2300靖国参拝について

 

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○土肥委員 またこれを余り論争すると神学論争と言われますからやめたいと思います。本気になって私と神学論争をする方があれば、皆さんにどんな議論でもいたします。やはり政治家が神学論争というのはやめましょうよ。神学をやったこともない人が神学論争をやるということでございます。
 たくさん宗教があるということを申し上げましたけれども、最大の母体は神社宗教だろうと思います。祭事に出ますと、歴史は二千六百何十年とおっしゃるんですから、日本国開闢以来ある宗教が神社宗教でございます。
 神社宗教というのは、教義がない、教えがない宗教なんですね。もちろん、教派神道というのがございまして、その後生まれて、大本教とかいろいろございます。そういうグループは、神道ではありますけれども、教派神道と呼んでおりますね。教義を持っている。つまり、宗教団体を、神社を離れて教会をつくるというときには、それなりの主義主張があってつくるわけでありますから、それでいいのでございます。
 しかし、多くは、教義のない、教えのない、伝統だけで宗教を営んでいる神社ですね。私は神主さんからこう言われたんです、今度例大祭があるから来てくれないかと。いや、私、宗派が違うんですけれどもと言いましたら、いや、よくわかっている、でも、あなたしかこの地域で国会議員はいないんだから、来てほしいというわけですね。まあ、それではと。そのときに、その神主さんがおっしゃったことは、土肥さん、心配要らない、神道は、形だけです、中身は問わないんですと。だから、形だけでいいからおいでよ、こうおっしゃるので、本当に形だけなんだろうと思って行きましたら、なかなかそれはまた二礼二拍一礼だとかございまして、私はしょっちゅう間違って、うちの秘書が後ろで笑っているんですけれども。
 私は、神社に行っても何の抵抗もありません。なぜならば、そこに教えがないからです。教えがあると、それはアマテラスオオミカミとかそれから皇室と結びついていますから、皇室の繁栄をというようなことをいいますけれども、それ以外はほとんど問題がないわけです。
 一番傑作なのは、選挙のとき、私はやりませんけれども、地方議員、市会議員などがやるときに、民主党の候補者の中にそれぞれ神主さんが来るわけですね。そして、おはらいをするわけですね。神様、大変だろうなと思う。この議員を通してやってくださいというと、あとは落としてくださいということだし、どんな気持ちで祝詞をささげるのかわかりませんけれども、日本というのはそういうところでございます。
 せっかく官房長官おいでになっていまして、きょうは限られた時間の中だというふうに聞いておりますので、要するに、神道あるいは神社というのは伝統と儀式があるだけでございまして、そこで祭神と申しますが、なぜそこに拝みに行くかといえば、大抵はアマテラスオオミカミ、皇室もそうですね、皇室の祭礼もその中心的地位を占めるのはアマテラスオオミカミでございます。
 では、二千六百年の間、今度はだんだん神々がふえてまいりまして、いろいろな神が生まれます。明治神宮なら明治天皇、徳川家康だったら東照宮ですね、祭神がかわってまいります。
 官房長官に申し上げたいのは、小泉総理大臣が靖国神社に五年続けて参拝した、これは、神道の伝統からいうと、あの靖国神社は、だれを祭神としているのか。アマテラスオオミカミではないのか。そして、そこに参拝するというのは、どういう意味で小泉総理大臣は参拝しているのか。その心のうちがわかれば、お答えいただきたい。わからなければ、あなたの心のうちを伝えてほしいと思います。

○安倍国務大臣 二点、御質問があったというふうに思います。
 一点は、靖国神社の祭神についてでありますが、靖国神社は、国事に殉ぜられた人々を奉斎するという宗教法人規則になっております。
 そして、では、総理がどういうお気持ちで靖国神社にお参りをされているかということでございますが、これはもう総理が今まで累次御説明をしてきたように、国のために戦い、命を落とされた方々に手を合わせ、御冥福をお祈りするためにお参りをしている、そしてその際、恒久の平和を願い、不戦の誓いをしている、こういうことだろうと思います。

○土肥委員 祭神は、どういうふうにおっしゃいましたか、もう一度お願いします。

○安倍国務大臣 ただいま申し上げましたように、これは、靖国神社の宗教法人規則によれば、国事に殉ぜられた人々を奉斎するということでございます。

○土肥委員 国事に殉じた者を、祭神ですから、神とするわけですね。神とするんですよ。そういう独特の目的を持った神社が靖国神社なんです。
 いや、アマテラスオオミカミならば伝統的神社宗教の根源でありますし、まあ、明治神宮だとか日光の東照宮であるというようなことは、かなり近代の、これも意図的ではございます、徳川家康が自分で神社をつくれと言ったんですから。今や文化財にもなるような豪華な神社をつくったわけですね。
 祭神が、国事に殉じた戦死者、これが神になっているわけですね。それをお参りになられるということはどういうことなんですか。一方でいえば、慰霊という言葉がございますけれども、そこに参拝するというのはどういう意味だと官房長官はお考えでしょうか。(発言する者あり)

