妨害行為を助長する内容で許されない」と厳しく批判した。

 不当な圧力を恐れ、事なかれ主義に陥ることを戒めたものとして評価できる。

 集会や言論の自由は憲法で保障された基本的権利だが、侵害されないよう、私たち一人一人が不断に努力しなければ守れない。

 他のホテルや施設の関係者も、今回の判決の持つ意味を重く受け止めてもらいたい。

徳島新聞 2009年7月30日

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教研集会拒否 判決の重さかみしめよ

 日教組の教研集会の会場使用と参加者の宿泊を契約後に拒否したプリンスホテル(東京)に、東京地裁が3億円近い損害賠償の支払いと謝罪広告掲載を命じた。集会や言論の自由を侵害されたと訴えていた日教組側の勝訴であり、当然の判決である。

 ホテル側が一方的に契約を破棄したのは2007年11月だった。「右翼団体の街宣活動で宿泊客や周辺住民への危険が予想される」と主張して譲らず、翌年2月の教研集会は史上初めて全体集会が中止された。

 宿泊を拒否した問題では、警視庁が今年3月に旅館業法違反の疑いでホテルを書類送検した。今回の判決も「ホテル側の一方的解約には法的根拠がない」と指摘している。

 ホテル側の主張は右翼団体の意をくんだも同然であり、宿泊拒否の正当な理由にならないのは明らかだ。宿泊業者の使命を放棄したことを猛省しなければならない。

 理解しがたいのは、日教組の会場使用を命じた裁判所の仮処分決定後も、拒否を貫いたことである。こうしたホテルの姿勢を「司法制度を無視する容認できない不当行為」と、判決は厳しく断罪した。

 裁判所の怒りが伝わってくるようだ。司法命令を否定しても自らの主張や利益を正当化する。経営陣の見識を疑うばかりだが、これを許しては法治国家が成り立たない。

 ホテル側は判決を不服として控訴する方針である。争う相手を間違えているのではないか。

 「警備状況をめぐる日教組の説明が不十分だった」と、ホテル側は契約破棄の正当性を主張してきた。

 だが、右翼団体が街宣車を動員して反対行動する光景は、教研集会の度に繰り返されている。要人警護でも実績のあるホテルが、それを知らなかったとするのは不自然だ。仮にそうだとしても、警察に取り締まりを要請すべきで、日教組側に責任を押しつけるのはお門違いである。

 判決は「集会はさまざまな意見や情報に接する場であり、参加者の利益は法律上保護されるべき」とも指摘した。集会の自由は憲法が保障した権利である。ホテル側は結果的に集会の自由を侵したことを、重く受け止めるべきだ。

 昨年春は映画「靖国」の上映中止が相次ぎ、表現の自由が問題になった。一部の政治団体や政治家の圧力で、もの言えぬ国になれば危うい。判決が民主主義の根幹にも触れていることを忘れてはならない。

南日本新聞 2009年7月30日

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教研拒否訴訟 「集会の自由」が守られた

 プリンスホテルが日教組の教研集会の会場使用や参加者宿泊を契約後に拒否した損害賠償請求訴訟の判決で、東京地裁はホテル側に請求全額(計約2億9000万円)の支払いと全国紙への謝罪広告掲載を命じた。

 憲法が保障する「集会・表現の自由」を脅かす事態と懸念されていただけに、それが司法の場で守られた意味は大きい。日教組側の全面勝訴の判決は、国の最高法規に立脚した極めて適切な判断といえる。

 東京・品川のグランドプリンスホテル新高輪が、日教組の教研集会の会場使用を拒否したことが分かったのは昨年1月。東京地裁と高裁は同月、使用を命じる仮処分決定を出したが、ホテル側が従わず、集会は中止となった。

 日教組側は同年3月、ホテル側に損害賠償を求め、提訴した。東京都港区も、集会参加者の宿泊拒否は旅館業法違反に当たるとしてホテルに厳重注意。ことし3月には、警視庁が旅館業法違反容疑で法人としてのプリンスホテルと社長ら4人を書類送検していた。

 判決理由で、裁判長は「ホテル側の一方的解約には法的根拠がなく、債務不履行は明らか。仮に右翼団体の街宣活動があっても、契約は履行できる」と指摘。日教組側の仮処分申し立てを認めた裁判所の決定にも従わなかった同社の姿勢を「司法制度無視で違法性が著しい」と批判した。

 当然の指摘、批判であろう。右翼活動で利用客や周辺住民に多大な迷惑が及ぶ恐れがあったとする主張が退けられたことを、ホテル側は重く受け止めるべきだ。

 「迷惑」を言うなら、まずは妨害する側の右翼団体を訴え、取り締まってもらうのが筋だろう。それを怠って逆に、整然と教育研究活動にいそしもうとする側を排除する論理、手法は民主主義社会では通りにくい。

 ホテル側は判決を不服として控訴する構えだが、同様な主張の繰り返しでは、裁判長も指摘するように「右翼団体の違法な妨害行為を助長する」だけではないのか。

 宿泊拒否問題ではハンセン病元患者の宿泊を拒み、批判を浴びて廃業に追い込まれた九州のホテルの例が想起される。人権の尊重なくして健全な経営など成り立つまい。民間といえど、ホテルは公共性を帯びる。そのことを肝に銘じ、社会的役割を果たしてほしい。

琉球新報 2009年7月30日

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教研集会拒否―ホテルが負う重い代償

 右翼の街宣車が集まり、耳をつんざくような大音量で演説を繰り返す。一種の暴力だ。それに屈せず、社会の自由を守るために皆が力を合わせたい。あらためて、そう考えさせる判決がきのう、東京地裁であった。

 被告はプリンスホテル。訴えたのは日本教職員組合(日教組)だ。同社が経営する都心のホテルは、昨年の日教組の教育研究全国集会に会場を貸すことと参加者の宿泊を引き受けていた。

 だが、右翼の街宣活動などがあれば宿泊客や周辺の迷惑になるとして、契約を一方的に破棄した。裁判所は、きちんと警備すれば大丈夫だという日教組の訴えを認めて会場を使用させるよう命令したが、ホテル側はこれも拒否し、全体集会は開けなかった。

 判決があったのは、この損害賠償を求める民事裁判だ。地裁は日教組の主張を全面的に認め、約2億9千万円の賠償と謝罪広告の新聞掲載を命じた。

 右翼の街宣活動は教研集会のたびに行われてきた。集会を妨害するだけでなく、会場を貸す側にも圧力をかけ、開催できなくさせようという意図があったと考えるのが自然だ。それにホテルが屈してしまった。

 会場貸しの契約破棄どころか、法令に反して参加者の宿泊も拒み、さらに裁判所の命令まで無視するというのは尋常ではない。企業の社会責任をまったく放棄するものであり、経営者の責任は極めて重い。

 同時に指摘したいのは、街宣車の無法ぶりだ。それが人々を怖がらせ、結果として言論、表現の自由などが侵害され、社会が萎縮(いしゅく)する。警察による厳しい取り締まりが必要だ。

 迷惑がる気持ちも、分からないではない。ホテル周辺の中学校長からは、おかげで入試が円滑にできたと感謝する手紙がホテルに寄せられたという。

 ただ、圧力に屈して自由が引っ込むような社会が、子どもに対して胸を張れるものでないことは確かだろう。

 集会などの会場が外部からの抗議で使用拒否になる事例は少なくない。教研集会が中止された2カ月後には、中国人監督がつくったドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映を予定していた映画館が中止するという事態も起きた。

 こうしたことが続くと、今の日本は自由に集い、自由にものを言える社会なのか、疑問に思えてくる。

 ホテルに会場使用を命じた裁判所は「日教組や警察と十分打ち合わせをすれば、混乱は防げる」と指摘していた。実際、今年の広島市での教研集会では、初日に街宣車が集結したが、警察が取り締まると激減した。

 戦うのは勇気のいることだ。ホテル業界の雄でもあるプリンスホテルが、もっと断固とした姿勢を示してくれればと、残念でならない。

朝日新聞 2009年7月29日

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プリンスホテル 集会つぶした罪の重さ

 当然の判決と言える。日教組に集会の会場を貸さなかった東京都内のホテルに東京地裁は損害賠償金の支払いなどを命じた。額は三億円近い。集会の自由を侵害した罪の重さをかみしめるべきだ。

 日教組は教師や教育関係者が集まって教育のさまざまな問題を話し合う「教育研究全国集会」を主催している。昨年は二月二日から三日間、東京都内で開催したが、約二千人が参加する予定だった全体集会は中止となった。

 会場を引き受けていた「グランドプリンスホテル新高輪」が一方的に契約を解除したからだ。日教組は二〇〇七年五月に会場を契約した。しかし、ホテル側は十一月になって解約を通知した。

 「日教組の集会に反対する右翼団体が集まってホテル周辺で街宣活動するおそれがあり、ほかの宿泊客や近隣住民に騒音などの迷惑がかかる」という理由だった。

 日教組は仮処分を申請し、東京地裁、東京高裁とも「解約は無効で、会場を使用させなければならない」と命じた。それにもかかわらず、ホテルは使用を拒んだ。

 二十八日の東京地裁判決は「司法制度を無視した不当行為で、違法性は著しい」と批判した。法をないがしろにした態度を、裁判所が厳しく裁いたのは当然だ。

 判決は「集会に参加する利益は法律上保護されるべきだ」と指摘した。ホテルは集会に参加しようとした教師らの宿泊予約も取り消しており、これにも賠償責任を負わなければならない。

 ホテル側は使用を拒み続けたことで何を守ろうとしたのか。

 右翼の妨害行為などは契約した時点で想定できたはずだ。日教組は警察に警備要請している。宿泊や集会の場を提供することを業とする会社であれば、警察や近隣と協力しながら、集会開催に向けて力を尽くすべきだった。

 今年二月、広島市内で開かれた教育研究集会では大きなトラブルはなかった。法に問われるのは大音量の街宣車であり、主催者、会場、警察がその気になれば騒音迷惑は押さえ込めるだろう。

 一流のホテルなのに、何の努力もせず、見えない右翼の“威圧”に屈しただけではないか。契約履行に向けて最大限努力するのが企業のあるべき姿勢だ。それが企業の信用というものではないか。

 判決は日教組の請求額をすべて認めた。ホテルには金銭的支出が高くついたが、この問題で“のれん”についた傷もかなり深い。

中日新聞・東京新聞 2009年7月29日

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会場拒否判決 集会の自由はかくも重い

 法令を順守しないのみならず、結果的に憲法が保障する「集会の自由」をも脅かす。そんな企業の姿勢が厳しく指弾された。

 日教組の教育研究全国集会の会場使用を契約後に破棄したプリンスホテル(東京)側に対し、日教組などが計約2億9千万円の損害賠償などを求めた訴訟で、東京地裁は全額の支払いを命じた。原告側の主張を全面的に認めた当然の判決である。

 この問題でホテル側は、会場を使用させるよう命じた東京地裁、同高裁の仮処分決定にも応じていない。司法制度を無視する強硬姿勢は理解し難い。

 ホテル側は右翼団体の妨害行為から客を守るためと主張するが、威圧に屈したとの印象はぬぐえない。集会や表現の自由より企業防衛の論理を優先させたと言われても仕方がないだろう。社会的責任が求められる大企業として、猛省するべきだ。

 日教組は2007年、グランドプリンスホテル新高輪を教研集会の会場や参加者の宿舎などとする契約を結んだ。しかし、ホテル側はその後、右翼団体の街宣活動の可能性を理由に契約を破棄した。

 警視庁は正当な理由なく宿泊を拒否したなどとして、旅館業法違反の疑いで同ホテルなどを書類送検し、東京都港区も厳重注意している。ホテル側の立場は明らかに不利だった。

 判決も「一方的解約には法的根拠がない」「違法性が著しい」と明快だ。むろん、問題なのはビジネス上の信義違反だけではない。

 教研集会は全国の教職員らが集まり、教育実践や現場の課題を報告し討議する場である。それがホテル側の取った措置により、1951年の開始以来初めて中止に追い込まれた。結果的に集会の自由を妨げたことがより深刻だ。

 県内でも須崎市が全日本教職員組合の定期大会の会場利用許可を取り消し、高知地裁がそれを認めない決定を下したことがある。今回は民間企業に対しても同様の判断が示された。集会の自由が持つ意味はそれだけ重い。

 会場拒否問題は、民主的な社会がほんのささいなことで揺らぐことを如実に示した。基本的人権は最大限守られるべきものである。プリンスホテルだけの問題ではない。施設を管理運営する団体などは、集会の自由に十分配慮しなければならない。

高知新聞 2009年7月29日

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就学援助最多 学習機会保障は大人の務め

 経済的な事情で学用品や修学旅行費などの就学援助を受ける県内の小中学生が2008年度は過去最多の2万2660人に上ったことが県教育庁のまとめで分かった。

 県内の全児童生徒約14万9600人に占める受給割合は15%強で、前年度比0・85ポイント増となった。就学援助の受給者数は、児童生徒数の減少傾向とは逆に増加した。

 昨今の厳しい経済状況は家計や雇用、年金生活など暮らし全般に影を落としているが、その影響が小中学生にも及び学習環境を危うくしている。由々しき事態だ。

 就学援助のうち、生活保護法に基づき国庫補助金で措置される「要保護」は08年度2251人で前年度に比べ57人増えた。生活保護に準じる家庭に対し、市町村が独自の基準で認定し一般財源で措置する「準要保護」は2万409人で、前年度比1113人増えた。

