2340政府案における宗教的情操教育の位置づけ

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○奥村委員 …次に、宗教教育なんですけれども、…大臣の所見をお伺いいたしたいと思います。

○小坂国務大臣 今回の法案の第十五条に、「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」とし、また引き続き第二項におきましては、「特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。」こう現行の規定を引き継いでいるわけでございます。
 そういった中で、今委員が御指摘なさいましたが、現在の教育の中で宗教教育は必ずしも十分に行われていないのではないか。これは、ある意味で慎重になり過ぎて、若干腰が引けていたのではないかという指摘をされる方もおられます。
 きょう午前の質疑におきまして、宗教教育に関しては民主党の皆さんからの御質問にもかなりお答えしてきたのでございますけれども、現在学校においては、宗教的な教育という部分について、道徳の時間において、これは必ずしも宗教そのものではございませんけれども、道徳を中心に置いて行われております宇宙や生命の神秘、それから自然といった人間の力を超えたものに対する畏敬の念をはぐくむこと、こういった取り組みは今後とも引き続き行ってまいるわけでございますけれども、宗教に関する一般的な教養という項目を新たに設けまして、今後の学習指導要領の検討の中で、適切な指導体制について十分な検討を重ね、そして盛り込んでまいりたいと考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○小泉内閣総理大臣 宗教は、生まれて、家庭に育つと、親の持っている宗教だけしか触れる機会はない。しかし、学校に行って、社会に出れば、ああ、仏教だけじゃない、キリスト教もイスラム教も、さまざま世の中には宗教というのがあるんだなと。やはり、人間の能力といいますか、人間の存在を超えた何者かがあるんだ、我々は人間だけで生きているのではないなと、自分を超えた存在に対して敬意をあらわす、恐れを持つ、畏敬の念を持つ。そして、自分を大事にしたい、同時に、自分と違った者を愛するという気持ちを持つということにおいて、私は、さまざまな、人間を超えた神様なり仏様なり天の力があるんだという意味において、長年人間が宗教心を持って、全世界、それぞれの地域にはそれぞれの、自分たちとは違う何か恐れ多い存在があるぞという形でこの世界は成り立ってきたと思うのであります。
 そういうものの理解を増すということにおいては、私は、人間性を豊かにする上において有用だと思っております。

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○藤村委員 一般的な教養というときには、今小坂大臣おっしゃったような、生と死の云々とかいうことは全然入りませんよ。つまり、キリスト教はいつどういう方がやってきてという事実、これが一般的教養であろうと思うんですね。しかし、単に現行法の宗教のところにちょこっと一般的教養を入れられただけで問題は全く解決しないんです。我々は「生の意義と死の意味を考察し、生命あるすべてのものを尊ぶ態度を養うことは、教育上尊重されなければならない。」とし、…新しい二十一世紀型の考えを示したところでございますが、小泉総理のお考えをお伺いしたいと思います。

○小泉内閣総理大臣 …やはり命の大切さ。映画やテレビゲームの中で出てくるように、一度死んだ人間がまた生き返ってくるということはないんだというようなことについては、やはり今のさまざまな時代の変化なのかなと思う面もあります。そういう点について、宗教というのはそれぞれ人の心のありようですから、私は、宗教心を持つということは大事だと思っています。
 それは、人間は万能ではないという、自然に対する恐れ、畏敬の念を持つ。人間よりもっと大きな力があるんだ、人間というのはこの地球の中で生かされているんだ、多くの人々によって支えられているんだ、人間が万能ではないというのは、やはり宗教の持つ大きな力もあるんじゃないかと思っておりますので、それぞれがどういう宗教を持つ、信条を持つということは自由でありますけれども、そういう点も教育の中で、子供たちに命の大切さ、お互いを尊重し合うということを教えていくことは大事だと思っております。


○小坂国務大臣 今、総理からお答えをいただきましたように、私も、子供たちが生きることのとうとさや死の重さということをしっかり把握していただくことは重要なことだと思っております。
 このために、現行の学習指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間において、命はかけがえのないものであること、これを知って、また自他の生命を尊重すること、そしてまた人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、これらは指導しているところでございます。
 このように、生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを理解し、そして尊重する態度を育てるための教育を行ってきているところでございまして、今回の法案におきましても、第二条の第一項において豊かな情操、そして命をたっとびということが規定をされているところでありまして、こうした改正の趣旨を踏まえて、これまでの指導を基盤として、このような教育が各学校において一層適切に行われるように私どもも努めてまいりたいと存じます。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○土肥委員 …生命と宗教を結びつけたところにこの法案の特徴があると思うんです。死、あるいは生と死、それと宗教が結びつくのは当然でございます。そのために宗教があると言ってもいいくらいであります。ですから、政府案というのは、そういう宗教の持つ根源的な課題、根源的な意味を本当に理解して書かれたものとは到底思えないのでございます。
 しかし、宗教教育というのは、やはり難しいけれども、生身の体を持っている子供たち、そして、それを取り巻くいろいろな状況、教育審議会が言っているようなとんでもない状況が今起こっているわけでありますから、やはり子供たちの生と死に着目して、その視点から宗教教育を考えていくときに、私は無限大の宗教教育が可能だと思っております。そういう意味も込めまして、民主党の案については大変すぐれたものだと私は思うわけでございます。

