学テ結果公表 在り方を一から見直すべきだ
文部科学省が制限していた全国学力テストの市町村別データの公表を、秋田県の寺田典城知事が強行した。
県による全市町村別データの公表は全国初だが、すでに大阪府の橋下徹知事が一部を開示、鳥取県議会も開示に向けた情報公開条例改正案を可決している。
公表制限は、市町村間や学校間で過度の競争や序列化を招かないようにと定められたが、法的な拘束力はない。実施二年目にして早くも形骸(けいがい)化の恐れが出てきた。
寺田知事は地元市町村教委の反対を無視する形で公表に踏み切った。県教委の幹部も事前に知らされておらず、「やりすぎ」という批判は避けられまい。
寺田知事は公表の理由を「公教育はプライバシーを除いて公開が基本。情報を共有して活用することが県民の利益につながる」と説明する。
確かに、行政が得た情報はできる限り開示すべきだ。学力向上につなげたいという意図も理解できる。
しかし、学力テストの参加主体は市町村教委だ。現場が反対することを頭ごなしに強行する態度は疑問だ。公表が本当に学力向上につながるのか、今後の教育にどう生かすのかという説明もなかった。
学力テストで試される科目は小学六年と中学三年の国語と算数(数学)だけ。ごく一部のデータにすぎない。それを公表することにどれだけの意味があるのか。
当初から懸念されていた通り、数字が一人歩きを始め、市町村間と、ひいては学校間の競争をあおり、序列化につながりかねない。
このままでは一九六〇年代の旧学力テストの失敗と同じ道を歩むことになる。やはり公表は市町村教委の判断に任せるべきだ。
文科省の態度も中途半端だ。本当に過当競争を招くと考えているなら、テストの在り方自体を見直すべきではないか。
学力テストは本来、現状把握が目的だ。抽出調査で十分だったはずだ。全員参加にしたことで、学校や学級ごとの比較も可能になった。そんなシステムをつくっておいて、公表を制限する文科省の主張は説得力に欠ける。
実施費用も二〇〇七年が七十七億円、〇八年が五十八億円と膨大だ。それだけの予算があれば、教員の増員に充てた方が学力向上につながるとの意見も根強い。
結果を開示された秋田県の一部の市町村教委は、来年度以降のテスト参加を見合わせる姿勢を見せている。
現場の混乱はさらに広がる恐れがある。現状にかんがみ、テストの廃止を含めて一から再検討するべきだ。少なくとも全員参加の形は見直すべき時期に来ている。
愛媛新聞 2008年12月30日
国会図書館―知の基盤を厚く、強く
唯一の国立の図書館である国立国会図書館ができて、60年たった。
「真理がわれらを自由にする」
創立の精神を表す国立国会図書館法の前文の一節だ。東京・永田町の本館カウンターの上に刻まれている。
多くの情報を偏りなく集め、理解し、議論することで、新しい民主社会を築く。その基盤となる資料収集と分析が、ここに託された。戦後間もない1948年のことだ。
国内で出版された図書や新聞、雑誌、音楽や映像資料などを網羅的に集め、保存する。海外の様々な資料も収集する。それらを使って国会の活動を助けるのが第一の仕事だ。
資料を文化財として守り、利用してもらうことで、人々の暮らしや研究に役立てるのも大事な役割だ。
その国会図書館が近年、大きく変わっている。
「電子図書館」機能が充実し、インターネットで、誰でもどこからでも膨大な書誌データを検索したり、国会議事録を読んだりできるようになった。
明治・大正期に出版された約15万冊の本もパソコン画面で読める。国立公文書館や他の図書館などの資料を横断的に探すことも可能になった。国政の課題について、その論点や経緯、外国の事情などをまとめたリポート類も公開している。利用できる資料が飛躍的に増えている。
昨年、初めて国会の外から館長に就任した元京大総長の長尾真氏は、こうした事業を積極的に進めている。
一方、新たな課題も見えてきた。
国会を助ける仕事の重みが増している。07年度に議員が依頼した資料集めや分析は4万5千件。議員の立法活動が活発になり、95年度の2倍以上だ。しかし対応する職員は約190人。あまり増えていない。省庁の役人とは違う立場でのブレーン機能を果たすのは、この図書館の使命なのだから、もっと手厚い態勢がほしい。
資料収集の態勢も十分ではない。最近は、ネット上だけで発表される行政や学術の情報が増えているが、それを集める法的な根拠がない。放っておくと消えかねない自治体などのホームページを、今はいちいち許諾を得て保存している。公共性の高い機関のものは許諾なしで保存できるよう法律を改正し、収集の幅も広げてほしい。
海外の研究者も関心を寄せるマンガ雑誌の保存も悩みだ。インクがにじみやすく、短期間で絵がぼやける。デジタル化して保存・活用しようにも、現状では多くの関係者の許可が必要で事務コストが重く、手がつけられない。著作権に配慮しながら柔軟に対応できる仕組みが作れないだろうか。
国会図書館は国民の知の財産だ。その基盤を厚く強くして、次代に渡す責任がある。必要な手当てを急ぎたい。
朝日新聞 2008年12月30日
全国学力テスト いったん中止して出直せ
秋田県の寺田典城知事が文部科学省の指示を無視して、全国学力テストの市町別データを公表した。
来年度も市区町村別の結果を非開示とした実施要領を策定した文科省に挑戦するかのようである。
寺田知事は「公金を使って得た情報を公開することは、教育の向上に資する」という。塩谷立文科相は、市町村教育委員会の頭越しに公表した知事への不快感を隠さない。
学力テストをめぐっては成績公表に慎重な市町村教委の意向を押し切る形で、一部の知事が公表を打ち出すケースが増えてきた。
大阪府の橋下徹知事は市町村教委に自主公表の「圧力」を掛け、それに応じた市町村分を公表した。鳥取県教委は当初公開に反対だったが、公表に積極的な平井伸治知事の意向を受ける形で市町村別、学校別の結果開示に向けて情報公開条例を改正した。
条例を改正して学校別の開示にまで踏み込む。学力テストの本旨から外れている。塩谷文科相は「実施要領より情報公開条例が優先されるなら、法律制定も必要」との考えを示した。
学力テストは二〇〇七年四月、全小中学校を対象とする悉皆(しっかい)調査としては四十三年ぶりに実施された。
子どもの考える力がどう伸びているかをトータルでとらえようというのが趣旨だ。ところがテストの効用の論議より文科省と一部知事の意見対立が先鋭化する一方だ。知事と教育現場の間でも溝が広がってきた。
橋下知事は学力テストの結果で大阪府が下位に甘んじたことに怒って公表を迫った。二年続けてトップクラスの秋田県の寺田知事は市町村教委の反対を押しのけて発表した。県内の市町村には学校が一つというところもあり、事実上学校別の開示となった。
公開派知事の姿勢は現場の意見を尊重しない点で共通している。国と県とで公表への考えが異なれば、学力テストの参加を見合わせる市区町村が出てきてもおかしくない。それでは悉皆調査の前提そのものが崩れる。
学力テストが復活したのは国際学力調査で日本の順位が下がったことを憂慮する声が高まったためだ。
文科省は市区町村別の結果公表を禁じた理由に、無用な競争を招かないことを挙げている。しかし悉皆調査を毎年行えば「学力コンテスト」化していく恐れは予想できたはずだ。
その歯止めを十分にかけないまま、現場に裁量の余地を残した文科省の判断に誤りはなかったか。ことしのテストに掛けた費用は五十億円を超える。毎年の実施に疑問をぶつける知事や市町村長も少なくない。まず中止する。それから出直したらいい。
新潟日報 2008年12月29日
英語を英語で教える 落ちこぼれが多く出そう
二〇一三年度入学生から実施する高校の学習指導要領改定案で、初めて「英語での授業は英語で」を基本とする方針が明記された。頭から否定もしないが、かといって積極的に賛成もできない。もっと論議が必要ではないか。今回の改定では、グローバル化で英語が普遍語となっている世界的な潮流に乗り遅れまいということから、韓国や中国などの英語教育を参考にし、会話や読み書きの力の育成を重視した。小学校から英語を取り入れたのも同じ趣旨からで、小中での延長として高校の英語教育も改める必要があるということだ。
まず、技術的なことだが、教える側からも教えられる側からも「落ちこぼれ」が大量に出はしないか。英語を英語で教えている高校はまだ極めて少ない。圧倒的多数の高校では年配の教員ほど文法は詳しくても会話は苦手という一般的な傾向があり、指導法の改訂で戸惑うのではないかというのが現場の反応だ。教える側が戸惑うのでは教えられる生徒も戸惑い、双方からついて行かれない者が多く出る心配がぬぐいきれないし、日本語の授業の中身を濃くしないと、英語の圧力に負けて、日本語の優れた機能や陰影が維持できなくなるという問題もある。
折しもバイリンガルの作家、水村美苗さんがこれまでの英語教育をめぐる様々な論争や、自らの体験を踏まえた近著「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で」で、中途半端な国民総バイリンガルを求める傾向を根本的に批判した。英語だけでなく、他の言語に対しても少数精鋭の二重言語者を育成し、翻訳文化の伝統を維持する。日本文化の粋の凝縮である古典をたっぷり読ませ、密度の高い日本語を築く必要等々を訴えている。日本語が亡びていくかどうかの分かれ道が今だとさえ言うのだ。
戦後、ハングルだけにした韓国では近年「漢字」を見直し、学校で教えるようになった。中国でも漢字を略字にしすぎた報いで自分の国の古典を知らない世代が増えるという深刻な悩みを抱えている。こうしたことも参考にしなければなるまい。
北國新聞 2008年12月29日
宇宙基本計画―軍事頼みでは先が細る
5月に宇宙基本法ができてから初となる来年度の政府予算案で、宇宙関係は3488億円と、前年度の10%増という大盤振る舞いが認められた。
宇宙技術を育て、国民の役に立てていくのは大切なことである。
しかし、内閣官房に置かれた宇宙開発戦略本部が来年の宇宙基本計画づくりに向けて今月まとめた基本方針を見ると、本当に日本の宇宙開発が活発になって国民生活に生かされるのか、大いに疑問がわいてくる。
これまで重点はロケットや衛星の技術開発に置かれてきた。基本方針は、それを利用重視へと変えるという。宇宙開発の将来を見据え、産業として育てようとするなら当然のことだ。
各省庁の縦割りで宙に浮きかけていた気象衛星ひまわりの後継機づくりについて、政府の責任だとはっきりさせたことも、重要な一歩だ。
問題は、日本の宇宙開発がその軸足を軍事の分野に大きく移そうとしていることである。
宇宙基本法は軍事衛星など安全保障目的の宇宙利用に初めて道を開いた。今回の基本方針も、重点分野として国民生活の向上に次ぎ、安全保障を挙げた。産業界も安定した需要が見込めるとしてこの分野の拡大を期待する。
戦略本部は、弾道ミサイルの発射を探知する「早期警戒衛星」の導入などを検討するという。だが安全保障の問題に関しては、宇宙計画が先走っていい話ではない。そもそも、日本が自前の早期警戒衛星を打ち上げるかどうかは、防衛計画の中では何も決まってはいないのだ。
しかも防衛機密のベールに包まれると、コスト評価が甘くなりがちだ。産業として競争の中で技術を鍛え育てていくうえでもマイナスになる。
そこで気になるのは、官民共同開発の中型ロケットGXの扱いだ。開発が難航し費用が大きく膨らんでいるが、自民党の一部が続行を強く主張してきた。戦略本部は技術や費用の検討がなお必要だとして判断を先送りしつつ、安全保障目的のロケットと位置づけ、開発を続ける可能性も残している。
河村官房長官は「宇宙予算を5年で2倍に」と言うが、開発の可能性も需要予測もはっきりしないものを安保の名の下に官需で救うというのでは、このご時世に国民の支持は得られまい。
宇宙開発に政府の役割が重要なのは間違いないが、官需への依存を減らしていくことこそが産業育成の面では大事なはずだ。基本方針は、宇宙分野以外からも広く知恵を求めてすそ野を広げることを大きな課題としている。この点からも、できるだけ民生分野で技術を磨くことが得策だろう。
産官学の壁を越え、斬新な発想で日本ならではの技術を育て、利用を広げる態勢づくりこそが必要だ。
朝日新聞 2008年12月28日
まず高校から教育の分権を
高等学校の教育は小中学校に比べればじつに多彩だ。義務教育でもないから様々な学び方があるし、地域や学校の事情に応じた独自のカリキュラムがあってもいい。地方からは必修科目を減らすなど国の基準の緩和を求める声も上がっている。
ところが文部科学省が公表した高校の新学習指導要領案はそんな要請に応えているとは言い難く、地方分権には遠い内容だ。小中学校の画一的な指導要領も問題だが、まず高校から、地域や現場に教育の中身を委ねる改革を進めるべきである。
新しい指導要領は一般からの意見を聞いて来年3月までに告示し、2013年度から本格導入される。卒業に必要な単位数は現行通りだが内容の上積みが目立ち、小中学校と同じく「脱ゆとり」色が鮮明だ。
文科省は「多様性にも配慮した」と説明する。たしかに理科では科目選択の幅を広げたし、週あたりの授業時間数も標準の30時間を超えて設定できるよう明文化した。
一方で拘束性も強い。国語、数学、外国語では選択必修制を転換し、特定の科目を必修とした。各教科とも学習内容や範囲を事細かに規定しているのは相変わらずで、より記述が細かくなった部分もある。
「履修漏れ」騒動で注目された世界史必修も現行通りだ。世界史の重要性は論をまたないが、一連の不祥事は大学受験の実態ともずれがあるから起きた。これを機に柔軟な対応をしてもよかったのではないか。
文科省が全国一律の教育課程を定めて地方や学校に徹底させる。こういうやり方が学力水準維持に貢献してきた面はあろう。高校でも進学率がほぼ100%となれば一定の基準性が重みを持つのも理解できる。
しかしそれは大枠を示すだけで十分ではないのか。とりわけ高校は学校の姿も千差万別で、様々な試みに現場で取り組んでいる。必修科目の設定をはじめ、文科省の手取り足取りの規定は現場を萎縮させ、創意工夫の余地を奪うことになる。
政府の地方分権改革推進委員会も、国が自治体を縛る過剰規制の1つに高校の指導要領を挙げて見直しを求めている。道州制が議論される時代なのに、文科省は教育だけは聖域と決め込んでいるのだろうか。
日本経済新聞 2008年12月28日
小中生の携帯規制 優先させたい情報教育
政府の教育再生懇談会は、小中学生による学校への持ち込みの原則禁止を盛り込んだ子どもの携帯電話利用に関する素案をまとめた。3年後に施策の検証を行い、法整備も含めた必要な措置を講じるよう国に求めており、小中学校での携帯電話禁止が方針として前面に打ち出された。
しかし現実には、児童生徒の携帯電話所持率は増加を続けている。本県も例外ではない。防犯対策のために持っているケースが多いのが実態であり、強圧的な規制は避けたい。携帯電話による犯罪やいじめなどの、被害者にも加害者にもならないために、むしろ情報教育の充実を優先させたい。
県教育庁義務教育課の調査では、本県の児童生徒の携帯電話所持率(5月1日現在)は小学生が5・7%、中学生は22・7%。学校が不感地帯という地域もあって、全国平均(小学生約30%、中学生約60%)を大きく下回る。しかし、この3年でいずれも2ポイント程度増えており、今後も増加することは間違いない。多くが、部活動や塾通いのために帰宅が遅くなる子どもたちとの連絡用として、親たちが持たせているという。
県内の小中学校の対応は、ほぼ全校が「原則持ち込み禁止」である。ただし、ほとんどの学校で防犯という所持の目的に配慮した例外規定を設けている。PTAなどの場で、教師が父母らと話し会い、必要と認めた場合に持ち込みを認めている。実情に即した現場判断であり、今後とも継続して実施するよう望みたい。
携帯電話規制は、子どもたちの携帯電話への依存が強まり、犯罪やいじめの危険性が高まっていることへの対応策であることは確かだ。しかし、忘れてならないのは、問題が携帯電話にあるのではなく、所持する人の使い方にあるということだ。
特定の個人に対する誹謗(ひぼう)中傷の書き込みが問題視されている学校裏サイトも、メールによるいじめも、出会い系サイトによる性犯罪も、モラルの問題である。匿名性が高く、情報が独り歩きする恐れのあるネット通信の裏面も教え、情報を自分の判断で取捨選択できる能力を身に付けさせることこそ必要だ。県内では技術などの授業でインターネットを含むパソコン操作などの情報教育を行っているが、より踏み込んだ指導が求められる。
県内での利用率が小学生47・7%、中学生37・2%にとどまっている携帯電話のフィルタリング機能も、有害サイトへのアクセスを制限する有効手段であり、学校、家庭双方が利用の普及に努めるべきだ。
その利便性の高さから、携帯電話普及の流れは止まらないだろう。県内でも高校生の所持率は3学年を通して90%を超える。情報の良しあしを判断できる力を養う情報教育は早いに越したことはない。
秋田魁新報 2008年12月28日
高校新指導要領 脱ゆとり鮮明になったが
文部科学省が発表した高校の新しい学習指導要領案は、小学校、中学校に続いて「脱ゆとり路線」を鮮明にした。
小中学校段階では、約30年ぶりに学ぶ中身も授業時間も大幅に増やした新指導要領が、それぞれ2011、12年度から完全実施される。高校は理数教科で12年度から先行実施し、13年度に完全実施される段取りだ。指導要領上は「脱ゆとり」が完結することになる。
高校生が何を、どのように学ぶのかという新指針だ。一定の評価はするものの、実際に実施に移された場合、現場が十分に対応できるのか。疑問も残る。
学力低下批判に応え、質・量ともに授業内容を充実させたと文科省は言う。
数学、理科などで学ぶ中身を増やして1980−90年代の水準にまで戻し、従来以上に高度な授業も可能にした。英語は習得すべき単語数を約4割増と大幅に増やし、中国や韓国と同じレベルにした。いわゆる成績上位層を中心とした学力向上に対処する狙いだ。
一方で、国語、数学、英語の3教科で基礎に絞った共通必修科目を新設した。総則に「義務教育の学習内容の確実な定着を図るため」の配慮を明記し、中学校段階の復習をするために独自教科の設置なども認める。いずれも、基礎学力を維持・確保する方策と言っていい。
かみ砕けば、学習内容を増強して基準を超えた発展学習の機会も与えると同時に、学力下位層に対する底上げの工夫を凝らしたということだろう。
これら「発展学習」と「底上げ」を支える手段が学校現場の裁量拡大である。難しい内容は指導しないよう設けていた「歯止め規定」を撤廃し、授業も標準時間数を超えて行えるようになった。
高校進学率は98%に達し、学校も生徒も多様化している。学力格差は小中学生以上ともいわれ、現実に極力向き合おうとする国の姿勢は感じられる。
だが、教える内容は増え、教える手法も複雑になりそうだ。授業の質が問題となる。教師の力量が一層問われるが、国も教材研究や研修など指導力向上への支援策や条件整備が不可欠となる。
困難が予想されるのが英語だ。英単語数が増えるだけでなく、授業は基本的に英語ですることが明記された。「読む、聞く、話す」で英語漬けにして、コミュニケーション能力を高めようとのもくろみだが、果たしてできるのか。
現場に無理を押し付けるわけにはいかない。授業モデルを示すことや研修も欠かせないだろうが、準備には時間が要る。実施は柔軟に考えるべきだろう。
「『生きる力』を育て、基礎基本の習得とともにその活用力を養成する」というのが新指導要領案全体を貫く眼目である。文科省が近年掲げている目標であり脱ゆとり教育でも不変のはずだ。
それを、どう実現するのか。国や自治体、学校は議論を深める必要がある。
西日本新聞 2008年12月28日
公立学校調査 予算拡充で人材育成を
教育現場が予想以上に疲弊している。そう思わざるを得ない。県教育委員会が実施した調査によると、勤務時間外労働の増加など、先生方の負担が目に見えて増えている。「子どもとじっくり向き合えない」「教材研究の時間がない」という。雑務に追われ、本来の教育に専念できないということであれば、事は深刻。早急な改善策が必要だ。
沖縄県の低学力問題がクローズアップされて久しい。多くの要因が指摘され、それなりの対策も取られているが、これといった効果が出ていないのも事実だろう。確かに、こんな現状では学力向上をいくら強調しても、取れる方法は限られている。授業の基本である「児童」と「教師」の距離が遠くなっている気がするからだ。
調査によると、県内公立学校の教員の52・1%が、全国平均1時間43分を上回る2時間以上の超勤業務に従事している。5時間以上も5・9%に上る。また、平日には78・8%が自宅に業務を持ち帰り、休日にも68・6%が出勤している。校務分掌や部活動などに時間を取られ、授業の準備など本来の教育がおろそかになる、という実態が浮かび上がってくる。
教員の病気休職や精神疾患が全国的に増え、過去最多を記録している。特に精神疾患がひどく、2007年度には4995人で、病休者全体の62%を占めている。沖縄でも153人が精神を病んで休職しており、現場の過重な負担がいかにストレスを引き起こしているか、よく分かる。
こう見てくると、教員増と連動した「30人学級」の実現が、どうしても避けて通れないのではないか。とはいえ、政府は教育予算の削減に腐心しているとしか思えない。
今夏、初めて策定された教育振興基本計画でも当初、文部科学省は小中学校の教職員定数を2万5000人増やすよう求めていた。だが財務省などの反対で明記が見送られてしまった。資源の少ない日本は人材こそが最大の資源。100年先を見据えた教育施策が求められている。
琉球新報 2008年12月28日
学力調査―勇気ある撤退を求める
秋田県の寺田知事が、文部科学省の意向に反して全市町村別の平均正答率を公表した。
全国学力調査の結果公開をめぐる混乱がいっそう広がっている。
都道府県が市町村別の結果を一覧できる形で公開するのは、序列化や過度の競争を招く恐れがあるので控える。公表するかどうかは市町村が判断し、公表する際は結果だけではなく対策も合わせて明らかにする。これが文科省が決めたルールである。
これに対し、寺田知事は「公教育はプライバシーを除いて公開が基本」「有益な情報がごく一部の教育関係者に独占されている」などとして公開に踏み切った。
寺田知事は、以前から記者会見などで公表の意向を明らかにしていた。とはいえ、突然の発表は各市町村の教育委員会どころか県の教育委員長らにも寝耳に水だったようだ。
しかも、大阪府の橋下知事の場合とは違い、どの市町村も自らは公表しない意向だったにもかかわらず頭越しに強行した。
このやり方は乱暴にすぎる。朝日新聞の調査に秋田県内の市町村の約半数が、来年度からの参加について見合わせを含め検討する意向を示したのも当然だろう。
ただ、知事が公表に踏み切った理由そのものについては、同意できないわけではない。情報公開の観点からみても当然だ。追随する自治体が出てくるかも知れない。
何よりあきれるのは、この流れに右往左往している文科省の姿である。
文科省は、全国学力調査を40年ぶりに復活するにあたって、かつての教訓から過度の競争や序列化を再燃させないように配慮したという。都道府県による市町村別結果の公表をひかえさせたことも、そのためだった。
確かに知事が発表するという秋田の例は想定外だったかもしれない。しかし、情報公開請求があれば公開せざるを得ない事態に陥ることは十分に予想されたことだ。文科省が県別の成績は自ら公表しておきながら、都道府県には市町村別の公開を禁じるというのは何とも筋が通らない。
そもそも制度設計に無理があったのだ。今頃になって文科相に「悩ましい」と嘆かれても困る。
ここで考えるべきは、こんな混乱を招きながら調査を続ける必要があるのか、ということだ。
文科省は、学力の状況を全国的に把握し、指導に生かすためとして調査を始めた。全員参加としたため、毎年50億円以上にのぼる予算と膨大な手間がかかる。しかし、そこで得られる結果は抽出調査でも十分可能だ。
この費用があれば、どれだけ教員や学校施設の充実に回せるだろうか。
朝日新聞 2008年12月27日
学力テスト 結果隠さず上位を見習え
秋田県の寺田典城知事が、全国学力テストの市町村別の結果を公表した。市町村教育委員会は反発しているが、本来、教委や学校は自らの成績を積極的に公表するのが筋であり、知事の判断は当然である。
秋田県は10月に情報公開請求に伴い、市町村別成績について市町村名を塗りつぶした形で開示した。知事は市町村名を含め成績を積極的に公表するよう促していたが、各教委は反対し知事の判断で公表に踏み切った。
都道府県別で成績トップクラスの秋田は、ほとんどの市町村が全国平均を上回っている。
山間部の町村の成績も良い。理数教科の少人数学習などが効果をあげているようだ。授業が上手なベテラン教師の配置を工夫し、各地で若手教師の指導にも努めているという。
こうした成績上位の取り組みを学べるのは、全国規模の学力テストの大きな効用だ。
隣の自治体、学校と比べ成績が悪ければ授業を見直さねばならない。親も結果を知り学校との連携が欠かせない。「公教育はプライバシーを除いて公開が基本」などとした寺田知事の見解に賛成する人は多いだろう。結果を隠しては反省も改善策も生まれない。
学力テストでは、大阪府の橋下徹知事が一部反対する自治体を除いて市町村別成績を開示した。大阪の成績が2年連続で低迷したことに危機感を持ち、学力向上策を打ち出している。
鳥取県では市町村、学校別結果開示に向け情報公開条例改正案が可決された。埼玉県では情報公開審査会が開示すべきだとの答申を出した。両県知事は積極的な成績公表の必要性を訴えている。
昭和30年代の学力テストは競争や序列化を招くなどとして日教組が反対闘争を展開し中止となった。教育界は運動会の徒競走順位をつけないような横並び、悪平等の体質が根強く残る。
秋田県横手市の教育長は「勝った負けたの話になり、子供への影響が心配」などと反対しているというが、教育で競い合うことは悪いことではない。競争から目をそらしては改善など望めない。
成績公表の流れに対し、文部科学省は30年代の反省などをいまも理由にあげ、市町村、学校別の結果公表を禁じる通知を改めて出した。時代遅れの教育観を改め、原則公表とすべきだ。
産経新聞 2008年12月27日
「持ち込み禁止」は当然だ/小中学生と携帯電話
政府の教育再生懇談会が子どもの携帯電話利用に関する素案をまとめた。
小中学生について「必要がない限り携帯電話を持つことがないよう保護者、学校が協力する」とし、学校への持ち込みの原則禁止を打ち出した。
やむを得ず持たせる場合は通話機能しかない機種に限定するよう促している。教育委員会や学校に対しては、学校での携帯電話の取り扱い方針を明確にするよう求めている。
子どもに携帯電話を所有させるかどうかの判断は、利便性と有害性を勘案したうえで、子どもの年齢に応じて親が自主的に決めるのが筋だ。
だが、そのこととは違って、学校への持ち込みは次元が異なる。授業中に携帯電話の着信音が鳴ったり通話するなどは、もってのほかだ。
県内の小中学校では、携帯電話は勉強に不要なものだから、持ってこないように指導していると聞く。当然のことだ。事情があって持ち込む場合は、教室以外の場所で学校が責任を持って管理。多くの高校と同様に、校内での使用を制限すべきだ。
日本PTA全国協議会の調査によると、小学五年生の19%、中学二年生の43%が携帯電話を持っている。中二の十人に一人は、顔の知らないメール友達が五人以上いる。
一日のメールの送受信数は中二の場合、十一−二十通が17%で最も多いが、五十一通以上も16%に上る。子どもたちに「携帯電話依存」が広がっているといわれるわけだ。
携帯電話を持つことについて、大人と子どもの間に意識のずれがあるようだ。特定非営利活動法人・現代用語検定協会の調査では、小中学生が携帯電話を持つことに、大人の六割以上が反対なのに、子どもの六割近くは賛成している。