○安倍国務大臣 ただいま申し上げましたように、それは総理のお気持ちということでの御下問でございましょうか。総理のお気持ち……(土肥委員「あなたのお気持ちでもいいです」と呼ぶ)私の気持ちでもよろしいですか。
 まず、総理のお気持ちについては先ほど申し上げたとおりでございます。
 私の気持ちということであれば、靖国神社につきましては、明治の御一新以来の国難に殉じた方々が祭神として奉じられているわけでございます。私の地元は山口県でございまして、長州の偉人吉田松陰先生以下、明治の回天の大事業で亡くなった多くの方々も祭神として祭られているわけでありますから、そうした方々も含めて、国のために殉じた方々に手を合わせ、そして御冥福を祈り、尊崇の念を表するために、政治家として、また一国民としてお参りをしているわけであります。
 多くの、例えばさきの大戦の御遺族の方々が、御主人あるいは父親、息子、愛する人たちの霊を慰めるために、そこに足を運んでいることから、御遺族にとっては慰霊の中心的な施設になっているというふうに私は承知をしているわけでございます。私も政治家としてそこにお参りをし、手を合わせている、こういうことでございます。

○土肥委員 今慰霊という言葉が出ましたけれども、これも日本独特なんですね。死者を生きている者が慰霊する、霊を慰めるという考え方なんですね。教育基本法と関係ないじゃないかと筆頭がおっしゃいましたけれども、こちらの筆頭ですけれども、宗教教育というのは、神社を、いわゆる神道というものをやはり教えなきゃいけないんでしょう。そして、その他の、仏教やキリスト教やイスラム教や、いろいろな宗教がありますから、これは全部教えようと思ったら大変です。先ほどの地位という話からいけば、地位のないものは教えぬでよろしいというようなことにもなりますけれども。
 ですから、今官房長官がおっしゃったのは、神社神道の中で独特の性格を持った靖国神社であるということ、そして、戦死者の魂というか霊というか、それを慰めるために行くんだと。これは強い信仰告白なんですよ、私に言わせれば。非常に性格がはっきりした靖国神社なわけです。いいとか悪いとかというのは信じる人の判断でいいんです。これは、総理がマスコミを引き連れて靖国神社に出て行って、全国民が見ているわけです。
 では、一つ聞きましょう、どなたがお答えになるかわかりませんけれども。
 ある子供が、靖国神社とは何ですか、どうして総理はあそこだけは特別な思いでお参りするんでしょうかと聞かれたときに、教師は何と答えたらいいんでしょうか。

○小坂国務大臣 だれも手が挙がらないようでございますので、私からお答えしたいと思いますが、私は、それは総理の内心の問題でございますから、そこに立ち入ることはないと思いますが、小泉総理大臣という方がお参りしたいと思うからお参りするんだろうねという答えで、それ以上に入らないというのが適切なことだと思っております。

○安倍国務大臣 それは、例えばその際、憲法二十条において「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」ということになっています。日本は、信仰の自由、信教の自由を保障している、民主主義そして自由主義、基本的人権を保障している、私たちはそれを守ってきたということも、子供たちにその場を通じて教えていくということも可能ではないか、このように思っております。

○土肥委員 全く憲法論議を子供としているようなものでございまして、子供はそんなことを聞いているんじゃないんです。ああやって大騒ぎになる、中国も韓国も大騒ぎになっている、首相が公式訪問できない、これくらいのことは子供でも知っていますよ。そして、どうして靖国神社なのということを聞く子供だっておりますよ。そうしたら、教師は、答えない、憲法二十条を唱える、これでは教師としての資格を失するものじゃないかというふうに思っております。だから、どう答えていいのかわからない内容のことなんです。
 したがって、これは軽く考えたらいけないんです。靖国神社というのは、やはりそういう神社の特性を語らないで靖国神社参拝を論議することはできません。
 それと同時に、内閣総理大臣が出かけるということは絶大な影響力を国民に与えておって、ある評論家によれば、観光地としての靖国神社を訪問する人が多くなって、外国人も行くようになったというような話ですけれども、行っても何もわからないだろうと思うのでありますけれども。そういう宗教教育というふうなところから外れて政治家が宗教的アクションを起こすときに、そのアクションは宗教教育よりもはるかに大きな影響力を国民に与えているということですよ。
 ですから、政治家というのは、あだやおろそかに宗教行事に参加してはいけないんです。参加するならば、ちゃんと自分の参加する理由を挙げてやるべきであって、特に、国家の内閣に属する、国家権力の最高責任者が……(発言する者あり)何言いたいの。失礼なこと言うな。
 ですから、私が言いたいのは、一宗教施設ではあるけれども、その影響力が全国民に及んでいるというときに、宗教教育が靖国神社を取り上げられないとすれば、教師として、その教師たる資格を欠くのではないかと私は思っておりまして、これは、カリキュラムあるいは教材を提供する文科省の重大な責任だと思いますが、担当者の御意見をお聞きしたいと思います。行政側の感想をお聞きしたいと思います。

○銭谷政府参考人 学校における宗教教育につきましては、先ほど来御説明を申し上げておりますように、世界の宗教の分布でございますとか、宗教の役割とか、そういったものを取り上げて教えているわけでございます。
 ちょっと話がそれて恐縮でございますが、特に高等学校の倫理では、かなり宗教について取り上げているところでございます。この中では、世界のいわゆる三大宗教について、それぞれの成り立ちですとか、三大宗教の考え方とか、こういうことについては触れているわけでございます。あわせて日本人の宗教観といいましょうか、歴史的な宗教に対する考え方、あるいはその後の仏教伝来以後の日本人の宗教の占めてきた地位とか、そういうものについても触れているといったようなことで、基本的に宗教に関する教養を高めるという観点から、小学校、中学校、高等学校で、それぞれ発達段階に応じて指導をしているということでございます。
 なお、靖国神社のことをお話しになりましたけれども、一つ大事なことは、やはり内閣総理大臣や国務大臣の地位にある方についても信教の自由は保障されておって、私人として靖国神社に参拝することができる。仮に生徒から問われた場合でも、そのような信教の自由については、これは適切に指導すべきものだと考えております。