 家庭を取り巻く経済環境がさらに悪化すれば、準要保護が要保護に転じる可能性も否定できない。ことは教育行政だけの問題ではない。雇用、福祉分野を含め関係各部局が連携を密にして、要保護、準要保護世帯の両方への自立支援を強化していく必要がある。

 準要保護の就学援助については、国が05年以降、国庫補助の対象から除外。市町村が一般財源から費用を捻出(ねんしゅつ)し、補助している。これに伴い、市町村の財政力の差によって、準要保護への就学援助の格差拡大が懸念されている。

 琉球新報社が今年3月に県内41市町村にアンケートを実施したところ、自治体の担当者から「同じ条件でも市町村によって受給できる場合とできない場合がある」といった矛盾が指摘された。

 研究者からは「国が自治体任せにしている現状では今後、義務教育も満足に受けられない子が出てくる恐れがある」(佐久間正夫琉大教授)などと、国の教育制度充実を求める意見が出ている。

 文部科学省の有識者懇談会も今月3日、幼児教育の無償化や、授業料減免など年収350万円以下の低所得家庭への財政支援、就学援助に対する国の財政支援強化などの提言をまとめている。

 家庭の経済事情や市町村の財政力によって、次代を担う児童生徒の学習の機会が損なわれないよう、すべての関係者が最善を尽くすべきだろう。それは憲法が大人に課した義務と認識すべきだ。

琉球新報 2009年7月29日

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法科大学院 少数精鋭で質の高い教育を

 信頼される司法制度を構築するには、有能な裁判官、検察官、弁護士の養成が必要だ。その養成機関としての役割を担えない一部の法科大学院の淘汰(とうた)は避けられまい。

 今春、法科大学院に入った学生が対象だった2009年度入試の志願者数は、前年度より25%減少し、初めて3万人を割った。競争倍率は、74校のうち42校で2倍未満だった。定員30人のところ、入学者が5人の大学院もあった。

 10年度入試が間もなく本格化するが、志願者数の低迷は続くとみられる。司法制度改革の柱として04年に誕生した法科大学院は早くも転換期にあるといえよう。

 法科大学院の修了者には司法試験の受験資格が与えられる。その合格率は当初、7〜8割に達するとの見通しだった。

 だが、実際の合格率は振るわず、昨年は33%だった。法科大学院に入っても法曹への道が開かれない現状が、志願者減につながっていることは間違いないだろう。

 法科大学院には、司法試験の受験指導に偏らず、法理論や実務面で、法律家としての基礎を身に着けさせることが望まれている。

 しかし、質の高い志願者が集まらなければ、大学院は能力的に劣る学生を受け入れざるを得ない。学生は十分な力を身に着けられないまま司法試験に臨み、不合格となる。まさに悪循環である。

 中央教育審議会は、入試の倍率が2倍未満の法科大学院に対し、定員を減らすよう求めている。これまでに約50校が定員削減を決めたのは、学生の質の確保の観点から、当然のことといえる。

 悪循環のそもそもの原因は、74の大学院が乱立していることにある。今後、実績を残せない大学院が敬遠される傾向は、さらに進むだろう。その結果、経営が悪化し、淘汰されるケースが出てくるのもやむを得まい。

 大学院同士の統合や再編も積極的に進めるべきだ。

 政府は、昨年は2000人余だった司法試験の合格者を、10年には3000人に増やす方針だ。都市部に集中する弁護士の偏在解消などのため、この増員計画は堅持していかねばならない。

 その際、合格者の質の低下をどう抑えるかが課題である。各大学院が、少数精鋭のきめ細かい教育を実践することが求められる。

 11年度からは、法科大学院を経なくても司法試験を受験できる予備試験が始まる。この受験者が多くなれば、法科大学院は存在意義が問われることになる。

讀賣新聞 2009年7月26日

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科学五輪 才能伸ばす教育の充実を

 国際科学オリンピック(科学五輪)で日本の高校生が生物学で1つ、数学で5つ、物理で2つの金メダルを獲得した。生物学での「金」は今回が初めてである。若者の理数離れが懸念される中、うれしい快挙だ。

 特別の才能を伸ばす教育は日本が苦手としてきた課題だ。科学立国を支える人材を育てる教育を充実させる弾みにしたい。

 高校生らが参加する科学五輪は、50年前に数学五輪がルーマニアで始まり、物理、化学、情報など開催分野が増えた。毎年、7月中下旬ごろ行われている。将来の科学者などになる才能を育てる目的で、教科書の内容を超えた問題が出題される。実験や解剖など実技もあり、得点上位者の一定割合にメダルが贈られる。

 日本は数学五輪に約20年前から参加しているが、ほかは生物学が5回目の参加など経験が浅い。

 生物学五輪は日本で初めて開催され、4人の代表のうち千葉県立船橋高校3年、大月亮太さんが金メダル、ほかの3人も銀メダルの好成績だった。数学五輪でも筑波大付属駒場高校3年生が満点を取るなど合計得点の国別順位で過去最高の2位となった。

 ただ喜んでばかりもいられない。科学五輪は近年、中国が上位を独占し、今回の3分野も国別順位は中国が1位だった。韓国、インドなどアジアのライバルも上位を占め、日本は生物学で6位、物理は11位にとどまった。

 中国は優秀な生徒を選抜、特訓するなど徹底したエリート教育を行っている。国情は異なるが理数の人材育成は国力にかかわるものだ。文部科学省は5年前から科学技術振興機構を通じ大会参加者への助成など支援を始めた。

 科学五輪のような取り組みに熱心でなかった背景には、エリート教育を嫌う悪平等の体質が教育界に根強いことが挙げられる。

 生物学で金メダルを取った大月さんが通う高校では授業で資料集を教材にしている。進歩の早い生物学の分野では日本の教科書は内容が古く薄すぎるという。また教室で生徒が疑問を持てば、すぐ質問をし、教師と膝(ひざ)を交えて討論できる習慣づくりも徹底している。秀でた才能を見いだし、育てるには教師らの力も欠かせない。

 好奇心に応える教材や指導法、大学入試の改善など、偏差値優等生だけでない、未来の才能を育てる教育をさらに工夫すべきだ。

産経新聞 2009年7月26日

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判例踏襲だけでいいか

 県立学校の卒業式や入学式での「日の丸掲揚、君が代斉唱」問題で、それに対して起立・斉唱する義務のない確認を求めた教職員135人の訴えが横浜地裁で退けられた。この問題をめぐっては、2007年2月に最高裁で教職員側に起立・斉唱の義務があるとする判断が出されている。今回の判決もその流れに沿ったものといえる。

 だが、判決内容に目を通すと、主に憲法で保障されている「思想、良心の自由」が問われたはずの裁判で、原告の主張が門前払い同様に退けられたことに違和感を覚える。

 判決は「従来から広く実施されている」ことなどを理由に、起立・斉唱は「通常想定される儀礼的な行為」と認定。思想の問題については「原告の内心に影響を与えることは否定できない」と触れただけで、起立・斉唱の拒否は「生徒への指導上、問題があることは明らか」と原告側を批判した。

 原告の訴えに正面から向き合うことなく、「慣例だから一律に従うべきだ」と言うにも等しく、裁判所が目指す「市民に身近な司法」からは懸け離れた判決内容と言わざるを得ない。

 県内では、県教育委員会が起立を拒んだ教職員の氏名を収集していることに対し、県個人情報保護審査会が07年10月に「(不起立は)思想信条に基づく行為」として収集停止を求め、同保護審議会も08年1月に「氏名収集は不適当」との答申を出すなど、原告側の主張を支持する判断も出ている。

 「思想、良心の自由」が守られているかどうかは、人の心に踏み入るデリケートな争点で、裁判所は、少なくとも審理を重ねた上で、原告も被告も納得できるような判決文を出す努力をすべきではなかったか。

 もちろん日の丸・君が代は国旗国歌に法定され、多くの国民に受け入れられている。しかるべき敬意が払われて当然だが、一方で自らの思想信条などに基づき、起立・斉唱できないという人々がいることも認めねばならない。そうした多様を知るのもまた教育の姿だろう。

 解決には、異論を唱える人がたとえ少数であっても、意見を聞いて公平に議論をしていくことが必要だ。このまま判例を踏襲するばかりの判決が重ねられても、県教委側の指導が強まるばかりで、教育現場の混乱は収まらないのではないか。

神奈川新聞 2009年7月25日

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憲法改正 日本どうするかの議論を

 来年5月18日、憲法改正原案の発議が可能となる。今回の総選挙で選ばれる議員は、国のありようを定める憲法の改正に取り組むことができる。日本をどうするかを決める役割を担うことを深く認識してほしい。

 しかし、こうした憲法論議は現在、高まりを見せていない。憲法改正原案などを審議する衆参両院の憲法審査会が設置以来約2年間、機能していないためだ。

 さきの通常国会では、この審査会の運営ルールとなる「審査会規程」が衆院で自民、公明両党の賛成で可決された。しかし、参院側の規程については、審議に入れなかった。民主党などが「与野党が合意できる環境が整っていない」などの理由で反対したからだ。

 民主党の鳩山由紀夫代表は憲法改正を持論としているが、きわめて残念な対応だ。言行不一致は信頼性を損ないかねない。

 増大する北朝鮮や中国の脅威に対応し、日米同盟を強化するためには、集団的自衛権の行使に向けた憲法解釈の変更や9条改正の議論が急がれる。

 民主党がマニフェスト(政権公約)に先立って公表した政策集「INDEX2009」では、「国民の多くが改正を求め、国会内の広範かつ円満な合意形成ができる事項があるかどうか」を憲法論議の前提条件に掲げている。かつての改憲姿勢から、大きく後退しているのではないか。

 憲法審査会を国会に置く根拠となった憲法改正手続きのための国民投票法について、当初、民主党も積極的だったことを忘れてはなるまい。

 公明党はマニフェストで「憲法と現実の乖離(かいり)」を検証するため「現行憲法をあらゆる角度から点検する国民的作業」の必要性を打ち出した。急ぐべきである。

 公明党は集団的自衛権の行使などの問題には慎重だ。しかし、マニフェストには「一日も早く議論の場を設ける」と憲法審査会の活用が提起された。

 自民党はマニフェストで、麻生太郎首相の意向を受けて集団的自衛権の行使を盛り込む方向だが、憲法との整合性について「現実的な整理を行う」などの表現にとどまるようだ。これでは自民党らしさに欠ける。

 憲法解釈の変更に踏み出すことを明確にすべきだ。自民党が憲法論議をリードしないで、だれがその役割を担うというのか。

産経新聞 2009年7月25日

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医学部定員拡大「二重行政の解消こそ急げ」

 医師不足の深刻化を受けて文部科学省は来年度、医学部の入学定員を最大で370人程度増やす計画を発表した。地域への医師定着を図るために奨学金や「定着枠」を活用する大学に対し、各都道府県で7人まで増員を認めるという。

 医学部定員は1981年度の8280人をピークに、2007年度には7625人まで減少した。緊急医師確保対策を講じた08年度からは拡大に転じ、今年度はピーク時を超える8464人となっていた。つまり2年間で839人増やしている。

 「医者が多い」と定員を減らしながら、地域や産科などで医師が足りないからピーク時よりも「増やせ」という。見事なまでの朝令暮改ぶりだが、そもそも日本特有の二重行政が背景にある。

 大学の予算や定員などは文科省が管轄しているが、地域の医師不足を招いたと指摘されている新たな研修制度など医療行政は厚生労働省が決めている。両省が緊密に連携していれば、急激な定員の増減は避けられたはず。猫の目のようにくるくると変わる方針が、そうではないことを実証している。

 国の方針に従わざるを得ない大学側にも相当な負担だ。学生が増えるということは、教室や教員、研究資料その他の環境を整えることを意味するからだ。

 まして生命を扱うだけに、特殊かつ高度な知識と経験、そして倫理観が求められる職種である。優秀な人材を確保するためにはペーパーテストの成績だけで判断するのは困難だ。独り立ちして診療できるようになるには相応の訓練期間も必要だ。

 今回の計画について弘前大学は「可能であれば増員したい」としている。しかし同大では今年度も医学部医学科定員を10人増員しており、3年次編入学と合わせた定員120人は過去最大規模となっている。このため「ある程度条件などが整えば検討していく」とのスタンスだ。

 同大に限らず、大学側が定員に見合った負担を行政に求めることは当然の理(ことわり)で、国は地方自治体に押しつけることなく予算措置する義務がある。

 医師不足の解消は次期衆院選でも各党が公約に掲げ、候補者も声高に訴えることだろう。しかし医師を育てる環境の充実、勤務地や診療科に左右されない収入の保証、そして大学や地方の声を踏まえた長期ビジョンの策定なくして「安全・安心な医療」は見えまい。