大人が反対する主な理由は、「自分で使用料を払えるようになってから持たせる」「メール機能は必要ない」などだ。有害サイトに絡む犯罪や、いじめの多発なども背景にある。
これに対して子どもたちは「携帯電話を使ってみたい」「メールをしたい」など、もっぱらコミュニケーションの手段として必要性を訴えている。
教育再生懇談会の素案は「携帯電話の問題は家庭、学校、地域の教育力が問われている」とも指摘している。公立小中学校への携帯電話持ち込みを禁じるアピールを発表した大阪府の橋下徹知事は、携帯電話への依存度が高いと学習時間が少なくなるとし、学力への悪影響も心配している。
保護者は、いつでも連絡ができ緊急時の安全対策にも有効だとして、子どもに携帯電話を持たせているのだろう。だが、橋下知事のように「携帯は学校に必要ない」と考える大人は少なくないのではないか。
携帯電話は便利な道具だが、犯罪に巻き込まれる危険性もある。だから、所持するにしても親子で話し合い、使い方についてルールをつくるべきだ。
その中で「学校へは持ち込まない」と決め、守らせよう。そうする責任は保護者にある。子どもたちの要求には、毅然(きぜん)として対処したらいい。
東奥日報 2008年12月27日
秋田学テ公表 知事の暴走は許されない
自治体トップの目に余るスタンドプレーだ。
秋田県の寺田典城知事が、文部科学省が禁じている全国学力テストの市町村別データの公表を強行した。
県教委に事前の連絡はなく、市町村教委の意思は無視された。どんな意図があろうと、教育行政へのルールを無視した介入は許されない。
秋田県教委は情報公開の請求を受け、市町村名を伏せた上での結果は開示している。市町村に自主的な公表を求めたが、応じる自治体は無かった。
県内には学校が一―二校、一学年が十数人という自治体もある。判断には学校が特定されることへの配慮や序列化につながることへの不安が働いている。
寺田知事は「公教育はプライバシーを除いて公開が基本。情報を共有して活用することが県民の利益につながる」と主張する。
学力テストの結果が二年連続で全国トップクラスとなった自信も、強気の姿勢を支えているのだろう。
知事は公表によるプラス面を強調するが、懸念されるのはむしろマイナスの影響の大きさである。
成績が下位の市町村に住む子どもの自尊心をいたずらに傷つけ、自信を低下させることになりはしないか。下位の市町村の学校にプレッシャーが強まることは間違いない。保護者の不安をあおることも予想される。
公表にどんな正当な理由があろうと、混乱が予想されることには慎重であるべきだ。
全市町村のデータを公表するのは秋田県が初めてだが、結果を公表する動きは各地に広まっている。
大阪府や鳥取県は独自の判断で市区町村別の結果公表に踏み切った。文科省の調査では、市区町村教委の約四割が結果を公表または予定している。
文科省は来年度の学力テストも市町村別の結果公表を禁止するが、実施要領は既に形骸(けいがい)化しつつある。寺田知事の「暴走」はそれを裏付けた。
ルールがなし崩しになれば、データの公表範囲が自治体別から学校別へとエスカレートしていく可能性も否定できない。
地域や学校の序列化につながるという学力テスト復活に際しての懸念が、現実味を帯び始めている。学力テストの意義そのものが問われている。
高知新聞 2008年12月27日
検定審報告 透明化が進むか疑問だ
透明性の向上を掲げつつ、その一方で、透明化の妨げになるような規制も打ち出す。
たとえて言えば、「前に進め」という指示と、「後ろに下がれ」という指示を同時に出しているようなものだ。
文部科学相の諮問機関である教科用図書検定調査審議会(検定審)は二十五日、総括部会を開き、「教科書の改善について」と題する報告をまとめ、塩谷立文科相に提出した。
報告は二つの事項から成っている。一つは「教科書検定手続きの透明化」。もう一つは、新しい学習指導要領に対応した「教科書の改善方策」。このうち検定透明化は、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に関する検定が大きな政治問題に発展したことを踏まえ、沖縄側の要求に応える形で設定されたテーマだ。
現状に比べ、どこが改善されることになるのか。
教科書調査官が作成する調査意見書は現在、公開対象になっていない。これからは検定終了後に調査意見書を公表するほか、教科書調査官の役割を明確にし、氏名や職歴も公表していくという。
実質審議が行われる部会や小委員会については、開催日や出席委員、決定事項、議事の概略を記載した議事概要などを検定終了後に公表することになった。
ただし、注意しなければならないのは、調査意見書や議事概要の公表が検定終了後とされていることだ。議事概要にしても、委員相互のやりとりなどを具体的に記したものではない。いくらでも簡略化することが可能なのだ。
文科相が検定審に対し、検定手続きの透明化に向け改善策を検討するよう要請したのは「教科書検定のあり方に疑念や不信を抱かれることがないようにする」ためである。
しかし、審議会は非公開で、議事録も公開しないことになっている。
検定終了後の議事概要の公表をもって検定透明化というのは「看板に偽りあり」というほかない。運用次第では、たやすく骨抜きにされるだろう。
報告は、申請図書の内容や検定済図書の訂正申請の内容が外部に流出することがないよう、申請者に情報管理の徹底を求めている。
これもまた、文科省や検定審の判断によっては、透明化の流れに逆行しかねない危うさを秘めている。
教科書検定手続きの透明化と言いながら、それにブレーキをかける内容が同時に盛り込まれているのだ。
文科省と検定審は「外部からの圧力を排除し静謐な環境を確保する」ことを検定透明化の前提条件に掲げている。検定が外部の騒音によって影響を受けることがあってはならない、との考えからだ。
だが、思い出してほしい。安倍政権当時の政治的空気が検定作業の中に流れ込み、まさに「外部の騒音」によって教科書記述が変更されたのだということを。
静謐な環境の必要性を頭から否定するつもりはないが、検定の透明性を確保する仕組みとしては、今回の報告は弱すぎるといわざるを得ない。
沖縄タイムス 2008年12月27日
学校ケータイ―家族と共にルール作りを
子どもたちが学校に携帯電話を持ち込むのは原則ノー。大阪府教育委員会が公立小中学校向けにこんなメッセージを発信した。政府の教育再生懇談会も「原則持ち込み禁止」の素案を取りまとめた。子どもと携帯電話の問題が大きく浮上している。
府教委の方針は橋下徹知事の意向でもある。府内ではすでに小中学校ごとの持ち込み禁止が広まっており、実質上の影響はさほど大きくない。
とはいえ、知事は「過度の依存は学習、健康の妨げになる」と言い切った。確かに、府教委の実態調査から浮かび上がる「子どもの1日」はケータイ漬けそのものだ。中1では携帯電話を「3時間以上使用する」が全体の15%、10人に1人が「51回以上メールを送信する」と答えていた。
メールが届いたら3分以内に返信するという中学生は15%。現場の教師に聞くと、3分以内で打ち返すという暗黙のルールもあるらしい。返信の早さで互いの親密度を測る。そんな人間関係が広がっているのだろうか。
調査では、ケータイ漬けの著しい子ほど家庭での学習時間が短く、生活習慣が乱れていることもわかった。
こうしたことは、多かれ少なかれ全国共通の傾向だろう。日本PTA全国協議会によると、小5の5人に1人が携帯電話を持つ時代なのである。
事態の深刻さを考えると、学校からのケータイ追放は妥当といえよう。
ただ、携帯電話には子どもを犯罪から守る効能もある。大阪府教委も事情に応じて校長判断で持ち込みを認める方針という。登校後に学校で預かり、下校時に返すという方法もある。
もちろん、携帯電話が学校生活から消えただけでは問題は解決しない。
気になるのは、メールやネットを使ったいじめの増加だ。小中高生を対象にした文部科学省調査によると、昨年度、パソコンや携帯電話などを使った嫌がらせは約5900件にのぼり、前年度に比べて約1千件増えた。有害サイトの悪影響も心配されている。
もはや、世の中全体で対策に乗り出すべきときだ。たとえば居場所を知らせる全地球測位システム(GPS)や通話機能に限定したものを広める方法もある。有害サイトの閲覧を制限するフィルタリングというサービスもある。携帯電話にかかわる企業を巻き込んで、子ども向けの機種やサービスを広めることを真剣に考えたい。
そして、最も重要なのは家庭の役割だ。「食卓で使わない」「夜は電源を切る」など使用のルールをつくれば、学校のルールも生きてこよう。
なにより、子どもたちをケータイ漬けから救い出し、顔と顔を見合わせて意思を交わす本来のコミュニケーション能力を高めてやりたい。教室も家庭も、そんな場であるべきだ。
朝日新聞 2008年12月26日
学テ結果公開 順位を独り歩きさせるな
全国学力テストの結果公開問題で新たな動きが出た。秋田県の寺田典城知事は、07、08年の市町村別の平均正答率など結果公表に踏み切った。全自治体名を明記した公表は全国初で、「県内地域別ランキング」ができた格好だ。1校の自治体では事実上学校個別の結果が出たことにもなる。
市町村教育委員会は反発しているが、これは全国各地の動きにも影響し、文部科学省は従来の一方的通知ではすまない対応が必要にもなろう。改めてテストの意義を明確にすべきだ。
巨額の税金を投じて行われる公の事業の結果について、情報公開がされるのは当然の原理原則だ。ただ、序列化を排し、学力向上につなぐ学力テスト本来の趣旨に照らせば、慎重な配慮と共通認識が欠かせない。
現行テストは「学力低下」対策で昨年始まった。文科省は都道府県別結果は公表するものの、県教委などに対し、市町村別、学校別結果は開示しないよう実施要領でクギを刺した。
過熱して混乱した60年代の旧学力テストの再現を避けるためだが、「教委の責任回避になる」などと各地で反発の声が上がり、橋下徹大阪府知事らは文科省を厳しく批判。鳥取県では来年度から市町村別、学校別に開示する条例改正が成立し、埼玉県情報公開審査会も開示を答申した。公表は流れになりつつある。
今回の秋田県の措置で知事は「公教育はプライバシーを除いて公表が基本だ。有益な情報が県民に提供されないままになっている」と言う。同県では情報公開請求に対し市町村教委は反対し、県教委が市町村名を塗りつぶした結果を開示した経緯がある。教委に任せないで知事が判断するという構図も、今回の各地と文科省の「対立」に見える特徴といえる。
だが、一般に「順位」への関心の高さの割に、このテストがどのようなものか十分に理解されているとはいい難い。対象は小学6年、中学3年のほぼ全員で、毎年、国語と算数(数学)を基礎と活用に分け基本知識や記述する力を見る。一部の学年であり、国・数以外の分野の学力や適性を見ているわけでもない。
子供たちには採点結果が渡されているが、保護者や地域住民がさらに相対的に正答率の高低や傾向を知りたいと考えるのは、自然なことともいえよう。秋田の判断の支えもそこにある。
しかし、その前提として、これがどんなテストで、部分的ながらもどのような力を探り、その不足をどのように指導し、学力や適性を伸ばしていくか−−を学校や教委も周知に努め、校区や地域にある程度共通の理解を広めておかなければならない。
でなければ、数字や順位がかつてのように独り歩きし、現場に再び混乱や萎縮(いしゅく)、偏見を生む恐れを懸念せざるを得ない。
毎日新聞 2008年12月26日
学力テスト公表 知事判断、混乱招くだけ
寺田典城知事は25日、文部科学省が昨年と今年実施した全国学力テストの県内全市町村別平均正答率の公表に踏み切った。市町村教育委員会の反対を押し切っての、いわば強権発動である。
教委は本来、知事からの独立機関である。その一線を越え、テスト実施要領のルールさえも破る形での公表は、はっきり言って行き過ぎだ。市町村教委の反発は必至であり、教育現場の混乱を招くだけである。
都道府県別の結果が公表された8月以降、寺田知事の刺激的な言動が目に付いた。「ルールを破っても公表した方がいい」と言ったり、特定の市町村名や学校名を挙げて論評もした。
本県は2年連続で小学6年、中学3年とも国語と算数(数学)で全国トップ級の成績だった。それ自体は喜ばしいとしても、順位で一喜一憂するのは本末転倒。結果を冷静に分析し授業改善に生かす努力が重要なのだ。
寺田知事はなぜ、公表にこだわるのか。会見で「公教育はプライバシーを除いて公開することが基本」「都道府県が公開されて市町村が公開されないのは理解できない」と語った。
確かに一理はある。「結果を有効活用したい」との思いも理解できる。しかし一般の行政情報と違い、あくまで教育に関する情報である。その奧には生身の子供たちがいることを考えれば、扱いには慎重の上にも慎重を期さなければならない。
文科省が昨年、43年ぶりに学力テストを復活させるに当たって腐心したのも、かつてテスト結果の公表で顕在化した序列化や過度な競争を防ぐ手だてだった。だからこそ実施要領で、都道府県教委が市町村や学校を特定して結果を公表しないように定めたのである。
つまり、あくまで市町村教委の自主判断に委ねたのであり、その約束事に基づいてテストを行ったのだ。テスト実施前ならいざ知らず、終了後に約束事をほごにするような態度は教育的にもよろしくない。
結果公表に前向きな県教委が情報公開請求に際し、市町村名などを伏せて結果を開示する苦肉の策を取ったのも、そのためだ。寺田知事は文科省に立ち向かうことで、よもや「国と闘う知事」を演出しようとしているわけではないだろう。
国語や算数などごく一部の教科だけで学力を論じられるものではない。まして学力観が多様な中で、わずかな差でも市町村がランク付けされることは、数字が独り歩きすることと相まってマイナス面の方が大きい。
大阪府や鳥取県のように市町村別結果などの開示に前向きなところがある一方で、文科省は来年も実施要領を維持する方針だ。県内では、公表されたらテスト参加を検討し直すという市町村教委もある。全員が対象の悉皆(しっかい)調査ではなく、抽出調査を含めたテストの在り方を根本から見直さなければならない。
秋田魁新報 2008年12月26
持ち込み規制だけでなく
小中学校への携帯電話持ち込みを原則禁止とする動きが広がっている。大阪府教育委員会は本年度中に禁止を徹底させるほか、県内でも横浜市教育委員会がルールの統一化に乗り出している。政府の教育再生懇談会も「子どもの携帯電話利用に関する素案」で原則禁止を打ち出した。
一方で松沢成文知事が、親にとっては子どもの安全情報を知るための有効な手段になっている点を挙げるなど、一律の規制への異論も出ている。携帯電話の子どもへの普及が広がる中、その便利さとどう付き合うべきか、あらためて議論するきっかけにしたい。
携帯電話については、児童・生徒の行き過ぎた依存や授業中のメール、学校裏サイトなどへの書き込みに端を発したいじめなど、さまざまな問題が指摘されている。
調査会社が大阪府の公立小中学校に通う子どもの保護者を対象に行ったアンケートでは、「自分の子どもが携帯依存と思う」という回答が34%に上った。子どもが携帯電話を持つことの不安(複数回答)では、「出会い系サイトなどの有害サイトへの関与」が75%、「学校裏サイトなどでのひぼう中傷、いじめ」が72%、「迷惑メールやワンクリック詐欺などの被害」が67%に達した。
県内でみても県教育委員会が県立学校を対象に行った調査では、調査対象中学校の65%で裏サイトのあることが判明。携帯電話、パソコンのメールやプロフでの悪口・嫌がらせは、調査した全中学校で発生していたという。
もちろん、学校がこれまで校内への持ち込みを放置していたわけではない。県内の小中学校の90%は、完全禁止か持ち込みの制限をしている。不適切な使用があった場合、小学校では60%、中学校では97%が、教員がその場で預かる指導をしている。今回の横浜市や大阪府の取り組みは、それを一歩進めたものといえそうだ。
だが一方で、携帯電話の所有率は高まっており、既に小学生で37%、中学生では76%に上る。衛星利用測位システム(GPS)で子どもの居場所が確認できるなど、防犯にも役立つものを一律に持ち込み禁止にして排除してしまっていいのか疑問の声もある。
松沢知事も、授業中のメール送受信や有害サイトアクセスについては「学校の努力やフィルタリングで対応できる」と指摘している。個々の学校、児童・生徒の実情に応じた対応が取れる余地を残すことも必要ではないか。
携帯電話は、多くの人がいずれは社会で用いることになる利器である。そこにはおのずと社会的ルールが生まれる。授業中に使わないことは携帯電話利用の基本的なマナーであり、学校や保護者がその大切さを学ばせればいい。単に「排除する」だけの規制で終わらせてはならないのではないか。
神奈川新聞 2008年12月26日
教科書検定 透明化をさらに進めよ
教科書の検定手続きについて議事概要などを検定後に公開するといった報告書がまとまった。現行の「密室審議」からは一歩前進だが、全面公開には遠い。透明化をさらに進めなければならない。
文部科学省が教科書検定の密室性を改善しなければならなくなったのは、昨年春に行われた高校日本史の検定が発端だ。文科省は沖縄戦での集団自決について「日本軍に強いられた」といった記述に削除や訂正を求める検定意見を付けた。だが、沖縄県民などから猛反発を受け、事実上の再検定で撤回した。
この際、検定過程も「不透明だ」との批判を浴び、教科用図書検定調査審議会(検定審)が検定のあり方について検討していた。
検定は、まず文科省職員の教科書調査官が「調査意見書」を作り、有識者で構成する検定審にかける。検定審は部会や小委員会ごとに教科書をチェックしている。
検定審委員や調査官の氏名は秘密、部会や小委員会の日程や審議も非公表・非公開だ。情報公開が進む中で極めて密室性が高いが、文科省は「静かな環境での議論が必要だから」と反論してきた。
検定審がまとめた報告書は、調査官作成の調査意見書と、部会や小委員会での大まかな審議内容などを記載した「議事概要」を検定終了後に公開し、委員や調査官の氏名や職歴も公表するという。
現行よりも透明性は前進するが、十分ではない。沖縄県民から落胆の声が上がるのも当然だ。
なぜ「議事録」ではなくて「議事概要」なのか。公表が検定終了後というのも腰が引けている。
概要では委員の肝心な発言が曖昧(あいまい)になったり、削られる可能性がある。意見書の公開が検定終了後では、問題があっても検定途中で見過ごされるおそれがある。これでは沖縄戦をめぐる記述検定の教訓が生かされたとは言えない。
やはり、審議は公開が原則だ。中央教育審議会や自治体の教育委員会は審議を原則公開している。教科書検定も審議過程を国民の目に示しながら行ってほしい。
文科省は外部からの圧力を気にしているようだ。審議が公開されれば発言の責任は明確になる。現行の密室の方が「圧力を受けたのではないか」と疑われないか。委員も公開を尻込みするようでは、その資格に疑問符が付く。
教科書検定をさらに透明化するには、まずは文科省が審議公開への及び腰姿勢を改めるべきだ。
中日新聞・東京新聞 2008年12月26日
子どもと携帯 是非を家庭で話し合おう
子どもの携帯電話使用を制限しようとする動きが、にわかに強まっている。
ケータイ使用を未熟な子どもの自由に任せてはおけない、との考えが根っこにあるようだが、騒がれているように学校への持ち込みを一律禁止するなど規制するだけで問題は解決しないだろう。
小中学生の携帯電話使用について、政府の教育再生懇談会が制限論を唱えたのが今春だった。文部科学省は7月、校内での携帯電話の取り扱い方針を明確化するよう、都道府県教委に通知した。それを受け、大阪府の橋下徹知事が「学校への持ち込み禁止」方針を打ち出すなど、自治体に禁止論が広がっている。
教育再生懇が「必要のない限り、小中学生に持たせない」と踏み込んだ提言をまとめたのも、その流れにある。
携帯電話で問題とされるのは、インターネット機能だ。子どもたちの「ネットいじめ」が増えている。また、見も知らぬ相手とつながり、犯罪に巻き込まれるケースは後を絶たない。警察庁によると、今年上半期に出会い系サイトによる犯罪に遭った児童は356人おり、うち98%が携帯電話を使用していた。
さらに、過度の携帯電話依存による生活習慣の乱れも指摘されている。福岡県教委が昨秋、抽出調査をしたところ、女子中学生の4人に1人が1日に2時間以上も使っていた。通話だけでなく、メールやサイト検索など「ケータイ漬け」といった事態も生まれているのだ。
一方で、携帯電話が子どもに身近な存在になっている現実を見ないわけにはいかない。文科省によると、小学6年生の3人に1人、中学3年生の3人に2人が持っている。緊急時や防犯上の対策として持たせている保護者も少なくない。
情報化社会に生きる子どもから自治体や学校が一律に携帯電話を取り上げるだけで、すべてが片付くとは思えない。
福岡県芦屋町と町教委は来年1月、「脱・携帯電話宣言」(仮称)をするという。九州の自治体では初の試みだ。
中島幸男教育長は、本紙に「子どもと保護者に携帯電話を『持たない』『持たせない』と呼び掛ける運動だ」と述べている。一方的に所持を制限するのではなく「子どもにとって本当に必要なものなのかどうか、考えてほしい」と家庭に働きかける取り組みだと理解したい。
教育再生懇の提言も、強調しているのはやはり家庭の重要性だ。真っ先に「子どもに持たせるかどうかは、保護者が携帯電話の利便性や有害性を認識したうえで、子どもの年齢や発達段階に応じて主体的に決める」ことを求めている。
これだけケータイが普及しているのだから、と無自覚に子どもに与えてはいないか。携帯電話に無防備であることの危険性、依存することの弊害を伝えるのは大人の務めだ。同時に、適切な利用法も教えたい。冬休み、親子でじっくり話し合ってみてはどうだろう。
西日本新聞 2008年12月26日
検定審報告書 透明化どころか秘匿強化だ
教科用図書検定調査審議会(検定審)はこの間、何を議論してきたのか。検定手続きの透明化の具体策を打ち出すものと思っていたら、審議中に申請内容などが漏れないよう情報管理を徹底することを報告書に盛り込んだ。透明化どころか秘匿強化だ。
検定審委員の所属部会や文部科学省教科書調査官の意見書、部会の議事概要は公表するというが、いずれも事後だ。部会自体は依然として公開されず、密室審議は変わらない。
これでは、たとえ不適切な判断が下されても、検定の過程でチェックすることができない。高校日本史教科書検定で沖縄戦「集団自決」(強制集団死)の日本軍の強制を削除・修正した時と同様、ろくな議論もなされず、教科書調査官の言いなりに結論を出す恐れがある。
公表された段階で政府に修正を求めたところで、後の祭りだ。文科省が「教科書検定に政治介入は許されない」として突っぱねるのは目に見えている。
教科書調査官の働き掛けで審議会に修正を求める意見を出させておきながら、抗議を受けると、審議会を盾にして修正を拒む―というのが政府のやり口だ。
文科省の立場からすると、検定審は聖域化した方が都合がいい。教科書の内容を自分たちの思い通りに修正できる余地が残るからだ。
このような欺瞞(ぎまん)を許さないためには、教科書調査官の意見書を事前に公表するとともに、部会審議を全面的に公開するしかない。
ところが、検定審は「外部からの圧力がなく静謐(せいひつ)な環境を確保することが重要」という姿勢に終始した。報告書は「教科書検定手続きの透明性の一層の向上」をうたっているものの、教科書会社側に情報管理の徹底を求めるなど、今まで以上に密室性を確保しようとしている。
タイトルと中身がこれほど相反する例も珍しい。事後に公開される議事概要は出席委員、付議事項、決定事項、審議概略にとどまる。公表とは名ばかりだ。部会そのものの全面的な公開を強く望む。
琉球新報 2008年12月26日
「学士力」 卒業認定を厳しくしたい
中央教育審議会が、大学の卒業認定の厳格化などを求める答申を塩谷立文部科学相に提出した。大学教育の質向上は喫緊の課題だ。各大学は答申を厳しく受け止めねばならない。
中教審は学部教育(学士課程)で身につけるべき知識や能力について「学士力」という言葉を使って質の向上を促した。
「うちの学部学科ではこういう能力がつく」という教育方針・目標を各大学が明示し、卒業させる責任を強く求めたものだ。
かつて「学士」といえば高い教養と専門性が尊敬された。学士という言葉自体、死語のようになり、さらに大学全入時代を迎えて学生の質が急速に低下した。
受験勉強で疲れ入学後は勉強しない。授業に出なくても簡単に優やAの成績が取れる。日本の大学にはこんなイメージが根強い。実際、学生の学習時間は授業を含めても1日平均でたった3時間半という調査結果もある。
米国の大学のような厳しい卒業認定は、中教審などで過去にも提言された。文科省は大学設置基準を改正するなどし、講義のやり方など教育方法改善や成績評価基準の明示などを促している。
教育内容の改革に取り組む大学は多い。しかし、成績の悪い学生に厳しく退学勧告するような大学はごく一部だ。
答申では、取得単位の成績の平均が基準に満たないと落第する米国型の「GPA(グレード・ポイント・アベレージ)」の導入など厳しい成績評価方法を例示している。こうした評価法を実際に導入している大学もある。改革を怠れば大学間の差は開くばかりだ。
学力試験なしで入れるような推薦入試などにも見直しを求めている。大学入試は小、中、高校の教育への影響が大きい。大学の教育方針と関連させた入試方法の改善が重要だ。
大学をめぐる環境は厳しさを増している。就職活動は年々早まり、景気悪化のなか、大学の就職課は1年生から学生に発破をかけている状況だ。就職支援も確かに重要だが、企業側は就職活動のテクニックの上手な学生を求めているわけではない。
答申は大学には「目先の学生確保」が優先される傾向があるとクギを刺した。変化する時代には基礎をしっかり持った資質が必須だ。学部教育が本来の役割を果たすよう見直すときである。
産経新聞 2008年12月25日
高校指導要領 現場の裁量どう生かす
文部科学省が2013年度から実施する高校の学習指導要領改定案を公表した。向こう10年間の高校教育の見取り図である。
卒業に必要な単位数は74と据え置いたものの、前回の改定で削られた内容が復活するなど、内容は増える傾向だ。「ゆとり教育」を転換した小中学校新指導要領の延長線上にある。
高校でも義務教育の復習ができるようになり、週の授業時間数も増やせることになった。教える内容を制限する「歯止め規定」はなくなった。現場の裁量が広がったとも言える。
半面、これまで以上に教師の力量が求められる。負担も増すだろう。現場の頑張りに任せるのでなく、それぞれの学校や教師が裁量を発揮できるよう、文科省は環境を整える責務がある。
目を引くのは英語教育である。授業は英語で行うと明記された。高校で学ぶ単語数は1300語から1800語へ4割増しとなった。英会話のコミュニケーション能力を重視する狙いという。
説明まですべて英語で、となれば、面食らう生徒が少なくないだろう。生徒の英語力はさまざまだ。高校間の学力格差もある。生徒が授業についていけなければ、意味がない。
経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)では、日本の高校生の読解力の低下傾向が示されている。国語力に課題があるなかで、一足飛びに英語で授業というのは、無理がある。新指導要領は方向性を示すにとどめて、あとは現場の実情に合わせるべきだ。
11年度から小学5、6年生で英語が必修になる。小学校の英語の授業を中学、高校でどう引き継ぎ、どんな成果を目指すのか。文科省は全体像を示す必要がある。
「数学1(I)」で統計が必修化され、理科で「科学と人間生活」が新設されるなど、理数教育の再編と充実が図られているのも特色だ。この2教科は12年度から前倒しして実施される。
