0880国と自治体間の権限関係(国の責任をめぐって)

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○糸川委員 …今回の政府案につきましては、義務教育について定めた第五条第三項において、国と地方が、適切な役割分担、相互協力のもと、その実施に責任を負う、こういうことが規定されておりまして、教育行政につきまして定めた第十六条においても、国と地方の双方に、教育の振興に関する施策の実施を義務づけているわけでございます。しかし、この政府案では、教育における国の責任が不明確ではないのかなというふうに考えるわけでございますが、総理の御見解をお聞かせいただけますでしょうか。

○小泉内閣総理大臣 教育の責任は、国も地方も両方、共同して役割を担っていこうということだと思います。
 その中で、国がやるべきことと地方がやるべきことというのはよく協議して、これからも教育環境を整備していかなきゃならないということは、今までの補助金の改革あるいは交付税の改革、税源の移譲の問題でも、地方にもっと役割をよこせという地方側の意見と、いや、ある程度国が財源の面でも保障することが教育の責任であると盛んに議論をされたところであります。
 お互い協力していこうということで、現在、一つの決着を見ておりますが、まだまだこの議論は続くでしょう。財源がなくても国で責任を見られると言う方と、いやいや、教育に国の責任があるというんだったらば財源は国で持つべきだという議論が国会でもなされましたし、今でも、地方と国との協議の中で行われております。お互い、国と地方が協力して責任を担っていく問題だと思っております。

○糸川委員 確かに、国と地方のあり方の中で役割分担がある、こういうことは承知しておるわけでございます。
 学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律、そういうものにおいて規定されているものがあるというふうに思いますが、教育行政の国と地方公共団体の役割分担、これがどういうものなのかというふうにちょっと疑問に思うものですから、これは文部科学大臣、どのようにお考えなのか、お聞かせいただけますでしょうか。

○小坂国務大臣 ただいま総理からお話をいただきましたように、また、委員も御指摘のように、法案の第五条では、義務教育についての国と地方の役割分担においてこれを果たす責任を負うと書いておりますし、法案第十六条では、教育行政についての国と地方の役割また責任を明確にしたつもりでございますが、さらにそれを、具体的には、委員も御紹介をいただきました学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律などでこれを受けまして、さらに明確にしているところでございます。
 国は、国民の教育を受ける権利、特に無償の義務教育を受ける権利を保障するために、学校教育の基本的な仕組みを整備する責任を負っているわけであります。特に義務教育については、教育の機会均等や全国的な教育水準の維持向上、無償制という義務教育の根幹を保障する責任を負っております。また、この責任を果たすために、国は、学校教育法等の法律によりまして、基本的制度の枠組みを設定すること、全国的な基準を設定すること、さらには教育条件整備に関する財源の保障等の具体的な役割を担っております。
 その上で、市町村は、小中学校を設置し、学校教育を直接実施する主体としての責任を負っているわけでありまして、都道府県は、給与負担や人事などの広域的な水準確保の責任を負い、それぞれが適切な役割分担を行いながら、地域の実情に応じた教育の実現を図っていくように、仕組みとして設計をされているわけでございます。
 文部科学省といたしましては、教育の実施面では、できる限り市町村や学校の権限と責任を拡大する分権改革を進めるとともに、国が教育の機会均等や全国的な教育水準の維持向上をしっかりと確保する責任を果たしてまいりたい、このように考えているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○河村(建)委員 …これからの教育、特に義務教育を考えるときに、国と地方の役割分担はどうあるべきかということもしっかり議論をしなきゃいかぬと思います。
 小中学校においては、国は、質の高い教育を全国津々浦々提供する、教育の機会均等を保持しなきゃいかぬ、そして安心して、信頼する学校でなければいかぬと思っております。学校はまさに地方にある。だから、文部科学省は、上から地方を見てという、そういう体制ではならぬわけであります。
 教育の機会均等、水準を維持する、また無償制の問題、この最終的な責任はやはり国が負う、これは憲法第二十六条の精神にも合致すると思うのであります。義務教育を定める教育基本法第五条第三項に、国と地方が適切な役割分担、相互協力のもとでその実施に責任を持つことが明示されておりますが、この点について、私は、もっと国の責任を明確にすべきではないかという意見もあるわけでありますが、これは三位一体の議論のときでも総理とこの議論をいたしたこともございますが、総理は、やはり国の義務教育における責任、このことについてどのようにお考えであるか、お伺いをしたいというふうに思います