 そして二重行政という、この国の構造的な問題の解決を急ぐ必要がある。有権者は各候補者の訴えに耳を傾け、果たしてどれだけこの問題を理解し、さらには覚悟があるのかも見極めてもらいたい。

陸奥新報 2009年7月24日

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韓国の教育関係者が東成瀬村を視察 学力トップの秘密を探る

授業の様子を見学する三陟市の教育関係者=東成瀬村の東成瀬中
 文部科学省の全国学力テストで2年連続トップ級の成績を収めた本県の教育現場を視察するため、韓国・三陟(サムチョク)市の教育関係者が21日、東成瀬村を訪れた。

 視察に訪れたのは、同市にある大学や高校、研究機関の職員5人。初めに訪問した村教育委員会では、鶴飼孝教育長が「小さい村だが、みんな一生懸命頑張っている。学校、地域の努力を見てほしい」とあいさつした。

 東成瀬小では、学校側との質疑応答が行われた。「家庭学習はどのようにしているのか」「チームティーチング(TT)の方法は」などの質問に、菊地保子校長が「基本的な指針を基に、それぞれの児童に応じて内容を決める」「TTは担当する教員2人が相談し合い、1人が補助的役割に就くなど、臨機応変に行っている」と説明。5人は熱心にメモを取っていた。

 東成瀬中では、山道正人校長が「知徳体のバランスが取れた生徒を育てることを目指している。心の育ちがあって初めて、学力向上につながる」と、教育の基本方針を説明。パソコンを使った理科の授業や、生徒が活発に意見交換する国語の授業を見学した。

 一行5人のうち研究機関の教育担当職員のハン・ソンチョンさんは「地域、保護者、学校が連携して、よりよい教育を行おうとする姿が印象に残った」と話していた。

秋田魁新報 2009年7月22日

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尾道の学校支援員 「解決力」で増す存在感

 学校にはさまざまな問題を抱えた子どもがいる。原因が家庭環境に根差すケースも多いが、教師はなかなか家庭には入りにくい。

 そこで両者をつなぎ、問題の根を解きほぐし、子どもを支える役割を果たすのが「スクールソーシャルワーカー」だ。学校支援員とでも訳したらよかろうか。

 尾道市教委が、単独事業として制度化し、7月から二つの小学校にそれぞれ1人を配置した。昨年度、文部科学省の全額補助によるモデル事業として取り組んでみて効果があると判断した。

 広島県教委はこの事業の支援に後ろ向きだが、尾道市の実績を見た上で、他の市町にも広がるような積極策に転じてほしい。

 4カ月間のモデル事業では、ワーカーを3校に週3日置いた。市教委によると、不登校は27件のうち4件が解決し、9件が「好転」した。友人トラブルは6件がすべて片付いた。

 暴力行為、虐待なども合わせると57件の問題があったが、27件が「解決または好転」という。

 ワーカーとして委嘱されたのは社会福祉士の資格を持つ人で、いわば対人援助のプロ。校内で子どもに声をかけるだけでなく、教師がかかわりきれない子どもの家を訪れて、親の話を聞いた。

 問題を抱えた子どもの背景には「経済的な事情」「うつなど親の病気」「家庭崩壊」「子育て不安」などの要因がある。

 それを探ったうえで医療機関や相談・助成の福祉窓口につなぐ。力を借りられる人も見つける。

 こうして親が落ち着けば、子どもも安定する。その結果が先の数字に表れているようだ。

 ワーカーによって教師が助けられた面も大きい。

 家庭の力が落ち、気になる子どもがクラスで増えている。しかし教師は手いっぱいで、援助の専門スキルもない。そこへ入ったワーカーは教師の負担を減らし、疲弊や燃え尽きも防いだといえる。

 「教師も相談できるのがありがたい。『評価』とは違う見方も教えられた」との学校側の言葉も大げさではあるまい。

 これまで学校は、問題を自力で解決しようとしてきた。しかしいじめ多発などで外から導入されたのがスクールカウンセラーだ。

 ただ「心のケア」だけでは限界がある。使える福祉資源などを総動員して「環境改善」による解決を目指すのがスクールソーシャルワーカーといえよう。多くの県は本年度、文科省事業を引き継いだ補助事業として制度化した。

 ただ中国5県では広島だけが、効果を認めつつも財政難だからと取りやめた。これに伴い2市が継続を断念。政令市の広島市を別にして、尾道、安芸高田の両市が自主財源での実施に踏み切った。

 ストレスに満ちた子どもや教師に外部の手助けがあれば、双方に余裕が生まれる。現場の雰囲気も変わる。「解決力」を持つワーカーを、県教委はもっと重視すべきではないか。職業として成り立つだけの報酬も将来の課題だ。

中国新聞 2009年7月20日

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チェンジ!少子化 公立校の魅力高め教育不安をぬぐえ

 子どもの教育にはたいへんなお金がかかる。こう思わない人はいないだろう。そうした不安が少子化の一因になっているのは間違いない。

 国立人口問題研の出生動向基本調査(2005年)によると、夫婦が理想とする子どもの数は平均2.48人だが予定しているのは2.11人。実際にはもちろんさらに少ない。理想の数に達しない理由を聞くと、66%が「子育てや教育にお金がかかりすぎるから」と答えている。

私立校や塾の負担重く

 この背景には学力や「いじめ」問題などをめぐる公教育への不信がある。公教育が心もとないから早い時期から私学へ入れたり塾通いをさせたりせざるを得ない、しかしそのための出費が大きすぎて心配、という意識だ。それなら負担の小さい公立校の魅力を高め、不安をぬぐう方策を考えなければならない。

 文部科学省の調査では、小学校から大学までに必要な教育費はすべて公立・国立なら約800万円だが、中学校から私立だと2倍にはね上がる。私立の中高一貫校は6年間で約700万円は必要だ。公立中学に通っていても学習塾の負担は重く、夏季講習なども含めると年間30万円以上もかかるケースが珍しくない。

 それでも首都圏では中高一貫校に進む小学生が3割ほどに上り、東京では6割にも達する小学校がある。公立中学生で塾に通っているのは約7割、小学生も中学受験を目指す場合は大半の子どもが通塾する。

 多くの親がこうした負担に耐えながらなお「脱・公教育」を目指すのは、それに見合う成果が期待できるからだ。たとえば東京大学合格者のうち6割ほどは中高一貫校の出身者が占める。こんな傾向が呼び水になってさらに私学に生徒が流れ、公立校は地盤沈下する。大都市圏を中心に、ふつうの公立高から有名大学に進みにくくなって久しい。

 これでは所得が低い家庭の子どもは進学の道を制約され、意欲も失うことになる。東大大学院の調査では年収1000万円以上の家庭の子どもは大学進学率が6割を超えるのに400万円以下だと3割ほどだ。東大生の半数以上の家庭が年収950万円以上というデータもある。

 こうした現実を踏まえれば、公教育の再生が少子化対策の重要な柱になるのは確かだろう。

 そのひとつの方策はもちろん、教育への十分な公的支出によって教育条件を整え、教育環境の改善も進めることだ。少人数学級の実現から高校などの授業料減免、パソコンや電子黒板の配備まで財政措置が伴わなければ始まらない課題は多い。

 経済協力開発機構(OECD)の調査では、国内総生産(GDP)に対する教育費の公的支出の比率は日本は主要28カ国中で最下位の3.4%だ。公私の負担割合も日本は家計の比重が大きい。厳しい財政事情の下とはいえ、こうした現状を放置しておくわけにはいくまい。

 しかし肝心なのは教育の中身だ。公立校がそれぞれ魅力のある授業や課外活動を編み出していくことである。そのためには中央集権的な教育行政の見直しが必要となる。

 戦後の教育行政は文科省が学習指導要領で細かなカリキュラムを定めて学校現場を拘束し、教科書検定を通してそれを補強し、教員の養成や登用も免許制度によって一元的に進めるといったやり方が続いてきた。地方の教育委員会は文科省の出先機関とも化している。

統制緩め現場に裁量を

 こうしたシステムが均質な教育を保証してきた面はあるが、一方で地域や学校の創意工夫の余地を狭め、本来の魅力を奪っている。もっと地域や学校現場に裁量を与えたり、教員を積極的に外部から招いたりして風通しのよい公教育に転換する時期だ。受験学力一辺倒では困るが、私学や塾に見習う点も多いだろう。

 地方ではすでに、中高だけでなく公立小中学校の一貫教育や公立高のテコ入れなど独自の試みも始まっている。公立校が教育環境と教育内容の両面で頼りがいのある存在に生まれ変われば、子どもの教育に余計な出費をする場面が少なくなり、教育不安はずっと小さくなるだろう。

 もっとも、公教育離れの底流には「どんなに無理をしてでも有名大学へ」というブランド志向もある。それを支えているのは、企業などが人材採用にあたって出身校にばかり目を向ける現実にほかならない。

 親の経済力によって子どもの将来が左右され、それが次の世代でも繰り返されていくとすれば社会は活力を失う。そんな傾向を断ち切るためにも企業は人材登用の尺度を見直していくべきだろう。それはまた、遠回りでも少子化を乗り越えるためのひとつの手立てとなるはずだ。

日本経済新聞 2009年7月20日

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学力テスト市町村別データ 依然、文科省と溝 全国の教委に大きな影

 全国学力テストの市町村別データをめぐり、大阪府教委は17日、都道府県教委として初めて開示することを決めた。大阪では昨年10月、独自の判断で公開に踏み切った橋下徹知事が「地域、家庭と情報を共有して学力に正面から取り組むために公表にこだわる」としており、府のトップと府教委の足並みがようやくそろった形となった。しかし、文部科学省は公開への難色姿勢を崩しておらず、府教委の新たな方針決定は、全国の教育委員会に影響を与えそうだ。

 市町村別データの取り扱いをめぐっては、他府県でも揺れ動いている。

 大阪と同様、昨年7月に開示答申を受けた鳥取県教委は、市町村教委の反発を受けて非開示を決めた。しかし、市民オンブズマンが非開示処分の取り消しを求める訴えを鳥取地裁に起こす事態に発展。県は条例を改正し、今年度分以降はデータを開示することを決めた。

 府内の受け止めもさまざまだ。橋下徹知事のデータ公開後も平均正答率について非公表を貫いた吹田市の阪口善雄市長は「本市はじめ市町村教委の意思に反する一方的な公表は、市町村の主体性を踏みにじるに等しく、『分権』の精神にもとる強権的な手法にほかならない」としている。

産経関西 2009年7月17日

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橋下知事「当然の結果」…大阪府教委の学テ開示方針

 全国学力テストを巡り、17日、市町村別結果の開示へと方針を転換した大阪府教委。開示を決定した府教育委員会会議では「序列化にはつながらない」と公開に賛成する声が上がり、橋下徹・府知事も「当然の結果だ」と評価した。一方、非公開としてきた自治体は「主体性を踏みにじられ、強権的だ」などと反発しており、公開か非公開かを巡る論議はなお続きそうだ。

 この日の府教育委員会会議では、陰山英男委員が「序列主義につながると言っているのは教師だけではないか」「(順位を)保護者や国民は冷静に受け止めている」と主張。小河勝委員は、一律的な公開に異議を唱えたものの、「橋下知事らが『税金を使っている以上、全部公開』と主張するのは非常にシンプル」と述べ、全会一致で「開示」が決まった。

 上京中の橋下知事は東京都内のホテルで、報道陣に「公表しても大阪府では序列化や過度な競争などの混乱は起こっていない」と府教委を支持する考えを表明。非開示を主張する文部科学省には「逃げてはいけない」と方針転換を迫った。

 自治体側からは、怒りの声が出た。昨年9月、公表を迫る橋下知事を批判した吹田市の阪口善雄市長は「1年もたたない間に府教委の軸がぶれ、点数至上主義に走るのは問題だ」と憤りをあらわにした。一方、豊中市教委の山元行博教育長は「国の実施要領から逸脱しているのは確か。情報公開制度との整合性をどう取るのか、国が方向性を出してほしい」と述べた。

 文科省初等中等教育局の岩本健吾参事官は「事実なら実施要領の趣旨に反した公表の可能性がある。府教委としてどんな判断があったのか確認した上で対応を考えたい」とコメントした。

讀賣新聞 2009年7月17日

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学力テスト市町村別成績を公開へ 大阪府教育委員会

 大阪府教育委員会は17日、2007、08年度に実施した全国学力テストの市町村別の平均正答率などの成績を、一部を除き公開することを決めた。府情報公開審査会が6月「市町村別データを公開しても学校間の序列化は生じない」として、府教委に成績を公開するよう答申したことを受けての措置。同日の教育委員会議で決定した。

 府内43市町村のうち小・中学校がともに1校しかない1町と、中学校が1校しかない5町村は、学校の個別成績が特定されるため「児童生徒が無用の劣等感を抱くなど教育に著しい支障を及ぼす恐れがある」として、公開対象から除外した。

 文部科学省は実施要領で都道府県教委が市町村別や学校別の結果公表を禁止しているが、秋田県が昨年12月、当時の寺田典城知事の判断で全市町村の平均正答率を発表したほか、大阪府の橋下徹知事も一部を公表している。都道府県教委が独自の判断で市町村別の成績を明らかにするのは初めて。

