声明

2006年5月18日
教育基本法「改正」情報センター

すべての大学人への呼びかけ
大学を国家の僕、財界のための研究機関、人材養成機関につくりかえる教育基本法案に断固反対しましょう!

すべての大学人のみなさん

□密室審議で作られた国民無視の法案

去る4月28日、政府は現行の教育基本法を廃止し、新たに「教育基本法」を制定し直すことを閣議決定し、「教育基本法案」を国会に上程しました。マスコミでは、会期末(6月18日)までにこの法律案を可決成立させようとしていることが報じられています。

しかし、今回、提出された法案は、文字通りの密室審議のもとで作成され、突如、国会に上程されたものです。

当然ながら、それがわが国の公教育制度をどのように変えようとしているのか、国民の教育・学習や成長・発達に何がもたらされるか、ほとんど国民的な議論がなされていせん。そもそも議論のもととなるものが何も提供されてこなかったのです。しかし、今回の法案を見る限り、これからの大学における学問・研究に関わる重大な論点がたくさん含まれており、私たち大学人にも多大な影響を与えるものとなっています。

□憲法と一体で生み出された教育基本法の立脚点

戦後間もない1947(昭和22)年に制定された現行の教育基本法は、その名の通り戦後のわが国の教育の基本原理が記された極めて重要な法律です。同法の前文の前段において、日本国憲法において示された「民主的で文化的な国家の建設」と「世界の平和と人類の福祉への貢献」という理想の実現は、「根本において教育の力にまつべきもの」であると述べられており、同法が憲法と不可分一体の関係において作られたことを示しています。

同時に、前文の後段と第一条の「教育の目的」において、「人間教育」の理念を宣言し、戦前の「国家教育」に対する深刻な総括に立って、新しい日本の教育のあり方を示したのです。しかも、第二条の「教育の方針」において、その教育の目的が「あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」とし、この目的を達成するためには、「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」としています。

以上のように、私たちが大学において教育・研究を進めていく上で、つねに肝に銘じなければならない重要な前提を示しています。

□すり替えられる「教育の目的」

しかし、今回の法案は、第一条「教育の目的」において「人格の完成」という文言こそ削除しなかったものの、現行の第二条の「教育の方針」を全面的に削除して、「教育の目標」なるものを「新設」し、そこで「…する態度を養うこと」といった形で、国民に対して一方的に数々の徳目を垂れています。

教育基本法を受けて学校教育法において各学校段階についての詳細な規定が置かれていることを考えると、大学においてもこうした「教育の目標」の実現が求められ、評価されることになるでしょう。「国と郷土を愛すること」を説くだけでは許されず、学生たちにそうした「態度」を形成させるところまでもっていかなれければならない、と私たちに命じているのです。

同法の「改正」問題を審議した中央教育審議会の最終答申では、さまざまな教育問題の根幹が、「倫理観や社会的使命感の喪失」や「公共心」の欠落などあたかも国民の側にあるかのように論じ、焦点を国民の「心」にあてて「日本人」の自覚と形成など、新たな社会統合へと結びつけようとしています。また、同法が制定後半世紀以上を経ていることを理由に「教育の基本理念」の見直しを掲げ、「新しい時代の大きな潮流を踏まえ、『21世紀を切り拓く、豊かでたくましい日本人の育成』を目指すため」と称して、「五つの目標」を示して目先の政策目標に引き寄せ、実質的には「教育の目的」の変質を迫ろうとするものでした。

そもそもここで「新しい時代の大きな潮流」として掲げられている雇用構造の変容や高度情報化社会の進展、経済のグローバル化の進展などは、専ら世界資本主義競争における日本の財界の生き残り戦略に焦点をあてた問題認識そのものであり、今まさに日本の資本主義経済が直面している課題を表明しているに過ぎません。短期間のうちに変動を繰り返すこうした政策的課題を、あたかも人間発達の課題と同等のものであるかのように並列させ、結局は、本来の「教育の目的」を極めて卑近な政策「目標」と意図的に混同させ、すり替えようとしているのです。

□大学における教育・研究の変質を導く第七条「大学」の新設

中間報告では、明確に、教育を「国際競争力の基盤」として位置づけ、その「人材」養成に課題を特化させる視点を表明し、そのために「国民全体の教育水準の一層の向上」を図り、「大学の競争力」を高めなければならない、としています。

今回、いくつかの条文を付け加え、それを新たに教育基本法を制定する理由としていますが、第七条として新設しようとしている「大学」の条文も大きな問題を含んでいます。一見すると、学校教育法の条文と似ており、目新しいものではないように見えますが、学校教育法では、あくまでも専門の学芸の教授研究によって、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを「大学の目的」としているのに対して、今回の法案では、「専門的能力」を培うこと、そして、社会発展に「寄与」することが大学の目的として明記され、大学に対して人材養成、そして、社会貢献をその任務をつきつけているのです。

