0950民主案における建学の自由

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○鳩山(由)委員 昭和二十一年の四月の七日、これは敗戦後の最初の総選挙であったかと思いますが、日本自由党総裁、後の自民党の初代総裁でありますが、祖父の一郎が述べた放送用の原稿というものがつい最近出てまいりました。
 その中に、まず、自由主義は民主主義の骨組みであって、その自由主義という意味は、なすべきことをなし得るの自由、あわせて、なすべからざることをなさざるの自由と。自由というものを、何でもやっていいんだ、自由なんだという放縦とはき違えたり、放らつとはき違えたりしている世の中と、そのように論じているわけでありまして、もう既に六十年前の話でありますが、この自由主義あるいは民主主義というものの原点はこれに尽きるんだと、結局、真の自由主義は自己の人格の尊厳に目覚めることしかないのだと喝破をしているわけであります。
 そして、その後続いて、こういう箇所もあるんですが、両親が、デモクラシーの基礎、民主主義の基礎をなす相互に人格を尊重し合うありさまを子供が日夜目撃しておれば、その子供は立派に育っていくはずでありますと。これはもう、あるいは釈迦に説法なのかもしれません。しかし、私はこういう発想、すなわち、例えば夫婦が、夫婦の間で何か常に痴話げんかみたいなことをやっているような家庭とか、お父さんが全く認められていない……(発言する者あり)おかげさまで我が家庭は兄弟大変仲がいいものですから、このような発言も出てくるわけでありますが、一番重要なことは、そういったお互いに人格を尊重し合う、そういう家族、家庭をつくることだ、それを自然に見て子供は立派に育っていくんだという話があります。
 私は、さらにこれに加えて、子供に対しても一人の人間としての、当たり前なんですが、人格の尊厳を認めてやる。よく、あなたは子供なんだからみたいな言葉で捨てられてしまうことによって、その影響というものが心の中に大変大きくのしかかってくる、こういう部分を本当は直していかなきゃならないんだ。
 ですから、教育力というのは、ある意味で自由主義とか民主主義というものを、本気でこの国の中で、政治の中で培養していくことが最高の教育なんだ。すなわち、政治の責任で、こういった自由主義、民主主義というものが、デモクラシーが本当に成り立つ国会運営とかあるいは政治が行われていることをテレビなどでも国民の皆さんにしっかりと知らしめていくということが、最高の、教育基本法を改正する以上に重要な発想なんだということを、祖父がもう六十年前に申しているわけであります。
 こういう部分を大切にすれば、今、学校の中でさまざま行われている残念な現象、いじめとか、あるいは校内暴力とか、あるいは学校嫌い、不登校の生徒さんとか、そういったものが自然自然になくなっていくのではないか、こう思っておりまして、教育基本法の文言以前の問題として、こういった議論を行うべきではないか。あるいは、我々は、自由な学校をつくりましょう、もっと建学の自由を認めるということを日本国教育基本法案の中に入れておりまして、こういう議論こそが、望ましい学校をつくることによって、いじめを減らし、校内暴力を減らし、不登校を減らしていくことになるのではないか。型にはまってしまうような学校を認めるということではなくて、もっともっと自由な、ある意味でのコミュニティ・スクール、少しずつ出てきてはおりますが、こういったものこそ本髄なんだというような教育基本法の改正にするべきではないかと思いますが、いかがでしょうか。