2310一般的教養導入の理由

 

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○糸川委員 …次に、第十五条の宗教教育についてお尋ねをさせていただきたいと思うんですが、宗教教育に対する考え方につきましては、既に以前の質疑におきまして、大臣からも、客観的かつ積極的に指導を行っていくことが重要、このように御説明をいただいております。私も、学校で行われる宗教教育というものは客観的に行う必要があるというふうに思います。恐らく、そのあたりも配慮されて今回のこの改正案になっているのではないかなというふうに思うわけでございます。
 ここは大事なところでございますので、改めて、今回、宗教に関する一般的な教養、これについて規定した趣旨をお聞かせいただけますでしょうか。

○田中政府参考人 宗教に関する一般的な教養を規定した趣旨でございますけれども、これは中教審で答申されておるところでございますが、宗教は、人間としてどうあるべきか、与えられた命をどう生きるかなど、個人の生き方にかかわるものでありまして、社会生活において重要な役割を持つものである。このような宗教の役割を客観的に学ぶことが大変重要でありまして、特に国際関係が緊密化、複雑化する中にありまして、他の国の文化、民族について学ぶ上で、その背後にある宗教に関する知識や理解を深めることが必要である、こういったことから、本法案では、主要宗教の歴史や特色、世界における宗教の分布など、客観的な知識である宗教に関する一般的な教養を教育上尊重することを新たに規定しているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○末松委員 …政府案の方について話をさせていただきます。
 政府案の方は、宗教教育ということで、従来の現行法に加えて一般的な教養という点をつけ加えております。これは、なぜそういった一般的な教養という文言が入ったのかということを聞くわけなんですけれども、その前に、現状を見て、どういう問題点、あるいは今のままではいけないという話があったのか。
 特に、文部大臣におかれては、この教育基本法の改正を急ぐ理由として、私ども民主党は、憲法を改正してから教育基本法を改正すべきだという立場でございます。なぜ教育基本法がまず改正されなきゃいけないんだ。憲法というものをしっかりと改正した後で、その憲法の精神を踏まえて、そういった社会をつくるための教育基本法であるべきだという、横光議員以下いろいろな方が私ども指摘したことに対して、大臣の方で、実は今、子供の事件とか、とんでもない社会になっている、そういったことで急ぐ必要があるんだというお話もしておられました。
 そういうことを踏まえて、現状どういう問題点あるいは危機感を持っているからこういう文言を入れたのか、その現状認識についてお伺いします

○小坂国務大臣 …我が国の国民の教育水準を向上させてきた現行の教育基本法も、今日の社会情勢の中で、委員も以前の質疑を参考に引かれましたけれども、今日、国民の皆さんの多くが、親子の関係というものの中で、親が子供を殺したり、あるいは子供が親をあやめたり、いろいろな事象が出てきている。また同時に、道徳心やいわゆる公共に奉仕する心、あるいは学校の教育の面においては、不登校やいじめや学級崩壊といったような状況まで見られるようになってきた。
 こういったいろいろな毎日の報道や事件を目にするにつけ、通学路の安全の問題や何かが、こういうものを見ていて、多くの皆さんが、日本はどうも昔のような、日本の美しい、精神的な背景といいますか、日本人固有の情操面での心の豊かさとか、そういったものが少しずつなくなってきているのではないだろうか、それはどこに起因するんだろうか、やはりこれを立て直していくには教育の改革が必要ではないか。そのための一番の大もとになる教育基本法も、六十年、まあ五十九年、正確に言えばそうかもしれませんが、六十年改正をされないできた。
 今日的なこういった課題を踏まえて、それの新たな解決策の一番根底になるものとして、教育のすべての法体系の基本をなす教育基本法の改正が今必要ではないかということが国民会議でも検討され、そして中教審でも議論をされ、そして中教審からの答申もいただく中で、私どもも、今日、改正が必要だろう、このような認識のもとに、与党での御議論、そして中教審を初め国民的ないろいろな御意見を聞く中で、やはり改正をすべきだと。これは民主党さんの方も同じようなお考えで改正案を提出されているわけですから、この辺の御認識は一脈通ずるものがあるんだと思いますが、そういうような観点から改正に至るわけでございます。
 また同時に、御質問いただいている課題の面に触れれば、宗教教育については、憲法二十条の規定をしっかりと踏まえる中で、教育における宗教の問題というのは非常にデリケートであるということから、取り扱いが難しいという認識のもとに、ある意味では慎重になり過ぎた面もあったのではないか。そういうことが、いわゆる宗教的情操と言われる面において、日本人の精神的な背景の部分に若干陰りが、陰りというと言葉が違うのかもしれませんが、若干取り違えられる可能性もありますが、ある意味の陰りのようなものが出てきたのではないか。こういう認識から、そういった面も踏まえて今回の十五条の宗教教育に関する規定も盛り込まれたところというふうに理解を、理解というか、そういうことから改正の提案をさせていただいているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 …次に、憲法二十条と教育基本法九条の規定は、信仰を強制してはならないというふうにございます。これについての大臣の見解を求めたいと思います。
 もし、宗教に触れなければ政教分離の規定に抵触することは一切ないというような指導が教育の現場でなされているとしたら、これは大変ばかげたことであるなというふうに個人的には考える次第でございます。例えば、いただきますを言わせなかったり、修学旅行で伊勢神宮の入り口の手前で解散するとか、これは行き過ぎた教育じゃないかというふうに思うわけでございまして、例えば交通事故を起こすおそれがあるから車に乗らないと言っているようなものではないかというふうに考える次第でございますが、大臣はどう思われますでしょうか。

○小坂国務大臣 委員が先ほどから述べられていることには、私は多くの賛意と、本当に敬意を持って聞いておるわけでございまして、まさに委員が御指摘なさっているようなことが今日欠けてきて、徳育というものが欠けたということについて御主張されたことも、そのとおりだと思っております。
 ただ、徳育が欠けてきたものの一つに、「教育は、不当な支配に服することなく、」というこの規定が一部の勢力によって間違った使われ方をしたためにそういった教育がなされなかったという部分もあるように思っておりまして、それはすなわち、今御質問いただきました憲法第二十条と教育基本法九条の規定の、信仰を強制してはならないという点についても、同じように不当な支配という部分が影響したというふうに私どもは考えたわけでございます。
 そこの部分をしっかり踏まえた上で、法律によって、憲法に適合する有効な他の法律の命ずるところをそのまま執行する教育行政機関の行為がここに言う不当な支配にはなり得ないという最高裁の判決を引きながら、私どもは今回不当な支配を規定し、そして、ただいま御指摘をいただきましたように、宗教の問題についても、行き過ぎた抑制というものが宗教的ないわゆる情操というものに、御党の方の提案でいえば宗教的な感性と言われるような部分に過度の抑制が働いてしまって、いわゆる人間として必要な情操が十分に培われなかったのではないかというふうに反省をしているところでございます。