2330宗教的情操という文言が用いられなかった理由

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○岩屋委員 …与党の協議の中では、学校で教えられるのは、あくまでも宗教に関する一般的な教養にとどめざるを得ない、宗教的情操というのは、特定の宗派を信仰したときに初めて得られるものであるから、そういう言葉遣いは適切ではないのではないかという判断があの与党協議の中ではされたんだろうと私は拝察をしておりますが、ただ、宗教に関する一般的な教養を教えるのは何のためか。最終的にはやはり宗教的情操というものを身につけてもらいたい、こういう心で、学校でもちゃんと尊重し教えよう、こういうふうになったわけなんでしょうから、私は、まさに教育の目標として、宗教的な情操を涵養するということをしっかり書いていいんじゃないか、こう思っておるんですが、政府案はなぜこの一般的な教養ということにとどめたのか、情操と書くと何が問題になるのか、これについてのお考えを聞かせていただきたい。
 それから一方、民主党の方は宗教的感性という言葉を使っていますね。私、余り聞かない言葉だと思うんですが、その宗教的感性という言葉の意味するところは何か、宗教的情操というのとどう違うのか、それぞれお答えいただきたいと思います。

○小坂国務大臣 岩屋委員がおっしゃったように、宗教的情操を教えるということになりますと、その内容が非常に多義的でありまして、特定の宗教、宗派と離れてそれを教えるということは、なかなか、具体的に論じてまいりますと、難しいということがございます。そのようなことから、私どもの基本法では、宗教的情操というふうに記述することを今回は行わなかったわけでございまして、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるべきか、こういった個人としての生き方にかかわるものでありまして、社会生活の上においては大変重要なことでございます。
 このような宗教の役割を客観的に学ぶこと、これは大変重要でありまして、その意味から、特に国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他の国の文化や民族について学ぶ上で宗教を切り離してはなかなか学びにくいということがございます。そういったことから、宗教に関する一般的な教養を教育上尊重するということにしたわけでございまして、具体的に申し上げれば、主要宗教の歴史や特色、あるいは世界的な宗教の分布などを教わっていただく。
 そして、情操ということは、人間として豊かさを、人間としての厚みを増す上で非常に必要なことでございます。従来から、道徳教育の中にあって、情操について、人知を超えた存在というものに対する認識を持つこと、こういうようなことを教えることによって、あわせて豊かな情操を涵養したい、このように考えるわけでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○斉藤(鉄)委員 …次に、宗教教育についてお伺いをいたします。
 宗教教育に関しましては、先日、そしてきょう、ともに大きな議論になっております。この問題は、中央教育審議会からも、有識者、宗教界からヒアリングを行い、大変論点になったところだ、このように聞いておりまして、時間をかけて丁寧な審議が行われたと聞いております。
 そういう意味でこの中教審答申を読みますと、「宗教は、人間としてどう在るべきか、与えられた命をどう生きるかという個人の生き方にかかわるものであると同時に、社会生活において重要な意義を持つものであり、人類が受け継いできた重要な文化である。」という基本的な考え方をまず明らかにして、したがってということで、盛り込むべき内容として、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当」、このように表現をされております。
 この答申が今回の政府案にどのように反映されたのか、これについてまずお伺いしたいと思います。

○田中政府参考人 宗教教育に関するお尋ねでございますけれども、御指摘のように、中央教育審議会の答申におきましては、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当」と提言されたところでございまして、これを踏まえまして、基本法案では、現行法の宗教に関する寛容の態度や宗教の社会生活における地位に加えまして、宗教に関する一般的な教養を新たに規定しているところでございます。
 このうち、宗教の社会生活における地位とは、宗教が社会生活において果たしてきております役割やその社会的機能などの、宗教の持つ意義を含むものであります。また、新たに宗教に関する一般的な教養を規定することによりまして、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布などの、宗教に関する知識を教育上尊重すべきことを明確にしているところでございます。