気がかりなのは、PISAなどの国際学力調査で示された学習意欲の低下に対し、説得力ある対応策が見えないことだ。この底上げがなくては、教育内容の充実も“詰め込み”になりかねない。
中学を卒業したほぼ全員が高校へ進む「全入時代」だ。将来の夢や目標と重ね合わせて一人ひとりの学ぶ意欲を高め、魅力ある授業をつくれるか。教師が教材を研究し、研修を受けて自らの質を高めるゆとりが欠かせない。
信濃毎日新聞 2008年12月25日
高校新指導要領 学校や教師の力問われる
文部科学省は高校の学習指導要領改定案を公表した。生徒の多様な学力に応じ、基礎知識の習得と活用力を育てるのが狙いだ。数学・理科は二〇一二年度入学生から、その他の教科は一三年度入学生から実施する。
学力低下が指摘され、授業時間を増やすなど「ゆとり教育」から大きな転換を図った小中学校の新指導要領と比べると変化は小幅だが、生徒の学力底上げに配慮したのが特徴である。
注目は学校の裁量の拡大で、義務教育の内容を復習する授業を可能とすることを明文化している。高校の授業について行けない生徒が増えている現状に配慮したものだ。一部の学校で行われている現状の追認とも言えるが、指導要領に明記することで、学校での取り組みを促進する効果があろう。授業時間数についても現行の週三十時間(一時間は五十分)を維持し、必要があれば増やせるとした。
教科では科目が再編された。数学、国語、外国語(英語)では、これまでの選択必修制をやめ、全員が学ぶ共通必修科目を設け基礎学力を重視した。
学習意欲向上にも力を入れ、数学では身近な事象を数学的に分析する「数学活用」を新設。ゲームやパズル、コンピューターなどを活用して数理的な判断力を養成する。
理科では、「理科課題研究」を新設し、大学や研究機関などと連携し、ロボット工学やナノテクノロジーなど先端科学に触れるとした。「理数離れ」が指摘されるだけに重要だ。
英語では会話や読み書きの力を重視し、「英語での授業が基本とする」と明記された。生徒の英語でのコミュニケーション能力を高めるとしている。学ぶ英単語数も中国や韓国にならい大幅に増やす。
数学、理科の新科目や英語による授業などが狙い通りに実施できるのか、現場からは戸惑う声も上がっている。学校や教員の指導力が問われよう。国は教材研究や教師の研修に力を入れる必要がある。
問題は高校の学習内容が大学入試に左右されている現実だ。二年前に全国の高校で発覚した未履修問題では、学習指導要領で必修とされながら大学受験の科目に選ぶ生徒が少ない世界史の授業を選択科目の日本史などにあてていた。
98%と高い進学率の中で高校は偏差値による格差が広がる。高校教育の問題を学習指導要領改定だけで解決することはできない。大学入試についても広く国民的に論議する必要がある。
山陽新聞 2008年12月25日
高校指導要領案 習得を第一にした議論を
文部科学省が高校の新しい学習指導要領改定案を発表した。
今回示された高校の改定案は来年四月から一年間の周知期間を経て、数学、理科などで一部前倒しされた後、二〇一三年度から本格実施される。
改定案は卒業に必要な単位数を現行の七十四単位以上としたが、国語、数学、英語において共通必修科目が設定された。「詳細な事項は扱わない」といった歯止め規定は外され、週当たりの授業時間数では三十時間という標準時間数を増やせるようにした。
学校裁量に任せる部分は広げながらも、国として最低限のハードルは課した。そんな印象を受ける。全般には指導内容強化の方向だ。
特に英語の強化は顕著だ。高校で習う単語を千三百語から千八百語に増やした。中学校も新学習指導要領で三百語増える。これで中国や韓国と同レベルになるのだという。
しかも、「授業は英語で行うことが基本」と明記した。確かに日本の学校現場での英語教育は文法や訳読に長らく比重が置かれ、会話力の欠如が指摘されてきた。授業自体を会話力を高める場として活用することは必要だ。
実際、学校現場では既にこうした流れにある。文科省も「英語が使える日本人」育成を掲げて、〇三年には「英語教育強化行動計画」を定め、すべての英語教員に五カ年計画で集中的に研修を行ってきた。その中で授業の大半を英語で行うことも求めてきている。
だが、指導要領に盛るとなれば、行動計画通りに英語教育の環境整備が進んできたことが前提とならなければならない。その検証は十分だろうか。
高校には進学校もあれば、中学レベルから始めなくてはならないところもあり、極端な学力格差が存在している。そこに共通必修という一律の枠をはめることがなじむのかどうか。
しかも、大学入試においてはリスニングが導入され始めたとはいえ、なおも読解や英作文が中心だ。文科省の理念は理解できても現実との違いに現場は相変わらず振り回されることとなる。一一年度から小学校高学年で必修となる英語でも依然、指導内容はあいまいなままだ。
部分部分をいじっても、小学校から大学に至る一貫した方針に欠けている。それが日本の英語教育である。子どもの習得を第一に考えた本腰を入れた議論こそが求められる。
高知新聞 2008年12月25日
高校新指導要領 鮮明になった学力重視
事実上の義務教育化が進む中、日本の高校は、多様化と学力底上げという難題への対応を迫られている。10年ぶりとなる高校の学習指導要領改定案は、今年3月の小中学校の改定に続き「脱ゆとり」路線を鮮明にした。
2013年度から全面実施される新指導要領案は、卒業に必要な単位数を現行と同じ74単位にとどめながらも、国語、数学、外国語について従来の選択必修制を改め、共通必修科目を設定した。高卒学力の最低限の質を担保する狙いがある。
義務教育段階の学習が不十分であれば、高校で復習できることを初めて盛り込んだ。授業が分からなければ、不登校や非行にもつながりかねない。学力低下批判を受けてとはいえ、現実に即した試みといえる。ただ教師の力に負うところが大きいだけに、現場の理解が欠かせない。
一流大学を目指す進学校があれば、工業や商業などの専門校、教育困難校もあり、高校間の学力格差は拡大し続けている。現行指導要領はこうした多様化する現状を反映し、弾力化の方向で進められてきた。
だが、今回の改定では、これまで実態に応じて学校と生徒の判断に委ねていた部分に、国レベルで枠をはめようとする姿勢を明らかにした。
例えば、理科や数学では前回削られた内容が復活した。授業には論述や討論など取り入れる必要があり、各教科で「活用の力」を育てるといった教える内容の高度化も求めている。すべてをこなそうとすれば、教師側の苦労は並大抵でなかろう。
標準的単語数を1300語から1800語に増やした英語がその最たる例だ。しかも「授業は英語で行うことが基本」とうたった。戸惑うのは生徒ばかりではなさそうで、受験優先の学校で受け入れられるか危うい。
改定案では、理科や数学にあった難しい内容に踏み込ませないための「歯止め規定」を撤廃した。週の授業時間が標準の30時間を超えても良いことを明記したのと合わせて、学校の裁量を広げたともいえる。
教師の創意と学校側の態勢次第では、高度な学習に踏み込むことができる。多様化の中、意欲ある生徒に合わせて教えるための苦肉の策かもしれないが、偏差値に基づく高校間の格差助長につながる恐れも潜む。
指導要領に細かく書き込み指導を強めても、生徒の習得につながらなければ意味はない。何のために学ぶのかという課題意識をどう耕すかを示せない限り、実効は上がるまい。
南日本新聞 2008年12月25日
学習指導要領 高校全入時代の羅針盤を
文部科学省が22日発表した高校の学習指導要領改定案が、すこぶる不評だ。
ほぼ全入時代を迎え、高校の多様化と学力底上げの両面の対応を迫られているが「新たな道筋を示せていない」のが、その理由だ。
新指導要領は、来春告示予定で、数学や理科は教科書検定を1年前倒しして、2012年度入学生から、そのほかは13年度から実施される予定だ。
改定案の目玉は、週30時間の標準授業時間数に対する学校の裁量権拡大、英語による英語の授業の必修化、義務教育の内容の「復習」授業などとされている。
県内の高校現場では、すでに週30時間を超える授業も実施されている。県立の進学校では、50分間の授業時間を60分に延ばし、コマ数を減らし、内容の充実を図る取り組みも始まっている。
文科省は、消えた「土曜」登校の復活も視野に入れているようだが、「行き過ぎた裁量権の拡大は、学校間格差を拡大する」「過剰な競争をあおるだけ」との現場からの批判がある。
英語教育も外国人教師らが続々と参入し、生きた英語教育が小学校レベルから始まっている。
「英語教師の再教育なしに、突然、英語での授業を義務付けられても現場での対応は困難」というのが現実だ。
生徒のみならず、教師の再教育制度の充実が、新指導要領の実施には不可欠だが、その指針が見当たらない。高校進学率は98%と、ほぼ全入の時代だ。続く大学も有名
大学を除けば全入時代と言われる。
「生徒の学力にばらつきが大きくなっている」と、県内の高校教師らは口をそろえる。全入時代の学力格差の解消など、教育現場が求める時代の羅針盤を指導要領でどう示すか。
高校が義務教育の「補講」に追われ、大学は高校の教育の積み残しの補講に追われる現状がある。
義務教育段階での教育を、いかに充実させるか。その論議なしに、高校教育のビジョンは描けない。
琉球新報 2008年12月25日
高校学習指導要領 現場の混乱が懸念される
文部科学省が、二〇一三年度入学生から適用する高校の学習指導要領改定案を公表した。改定は十年ぶりで、今年三月に告示された小中学校の新指導要領に続き「ゆとり教育」の見直しがそろうことになる。
小中学校の内容を復習する授業を設けて基礎学力が不足する生徒を指導するほか、英語の授業を英語で行ったり、理科と数学ではより高度な内容も教えたりできるようになる。思考力や応用力、発表する力の向上を重視することは理解できる。
ただ、詰め込み教育になれば生徒の学習意欲の向上につながらず、学力の向上も期待できない。授業内容の多くを学校側の裁量に任せており、教師の戸惑いや現場の混乱が懸念される。高校教育の将来像を示すまでに至らなかったのは残念だ。
卒業に必要な七十四単位はそのままにして、週当たりの授業時間を増やせるほか、夏休みや冬休みなどに授業ができることも明記して、学校側に積極的な導入を求めた。
学校間の競争激化や格差が生じることが心配される。そうならないよう、導入までに学校現場の理解と体制づくりが欠かせない。
小中学校の内容を復習する狙いは、授業を進めても理解できない生徒の学習意欲を高めるためだ。学力不足とされる生徒らの底上げには有効だろう。生徒一人一人の学力を把握し、丁寧な指導を求めたい。
特徴的なのは、英語の授業を英語でするという英語教育の強化だ。
現在は国際化がより進み、英語が世界共通語と見なされている。だが、日本では大学まで学んでもなかなか英語が身に付かない。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんも「英語がしゃべれたらと思うことが何度もあった」と述べている。こうしたことから「聞く、読む、話す、書く」という四つの能力を高めることには賛成できる。しかし、英語力を付けるのは簡単ではない。
高校三年間で習う単語数は、千三百から千八百に増加する。中学校も一二年度から増えるため、中高で現在より八百語多い三千語を習う。英語教育に力を入れている中国、韓国と同程度のレベルになるという。
懸念されるのは、英語で授業ができる教師の確保だ。文法や単語も、英語で生徒に理解できるように説明しなければならない。会話力のほかに、専門的な教える技術も求められる。難しい説明は日本語を交えてもよいとするが、英語教師のすべてがこなせるとは限らない。
五年後の導入までには、英語教師の養成と現役教師を再教育するシステムを整えなければならない。
理科と数学では「深入りしない」などの歯止め規定が外され、高度な内容の授業も可能になる。だが、これも教師の裁量に任されている。
地理歴史では、日本史の必修化を見送り世界史の必修を継続した。日本史は大学受験で選択する生徒が多く、〇六年には世界史を日本史などに当てる未履修問題が発覚したが、改定案で改善されたとはいえない。
大学入試改革を抜きにして高校教育の方針は語れない。もっと議論を深める必要がある。
徳島新聞 2009年12月24日
高校学習指導要領改定案 生徒の課題意識呼び覚ませ
一流とされる大学に大量合格する進学校もあれば、中退者に頭を悩ます教育困難校もある。
大きな学力格差構造の中にある日本の高校。その学習内容の枠組みを定める学習指導要領改定案が公表された。
卒業に必要な単位数は現行と同じ74単位のままだが国語、数学、外国語について共通必修科目を設定するなど高校教育の中核部分はしっかりと押さえる方向を打ち出した。
多様化する高校の現実を反映して、弾力化の方向へと進んでいた学習指導要領を、学力の低下批判を受けて共通必修重視に軌道修正した形になった。
■古典がすべて必修に■
「いくら多様化といっても最低限のハードルは必要」というのが文部科学省関係者の弁だ。
国語は、これまで必ずしも履修しなくてもよかった古典がすべて必修になる。
それに加えて、批評や論述、討論などに関する活動も新たに加わっている。
外国語(英語)は現行の6科目を7科目に再編。必修科目を設ける。
指導すべき内容の記述も、これまで内容の取り扱いレベルで規定されていたのが、内容レベルで明確化され、より詳細になった。
例えば、数学Iでは、これまで「二次関数の最大・最小」だけだったのが、「二次関数の値の変化についてグラフを用いて考察したり最大値や最小値を求めたりすること」となった。
実態に応じて学校の判断に委ねていた部分に、国が枠をはめたことになる。
■必修だけはしっかり■
このほか、英語では標準単語数が現在の1300語から、学校週6日制時代レベルの1800語に増える。改定案の内容からは現場には任せておけないという意図が透けて見える。
しかし、指導要領に細かく書き込み、生徒の学習能力に差のある全国の高校を一束にして、指導を強めても全体の学力向上に直結するとは思えない。
文科省もその辺りは承知しているようで「それぞれ自分のレベルにあったところから始めていいが、必修のところはしっかりやってほしい」としている。
しかし、冒頭にも書いたように日本の高校は偏差値によって輪切りにされ、極端な格差構造の中にある。
共通必修を厳格に運用すると、授業について行けず中退者などが増えるかもしれない。
何のために学ぶのか。進学にしろ、就職にしろ高校で学んだことがどう役に立つのか。なぜ必修という枠をはめるのか。
それらのなぜにしっかりと答え、生徒の課題意識を呼び覚ますことが肝心だ。
それが欠落したままでは指導要領をどう書き換えても実効性は上がらないだろう。
宮崎日日新聞 2008年12月24日
卒業認定の厳格化を答申 中教審、学士課程めぐり
大学の学部(学士課程)の教育水準の向上を検討していた中央教育審議会(中教審)は24日の総会で、成績評価や卒業認定について厳格に判断することなどを求めた報告をまとめ、塩谷立文部科学相に答申した。具体的には、学内で統一した評価基準をつくり、学力を的確に把握するよう促している。
「大学全入時代」を迎えた一方、約半数の私大が定員割れし、地方の小規模大学を中心に経営難が深刻化するなど、大学の抱える課題は多い。学生の学力低下も指摘されており、中教審では平成19年3月から議論を進めていた。
答申は、大学を取り巻く環境が急激に変化していることを踏まえ、「質の維持、向上の努力を怠るなら、淘汰(とうた)は避けられない」と厳しく指摘。「入りにくく、出やすい」とされる日本の大学に対し、卒業評価の厳格化を求めた。
その上で、具体策として大学内で学力測定の統一した評価基準を策定、公表することや、客観性のある試験の実施などを挙げている。さらに、学力評価が甘いとされる推薦入試やAO(アドミッション・オフィス)入試にも厳格な学力把握の措置を求めた。
さらに、学生の職業観や勤労観をはぐくむキャリア教育についても、教育課程の中に位置づけることを盛り込んでいる。
これとは別に、大学教育をめぐっては、鈴木恒夫前文科相が9月、教育制度の再構築や質保証の対策など中長期的な大学のあり方について、中教審に諮問している。
産経新聞 2008年12月24日13時33分配信
キャリア教育を諮問、ニート対策に 文科相
ニートやフリーターの問題を受け、塩谷立文部科学相は24日、子供たちに将来の職業観や勤労観を考えさせる「キャリア教育」のあり方を、中央教育審議会(中教審)に諮問した。
非正規雇用の増加など、就業をめぐる社会構造が変化する中、就職して3年以内に離職してしまう若者は、中卒者で約7割、高卒者で約5割、大卒者で約4割にのぼっている。また、フリーターの若者は180万人を超え、ニートも60万人を上回っており、不安定な就業形態や勤労離れが社会問題化している。
中教審では今後、高校や大学での職業体験やインターンシップなど、社会人へのスムーズな移行に向けた対策のほか、多様化する生徒のニーズに応じた職業教育のあり方などを、小、中学生から高校生、大学生まで幅広く検討する見込み。
産経新聞 2008年12月24日13時33分配信
大学卒業を厳しく=学部教育で答申−中教審
中央教育審議会は24日の総会で、大学の学部教育で卒業を厳格化することなどを求めた答申を決定した。高等専門学校の教育充実策をまとめた答申も決定。一方、文部科学省は高校段階から大学にかけてのキャリア教育、職業教育のあり方を検討するよう中教審に諮問した。
学部教育についての答申は、大学に期待する取り組みとして▽具体的な学位授与方針の表明▽学力不振が続けば退学を勧告する米国方式の評価基準「GPA」などの導入−などを列挙。
時事通信 2008年12月24日12時34分配信
高校の新指導要領案 受験偏重教育を打破できるか
文部科学省が、2013年度の新入生から適用する高校の新学習指導要領案を公表した。小中学校の学習指導要領改定で打ち出した「脱ゆとり」を踏襲し、英語の単語数を増やしたほか、教員が英語で指導するように定めたことなどが主なポイントだ。
高校の学習指導要領の全面改定は10年ぶりのことで、意見募集を経て来年3月までに告示される。
豊かな人間性や社会性、自ら考える力をはぐくむのが高校教育の基本といえる。国際社会に生きる日本人として最低限必要な基本的知識を身に付けた人間を育成しなければならないが、現在の受験偏重の授業の中で偏った知識しか持たない生徒ばかりが育っているといった指摘も多々ある。
学習指導要領改定の眼目は受験偏重の高校教育をいかに修正していくかだと思うが、文科省が公表した新学習指導要領案を見ると、過熱する受験競争を改善するため高校教育と大学受験体制を根本的に改革しようという熱意が感じられないというのが、正直な感想である。
新指導要領案では卒業に必要な単位数は現行と同じ74単位以上で、標準の週30コマ(全日制)を超えて授業を行えることを明記した。
指導内容を広げる半面、義務教育の学習内容を定着させる学習機会を設けることを促進する方策として義務教育段階の反復学習を認め、各学校の実情に応じたカリキュラムを組めるように工夫もしている。
英語ではこれまで単語数の削減が続いたが、普通科の一般的な履修パターンでは現行の1300語から500増の1800語に拡大した。中高を合わせると800増の3千語となり、英語教育に力を入れる韓国や中国並みとなる。
また学校教育が実践的な英語力に結び付いていない現状を打破するため、授業を英語で行うことを明記した。日本人の英語力を高めるため、既に多くの小学校が会話に重点を置いた英語の授業を始めており、文科省の狙いも分かるが、すべての高校が英語で授業できるかには疑問も残る。
英語教師がみんな英語が話せるかという問題もあるし、生徒の学習能力によっては実践が難しい学校もあるだろう。英会話能力を高めるには、教材面での見直しなども必要だろう。
一方、小中学校と同じく「伝統と文化の尊重」「我が国と郷土を愛すること」をうたった改正教育基本法を反映し、必修の世界史で日本の扱いを拡大するなど伝統重視の姿勢を打ち出したが、日本史を必修にすべきという一部の声に配慮したためだろう。
小中同様、高校も学力アップを目指して「脱ゆとり」を志向することになるが、大事なのは生徒の学習意欲をいかに高めるかで、高校教育をゆがめる受験偏重教育の打破が急務と考える。
陸奥新報 2008年12月23日
高校新指導要領 これでは現場が混乱する
高校生が何を学ぶかの基本となる「学習指導要領」の改定案が公表された。学校現場の自主性を尊重し、裁量の範囲を拡大したのが特徴だという。
文部科学省が示した新指導要領案は(1)学力不足の生徒に対しては義務教育を復習する授業を設けてもいい(2)週三十時間の標準時間数を超えることも可能−などと、うたった。
高校教育の実態を追認した内容といっていい。裏を返せば、何を目指した改定なのかが分かりにくいということでもある。指針としては物足りない。
小中学校の授業が分からなかった生徒は、高校では「客さま」になりがちだ。その観点からすれば、復習を採り入れるのは自然な流れだろう。
大学が分数の割り算や小数点の計算を教える時代である。遅きに失したとの見方もできよう。
一方で、改定案では国語や数学などに共通必修科目をおいて高校卒業にふさわしい学力獲得を要請している。
英語の授業は原則として英語で行うともいう。授業時間も学校の裁量で増やせることとした。
復習が必要な生徒が、より高度な学習についていけるか。学ぶ意欲をどう引き出すか。英語で授業できる教師は確保できるのか。教育委員会や学校は新たな難題を抱え込むことになる。
一部の高校が中学校化し、進学校との格差がますます拡大、固定化する懸念もある。義務教育と高校、大学とを包摂した学力底上げ策が必要だ。
小中学校の「ゆとり教育見直し」と今回の改定案の関連についても、もっと明快に説明すべきである。
普通校、専門高校、単位制高校など、高校の教育課程は多様化する一方だ。各学校の目指すところもさまざまである。単に指導要領を示すだけでなく、高校の実態に即した丁寧なガイドが不可欠だろう。
「国や郷土を愛する心」などを強調した改正教育基本法の理念に基づいて道徳教育の重視を求めたのも特徴だ。保健体育や音楽などの教科でも伝統や文化について学ぶことになる。
道徳教育にどう取り組むか。これも各学校に委ねられた格好だ。教育全体の中に道徳を位置付けて、独自の計画を策定するのだという。
学校現場の裁量を拡大するという方向性は間違ってはいない。だが、どこをどのように任せるかについては、もっと論議があってしかるべきだ。教科以外にも生活指導や部活動に追われている教師が、今の体制のままで新たな課題に取り組めるとは思えない。
新指導要領が実施されるのは早くて二〇一二年の入学生からだ。現場や国民の意見を採り入れ、実効性のあるものにまとめ上げてほしい。
新潟日報 2008年12月23日
高校新指導要領 教師の力量が問われる
高校の新しい学習指導要領案では、卒業単位数は変わらないが、言語活動や理数、文化などの広範囲で改善が行われた。増強した感がある。重要なのは授業の質であり、教師の力量が問われる。
学習指導要領は約十年ごとに改定されている。今回は二〇〇四年度に作業がスタートし、高校の新しい指導要領は来年四月から一年間の周知期間を経て、一〇年度から一部が先行実施される。
改定案での卒業単位数は「七十四以上」で現行と変わらない。
だが、内容は増強傾向がうかがえる。「細かな事象や高度な事柄には深入りしない」という「歯止め規定」が削除され、全日制の週当たり授業時数は三十単位時間が標準としながら「必要な場合は増加できる」と明文化された。
教科別でみると、英語の強化が顕著だ。高校で習う標準的な単語数は千三百語が千八百語に増える。すでに改定が告示された中学校では三百語増えるから、中高で計三千語学ぶことになる。これで韓国や中国並みになるという。
さらに「授業は英語で行うことが基本」という規定が新設された。いまの高校英語は文法や訳読に偏っているため、コミュニケーション能力を高める狙いという。
外国語学習だから当然と言えばそれまでだが、要領に明記すると現場は戸惑わないか。教師の研修を増やすなどの対策がほしい。
英語の授業内容が偏る原因は大学入試にもある。入試問題が「読み・書き」中心である限り、学ぶ側の姿勢は変わらないだろう。
数学では統計に関する内容が必修化され、公民では宗教や文化に関する学習の充実が図られる。
一方で、学習の遅れがちな生徒には義務教育段階の内容をあらためて指導するよう求めている。
教えることが増えれば教師の負担も大きくなる。文部科学省は指導要領充実で学力を向上させたいのだろうが、それには教員を増やし、質を高めることも必要だ。
ところが、人員増はハードルが高い。生徒数は一九八九年をピークに減っており、国、自治体とも財政的な問題もある。
改定案を現状で実現していくには、教師が自ら研さんを積み、授業の中身を改良するしかない。力量が問われることになる。
「歯止め」削除は現場の裁量が広がったと受け止めることもできる。それは知的好奇心を高める機会にもなる。生徒が引き込まれるような授業をつくってほしい。
中日新聞・東京新聞 2008年12月23日
高校指導要領案 理念よりも現状追認
文部科学省が高校の新しい学習指導要領案を発表した。
「生きる力」を掲げながら、基礎知識の定着と、活用する力の育成を目指す。「ゆとり教育」からの転換を図った小中学校の新要領に比べれば、振り子を少し元に戻したという印象だ。
授業時間数は現行の週三十時間を維持しながら、学校の工夫でそれ以上の授業が可能だと明記した。特徴は学校の裁量を拡大し、中学校の内容を復習する授業を可能にしたことだ。
進学率が100%に迫る中で、高校の生徒層は多様化している。中学レベルの内容から始めなければ授業を進められない学校も少なくない。
この現状を、改定は追認したといえる。目の前の生徒に合わせ、科目をどう工夫し、授業を組み立てられるか。学校と教員の腕の見せどころだ。
学力差が拡大している背景に、学習意欲の二極化がある。文部科学省が二〇〇五年に実施した調査で、家庭での学習時間が二時間を超す生徒が35%いる半面、「全く」「ほとんど」しない生徒が40%近くもいた。「学びからの逃避」は看過できない。
改定案に盛り込まれた理科や英語などの科目再編は、そんな生徒も意識してのことだろう。
理科では物理、化学、生物、地学の四領域を含む科目として「科学と人間生活」を新たに設け、観察や実験を中心にした授業を行う。
英語の改定では「授業は英語で行うことが基本」と明記。文法に偏らず、”英語漬け“の授業で、生徒のコミュニケーション能力アップを目指す。
教科書中心に知識を詰め込むのでなく、日常生活と関連させて「生きた」知識を身につけさせる狙いがありそうだ。教員の熱意と力量が問われよう。
「大学全入時代」を目前に、受験競争の激しさが緩和されたことも、「生徒のモチベーション維持が難しくなった一因」(高校教員)とされる。
受験科目でないならなおさらだ。
〇六年に発覚した世界史などの未履修は、受験とは無関係の教科が軽視されている実態を浮き彫りにした。
学力の高い生徒を獲得しようと、高校が大学進学実績を看板に掲げる傾向が強まっていることが背景にある。
一方、大学側が学力以外の秀でた面を評価する制度として始めた、書類や面接によるアドミッション・オフィス(AO)入試や推薦入試が、安易な学生獲得の手段となっていることも問題だろう。これが、新入生の学力低下を招き、多くの大学で高校の内容を学ぶ「補習」が常態化している。
現実を見れば、指導要領の理念よりも大学入試によって、高校を含めた学校教育は左右されてきた。なぜ学ぶのか、どんな人間を育てるのか−。小学校から大学までを貫く議論が要る。
京都新聞 2008年12月23日
高校指導要領―英語で授業…really?
