2320宗教に関する一般的涵養の意義

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○河村(建)委員 次に、宗教教育についてちょっとお伺いしたいと思うのでありますが。
 人間として生きていく基礎を養う、やはり宗教的な知識を教養として発達段階において身につけていくということは、非常に大事だというふうに思います。国公立の学校が特定の宗教のための宗教教育を禁止する、これは当然のことなんでありますけれども、現行の教育基本法第九条第二項、これが非常に強調され過ぎて、学校の現場では宗教教育そのものをタブー視する動きがある。極端な例としてよく出されますが、学校給食をいただきますとき、自然に日本人は、いただきますとこうやる、これは仏教ではないか、やめなさいと言う先生が中にいたという報告があって、私も唖然とするのであります。
 やはり、今回のこの新教育基本法においては、そのことに対しては、宗教に関する一般的な教養、これを尊重しなきゃいかぬということについて、まさに一歩踏み込んだわけでございますけれども、中教審においても、この宗教的な情操の涵養の重要性も提言をされておるのでありますが、宗教的情操というのは非常に多義的な意味を持つ、そういう点で、宗教の教義に踏み込んだ指導はやはりしないという、そういう点で、宗教的な涵養ができないという指摘がある。
 諸外国、私もこの連休に自民党の議員団の皆さんと一緒に、フランス、イギリス、イタリア等回りましたが、やはりそれらの国も宗教教育は持っておりますけれども、これはやはり一般的な教養という理念ですね。本当の教義に踏み込んだ情操、本格的な情操ということになると、やはり教会であり家庭でやるべきだというのが基本認識だということも私も理解いたしました。
 そういう意味で、今後、この教育基本法の改正案で宗教に関する一般的な教養を規定する、この一般的教養とは何か。現実に、現在これは、実際にどういうふうに教えてきて、これからどういうふうに変わっていけばいいのか、これは学習指導要領との関連もあろうと思いますが、この点について、大臣、いかがでしょうか。

○小坂国務大臣 委員御指摘のように、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるかなどについて、個人の生き方にかかわるものでありまして、社会生活において重要な役割を担っているわけでございます。
 このような宗教の役割を客観的に学ぶことは大変重要でありまして、特に、国際関係が緊密化、複雑化する中にあって、他の国の文化、民族について学ぶ上で、その背後にある宗教に関する知識や理解を深めることは必要であると思っておるわけでございます。
 これを踏まえまして、法案では、従来の規定に加えて、宗教に関する一般的な教養を教育上尊重することを新たに規定したものでありまして、その具体的な内容といたしましては、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、これは宗教に関する知識であるわけであります。
 具体的に現在どうやっているかということも踏まえますと、宗教に関する一般的な教養に関しましては、現在、小学校、中学校の社会科や高等学校の地理、歴史、そして公民において指導が行われているところでございまして、例えば、歴史における宗教の役割や影響、世界の宗教分布などが取り上げられておりますが、今後、この今回の基本法改正の趣旨を踏まえまして、学習指導要領の見直しを検討するなど、宗教に関する一般的な教養についての指導が各学校において一層適切に行われるように努めてまいりたいと考えております。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○斉藤(鉄)委員 宗教的情操が大変大切だという人たち、そういう人たちがいるということを教えていく、これは当然なことだと思います。
 それでは、これに関連いたしまして、今回、政府案に「宗教に関する一般的な教養」ということが新たに付加されました。具体的にどのような内容をお考えなのか、お聞きいたします。

○馳副大臣 具体的には、世界における主要な宗教の歴史についてとか特色とか、また、我が国とのかかわりであるとか、そういったまさしく一般的な知識について理解を深めるということであります。

○斉藤(鉄)委員 この新しい条文に基づいて、具体的には、今後学校でどのように進めていくのか。今、馳副大臣がおっしゃったことですと今までもやってきたような気がするんですが、新たにつけ加わる内容としてどんなものがあるでしょうか。