 橋下知事は昨年10月、非開示を決めた自治体を除き、小学校で35自治体、中学校で32自治体の成績を公表した。府内には開示反対の姿勢を鮮明にしていた自治体もあり、混乱も予想される。

共同通信 2009年7月17日

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児童虐待 隠れた被害は甚大だ

 08年度に全国の児童相談所で対応した虐待相談は4万2662件に上る。児童虐待防止法ができた00年(1万7725件)の2・4倍で、連日120件もの相談が寄せられていることになる。これまで見過ごされてきた軽微なケースまで相談されるようになったとも言われるが、楽観的な見方は許されないだろう。昨年4〜6月だけで頭の骨を折るなど生命の危機にさらされていた子が129人、重度の虐待で継続治療が必要な子を加えると597人にも上るというのである。

 たしかに、児童虐待防止法ができてからの8年で全国の児童福祉司は1・8倍に増えた。しかし、諸外国の水準に比べると1人の児童福祉司が抱えている虐待件数はまだ圧倒的に多く、深刻なケースに手が回っていないのが現状だ。悲惨な虐待死を防ぐために児童相談所の機能を大幅に高める必要がある。

 さらに、隠れている重い被害として性的虐待がある。相談件数は全体の3・2%に過ぎないが、児童虐待の専門家で構成する「子どもと家族の心と健康」調査委員会の全国調査(98年)では、女性の29%、男性の3・7%が18歳までに何らかの性的被害にあっていたという。毎日新聞が全都道府県警に対して行った調査(05年)では、中学生以下の子が被害にあった強姦(ごうかん)・強制わいせつ事件(未遂を含む)の届け出が年間2600件を超えることもわかった。

 自分が悪いという罪悪感や、被害が明らかになることを恐れて誰にも言えない子どもは多い。後遺症は深刻で、米国の調査では事故による心的外傷後ストレス障害(PTSD)は男性6%、女性9%であるのに対し、レイプされると男性65%、女性46%にPTSDが生じるという。自傷、自殺未遂、うつ、薬物依存、摂食障害などに苦しむ子どもは多い。少年院に収容されている女子の約8割が家族以外から性暴力を受けた経験を持つとの調査結果もある。

 性被害にあった子どもの聞き取りやケアには高い専門性が求められる。米国や韓国、台湾などは本格的な対策に乗り出し、司法や医療の機能を備えた支援センターが効果を上げているという。わが国でも福祉だけでない多面的な機能を結集した機関の必要性を考えてもいいのではないか。子どもへの性暴力は家族以外が加害者である場合も多く、家庭内の虐待を主な対象とする現行法では限界があることも指摘しておきたい。

 衆院解散で児童ポルノ禁止法改正案が廃案になるなど、とかく後回しにされがちなテーマだが、この国の未来に暗い影を落としている問題である。国を挙げて優先的に取り組んでもらいたい。

毎日新聞 2009年7月17日

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「職業教育学校」 創設の理念が伝わらない

 真摯(しんし)に議論が行われてきたのだろうか。そんな疑問がぬぐえない。中教審の特別部会がまとめた今後の職業・キャリア教育についての中間報告のことである。

 特別部会は、学校に行かず仕事にも就いていないニートや、就職してもすぐ辞める若者を減らす方策を検討してきた。

 中間報告ではそうした課題に対応するため、高校卒業後の進学先として、より実践的な職業教育を行う新たな学校の創設を提言した。

 この学校は職業教育に特化した形としているのが特徴だ。全カリキュラムの半分程度を実習など演習型の授業に充て、企業へのインターンシップ(就業体験)も義務付ける。対象職種として想定されているのは、ソフトウエア開発や自動車整備などだ。

 提言を受けて文部科学省では具体的な検討を進める方針というが、ちょっと待ってほしい。文科省がこれで職業教育の充実が図れると本気で考えているのだとしたら甘過ぎる。

 気に掛かるのが、中間報告ににじむ安易で短絡的な姿勢だ。職業・キャリア教育の在り方について文科相が中教審に諮問したのは昨年12月のことである。諮問の時点で、既に「職業教育に特化した新たな高等教育機関創設の検討」が盛られている。

 役所の構想を審議会が肉付けし、お墨付きを与える。それを受けて、あらためて役所が実現に乗り出す。未来を担う若者をめぐる重要な問題をこんなお定まりで片付けていいのか。

 職業教育に特化した学校がさらに必要なのかという素朴な疑問もある。これまで、高卒後の実践的な職業教育は専門学校が主に担ってきた。提言に対しては「専門学校で十分」という見方もある。うなずける指摘だ。

 いまやフリーターは180万人に上っている。就職後3年以内の離職率は高卒で5割、大卒で4割にもなる。深刻な状況であることは間違いない。

 中間報告の提言が実現すれば、高校卒業後の進路選択の幅が広がることにはなろう。だが、それが離職率の改善とどう結び付くかがはっきりしない。新しい学校をつくれば解決するという問題ではあるまい。

 就職しない、仕事を始めても長続きしない。こんな若者が増えたのはなぜだろう。好きなことや、やりたいことが見つけられないことも一因ではないか。中教審は社会や職業に関する子どもたちの興味を高めるため、教育の足元こそを見詰め直してほしい。

 人には多様な個性があり、自分の適性に合った職業を選ぶことが幸せにつながる。そう心の底から確信できるようになれば、子どもたちは真剣に未来に向き合うはずだ。

新潟日報 2009年7月17日

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若者対策 息の長い支援が不可欠だ 

 学校に行かず、仕事や職業訓練もしていない。「ニート」と呼ばれる若者が2008年は前年より2万人増え、64万人となった。02年以来、総数は横ばいだが、15〜24歳は減り、逆に25〜34歳が増えて6割を占め、高年齢化が進んだことは気になる。

 本来、仕事を覚え、最前線で働いているはずの年代が社会的に自立していない。国づくりの面からも見過ごせない。

 今年の「青少年白書」は、このニートに焦点を当て、背景にあると指摘される「学校段階でのつまずき」や、その後の支援のあり方などについて特集している。

 内閣府は今春、04年度中に高校を中退した人と中学3年で不登校だった生徒を対象に調査を行った。回答した中退者の5人に1人、不登校生徒のほぼ6人に1人が現在、ニートだった。仕事に就いていても、中退者の半数以上、不登校生では6割以上がパートやアルバイト、派遣や契約社員などの非正規雇用という状況だ。

 これらの割合は同年代と比べて高く、中退や不登校がニートや不安定雇用につながっていることを裏付ける。一度そんな状態に陥ると、自力で抜け出すのは難しく、ニートが長期化しやすい。早い段階で、やり直せるような支援が欠かせない。

 調査では、中退や不登校の理由に対人関係を挙げた人が多く、病院などの利用割合も高かった。一方で「働いて収入を得たい」「生活のリズムをつくりたい」など、現状を変えたいと思っている人も多い。

 だが、支援施設や相談機関を利用している人は少なく、現状はそれらが十分に機能しているとはいえない。

 政府は昨年12月に新たな「青少年育成施策大綱」を策定し、四つの重点課題の一つとしてニートやひきこもり、不登校などの困難を抱える青少年の支援を盛り込んだ。支援につながる具体策を急いでほしい。

 今国会では、「子ども・若者育成支援推進法」も成立した。国や自治体と民間の支援機関とのネットワーク化や、若者に助言や必要な情報を提供する相談センターの設置などを自治体に求める内容だ。若者の問題を個人の責任とせず、地域社会が一つになって取り組むことが重要になる。

 長引く不況で、ただでさえ雇用状況は厳しい。ニートといっても一人一人で状況は異なり、社会に出ていくには時間がかかる人もいる。社会全体で息長く支え、かつてのつまずきが経験として生きるような就労に、つなげていきたい。

神戸新聞 2009年7月17日

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「地域の子」のまなざしで

 児童虐待の増加が止まらない。

 2008年度に児童相談所が認定した件数は過去最多の4万2662件に達し、集計を始めた1990年度以降、18年連続で増加が続いている。

 依然として、「氷山の一角」ともいわれる。しかしこれだけ長期にわたる増加は、社会全体の意識が高まり、水面下の部分がより多く把握されるようになったということだけでは説明がつきにくい。氷山自体も年々、膨張し続けていると見ざるを得ない。

 本県も前年度比で26件、16%増の184件と、過去最多の数字を記録した。全国同様、身体的虐待やネグレクト(育児放棄)が目立った。

 虐待死も全国的に後を絶たない。中でも注目すべきなのは、その約半数が0歳児で占められているという点だ。47・4%と、2003年以降の調査の中でも最も高い割合を示している。

 さらに全体の約8割が0〜3歳児で、乳幼児の虐待死が際立って多いことも明らかになった。死に至った子の多くが、自分の意思すらはっきりと伝えられない幼子だったということを忘れてはならない。

 虐待の背景として、まず指摘されるのは、若年妊娠や望まない妊娠の多さである。また妊婦健診や乳幼児健診を受診せず、虐待が把握しづらかったケースも散見するという。

 虐待の傍らには、多くの場合「貧困」がある。それは一つに「経済的貧困」であり、生活の苦しさが若い親のストレスを生み、子どもへの虐待につながる。そんな事例が目立つ。

 人間関係の「貧困」も虐待を生む要因となっている。親族とつながりが絶え、地域社会でも関係を結ぶことができない家庭も少なくない。相談相手がいないという孤立感が、病理を深めていくというケースもある。

 こうした「貧困」に社会はどう対処していくか。行政がそんな対象者にきめ細かくアプローチを続けていくために、現場のスタッフがもっと必要なことはこれまでも指摘してきた。

 むろん、行政側の対応だけでは虐待は防げない。地域は何をどうするか。そこに必要なのは、「地域の子」という住民のまなざしだろう。

 日常生活の中で、ちょっとした子どもの変化に気づき、関係機関が連携を取り合い問題解決に結びつけていく。そんなコミュニティーこそ、「貧困」の対極にある豊かな地域といえる。

高知新聞 2009年7月17日

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教育費負担―学ぶ子にもっと支えを 学びの場で悲鳴が上がっている。

 3月末の時点で授業料を滞納していた大学生は1万5千人、高校生は1万7千人。奨学金貸与の申し込みが急増しているが、十分な枠がない。昨年度は8千人近い大学生が「経済的理由」で中退した。

 義務教育である小中学校でも、給食費などの滞納が問題になっている。所得が低い家庭向けの就学援助制度は、10年前の倍近くが利用している。

 授業料は高くなった。塾代もばかにならない。そこへ昨年来の深刻な不況。「進学はあきらめろと親に言われた」「教育費が心配で子どもをつくれない」。そんな声も聞こえる。

 日本の公的な教育支出は、GDP比3.4%と先進国で最低のレベルだ。教育は親の財布でという考えも根強く、家庭の負担に任せる部分が大きかった。だが教育費の高騰と親の所得格差の拡大は、「教育の機会均等」という原則を根元から揺るがせている。

 貧しい家庭の子は、学びたくても十分に学べない。学歴や学力の差は社会に出てからの所得格差に反映し、次の世代にもまた引き継がれてゆく――。そうなっては、日本社会の活力は大きく損なわれてしまうだろう。

 教育は「人生前半の社会保障」といえる。その費用はできるだけ社会全体で分担すべきだ。財政支出を増やし、家庭の負担を減らす工夫をしたい。

 さまざまな提案はある。文部科学省の有識者会合は、公立高校と私立高校の授業料の差額分を支給する制度や、低所得層向けの就学援助・授業料減免の拡充などを提言した。自民党は幼児教育・保育の無償化に前向きだ。民主党は、中学生までを対象とする子ども手当の支給や、高校の授業料無償化を総選挙のマニフェストに盛り込む。

 教育支援は少子化対策、母子家庭支援、雇用対策など他の政策分野とも密接にかかわる。子育て家庭や若者の、どの世代、どの層が、どんな支援を最も必要としているか。文科省や厚生労働省など役所の垣根をとり払い、総合的な「こども・若者政策」として、優先順位をつけて取り組むべきだろう。

 たとえば、幼い子を持つ親にとっては幼稚園・保育所がタダになるのもいいが、保育所の数が増えたほうがありがたいのではないか。

 特に家計への負担が大きい大学段階では、返済の必要のない奨学金をもっと増やしたい。雇用不安の中、就職支援策にも力を注ぐべきだ。

 進学率が98%に達した高校教育の位置づけも焦点だ。家庭の経済状況によって学びの機会が制限されないような支援が、強く求められる。

 すべての子に希望を保障することは大人たちの責務だ。「ひとの力」のほかに日本の将来を支えるものはない。来る総選挙で、議論を深めたい。

朝日新聞 2009年7月16日

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教職員の不祥事 教育担う責任自覚せよ

 公金着服、わいせつ行為、窃盗、飲酒運転…。県教育委員会は教職員の不祥事が後を絶たないことから、不祥事防止の手引書を作成、県内のすべての公立校へ配布した。公教育を担う教職員には高い倫理観が求められる。このような冊子を作成すること自体、いかに異常なことであるかをまずもって認識しなければならない。