高校の英語の先生たちの中には、頭を抱える人も少なくないだろう。
「英語の授業は英語で指導することを基本とする」
13年度から全面的に実施される高校の学習指導要領案が公表され、初めてそんな一節が入ったのだ。
指導要領は、文部科学省が小学校から高校までの学年ごとに教える内容や時間数を定めたものだ。ほぼ10年ごとに改訂されている。
それにしてもreally(本当)?と、いいたくなるお達しである。
たしかに日本人の英語下手はよく知られるところだ。ノーベル賞を受賞した益川敏英さんのスピーチは、その象徴といえるかもしれない。中学、高校と6年間学んでも、読み書きはともかく、とんと話せるようにならない。
ますます国境の垣根が低くなる世界で、英語は必須の伝達手段になってきた。だから英語教育を変え、会話力を育てたい。それはその通りだ。そのために授業自体を英語での意思疎通の場と位置づける。その発想もいい。
ただ現実の授業を想像してみよう。
あいさつや簡単な呼びかけを英語でするだけなら、これまでと大差はない。しかし、文法を英語でわかりやすく説明したり、生徒の質問に英語で答えたりすることは簡単ではないだろう。できたとしても、どれほどの生徒が理解できるだろう。
すでに英語での授業を実施している学校もある。だが、実際は現場の教師や生徒の能力に左右されるところが大きい。無理やり形だけ整えても、効果は乏しいだろう。
もう一つの懸念は、大学入試を意識する進学校などにとっては、利点がそれほど大きくないということだ。大学入試センター試験などでリスニングが導入されているとはいえ、相変わらず読解問題や英作文などが主流では、おいそれと余分な負担を引き受けるわけにもいかないだろう。
いきなり英語で授業、と言われても現場は混乱するばかりだ。使える英語を身につけるためには、どうすればいいのか。そのために英語教育をどう変えるべきなのか。その道筋と環境作りを大枠で整えることが先決であり、文科省の仕事ではないか。
教師の育成やカリキュラムの検討はもちろん、入試問題の改革も視野に入れなければならない。11年度から全面実施される小学校高学年での英語活動も含めて、総合的な検討が必要だ。
ただ文科省が指導方法まで一律に決めても、右から左にできるものではない。実のあるものになるかどうかは、各学校の生徒と教師のレベル、学習環境などによって大きく左右される。
指導要領は大枠にとどめて、実際の運用は学校に任せる。それが現場の力を引き出すことにつながる。
朝日新聞 2008年12月23日
高校新指導要領 「脱ゆとり教育」をどう生かす
学習内容を「ゆとり教育」前の水準に近づけ、中学校までに習った内容の定着も図る。文部科学省が公表した高校の新学習指導要領案を、端的に言えばこうなろう。
2013年度から実施の予定だ。高校生の能力を伸ばせるかどうか、学校現場の努力と工夫が問われることになる。
ゆとり教育が打ち出された現在の指導要領では、学習内容がそれ以前に比べて3割削減された。
今回の改定案は、学力低下が指摘される理数では、前々回の1989年改定時の水準に戻した。覚える英単語数も、中学校と合わせて800語増の3000語とし、70年代後半並みにした。
教える内容を抑制する“歯止め規定”もなくした。今年3月に出された小中学校指導要領の「脱ゆとり」路線の延長といえよう。
国際学力調査などで、身につけた知識を使って問題を解決していく力に課題がみられたため、各教科・科目でこうした力の育成を重視したのも特徴だ。
文科省の調査によると、2006年度の場合、3割の国公私立大学が基礎学力の足りない学生などに対し、高校の学習内容について補習を実施している。
知識を活用していく力をつけるには、第一に基礎知識をしっかり習得させねばならない。
改定案で疑問なのは英語だ。
「聞く、話す、読む、書く」という四つの能力を総合的に身につけられるよう再編成し、中学校レベルの基礎的な授業も行えるようにしたのは、まず妥当だろう。
しかし、「授業は英語で行うことを基本」としたのは、無理がないか。会話をはじめ、実社会で使える英語力の育成が狙いのようだが、性急な改革は消化不良を起こす恐れがある。
どういう授業を目指すのか。文科省は、説明会や今後出す解説書で狙いを明確にすべきだ。
一方、必修科目について議論のあった地理歴史では、従来通り、世界史を必修、もう1科目を日本史、地理から選ぶこととした。
神奈川県教委は「国際社会で生きていく基盤として重要」と判断し、新指導要領実施と合わせて「郷土史」などを新設した上で日本史を必修化する方針だ。
改正教育基本法では、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」ことが盛り込まれた。自国の歴史をどう教えていくのか。文科省は教委の動きを静観するだけでなく、改めて検討する必要があろう。
讀賣新聞 2008年12月23日
高校学習指導要領 その先の改革がなければ
高校の学習指導要領改定案が示された。「ゆとり」の現行指導要領案が公表された99年3月、私たちは小中学校の改定と併せ<これで21世紀初頭の日本の学校教育の基本指針が出そろったことになる>と評したが、約10年で今度は一転その見直しが出そろった。
この揺り戻すような転換は「ゆとり教育が学力低下を招いた」という批判を契機にしている。だが、減ったものを慌ただしく復活させるだけが改善ではない。真に「基本指針」とするには、中学、大学教育と有機的に連結させる工夫が欠かせない。
改定案は小中学校と同様に授業内容を一部復活・拡充する。例えば英語は単語を500増やして授業は原則英語で行うなど、知識の「量」とともに言語能力の育成をうたう。
また、必要に応じ義務教育段階の復習を授業に組み込み、低学力層の引き上げを図るという。これも今回の大きな特徴だ。義務教育修了者にさらに高等普通教育や専門教育をする、という旧来の高校の「建前」からいえば、現実を直視する姿勢ともいえよう。
だが、高校の教育課程を考える時、大学入試の現状を看過できない。入試改革とセットでなければ、高校教育の状況を大きく改善するのは難しい。
大学・短大への進学率はとうに5割を超え、その内実はひとまずおいても、多くの高校生は進学してさらに高等教育機関で勉強を続けることになる。その入り口で、適性、能力、意欲を見るシステム(入学者選抜)が今十分に機能しているか。悲観的な声が多い。
ペーパーテストに頼らず、大学の理念に照らして多面的に志望者の適性を見るAO(アドミッション・オフィス)入試や推薦入試を多くの大学が採用している。しかし、少子化時代を背景に、形ばかりで受験生確保の方便に変じている例が少なくないとされる。手間を省けば当然の結果で、適性も基本学力も欠く入学者を生むことになる。
一般入試で受験生集めのために科目を軽減し、簡略化したりすることも同様だ。このままでは専門課程に耐えられないと、多くの大学で高校レベルの補習をしている。こうした状況を改めなければ、高校段階での改革や工夫も空回りしかねない。
今回の改定で、全教科で言語能力を高めるというのであれば、大学の入学者選抜でもその力がどうついているか見極める工夫と手間が必要だ。
また当然ながら、学校も学習指導要領も万能ではない。高校の場合、生徒指導が難しいとされる学校の課題は「復習」を要するような学力差問題だけではなく、しばしば不況などを背景にした社会の格差状況を映している。学校に押し付けるのではなく、地域社会を含めた多角的な取り組みを怠ってはならない。
毎日新聞 2008年12月23日
新指導要領 公立高復権へ魅力を競え
文部科学省が高校の新しい学習指導要領案を公表した。
小中学校に続いてゆとり教育の見直しが図られ、理数教科はじめ各教科で学力充実の工夫がみられる。実際の授業に生かさねばならない。
約10年前の前回改定で、小中学校では学習量が3割削減された。高校にはそれまで中学で学んでいた内容も持ち上がり、学習内容が質量ともに減った。
ゆとり教育のしわ寄せは大学教育にも及んだ。本来、高校で学ぶべき内容について補習講義を行う大学が少なくない。学力低下の批判を受け、高校も学力向上に取り組み始めている。
しかし、文科省が昨年発表した高校3年生対象の抽出学力調査では、数学や国語の古典などで苦手分野が目立ち、「この程度はできるはず」という予想正答率を大幅に下回った。
各種のアンケートで生徒の勉強への意欲が薄いという深刻な結果もある。受験勉強以外にいかにしてやる気を引き出すか、小中学校以上に高校は課題が多い。
新指導要領案では数学や理科で前回改定で消えた内容を復活したほか、数学で統計に関する内容を必修化するなど生活に生かせる内容を充実した。理科離れに対応し、最新の科学の魅力に触れる機会も増やそうとしている。
また英語教育の見直しも新指導要領の特徴だ。単語数を中国、韓国の英語教育並みに増やし、授業を英語で行うという。
いくら勉強しても、しゃべれない日本の英語教育がどこまで変わるか、なによりも教師の指導力が問われる。
高校は選択科目が多く、生徒の進路や学校の特色に合った時間割をつくる自由度が高い。一方で受験に関係ない必修科目を履修していなかった未履修が発覚する問題も起きた。
公教育に期待されているのは受験技術ではない。新指導要領案では公共の精神や自他の生命を尊重する精神など道徳教育充実も明確にされた。高校時代は知徳体を徹底して鍛える貴重な時期だ。
日本史の必修化は見送られたが、学校独自の科目を設定でき、神奈川県では県立高校で郷土史を含めた「日本史」の新科目をつくり必修にする。魅力ある授業づくりを競ってほしい。公立高の活躍は地域活性化にもつながる。
公立復権への期待は高い。
産経新聞 2008年12月23日
教育再生懇 学力低下の根本を論議せよ
政府の教育再生懇談会が、小中学校と高校で使う教科書のページ倍増など教科書の充実を求める第二次報告を麻生太郎首相に提出した。
報告は「ゆとり教育」路線から転換した新学習指導要領を踏まえたものだ。教科書の練習問題や文章量を拡充し、「自学自習」の促進を図るのが目的。特に国語、理科、数学ではページ数倍増を求めるなど、質と量の両面での改善を求めている。
背景には、いわゆる「学力低下」問題がある。学校での授業時間数増と家庭学習との両輪で学力向上につなげていこうというのだろう。
教科書は学習に取り組む動機付けとして大切だ。内容の充実に異論はない。しかし、授業時間同様に単に量を増やせば解決できる問題ではない。さまざま角度から慎重に議論してもらいたい。
たとえば、ページ数の増加は教員の負担増にもつながる。教員は現状でも多忙といわれる。さらに負担を強いることにならないか。少人数学級の実現や教員増を合わせて考える必要がある。
報告は、「教科書は書かれていることの全部を教えるものではないという考え方が常識になるよう」保護者と教員に意識改革を促す。しかし、現実的には入学試験があり、そう簡単な話ではない。
公教育をめぐってはさまざまな課題がある。その一つが家庭の所得による教育格差の問題だろう。
今年の全国学力テストで、就学援助を受ける子どもが多い学校ほど正答率が低くなる傾向があることが分かった。
文部科学省が就学援助率がゼロから五割以上までの割合ごとに七グループに分け、各グループの中間層の正答率の中央値を比較した。
小学六年の国語Aではゼロの学校の正答率は67%だが、五割以上の学校では57%だった。しかも差は昨年の6ポイントから広がった。他の科目でも同様の傾向だ。中学になれば双方の差はさらに広がる。
所得と学力の関係について、昨年は「相関関係があるとは一概に言えない」と慎重だった文科省も、「ゆるやかな傾向がある」と認めざるを得なくなった。
経済協力開発機構(OECD)などの統計によれば、日本の子どもの七人に一人は貧困(世帯所得が中央値の半分以下)である。特にひとり親世帯の貧困率が高い。
文科省の調査からみても貧困解消は学力を底上げさせる。公教育全体の質を高めるためにも貧困世帯への行政の支援は必要なのだ。
貧困の責任は子どもにはない。所得による格差は教育の機会均等の観点からも見逃せない。教育再生懇談会はこういった問題にこそ積極的に取り組むべきである。
愛媛新聞 2008年12月22日
テスト結果公表 学力向上に正面から取り組め
全国学力テストの結果公表については、来年以降も過去2年間と同じ方針で臨むべきだ――。そう結論づけた文部科学省の専門家会議の見解には疑問をぬぐえない。
大阪府と秋田県は今年、情報公開請求に市町村別の結果を部分公開し、鳥取県南部町は学校別の結果を開示した。こうした事態を受け、文科省が専門家会議に公表方法の再検討を求めていた。
この結論に沿う形で、文科省は近く実施要領をまとめる。
テストは昨年、43年ぶりに復活し、全国の小学6年生と中学3年生を対象に、算数・数学と国語で実施されている。
これまでの実施要領では、結果については、市町村教育委員会は自らの市町村分を、学校は自校分を公表できるが、都道府県教委は市町村・学校別を、市町村教委は学校別を公表できない。
過度の競争や市町村・学校の序列化を防ぐため、という。
これに対し、独自公表が相次ぐ背景には教育現場に競争意識と緊張感を持たせ、学力向上に取り組ませようとする狙いがある。
それだけ教育の現状に危機感があるのだろう。指導力不足の教員などに対する不信感もあろう。教育現場と家庭、地域が信頼関係を築く必要がある。それには、テスト結果の共有が不可欠だ。
ところが、専門家会議は、都道府県教委が情報公開請求を受けても開示せずに済むよう、文科省から市町村・学校別結果を受け取らないこともできることとした。知事部局などに情報を提供する場合も、実施要領の徹底を求めた。
児童生徒数の少ない小規模校や市町村内に小中学校が1、2校しかない市町村には、配慮が必要だろう。だが、近隣市町村とも比較できなくては、全国テストの意義が薄れる。児童生徒の向上心も生まれにくいのではないか。
鳥取県は、小規模校を除き、過度の競争などに配慮する義務を課した上で学校別結果も開示できるよう情報公開条例を改正した。
だが、情報公開請求と学力テストは本来、なじまない問題だ。
平均正答率などは学力の現状を映し出す貴重なデータだ。都道府県教委が責任を持って対策とともに公表してこそ、意味を持つ。
結果の芳しくない市町村や学校の原因を分析し、保護者や地域住民に理解と協力を求める。同時に、予算や教員の手当てなど教育施策の改善につなげていく。
そうした学力向上に正面から取り組む姿勢が欠かせまい。
讀賣新聞 2008年12月22日
子どもとケータイ 家庭での議論深めたい
便利な携帯電話には落とし穴もある。インターネットを通じ、いじめや犯罪の温床となる学校裏サイトや出会い系サイトなどにもつながる。未成熟な子どもがのめり込まないよう、使用制限に乗り出す行政の動きが相次いでいる。
兵庫県は今月中旬、十八歳未満が使う携帯電話にフィルタリング(閲覧制限)機能を義務付け、有害サイトを見られなくする条例改正案をまとめた。大阪府の橋下徹知事は今月初め、府内の小中学生に学校への携帯持ち込みを禁じる宣言をした。
児童生徒の「ネットいじめ」は二〇〇七年度、約五千九百件と前年度より約一千件増えた。出会い系サイトで性犯罪などに遭う事件も後を絶たず、被害者の大半は十八歳未満で携帯からのアクセスという警察庁の統計もある。放ってはおけない。
問題は、見せない、持たせない―という制限だけで片付かないことだ。子ども自身の力を高める努力が欠かせない。情報が有益か、危険でないかと見分ける判断力。子どもの心情にも気を配る必要があろう。携帯依存の裏には、人寂しさや自制心の弱さがあるといわれる。
そのためには、子育ての視点が大切だろう。ところが日本PTA全国協議会の調査によると、ルールを決めて携帯を使わせている家庭はまだ少数派にすぎない。
おまけに、利用時間や内容を制限する家庭内ルールが「ある」と答えたのは、中学生の保護者の四―六割に対し、生徒の方は一―三割にとどまっている。保護者と子どもとの意識のずれは無視できない。
携帯は、ネットに接続できる情報端末「ケータイ」としての機能を備えている。その先には、家出、自殺サイトもあれば、オークション詐欺などに巻き込まれかねない面もある。子どもには電話とメールの機能に絞って手渡すのも一つの考え方だろう。
冬休みに「ノー・ケータイ」デーを試みてはどうだろう。せめて一日、携帯なしで過ごしてみる。ありがたみも、ないと不安になる依存度もチェックできる。「意外に何ともない」と気付くかもしれない。
政府の教育再生懇談会は、学校への持ち込みを原則禁止する素案をまとめ、法整備も視野に入れている。規制より先にまずは家庭内で考え、学校との間でもルールを決める。当たり前のことから始めたい。
中国新聞 2008年12月21日
携帯電話 持つことの是非を親子で
小中学生に携帯電話の利用を制限する動きが強まっている。
政府の教育再生懇談会は、子どもが携帯を利用することについて、小中学生には原則不要との考え方に立った素案をまとめた。
学校への持ち込みを原則禁止し、やむを得ず持たせる場合は通話機能だけの機種に限定するよう促している。
小中学校への持ち込みについては、大阪や埼玉、香川の教育委員会などが独自に禁止方針を打ち出している。
携帯電話を過度に使用したり、インターネット機能を利用していじめや犯罪に巻き込まれるケースが社会問題化していることが背景にある。
一方で、緊急時の連絡や、衛星利用測位システム(GPS)による居場所の特定など、防犯対策として持たせている保護者は少なくない。
素案は子どもに持たせるかの判断について、「携帯電話の利便性や有害性を認識した上で、年齢や発達段階に応じて主体的に決める」よう保護者に求めている。
携帯電話の利用は低年齢層まで広がっているものの、望ましい利用方法は確立されていない。親子、学校と家庭が、小中学生段階で持つことの必要性について議論を深める機会としたい。
内閣府の調査では、携帯電話は小学生のほぼ三人に一人、中学生は約六割が使用している。
学校内では家庭への連絡手段として公衆電話もある。学習の場である校内で、携帯電話を持ち込む必要性がないのは明白だ。
保護者が最も懸念するのは、登下校や塾の帰りなどの安全対策だ。これは地域の課題でもある。子どもたちに危険が及んだ時、すぐに駆け込める場所やケアできる大人を地域に増やしていく必要がある。
携帯電話が子どもに身近な存在となっている以上、適切な利用法を教えるべきだとする現実的な考え方もある。教育委員会や学校が一律に携帯電話を排除することには反発も予想される。
携帯電話のインターネット機能には、見知らぬ相手とつながったり、個人情報が流出するなど「落とし穴」もある。
情報社会を生きていく子どもたちにこうした現実を教え、予防教育を施すことは、大人の責任である。子どもに携帯電話を持たせることの是非は、広い視点に立って考えたい。
高知新聞 2008年12月20日
大学の資産運用 失敗して困るのは学生だ
駒沢大学(東京都世田谷区)が資産運用のデリバティブ(金融派生商品)取引で約154億円もの損失を出し、理事長が解任された。
金融危機の中、資産運用で損失や含み損を出しているのは駒沢大だけではない。大学経営は冬の時代を迎えているが、教育機関としての重い責任を自覚すべきだ。
低金利が続き、リスクの高い金融商品で資産運用を行う大学が増えている。日本私立学校振興・共済事業団の平成17年度末の調査ではデリバティブ取引を行っていた大学・短大は75校あった。
国立大の資産運用は、法律で元本が保証されたものに限られている。これに対し、私立大の資産運用は原則自由になっている。
駒沢大は昨年度から外資系金融機関と契約してデリバティブ取引を始めた。ところが金融危機で含み損が膨らみ、今年10月にあわてて解約したものの巨額の損失だけが残ったという。
大学側は、教育研究には影響がないとしている。だが損失を埋めるため、銀行から約110億円の融資を受ける際にはキャンパスの土地建物やグラウンドを担保にせざるをえなかった。
入試時期を控え、総長、学長らは留任した。大学経営の根幹にかかわる問題であり、学生らの動揺は小さくない。問題があれば隠すことなく、経営内容の透明性を高めることが重要だ。
文部科学省は「私立大の資産運用は自己責任で」との立場だが、問題が明らかになった先月、事態を重視して報告を求めている。
南山大を運営する南山学園(名古屋市)をはじめ、その後も金融取引で損失を出した大学が次々と明らかになっている。この事態は深刻に受け止めねばならない。
少子化で受験生が減る中、大学は学費や受験料以外の収入源を求める傾向を強めている。金融機関から勧められるまま、十分なリスク認識もなく安易な資産運用に手を出すケースも多いようだ。教育機関がマネーゲームに巻き込まれるようであってはならない。
税制の優遇や私学助成などがある私立大などは、一般企業に比べ経営が甘くなりがちだ。今回の失敗を猛省し、大学経営の根本を見つめ直す必要があろう。
大学をめぐる環境は今後さらに厳しさを増す。高い経営判断と真に教育研究の質を高める地道な努力が一層求められる。
産経新聞 2008年12月22日
役割が見えない教育再生懇
政府の教育再生懇談会が教科書を質、量ともに格段に充実すべきだとする第2次報告を公表した。懇談会は今後も教育委員会改革や公立校の学力底上げ策などを議論し、新たな提言をまとめるという。
しかし教育再生懇と聞いても、ピンとくる人は少ないだろう。麻生太郎首相に2次報告を提出した18日の全体会議は現政権になってから初めての開催だった。その存在感は薄く、文部科学省などと一線を画した活動が可能かどうか心もとない。
この機関は、かつての教育再生会議を改組して福田康夫政権下で今年2月に発足した。5月には1次報告を出したものの「子どもに携帯電話を極力持たせない」といった小粒な提言が目立っている。その後は麻生政権下で方向性が定まらず、開店休業状態が続いてきたのが実情だ。
そうしたなかでの2次報告も十分な検討を経た内容とは言い難い。
「国語、理科、英語の教科書のページ数は2倍増を」などと一見刺激的ではあるが、教科書の問題は教育内容や指導方法、学力のあり方などと不可分だ。首相直属の懇談会である以上、そんな本質的な課題にまで踏み込むべきではないだろうか。
こと教科書に限っても、最大のテーマである教科書検定制度についてはあまり言及していない。そもそも検定はどこまで必要なのかといった根幹部分には触れずじまいである。報告は記述分量の制限撤廃などをうたうが、この程度の方針は文科省の審議会もすでに打ち出している。
学校現場を活性化するためには、学習指導要領や教員養成システムなど文科省の画一的な統制を緩め、地方分権を進める必要もある。再生懇には国の文教行政の枠を超えてそうした問題意識を持ってもらいたいが、実際には文科省の影響力をはねつけるほどの力はないようだ。
再生懇は麻生政権発足後、一時は存続が危ぶまれた。しかし同省や文教族議員の意向もあって再始動する運びになったという。
本来なら官僚と対立してもおかしくない首相官邸の機関が、文科省の別動隊と化しているとすれば大いに問題だ。懇談会の役割が文教行政の後追いや補強、権威付けというのでは存在意義が問われよう。
日本経済新聞 2008年12月20日
国際学力調査の結果 教育の「育」に課題あり
中国人初の芥川賞作家となった楊逸さんによると、日本語の「教わる」に対応する中国語は見当たらないという。日本の教育について、日本は「教」だけで「育」の部分がないと指摘している。
例えば中国の日系企業で、日本人の管理職は中国人従業員を「教育」するにも大半が通訳頼み。「『教』はあっても『育』はない」と楊さん。日本語を覚えたのも「育」、つまり通っていた日本語学校ではなく、アルバイト先など外での経験だったという。
国際教育到達度評価学会が公表した2007年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)で、日本は対象となった小学4年と中学2年でともに上位を維持した。文科省は「学力低下に歯止めがかかった」と評価している。
TIMSSの目的は、学校の授業内容の習得度を測ることにある。楊さん流に言えば教育の「教」の部分だ。
半面、身につけた知識や技能の活用力に主眼を置く経済協力開発機構の06年学習到達度調査(PISA)では、日本の高校1年は読解力、数学的応用力、科学的応用力とも後退。こちらは「育」の部分に相当するだろう。
04年末、2つの国際学力調査で日本の子どもの順位の低下が示されて以後、学力重視へかじ取りは急。「ゆとり教育」を見直し、授業時間を増やす新学習指導要領について、文科省は本格移行を前に来春から、理数教育を中心に一部を先行実施させる方針だ。
「ゆとり教育」は、当初から授業時間の大幅削減による学力低下批判を引きずってきた。文科省は現行指導要領スタートの翌03年、内容を一部改定。指導要領を「最低基準」と位置付け、教科書に「発展的内容」の記述を容認するなど、「ゆとり」から「学力」への流れは既に始まっている。今回の結果は、その成果とは言えるだろう。
一方で「勉強が楽しい」割合は小4で算数、理科とも前回を上回ったものの、中2になると数学40%、理科59%と前回並み。しかも国際平均を19―27ポイント下回っている。
算数・数学の授業で「公式や解き方を覚える」指導の割合は小4、中2とも国際平均より高く、「学んだことを日常生活に結び付ける」指導は大幅に下回る。
特に中2は20%と、48の国・地域の中で最低。理科も同様、教師から一方的に説明を聞く講義式が中2で47%と国際平均の2倍に上る。
新学習指導要領では、授業時間を増やすとともに「知識を活用し課題を解決する力」の育成を重視している。1学級当たりの子どもの数も国際平均を上回っている中で、目的の達成には、教師のきめ細かな指導を下支えする体制を整えることも急務だ。
子どもたちの興味や関心を引き出す「育」の部分が極めて心もとない状況では、「学力向上」に増して日本の教育の課題があらためて示されたことを、今回の国際調査の成果とすべきだろう。
岩手日報 2008年12月19日
学力成績公開 「序列化」をどう防ぐのか
全国学力テストの成績をめぐり、公表する範囲を学校単位にまで広げることを、鳥取県が国の指導に反して決めた。
鳥取県議会が情報公開条例の改正案を可決し、請求があれば市町村別だけでなく学校別まで開示できるようにした。市町村別の成績は大阪府と秋田県が公表しているが、学校別まで踏み込んだのは初めてだ。
全国学力テストは昨年、小学六年と中学三年を対象に国語と算数(数学)の二教科で四十数年ぶりに実施された。鳥取県では、市町村・学校別成績を公開するよう県民から請求が出されたが、県教委は公開に伴う影響への配慮が必要として開示せず、混乱が続いてきた。
公開を求める住民と、その問題点を指摘する教育委員会。さらに大阪府知事のように公表を迫る首長も出てきて、問題の構図は複雑になっている。
情報公開を進める流れは最大限尊重すべきだが、負の影響は避けねばならない。それは、公開についての制限を緩めるほど学校別などの序列が浮き彫りとなり、点数至上主義を助長する懸念があることだ。
かつての全国学力テストが、過剰な学校間競争を招いて中止されたことを忘れてはならない。義務教育で学校の序列化を招くことは、決して好ましいことではない。
鳥取県は、学校名が特定されて過度な競争にさらされないよう、開示請求者へ注意を促す「配慮規定」を改正条例に盛り込んだ。当然の措置だろうが、どこまで実効性があるか不透明である。
本来、学力向上とは、学校間競争で上位になることではなく、児童・生徒の学ぶ力を底上げすることだろう。学力テストは、そのための一人一人の課題を見つけ指導する材料にすべきものだ。
こうした混乱を招いたのは、文部科学省のあいまいな姿勢にあると言っていい。
都道府県別の成績を公表しながら、都道府県教委には市町村別や学校別成績を公表しないよう求めた。ところが市町村が自らの成績を公表するかどうかは、それぞれの判断という。これでは最終判断を自治体に丸投げしたようなものだ。
文科省は先日、成績公表の基準を来年度以降も踏襲することをあらためて確認した。これで問題が収まるとは思えない。
乏しい教育予算の中で多額の費用をかけ、毎年実施する意義があるのかという疑問も強い。公表のあり方だけでなく、テスト自体の是非も含めて再検討すべきだ。
神戸新聞 2008年12月19日
教科書充実 教員の力量も磨かなければ
教科書の中身が増えることになった。児童生徒の学力や学習意欲の向上に、結びつけていかなければならない。