○馳副大臣 具体的に私が申し上げるというよりも、今回の改正そして今回の議論を通じて全面的な改正といたしておりますので、中教審において学習指導要領を全面的に見直しをしていただくということになりますから、今回の改正の議論を通じて、宗教に関する一般的な教養といったことで、発達段階に応じてどのような内容がよいかということが中教審において検討されるべきものであると考えております。
 現状をちょっと申し上げますと、例えば、小学校の社会では大仏造営の様子とかキリスト教の伝来について、中学校の社会においては仏教の影響などについて、高等学校の公民においては人生における宗教の持つ意義や日本人に見られる宗教観などについて、学習指導要領に基づいて指導されているものでありまして、また、今回、いわゆる国際的な中においての宗教の役割とか特色とか我が国とのかかわりといったことが検討されて、学習指導要領に規定されるものと考えております。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○小坂国務大臣 …新たに「宗教に関する一般的な教養」を規定し、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、宗教に関する知識などを教育上尊重すべきことを明確に規定したところであります。これが、言ってみれば経緯でございます。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 …高校になって初めて宗教という形でとらえるのではなくて、小学校あるいは中学校のころから、宗教とは何なんだという問題意識を持たせるような記述もこれからは必要なんだろうと思うんですね。
 ですから、そういった意味でいけば、先ほど大臣がおっしゃいましたけれども、中教審の言葉そのものが、後退したような形ではなくて、実際はそれを踏まえての言葉なのである、一般的教養という言葉の中に入っているんだ、そういうふうに私には聞こえたんですけれども、それでよろしいですか。

○小坂国務大臣 一般的な教養の中に入っていると考えて結構だと思います。
 今委員がお引きになりましたように、先ほど説明すべきでしたかもしれませんが、現行の学校教育における宗教の取り扱いでございますけれども、小学校段階におきましては、今お話がありましたように、大仏の造営等の話もございますけれども、同時に、農耕が始まって、古墳について調べたり、大和朝廷について調べたり、そういう中から、神話、その伝承というものを調べる、あるいはキリスト教の伝来、織田、豊臣の天下統一について調べる、こういった形から、人物、代表的な文化遺産を通して学習をする中で、ある一部の宗教的な事実について学んでいくという程度でございますし、また、中学校におきましては、大和朝廷による統一を通して理解させ、その際に、当時の人々の信仰、大陸から移動してきた人々が我が国の社会に果たした役割等について気づかせる、あるいは、そういった中で仏教の影響あるいは神話、伝承等を学ぶということになっております。高校においては、先ほど委員が御指摘なさったとおりでございます。そういった形を通して一般的な教養というものを身につけていただく。
 また、後ほど質問をいただければ、またさらに踏み込んだ話になっていく、御説明申し上げたいと思います。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 …そういった世界的な宗教というもの、その教義というものを教えることは私はできるんじゃないかと思うんです。教えるというか、紹介するということは少なくともできると思うんですが、そういったことは全く構想に入っていないんでしょうか。

○小坂国務大臣 構想に入っているかどうかということですが、宗教教育において、どの程度までというのが一番難しい部分でございます。宗教に関する教育につきましては、宗教に関する寛容の態度の育成、宗教に関する知識と宗教の持つ意義の理解、特定の宗教のための宗教教育などに分けてとらえることができる。そのうちの特定の宗教のための宗教教育その他の宗教的活動を行うことは、国公立の学校においては禁止されていると理解すべきだろう。
 今、その特定というのは一体どうやって特定するのかという委員の御指摘でございます。ここが非常に難しいわけですね。おっしゃるように、仏典をどのように理解するか、またその教義をどのようなものとするかということで宗派というのが分かれてきているわけであります。したがって、宗教の教義という部分に踏み込むと、これは特定の宗派というものに入った、宗教的活動にまで踏み込んでいく可能性が強くなってまいります。
 したがって、宗教の名称とか、それからその各宗派等についての、始めた始祖といいますか、そういった人物の名前等までは一般的な教養の範囲に入るかと思うわけでございますが、宗教の教義ということになりますと、特定の宗派の教義は、特定の宗教のための宗教的活動として、一般的な国公立の学校では慎重に取り扱われるべきものだろうと私どもは考えておるわけでございまして、そういう範囲内でとらえるべき、こう理解をいたしているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 …私が言っているのは、要するに、布教とかそういったものにかかわらない形での、単に紹介ですよね。それが今政府が言っている一般的教養という話なんでしょう。そこの中でそれをかなり深く掘り下げていく、そして、宗教というのは客観的にこういうことを言っているんだ、世界的な宗教、そういった大くくりの中では、紹介という形であれば、これは、特定の宗教活動を支援しているあるいは布教しているということに当たらないと思うんです。それはいかがでしょうか。