第7条は、国立大学法人法制定以降、文科省が陰に陽に国立大学法人に強要してきた“社会貢献”“産学連携”に法的根拠を与えるので、大学の変質に拍車をかけるものとなります。

□大学を含む教育への政府の無制約な介入を導く「教育振興基本計画」

さらに大きな問題点は、「教育振興基本計画」が盛り込まれていることです。第7条で大学に関する規定が設けられているので、大学もまた、この計画の対象となるのです。

「教育振興」という言葉が入っていることから、少なからぬ人びとが、さすがに日本政府も教育の条件整備に責任を負う気になったのかと、期待感を抱いたのではないでしょうか。

しかし、事実はそれとは全く逆で、その狙いとするところは、「施策の基本方針や目標、各種の具体的な施策、施策を推進するために必要な事項等」を閣議決定によって政府全体の重要課題として位置づけられるようにして、「未来への先行投資」としての「教育投資」の効率化を図り、「厳密な政策評価」の実施によってさらにその徹底を図ることにあるのです。この点について、先の中間報告は「国家戦略として人材教育立国、科学技術創造立国を目指すためには、計画に定められた施策を着実に推進していく必要がある」としており、政府がもっぱら政策目標として教育のあり方を規定し、思い切った重点配分や、他方での削減を可能にするために「教育振興基本計画」が必要であることを明確に論じています。

教育振興基本計画の策定主体は「政府」となっています。今後どのような審議会が法案に基づいて新たに設けられるかは明確にはされていません。

大学に関する政府の審議会としては、総合科学技術会議と国立大学法人評価委員会があります。のを総合科学技術会議は、予算が重点投資されるべき個別研究テーマを特定し、それへの投資額と投資効果を評価し、あるいは、重点投資を可能とするために基礎的研究費の削減を提案することにその権限は限定されています。また、国立大学法人評価委員会による評価対象も、個別大学における周期目標、計画の実行度に限定されています。

もし、新たな審議会が設置されれば、国立大学法人のみならず公立、私立大学も対象として、大学における研究教育のあり方全体をコントロールすることが可能となります。例えば、重点投資対象となる教育研究組織、ないしは学部・大学院と、それに伴い資金を引き上げられるそれを特定するし、教育研究組織再編のを数値目標化も想定の範囲内にあるのです。

□「教育振興基本計画」体制は現行教基法10条と矛盾する

しかし、現行の教育基本法は、第十条一項で教育への「不当な支配」を禁ずるとともに、二項で、教育行政の任務が「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」にあることを明確に規定しています。これは、教育行政の役割を条件整備に限定することによって、教育の目的や内容に踏み込むことを禁ずる意味を持っていました。

このような条文が作られたのは、戦前のわが国において、教育と教育行政とが区別されず、教育は国家による国民教化の道具とされ、時の財界による労働力養成の手段とされたことへの反省に立っています。国家主義・軍国主義を国民に注入し、あの無謀な戦争へと突入していったのです。いかなる名目によるのであれ、時の権力が教育内容に介入すれば、「不当な支配」となる危険性は避けられません。

「教育行政は教育の内容に介入すべきではなく、教育の外にあって、教育を守り育てるための諸条件を整えることにその目標を置くべき」であるとは、教育基本法の制定にあたって文部省自らが解説していたことでした。

戦後教育改革において確認された「教育行政の一般行政からの独立」という原則を否定して、内閣が教育を直接的に支配・統制することを前提とする「教育振興基本計画」の位置づけそのものが、教育基本法第十条の規定に決定的に抵触しているのです。

□法人法の違法性追及の鍵としての教育基本法

「国立大学法人法」では、文部科学大臣が国立大学に対して中期目標を与えことになっていますが、それが教育基本法第十条二項に定められた教育諸条件の整備の範囲を大きく逸脱するものであることは、あまりに明白です。教育基本法の「改正」法案すら提出されていなかった国立大学の法人化の段階で、教育基本法「改正」の「前倒し」とも言うべき事態が生み出されていたのです。

法人法のこうした違法性を追及する重要な武器として、現行の教育基本法の存在意義を決して忘れてはなりません。

すべての大学人のみなさん

今回、国会に提出された「教育基本法案」は、今日、国民にとって極めて重要な意味を持つ「教育の直接責任制」(教育基本法第十条一項)という教育制度原理を全面放棄しておきながら、暑苦しいまでに国と地方公共団体による教育への介入を表明し、その一方で、国民に「自己責任論」を説くものとなっています。

こうした無内容かつ危険な法案を、私たちは断じて許すことはできません。

ともに廃案を目指して頑張りましょう!