政府の教育再生懇談会が、教科書の充実を求める第2次報告をまとめた。文部科学相の諮問機関、教科用図書検定調査審議会も近く同様の報告を出す。
主要な点は、今年の学習指導要領改定などを受け、教科書検定の運用上、発展的な学習内容の分量を「小中学校では全体の1割程度、高校では2割程度」としている上限をなくすことだ。
学習の遅れがちな児童生徒への補充的な学習内容も手厚くするため、教科書検定基準にある「程度が低すぎないこと」などの規定も見直すよう求めた。
「ゆとり教育」が打ち出された現行の指導要領では、学習内容が約3割減った。
国際学力調査などで学力低下が明らかになり、改定後の新指導要領では小中学校とも主要教科の授業時間を1割以上増やし、削減した学習内容の一部も復活させた。算数・数学と理科は、小中9年間で15%程度増える見込みだ。
新指導要領の全面実施は、小学校が2011年度、中学校では12年度だが、理数については来年度から前倒し実施される。
今回の報告は、「脱ゆとり教育」を教科書の面でも示すものだ。分量だけではなく、内容の充実にもつなげてもらいたい。
特に、報告が指摘しているように、関連する他教科の内容を入れたり、実生活や実社会でどう役立つのかという記述を盛り込んだりすることは、大切だ。
先に公表された理数の国際学力調査では、中学生の場合、理数が「他教科の勉強に必要」「日常生活に役立つ」という答えは、いずれも最下位レベルだった。
例えば理科なら、家庭科と関連づけて熱量を計算させたり、保健と絡めて体の構造を教えたりすることもできるだろう。執筆者や教科書会社の工夫を期待したい。
報告は、「教科書の内容は全部教えなければならない」という認識を変えていく必要があることも提言した。特に、保護者にはそうした意識改革が求められよう。
教科書がよくなっても、それを生かして学力や意欲の向上につなげられるかどうかは、教員の力量に負うところが大きい。
報告が、教科書だけでなく、教員研修の充実を求めたのは、もっともだ。来年度から始まる教員免許更新講習の内容も、充実を図らねばなるまい。
讀賣新聞 2008年12月19日
成人判断見送り 国民巻き込み議論深めよ
民法上の成人年齢を二十歳から十八歳に引き下げる法改正を検討している法制審議会の部会が中間報告を公表した。「十八歳」を成人とすることについて、意見がまとまらなかったことから、是非の判断を見送った。問題の難しさをあらためて浮き彫りにしたといえよう。
二〇〇七年五月に成立した憲法改正のための国民投票法が、十八歳以上に投票権を認めたことを受け、今年二月に法相が法制審に諮問した。
中間報告は、民法の成人年齢を引き下げた場合、契約、結婚、親権などをめぐり、国民生活にどのような影響が出るかを分析し、賛否双方の立場から長所、短所を列挙した。例えば、引き下げの積極論者は若者の自立を促すとしたが、消極論者は若者が悪質業者のターゲットになる恐れがあると指摘した。
そのうえで、引き下げに必要な施策として、事業者による取引の勧誘を制限するなどの保護施策や、若者への消費者関係教育の充実などを盛り込んでいる。両論併記とはいえ、引き下げへの課題まで提起しており、方向付けを示唆しているようだ。
民法の「二十歳成人」を根拠に線引きした法律などは三百を超える。成人年齢の引き下げは、投票や結婚、飲酒、喫煙など日常生活への影響もあるだけに、賛否を含めさまざまな意見が出るのは当然だろう。
内閣府が今年七月に全国五千人を対象に実施した世論調査では、69・4%が引き下げに反対し、賛成は26・7%にとどまった。国民の「十八歳成人」への抵抗感が強いことが示された。
部会は最終報告を来年に予定しているが、中間報告は議論を深めるたたき台となろう。広く国民を巻き込み、若者の将来を見据えた議論を、さらに重ねていくことが必要だ。
山陽新聞 2008年12月18日
教育再生 道徳教育拡充に踏み出せ
政府の教育再生懇談会(座長・安西祐一郎慶応義塾塾長)が第2次報告で、豊かな情操や道徳心の育成につながる題材を教科書に増やすよう提言する。道徳、情操教育の充実は、学力向上とともに公教育再生のカギである。提言を教科書づくりにぜひとも反映させてほしい。
道徳教育の充実は中央教育審議会などで過去に何度も議論されながら、教育現場にはなかなか反映されない。小中学校で週1時間ある道徳の授業は生徒指導や別の教科に流用されてきた。一部教職員組合の反対で道徳の授業が行われていない学校さえあった。
いじめ問題や少年非行の低年齢化など公教育の危機の中で、規範意識や公共心をはぐくむ教育の充実は欠かせない。再生懇談会の前身の教育再生会議は昨年、徳育の教科化を提言した。形骸(けいがい)化した道徳教育の現状を変えるねらいがあったからだ。
道徳教育に対しては「価値観の押しつけ」といった反対が根強い。教科化すれば、教科書がつくられ、教材が充実し、指導法の研究が進むことが期待できるが、新しい学習指導要領では教科化は見送られた。
文部科学省は、教科化を含め道徳教育充実策を引き続き検討するとしたが、決め手を欠いている。教科化についてはその後、真剣に議論されておらず残念だ。
再生懇談会は2次報告で教科書を質量とも充実させることを打ち出し、学力面では国語、理科などでページ数倍増を提案する。
教育基本法改正をふまえ、国語や音楽などの教科書に日本の伝統文化や自然に関する記述を増やすことも提言する。道徳の授業だけでなく各教科を通じて道徳教育充実を図ることは有効だ。
小学生の国語の教科書をみても、ゆとり教育で教科書は極めて薄い。かつては教えられていた偉人伝や古典などが消えている。
親から子へ語り継がれてきた文化や人物の歴史を知ることは、国やふるさと、自分の生き方を自然に考えるきっかけになるはずだ。授業が待ち遠しくなるような教科書で子供たちの心をとらえる授業をしてほしい。
再生懇談会の報告は5月の1次報告以来だ。学力、生徒指導両面で私学人気は高まり、公立復活、公教育再生というにはまだ課題が多い。首相の主導で積極的な提言が今後も期待される。
産経新聞 2008年12月17日
株式会社立の「LCA大学院大」経営難で学生募集停止へ
構造改革特区制度を利用して株式会社が設立した大阪市の「LCA大学院大学」(学長・山崎正和中央教育審議会会長)が、来年度の学生募集を停止する方針であることが17日、明らかになった。
学生数が定員を大幅に割り込み、経営難が続いているためで、廃校を視野に入れた対応だ。
LCA大は、2006年に経営コンサルティング会社「日本エル・シー・エー」(東京・東上野)の子会社が開校した。大卒者を対象に2年間、平日夜や土日に講義を行い、実践的な企業経営を教えている。定員は140人で、学生には会社員が多い。
ただ、学生数は開校以来、定員に届かず、現在は24人だ。また、7月には親会社が債務超過を公表し、経営陣の交代を機に大学運営を含む事業見直しを進めており、この中で来年度の学生募集の停止を決めた。
讀賣新聞 2008年12月17日14時34分配信
携帯持ち込み、全公立校の対策を調査=文科省
小中高校が児童生徒の携帯電話持ち込みを防ぐ対策を立てているか把握するため、文部科学省は17日、すべての公立校に対する調査を始めた。都道府県、市町村の教育委員会の取り組みも調べる。都道府県・政令市別に今月1日付の状況を集計し、来年1月にも公表する予定だ。
学校には、校則や指導を通じて持ち込みを禁止しているかを質問。併せて、家庭の事情や電話機の機能に応じて許可する例外規定があるか調べる。持ち込みを認めている場合には▽校内や授業中の使用禁止▽校内では学校が預かる−などの対策を取っているか調べる。
各教委には指導方針の有無や方針を定める予定があるか、利用実態の調査を行っているかを聞く。
子供の携帯利用をめぐっては、犯罪やインターネット機能を使ったいじめの被害に遭うケースが相次いでいる。文科省は今年7月、「小中学校は原則として持ち込みを禁止する」などのルールを定めるよう各教委や学校に通知した。
大阪府教委は今月、公立小中学校で持ち込みを原則禁止する方針を表明。塩谷立文科相は「教委の判断などを調査し、国としての方向性も明確にしたい」としていた。(了)
時事通信 2008年12月17日
携帯持込禁止を市町村に通知=大阪府
大阪府教育委員会は17日、政令市を除く府内41市町村教委の担当者を集めた会議を開き、小中学校において学校内への携帯電話の持ち込みを原則禁止とする方針を説明し、指導の徹底を求めた。同教委児童生徒支援課の菅原寛課長は「家庭と連携し、持ち込み原則禁止などのルールづくりが行われるよう指導をお願いする」と呼び掛けた。
また、通学時の安全を確保するために必要な場合には、保護者からの申請に基づいて許可した上で、下校時まで学校内で預かるなどの対応を取るように求めた。
会議後、四条畷市の担当者は「携帯電話の原則校内への持ち込み禁止は、各学校で独自に取り組みは進んでいるが、改めて、府の呼び掛けは後押しになる」と話した。
府教委は今年7月に府内公立小中高校の児童・生徒らを対象に携帯電話の使用実態調査を実施。携帯電話への依存傾向が高い児童・生徒ほど、学習時間が短いことが分かったほか、携帯電話で「いやな経験がある」と答えた児童生徒は、小学校4年生で6人に1人、中学1年生で約3割に及んでいた。(了)
時事通信 2008年12月17日
【学校選択制】競争の弊害が懸念される
公教育において、競争原理を拡大させることが望ましいことなのか、疑問を感じざるを得ない。
文部科学省は、児童生徒を多く集めたり、特色ある取り組みをしている公立小中学校に、予算を手厚く配分することで学校の積極的な取り組みを促すモデル事業に乗り出す。
学校選択制や、地域と連携した学校運営制度などを導入する市町村教育委員会から公募、五教委を選定する。教委から特定校に運営予算が重点配分される仕組みだ。二〇〇九年度から二年間の試行で、本格実施の可否を検証するという。
学校選択制の導入は、政府の教育再生会議が積極的に提唱してきた。モデル事業は、「適正な競争原理により学校の質を高める」とした昨年の同会議第三次報告などを受けた。「適正な競争原理」に対する文科省の考え方を示したものといえる。
だが、公教育に競争原理を持ち込むことはもろ刃の剣にもなる。公教育には、どこの学校に通っても同じ水準の教育を受けられるという、平等の原則があるからだ。
公立学校の教育予算に差がつけば、学校間の格差を生じかねない。文科省内でも導入に慎重意見があるのはこのためだ。
学校選択制についても、プラスとマイナスの両面が指摘されている。〇二年度から、区内全域から自由に小中学校を選べるようにした東京都足立区では、学力テストの結果の上位校などに人気が集中し、不人気校との格差が生じている。
地域においては学校とのつながりが弱まり、地域のコミュニケーションが取りにくくなっているとの声もある。
学校選択制がもたらすこうした現実を踏まえ、公教育に広げることの是非を慎重に議論する必要がある。
モデル事業で配分される予算は、学校の独自提案に基づいたり、使途を特定せず学校の裁量に任せられる。教育予算は抑制されており、予算配分が学校間の競争をあおる可能性も否定できない。競争が「適正」かをどう判断するのかという課題もある。
公教育に競争原理を持ち込むことが学校の質の向上に結び付くという保証はない。試行するのであれば、懸念や疑問を慎重に見極める必要がある。何より、子どもの健全な成長につながるかどうかという観点が欠かせない。
高知新聞 2008年12月17日
大阪、公立高校の定員増を検討 橋下知事が表明
大阪府の橋下徹知事は17日の記者会見で、2010年度から公立高校の定員を増やす方針を表明した。家庭の経済事情が厳しい生徒が授業料の安い公立高校に進学しやすくするのが狙い。
橋下知事は財政改革の一環として、08年度から私学助成を10%削減しており、公立高校の定員見直しに私学側が反発するのは必至だ。
橋下知事は高校への進学者を公立7、私立3の割合で受け入れる府教委と「大阪私立中学校高等学校連合会」との合意について「学校経営が安定するという視点しか感じない」と批判した。
大阪府では、人口増による高校進学者急増に対して私学が受け入れた経緯があり、1998年度からは7対3の比率で高校生の募集を続けている。
府内の私立高校は2009年度から94校のうち、50校が授業料の値上げを予定している。
共同通信 2008年12月17日
学ぶ意欲もっと高めよう/ 国際学力調査
二〇〇七年国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)によると、日本の小学四年と中学二年は、学校で学ぶ基礎知識の面で、引き続き国際的に高い水準にあることが分かった。
文部科学省は、この結果を「学力低下に歯止めがかかった」と評価している。国際的な得点順位に一喜一憂する必要はないが、問題がないわけではない。
勉強を楽しく思ったり、数学や理科を学ぶことが重要だと考えるかどうかについて、意識調査で日本の子どもたちがおしなべて消極的に答えているからだ。
基礎学力を身につけた後の応用力で、日本の子どもたちが世界に後れを取っていると、これまでも指摘されてきた。このため、来年春に先行実施が始まる新学習指導要領では、「知識を活用し課題を解決する力」が重視されている。
その実を挙げるために、子どもたちの学ぶ意欲をどのようにして高めるかが、重要になる。子どもの興味や関心を引き出し、学ぶことの意義を教えなければならない。
TIMSSは、オランダのアムステルダムに本部がある「国際教育到達度評価学会」が一九六四年から継続的に実施している。
〇七年調査によると日本の小学四年は、算数の平均得点が五百六十八点で三十六の国・地域の中で四位、理科は五百四十八点で四位だった。前回の〇三年はともに三位だが、得点は今回の方が上回っている。
中学二年は、四十八の国・地域の中で、数学が五百七十点で五位、理科は五百五十四点で三位となった。理科が前回の六位から上がり、数学の順位は同じだ。
得点や順位をみると、国際的に上位を維持しているから、基礎知識では大きな問題がないといえるのかもしれない。だが、児童・生徒が勉強をどう思っているかなどをみると、必ずしも楽観できないようだ。
例えば、算数の勉強が楽しいかどうかについて、わが国の児童の70%が肯定的だが、このうち「強くそう思う」は34%で、国際平均値を21ポイントも下回る。数学について「強くそう思う」のは9%にすぎず、国際平均を26ポイントも下回っている。
また、「将来、自分が望む仕事に就くために、数学で良い成績を取る必要がある」と思っているのは、57%で国際平均を25ポイントも下回り、台湾に次いで低い。理科については45%が同様に思っているが、国際平均よりは27ポイントも低い。
学ぶことについて、日本の子どもたちは受け身で、意欲も高くはない、と思わざるを得ない。意欲が減退すれば学力は向上しない。
知識の活用力をみる経済協力開発機構の〇六年学習到達度調査で、日本の高校一年は読解力が十五位、数学的応用力が十位、科学的応用力は六位と、いずれも前回より後退した。
この調査では、記述や論述問題で白紙回答が他国より多かった。科学が役に立つと考えたり、科学に関心を持つ生徒の割合は、国際平均を下回っていた。
子どもの学習意欲を引き出すために、授業の工夫が求められる。それには教師の力量向上が不可欠だ。少人数学級導入など学校現場を支援する取り組みも必要となる。
東奥日報 2008年12月16日
橋下知事 文科相発言に再反論
大阪府の橋下知事が、全国学力テストの公表のあり方をめぐって文部科学省を批判したことに対し、塩谷文部科学大臣が「過去に成績を序列化した際、成績の悪い人を休ませたり先生が答えを教えたりする事態が起きて失敗し、テストをやめた経緯を知らないのではないか」などと反論したことについて、橋下知事は記者団に対し「大半の市町村別データを公表した大阪で過度な競争や序列化になっているか、大臣にはきちんと説明したいし、そういう問題は起きていないと思っている」と述べました。そのうえで、橋下知事は「かつてのまちがいを引きずったまま、何もやらないというのでは光は見えないが、大阪はそこを乗り越えようと取り組んでいる。今回の件では行政の諸悪の根源を見せつけられた」と述べ、あらためて文部科学省を批判しました。
NHKニュース 2008年12月16日
情報公開を問う:学力テスト成績非開示 片山前知事、鳥取大で公開講座 /鳥取
◇条例改正案を批判、「請求者につけ回し卑怯」
前知事で鳥取大学客員教授の片山善博・慶応大学教授は15日、鳥取大学で公開授業講座「自治体経営論」を開き、全国学力テストのデータ開示の前提とされている県情報公開条例改正案について、「奇妙な条文で、これは情報公開ではないインサイダーだ。情報公開の本質も理解しておらず、“天下の悪法”」と厳しく批判した。
この日、片山前知事は全国学力テスト結果の開示問題を取り上げ、「情報公開の問題は地方自治を考えるうえで格好の材料」と強調。「公開とはみんなが知りうる状態にすること。(知ることができるのが)請求者だけで、マスコミに知らせるなとは奇妙な条文だ。これは、(職員が)議員へ『根回し』するのと同じ手法で、とんでもない案だ」と述べた。
さらに、「公開派にも規制派にもどっちもいい顔をする案で、行政の批判を避けるため、請求者につけを回す卑怯(ひきょう)な、ずるい案だ。“ずる法”だと思う」と話した。
また、平井伸治知事や大阪府の橋本徹知事が、全国学力テスト結果の公開に積極的な市町村に対し予算に差をつける考えを示したことに対し、「助言に制裁を加えると、ほとんど強制になってしまう。(県から市町村教委へは)指示権などないのだから、とんでもないこと」と語った。【高橋和宏】
毎日新聞 2008年12月16日
全国学力テスト:学校別公表の禁止継続を 序列化警戒、検討会議が見解
全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の分析・活用方法などを議論する文部科学省の専門家検討会議は15日、都道府県教育委員会が市区町村・学校別の結果を公表することを禁じた実施要領の方針を「来年度以降も維持すべきだ」とする見解をまとめた。文科省は見解に沿って年内にも実施要領を作成し、各教委に通知する。【加藤隆寛】
実施要領は、都道府県教委が市区町村名や学校名を明らかにして結果を公表することや、市区町村教委が学校名を明らかにして結果を公表することを禁じている。検討会議は「序列化や過度な競争につながらないよう十分配慮すべきだ」として、基本方針を維持するのが妥当と判断した。
また、文科省がどんな資料を都道府県教委に提供するかについては「弾力的な対応を可能とする」ことを求めた。教委側が求めない資料は提供しない措置をとれるようにすることが狙い。教委が知事部局へ情報を渡したくない場合や、情報公開請求への対応で困難が予想される場合は、資料を受け取らないことも可能になる。
市区町村別の結果を巡っては今年、大阪府や秋田県で一律公表に踏み切る動きがあった。文科省は、新たな方針に沿えば「(了承した市区町村については実名で成績を公表した)大阪府の対応は適切ではないことになる。(市町村名を伏せた)秋田県の対応は実施要領が認める範囲内」としている。
市区町村教委や学校が自らの結果を公表することは認められている。検討会議は「(市区町村教委や学校が)調査結果の一層の活用に取り組むよう促すべきだ」とし、教育改善につなげる狙いで独自公表することを是認する姿勢を改めて明確にした。
毎日新聞 2008年12月16日
学テ開示へ改正案可決 「配慮条項」盛り込む
鳥取県議会の総務警察常任委員会は十六日、全国学力テストの市町村別・学校別結果の来年度以降の開示に向けて県が提案した県情報公開条例の改正案を可決した。開示請求者がデータを使用する際、学校が特定されないよう「配慮」を求める条項を盛り込んでおり、十八日の本会議で可決成立する見通し。都道府県教委が学校別結果を開示すれば全国初。
配慮条項は学校の序列化や過度の競争を防ぐのが狙い。データの使用制限を設けることに市民団体などから「表現の自由や知る権利を侵害する」と批判が相次ぎ、県教委が素案を二度修正し、県が十一月定例県議会に提出した。
県議会では当初、「情報公開の精神が後退する」「現行条例の“適正使用”の条項で対応できる」など反対意見が続出。自民系三会派が修正に向けた動きを見せていたが、配慮条項がなければテストに参加しない市町村が出ることを懸念し、賛成に回った。
県教委は二〇〇七、〇八年度のテスト結果を非開示としたが、県議会が九月議会で開示を決議したことなどを受け、開示に方針転換していた。今後、インターネットによる公表など不適切な使用例を示したガイドラインをつくる。
一方、民主系会派「信」などは学校別結果を非開示にする対案を提出したが、同常任委は否決した。
日本海新聞 2008年12月16日
県情報公開条例改正案 県の提案通り可決へ
全国学力テストの市町村別・学校別結果の来年度以降の開示に向け、鳥取県が十一月定例県議会に提案した県情報公開条例改正案の修正を議論していた自民系三会派は十五日、開示請求者にデータ使用に当たって「配慮」を求める執行部案を了承することで合意した。
三会派の議員数は県議会の過半数を占めており、十六日の総務警察常任委員会、今議会最終日の十八日の本会議で執行部案が可決される見通し。
三会派の会長会議では、削除するか否かで意見が割れていた「配慮条項」を認め、文言の修正も加えずに執行部案を受け入れることを確認。「配慮条項」がなければ、来年度以降の全国学力テストから離脱する市町村が出るかもしれないという県教委の懸念を考慮した。
日本海新聞 2008年12月15日
学テ・条例改正、対案提出 条項めぐり修正難航
全国学力テスト結果の市町村別・学校別結果の開示に向けて鳥取県が今議会に提案した県情報公開条例改正案に対し、民主系会派「信」などは十二日の本会議で、学校別結果は非開示とする対案を提出した。一方、改正案の修正に乗り出した自民系三会派は開示請求者にデータ使用に当たっての「配慮」を求める条項の削除などをめぐって意見が割れ、結論は三会派会長協議に委ねられる見通しだ。
県が提案した改正案は、学校の序列化など教育現場の混乱の懸念への担保として、開示請求者がデータを使用する際、学校が特定されないよう「配慮」を求める条項を盛り込んだもの。
信(五人)と無所属三議員は「学校別結果の開示は序列化や過度の競争を引き起こす」として、開示の範囲を市町村別にとどめる対案を出した。
自民党(九人)、自民党クラブ(八人)、自由民主(五人)の自民系三会派は「(原則公開の)現行条例を堅持すべきで『配慮条項』は削除」「表現を多少変えて執行部案を認める」など意見が割れている。
「配慮」条項を削除して開示し、現場にトラブルが起きた場合の責任の所在や市町村がテスト参加を拒否する可能性に苦慮している状況だ。
三会派は十五日に総会を開くなどして意見集約し、各派会長による協議で修正案の一本化を目指す。三会派は欠席議員と議長を除く県議三十五人の過半数に達しており、一本化できれば今議会最終日の十八日の本会議で可決される見通し。
日本海新聞 2008年12月12日
教員汚職・江藤被告に有罪=大分県
大分県教育委員会の教員採用・昇任試験をめぐる汚職事件で、3件で現金・商品券計610万円分の収賄罪に問われた元義務教育課参事江藤勝由被告(53)の判決公判が12日、大分地裁であり、宮本孝文裁判長は懲役3年、執行猶予5年、追徴金610万円(求刑懲役3年、追徴金610万円)を言い渡した。
宮本裁判長は「教師として犯罪行為を行ったことが教育現場に与えた悪影響は軽視できない。犯情は悪質で刑事責任は重い」と指摘。一方で、「県教育庁における組織的不正にかかわっていたことを除けば、まじめで熱心な教員だったと認められる」と執行猶予の理由を述べた。
判決によると、江藤被告は2006年と07年に実施された小学校教員採用試験で、元同課参事矢野哲郎被告(53)夫妻=公判中=や元小学校長=有罪確定=の子供の合格に便宜を図った見返りに、商品券200万円分や現金300万円を受領。07年度実施の昇任試験で、元小学校教頭2人=公判中=と元小学校長=起訴猶予、教頭に降任=から商品券計110万円分を受け取った。
これまでの公判で江藤被告は起訴事実を認め、教育審議監富松哲博被告(60)=公判中=や元教育審議監(62)=有罪確定=から、特定受験者の合格を指示されたと述べた。(了)
時事通信 2008年12月12日
教育人事を一元化、民間人校長募集も=大分県
大分県教育委員会は、総務、義務教育、高校教育の3課の人事業務を一元化した「教育人事課」(仮称)を2009年4月に新設するとともに、民間人校長を09年度から募集する。教員汚職事件の反省に立った組織見直しの一環。
事件は、義務教育課で特定の担当者に権限が集中する中で起きたとして、教育人事課では採用選考担当と人事担当に班を分ける。全県的な教育水準向上と職員の意識改革を進めるため、広域人事や知事部局などとの人事交流を一層推進する。
民間人校長は募集、選考の上、合格者は研修を経て10年度から配置する。09年度からは、選考試験により副校長、主幹教諭、指導教諭を新設。副校長、主幹教諭は規模の大きな学校に、指導教諭は学力向上に特色ある取り組みを行う学校に配置する。
また、校長が教員を評定する現行の教職員評価システムを大幅に改善し、評定者に指導主事ら複数の管理職を加え、より適正な評価を行い、人事・給与面の処遇や研修に活用する。教職員人事評価システムとして09年10月から試験的に導入し、10年10月から本格実施する計画だ。(了)
時事通信 2008年12月12日
教科書の内容 改悪教基法と一致要求 検定審 制度改定の報告案
教科書検定審議会(文部科学相の諮問機関)は十一日、検定手続き改善作業部会と教科書改善作業部会の合同会議を開き、検定制度改定についての報告案を審議しました。
報告案は、教科書が、教育基本法に示す「教育の目標」を達成するための主たる教材であることを検定基準の総則に明記し、教科書の内容が同法と一致していることを明確化するとしています。
教科書会社に対して、教科書の内容と教基法の目的・目標との対照を示す書類の提出を求め、「愛国心」育成を目標とした同法にそう教科書づくりを要求しています。
検定手続きの「透明性の向上」については、教科書調査官が作成する調査意見書や審議会の部会・小委員会の審議事項などを事後に公表するとしています。しかし、これらは現在も公表されています。一方で、「情報が検定審査終了前に流出」した場合は審議を一時停止することを明確化するなど、情報管理の強化を図っています。
学習指導要領の範囲を超える「発展的な学習内容」については、「本文以外で記述する」との規定を見直し、分量の制限も撤廃。「教科書に記述されている内容をすべて学習しなければならない」という「従来型の教科書観」を、「個々の児童生徒の理解の程度に応じて指導を充実する」という観点で転換する必要があるとしています。
同審議会は二十五日に最終報告を提出。文科省は検定基準などの改定案を出す予定。
しんぶん赤旗 2008年12月12日
琉球大学 講義半減に学生反発/09年度 見直し要請へ 非常勤らも集会
琉球大学が二〇〇九年度入学者対象のカリキュラム編成で、英語など語学科目の講義数が半減することに学生らが「授業料は変わらないのに、講義数が減らされるのはおかしい」と反発。カリキュラム編成の見直しなどを求めることが十二日、分かった。来週初めにも大学側に要請するほか、十七日には学内で学生へのアンケートや署名活動などを展開する予定。
〇九年度入学の新カリキュラムでは、英語など外国語の単位数は変わらず、講義数が約半数に減らされる。同大三年の持木良太さんは講義数の減少について「今の講義数でも足りないのにこれ以上減られると、語学学習が難しくなる」と切実だ。
外国語の講義数が減らされることを受け、同大の非常勤講師や学生らが十一日、宜野湾市内で緊急集会を開いた。県内大学の教員からは「減少分は自主学習というが、結局沖縄の人材育成つぶしになる」と批判した。
非常勤講師の男性は年収約二百万円程度から講義数減で五十万円以上収入が減ると訴え。「家庭を持って年収百五十万円で生活するには厳しすぎる。大学側はコマ数は半減でもレベルは現状を維持するために工夫してと言われても、無責任な精神主義で限界がある」としわ寄せは学生に来ることを語った。
語学科目の講義数削減で、同大は年間約二千五百万円の削減を見込んでいる。
沖縄タイムス 2008年12月12日夕刊
数学・理科調査 好奇心をどう伸ばす