○斉藤(鉄)委員 この中教審の答申の報告書の中に、「人格の形成を図る上で、宗教的情操をはぐくむことは、大変重要である。現在、学校教育において、宗教的情操に関連する教育として、道徳を中心とする教育活動の中で、様々な取組が進められているところであり、今後その一層の充実を図ることが必要である。」このように書かれております。
 しかし、いわゆる条文に盛り込むべきというところの項目には入っておりません。「重要である。」という意見があったと書き、法文の中に盛り込むべきという答申にはなっておりませんけれども、このあたり、どんな議論があってどういう結論に達したのか、この点についてお伺いします。

○田中政府参考人 中央教育審議会におきましては、宗教的な情操の涵養に関しましてもさまざまな観点から議論が行われたところでございます。
 具体的には、宗教的情操という言葉は多義的でございまして、その中には、宗教的情操は特定の宗教に基づかなければ涵養できないのではないかといった意見もございましたことから、宗教的情操をはぐくむことは大変重要ではあるものの、条文の中にはそれを規定することについて提言されなかったところでございます。

○斉藤(鉄)委員 多義的な言葉であって、憲法に規定されている政教分離の規定との関連にも配慮して盛り込まなかったと。
 宗教的情操の涵養、これは私は非常に重要なことだと思います。私自身、仏教徒でございまして、豊かな人生を送るために宗教的情操がいかに大切か、そして、そのために私自身実践をしておりますし、また、子供たちにも豊かな人生を歩んでほしいからこそ、宗教的情操を持ってほしいという強い思いから、子供たちにも家庭の中でいろいろ教えているつもりではございます、なかなかうまくいきませんけれども。
 そういう中で、私自身実感いたしますのは、宗教的情操の涵養というのが、個々別々の具体的な宗教的な実践から離れたところにふわふわと浮いてあるものではないということでございます。
 宗教的な情操というのは、やはり宗教というのは祈りということが根本になりますけれども、祈り方とか、何をどう祈るかということは、まさに具体的な個別的な特定の宗派による実践を通して初めて情操ということが涵養される、こういう実感も私自身感じておりまして、子供たちに、宗教的情操というのがあるんだよ、これはこうこうこういうものなんだよということを言葉で言えるものではない。
 そういうことからいたしますと、宗教的情操が人生において非常に大きな価値を持つということは、私は宗教を実践していますから思いますが、そう思わない人もたくさんいらっしゃるかもしれませんけれども、そう思う私からしても、法文の中に書くのはやはり少し無理があったのかな、このように感じております。
 宗教的情操とは一体何ですかと聞きますと、先ほど笠さんも宗教的感性という言葉で答えられていましたけれども、人知を超えた力の存在、こういう言葉をよく聞くんですが、人知を超えた力の存在というのは、例えば、私たち、宇宙を学びます。宇宙とは何か、生命とは何か、物質、空間とは何かということを学んだときに、百三十億年の宇宙の歴史、地球の四十五億年の歴史の中で生命が誕生し、そして現在、我々が現実に存在している。
 なぜ我々が今現実にここに存在しているかということを考えると、ほとんど確率的にはもうゼロであるにもかかわらず現在ここに存在しているということは、ある意味では宗教ということとは別に、逆に科学を勉強すれば、勉強すればするほど、その奥の深さ、人間の力の限界、人知を超えたものの存在ということが明らかになってくるわけで、私は、あえて人知を超えたものの存在を宗教的情操ということであらわすのは適当ではないのではないか、このようにも思います。
 また、宗教的情操の涵養は、いや、山川草木すべてに聖なるものが宿るんだ、だから物を大事にしなきゃいけない、これも一つの考え方かと思いますけれども、宇宙の歴史からひもとけば、ここにこのものがこうやって存在することの不思議さというのは確かにわかるところでございますけれども、しかし、すべてに聖なるものが宿るとすべての人が考えているとも思えない。そう考えていない人もたくさんいる。そういうことを考えれば、ここで宗教的情操と言っていることの意味というのは一体何なのかなというふうに思うものでございます。
 ちょっと長々と話してしまいましたけれども、今回の政府案は中教審の答申からも後退したのではないかといった観点からの質疑もございましたけれども、私は、中教審の答申の趣旨が適切に反映されているのではないか、このように考えますが、文部科学大臣の明快な答弁を求めます。