○小泉内閣総理大臣 これは、今回の改正案の中にも、国と地方とは役割を分担し、なおかつ協力して取り組むと規定されてありますので、国も地方も協力しながらすべての子弟に教育の機会を提供するということだと思いますので、お互い協力していくべきものではないかなと思っております

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○藤村委員 …先ほど河村委員が、どうも国の責任はもっと明確にすべきではないかというお話でございましたし、我々もそのとおりだと思っております。
 特に義務教育、今では、小学校六年、中学校三年、九年間。この義務教育というのは、国もいろいろな法律をつくってそれなりに責任を果たしているとは思うんですが、しかし、最終的にだれが責任を持つかというところが、先ほどの総理の答弁は、国や地方公共団体や学校や地域やと、何かどうもあいまいであると思うんですね。それは、やはりこの仕組みの問題、まさに教育行政の問題だと思います。
 一番身近で私が通う小学校は、大阪の吹田市で、吹田の市が設置しています。ところが、運営に関しての責任というと、今度は市の教育委員会であります。そこの先生はというと、今度は大阪府の職員であります。そして、それらの教員や職員や学校の費用は、国と地方と、何か市町村も含めて分担している。ということは、責任の所在が本当にあいまいになってきたことが、このたびのというか、今回のというか、改正につながる大きな理由の一つだと私どもは思っております。
 そういう意味では、構造的改革、お好きな言葉、構造改革が必要なのではないか。その際に、やはり一番の責任は特に義務教育においてはどこにあるか、このことをちょっとお答え願いたいと思います。

○小泉内閣総理大臣 国としてだれでも教育の機会を与える、特に義務教育、無償である、国が責任を持つということは、私は政治ではっきり理解されていると思っております。
 その際に、国と地方公共団体の役割、今藤村議員が言われたような、教育委員会と学校と県と市町村、この役割が不明確だという話もありましたけれども、これは今後整理されるのは結構だと思いますけれども、基本的に、政治で教育を重視する、義務教育が無償である、すべての人に、教育を得たいと思う人にはすべてその門戸を開放する、受けられるようにする。これは政治で一番大事なことだと私は思っているんです。
 だから、法にあるのと、政治というのは法だけの問題ではありません。そういう点はよく勘案しながら、政治面におきましても教育の重要性をよく認識して、費用の点でどこがお互い負担するかというのは今までの議論でもありました、地方分権の中でも。今後、今言われた点も含めて、よく整理されるのは有意義なことだと私は思っております。

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○藤村委員 …義務教育費用というのがどのくらい、これは総理も余り細かくはふだん承知されていないかもしれませんが、義務教育にかかる全体の日本のまさに予算というのはどういうふうに使われているかというと、総額は十兆二千七百四十八億円。これは平成十五年度の決算ベースでありまして、ちょっと古いんです。
 この役割分担、負担の割合というのは、国が三兆円弱で三割、都道府県が四兆三千億、四割、市町村が三割。
 だから、国がときょうまで結構言ってこられた文科省も、実は義務教育に関して、憲法に定める無償を、国はこの三割負担です。三割自治という言葉がありますが、実は国が三割で大きなことをきょうまで言ってきたのではないかなというぐらいに、これは三、四、三という比率であります。

 それから、ちょっと下、内訳を見ていただくと、やはり教育というのは何にお金がかかるかというと、七五%、四分の三が人件費であります。このことをちょっと頭に入れていただければありがたいんです。
 先ほど来、OECDのいわゆる対GDP比の話がございましたが、これは、日本は教育財政に対しては三・一%でした。五百兆円としたら十五兆円ぐらい。しかし、そのうちの十兆円を超える額を義務教育に投じているわけで、これは憲法にある無償ということにつながっているんだと思います。
 その意味で、私どもは、国の責任は最終的に、国や都道府県や市町村がそれぞれ分担するのではなく、少なくとも、この大半、四分の三を占める人件費、七五%です、これをやはりきちっと国が確保する。なぜなら、これらの原資というのは全部税金でありますから、それを何か使い分けして、そのことで、連携をして何とかかんとかいいながら、責任の所在があいまいになっている。
 このことについて、総理の御見解をお伺いしたいと思います。私どもは、まさに国がお金のところはきちっと総額を確保するという意味で、それが国が責任を持つことではないかなと思っております。