テストの点数は取れるけれど、勉強は楽しくない−。理数の基礎学力を測る2007年国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)から、日本の子どもたちのこんな姿が見えてくる。
調査は国際教育到達度評価学会(IEA)が、日本の小学4年生と中学2年生にあたる子どもを対象に実施した。4年前の前回より参加国や地域が増えるなか、日本は小中学生とも上位5位以内に入った。得点も前回以上で、文部科学省は「学力低下に歯止めがかかった」との受け止めだ。
一方で、勉強が楽しいと思う子どもの割合が低いのも特徴だ。とりわけ中学生が国際平均を大きく下回るのは、気がかりである。
学ぶ意欲や好奇心は、学ぶ力、考える力の土台になる。そこに照準を合わせて、長い目ではぐくんでいく取り組みが大事になる。
「勉強が楽しい」という中学2年生は、理科で約6割、数学は約4割にとどまる。小学4年生に比べてかなり低くなっている。
経済協力開発機構(OECD)の06年の学習到達度調査(PISA)でも、科学が楽しいと思う日本の高校生の割合は参加国で最低レベルだった。これでは理数離れを食い止められない。
まずは授業の魅力を高めて、面白さを伝えることだ。
とはいえ簡単ではない。教える側は教材や指導法に工夫が求められる。事前の準備が要る。子どもたちが実験や観察に取り組み、試行錯誤する時間も必要だ。
現実はどうか。文科省は「ゆとり教育」を転換し、来年度から学ぶ内容も授業時間も増やした新学習指導要領が実施される。子どもの意欲が乏しいままでは詰め込み教育に逆戻りしかねない。
政府の歳出削減路線の下、来年度の教員の増員は小幅となりそうだ。学校の設備も十分ではない。国立教育政策研究所などの今年の調査で、公立小学校の約3割、中学校の約2割は理科の設備備品費がゼロ。学校現場の環境を整えることが前提として欠かせない。
今年のノーベル物理学賞を受けた益川敏英さんは「人間は本来好奇心がいっぱい。それに応える教育システムを考えてほしい」と政府に訴えた。小林誠さんは子どもたちに「自分で新しいことを発見することの楽しさを味わって」と呼びかけている。
2人のメッセージを未来へつなげたい。政府は教育投資を惜しむべきではない。暗記偏重型の高校や大学の入試のあり方も、再考のときに来ている。
信濃毎日新聞 2008年12月12日
国際理数テスト 「意欲低下」の方が心配だ
国内の学力テストでは「一喜一憂」を戒めるが、世界を相手の競争となるとそうもいかないらしい。
国際教育評価学会が行った二〇〇七年国際数学・理科教育動向調査(国際理数科テスト)の結果を受けた文部科学省の反応のことである。
国際理数科テストは小学四年生と中学二年生が対象で、延べ五十九カ国・地域が参加した。
日本は一九八〇年代には各教科とも一、二位を争っていたが、九九年実施の前々回で中学の理科、数学が四、五位に後退、「ゆとり教育」が子どもの学力低下を招いたと論議を呼んだ。
これらの結果などを受け文科省は、二〇〇二年にゆとり教育からの転換を打ち出した。その転換の成果を問われたのが今回のテストである。
結果は〇三年の前回テストに比べ、小中、各学科とも平均点は微増か横ばいだった。文科省は「学力低下傾向に歯止めがかかった」と、教育方針の転換が妥当であったことを強調した。
一方、順位は小学生の理科、算数はともに四位、中学生の理科が三位、数学は五位である。「ゆとり世代」だった一九九五−二〇〇三年のテストでもいずれも二−六位だった。
順位でいえば、ゆとり教育の善しあしとは関係なく、日本の子どもたちの学力は常に世界のトップレベルにあるということだ。テスト結果とゆとり教育を結び付けるのは、あまりにも短絡的で政治的すぎないか。
調査には学習意欲を問うた項目もある。「勉強が楽しい」と答えた中学生は数学で40%、理科で59%しかなかった。数学は国際平均より27ポイントも低い。
危惧(きぐ)があるとすればこちらの方だろう。単純な問題の繰り返しや詰め込み主義的な勉強では楽しいわけがない。子どもたちに興味をどう持たせるか。教育現場の力量の問題である。
文科省はテスト結果に一喜一憂するのではなく、世界の上位にいることを強調し、子どもたちに誇りを持たせることだ。それによって学習意欲も高まるはずである。教育はまず褒めることから始めなくてはならない。
和歌山県の小学四年の少女が、新種のエビの化石を発見して話題になった。化石には少女の名前にちなんだ学名が付けられた。少女は「これからは爬虫(はちゅう)類の化石も探したい」と目を輝かせていたという。
子どもたちに新しい発見を促し、工夫させながら問題を解き明かさせる。これこそが点数主義にはない「生きた教育」であろう。そこには学ぶ楽しさと喜びがあるはずだ。
学力テストの結果だけで国の教育方針が揺れ動いていては、子どもたちの将来に禍根を残すことになる。
新潟日報 2008年12月12日
ノーベル賞/研究環境を見直す契機に
今年は秋以降、ノーベル賞の話題で持ちきりになった。日本人受賞者が四人。物理学賞を独占した。
物理学賞の南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授▽小林誠・高エネルギー加速器研究機構名誉教授▽益川敏英・京都大名誉教授と化学賞の下村脩・米ボストン大名誉教授の受賞を、あらためて祝福したい。授賞式に至るセレモニーや四氏が受けた称賛から、賞の大きさを思わずにはいられない。
物理学賞の三氏に共通するのは「対称性の破れ」という概念だ。百三十七億年前の大爆発(ビッグバン)に始まる宇宙の成り立ちや、現在の姿を合理的に説明するのに欠かせない理論とされる。
下村氏は、緑色蛍光タンパク質GFPを発見し、オワンクラゲから初めて分離することに成功した。がん細胞が広がる過程やアルツハイマー病による神経細胞の崩壊過程を確認する手段として、現在の生命科学や医学研究に欠かすことができない。
授賞式を欠席した南部氏を除く三氏の記念講演は、それぞれ個性的で、科学を志す人たちへのメッセージに満ちていた。
小林氏は恩師から「独自の研究をする精神を学んだ」と言う。信じた道をとことん追究する強固な意志は、受賞者に共通する資質といっていい。
下村氏は、オワンクラゲの捕獲を家族総出で行い、研究室がクラゲ工場のようになった。効率化のためクラゲの自動切断装置まで考案したエピソードを明かした。
三氏の話から、柔らかい感性と信念を持つことの大切さ、地道な努力を支える研究環境が欠かせないことが分かる。
米国では研究費を獲得するまでの競争は激しいが、いったん研究費が下りれば自由に研究を許す風土が整っている。研究開発への総支出も世界で飛び抜けて多い。
日本はどうか。二〇〇六年度の科学技術白書は、科学技術振興の課題として産・官・学の枠、分野の枠、組織の枠を超える重要性を指摘した。だが、国の資金は先進国の中で見劣りし、中国にも及ばない。
そんななか、やっと新しい動きが出てきた。京都大学の山中伸弥教授が、世界で初めて作製した人の新型万能細胞(iPS細胞)の実用化を後押しする産学共同の研究拠点の設置だ。国が五年間で百億円超を投じる、かつてないプロジェクトになる。
資金に裏打ちされた自由な研究環境。そんな中から、未来のノーベル賞に結びつく優れた研究がきっと生まれる。
神戸新聞 2008年12月12日
国際学力調査 「学ぶ意欲」高める議論を
小学4年と中学2年を対象に実施された2007年国際数学・理科教育動向調査の結果が公表された。日本の子どもたちは、小、中学生とも平均得点で4年前の前回調査を上回り、順位も5位以内に入った。
世の親や先生ならずとも子どもの学力に大きな関心を寄せるのは当たり前のことだ。上位を維持したことで、関係者は胸をなで下ろしているに違いない。
だが大切なのは、得点や順位の多少の上げ下げに一喜一憂することではない。テスト結果と向き合い、数字の独り歩きを退け、地に足の着いた議論を交わす冷静さが求められる。
詳細なデータ分析に基づき弱点や課題を明確にした上で、日々の教育指導や授業に役立てることが必要である。それなしには学力を国際比較する意義も薄れる。
小4は36の国・地域が参加した中で算数、理科とも4位。中2は48の国・地域中、理科が6位から3位へ、数学は前回と同じ5位だった。
各得点のアップに加え、参加国が増加した点を勘案すれば、学力は少なくとも表向き向上したと言えなくはない。実際、文部科学省は「学力低下傾向に歯止めがかかった」と見る。
しかし、データ分析はこれからである。明確な根拠を示さず言い切れるのか。結論を下すのは早計ではないか。
むしろ目を向けるべきは学習意欲の乏しさだ。「勉強が楽しい」と答えた割合は、小4は70%以上と高率だが、中2は40%―59%と低い。国際平均を19―27ポイント下回る。
勉強が楽しくなければ学力向上はおぼつかない。まして理数は好奇心や探求心が物を言う。「好きこそ物の上手なれ」を思い起こしたい。
子どもたちの学習意欲や「科学する心」をどう引き出すか。好奇心に応える「楽しい授業」は実践されているか。こうした取り組みには学級規模、教員の配置など態勢づくりも欠かせない。
琉球新報 2008年12月12日
教科書検定審が透明化策を了承 議事概要の公表柱に
教科書検定審議会のワーキンググループの会合が11日開かれ、検定過程で教科書調査官が作成する調査意見書や部会の議事概要の事後公表を柱とする検定作業の透明化策を盛り込んだ報告案を審議、大筋で了承した。年内にまとめ、塩谷立文部科学相に提出する。
また、授業時間数が増える新学習指導要領に対応するため、これまでの“スリム化”から転換。「発展的な学習内容」の記述分量制限を撤廃し、反復学習しやすいように、記述内容の重複も認めるとした。
検定審は、沖縄戦の集団自決の記述をめぐる問題で、審議過程の不透明さが指摘されたため、改善策を検討。しかし、部会自体の公開や詳細な議事録の作成は「静かな審議環境を確保する」として見送ったため、報告案には批判も出ている。
案では、検定審委員がどの部会や小委員会に所属しているかや、教科書調査官の職歴を公表するとした一方で、教科書会社に対して、申請内容などの情報管理の徹底を求めている。
共同通信 2008年12月11日
学力トップ水準」は本物か
「学力低下に歯止めがかかった」と文部科学省は評価しているが、本当だろうか。小学校4年生と中学校2年生が算数・数学と理科の問題に挑んだ2007年の国際学力テスト(TIMSS)の結果である。
たしかに順位では世界トップの水準を維持し、上昇の兆しも見える。しかし授業で見慣れない問題となると大きく劣るし、勉強への意欲も低い。バランスの取れた、深みのある学力を育てなければならない。
国際教育到達度評価学会(IEA)によるこの調査に、今回は小学生は36、中学生は48の国・地域が参加した。日本は小四が算数、理科ともに4位で、03年の前回調査の3位とほぼ同水準。中二は理科が前回の6位から3位に上がり、数学は5位で横ばいだった。
前回までの調査では低落傾向が続き、学力低下懸念が噴き出した。今回の成績には、その後、文科省が「ゆとり」路線を修正してきた効果が表れているのかもしれない。
しかし課題は多い。たとえば小四の問題で、縦と横の長さを記した長方形を示し「まわりの長さ」を尋ねたところ、日本は国際平均を大きく下回った。図を見ただけで面積を問われたと思い込んだようだ。
これは普段の授業で決まりきったパターンを刷り込まれ、条件反射的に解答を導いているせいだろう。考える力や応用力よりも、問題を機械的に、素早く解く能力を偏重しがちな教育現場の実態を映している。
調査では学ぶ意欲についても聞いた。「勉強が楽しいか」という問いへの肯定的な答えは、小四の理科を除き国際平均を下回っている。興味を引き出す授業がいかに少ないかを示しているのではないだろうか。
こうした傾向はすでに他の学力調査でも浮かび上がっている。新しい学習指導要領では主要教科の授業時間数を増やすなど「ゆとり」路線からの転換色が強まるが、肝心なのは量ではなく授業や学習の質だ。
知識やパターンを詰め込むだけでなく、柔軟な発想で問題を処理する能力をどう育てるか。そのためには文科省による画一的な教育システムを改め、地域や現場にもっと権限と責任を委ねる必要もあろう。調査結果はそんな改革を促してもいる。
日本経済新聞 2008年12月11日
教科書検定 一層の透明化が必要だ
「密室審議」との批判が出ていた教科書検定について、文部科学省は検定作業の一部を透明化する改革案をまとめた。
文科相の諮問機関である「教科用図書検定調査審議会」(検定審)の大まかな審議内容などを公表するというのが主な内容だ。
一歩前進とはいえる。しかし、公表はあくまで検定終了後で、詳しい議事録の作成、公開も見送られる方針だ。これでは十分とはいえない。
文科省には検定審議の傍聴実現など、一層の透明化を求めたい。
教科書検定をめぐっては、安倍内閣時代の高校日本史教科書検定で、沖縄戦の住民集団自決への旧日本軍の関与について、自決を強制したとの記述が改められ問題となった。
地元・沖縄で検定意見の撤回を求める大規模な集会が開かれるなど批判が高まり、教科書会社の訂正申請を認めるという形で、検定を事実上修正する事態になったことは記憶に新しい。
検定方針が、時の政権の歴史観に影響されているのではないかとの不信感も強まっていた。
教科書検定は、まず文科省の教科書調査官が、教科書会社の申請本をチェックする。そこで作成された意見書を検定審にかける。
今回の改革案では、調査官の氏名や職歴を公表し、検定終了後に調査官の意見書も公開する。
現代史などの分野で学説が複数ある記述に意見を付ける場合や、高度な専門性が必要な記述の審査には、専門委員の任命や外部専門家の意見聴取ができるようにもする。
匿名性の影に隠れて、誰が、どんな意見を付けたか分からない現状から比べれば、透明度は高まった。
ところが、肝心の検定審の審議は非公開のままだ。
文科省は「静かな環境で、自由闊達(かったつ)に論議してもらうため」としている。しかし、詳細な議事録さえ作らないのでは、「結果が出るまで待て。なぜそうなったかを詳しく説明する必要はない」と言っているのに等しいではないか。審議過程もチェックできる体制づくりが必要だ。
教科書に求めるものは時代とともに変化している。
文科省は、学習指導要領の範囲を超えた発展的な学習内容の教科書への記載について、制限を撤廃する方針をすでに示している。
義務教育を終えた高校生の教科書まで検定が必要なのかという指摘も以前からある。
学ぶ意欲をかき立ててくれるような魅力的な教科書づくりには何が必要で、何が不要なのか。検定制度そのものの是非も含めて、根本的な議論が必要だ。
北海道新聞 2008年12月11日
国際学力調査「学習意欲をいかに高めるか」
小学4年と中学2年を対象にした2007年の国際数学・理科教育動向調査結果が公表された。03年の前回調査に比べると日本の平均点はおおむね上昇した。喜ばしいことではあるが、成績に一喜一憂することなく、子供たちの学習意欲をいかに高めていくか、その追求が課題だ。
国際数学・理科教育動向調査は、各国の理数教育の到達度を測定し、学習環境などとの関係を研究するものだ。国際教育到達度評価学会(IEA)が1964年から実施し、95年以降は4年ごとに算数・数学と理科を併せた現在の形で調査している。
今回の学力調査は、国内では07年3月に実施し、国公私立の小中294校の約8800人がテストを受けた。得点は国際平均が500点になるよう算出している。
日本の小4は、算数が568点で前回よりも3点増加。順位は前回が3位で今回は4位。理科は548点で前回より5点増加。順位は前回から1つ下げ4位だった。
中2は、数学が前回と同じ570点。順位も同じく5位。理科は554点で前回より2点増えた。順位は前回の6位から3位に上昇した。
調査には世界59カ国・地域が参加しており、日本の成績はおおむね上昇、順位も上位を維持した。
03年の前回調査では日本の成績が落ち、それが小中学校の新学習指導要領で理数教育が重視されるきっかけになったのである。文部科学省は理数の時間、内容を新指導要領に沿って来年度から拡充するが、その導入前から学力が改善し始めたことを、今回の調査結果が示している。
ただ、課題として浮かび上がったのが学習意欲や学習の動機付けだ。
調査で行われたアンケートで、勉強が楽しいと思う割合は日本の小4が算数で70%、国際平均の80%より10ポイント低かった。中2は数学が40%で国際平均67%を大きく下回った。理科も国際平均78%を下回る59%だった。
学習の動機付けに関しても、「希望の職業に就くために良い成績をとる必要がある」と考える中2は、数学が57%、理科が45%で、国際平均82%、理科72%をそれぞれ大きく下回る結果となったのである。
新学習要領によって来年度から理数の得点が高くなることが期待されているが、理数の教科に楽しみを感じない子供たちが多いという現実を真剣に受け止める必要があるだろう。
教育現場には、自ら考える探求型の授業の重要性を指摘し、そのために総合学習が役立つとする声もある。
「ゆとり教育」の見直しで総合学習は大幅に削減される。果たしてそれでいいのか。学習意欲が低いままでは真の学力向上は望めない。もっと議論が必要だろう。
陸奥新報 2008年12月11日
国際学力調査/学ぶ意欲こそ伸ばしたい
日本の小中学生は、国際比較すると基礎的学力の習得はまずまずだが、学習意欲に課題があることが浮き彫りとなった。
二〇〇七年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)で、小学生が二教科とも前回の三位から四位に、中学生は数学が前回と同じ五位で、理科は六位から三位に上がったことが分かった。
TIMSSは、教育の到達度を評価する国際学会が四年に一度、小学四年と中学二年を対象に理数二教科で行っている。今回は五十九の国と地域が参加し、日本は小中それぞれ百数十校、数千人が受けた。
調査は、基礎的な計算や知識を問い、その習得度を測る問題が特色だ。暗記に左右される設問も多く、日本の子どもには有利とされる。
これに対して、もう一つの国際調査として知られる経済協力開発機構の学習到達度調査(PISA)は、知識の活用力を重視する。日本の成績が近年振るわず、学力低下論争の引き金となって、全員参加する全国学力テストの復活にもつながった。
今回の結果について、文部科学省は「学力の低下傾向に歯止めがかかった」と見ている。だが、果たしてそういえるのだろうか。そもそも「学力とはなにか」という論議が決着したわけではなく、手放しで「歯止め」とは言い切れない。
むしろ、今回の結果で注意を向けるべきは、中学生の学習意欲に課題が見つかったことではないか。「理数科の勉強が楽しいか」との設問で、「楽しい」という中学生は国際平均を19-27ポイントも下回っており、憂慮される点だ。
一方で「将来のために良い成績をとりたい」との意欲は決して低くなかった。つまり「勉強は楽しくないが、成績は上げたい」という受験にありがちな姿がのぞく。
国際比較で中学生の意欲の低さが目立つとはいえ、小学生の二教科は「楽しい」が前回より数ポイント増えた。「理科離れ」が叫ばれ、科学技術立国の将来に暗雲が立ちこめる中で、明るい兆しといえる。特に、理科の87%は救いである。教育現場での地道な努力と工夫の効果と受け止めたい。
ただ、こうした国別順位や細かい点数比較などにあまり一喜一憂したくない。大事なのは、詰め込み教育で「見かけの学力向上」を目指すのではなく、学ぶ喜びが感じられ、子どもの学習意欲を呼び起こす指導である。これを今後の課題と位置づけ、取り組みを強めることこそ重要だ。
神戸新聞 2008年12月11日
国際教育調査 学習意欲を高められるか
国際教育到達度評価学会が、小学四年、中学二年を対象にした二〇〇七年国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果を公表した。
日本は、小学四年が算数、理科とも参加三十六の国・地域中で四位、中学二年では四十八の国・地域中、数学が五位、理科は三位だった。〇三年の前回調査とほぼ横ばいで上位をキープ、中二の理科は六位から順位を上げた。
文部科学省は「学力低下傾向に歯止めがかかった」と評価しているが、そう言い切るのは早計ではないか。
TIMSSの設問は基礎知識を重視する内容になっているのが特徴で、詰め込み型の学力を反映しやすい。知識の活用力をみる経済協力開発機構の〇六年の学習到達度調査では日本の順位は低下しており、応用力をいかに育てていくかが課題になっている。
今回の調査で気がかりなのは、むしろ学習意欲の問題だ。中学二年の意識調査で「勉強が楽しい」としたのは、数学40%、理科59%で、国際平均より19―27ポイントも低い。小学四年では算数70%、理科87%と改善が見られるものの、中学へ進むにつれて勉強嫌いになる深刻な実態が裏付けられたといえよう。
文科省は、「ゆとり教育」から路線転換した小中学校の新学習指導要領を、理数を中心に来春から一部前倒しして実施する。しかし、授業時間が増えても、学習意欲が低いままでは「詰め込み教育」への逆戻りにすぎなくなろう。
理数離れの子どもの興味、関心をいかにして引き出すか。授業で日常生活への応用を重視したり、実験や観察を増やすのはもとより、企業の力を取り入れるなど、学校現場の地道な努力と工夫が一層求められる。
山陽新聞 2008年12月11日
国際学力調査 学ぶ意欲をどうはぐくむ
勉強の成績はそう悪くない。それなのに、どうも学習意欲が乏しい−。
国際教育到達度評価学会が公表した2007年国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果を見ると、日本の子どもたちのこんな姿が浮かび上がる。
調査は、各国の小学4年生と中学2年生を対象に実施された。日本の順位は小学4年が算数、理科とも4位、中学2年が数学5位、理科3位で、ほぼ前回03年調査と同じレベルを維持した。平均得点も前回と同点だった中二数学以外、わずかながら前回を上回った。
「順位は国際的に上位にある」。文部科学省は胸を張り、「学力低下傾向に歯止めがかかった」と分析している。
これだけで楽観はできないが、今回の調査結果は素直に評価していい。
だが一方で、安心しておれないデータも明らかになった。学習意欲の低さである。過去のいろんな学力調査で何度も言われてきたことだ。学力と学ぶ意欲の間に乖離(かいり)があり、しぶしぶ勉強しているとすれば、こちらの方が問題だろう。
「勉強が楽しい」と答えた子どもの割合が、小学4年の理科を除いて、いずれの科目とも国際平均を下回った。それでも小学4年は算数、理科とも前回を上回っており、改善の兆しが見えるが、中学2年の勉強離れは依然、深刻である。
また、中学2年の場合、何のために学ぶのかという意識が極端に低いのも気掛かりである。「理科を勉強すると日常生活に役立つ」と思う生徒は53%(国際平均84%)にとどまる。「将来、自分が望む仕事に就くために、数学で良い成績をとる必要がある」と考える生徒は57%(同82%)で、最低水準だった。
確かに学ぶ意欲は厄介だ。価値観が多様化し、何をしたいのか、どんな仕事に就きたいのか、子どもたちが将来を描ききれない時代だ、との指摘もある。
学ぶ動機をどう付けて、やる気をいかに引き出すか。難題ではあるが、学校現場の取り組みに期待したい。来年度から理数教科を中心に新学習指導要領が順次実施され、授業時間も学習内容も増える。しかし、それだけで学習意欲が高まるわけではない。子どもの気持ちを引き付ける魅力ある授業が必要だろう。
国立教育政策研究所は2年前、小中学生を対象にした抽出学力調査を基に、指導改善の具体策を示している。例えば、算数・数学では身の回りの現象や日常生活と結び付けた指導を提言し、計算式を機械的に暗記させるより「なぜ計算するのか」「何が分かるのか」と計算の意味を理解させる重要性も説いている。
日本の教育現場はどうしても知識詰め込みに偏りがちだと言われるが、授業の改善は少しずつだが広がっている。今回、小学生の学習意欲が向上しているのも現場の努力の成果ではないか。国や自治体は、そうした先生たちの実践を推奨し、強力に支援してもらいたい。
西日本新聞 2008年12月11日
理数系の力 詰め込み教育では向上せず
2007年国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が出た。
日本の小学4年は算数、理科ともに前回の3位から4位に下がり、中学2年は数学が前回と同じ5位で、理科は6位から3位に上がった。
平均得点はほぼ前回を上回った。文部科学省は「国際的に上位を維持、学力の低下に歯止めがかかった」と総括しているが、これは楽天的すぎる。
TIMSSは、学校で学ぶカリキュラムの達成度測定が目的。短答式、選択式が中心で教室で詰め込み式の授業を行えば、早期に成果が出る性質のものである。
■知識がすぐに陳腐化■
情報化社会では、知識がすぐに陳腐化するという。従って、知識の量だけではなく、それを生かす能力が問われる。
経済協力開発機構の学力調査(PISA)が知識、技能の活用力に主眼を置くのもそのためだ。
その意味では、今回の調査で「勉強が楽しい」という小4の割合が前回より改善したのは一歩前進だ。だが、中2では数学、理科ともに前回と変わらず、国際平均を大きく下回った。
意欲があってこそ、本物の学力が身につく。それ抜きに「学力低下傾向に歯止めがかかった」(文科相)と喜んでいる場合ではない。気になるデータも並ぶ。
算数・数学の授業では小4、中2とも「公式や解き方を覚える」という割合は国際平均を上回る。生徒の実感的理解につなげる「学んだことを日常生活に結び付ける」割合は、国際平均を大幅に下回る。中2では対象国の中で最低である。
■講義式が平均の2倍■
実験が大切な要素である理科授業も教師から説明を聞く「講義式」が中2で47%を占める。これは国際平均(25%)の倍近い。
詰め込み主義が一般化すれば子どもの興味や関心は二の次になってしまう。自ら学ぼうとする気持ちは薄らぐばかりだろう。
学級規模の問題も背後に横たわっている。
理科授業の平均は、小4が31人(国際平均26人)、中2が35人(同30人)と国際平均より多い。
興味、意欲を育てるためには教師が児童・生徒が発想するすべてのことに気付く規模にしたい。
理数重視を掲げた次期の指導要領は算数・数学、理科の授業時間、内容を大幅に増やしているが、教員定数などを改善する見通しは立っていない。
求められているのは授業の量ではなく質の向上である。
今の子どもたちは生活体験が絶対的に不足している。
それを補い、学習意欲を引き出すためには、周到な仕掛けと意欲を刺激する教師力が欠かせない。
詰め込み教育を復活させるだけでは時代から取り残されることを覚悟しなければならない。
宮崎日日新聞 2008年12月11日
[国際教育調査] 点数より意欲伸ばそう
小学4年と中学2年を対象にした国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表された。2007年春の実施だが、平均得点はすべて前回(03年)を上回り、参加国・地域が増える中で上位を維持できた。
世界各国が同じ尺度で学習理解度を測るテストで、前回は順位の下落が目立ち、学力低下論争が沸騰することにつながった。国際的に高い水準という今回の結果に、文部科学省は「学力の低下傾向に歯止めがかかった」と胸をなで下ろしている。
小4が算数、理科とも4位と前回から1つ順位を下げこそすれ、中2は数学が前回と同じ5位で理科は6位から3位に上がった。だが、点数や順位のわずかな上下に一喜一憂するのは楽観的すぎるだろう。TIMSSは短答式・選択式が中心で、詰め込めば成果が出やすい面がある。
同時に行った意識調査で学習意欲の乏しさが裏付けられたことは見過ごしにできない。「勉強が楽しい」と答えた割合は小4で改善がみられたものの、中2は前回と変わらず、国際平均を20−30ポイントも下回ったままである。中学に進むにつれ、勉強嫌いが高じる状況は深刻な問題だ。
算数や数学の授業で「学んだことを日常生活に結び付ける」割合が、国際平均を下回っているのは、その一因と考えられる。特に中2は対象の48の国・地域中最低だった。理科でも、日常生活と関連づける指導は国際平均以下で、教師の説明を聞く講義式の授業が占める割合は、国際平均の倍近い47%に達する。
学んだ知識が役立ったという経験の積み重ねは、意欲や関心を呼び覚ますことになる。ひたすら知識を詰め込むようなやり方を繰り返しては興味や関心は二の次になり、本物の学力が身につくはずがない。