○小坂国務大臣 斉藤委員が今いろいろと御説明をされました宗教的情操、大変にいろいろな角度から御説明されましたけれども、最終的に、それでも尽くせないというようなことも含んでおられました。すなわち多義的だということでございます。
 宗教的情操という言葉は多義的でありますので、その中には、宗教的情操を説明するためには、特定の宗教を例に引いたりその教義に基づいたりしないと説明できないというような意見もありますから、今回の基本法では、そういうことではなくて、中教審に述べられた「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」こういうような答申をいただきましたものですから、その一つ一つを忠実に私どもは守ってまいろうと思ったわけでございます。
 第十五条の頭にあります「宗教に関する寛容の態度」というのは、「宗教に関する寛容の態度」という語句そのものを引いて規定をいたしました。そして、それに続く、「態度や知識、」と言われておりまして、その「知識」の部分は「宗教に関する一般的な教養」という部分で条文で受けたわけでございます。そしてさらに、「宗教の持つ意義を」と書いてございますので、その「宗教の持つ意義を」ということを「宗教の社会生活における地位」ということであらわしたわけでございます。それで、「を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定する」ということで、「教育上尊重されなければならない。」として第十五条の文章に受けてまいりました。
 このようなことで、私どもは適切に中教審の答申を反映したものというふうに考えているわけでございます。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○松本(剛)委員 …官房長官にお戻りをいただきました。宗教教育について、官房長官に一点お伺いをしたいというふうに思っております。
 宗教教育については、我が党の鳩山幹事長が本会議でも官房長官にお話をお伺いしました。御答弁、全部は読む時間がありませんので、ポイントだけ御紹介を申し上げますが、宗教に関する教育が適切に実施される、この教育基本法によって適切に実施されるものと期待している、こういう御答弁をいただいたというふうに理解をしておりますが、今回の法案では、宗教に関する一般的な教養というのを新たに規定したというふうに書いてございます。これは、現行法でも、政治について、政治的教養というふうに書いてあります。
 そもそも中教審の答申では、宗教の意義ということを取り上げて、これを尊重することが重要であるというふうに話が出ておりました。私どもから見れば、これは後退であり、一般的教養ということであれば、今の政治教育並みということでいいという御理解なのかどうか。
 これについて、中教審から、変わったのではないか、後退をしたのではないかということについて、中教審の会長もその背景、事情は聞いていないということを言っておられるという話もお聞きをしておりますので、官房長官から、ぜひ中教審答申から変えられた理由を御説明いただきたいと思います


○安倍国務大臣 お答えいたします。
 まず、中教審の答申にまさにこたえる形で政府案はできているというふうに思います
 中教審答申におきましては、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」このように提言をされています。
 これを踏まえまして、教育基本法におきましては、現行法の「宗教に関する寛容の態度」や「宗教の社会生活における地位」に加え、「宗教に関する一般的な教養」を新たに規定いたしまして、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布などの宗教に関する知識など教育上尊重すべきことを明確に規定いたしております。

 このことによりまして、各学校におきまして、改正の趣旨を踏まえ、宗教に関する教育が適切に実施することが求められるものでありまして、本法案の内容は答申からは後退したものではない、このように思います。
 また、宗教の持つ意義でございますが、宗教の持つ意義につきましては、宗教が社会生活において果たしてきた役割や、その社会的機能などの宗教の持つ意義については、現行法と同様、「宗教の社会生活における地位」と規定をいたしております。