○小坂国務大臣 …また、この十五条の二項というのは、現行と同様に、禁止している内容は、今申し上げたような、当該行為の目的が特定宗教に関する宗教的意義を持つ行為であって云々ということで、これは、いわゆる布教活動に当たる場合は当然禁止を受けるわけですね、委員がおっしゃっているとおり。布教活動というのは、信者をふやす行為またあるいはその宗教を広めるという行為ですから、これは、当然、宗教活動に当たるわけですから禁止されるわけであります。
 宗教に対する寛容の態度や一般的な教養など、宗教教育を行う際にその題材として特定の宗教を紹介することは当然あり得るわけですけれども、その際、布教はもとより、特定の宗教に偏った取り上げ方をすることは宗教的活動に該当するおそれが高いものと、このように解しているわけでございます。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 宗教というものそのものは、別に善も悪もない、非常に、人の生き方、宇宙の理法をあらわしているんだろうと思います。ただ、宗教教団となってしまうと、人間的な欲望が絡み合って、教団の勢力拡大、そういうふうになっていく、そこで大きな間違いあるいは争い、闘いが始まっていくわけでありますけれども。
 例えば、お釈迦様が生きた、こういう偉大な先達が生きてきて、こういう考え方をして、こういうとらえ方を人生においてしたんだ、こういうことを言うことですね。さっきの特別講師の例えばお坊さんが、お釈迦さんというのはこういうことで、こういうふうな人生を歩んで、物事を、例えば欲というものを捨てることによって栄耀が得られるのである、そういうふうにとらえたんだと。これは人生の軌跡ですよね。キリストならキリストが、宇宙を彼がどういうふうにとらえたか、これを言うことが特定の宗教派閥の宣伝をしていることになるのかどうか。
 これは何が問題かというと、当然、先ほどからのテーマなんですよ。特定というのは一体何なんですか、これなんですが。偉人として、しっかりとしたこういう生き方をしたんだ、それをお釈迦様と言ったら、これは特定になるんですか。

○小坂国務大臣 まさにこの話は神学論争というものでして、どこまでが入ってどこまでが入らないかというのを判断するのは、個別具体的に判断する以外にないんだと思うんですよ。ですので、ここで今例に引かれたそのとおりに話すかどうかということによって、また変わってくる部分もありまして、そういう意味で非常に難しいんですね。
 ですから、まだ、今御説明いただいただけでは、お釈迦様についての客観的なお話であれば、それは宗教教育には当たらないと思います。いわゆる歴史上の人物の紹介という範囲内、またそれが宗教家であるという事実、これの紹介にとどまると思いますので、これは一般的な教養の範囲に入るものだと私は考えます。

○末松委員 ちょっとしつこいようで申しわけないんですけれども、では、お釈迦様の人生、これは具体例をどこまでやるかという大臣のお考えもお聞きしているわけですが、物事の認識の仕方、お釈迦様はどう認識されたか、この認識の仕方についてしゃべるということはどうなんですか。そこは仏教の、まあ仏教といってもいろいろな教義がありますよ。その中で、その方が、お坊さんがとらえられているお釈迦様の認識の仕方を説明した、つまり紹介したという話であれば、私はそこは問題ないと思うんですけれども、いかがですか。

○小坂国務大臣 大変難しい問題を次から次へなんですが。
 お釈迦様がこういうふうに考えられて、こういう悟りを開かれたという話はぎりぎりの話だと思いますが、しかし、したがってお釈迦様はキリストとは違うんですとか、具体的にどこか他の宗教と比較をするとか、そういうような話になると、これは非常に、特定宗教を布教するという形になる、あるいは他宗教を排斥する、排除することにつながってくるということにおいて、憲法の規定にも反することになると思います。
 その辺が個別具体的に判断されるべきと思いますが、今おっしゃった範囲内ではちょっと判断しかねるというふうに思います。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○土肥委員 …修学旅行で伊勢神宮によく行きます。これは宗教教育ですか、宗教教育じゃないんですか。

○銭谷政府参考人 教育基本法におきましては、国公立学校においては、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動を行うことが禁止をされております。ここで禁止をされているのは宗教的意義を有する行為であって、その効果が宗教に対する援助や排斥などに当たるものと解されております。
 一般的には、ただいまお尋ねの件に関連して申し上げますと、宗教的儀式に参加する目的ではなく、かつ児童生徒に強要せずに、歴史、文化を学ぶことを目的として神社などを訪問することは、禁止されている宗教的活動には該当しないと考えております。

○土肥委員 では、教師があるいは神社側のどなたか、神主さんが、これはこういう神社ですよ、こういう歴史があるんですよ、そして恐らく日本の歴史の発祥、歴史かどうかわかりませんけれども、アマテラスオオミカミから始まって三種の神器や何かの御説明をされた、あるいは教師がした。これは宗教教育にはならないんですか。

○銭谷政府参考人 これも一般論として申し上げるわけでございますけれども、神社や寺院、教会等を訪問した際に、学校が児童生徒に対しまして拝礼などの宗教的行為を強要するということは、許されないと思っております。
 ただ、その神社等の歴史あるいはその神社の施設の文化的な説明、あるいはその神社の歴史上いろいろな事柄にかかわってきたことについて知識としてお話をするということは、許されることだと思っております。