○小泉内閣総理大臣 藤村議員の考え方とは違う考え方を地方は持っているんですよ。今までのいわゆる補助金の改革、税源移譲の改革、交付税の改革の中で、地方は、それを地方に渡してくれと言っているんです。
 そこら辺は、与野党で入りまじった議論があるんです。与党の中においても、野党においても、違う意見と同じ意見があったんです。国が責任を持つべきで、教育費は国が全部持って、その中で地方がやるべきだというのと、地方団体の多数意見は、いや、教育費ということを分けないでいい、全部与えてくれれば、公共事業に全部使うなんというのはあり得ないと。地方だって選挙があるんだ、教育を削ってほかの予算に回している市長でも県知事でも、支持されるかどうか。わかってくれば住民が判断することだ、教育を重視する知事なのか、市長なのか。だから、国が全部を持つ必要はない、教育であろうが公共事業費だろうが福祉の関係費だろうが、全部地方に渡してくれというのが地方側の多数意見だったんです。教育費だけ国が持てというのは、中にはありましたけれども、それは多数意見ではなかったんです。
 だから、国の役割、地方の役割、お互い教育には責任を持ちますけれども、全部費用を国が持てば責任を持ったのか、地方に渡すことによって国が責任を放棄するかという問題でもないと思います。これは、今後の教育のあり方においても大きな議論になると思っています。

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

下村委員 …政府案は、議連とかそれから民主党案と比較しますと、第三項で「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」としているんですね。この案は、我々の議連それから民主党案に比べると、今後の国と地方公共団体のあり方、これが明確に書かれていないわけであります。
 私は、この関係が問題だと思うんですね。ある意味では、四重構造のもたれ合い的な部分がやはり今の教育の問題点の一つであることは間違いないのです、お互いに責任転嫁することによって。文部科学省も、監督権限はないけれども、しかし一方で、学校の現場はやはり文科省のさじかげんで右往左往しているということは事実なんですね。監督権限はないけれども実質的にはかなりの影響力があるということも事実で、それが、では、どこに責任があるのかということで、責任転嫁をそれぞれがすることによって我が国の教育改革がなかなかよく方向として進んでいないという部分がある中で、私は、今回の教育基本法でやはりこれを明らかにするということは当然のことだと思うんですね。しかし、今回、政府案ではそれがはっきりされていません。
 国とそれから地方公共団体の関係についてどういうふうに読み込む必要があるのか、また、基本法そのものが、相互に責任を負うということであれば、先ほど申し上げたように、下部法令等でどのように位置づけようと考えられているか、まず伺いたいと思います。

○小坂国務大臣 下村委員におかれましては、教育行政にふだんから大変御熱心な関心をお持ちいただきまして、いろいろな場で意見を述べる等、日本の教育行政の進展に対して日ごろから御貢献を賜っていることにまずもって敬意を表したいと思います。
 義務教育を初め教育を推進するに当たりましては、国と地方公共団体が一定の役割分担のもとに、相互に協力しながらそれぞれの責任を果たしていく、そういうことが重要だと思っておりますが、現行基本法におきましては、国及び地方公共団体相互の関係に関しては規定をしておりません。これらの具体的な内容については、学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律など、委員が御指摘をされました下部法令という、いわゆる個別の法令において規定をしているところでございます。
 このために、法案の第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもと、その実施に責任を負うと定めておるわけでございまして、また、第十六条におきまして、教育行政全般につきまして、国は全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図りということで、この総合的な教育施策を実施すべき面がこの責任の範囲であるということを明確にしております。また、地方公共団体は地域の実情に応じた教育施策を実施すべき旨を規定しているわけでございまして、国と地方公共団体が相互に協力すべき旨を全般として規定しているところでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

下村委員 …それから次、今の十六条ですけれども、先ほどの義務教育のところと同じ文言が十六条でも入っているんですね。「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。」こういうふうに、短い教育基本法改正案の中で似たような文言がこの十六条にも、先ほどの五条にもある。
 しかし、先ほどの大臣の答弁でもちょっと感じたんですが、では、実体的にどうするのかということについてまだ抽象的ではないかということで、適切な役割分担ということは要するに今のままでもいいじゃないかということでもあると思うんですが、今のままでいいのか悪いのか、あるいはなぜさらに同じような表現を五条、十六条で繰り返し述べられているのか、それについて伺いたいと思います。

