2380民主案における導入の理由

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○笠議員 末松議員には、私ども、この民主党の法案取りまとめに際しても、宗教教育ということについては、かなり突っ込んだ御自身の見解、あるいは体験からくる御意見をいただいていたわけでございますが、まさに私どもは、政府案では、現行法に、今大臣からも御説明ありましたが、「宗教に関する一般的な教養」という文言だけが追加をされたものと理解をしております。これに対して、私どもの日本国教育基本法では、第十六条の中で、生の意義と死の意味を考察すること、あるいは宗教的な伝統、文化に関する知識の修得、宗教の意義の理解、さらには宗教的感性の涵養などを盛り込み、宗教教育を重視しているわけでございます。
 昨今のいろいろな、子供をめぐるような犯罪、信じられないような事件を心配される方、国民の多くの皆さんがそういう思いを持っておられる中で、生死の意味すら実感できていない子供たちがふえている。これは本当に大変なことで、だからこそ、宗教に関して、単に知識を身につけるだけでなくて、人間の力を超えたもの、あるいは自然、万物に対する畏敬の念というものも必要ですし、命というものの大切さを教えていくということも、当然のことだと思っております。
 先ほど末松委員の方からいただきますというような話がありましたけれども、まさに、ありがとうとかおかげさまでとか、あるいはもったいないといったような、他者への感謝や思いやり、そういったものが、言うまでもなく、人間形成の基礎となるわけでございますから、こうした精神が失われつつある今の時代だからこそ、宗教的な感性をはぐくんでいくことが大事であるという意識で、私どもは、今回、宗教的な教育を重視した次第でございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 済みません、大臣、発言の一部をとるようで恐縮ですが、先ほど、知徳体というのがございました。私思いますに、やはり戦後の日本の教育の中で、その知徳体の徳が欠けているんではないか、欠けてきたんではないかというふうに思うわけでございます。知育、体育、これだけではやはり子供に、無気力ですとか、結局、秩序の崩壊、学級崩壊を及ぼすだけではないかというふうに思うわけでございます。
 要するに、死と生の意味ですね。死生観に根差した、今をどう生きるべきかという問い、これを横の意識とするならば、自分たちの祖先はいかに生き、そして死んでいったのか、また子孫はどのような生を送ることになるのか、こういう縦の意識ですね。これを学び、どう生きていくかをはぐくむものがやはり徳育である。これが足りなかったんではないか、これは皆さんも当然そう思われていると思うんです。
 ですので、この戦後六十年間の教育行政、これがやはり知育と体育に偏り過ぎてしまって、これを何とか是正しなければ日本の未来はないというふうなことを申し添えまして、ちょっと次の質問に移りたいと思います。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○土肥委員 …民主党は、十六条で、生命、宗教に関する教育と、ここに生命を載せたわけです。そして、「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」と、この冒頭に出してこられた理由、目的についてお答えいただきたいと思います。

○藤村議員 土肥委員は牧師さんでもいらっしゃいますので、宗教論争をし出したら多分切りはないかと存じますが、今お問い合わせの件は、私どもの十六条一項で、生の意義、死の意味という、このくだりを入れたのはなぜか、こういう御質問でございます。
 私たちの意図は、今政府の方からのお答えもありましたが、学校教育において、命の大切さということはきっと非常に重要視し、きょうまでさまざまに指導し、努力をされてきたことであろうかと思います。ただ、それが全然実っていないのではないかというのが私どもの一つの問題意識であります。
 人間の生きることの意義、死というものの意味するところについて、これは教育上も本当に大きなテーマであるにもかかわらず、きょうまで適切に指導されていない現状をかんがみ、さらに、近年のインターネット社会の中で、仮想情報空間に対する的確な理解については、やはり生の意義、死の意味の考察を前提として取り組んでいかねばならない、そんなふうに考えておりまして、それが現代的課題だと思います。
 ですから、以上の点は、むしろ哲学的な考察とも考えられますが、加えて、やはり宗教に関する教育とともに重視し尊重されるべき課題であることから、このように入れた次第でございます。