経済協力開発機構が行う国際的な学習到達度調査(PISA)が、知識、技能の活用力に主眼を置いているのもそのためだ。直近の06年のPISAで、日本は読解力、応用力などすべての項目で順位を下げ、意欲の低下傾向を浮き彫りにした。
興味や関心、意欲を重視した「ゆとり教育」が学力低下批判にあおられて、知識重視に回帰したことがこうした結果を招いたともいえる。
理数重視を掲げた次期の学習指導要領は、授業時間や内容を大幅に増やす方向で改定された。だが、今必要なのは「量」ではない。学習意欲を引き出せるような指導力の向上と授業の「質」の改革を急ぐべきだ。
南日本新聞 2008年12月11日
国際学力調査 まだ「トップ」と胸張れず
小学4年と中学2年を対象にした「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)」の結果が公表された。
各教科3〜5位という成績に文部科学省は「学力低下に歯止めがかかった」とみているが、安心はできない。子供たちの学力に課題はなお多く、指導の工夫など一層の向上策が必要だ。
この調査は、オランダに本部を置く「国際教育到達度評価学会」が4年ごとに実施している。経済協力開発機構(OECD)が高校1年を対象に行う調査(PISA)が応用問題中心なのに対し、基礎的な問題を重視している。
前回の平成16年にこの2つの国際調査結果が相次いで公表され、当時の中山成彬文科相が学力低下を認めて「ゆとり教育の見直し」を表明するきっかけになった。
今回の成績について文科省は「国際的に上位を維持」としているが、実態は横ばいで「トップ」と胸は張れない。文章題や記述式問題の成績が相変わらず悪い。
昨年公表されたPISA調査では、文章や図表などから情報を読み取り、自分の考えを書く読解力問題が苦手で、情報発信や意見表明ができる国際的な人材育成に影を落としている。
シンガポールでは、理工系の人材育成に真剣に取り組んでいる。韓国では、PISA調査で日本が不振だった読解力でも好成績をあげている。
国際学力調査に参加していない中国も、国際数学オリンピックでは上位を独占している。アジアの「ライバル」たちに比べ、日本の勢いは感じられない。理科離れが懸念されているのが現状だ。
意識調査で「自分の成績がいい」と自信を持っている子供や「勉強が楽しい」という割合が中学生で低かったのも心配だ。
ゆとり教育の反省から新しい学習指導要領で授業時間を増やし、教科書の内容も充実させる。おもしろさを教え、意欲を引き出す授業の工夫も欠かせない。
ノーベル賞の記念講演で物理学賞の益川敏英氏は、父親から理科の知識や楽しさを教わったエピソードを披露した。幼いころから学問への興味や関心を育てる環境づくりを家庭でも考えたい。
政府の教育再生懇談会は公立校の学力アップなどを掲げ、再始動する。学力向上の取り組みは続けねばならない。実効性と魅力ある議論と提案を期待する。
産経新聞 2008年12月10日
文科相・識者談話=07年国際調査
◇取り組みに一定の成果
塩谷立文部科学相の話
各学校などにおける取り組みが一定の成果を上げつつある。今回の調査で明らかになった成果や課題も踏まえ、理数教育を充実させた新学習指導要領の円滑な実施を図るなど、一層の学力向上を進めていきたい。
◇成果の背景探るべきだ
竹内洋関西大教授(教育社会学)の話
勉強を「楽しい」と感じる中学生の割合が依然低い。かつては激しい受験競争が学習を促す圧力になったが、ポスト受験社会では、勉強が面白いとか役に立つという意識を持たせ、意味を見いださせる必要がある。しかし、教員が外圧に頼った指導を続けるなど、受験社会の後遺症が残っているのではないか。小学生で「楽しい」の割合が増えたことは重要で、どんな取り組みが成果を上げたのか背景を探り、今後に生かすべきだろう。
◇文章で答える訓練を
橋本健夫日本理科教育学会会長の話
今回の結果だけで学力低下に歯止めが掛かったとまでは言えないだろう。苦手意識を持つ子供がまだ多く、理科離れの状況は続いている。選択式より記述式の問題で正答率が低く、上位国と比べると一定以上の点数を取った割合が少ない。学校教育では答えだけを問うのではなく、理由を考えて文章で答える訓練が必要だろう。教員育成も課題で、能力を高めなければ授業時間を増やしても指導内容の拡大に追われるだけになってしまう。(了)
時事通信 2008年12月10日
国際学力調査―魅力ある授業がかぎだ
各国の小学4年と中学2年を対象に昨年実施された国際数学・理科教育動向調査の結果が公表された。
いずれの科目も順位は前回、03年並みの3〜5位。平均得点は、どの科目でも前回と同じかやや上回った。
03年の調査の結果は、それ以前より落ち込んだ。同じ年の経済協力開発機構(OECD)の調査でも低落傾向がみられたことから、日本の子どもの学力が低下したと騒がれた。
文部科学省は今回、「学力低下に歯止めがかかった」との見方を示した。たしかに数字は前回をやや上回っている。しかし、この直前に実施されたOECD調査では、科学的、数学的な応用力でいずれも順位を下げている。ほっとするのは早計だろう。
それに、順位や得点の多少の上下に一喜一憂するよりも、もっと気がかりなことがある。日本の子どもたちの勉強への意欲の乏しさである。特に中学生で「勉強は楽しい」と答えた割合が最低レベルだったのは深刻だ。
今年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏の言葉を思い起こしたい。
「本来みんなが持っている好奇心が選択式テストの受験体制ですさんでいる。教育汚染だ」
ではどうすればいいのか。
何よりも授業の改善だろう。OECD調査では、理科の授業で身近な疑問に応えるような教え方をしてもらっているという割合が最低レベルだった。
昔とは違って、テレビゲームや携帯電話など教室の外には興味をそそるものがあふれている。今の子どもの環境や生活に即して、いかに好奇心や疑問の芽を引き出して育てるか。「受けたい授業」を工夫しなければいけない。
だが今の先生は、事務や生活指導など授業以外のことでも忙しい。先生の尻をたたくだけでは解決しない。
国立教育政策研究所などが中学の理科教員を対象に今年実施した実態調査から、現場の悩みが浮かび上がっている。工夫をこらした授業は徐々に広がってはいる。ただ観察や実験のための時間が足りないという。優れた教材や指導法についての情報を求める声も、若い教員から強く上がっている。
そんな訴えに応えたい。教師の雑用を極力減らし、教材や指導法の研究に力を注げる体制を整える。優れた授業の情報を共有する。そうした条件整備には今すぐに取り組むべきだ。
さらに益川さんが指摘しているように、入試制度の改革も必要だ。知識はあるが、応用力が弱い。未知の問題に向き合った時の解決能力が乏しい。それが日本の子どもたちに対する評価である。その主な原因の一つが暗記中心の入試制度にあることは確かだろう。
文科省がしきりと口にする「生きる力」を育てるために、なすべきことは少なくない。
朝日新聞 2008年12月10日
国際学力テスト 理数をもっと好きにさせたい
学力を伸ばすには、まず意欲や関心を持たせることが大切だ。
国際教育到達度評価学会が、小学4年生と中学2年生を対象に行った2007年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果からは、そんな日本の教育課題が浮かぶ。
日本は、小4が算数、理科ともに参加36か国・地域中4位、中2では48か国・地域中、数学5位、理科3位だった。得点も含めて、前回の03年と同レベルで、上位を維持した。
近年、理数系の学力低下が指摘されてきたが、文部科学省は「歯止めがかかった」としている。
だが、果たしてそうなのか。
心配なのは、同時に実施された意識調査における学習意欲の問題だ。小学生は改善の兆しが見られたが、中学生は深刻である。
算数・数学と理科の勉強が「楽しい」と答えた子どもは、小4ではそれぞれ7割と9割だが、中2では4割、6割と、国際平均より約20〜30ポイントも低い。
また、理数の学習が「日常生活に役立つ」と思う中2の割合はいずれも最下位レベルで、「希望する大学進学や就職に良い成績が必要」とする回答も少なかった。
こうした傾向が続けば、以前に比べて低下している大学や大学院の理工系学部・課程への進学率は、ますます下がりかねない。
小中学校の理数は、新学習指導要領が来年度から前倒し実施され、授業時間と内容が増える。
まずは、理数をもっと好きにさせることから取り組みたい。教科書の内容を補う教材をどう使ったらよいのかなど、教育現場の努力や工夫が重要になる。
文科省は07年度から、小学校の理科の授業に大学生や退職教師らが「支援員」として参加し、実験の準備をしたり児童の質問に答えたりする事業を始めている。
来年度からは、小中学校の理科授業の中核となる教師を、主に大学の理工系学部で養成する計画もある。豊富な知識に裏づけられた興味深い授業で、子どもの意欲と学力を高めたい。
今年は日本人が相次いでノーベル物理学賞と化学賞を受賞した。物理学賞の益川敏英・京都産業大教授は、「若者が科学に取り組む原動力は、偉大な科学者に対するあこがれや好奇心だ」と話す。
学問や研究を究めた格好のモデルが、日本にもある。資源の乏しい日本では、優れた科学技術が、国づくりに大きな役割を果たしていることも教えたい。
讀賣新聞 2008年12月10日
国際学力比較 点や順位で一喜一憂やめよう
「学力の低下傾向に歯止めがかかったと考えています」と、文部科学相のコメントは久しぶりに安堵(あんど)感をにじませている。
確かに、小学4年、中学2年を対象にした07年国際数学・理科教育動向調査は、算数・数学、理科の平均得点がわずかながら前回(4年前)以上になり、いずれも参加国中の5位以内に入った。
だが、勉強を楽しんだり、将来の夢に結びつけるような意欲の高さについてはどうだろう。前よりよくなってはいるものの、中学では依然国際レベルに届かない。授業は大体理解はするけれど、あまり心が弾まない−−。そんな教室の子供を思うと、点や順位よりこちらの問題がより深刻だ。
調査は、日本の子供たちが小学校から中学へ進むにつれ、勉強嫌いになる傾向を裏づける。「勉強が楽しい」という子供は小4の算数で70%(国際平均80%)だが、中2の数学では40%(同67%)にまで落ちる。
また、「希望の職業に就くために良い成績を取りたい」と思うのは、中2の数学で57%(同82%)、理科で45%(同72%)。数学は前回より10ポイント伸びて改善したが、海外と比べればなお隔たりは大きい。
学校外の時間の使い方を見ると、「宿題をする」「家の手伝いをする」時間は小中いずれも国際平均を下回り、逆に「テレビやビデオを見る」は上回った。
こうした差異の背景には社会の価値観や国情の違いもあるだろう。しかし、高校1年を対象にした06年の経済協力開発機構(OECD)の国際学力テストでも理科学習について「楽しさ」などを調べると参加国中最下位になった。年長になるにつれ意欲低下する傾向は変わらず、それは昨今の大学生の低学力問題にもつながっているはずだ。
学校の努力や取り組みで状況はある程度改まるには違いない。しかし、学習動機や意欲は家庭と社会環境にかかわり、将来の夢や希望が重要な起因となる。家庭や地域の役割と責任の大きさはいうまでもない。
昨年から始まった全国学力テストの市町村や学校の成績公開の是非をめぐり、各地で論議になっている。さまざまな選択があるだろうが、細心の注意と共通認識が必要なのは、数字だけを独り歩きさせる危険だ。
何年生を対象に、何の教科で、どんな内容のテストをし、何の力(学力)を確かめようとしたのか。そうしたことが広く理解されているとは言い難い。すると数字はただ順位をつける手段で、空疎な優劣を焼き付けるだけになりかねない。
子供たちそれぞれの学力については個別の指導が有用であり、テストは本来その補助になるものだ。数値を自己目的化させ、その上下に一喜一憂することはやめ、結果をどう一人一人の指導に結実させるか。そこに立ち戻るべきだ。
毎日新聞 2008年12月10日
数学と理科 『楽しい』を増やそう
国際数学・理科教育動向調査で日本の児童生徒の成績は上位を保ったが「勉強が楽しい」という割合は中位以下だった。子供の意欲や探求心を高めていかないと科学立国としての将来は危うい。
この調査は四年に一度行われ、二〇〇七年三月の結果が出た。小学四年は三十六カ国・地域のうちで算数、理科ともに四位、中学二年は四十八カ国・地域のうちで数学は五位、理科は三位だった。
上位を維持しており、文部科学省は「前回調査で指摘された学力の低下傾向に歯止めがかかった」と安堵(あんど)している。
しかし、気がかりは理数学習への意欲や姿勢だ。希望の職業に就くため良い成績を取ろうと思う中学二年は国際的にみて少ない。
職種が細分化されて職業選択の幅が広い先進国では、理数学習への意欲低下がみられる。日本は理数系の仕事が厚遇されていないことも影響しているのだろう。
「勉強が楽しい」という子の割合も、小学四年の理科だけが国際平均を上回ったものの順位は中位どまり。算数や中学二年の数学、理科はいずれも下位だった。
理数の勉強が「楽しくない」ということは学習現場に問題があることを示し、知識詰め込みの教育と関係があるのではないか。
検定制度があるため教科書はどれも中身が似ている。授業でそんな教科書の内容を全部消化しようとして時間が足りなくなれば、実験や観察が削られていく。
入試も、採点作業の関係から知識を問う問題に偏りがちだ。
ゆとり教育の転換から理数の授業時間増がすでに決まった。学習指導要領の範囲を超えた「発展的学習」の教科書への記述は上限枠が廃止されようとしている。
理数は強化されるが、知識の詰め込み偏重のままでは「つまらない」と思う子が増えるだけだ。
十日は益川敏英さん、小林誠さん、下村脩(おさむ)さんが列席して今年のノーベル賞授賞式が行われる。
理科教育について物理学賞の益川さんは「若者が面白いと興味を持つ『種』を広くまくことが重要だ」と話し、小林さんは「子供は体験から知識を得ることが大切」と語っている。二人の言葉は課題を明確に指摘している。
どう、教科書に「種」をまき、授業に「体験」を取り入れるか。「楽しい」「面白い」がなければ、益川さんたちの後に続く研究者は出てこない。子供の探求心を育てる理数教育に転換し、科学技術力が誇れる国を目指したい。
中日新聞・東京新聞 2008年12月10日
教委、異動辞令書を廃止=静岡県
静岡県教育委員会は、異動辞令書の印刷、交付を2008年度末の定期人事異動から原則として廃止する。知事部局では既に廃止しており、異動辞令書に代わって、伝達用の一覧表を所属長に配布することにする。
県教委の異動対象者は約5000人に上り、辞令書の作成やチェック作業だけで膨大な事務負担になるため、合理化の一環として廃止を決めた。ただし、採用や退職のほか、育児休業など条例で定められている場合については、引き続き交付する。
また、新任校長らに対して、本庁と県内2カ所の教育事務所で行われていた辞令伝達式についても簡素化する方向で見直す。
異動履歴は、これまで教職員自身が新しい所属部署に履歴書を持ち運ぶ形で管理していたが、辞令書の廃止に伴い10年度以降、本庁の人事給与システムで一括して電子的に管理する方針という。(了)
時事通信 2008年12月9日
子どもと携帯 「禁止」より情報教育で
大阪府の橋下徹知事が、府内の公立小中学校への子どもの携帯電話の持ち込みを禁じる方針を打ち出した。高校では持ち込みは認めるものの、校内での使用を禁止する。
子どもたちの携帯電話への依存が高まり、いじめや犯罪の危険性が増えている実態を受けての対策という。知事が力を入れる学力向上対策の一環でもある。携帯電話をしていると勉強の時間が減る−というわけだ。
確かに、学校に携帯電話を持ち込む必要は乏しい。橋下知事の言い分にはもっともな面がある。
だからといって、携帯電話を学校から“追放”すれば解決するほど、ことは単純ではない。
問題は携帯電話にあるのではなく、その使い方である。学校裏サイトも、メールによるいじめや中傷も、その大元は子どもを取り巻く人間関係に根差している。
情報を取捨選択して自分で判断できる「メディア・リテラシー」を学んだり、コミュニケーションの力をつける。いま必要なのは、そうした地道な取り組みから、情報社会の中で携帯電話とのつきあい方を見つけていくことだ。
内閣府の昨年の調査で、小学生の3割、中学生は6割が携帯電話を持っている。高校生に至ってはほぼ全員だ。携帯電話の普及の流れは止められないだろう。
橋下知事のアピールは、学校現場にとっては今さらの感が強い。大阪府内の小中学校は、約9割が持ち込みを禁止している。長野県内の小中学校は持ち込まないことが不文律の原則だ。
防犯上の理由で保護者が持たせたいという子どもの携帯電話は、学校では担任が預かるなどの取り決めをしている。
悩ましいのは高校だ。県内では持ち込み禁止を明文化している高校もある。それでも隠して持ち込む生徒はいる。マナーモードにしておけば見つからない。
強圧的な禁止は、教育現場にはなじまない−との声が教師の間に強い。結局は、生徒のモラルを育てていくことが大事になる。
下伊那農業高校は十数年前、携帯電話の持ち込み禁止を決めた。一方で、インターネットや携帯電話の使い方の指導にも力を入れている。学校や家庭で取り組みを深めていくことが欠かせない。
橋下知事の方針には、閣僚から賛同する意見が相次いだ。携帯電話を“悪者”にするのは分かりやすい。けれど、安易な排除や規制は解決にはならないことを、肝に銘じてもらいたい。
信濃毎日新聞 2008年12月9日
高校入試 問題生徒をどう受け入れる
公立高校で不適切な入試が相次いで明るみに出た。背景に、生徒指導に苦慮する学校現場の姿が見えてくる。
神奈川県立神田高が2005、06、08年度の入試で、服装や態度の乱れを理由に、合格圏内だった22人を不合格にした。
問題は、服装や態度という要素が選考基準になかったことだ。
県教委は、「選考基準にこの点を明示しておくべきだった」として、校長を更迭した。
この“処分”に対し、県教委には約1400件、読売新聞にも約300件の反響が寄せられたが、9割が前校長を支持している。「入試にきちんとした格好で行くのは常識だ」という意見も多い。
人生の選択の場にふさわしい服装や態度で臨むのは、確かに常識だろう。常識を選考基準として明示するのかという疑問は、もっともである。
高校は義務教育ではなく、各校独自の基準があってよい。
ただ、神田高の入試でも、内申書と面接だけで選ぶ試験で、面接態度が最低評価なら順位を下げることを選考基準に明記した際には、問題は生じなかった。
他校との統合を控え、神田高は07年度にこの方式をいったんやめたが、09年度入試では復活させる。やはり明示するのが適切ということだろう。
一方、東京都立日本橋高は、05年末に自主退学した2人が06年度入試を再受験した際、点数を改竄(かいざん)し、受験生62人中この2人だけを落とした。
都教委は、改竄が虚偽の公文書を作成した犯罪にあたる可能性もあるとして、当時の校長らの処分と刑事告発を検討している。
日本橋高の場合は弁解の余地がない。ただ、不合格の2人は、校内での暴力行為などを問われた事実上の退学処分だった。
現在の都立高入試では、退学処分でも同じ高校の受験が認められている。暴力行為を犯した本人がすぐに再入学してくれば、被害者の生徒はたまらないだろう。
校長の判断で、退学処分にした生徒は少なくとも一定期間受け入れを拒めるなど、応募資格の変更を検討すべきではないか。
生徒指導の困難な学校には、教員を手厚く配置するなど教委による支援体制充実が欠かせない。
親や小中学校教員の責任も重い。文部科学省の07年度調査では、児童生徒による暴力行為の件数は、小中高ともに過去最高だった。家庭でのしつけや道徳教育が、極めて大切だ。
讀賣新聞 2008年12月8日
教科書検定 透明性アップに一歩前進
小中高校で使う教科書の内容が適切かどうかチェックする教科書検定審議会について、文部科学省の改善案がまとまった。
検定審議会はこれまで原則非公開で、総会の議事概要しか示していなかった。今後は日本史や世界史など教科ごとに分かれて検定を行う各部会の大まかな審議内容や決定事項も検定終了後に公表するとした。
個別の審議内容の公表は初めてである。検定終了後とはいえ、審議の透明性アップに向け一歩前進と評価できよう。
検定審議会は有識者らで構成している。教科書会社が編集した原稿段階の教科書の内容を審査し、修正が必要と判断した場合、教科書会社に対し検定意見として修正や改善点などを指摘する。
昔から「密室審議」として批判が強かった。何がどう問題になり、どういう議論を経て結論が導かれたのかほとんど分からず、不透明さや政治介入の懸念などがつきまとっていた。
今回の改善案のきっかけは、昨年の高校日本史検定だ。沖縄戦の集団自決について「日本軍による強制」という記述の削除・修正を求めた検定意見に対し、沖縄県民を中心に根拠や経緯が不明確との批判が相次いだ。当時の安倍政権が、従来の歴史認識に否定的だった影響を受けたとの見方も多かった。
この混乱を受け、検定審議会に検定作業の透明化を検討するワーキンググループが設けられ、文科省側が改善案を示した。検定審議会は提案を基に年内にも正式な改善策を決める。
文科省の改善案は、各部会の議事概要の初公表のほか、検定意見の原案となる調査意見書を作る大学教員らの氏名や職歴も公表する。選考基準が不透明という指摘があっただけに、妥当な判断だろう。
議事概要の事後公表を前提にすれば、国民の視線を意識して恣意(しい)的な発言は減るだろうし、より緊張感のある議論が期待できる。
ただ大きな課題は残ったままである。市民団体は審議自体の公開も求めていたが、文科省は「静かな審議環境を確保する」として見送った。
教科書検定は国民の関心が高い。情報公開と説明責任が重視される時代だ。事後公表では結論に関して意見を言おうにも、後の祭りという面がある。
信頼性を高めるには、やはり審議公開を基本にすべきだろう。過渡期の措置として、中間報告を出して国民の意見を募るという方法も考えられる。改善策の正式決定に向け、議論を深める必要がある。
山陽新聞 2008年12月8日
【教科書検定】透明性は少し高まるが
文部科学省が教科書検定の透明性を高めるための改善案をまとめた。
沖縄戦の記述などをめぐり「密室検定」と厳しく批判された検定過程が、大まかにではあるが公表される。ただし、教科用図書検定調査審議会の内容は議事概要の公表にとどまるなど、まだ十分とはいえない。
検定は教科書会社が編集した教科書を、大学教員らから採用された教科書調査官が調べて意見書を作成。それをもとに検定審で審議し、必要と判断した場合には修正を求める、という仕組みになっている。
ところが、その過程は外部からは全くといってよいほど分からない。検定審は非公開の上、事後に公表されるのは総会の議事概要だけだ。検定終了後に検定意見書や修正個所などは公表されるものの、修正に至る経過は一切明らかにされていない。
「静かな審議環境を確保する」として公表を拒んできた文科省が重い腰を上げたのは、高校の日本史教科書の検定がきっかけだ。沖縄戦の集団自決について、「日本軍による強制」との記述に対し削除・修正を求めた検定意見が大きな問題となった。
改善案によると、調査官の意見書、教科ごとの部会の大まかな審議内容や決定事項を記載した議事概要を検定終了後に公表する。また、検定審委員の所属部会のほか、選考基準が不透明との指摘があった調査官の氏名や職歴も公表することになった。
これにより、調査官、部会、審議会の各段階でどのような意見が出て修正意見に至ったのか、などが明らかになる。あくまで事後の公表とはいえ、これまでの密室的、権威主義的な検定に風穴が開くのは間違いない。
ただし、各部会や審議会は依然として非公開のままだし、誰の意見かなど詳細な審議内容も公表されない。新たに公表される事項についても、検定作業が終わった後になるという点にも大きな問題が残る。
政府の審議会などは原則公開するのが本来の在り方だ。検定過程で外部からさまざまな意見が出るのを懸念するのであれば、議事録を事後に公表するなど、さらに透明性を高めるための工夫は可能だろう。
検定の過程で文科省の内外から一定の価値観や政治的な思惑が入るのを防ぐためには、国による検定制度そのものの抜本的な改革が欠かせない。
高知新聞 2008年12月8日
教科書検定 圧力の排除が透明性の前提だ
教科書の検定は、外部の圧力や干渉を排除することが何より重要だ。その作業の透明化は必要だが、あくまでこうした点に十分に配慮した仕組みであるべきだ。
文部科学相の諮問機関、教科用図書検定調査審議会の作業部会が、検定のあり方を改善する案をまとめた。
改善案では、検定後、実質的な審議が行われた部会や小委員会の議事概要、検定意見書の原案、各委員の所属部会や小委員会などを公開する。また、意見書原案を作る文科省の教科書調査官の氏名や職歴も明らかにする。
これまで部会や小委員会では、議事概要自体が作られていなかった。また、検定後、検定意見書は公表されるが、原案は対象になっていなかった。
今回の改善案作りは、昨年、高校日本史の教科書検定で沖縄戦の集団自決をめぐり、「審議の経過が不透明だ」などと批判されたのを受けたものだ。
改善案が、検定の透明性に配慮する一方、審議の非公開を維持し、記録の公開も検定後としてバランスを取ったのは、妥当な判断だ。冷静で自由な議論を交わすには、静かな環境が確保されていなければならないからだ。
教科書検定をめぐっては、過去にも国内外の不当な干渉にさらされ、そうした環境が保たれているとは言えない例があった。
「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーが執筆した中学歴史教科書をめぐる騒動も、その一つだ。2001年春に検定結果が出る半年も前から、国内の一部や中国、韓国政府の“圧力”があった。
今年改定された中学校社会科の学習指導要領の解説書には、竹島が日本の領土だと教えるよう、初めて盛り込まれた。韓国が抗議し、駐日大使が一時帰国する騒ぎになった解説書だ。
その解説書に沿った教科書の検定は10年度に実施されるが、仮に検定中に経過が明らかになれば、混乱が予想される。学術的な見地から適切な記述かどうかを議論する環境は、到底保てまい。
検定審は、同じ文科相の諮問機関でも、中央教育審議会などとは性格が大きく異なる。
中教審は行政施策のあり方などを議論するが、検定審は、教科書会社が申請した本を審査し、合否を決定するという行政処分を下す。教科書会社にとって不利益な不合格決定を出すこともある。
公開のあり方におのずと違いがあるのは、当然だろう。
讀賣新聞 2008年12月7日
教科書検定改革 公開は内容の充実につながる
扉の向こうで何を論じているのかわからない。木で鼻をくくるような情報しか出てこない。こんな批判がされてきた学校教科書の検定プロセスについて、文部科学省が「透明性を高める」改革案をまとめた。
今の手続きでは、まず教科書出版社の申請本を、文科省採用の職員である教科書調査官が専門分野ごとにチェックする。そして「調査意見書」を作り、教科用図書検定調査審議会(検定審)にかける。これは文科相の諮問機関で、有識者らからなり、部会や小委員会に分かれている。
ここが調査意見書をもとに審査し、その報告に基づいて文科省側が問題とされた部分を挙げた「検定意見」を出版社側に通知、修正を促す。これに応じて出された修正表が再び審査され、検定合否が決定する−−という流れをたどる。
ややこしいうえに、他の多くの審議会のように審議そのものが公開されていないため、そこにどのような意見や論理が働いているのか、圧力はないのか、といぶかる声が出ていた。端的に表れたのが昨年春、高校の日本史教科書の検定で沖縄戦集団自決の旧軍関与について記述が改められた問題だ。沖縄県をはじめ反発が広がり、検定の密室性への批判が高まり、文科省側も改善の検討を表明した。
改革案では、従来伏せてきた調査意見書と審議会の議事の概要を審査終了後に公表する。また、大学教員や研究者らの中から推薦などで採用され、検定意見の原案になる調査意見書を作って実際的な影響力を持つ教科書調査官についても氏名、職歴を明らかにする。