 2008年度の県教職員の懲戒処分者(管理監督責任による処分除く)は13人(うち免職6人)で、前年度の7人(同2人)からほぼ倍増した。最も重い処分である免職は3倍となり、不祥事の内容がより悪質になっていることをうかがわせる。全国的にも同様の傾向にあり、「荒れる教育現場」は、児童生徒だけの問題ではないと言わざるを得ない。

 冊子で紹介している不祥事の事例をみると、「何でもあり」との印象を受ける。校舎内で女子生徒へわいせつ行為をしたケースをはじめ、体罰や学校への納付金の着服などが代表例。学校外でも、小学校校長が交際していた女性の知人男性の車を傷付け、器物損壊で逮捕されるというショッキングな事件をはじめ、飲酒運転、交通事故、暴行、盗撮などが事例として紹介されている。

 それぞれの事例には、処分内容や当事者と上司・同僚の立場から再発防止に向けたポイントなどを掲載しているが、いずれも言わずもがなの内容だ。裏返せば、それだけ問題が深刻化していることを示している。

 不祥事は最終的には個人に帰する問題ではあるが、仕事や職場での人間関係の悩みなど、さまざまな要因や背景があると考えられる。

 教員の「多忙化」が指摘されて久しい。慢性的な残業、自宅への仕事の持ち帰り、体調不良でも休めない―などの悩みを抱える教員は少なくない。同僚と語り合ったり、児童生徒をじっくり見守ったりする時間がないという声は県内の教員からも聞かれる。

 多忙化や管理強化は教員を孤立化させ、心が病んだり不祥事につながったりする恐れもあるだけに、職場環境の改善、多忙化の解消などは県教委の重要な務めであろう。

 本年度に入っても教職員の不祥事は続いている。今月8日には県北の高校教員が女子高生にみだらな行為をしたとして県条例違反容疑で逮捕されたばかり。県内には1万人近い教職員がおり、不祥事はほんの一握りの行為。それでも教育界全体に及ぼす影響は計り知れない。

 特に児童生徒、保護者、地元住民からは学校や教職員に対する信頼が失われる。本県は全国学力テスト、体力テストとも全国トップ級の成績を収めている。教職員の頑張りが好成績の大きな要因だが、その評価も崩れる。公教育を担う責任の重さをあらためてかみしめてもらいたい。

秋田魁新報 2009年7月16日

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学校のいじめ 『ある』を前提に対策を

 文部科学省が作った生徒指導支援資料「いじめを理解する」は「いじめはどの子にも起こりうる」と訴える。調査を踏まえての指摘だ。学校は「必ずある」との構えで対策に取り組んでほしい。

 調査は文科省の国立教育政策研究所(国研)が二〇〇四年度から三年間、首都圏の十九小中学校に対し、継続して行った。小学四年以上の児童生徒約四千八百人からいじめに関する質問の回答を書いてもらった。

 いじめの実態を単発の調査で解明するのは難しい。国研の調査は学校別の比較のほか、学年別や個人別、さらに歴年変化も分析したというから、調査対象校でなくても結果を参考にできるだろう。

 分析では、特定の学校や学年でいじめが起きやすいかというと、答えは「ノー」だ。「仲間外れ」や「無視」といったいじめ被害とみられる件数に学校や学年別で一定の傾向はみられず、悪化と改善を繰り返す場合もあった。

 個別にみると、中学生の場合、常にクラスに三〜六人が被害に遭っていたが、常習的被害者は千人に三人だけ。一方で「被害はない」という生徒は一年春の58%から三年秋には20%まで減った。

 「いじめ被害・加害を繰り返す特定の子はごく一部。被害者、加害者とも大きく入れ替わる。いじめはどの子にも起こりうる」とした結論づけは妥当と言えよう。

 資料は今月中には各学校に配られる。戸棚に置くのではなく、しっかり活用してもらいたい。

 調査結果が現場向けにまとめられたのは今回が初めてだが、調査は一九九八年度から始まった。〇三年度までの結果は国際会議では報告されたという。

 なぜ、現場に活用しなかったのか。社会問題化しているのに、いじめを軽く考えていないか。

 今回の資料も、最新データで〇六年度だ。いじめを分析したなかで「パソコン・携帯」は、中学生でもせいぜい一割程度と低い。

 ネットでのいじめは急激に増えている。〇八年度の文部科学白書は「ネット上のいじめなど情報化の影の部分が大きな社会問題」と指摘している。

 せっかく調査しても取りまとめが遅いと有効利用できなくなる。調査を実施したなら速やかに結果を公表すべきだ。

 ネットいじめは見えにくく、校外で行われることが多い。生徒指導支援資料ではほとんど触れていないが、学校は保護者との連携を強めることも重要ではないか。

中日新聞・東京新聞 2009年7月16日

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児童虐待 改正法を実効あるものに

 法律を改正しても歯止めはかからなかった。全国の児童相談所が2008年度に受け付けた虐待相談が、ついに4万件を超えた。

 少子化の中にあって、集計を始めた1990年度から18年連続で増え続けている。警察が摘発した児童虐待も昨年1年間で307件に上る。これも過去最多だ。死亡した子どもは45人に達した。

 なぜ、何の落ち度もない子どもが虐げられ、命を奪われなければならないのか。「子どもは社会の宝」をあらためて肝に銘じ、虐待防止にあらゆる手だてを講じなければならない。

 2008年4月に施行された改正児童虐待防止法は、相談所の権限を強化し、出頭を拒否する家庭への強制立ち入り調査をできるようにした。

 強制調査は、保護者が再度の呼び出しにも応じなかった場合に限られる。08年度には28件の出頭要求が出されたが、応じたのは8件しかなかった。

 再出頭を求め、それでも出向いてこなかった2件に強制調査が入った。大半の児童については一時的な保護や、在宅支援で対応した。

 4万件の相談に対して強制調査がわずか2件とは、警察の摘発数を考えると少な過ぎるのではないか。厚生労働省は「制度が始まったばかりで、相談所も強制調査にためらいがあったのかもしれない」としている。

 児童虐待は親子間の問題である。そこに相談所職員とはいえ、鍵を壊してまで入っていく難しさはあろう。だが、事は子どもの安全にかかわる。改正法を実効あるものにするためにも、相談所には毅然(きぜん)とした対処を求めたい。

 一方、児童福祉司の不足など、相談所の体制が法律に追い付いていないとの指摘もある。そうならば行政の怠慢というべきだ。国は増え続ける虐待を看過せず、体制整備に万全を期さなければならない。

 多くの虐待児は複雑な家庭環境に置かれている。親が経済的な問題などで苦しんでいるケースもある。子どもを救うには、まず親の抱えている悩みに向き合うことが欠かせない。

 親身になったケアが行われているのか。増加する虐待に対応できるだけのマンパワーを相談所や自治体に配しているのか。国は検証を急ぐべきだ。

 児童虐待の根絶を社会全体の問題としてとらえる必要がある。学校や地域の連携を深め、子どもにもっと多くの目を注ぎたい。

 親の愛に包まれて、健やかに育つ。それが本来の子どもの姿であろう。食事を与えられず、やせ細って死んでいく幼い子がいる。親の暴力や育児放棄で泣いている子どもがいる。それが私たちの社会を映す鏡であることを忘れてはならない。

新潟日報 2009年7月16日

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子ども虐待  厳しい現実、人的充実を

 子どもへの虐待が止まらない。

 全国の児童相談所が昨年度中に受け付けた虐待相談は過去最多の4万2662件(速報値)となったことが、厚生労働省の集計で分かった。

 集計を始めてから18年連続で増えている。厚労省の担当者は「虐待に対する社会の意識が高まったことが背景にある」と分析する。

 しかし、対策を講じても虐待に歯止めがかからない実情を直視する必要がある。児童相談所は、相談件数の増加だけではなく、質的に対応が難しいケースが増えているという。

 昨年4月に新設された虐待の恐れのある家庭への強制立ち入りは、1年間で2件にとどまったが、いずれも深刻な事例だ。

 そのうちの一つは、子どもの未就学状態が続き、児童相談所や学校が家庭訪問しても親は面会拒否。住居内はごみだらけで異臭が漂っていたため、子どもの安全確認のため出頭を求めるが、応じない。最終的に家庭裁判所の許可状を得て、警察の援助のもとで立ち入り、子どもを一時保護した。

 児童相談所だけでは対応し切れない厳しい現状の一断面が見える。

 親元を離れ児童養護施設や里親に預けられた子どもは、4万1千人を超える(昨年2月現在)。このうち半数以上が「虐待を受けた経験がある」と別の厚労省調査で答えている。

 情緒障害児短期治療施設に入っている子どもでは7割以上に上り、多くが身体的虐待や子育ての怠慢・拒否(ネグレクト)を受けていた。

 また、2007年から08年3月までの虐待による子どもの死亡事例115件を、厚労省専門委員会が検証している。それによると、親子心中を除いた73例のうち半数近くが0歳児で、とくに生後1カ月未満に集中していた。

 「望まない妊娠」や「若年妊娠」が6割弱もあり、多くの母親が「育児不安」など心理的な問題を抱えていた。

 しかし、児童相談所がかかわっていた事例は2割にすぎない。関係機関と接点はあったが家庭への支援の必要はないと判断した事例が3割あった。

 虐待防止は、児童相談所だけでなく社会全体で担わなければ、子どもも親も救い出すことはできない。

 妊娠届けや母子健康手帳の交付時に保健師ら専門職が直接対応したり、産科医や小児科医のリスク情報のキャッチ、さらに望まない妊娠について相談しやすい体制をつくることも必要だろう。

 児童福祉法に基づく要保護児童対策地域協議会など、全国で地域と関係機関が連携するネットワークは整ってきた。しかし現場の対応は厳しさを増しており、虐待防止の中核を担う専門員の増強や配置をもっと進めるべきだ。マンパワーがいま以上に求められる。

京都新聞 2009年7月16日

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児童虐待相談 憂慮すべき18年連続の増

 全国の児童相談所が受け付ける虐待相談件数が増え続けている。厚生労働省の集計によると、2008年度は過去最多の4万2662件(速報値)で、初めて4万件を超えた前年度を2023件上回った。

 集計を始めた1990年度(1101件)から18年連続の増加となった。厚労省は改正児童虐待防止法の施行などを通じ、国民の意識が高まってきたことが背景にあると分析する。

 確かに社会全体が児童虐待に敏感になって相談が増えた面はあろうが、虐待の広がりに歯止めがかからない実情を物語っている。憂慮すべき事態である。

 虐待で摘発される事件も後を絶たない。原因は核家族化による社会からの孤立や経済状況の悪化、保護者の育児力低下などさまざまな要素が複雑に絡んでいるといわれる。

 虐待を防ぐには、兆候を見逃さないよう児童相談所や学校、保育園、地域社会、警察などが連携を密にする必要がある。早期発見と迅速な対応が不可欠だが、根絶は容易ではない。

 全国的に児童相談所への相談が増え続ける中、逆に相談が減少した地域がある。都道府県・政令市別にみると、08年度では広島市、三重県などが前年度に比べ20%以上減っている。原因を詳しく分析し、参考になることがあれば公表し対策に生かしてもらいたい。

 08年度から相談所の調査を拒否する家庭への強制立ち入り制度が導入されたが、初年度の実施件数は2件だった。

 鍵を壊してでも住居に入る強行策だけに、まだ現場にためらいが強いとされる。対応するための人員や専門知識の不足も指摘される。子どもの安全確保のために必要な措置である。現場の意識改革や環境整備が早急に求められる。

山陽新聞 2009年7月16日

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児童虐待最多 幼い命を守る態勢拡充を

 全国の児童相談所が2008年度に受け付けた虐待相談件数が4万2662件(速報値)と過去最多を更新した。

 児童養護施設などの入所者の5割に身体的虐待やネグレクト(子育ての怠慢・拒否)など虐待の経験があることも分かった。子どもたちの危機は深刻だ。

 県内の相談件数は408件と、前年度に比べ32件(7%)減っている。だがそれでも18年前に比べ25・5倍であり、著しく高い水準にある。

 しかもこれは中央(那覇市)とコザ(沖縄市)の両児童相談所が受け付けた数字だ。市町村受け付け分を含めると980件に上る。

 これでも氷山の一角だろう。その子どもたちがどんな気持ちで日々を過ごしているか、想像に難くない。

 行政の対応はどうか。確かに、06年度に児童福祉司など7人(嘱託含む)を増員するなど、県は児童相談所の態勢を少しずつ拡充している。

 しかし18年で25倍にもなる相談件数の増加に追い付くはずもない。現場の職員は常に多数の事案を抱え、疲弊していると指摘されている。

 県が06年9月にまとめた05年「緊急提言」に対する検証結果報告書も「増員で一定の効果を見たが、初期対応に追われる現状では十分とは言えない」と指摘し、なお増員の必要を訴え、一時保護所の拡充も求めていた。

 しかし、その提言が生かされたとは言い難い。ことしも虐待の通報を受けながら一時保護せず、3歳男児を死に至らしめたからだ。

 石垣市でのこの事件では、常時満杯に近い一時保護施設の現状が保護をためらった遠因とも指摘された。中央児童相談所八重山分室には専任職員が1人しかおらず、親と子を離して個別に話を聞くこともなかった。