○松本(剛)委員 答申に携わった方々が趣旨が違うのではないかと理解をされておるからこそ、そういう御発言が出ているのではないかと思いますが、私から見れば、官房長官は変わっていないと強弁をされているのではないかなというふうに思います。
 また、一般的教養というのは、今の繰り返しになりますが、政治教育で行われている用語と重なってくるわけでありまして、現在行われている政治教育の評価もこれはさまざまあろうかと思いますけれども、極めて大切な宗教教育を現行法の政治教育と同じようなレベルの水準にこれから持っていくことが望ましいというふうにお考えになっているという答弁をいただいたということだけ最後に私の方から申し上げて、それでよろしければもう終わりたいと思いますが、よろしいですか。

○安倍国務大臣 ただいま答弁をいたしましたように、宗教の持つ意義、意味、またその重要性、地位について、しっかりと子供たちに教えることによって理解を深めていく、宗教的な情操心の大切さ等々についての理解を深めていくということにおきましては、これはまさに中教審の答申の意味するところを十分に踏まえたものである、このように考えております。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○藤村委員 「宗教に関する一般的な教養」のみをつけ加え、しかし、中教審答申において、ぜひとも規定すべきというふうな、割に強い言い方で答申された「宗教の持つ意義を尊重することが重要」、これを飛ばされた、それはなぜですか。

○小坂国務大臣 人間が与えられた命をどのように生きるか、こういうことは、やはり社会生活の中で大変重要なことでございます。
 今日、社会のいろいろな事件の中で、命というものの大切さというものがどうも軽んじられているのではないか、そういった社会事象が見られる中で、私どもとしては、そういった宗教の果たす役割、社会的な役割というものを知っていただくこと、また同時に、他国に対する理解を進めようとした場合に、その民族の背景にある宗教というものをやはり教えないわけにはいかない。そういったことから、国際社会における理解の促進を図る、こういったことも踏まえまして、宗教に関する一般的な教養というものをしっかり持っていただこう、こういうことにしたところでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 なぜ日本人の精神的な部分に陰りが出てきたのか、文部大臣のお話でございますけれども、私もそこは認識を共通にするものがございます。
 本当を言えば、子供のための教育基本法というよりも、大人のための教育基本法が必要なんだろうと思うわけですし、子供は親の鏡ですから、親の意識が子供に反映してそういった混乱の事象を招いているということを私は感じるわけであります。そういった意味で、今までの教育基本法は本当によかったのか、これも確かに一つの大きなポイントでありましょう。
 そういったときに、中教審から答申が出された、これが、宗教に関する知識及び宗教の持つ意義、これに対してしっかりとした法的な意味を与えるべきであるという話がございました。これが、私もいろいろと審議を読んでみましたけれども、政府の方で一般的教養という形に何か包含されたような、どうももうちょっと、民主党の案に見られるような宗教的な感性とかそういったものをしっかりと書き込んでもよかったのかなというのが、これは自民党の議員さんからも質問に出ていましたけれども、ちょっと何かやや後退したような感じがするわけでございますが、その辺の経緯についてどういうふうに説明されますでしょうか

○小坂国務大臣 宗教教育に関しては、決して、言い足りないといいますか、そういうような形ではなくて、今回の改正法案の第十五条にあります「宗教に関する寛容の態度、宗教に関する一般的な教養及び宗教の社会生活における地位は、教育上尊重されなければならない。」というのは、非常に適切な表現だと思うわけでございます。
 宗教は、人間としてどう生きるか、あるいは与えられた命をどう生きるかなど、個人の生き方にかかわるものであって、社会生活上、非常に重要な役割を持っているものでありますし、このような宗教の役割を客観的に学ぶことは教育上も大変重要な部分であるとも思っているわけでございます。
 特に、国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他国の文化、民族について学ぶ上で、その背景にある宗教に関する知識や理解を深めることが必要であることは、委員御自身が述べられているとおりでございます。
 このような観点を踏まえまして、中央教育審議会答申の中で、宗教に関する教育については、「宗教に関する寛容の態度や知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定することが適当。」このように答申をされたところでございます。
 これを受けまして、新たに「宗教に関する一般的な教養」を規定し、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、宗教に関する知識などを教育上尊重すべきことを明確に規定したところであります。これが、言ってみれば経緯でございます。