この程度では、あるべき公開の姿には遠い。文科省は「静かな環境で自由闊達(かったつ)に論議してもらうため」というが、事後になってもなお、議事録も出せないというのでは説得力を欠く。「概要」の要件もあいまいで、ふたを開けたら、木で鼻をくくったものだった、ではたまらない。
しかし、改善に踏み出したことには違いない。検定審も「国民の教科書に対する信頼確保」を最重視している。さらに公開度を高める工夫をし、後退することがあってはならない。
それは何より、開きたくなる魅力的な教科書づくりのためになるはずだ。歴史教科書に限った問題ではない。どの分野であれ、検定過程がオープンになり、関心や論議が広がることは、教科書をより充実、進化させるのに極めて有用だ。
文科省は既に教科書の内容で学習指導要領の範囲を超えた記述の制限を取り払うことを決めた。検定過程透明化への流れと記述規制緩和の流れは、必然的に検定制の存否論議にもつながろう。
私たちは、まず段階的に高校教科書を検定対象から外すことも検討してはどうかと提案してきた。これにも闊達な論議を望みたい。
毎日新聞 2008年12月7日
重い教育費 大学4年間で約700万円 高校からは1000万円超
大学4年間でかかる教育費が、子供1人当たり平均約700万円にのぼることが5日、教育ローン利用者を対象にした日本政策金融公庫の調査で分かった。高校からの出費を加えると、私立大学生では総額1000万円を超えており、教育費が家計を圧迫している実態が浮かんだ。
調査は、公庫の教育ローンを利用した約2800人から回答を得た。
大学の入学時にかかる費用は平均約95万円。また、授業料や通学費、教科書代などの教育費は、年間で平均約154万円かかっている。国公私立別では、私立大学が約159万円で、国公立大学の約104万円と50万円以上の差があった。
大学4年間の教育費の総額は平均約697万円。高校からの教育費を加えると、国公立大生は834万円にとどまったが、私立大生では、文系学部で1003万円、理系学部で1140万円と、ともに1000万円を超えた。
子供が下宿している場合、さらに仕送りが家計にのしかかる。年間の仕送り額は平均96万円で、1月当たりは8万円。年間100万円以上を仕送りしている世帯は45・5%を占めた。
教育費の捻出(ねんしゅつ)方法は、「教育費以外の支出を削る」が61%でトップで、「奨学金」が49%、「本人のアルバイト」が42%。節約している支出は「旅行・レジャー費」が62%で最も多かった。
公庫では「多少苦しくても、子供のために教育費を捻出する世帯が多く、低所得層ほど家計を圧迫する傾向が強い」と話している。
産経新聞 2008年12月6日
教科書検定/審議の公開へやっと一歩
教科書検定でどんな審議を重ねたか、その内容や決定事項を記載した議事概要を、検定の終了後に公開する。文部科学相の諮問機関、教科書検定審議会の作業部会が、そんな素案をまとめた。
教科書検定は作業過程が原則非公開で、唯一明らかにされるのは審議会総会の議事概略のみである。文科省は検定結果を発表するだけで、削除や修正に至った論議や経緯は一般に知らされなかった。これでは「密室審議」と批判されても仕方ない。
まだ素案ではあるが、議事概要が公表されれば、「密室」から一歩踏み出すことにはなる。検定作業がベール越しながら少しはうかがい知ることもできるだろう。
しかし、公表は「概要」にとどめ、「詳細」は明らかにしない。これで情報公開を求める声に応えられるだろうか。「概要」が公開と呼ぶにふさわしい内容になるのか、まだ不透明といってよい。
教科書検定をめぐっては、昨年の高校日本史教科書で、沖縄戦の集団自決について「日本軍による強制」という記述の削除・修正を求めた検定が、波紋を広げた。沖縄では体験者たちから強い反発が出て、知事を先頭に大きなうねりとなって政府を動かし、異例の再検定にまで発展した。
その際、検定過程の不透明さに批判が集まった。そのため文科省は今年二月、議事の透明性のあり方を検討するよう審議会に求めていた。
これを受けた今回の案には、教科書会社への検定意見書は必要に応じて丁寧な説明をする▽大学教員から採用して、検定意見の原案を書く教科書調査官の氏名や職歴を公開する▽「複数学説のある記述」「高度な専門性が要る新記述」など慎重な判断が求められる場合、外部専門家の意見聴取ができるようにする-なども盛り込んだ。
これが部会の示した改善案だが、本来の公開や透明性からは程遠い。市民団体などは会議自体の公開も求めているものの、審議会総会をはじめ、部会や小委員会などはすべて非公開のままである。
もちろん、検定過程での不当な干渉や介入は防がねばならない。そうした配慮を尽くしながら、検定への国民の信頼性をより高めるためには、社会へ向けて一つずつ“窓”を開けていくべきだろう。
審議会は素案をもとに年内にも改善策をまとめるという。検定審査を透明化する改善策というなら、さらに踏み込んだ内容にしてもらいたい。
神戸新聞 2008年12月6日
[教科書検定]審議公開の原則を作れ
文部科学省自ら「改善」と呼ぶ方策も、中身をみると「密室審議」という批判をかわすための小手先の修正、とのそしりを免れないのではないか。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の教科書記述をめぐる検定手続きが問題化したことを受け、文科省が示した「教科書検定手続きの具体的改善方策」のことだ。
検定の実質的な権限を握るといわれる文科省の教科書調査官は氏名や職歴、担当教科などを公表し、調査官が示した意見は検定終了後に公開するとしている。
教科書検定審議会はこれまで通り非公開とし、検定終了後に議事のおおまかな概要を公開する。詳しい議事録は作成しないという。
二〇〇六年度の教科書検定で高校日本史教科書から沖縄戦の「集団自決」について旧日本軍の強制を示す記述が削除された。審議は内容が明らかにされないことから「ブラックボックス」と称される。
〇七年三月に問題が明らかになって以来、今回の措置は文科省からの「回答」といえるものだが、透明性が高まったと自賛するにはあまりに不十分ではないだろうか。
検定審の詳しい議事録は作成もせず、公表するのは概要だけで、しかも、検定終了後なのだ。
検定終了後に間違った検定意見が付いたと判明した場合、どう訂正、修正するのか。教科書会社からの訂正申請の道があるとしても「後の祭り」ではないか。実際、文科省は沖縄側が求めている検定意見の撤回と強制を示す記述の回復には手を付けていない。
検定意見が誤った場合、その誤りをただすような制度が担保されない限り、とても「改善」とは呼べない。
「集団自決」の問題も検定が終わった後に結論が明らかにされたからだ。今後も起きる可能性は消えない。
「静かな審議環境と透明性向上という相反する二つが両立するには、これが着地点じゃないですか」。文科省幹部は今回の措置について自らこう弁護する。文科省の立場は、透明性の向上と静かな環境での審議を両立させることだ。
「静かな審議環境」とは何か。これを強調しすぎると、逆に密室審議を助長させることになるのではないか。
教科書の作成過程を検定終了後ではなく、その都度、素早く国民の前にオープンにしながらつくっていくことは決して悪いことではないはずだ。
むしろ、透明性を高める点では必要なのではないだろうか。そういう意味では、今回の事後の方策はとても十分だとはいえない。
教科書は子どもたちが学び、成長していく上で、欠かすことのできない大切なものの一つといっていいだろう。
政治が教科書に介入したり、政府が教育内容を統制したりしてはならないのは大原則だ。戦前の国定教科書を思い起こせば分かる。
戦後の日本の民主教育はこれを原点にスタートした。その時々の政権の思惑によって歴史教育がゆがめられてはならないのはいうまでもない。
沖縄タイムス 2008年12月6日
教科書検定―密室の扉がわずかに開く
教科書検定の透明性を高めるための改善案がまとまった。検定が終わった後に、経過が大まかにではあるが公表されることになる。
子どもたちが学校で使う教科書は、民間が作ったものを政府が中身や表現を点検し、必要に応じて修正させる。それが教科書検定制度である。
研究者らの間から文部科学省職員として採用される教科書調査官が意見書を作り、有識者による検定調査審議会にかける。その結論をもとに教科書会社に修正を求める仕組みだ。
驚くのは、その密室性である。審議会が非公開なことは言うに及ばず、意見書の中身や審議の概要も明らかにされない。それどころか、担当した調査官や審議委員の名前すら秘密である。「静かな環境で議論していただく」というのが、文科省の言い分だ。
今回、扉を少し開こうとするのは、安倍内閣時代の高校日本史の検定で、沖縄の集団自決が日本軍に強いられたという趣旨の記述を削らせ、その後事実上修正した一件がきっかけだ。
改善案では、調査官の名前や担当教科を公開し、検定終了後に調査官の意見書や審議概要、出席した審議委員名も明らかにする。審議の過程で議論が明らかになれば外部からの働きかけも懸念される中では、これが限界というのが文科省の言い分なのだろう。
これまでと比べれば、前進ではある。どんな人のどんな意見がもとになって修正意見がついたのかということを、事後にだが知ることはできる。公開を意識すれば検定の議論がより真剣、慎重になるだろうし、国民が次の検定を見守る参考にもなる。
だからと言って、これで十分だとは言えない。集団自決検定と同じような事態になったとしても、その事実を知らされるのはこれまで通り結論が出た後なのだ。仮に検定過程で意見書が明らかになっていれば、沖縄戦の専門家らから指摘があったはずだ。
加えて、審議会を非公開とし、議事録を作らないことについては従来通りだという。教科書作りの指針となる学習指導要領を審議する中央教育審議会が原則公開されていることと比べると、その差は歴然である。
そもそも調査官の意見を、検定後にしか知りようがないのも気がかりだ。意見書の内容がその後の審議の基調になるとすればなおさらだ。
もちろん歴史教科書にとどまらない。どの教科でも子どもたちが学ぶ大切な素材である。教科書の中身がどう決まっていくのか。不合理な点や偏ったところはないのか。多くの目にさらされて悪いことはないはずだ。透明化へ向けたさらなる改革が欠かせない。
検定はどうあるべきか。そもそも検定自体がどこまで必要なのか。そんな本質的な議論も必要だろう。
朝日新聞 2008年12月5日
教科書検定 事後公開が信頼性高める
教科書検定の過程を検定終了後に公表する改善案が文部科学省から示された。公表されるのは、教科書調査官の調査意見書や検定審議会の議事概要などだ。検定の透明性と信頼性を高めるためのおおむね妥当な改善内容である。
これまでは検定前の記述と検定意見、検定後の記述だけが発表され、調査官がどんな意見を付け、それが審議会でどう議論されたかは詳しく分からなかった。
このため、国民の知らないところで、中国や韓国の意向を受けた外務省サイドが検定に圧力を加えるケースがあった。いわゆる「新編日本史・外圧検定事件」(昭和61年)や元外交官の検定審議会委員による「検定不合格工作事件」(平成12年)である。
これからは、事後ではあるが、検定経過が一定程度、公表されることにより、外務省もそのような干渉はしにくくなるはずだ。
現行の検定済み教科書を開いてみると、学問的には破綻(はたん)した慰安婦“強制連行”説をあたかも真実であるかのように記述している例が、いくつも見られる。南京事件の犠牲者数について、中国当局発表の「30万人」をも上回る「40万人」とする記述が検定をパスしたこともある。
検定経過が事後公開されるようになれば、教科書調査官や検定審議会委員は国民の目を意識し、より緊張感をもって検定業務や審議に臨むことが求められる。
審議会の審議そのものを原則公開すべきだという意見もあるが、行き過ぎだろう。検定審議会の審議は、外部の意見や先入観にとらわれず、静かな環境で公正に行われるべきものだ。審議対象となる申請図書に出版社名や著者名が書かれず、「白表紙本」と呼ばれているのも、そのためである。やはり事後公開が望ましい。
検定の中身がほとんど公開されていなかった当時、旧文部省記者クラブの各紙・各テレビ局の記者は膨大な量の教科書を分担して取材した。そのうちの一社の記者が得た、検定で日本の中国「侵略」が「進出」に変わったという誤った情報を全社が一斉に報じた。これが外交問題に発展した。
昭和57年の教科書誤報事件である。検定の中身が少しずつ公開されるようになったのは、それからだ。文科省の検定担当者やマスコミは常に、この苦い経験を頭に入れておく必要があろう。
産経新聞 2008年12月5日
検定透明化 審議の全面公開が必要だ
教科書検定手続きの透明化に向けた具体的な改善策を、教科用図書検定調査審議会(検定審)の作業部会が了承した。
文部科学省の教科書調査官が作成した「調査意見書」の原案を公開の対象に加えるなど一定の前進は見られるが、会議自体は非公開のままだ。教科書検定の在り方が大きく改善されるわけではなく、根本的な解決策には程遠い。
教科ごとの中身を審議する部会や小委員会は、開催日、出席委員、付議事項、決定事項、審議概略を検定審査終了後に公表するが、個々の委員の意見ややりとりは伏せる方針だという。
これでは形式的に公表の体裁を整えただけだ。文科省などにとって都合の悪い意見は割愛される可能性が大きい。
高校日本史教科書検定で沖縄戦「集団自決」の日本軍の関与が削除・修正された問題を通して浮かび上がったのは、検定過程の密室性だった。
沖縄戦を研究する委員が一人もいない中で、教科書調査官が示した意見書に沿って結論を出した。審議会とは名ばかりで、ろくに議論もなされていない。
同じ轍(てつ)を踏まないためには、審議内容を全面的に公開することが不可欠だ。部会、小委員会に所属する全委員の氏名、専門分野を事前に公表すると同時に、委員に委嘱した理由もつまびらかにすべきである。
委員の人選に際し、学術的実績よりも政治的背景が優先されることは決してあってはならない。教科書が誤った方向に改変され、歴史をゆがめる恐れがあるからだ。
どんな人が教科書の内容を決めているかという、基本的な事項さえ事前に公表しないのは到底納得できない。
少なくとも、偏った考え方を持つ人物が検定に携わっていないか、国民があらかじめチェックできるようにすべきだ。審査が終わってからでは後の祭りだ。まず、教科書調査官や検定審委員の人選過程から透明化するよう強く望む。
琉球新報 2008年12月5日
教科書検定:概要公表へ 議事録は作らず 文科省
文部科学省は4日、非公開としてきた教科書検定の審議内容について、検定終了後に概要を公表することを盛り込んだ検定制度の改定案をまとめ、教科用図書検定調査審議会の作業部会で了承された。来年度の検定から適用される見通し。昨年、沖縄戦の集団自決を巡る高校教科書検定で審議の密室性に批判が集まったことなどを受けた措置だが、議事録は作成せず詳細は公開しないため、さらなる公開を求める声も出そうだ。
現行制度では、教科書会社からの申請に対し、文科省の教科書調査官が「調査意見書」と合否判定案を作成。それを基に、同審議会の日本史など分野別の小委員会と、教科別の部会で議論して検定意見書をまとめる。公表していたのは(1)申請教科書(2)検定意見書(3)修正表(4)教科書見本−−で、「なぜその意見が導かれたか」につながる情報は含まれなかった。部会や小委員会は議事録も作成せず、文科省は「公表すれば(委員らの)自由な意見交換を妨げる」と説明してきた。
改定案によると、調査意見書と判定案を公表。各部会・審議会で出たどのような意見により何が決まったのかが分かる「議事概要」も作成し、検定作業後に何らかの方法で公表するとした。だが、意見交換の詳細などが分かる議事録は作成せず、発言者の氏名は公表しない。
一方、審議会委員がどの部会や小委員会に所属しているかは公表していなかったが、検定作業後に公表する姿勢を示した。沖縄戦の問題を巡っては「調査官の人選経緯などが不透明」との批判もあったが、調査官の氏名と略歴を公表する。
さらに「委員に沖縄戦の専門家がいなかったため、調査官の意見がそのまま通ったのでは」という指摘があったことなども踏まえ、部会や小委員会であらかじめ重点事項を定め、専門委員を増やしたり、外部の専門家の意見を聞くことを可能とする改善策も盛り込んだ。
検定意見書の伝達方法についても、現在は教科書会社が意見書を渡されたその場で質問しなければならないが、内容を伝えた後に質疑応答の場面を設けるなどの改善を行う。
文科省は「(検定の)緊張感が高まり信頼性も上がる」と説明している。【加藤隆寛】
◇ことば 沖縄戦を巡る教科書検定問題
07年3月、沖縄戦の集団自決に日本軍の強制があったと記述した高校教科書に文部科学省が検定意見を付け、教科書会社は修正・削除。沖縄県民らの反発が強まったことを受けて政府が軌道修正し、当時の渡海紀三朗文科相が訂正申請に応じる姿勢を示したため、教科書会社は11月に訂正申請。再度行われた検定で「(日本軍の)関与」などの表現が認められた。渡海文科相は今年2月、教科用図書検定調査審議会に制度のあり方についての審議を要請していた。
毎日新聞 2008年12月4日
大学交付金の削減見直しを=自民が決議
自民党は3日、文教関係合同会議を開き、2009年度予算編成に関する決議を行った。大学の経費節減努力は「限界」として、国立大学運営費交付金の毎年度1%削減などを掲げた「骨太の方針2006」を見直し、大学関係予算を確保することを求めた。
同交付金は、国立大学法人化の04年度以降、約600億円が削減されている。決議は、人材育成と研究開発を担う大学への支援は中長期的な景気対策になるとして、「減額どころか増額すべきだ」と指摘。同交付金のほか、削減されている私学助成も合わせ、「最大限の予算確保を図る」ことを求めた。
時事通信 2008年12月3日
大学運営費削減の撤回を 日教組、全大教が要請
日教組と全国大学高専教職員組合(全大教)は2日、2009年度予算の概算要求基準(シーリング)で国立大の運営費交付金などを3%削減する政府方針を撤回し、高等教育予算の拡充を求める要請書を文部科学省と財務省に提出した。
要請書は、08年度の運営費交付金は国立大が法人化した04年度に比べ計約600億円削減され「教育・研究の水準を維持することが困難になっている」と指摘。国内総生産(GDP)に占める高等教育への支出割合を05年時点の0・5%から、経済協力開発機構(OECD)諸国平均の1%程度に引き上げるよう求めた。
日教組に加盟する日本国公立大学高専教職員組合の芝池英樹書記長は、要請書提出後の集会で「各大学が厳しい状況にあるという問題点を社会に訴えたい」と述べた。
共同通信 2008年12月2日
無駄遣い報告案 どうにも納得しかねる
「無駄遣い」の意味をはき違えているとしか思えない。
自民党無駄遣い撲滅プロジェクトチーム(PT)が提出した報告書案に、沖縄科学技術大学院大学に対する疑問視とともに沖縄政策に対する見直し論が含まれていることについてである。
沖縄振興にかかわる問題だから慎重にすべきだ、というつもりは毛頭ない。不必要な支出で、無駄と思われる予算があれば一律に削り込むのは当然といっていいだろう。
だが、大学院大学はノーベル賞受賞者を含めた世界各国の研究者を招いて、最先端の科学技術、遺伝子情報などを研究する施設であり、科学技術立国として国策に生かすのが目的ではなかったか。
報告書案は同大学の費用対効果が不明確とし、達成目標を定めるよう求めている。
だが、ここは一歩立ち止まって考えてみたい。
そもそも高度の学術機関である大学院大学は、費用対効果で算定されるべきものなのだろうか。
同大の研究成果が沖縄の産業振興の呼び水になるとの期待があるのは確かだ。
そうではあるが、同大学構想の重要性は、世界最高水準の研究によって日本全体の科学技術の振興に貢献することにあったはずだ。
しかも党の政策決定機関で決めた構想をここに来て無用というのは、あまりにもはちゃめちゃにすぎる。
大学院大学のことを論議することは結構なことだ。しかし、それを「無駄遣い」として扱うのでは筋が違う。
政府が「行政支出総点検会議」を立ち上げ、自民党が「無駄遣い撲滅」のPTを組織したのは、国民の怒りを買った支出の削減策を検討していくためである。
PTがまとめた報告書案は、マッサージチェア購入などで批判を受けたレクリエーション経費(約三億七千万円)を原則廃止し、タクシー利用も大幅に制限している。
国や独立行政法人から公益法人への支出を三割削減し、公共事業費も見直して、来年度予算編成で社会保障費などの「重点化枠」(三千三百億円)をひねり出すという。
当然であり賛同できる。腑に落ちないのは、なぜこの中に内閣府分として沖縄政策が出てきたか、ということだ。
戦後の歴史的経緯から沖縄の振興策は政府が責任を持って取り組むべき問題である。
県民自らの責任は当然だが、それでも本土との格差が厳然と残されている以上、国がなすべきことはまだ多い。
沖縄問題に精通している国会議員が少なくなり、「いつまで沖縄を甘やかすのかという声が再び永田町に増えつつある」といわれる。
沖縄の特徴は、企業の多くが中小零細企業で県や市町村が独自で政策を進めるだけの税源に乏しいことだ。裏を返せば、まだ国の財政投資が必要だということである。
米海兵隊のグアム移転に多額の経費を捻出し、普天間飛行場の代替施設にも巨額を投じるのは「無駄遣い」といわないのかどうか。少なくとも、県民の多くはそう思っていることを忘れてはなるまい。
沖縄タイムス 2008年12月2日
政府=教員採用口利き投書54件
政府の規制改革会議は1日、大分県の教員採用をめぐる汚職事件を受けて内閣府内に設置した「教育目安箱」に、採用における口利きに関する投書が計54件寄せられたと発表した。同会議は、採用プロセスの透明化などを各教委に求めるよう、文部科学省に提言する。
目安箱は8月13日から1カ月設置し、投書をインターネットか手紙で募集。238人(うち教員・元教員は101人)から計357件が寄せられた。
採用時の口利きについては、「県議から介入を受ける場合がある」(香川)、「面接官をした際、校長から『この受験者は点数を良くしてほしい』と頼まれた」(愛知)、「就職氷河期には、議員のコネがある人や親が校長・教委幹部の人物が多数採用された」(同)といった具体例が寄せられた。(了)
時事通信 2008年12月1日
地方教委の主体性
先日、和歌山市教委が報道機関から受けた取材の内容や取材者の名前などを、文書や電話で市会議員に伝えていたことが表面化した。何のために取材の内容や記者の氏名まで、微に入り細をうがって市議に伝えなければならなかったのか。まさに情報統制そのものではないか。
▼市教委の幹部は「市議との情報共有が必要と判断したが、報道の自由という点から見て、不適切だった。今後は一切しない」(本紙30日付)と言っているそうだが、報道の自由を侵害することの問題点や、こうした行為が行政への市議の介入を招く危険性をどう考えていたのか。一体、教育行政の主体性はどこにあるのかと疑いたくなる。
▼なにより「市議との情報共有」という言葉がうさんくさい。こういう言葉で、なれあい、もたれあいを正当化する体質が議員や有力者からの「口利き」を助長させてきたのではないか。「誰それを校長にできないか」とか「○○を教員採用試験に合格させました」というような生臭い「情報共有」をする温床になる。
▼提供を受けた側は「こちらからは要請していない」と言っている。となれば、市教委の幹部が独自に判断したのだろう。情報提供を餌に、市議や有力者に取り入ろうとする下心が透けて見える。見苦しいことだ。
▼同じようなことを岡山県教委がやっていたことも先日、明らかになっている。この際、似たような「情報共有」を総点検してみてはどうか。(香)
紀伊民報コラム 2008年12月1日
内定取り消し 若者の夢を台無しにするな
大学4年の男子学生(23)が採用内定の取り消しを電話で通告されたのは2週間前だ。「君たちを受け入れる財力がなくなった」。内定をもらった他の6社を断って選んだ会社だった。10月の内定式で社長は「不況だが、うちは大丈夫」と言っていたのに裏切られた思いが募る。再び就職活動を始めたが、「だめなら留年も」と心は焦る。
マンション分譲の日本綜合地所はこの学生も含め、いったん採用を決めた大学生53人全員の内定を取り消した。経済情勢の悪化を受け、業績予想を大幅に下方修正したばかり。「やむを得ない措置」と強調する。
来春卒業予定の大学生や高校生らの内定取り消しが急増している。厚生労働省の緊急調査では、その数は11月25日現在、87社で計331人。年度途中にもかかわらず、金融破綻(はたん)が相次いだ97年度の1077人、就職氷河期が続いていた01年度の380人に次ぐ多さだ。今春の大学卒業者の就職率が96・9%と最高水準の「売り手市場」だったのに、米国発の金融危機が風景を一変させてしまった。
内定通知を受けた学生は通常、他社への就職活動をやめ、その会社に入る準備をしながら社会人となる日を心待ちにする。人生の門出を目前に、希望を突然断ち切られる衝撃と心痛は計り知れない。企業のご都合主義で若者の夢を踏みにじることは許されない。
採用内定は企業と学生との労働契約に当たり、取り消しは合理的理由があると認められる場合に限られるとの最高裁判例がある。地裁レベルでは、企業が経営上の理由で内定を取り消すには、正社員の整理解雇と同様▽どうしても人員削減が必要▽努力しても他に方法がない−−などの厳格な要件が必要だとの判断も示されている。要は、よほどのケースでない限り、取り消しは認められないことを企業は肝に銘じるべきだ。
経営破綻ならともかく、経営悪化を理由にした内定取り消しが331人中212人に上る。安易な取り消しはないか、厚労省は速やかに実態を調査し、適切な指導を行う必要がある。学生も泣き寝入りせずに、学校やハローワーク、労働組合などに相談し、企業に十分な補償などを求めてしかるべきだ。同時に企業はその学生の新たな就職先探しに最大限の努力を払う責務がある。ハローワークなどの支援も欠かせない。
来春までに契約が打ち切られる派遣や期間工ら非正規労働者は厚労省の調査で3万人を超える。10月の有効求人倍率は0・80倍と4年前の低い水準に落ち込んだ。雇用情勢は悪化の道をたどる。
90年代〜00年代前半の就職氷河期は多くの年長フリーターらを生み出し、今なお正社員になれずに苦しむ人も多い。就職氷河期の再来を招かぬよう、政府は直ちに抜本的な雇用対策を打ち出さなければならない。
毎日新聞 2008年12月1日
無駄遣い論議 沖縄が標的なら筋違い
政府の歳出削減策を検討する自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」で、沖縄政策の見直しが俎上(そじょう)に載せられている。沖縄科学技術大学院大学(仮称)不要論や、「沖縄の産業振興は国が行うべきではない」などの指摘も出ているというから、穏やかではない。メンバーが沖縄問題の経緯をよく承知せず、短絡的、感情的に沖縄を「標的」とするなら筋違いであり、論議の在り方こそ見直すべきだ。
霞が関で官僚からメタボならぬ「ムダボ検診」などと揶揄(やゆ)される同チームは、福田政権時に設置された。道路特定財源で職員用のマッサージチェアやカラオケセットを買ったり、職員が深夜帰宅時にタクシー運転手から現金やビール提供を受けていた実態が相次いで発覚。税金の使途に責任を持つ与党として対応を迫られていた。
厳しく精査しないことには「国民の信頼」は取り戻せない。論議の結果、競争性のない随意契約を2008年度中に原則廃止し競争入札に移行することや、国家公務員のレクリエーション費の凍結・廃止などを柱とした政府支出削減案が打ち出された。
省庁側の抵抗を排しつつ、歳出削減策をまとめた意味は大きい。問題は、その後の沖縄政策に関する論議である。無駄撲滅に異論はないし、沖縄政策といえども聖域扱いをすべきではないだろう。
ただ、政府の沖縄予算には歴史的経緯と特殊事情がある。何のために沖縄担当相を置き、歴代政権が沖縄問題を最重要課題の一つとしてきたのか。経緯や背景をよく知らず、一律にやり玉に挙げているとしたら、あまりに悲しい。
確かに、科学技術系で世界トップ級を目指す大学院大学の設立には大きな予算が必要だ。精査して確固たる計画にしていく姿勢が求められる。
しかし、いきなりの不要論は困る。それを言えば、住民を苦しめる米軍基地こそ不要である。本質論を抜きに「沖縄を甘やかすな」的な意見は控えてほしいし、無駄遣い論議の場にふさわしくない。
琉球新報 12月1日