 05年の「緊急提言」が求めている医師や臨床心理士など外部専門家の助言も、同分室では導入していなかった。幼い命であがなわれた提言が、機能しないことは許されない。

 今回の事件でも県は対応の不適切性を認め、再発防止策をまとめる方針だが、抜本的な態勢拡充が必要なのは明らかだろう。

 財政難は分かるが、命を守るのは行政の最低限の仕事だ。子どもたちの「最後のとりで」が十分に役目を果たせるようにしてほしい。

琉球新報 2009年7月16日

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科学技術白書 研究者の育成を急ごう

 世界的経済危機に伴う大転換期を乗り切るには「高い研究開発力を生かしたイノベーション(技術革新)の創出が必要」。政府がまとめた2009年版科学技術白書はこう訴えている。

 従来型産業の代表ともいえる米国の自動車業界は崩壊の危機にある。一方では、環境・エネルギー分野への集中投資による雇用創出を目指した政策を各国が展開している。日本はこうした、自ら得意とする分野で国際競争力の維持・強化を図っていくしかないというのである。

 昨年は物理、化学分野で日本人4人がノーベル賞を同時受賞するという快挙を成し遂げた。だが、白書を読み進むと、基礎研究を担う人材の不足が顕著で、将来にわたって十分な研究者が確保されない可能性があるというお寒い現状が浮かび上がる。こんな状態を放置したままイノベーションの創出などできまい。若手研究者の育成や支援が急がれる。

 日本はこれまで高いものづくりの技術で国際競争を勝ち抜いてきた。だが、国内をみれば少子高齢化の進展で、国の活力の源である労働力人口は減少しつつある。海外に目を向ければ、安い労働力に加え、優秀な人材や技術を武器とする中国やインドなど新興国の台頭によって、競争は激化するばかりだ。

 こうした環境下で、日本の高い研究開発力を生かしていくべきという白書の指摘は正しい。だが、研究者が少ない現状は、人材育成を怠ってきた事実を如実に物語っている。

 大学の理工系学部への志願者数は長期的な減少傾向が続く。博士課程に進む人も03年をピークに減り続けている。帰国後の就職への不安から、研究のため海外の大学に出かける人も少なくなった。研究水準の物差しとなる論文引用度は改善傾向にあるものの、欧米には水をあけられたままである。このままでは日本の科学水準の低下は避けられない。

 大学の運営基盤である国立大への運営交付金が削られているため、自由な研究がしにくいことが原因の一つである。さらに、学校現場で子どもたちの好奇心をかき立てて、考える力を伸ばしていく教育が決定的に不足していることもあろう。

 ノーベル賞につながるような創造性の高い研究の多くは、若い時期に着想されているとみられている。そうした芽を伸ばす教育がまず必要だろう。ノーベル賞日本人4人受賞で科学への関心は高まっている。科学教育を見直す好機とすべきである。

南日本新聞 2009年7月15日

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改正育休法  子育てに優しい職場に

 改正育児・介護休業法が今国会で全会一致で成立した。一部を除き1年以内に施行される。

 少子高齢化が進む中、子育てや家族の介護をしながら働き続けられる職場環境を整えるのが趣旨だ。

 育児関係では現行法で、原則として子が1歳になるまでの休業を定めている。改正法では育休明けの対応を前進させ、企業に3歳未満の子を持つ従業員への1日6時間の短時間勤務と残業免除を義務づける。

 女性の育休取得率は9割に達しているが、その一方で第1子出産後に離職するケースも多い。新たな制度が根づけば子育ての負担もかなり軽減されるに違いない。

 男性の子育て参加も応援する。両親がともに育休を望めば、1歳2カ月までの間に1年間取得できる。妻が専業主婦の場合、労使協定があれば企業が休業を拒める現在の制度は廃止する。これを契機に、2%を切る男性の取得率を大きく伸ばしたい。

 休業取得を理由に退職を迫るといった企業の「育休切り」には厳しい姿勢でのぞむ。

 厚生労働省によると、2008年度に全国の労働局に「育児休業をめぐり不利益を受けた」と寄せられた相談件数は、前年度比4割増の1262件に上る。今後は労働局の勧告に従わなければ企業名を公表、虚偽報告など悪質な企業には20万円以下の過料を科す。

 国会審議では、休業取得者のうち有期の非正規雇用者はわずか3%にすぎず、育休申請が雇い止めにつながっているとの指摘があった。労働局はこうした実態に目を光らせ、新たに設けられる紛争調停制度も生かしながら、的確に対処してもらいたい。

 各企業も改正法施行に向け十分な準備が求められる。

 企業は従業員から育休の取得申請を受けた場合、職場復帰を確実にするために、育休期間を明示した書面を交付することが厚労省令に盛り込まれる。義務規定ではないため、実行するかどうかは企業側の裁量だが、従業員が安心して休業できるよう前向きに取り組むべきだ。

 厚労省の07年の調査では、短時間勤務や始・終業時刻を従業員が決めるフレックスタイムなどの子育て支援策を制度化している企業は5割弱だ。とりわけ中小企業では体制づくりや要員確保が大きな課題となる。このため改正法では、従業員100人以下の企業は「3年以内の適用」に緩和した。

 新制度の利用者を支えることになる同僚への配慮も欠かせない。先行企業の中には、不公平感を持たないよう人事考課で評価ポイントに加えるところもある。子育てに優しい職場づくりに経営者、従業員とも力を合わせたいものだ。

京都新聞 2009年7月13日

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年長ニート 切れ目ない支援が不可欠

 「ニート」という言葉もすっかり定着してしまった。年齢は15〜34歳で、学校に行かず仕事にも就かず職業訓練も受けていない若い世代を指す。

 2009年版青少年白書によると02年以降、ニートの数は64万人程度で推移している。ただ、15〜24歳が減っているのに比べて、25〜34歳の年長ニートが増えているのが気になる。

 不況による失職など新たな原因が考えられる。と同時に、ニート状態の長期、深刻化が懸念される。「現状を変えたい」と願う若者は多いだけに、技能習得や就職相談など細やかな対策が急がれる。

 白書は、ニートになる背景として不登校や高校中退を指摘する。理由は「学校生活になじめない」「学業についていけない」など、さまざまな問題が複合的に絡まり合っている。

 とはいえ、彼らが終始無気力かというと決してそうではない。内閣府などによる高校中退者らへのアンケートでは、7〜9割近くが「自分で働いて収入を得たい」と答えている。現状はこうした気持ちをすくいきれていないだけだ。

 そんな中、高校中退やニートの割合が高い本県の取り組みが注目を集めている。

 中学卒業時や高校中退時に進路が未定だった生徒は、学校との関係が途切れると支援の手がなかなか届かない。そこで、対象者の個人情報を本人や家族の同意を得た上で県教委が一元化し、就学や就労に向けて支援する。

 また、県内2カ所に地域若者サポートステーションを設置、4カ所にサテライト(分室)も開設し家庭訪問などを行う。復学や就労に結び付くケースも徐々に生まれているようだ。

 一度つまずいた若者たちに再び生きる力をはぐくんでもらう。そのために関係機関が情報をつなぎ、在学時から切れ目ない手だてを講じることは今後一層大切になってこよう。

 労働市場における青少年の不利な状況も顕著だ。非正規労働者となる割合や失業率は若い世代ほど高い。格差社会の中でそれが固定化されてしまうと、若者はますます意欲や希望を持てなくなり少子化が進む。この悪循環を断たねばならない。

 30歳未満の青少年人口の割合は08年に初めて30%を切った。雇用対策を含む幅広い若者支援を通して、貴重な若い力を社会の活力に高めたい。

高知新聞 2009年7月13日

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一貫教育 学校間の連携を強化しよう

 小学校と中学校、中学校と高校の一貫教育が、各地で進んでいる。

 小学校6年、中学校3年という現在の制度が作られたのは終戦直後だ。子どもの成長は、当時と比べて早まっており、制度を柔軟に見直していくのは当然だろう。

 中央教育審議会が、幼稚園・保育園と小学校の連携も含め、一貫教育について検討する作業部会の設置を決めた。課題や問題点を洗い出してもらいたい。

 中高一貫校は、6年間を通じ、ゆとりをもって教育するため、10年前に制度化された。

 現在、330校余りある。中高の教育課程を一つの学校で一連のものとして行う中等教育学校、中高とも設置者が同じ併設型や、市町村立中と都道府県立高のように設置者の違う連携型だ。

 最近は、公立の中高一貫校の人気が過熱している。

 政府の規制改革会議は昨年の答申で、「官による民業圧迫」として、倍率を3倍以上にして抽選を必ず実施することなどを求めた。だが、親の所得にかかわらず進学できる公立一貫校の存在は、貴重だ。答申は適切とはいえない。

 中等教育学校と併設型の中学校は、受験競争の低年齢化防止のため学力入試を禁じられている。

 ただ、代わりに実施されている「適性検査」が、事実上の学力入試になっていないか、実態調査が必要だ。文部科学省は問題があれば、対策を示さねばならない。

 小中一貫校は約800校ある。当初は構造改革特区などに限定され、昨年度から文科省への申請で開設できるようになった。義務教育9年間を「4・3・2」などに分け、「市民科」など独自の教科を設けているところもある。

 中学校では学ぶ内容が難しくなり、教科担任制など学習方法が変わる。部活動も始まる。変化になじめず不登校が急増する。小中一貫教育は学力向上だけでなく、こうした事態を防ぐのも狙いだ。

 東京都品川区などの検証では、一貫校では中学生の不登校が減少傾向にあるという。検証を重ね、一層の改善につなげてほしい。

 児童が小学校入学直後、教師の話をじっと座って聞けないなどの問題も昨今、報告されている。

 小学5年生が入学前の5歳児と交流したり、小学校教師を幼稚園に1年間派遣したりして、成果を上げた地域もある。

 入学前からの交流は、子どもに安心感を与え、教師が個々の子どもの情報や課題を共有するのに役立つ。積極的に進めてほしい。

讀賣新聞 2009年7月13日

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学校で起きる法的問題に弁護士がアドバイスする制度スタート/川崎

 川崎市教育委員会は10日、市立学校で発生する法的問題について弁護士がアドバイスする「学校法律相談」制度を開始した。学校や教諭に対し理不尽な要求を繰り返す、いわゆる「モンスターペアレント」や、親権、個人情報などをめぐる法的問題に適切に対応する狙い。市教委によると、学校の問題に限定して弁護士に相談する制度は県内で初めてという。

 増加傾向にある法的問題を適切・迅速に解決していくことで、学校現場の負担軽減につなげていく。法律の専門家からのアドバイスを蓄積し、研修などを通じて対処法を現場レベルに還元していくという。

 モンスターペアレントに対し「法的にどこまで話を聞くべきなのか、保護者への対応を判断するのが難しい」と市教委指導課。離婚調停中の保護者が学校に来て児童・生徒を連れて帰ろうとするケースでは、真剣に加え、ドメスティック・バイオレンス(DV)や個人情報の関係も絡み複雑になる場合も。学校外での子ども同士のけんかでけがをした場合には、学校が間に入り紛争に巻き込まれ対応に苦慮することもあるという。

 こうした問題に対し、校長や副校長などの学校管理職や市教委が、学校での事故などに詳しい弁護士に直接相談し、法的観点からアドバイスを受ける。

 同課は「これまでは対処が法的に妥当だったのか不安だったこともあったが、今後は学校側に安心感を与えられると思う」と話している。

7月10日19時0分配信 カナロコ

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児童ポルノの規制 適用には厳密な基準を

 児童ポルノの拡散防止を強化する児童買春・ポルノ禁止法の改正をめぐり、与党案と民主党の対案の一本化を目指す修正協議が先月後半に始まった。与党が国会に改正案を提出したのは昨年6月。与野党対決のはざまで、1年以上も手つかず状態だった。

 改正には、国際世論の強い要請もある。早期の対応が望まれながら、結果的に放置してきたことに、国際社会のいら立ちを意識せずにはいられない。しかし、会期末を控えて、いよいよ総選挙の足音が耳元まで迫る時期に至って、バタバタと決着するには気掛かりな点がある。一つは与党案にある「単純所持の禁止」をめぐる議論だ。

 単純所持が規制されると、性的好奇心を満たすため、個人的に児童ポルノに類する写真やビデオを所有する行為が一律に処罰の対象となる。

 インターネットの急速な普及で、画像被害の抑止は国際的課題だ。今や主要8カ国の中で、単純所持を禁じていないのは日本とロシアだけといい、与党案は国際世論と歩調を合わせる意味がある。

 これに対し、民主党は「メールで画像を送り付けられただけで処罰される可能性がある」などと懸念を表明。捜査権乱用につながる恐れも指摘しつつ、児童ポルノを買ったり、繰り返し取得した場合に適用する「取得罪」創設を柱とする対案を、今年3月に衆院に提出した。

 一般常識に照らせば、単純所持でも良識が疑われる。心情的には罰して構わないと思ってしまうが、知らないうちに画像が自分のパソコンなどに送られていることもあるのがネットの世界の怖さ。民主党が主張するように、場合によっては冤罪(えんざい)に問われる可能性も否定できない。