 

○小坂国務大臣 …私は、現行法、また現行法に基づきます学習指導要領におきましても、例えば小学校の道徳の時間では、命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重すること、人間の力を超えたものに対する畏敬の念を深めること、また、この世に生きることのとうとさ、死の重さを知ることを通じて命の大切さを理解し尊重する態度を育てるための教育、こういう指針を示しておるわけでございまして、こういった尊重する態度を育てるための教育を行っていると認識をいたしております。
 また、今回の法案におきましても、豊かな情操をはぐくむあるいは命をたっとびということが規定をされているところでございます。紹介するまでもないと思いますが、二条の中に明確に規定をしてきているところでございまして、教育の目的としてそれは明らかにして、四号において、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」として、命というものについて考える、そういう規定を盛り込んでおります。


 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○牧委員 …我が国の人工妊娠中絶の事例、実態について、とりわけ未成年、特に中高生の実態について、厚労省からお聞かせをいただきたいと思います。

○北井政府参考人 人工妊娠中絶件数の推移についてのお尋ねでございますが、人工妊娠中絶は、昭和三十年代におきましては百万件を超えておりましたが、一貫して減少してまいりまして、平成十六年度には約三十万件の手術がなされていると承知をいたしております。
 さらに、年代別の実施状況を見てまいりますと、三十代以上の方については一貫して減少しておりますけれども、未成年者につきましては逆に増加をいたしてきておりまして、これまでのところ、平成十三年度にピークを迎え、その後三年間においてはようやく減少傾向が見られるところでございますが、平成十六年度の数字では、二十歳未満の中絶件数、約三万五千件となっております。

○牧委員 つまりは、昭和三十年代から減少傾向にあると。これはわかるんですね、やはり経済的な事情やらいろいろ当時はあったんだと思います。ただ、やはり聞き捨てならないのは、未成年者は逆にずっとふえてきたということで、三十代あたりが一番多かったのが、今やもうそれを十代の人たちの件数が抜くというような、本当に憂慮すべき状況に現在あるわけです。
 これを、では、教育の現場ではどのような指導をしているんでしょうか。

○素川政府参考人 お答え申し上げます。
 人工妊娠中絶は、その心身に与える影響が大きいだけでなく、繰り返すことによりまして不妊症の原因の一つになるといった危険性も指摘されておりますし、重大な問題だと考えております。
 現在、高等学校の保健体育科におきましては、健康な結婚生活について理解させるとともに、人工妊娠中絶の心身への影響などにつきましても理解できるようにするということにしておるところでございます。

○牧委員 いや、全く、大臣がどう思われるかはわからないんですけれども、私は本当に寒い思いがいたしました、今のお話を聞いて。それは、体にいいわけない。そんなことぐらい、学校で教えなくたって本人だってわかるでしょうし、家庭でもまず一義的には指導する義務もあろうかと思うんですけれども、どうしてそういう事態になっちゃいけないのか、もうちょっと根っこの深い倫理的な部分も私は学校できちっと指導すべきだと思うんですけれども、猪口大臣、どう思われますか。

○猪口国務大臣 先生にお答え申し上げます。
 特に若年層の人工妊娠中絶の割合が多いということについて、深刻な問題と受けとめておりまして、発達段階に応じました適切な性教育の実施が必要であるというようなことは、男女共同参画基本計画の第二次版においても指摘しております。
 また、出産を望みながら妊娠について悩んでいる者に対する相談支援体制、非常に重要ではないかと考えております。適切な学校現場におきます性教育と、さまざまな支援体制、相談体制を強化する、そして、家族についての考え方もあわせてよく考えてもらうというような教育の仕方について推進していくことが必要であると考えております。

○小坂国務大臣 先ほど局長の答弁がありましたけれども、高校での教育の前に、小学校、中学校で命の大切さというものをどう教えているかということがやはりその根幹にあるんだと思うのですね。我々が妊娠ということについてどう教えるかということです。
 それはすなわち、人間としての生命の芽が生まれたということですよね、育ったということです、それを摘む行為が中絶ということになるんだ。そのためには、母体の保護とかいろいろな理由があると思います、そういったものをしっかり理解した上でなされるべきものであって、安易に生命の芽を摘むようなことをしてはならない、そういう倫理観をまず植えつけること。それをしっかりと植えつけていけば、おのずから、そういうものに対しての尊重、そしてまた自然の摂理というものに対しての畏敬の念というものが出てくる。そういう中から正しい判断というものが培われてくると思いますから、やはりその根幹にあるものは、命というものに対して、生と死というものに対してしっかりとした考え方を養うということだと思います。