○土肥委員 生命と宗教を結びつけたところにこの法案の特徴があると思うんです。つまり、宗教というのは、生きとし生けるものの宗教であります、すべて生きているものがかかわりを持つ。そして、全く拒否する人もそれでいいのであります。無宗教という人は、私に言わせれば、徹底的に無宗教を貫いて一切何物をも信じないという生き方からは新しい倫理が生まれてくると思いますが、日本のように、二つ、三つの宗教を同時並行的に信仰できる人たちというのは、なかなかそうはいかないと思うのであります。
 生命というものは限りがあって、そしてやがて死ななきゃならない。それが、早い場合は、子供の生命にしても、私も、十三歳でがんで亡くなったある少女の絵はがきを収録した本を買い求めましたけれども、これは非常に重要なテキストになると思うんです。
 彼女は、かわいい女の子ですけれども、二歳半ぐらいで血液がんを患います。それが、うまいぐあいに六つ年上のお姉ちゃんと血液型が合ったわけですね。二歳ですから八歳か九歳のお姉ちゃんから血液の移植を受けて、白血病は治る。そして、小学校の六年生のころに突然脳腫瘍が発見される。そして、二回の脳腫瘍手術の後、亡くなっていきます。その間に、彼女は三百六十枚の絵はがきをかいたんです。その本が出ております。
 この本なんかは実にすぐれたテキストなんですね。苦しみを訴えながら、非常にユーモアのある、ベッドサイドでかいた絵はがきなんです、ぜひお買い求めいただきたいと思うのでありますが。この中で、子供がこれを読めば、同じ年齢の子供が死んでいく、その中で母親、父親がどういう態度をとったか。そこには宗教的においは全くないんですけれども、そこにある、生きること、死ぬこと、そして親の愛情、そういうものが、多くを語らなくても心に伝わってまいります。
 こういう死、あるいは生と死、それと宗教が結びつくのは当然でございます。そのために宗教があると言ってもいいくらいであります。ですから、政府案というのは、そういう宗教の持つ根源的な課題、根源的な意味を本当に理解して書かれたものとは到底思えないのでございます。
 しかし、宗教教育というのは、やはり難しいけれども、生身の体を持っている子供たち、そして、それを取り巻くいろいろな状況、教育審議会が言っているようなとんでもない状況が今起こっているわけでありますから、やはり子供たちの生と死に着目して、その視点から宗教教育を考えていくときに、私は無限大の宗教教育が可能だと思っております。そういう意味も込めまして、民主党の案については大変すぐれたものだと私は思うわけでございます。
 ただ、いわゆる現行の第二項の、特定の宗教の信仰を奨励したり、これに反対するための宗教教育その他宗教的活動をしてはならないという、この強い第二項は、現場を萎縮させるんです。
 もっと生き生きとした、生と死、そして、結局死の問題は宗教しか解決できないわけでありますから、そこへ至るダイナミックな宗教教育というものをこの二項が封じてしまう。いかにも国家的、あるいは公教育に対する、何かすべて中立でなきゃならないというふうなことがありまして、第二項は、やはり今後、その中身によっては許される範囲だと私は思っておるわけでございまして、民主党案についてもこの辺はもっと議論しなきゃならないと思っております。
 これはやめましょう、まあ、せっかくだからちょっと言いますと、小学校の校長先生ががんにかかりました。これはテレビに出ましたけれども、自分が死んでいくということを前提に、ずっと子供に校長先生が、生きること、死ぬこと、病気のことを語るわけですね。これはもうすばらしい校長先生で、その後すぐに亡くなられるわけですけれども、教員とて、教師とて、みんな生きる悩みを持っているわけですから、それを子供たちに告白する。すると、子供も悩みを持っていますから、そこに応答が起こる。そこは何も原則はないわけでありまして、そのときそのときの場面に応じて展開していい教育ではないかと思っております。


164国会 衆特別委 第3回(524日)

○藤村委員 …中教審答申では、「宗教の持つ意義を尊重すること」というのは、これはもちろん尊重するので、教えろとか教えないじゃないんですが、もう少し宗教の意味ということ。これは、我が方、私ども民主党案では、「生命及び宗教に関する教育」という形で、第十六条なんですが、その最初に「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」としたところで、その後に宗教のことを書いております。これは、問題意識は一緒なんです。
 長崎において、教育委員会の方が千人ぐらいの子供たちの調査をされて、今の子供たちは、まあ長生きになったということもあるんですが、割に家族の死というものに接しないで育ってきている、身の回りで死を余り体験していない。ですから、非常にちょっと不思議な数字というか驚くべき数字なんですが、これは千人の調査の中で、小学校の四年、六年、中学生ということですが、その中で、中学生では、人間が一度死んでもまた生き返ると思っている方が一八・五%、五人に一人ぐらいは、人間はまた生き返ると思っているようです。
 これは、我々も今回の基本法に書きましたけれども、インターネット社会における仮想情報空間という難しい言葉があります。そんな中で、何かゲームではリセットしたらまた生き返るんですよね。だから、やはり本当にここは最も深刻で大事なところなんです。
 しかし、単に現行法の宗教のところにちょこっと一般的教養を入れられただけで問題は全く解決しないんです。我々は「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」とし、それから、情報社会に関する教育のところでも、インターネット社会の仮想情報空間での、まさに光と影の部分をきちっとこれは基本法にうたって今後やっていくべきだという、新しい二十一世紀型の考えを示したところでございますが、小泉総理のお考えをお伺いしたいと思います。