 もっとも、民主党の対案では一度に無償で大量取得した場合など抜け穴が多く、実効性との兼ね合いで与党案とのすりあわせが必要だろう。

 児童ポルノを扱ったアニメや漫画の規制の是非も焦点。与党案は付則で、児童の権利侵害との関連性を調査研究した上で、必要なら3年をめどに何らかの措置を講じるよう政府に要求している。

 民主党は、実在する児童の保護が改正の目的とする立場から記述を見送った。

 国連で1989年に「子どもの権利条約」が採択されて以後、子どもへの性的虐待の撲滅は国際社会の主要テーマだ。「ポルノ大国」と非難される日本が足並みをそろえようとすれば、与党案が「国際基準」に近いだろう。しかし憲法が保障する表現の自由や思想の自由との絡みでは、適用基準を厳密に設定しない限り、なし崩しに自由が制限されていく懸念がくすぶる。

 戦前、戦中の思想統制は苦々しい歴史の教訓だ。国際社会の要請を重んじるあまり、国内事情に即した丁寧な議論を怠るのでは、後々に禍根を残しかねない。決着を無為に延ばした政治の責任は大きいとはいえ、会期末に背中を押されるような拙速な結論付けは好ましくない。

遠藤泉(2009.7.8)

岩手日報 2009年7月8日

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博士課程削減 精鋭送り出す教育環境に

 文部科学省が国立大学の大学院博士課程の定員削減などを求める通知を出した。博士号を取得しても定職に就けない高学歴者の就職難が背景にある。私立大にも共通する課題だ。

 文科省は平成3年に審議会答申を受け、大学院生倍増の目標を打ち出すなど大学院重視の政策を進めてきた。

 大学院を国際的に通用する研究者や優れた技術者らを育成する拠点として整備する狙いで、大学院への予算も厚くなった。

 これに伴い私立を含め大学院が増えた。国立大の博士課程の入学定員をみると、平成3年度の約7500人から15年度に1万4000人を超え、ほぼ倍増した。

 一方、文科省の調査では、国公私立合わせた博士課程修了者約1万6000人の進路で、就職していない者や不明などが5000人近い。大学教員や常勤の研究職への就職は限られ、非常勤の薄給で研究を続ける人も多い。

 大学院修士課程2年、博士課程3年を通じ、学費負担も大きい。苦学しても定職に就けない状態では、優秀な人材の博士課程離れが進む。このままでは、先駆的な研究が先細りしかねない。

 今回の文科省の方針は、法人化した国立大の6年ごとの中期目標の策定期にあたり、大学の組織運営見直しの一つとして改革を求めたものだ。

 大学院は増えすぎて質に懸念が出ており、この方針は遅すぎたといえる。ただ、定員削減によって教育・研究環境の悪化を招くことがあってはならない。博士課程は基礎研究を担い、科学立国を支える研究者育成の重要な拠点だ。

 各大学の特徴を生かし、他大学と博士課程を連携、統合するなど教育・研究の充実につながる再編を積極的に進めてほしい。

 旧態依然の大学院教育は変えねばならない。民間企業からは博士課程に対し「専門にこだわり融通がきかない」などと採用を敬遠する雰囲気が依然としてある。

 これに対し、分野の違う複数のテーマの研究を院生に義務づける大学もある。大学側には院生の高い研究能力を生かして育て、PRする工夫がさらに必要だ。

 日本の大学も改革を進めてきたが、厳しい競争におかれる米国の大学に比べ、若手研究者を鍛え、登用する面でまだ課題が多い。今回の見直しを新たな改革の契機として精鋭を育ててもらいたい。

産経新聞 2009年7月7日

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日教組:定期大会始まる 教育の格差深刻化で緊急アピール

 日本教職員組合(日教組)の第97回定期大会が6日、東京都千代田区の社会文化会館で始まった。代議員ら約450人が出席。不況の影響による進学断念など、貧困や教育格差の問題が深刻化しているとして、「子どもたちに夢をあきらめさせない」と訴える緊急アピールを出した。

 中村譲・中央執行委員長はあいさつで、全国学力テストの43年ぶり実施や教員免許更新制導入などを例に挙げ、現政権について「管理強化の色が濃い政策をとり続けた」と批判。「まもなく行われる総選挙で政権交代を実現させ『希望の国、日本』へかじを切ろう」と呼び掛けた。大会は8日まで。

毎日新聞 2009年7月6日 20時20分

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憲法審査会を参院も速やかに

 衆参両院に設置された憲法審査会の休眠状態を打開する第一歩がようやく動き出した。衆院は先月、自民、公明両党の賛成多数で審査会規程を制定し、衆院解散・総選挙後の国会で始動させる態勢を整えた。参院でも速やかに憲法審査会規程の制定を進めるべきである。与野党は投票権の18歳引き下げに伴う課題にも積極的に取り組んでもらいたい。

 2007年5月に成立した国民投票法に基づき衆参両院に憲法審査会が設置されたのは同年8月である。しかし、民主党が委員数や表決方法など審査会の運営ルールを定める規程の制定に強く反対し、2年近くも休眠状態に置かれてきた。

 民主党は反対の理由として「国民投票法は強行採決であり、自民党に反省や謝罪がない」と主張しているが、こうした批判は根拠に乏しい。国民投票法は国会審議や与野党協議に十分時間をかけ、民主党の主張もかなり取り入れられている。

 民主党の反対は選挙を控えて、改憲派と護憲派が入り交じる党内の結束を乱したくない、護憲派の社民党との共闘態勢を崩したくないとの党略的な思惑を優先したためと見られても仕方がない。

 参院は民主党など野党が多数を占めているが、いつまでも不正常な状態を続けるのは好ましくない。解散・総選挙が終われば、もう反対を続ける理由もなくなるだろう。民主党の西岡武夫参院議運委員長はかねて審査会規程の制定に前向きな姿勢をにじませてきた。参院でも規程の早期制定を望みたい。

 国民投票法は施行が3年間凍結され、憲法審査会で具体的な改正案が審議できるようになるのは来年の5月18日以降になる。それまでの間、審査会で憲法上のさまざまな課題や論点について与野党の建設的な論議の積み重ねが期待されたが、すでに2年間も時間を空費してきた。

 国民投票法では投票権を18歳以上と定めており、公職選挙法上の参政権年齢や民法上の成人規定など関連法令についても「施行までの間に、法制上の措置を講ずる」としている。投票権引き下げは民主党が提唱したもので、わたしたちも支持してきた。民主党はこうした課題に積極的な役割を果たすべきである。

日本経済新聞 2009年7月6日

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教員免許更新 制度検証が欠かせない

 教員免許に10年間の有効期限を設け、更新時に講習を受けることを義務づける「教員免許更新制」が本年度から始まった。

 学校が夏休みに入る今月下旬から、道内を含め全国各地の大学で講習が本格化する。

 受講した教員や講義をする大学は、この制度が本当に子供たちの教育向上につながる意義のあるものなのか、十分に検証し、問題があれば声を上げてほしい。

 文部科学省は教員や大学側の意見を真摯(しんし)に受け止め、効果への疑問や弊害が確認されれば、速やかに制度廃止や大幅見直しを検討すべきだ。

 講習は幼稚園から高校までの教員を対象に、10年ごとに計30時間の受講を義務づけている。

 受講費用は自己負担で、約3万円かかる。近くに大学がない場合、交通費や宿泊費も受講者が負わなければならない。インターネットでの受講も認められてはいるが、教員の負担は軽くない。

 そもそも免許更新制は、指導力不足などの不適格教員をチェックし、教育現場から排除することを目的に導入が検討された。

 しかし、医師や建築士、弁護士など他の専門的な職業資格には有効期間を定めた更新制はない。

 教員資格にだけ定期的に適格性を問うことへの問題点などが指摘されたため、文科省は制度の目的を「最新の知識や技能を身につけてもらうため」と変更した。

 そうは言っても講習後の試験で合格点に達せず、免許が失効すれば教壇に立てなくなる。

 知識や技能の習得なら現行の研修制度で十分との指摘もある。

 肝心の目的や費用対効果について、議論が尽くされないまま制度が導入されてしまった感は否めない。

 また、学校の管理職や教育委員会幹部には、講習が免除されるという特例がある。

 昨年、教育界を揺るがした大分県教委の汚職事件の主役は、校長や教頭、県教委の幹部だった。なぜ現場教員にだけ資質向上を求めるのか。不公平感はぬぐえない。

 いじめや学習放棄など教育現場は多くの問題を抱えている。

 子供たちの声にじっくり耳を傾けて、逃げずに困難な課題に向き合う教員こそが求められている。

 そうした能力が、座学を中心とした講義で身につくのだろうか。

 授業や課外活動指導などの経験を通して、自ら学び、職場で学び合う中で磨かれるのではないか。

 国や自治体は、教員が意欲的に自己研さんを積めるよう、少人数教育の実現など教育環境を整えることにこそ力を注ぐべきだ。

北海道新聞 2009年7月5日

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教育費軽減 未来を閉ざさぬために

 景気の急激な悪化で、家庭の経済状況から十分な教育が受けられなくなる子どもの増加が懸念されている。

 本人に意欲や希望があるにもかかわらず、高校中退や進学断念に追い込まれるケースが後を絶たない。長引く不況下での教育の緊急課題として浮上している。

 教育費の家計負担の軽減策を検討していた文部科学省の有識者懇談会が、低所得家庭への財政支援策と幼児教育の無償化を柱とする提言をまとめた。

 実現には年間1兆3千億円程度が必要になる。財源をどう確保するのかという課題はあるにせよ、未来ある子どもたちの救済は国の命題だ。社会全体で支える態勢づくりを急ぎたい。

 試算の内訳は、幼児教育の無償化のほか、私立高校生への授業料の支援、私立大生の奨学金の受給拡大と授業料支援などだ。

 日本の教育予算の支出割合は諸外国に比べて際立って低い。義務教育と高校で1割ほどの私費負担が、就学前と大学などの高等教育段階では6割前後まで高くなるという特徴がある。

 いわば、公的投資の少なさを家計を中心にした負担で補っている仕組みだ。教育格差の固定化を防ぐには、公的な就学援助を拡充するしかない。

 提言は、経済事情による不平等から子どもたちを守るための細かい配慮を盛り込んでいる。そのひとつが、修学旅行費用などの支援強化だ。

 市区町村が低所得家庭の小中学生に学用品や修学旅行の費用を支給する「就学援助」について、国に財政支援するよう求めている。

 修学旅行を断念する子どもたちの増加は、経済格差の広がりを象徴していると言える。多くの親子の思いに応え、提言の中で改善を求めたことを評価したい。

 今回の提言は、年収350万円以下の家庭への財政支援が柱だが、教育費の負担緩和という抜本的な対策を急ぐべきだ。

 大学を卒業させるまでに要する膨大な教育費の負担は、子どもを希望通り産み育てることをためらわせている。少子化対策という観点からも本気で取り組む必要がある。

 教育予算の拡充は、国際競争の中で活躍できる人材を育てる投資でもある。

 「子どもは社会の宝」と胸を張って言えるだけの実績をつくることだ。

高知新聞 2009年7月5日

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大学院大学法成立 山積する課題の点検を

 沖縄科学技術大学院大学学園法が成立した。国による手厚い財政支援や管理運営の仕組み、設置主体などを定めた法律が全会一致で可決、成立したことで、2012年開学に向け、大きなハードルを越えたことになる。

 大学院大学についてはこれまで、財政支出にかかわるさまざまな問題点が与野党双方から指摘されてきた。

 自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチームの中には一時期、「事業コストに対する効果が不明確」だとして設置構想の見直しを求める声が強かった。

 財務省も、09年度予算執行調査の中で、「戦略的な産学官連携が十分進んでいない」ことなどを指摘し、改善を求めている。

 関係者は法律ができたからといって安心するのではなく、手綱をいっそう引き締めて指摘に応えてもらいたい。

 沖縄科学技術大学院大学は「国際的に卓越した科学技術に関する教育研究」を行うことと、「沖縄の自立的発展」に寄与することを目的にした大学だ。大学院大学が、この二つの使命を兼ね備えていることを「何をいまさら」と軽視してはならない。

 大学創設は、使命や役割を明確にするという準備段階の理念づくりと、それに沿った学長選びが最も重要だ。

 「ハコモノ投資」と揶揄されたり、「巨額の税金を投入するプロジェクトにしては目的があいまい」だと言われないためにも、目指すべき方向や達成目標を明確に示さなければならない。

 大学院大学は「世界最高水準」「国際性」「柔軟性」「世界的連携」「産学連携」という五つの基本理念を掲げている。

 国内では前例のない発想が実を結びつつあるのは「科学技術」と「沖縄」を政治主導でドッキングさせ、予算確保と制度創設の水路を開いたからである。

 ただ、基本理念を実現するのが容易でないことも確かだ。第一級の研究者を海外から呼び込むためには待遇や住環境などを魅力のあるものにしなければならず、その経費だけでもたいへんな額になる。