○牧委員 今、大臣のお話を聞いてややほっといたしましたけれども、私は、やはりそこら辺の、今のお話、これは大臣のひょっとすると希望的な観測というか、恐らく学校現場ではそういうこともきちっと教えているであろうという、あくまでも推測の範囲かもしれません。
 実際に教科書を見ても、先ほどの局長のお話あるいは猪口大臣のお話を聞いても、ただ通り一遍の性教育だけなわけですよ。今の大臣のお話はもうちょっと別の観点ですね。これは学校のカリキュラムで言うと、今の大臣のお話、いやいやと言うけれども、どこに入るんでしょう。今の大臣のお話は性教育とは違うと思います。どこに入るんですか。

○小坂国務大臣 小学校そして中学校の学習指導要領の道徳では、現在、「生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。」自他というのは、人ということに限らず、人類のみならず他の生物に対してもという意味だと思いますが、同様の記述が中学校の学習指導要領にもございます。
 このような点で、「自然の偉大さを知り、自然環境を大切にする。」すなわち、人知を超えたものに対する畏敬の念というものを学ぶと同時に、命のかけがえのなさというものを教える、このようになっております。

○牧委員 そのとおり本当にきちっと教育していただきたいと思いますし、やはり教育基本法にそこら辺のところをきちっと位置づける必要が私はあると思います。
 一つの明確な価値判断をやはりこの教育基本法の中に示していただきたい。そうしなければ、これは、人に迷惑さえかけなければ何をやってもいいのか、あるいは法律に触れなければ何をやってもいいのかという次元と、倫理、道徳というのはやはり違うんだと思います。その価値判断をするための基準というもの、価値判断をするための座標軸というものがなければ、その価値の判断をできないんだと思うんですね。そのために、宗教的な感性、宗教的な情操を、これは特定の宗派だとかいうことではなくて、やはりきちっと教えていくことが私はできるんだと思います。
 昔は、おてんとうさまに顔向けできないとかいう言葉もありました、今は余り使わなくなりましたけれども。まさにそういう感性だと思うんですけれども、大臣、いかが思われますか。

○小坂国務大臣 今回の基本法におきましては、教育の目標として、第二条の一項に「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、」その後に「豊かな情操と道徳心を培うとともに、」と記述し、また第四項において「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養う」、こう規定しております。
 そしてまた、これらを推進するために、教育振興基本計画というものを第十七条で規定しておりますが、この教育振興基本計画の策定等に当たりまして、今委員が御指摘になったような具体的なもの、指導計画を立てていくということ、そしてそれを受けて、学習指導要領の中でさらに、先ほども申しましたようなところに、委員のような御意見も踏まえながら記述をしていくことになる、このように考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○斉藤(鉄)委員 同様の質問でございますが、官房長官に、宗教的情操の涵養に関して同様の質問をさせていただきます。

○安倍国務大臣 中教審の答申との関係におきましては、ただいま小坂大臣が答弁いたしましたように、適切に反映されているというふうに考えているわけでございます。
 そして、宗教的な情操について、今斉藤先生から大変哲学的なお話を伺ったわけでありまして、まさにこれは多義的なものであって、条文化するのは難しいという中において、こうした、我々は、「宗教の社会生活における地位」ということで、「宗教の持つ意義」についてはしっかりと書き込んでいるわけであります。
 この宗教的情操を大切にするという人たちがたくさんいる中において、なぜそれはそうなのかということについては、これは、必ずしも法文上で教えるということではありませんが、道徳等の中に、生命の大切さ、共生について、そして自然の神秘等を教える中において、斉藤先生が今、これは人知を超えるものへの恐れがすべてではないということではございましたが、そういうものに対してそういう感性を持っている人たちがそういうものを大切にしている、また、そういう宗教的情操について大切にしているということに対する尊重ということについては当然教えていくこともできるのではないか、このように考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○安倍国務大臣 政府の考え方としては、もう既に小坂文部科学大臣が答えているとおりでございます。基本的に、中教審の答申にのっとりまして、私ども、今政府として提出をしている改正案において、宗教については、しっかり、いわゆる一般教養としての宗教について子供たちに教えていく。そしてまた、大臣が答弁されましたように、いわゆる宗教的情操という言葉は多義的でございますので、字句としては明記はしていないわけでありますが、この宗教的な情操の大切さということについて大切に考える人たちが宗教を求めているということについても、子供たちに教えていくということでございます。
 基本的には、もちろん、政府として小坂大臣が答弁したとおりでございます。