 財政支援の根拠法が成立したとはいえ、将来、膨れる経費の負担問題が浮上してくるのは避けられそうもない。

 「沖縄の自立的発展」にどのように寄与していくのか。期待されているのは知的クラスター(集合体)の形成であるが、大学院大学が具体的にどのような役割を担うのかもまだはっきりしない。

 「小さく生んで大きく育てる」―県民の期待を集めて開学した県立芸大は今、県外教授陣を確保するために四苦八苦し、財政難にあえいでいる。

 国の後ろ盾があるとはいえ、科学技術大学院大学には施設整備費のほかに、開学後も相当の運営費が必要である。民間からの寄付金集めなど財政自立化が進まなければ、将来は危うい。

 開学に向け越えなければならないハードルが多いのは否定できないが、大学院大学は、沖縄の将来像を考える上でさまざまな可能性を秘めていると思う。

沖縄タイムス 2009年7月5日

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幼児教育の無償化 安心社会への道筋示せ

 家計に教育費が一層重くのし掛かる。文部科学省の有識者懇談会はきのう、幼児教育の無償化など低所得家庭の負担を軽減する財政支援策を提言した。政治の責任は重い。次期衆院選の論点の一つになりそうだ。

 軽減策の中でも幼児教育の無償化は喫緊の課題で、昨年閣議決定された文科省の教育振興基本計画に盛り込まれた。議論のたたき台はできつつある。

 「学び」の一歩目となる幼児教育段階で、若い父母に掛かる経済的負担は、子どもの将来そのものを脅かしかねない。

 政府の教育再生懇談会が先ごろまとめた報告も、幼児教育期の家庭に対する経済的支援の必要性を強く指摘した。さらに「日本の教育費は公的支援が少なく、特に就学前と高等教育の私費負担の高さは看過できない水準だ」と強調している。

 教育支出の公私別の負担割合を調べた経済協力開発機構(OECD)の統計によると、日本の家計負担は、就学前が38.4%、高等教育は53.4%で、加盟28カ国中、ともに最上位クラスだった。半面、公的支出の割合は下から3番目の最低水準。

 こうした構造が長年、見過ごされてきたことがそもそも問題だ。幼稚園から大学卒業までに掛かる教育費は今、最低でも1人約1000万円、私立大理科系に進めば約2500万円が、おおよその相場だという。

 子どもは、親の経済力に左右されることなく、望む教育を受ける機会が保障されなければならない。幼児教育の環境を国の責任で整備することは、すべての段階での教育費負担のあり方を考え直すベースになる。

 家計の負担軽減は「教育に金が掛かりすぎて、子どもを持つ決断ができない」と言う子育て世代への支援にもなる。少子化対策との連動は、実現に向けての重要な視点だろう。

 基本計画を受け具体的な検討を行っている文科省の研究会がまとめた中間報告では、幼稚園、保育所に通う3〜5歳児の無償化を実施すると、約7900億円の財源が必要と試算された。財源は消費税が見込まれており、将来の増税など税制改革論議と密接に絡むことになる。

 試算では、無認可保育所は対象から除外したが、「認可保育所に入れたくても空きがない」と言う多くの親の実情に沿ったものかどうか疑問も残る。

 「まず待機児童の解消を」「幼稚園と保育所の一元化議論が先」といった意見もある中、施設側、保護者の間で混乱が生じないような制度設計が必要だ。

 負担軽減は、幼児教育だけでは済まない。義務教育でも就学援助制度を利用する家庭が増えているし、授業料減免制度を申し込む高校生も急増している。さらなる手厚い支援策が要る。

 奨学金を受け大学を卒業できたとしても、就職できずに返済が滞るケースもある。あらゆる経済的困難が、成長の過程で常に立ちふさがっている。

 子どもが安心して教育を受けられる社会をどう実現するか。各党はマニフェスト(政権公約)に明確に位置付けてほしい。

河北新報 2009年7月4日

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法科大学院 信大の底力を見せたい

 信大が、法科大学院の定員を大きく削減する方針を固めた。現在30人に抑えている募集人員を、来春入学者から18人の新定員にする考えだ。

 信大は昨春、初の修了生を送り出したものの、新司法試験の合格者はゼロだった。

 早く合格者を出さないと存在意義が問われる−。大幅な定員削減を打ち出した背景には、そんな危機感がある。

 県内唯一の法科大学院である。県民の期待は大きい。県弁護士会などの協力も得ながら、将来、県内で活躍する人材を育てるために踏ん張ってほしい。

 法科大学院は、裁判官や検察官、弁護士の養成を目的にしている。全国で74校が開校した。

 2004年にスタートしたものの、順調とはいえない。今春の入学者を見ると、全体の8割の大学院が定員割れした。信大も正規の定員40人を下回る17人だった。

 新司法試験の合格率は昨年、全国平均33%に落ち込んでいる。

 中央教育審議会の特別委員会は4月にまとめた報告書で、新司法試験の合格実績や入学競争倍率の低い大学院に対して、教育水準の向上や入学定員の見直しなどを求めている。

 こうした“指導”もあり、全国74校で現行計5700人余の定員のうち、2011年度までに2割ほど減る見込みだ。

 信大など地方の小規模な大学院が置かれた状況は厳しい。しかし地方を統廃合して大都市に弁護士が偏ることになれば、司法改革の趣旨に反する。全国的なバランスを見ながら、都市部の定員をどう調整するかが大事になる。

 法科大学院は少人数制の米国のロースクールがモデルとされる。討論やゼミ、模擬法廷などの実務も通じて、必要な素養を身に付けさせるのが本来の狙いだ。合格実績ばかりにとらわれ、予備校化したら意義が損なわれる。

 信大は、現在18人の教員の数は減らさない考えだ。大学院を挙げたきめ細かな取り組みが実を結ぶことを期待したい。

 新司法試験をめぐり課題が浮かんできた。当初、修了生の7−8割が合格すると考えられていたが現実は違った。

 受験は原則、5年間で3回に限られる。多様な人材を集めたくても、高い学費を払ってどれだけ多くの社会人や他学部出身者が法律家を志すか、心配になる。

 国は学生支援を強化すべきだ。新司法試験に落ちた修了生への対応も整えてもらいたい。

信濃毎日新聞 2009年7月4日

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大学院大学 全会一致の“共同責任

 沖縄科学技術大学院大学学園法が3日、参院で可決成立した。日本の先端科学技術の研究開発拠点が沖縄に誕生する。

 法案をめぐっては国が設置し民間で運営する「公設民営」の大学運営に民主党が「経営基盤が危うい」と異議を唱えた経緯がある。

 審議の結果、開設後10年間は国が満額を財政負担、「10年をめどに財政支援の在り方を検討する」との文言は残るが、10年後も国が「経費の2分の1を超えて」運営費を補助する可能性を残した。国会論議の成果だ。

 手厚い運営補助に、仲井真弘多知事は「財政支援の期間が延びるなど、良い方向に改革したので良かった」と評価している。

 民主党の異議申し立ての結果、手厚い財政支援が確保された形だが、使われるのは紛れもなく国民の血税である。研究者1人当たり年間2億円、総額で年100億円の予算が見込まれる。

 当初10年間で1千億円にも上る。参院本会議で全会一致で法案を可決した与野党だ。手厚い支援を求めた民主党を含め血税の使途や研究成果、沖縄振興への寄与という目的達成に向け、与野党は共同で責任を負い、責任を問われる。

 法案では新大学院大設置の目的を「沖縄を拠点とする国際的に卓越した科学技術に関する教育研究の推進」で「沖縄の振興、自立的発展」と「世界の科学技術の発展」に寄与すると明記している。

 だが、なぜ先端科学技術研究の拠点が「沖縄」なのか。世界の科学技術の発展と沖縄振興・自立的発展の目的をどう両立・達成するか。国会審議でも争点になったが、具体策は見えず、疑問が残された。

 学生の募集・就学、ハイレベルな国際的研究・教授陣の確保、教職員や学生、その家族らの衣食住環境、子弟の国際教育機関の整備、医療体制などの周辺整備が開学目標の2012年度までの課題だ。

 大学院本体のハード整備、運営に加え、ソフトの活用や運営支援に県民がどうかかわり、かかわれるか。県出身研究者の育成は教育界の課題だ。

 霞が関からは「沖縄は常に新しいものを欲しがるが、既存施設の活用が弱い」「もらいっぱなし、作りっぱなし」との批判がある。

 県内には米軍基地内も含め10を超す大学・大学院がある。この際、既存大学の施設やソフトの充実を図り、新大学院大との連携強化で相乗効果を発揮したい。

琉球新報 2009年7月4日

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携帯所持規制 答えは一つではない

 悩ましい問題であることは間違いない。石川県議会が可決した「いしかわ子ども総合条例」の改正問題だ。

 小中学生らには「防災、防犯その他特別な目的のためにする場合を除き、携帯電話端末等を持たせないよう努めるものとする」。議員提案した自民、公明両党などの賛成多数で改正案は可決された。罰則規定はないものの、子どもの携帯所持の制限に踏み込んだ条例は全国で初めてという。

 同県では昨年、携帯サイトの掲示板への書き込みのトラブルで高校生同士の殺人未遂が発生した。これを受け、県などがその対応策を検討していた。

 確かに携帯電話やインターネットには、過度な使用で生活リズムを乱したり、ネットいじめや有害サイトの落とし穴にはまる危険性がある。こうした文明の利器といかにうまく付き合っていくか。ネット犯罪を未然に防ぐ方策づくりもまた、社会全体の課題だ。

 改正をめぐって、推進派は「自己形成が未熟な子どもを守る規定が必要」と主張した。反対派は「家庭や学校が個別に判断する問題」と反論した。

 県も「知る権利や財産権に抵触する恐れがある」とするなど、こうした内容が条例になじむのかという疑問の声が出たことも当然のことだろう。

 中学生の携帯の所有率は、地域間で濃淡はあるが、すでに5割を超えている。時計の針を逆さに回すことは現実的でないという声もある。

 そんな中、政府は有害サイトから青少年を守るための「インターネット利用に関する基本計画」を決めた。有害サイトへの接続を制限するフィルタリングサービスについて、業者に提供を義務づけるだけでなく保護者にも積極的利用を働き掛ける。こうした方向性に異議を唱える向きは少ないだろう。

 今回の条例改正はその是非はともかく、一つの大きな問題提起であることには違いない。

 小中学生に携帯電話は必要か否か。それは家庭環境によっても違ってくる。当然、答えは一つではない。それぞれの家庭で、主体的に子どもたちと考え、話し合っていく必要がある。

 携帯を与えるのであれば、与えっ放しにするのではなく、そこではネット犯罪の加害者にも被害者にもなり得るということなども具体的に伝えるべきだ。そして家庭、学校それぞれの領域でルールをつくっていく。それが教育というものだろう。

高知新聞 2009年7月1日

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子どもと携帯  「持たせない」で済むか

 小中学生に携帯電話を持たせないよう、保護者に求める条例改正案を石川県議会が賛成多数で可決した。罰則はないが、携帯の所持制限にまで踏み込んだ条例は全国第1号である。

 全国平均の携帯所持率は小学生が3割、中学生は6割とされる。これほど普及した背景には、緊急の連絡に欠かせず、防犯対策になるといったことなどがある。

 一方で、携帯を通じて子どもが犯罪やトラブルに巻き込まれるケースも後を絶たない。

 便利さと危険性の両面を持つ携帯の使い方を、子どもにどう教えていけばいいのか。試行錯誤を繰り返しながら取り組んでいる家庭、学校は多いだろう。

 石川県の条例改正は、携帯を持たせなければ被害も起きないのでは、との考えに立つ。これは少し乱暴ではないか。賛成する保護者もいようが、反対も少なくあるまい。

 携帯の所持の是非は家庭が決めるものであって、そこまで行政が踏み込んで規制することに、違和感を覚える人もいるに違いない。

 石川県議会の審議でも、「行政がすべきは悪質な業者の規制」と所持規制に反対の意見があった。賛否が分かれる大きな問題である。パブリックコメント(意見公募)を求めるなど、もっと丁寧に審議する必要があったのではないか。議員提案から2週間足らずでの可決は、拙速との印象が否めない。

 有害サイト対策法が4月に施行され、18歳未満の子どもの携帯電話に有害サイトの閲覧を制限するフィルタリング(情報選別)サービスの提供が携帯電話会社に義務付けられた。文部科学省も小中学校への持ち込みを原則禁止する通知を出した。

 子どもを守る対策は強化されているが、まだ十分でない。石川県議会の条例改正には、こうした状況にいらだった面もあるのだろう。

 ただ、条例は実効性に疑問が残る。改正条文は「防犯や防災、その他特別な目的以外で持たせないよう努める」という内容だ。解釈次第で骨抜きになりそうな条文である。

 小中学生より所持率の高い高校生を対象外とした理由も、よくわからない。高校へ問題を先送りしただけではないかとの疑問には、どう答えるのか。いずれにしろ生煮えだ。

 利用時間と料金を決めておく、個人情報の記入を求めるサイトは利用しない。そんなルールを親子で話し合うことが何よりも重要である。

南日本新聞 2009年7月1日

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