○小坂国務大臣 法案第五条では義務教育について、御指摘のように国と地方公共団体が適切な役割分担及び相互の協力のもとその実施に責任を負う旨を定めております。これは、憲法第二十六条がすべての国民に対して無償の義務教育を保障していることを受けて、国と地方公共団体の両方が一定の役割分担と協力のもとに義務教育の実施に責任を負うということを明確に規定したものであります。
 法案の第十六条において同様に、義務教育も含め、教育行政について国と地方公共団体の適切な役割分担及び相互の協力のもとに行われなければならない旨を規定しておるということは、国及び地方公共団体の主な役割を明確にするという意味で規定をしたものでございまして、繰り返しになりますが、国が全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上を図り総合的な教育施策を実施すべき旨を、また地方公共団体が地域の実情に応じた教育施策を実施すべき旨を規定することとしたところでございます。
 繰り返し同じような規定を設けているのではないかということでございますが、片方は義務教育というものについての考え方を述べたものでありまして、第十六条では教育行政においてどのような役割分担をなすかということについての根本的な考え方を示したものと理解していただきたいと思います。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○山口(壯)委員 第五条じゃないんですか。第五条で、「国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互協力の下、その実施に責任を負う。」第五条のことですね。

○小坂国務大臣 後で議事録を読んでいただくとわかると思いますが、先ほどの答弁でも、このため法案第五条では、義務教育について、国と地方公共団体が、「適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。」と定めているということも申し上げたわけでございます。

○山口(壯)委員 したがって、大臣、「国及び地方公共団体」と並立して書いていますから、結局、どっちが責任をとるかということがはっきりわからない仕組みになっているんですね。それから、責任を負うというのが、「その実施に責任を負う。」と、ある意味で部分的な責任になっているわけです。これは全体の教育に関する責任ということじゃない。実施に責任を負う。そういう意味では、国の責任というものがある意味で非常に部分的なものになっている、それを指摘したいと思うんです。
 私はいろいろ揚げ足をとる方じゃないですから、猪口さんはずっとお座りになっておられて、せっかくの答弁をしていただいたらと思うんです。
 今お聞きになられて、国の最終的責任、別に私は猪口さんの答弁で揚げ足をとったりしません、ぜひ、一般的な感想でも結構です、どういうふうに考えておられるか。いかがですか。

○猪口国務大臣 お答え申し上げます。
 今、文科大臣がお答え申し上げたとおりでございます。
 また、教育につきましては、国も地方も、そしてまさにレーマンコントロールという考え方から、教育委員会も含めて、総合的に責任を果たしていく必要があると考えます。憲法に規定されているとおりの責任を力を合わせて果たしていくという、そのような解釈と精神が今までの体制の中にも存在し、そして実施が確保されていると考えております。

○山口(壯)委員 今、猪口さん、総合的なということは、みんなでやればだれかが何とかするだろう、だれもしない、そういうことです。現実に、例えば戦前に、だれかが戦争をとめるだろう、だれもとめなかった。そういう意味では、だれが責任を持っているかということは、新たな未来を切り開く教育基本法案を考えるに当たっては非常に大事だと思うんです。
 今の文部科学省あるいは政府から出された教育基本法案には、国の責任をどういうふうに考えるかということがはっきりしていないと思うんです。大臣、いかがですか。

○小坂国務大臣 これは、私が答弁しても、どうも理解していただくという気持ちになっていただけないようなんですが、まさに、委員御指摘になりましたように、法案の第五条それから第十六条の教育行政、ここでも述べられているように、国と地方が適切に役割分担をする中で総合的に、今猪口大臣の言葉をかりれば、総合的に憲法第二十六条の規定の義務を果たしていく、責任を果たしていくということでございまして、そういう意味で申し上げれば、さらに、具体的な責任の所在については学校教育法や地方教育行政の組織及び運営に関する法律というものでまた定めてあるわけでございまして、そういったものすべてを参照していただきながら責任の所在を御理解いただければ幸いでございます。

○山口(壯)委員 実際に文教行政をやる立場からしたら、国の責任でおれたちはがんがんやるという気持ちが本当はあるはずなんです。この間の党首討論では、小沢代表の方から、民主党案では最終的責任は国が負って、そして地方公共団体が行う教育の政策に関しては自主的なものを尊重していく、こういう一つの考え方をお示しした。小泉総理からは、家庭に責任があるんだということをおっしゃった。これは、国が最終的責任を負わない、そういう意味でしょうか。

○小坂国務大臣 決してそのような意味ではないということは委員御自身が御理解をいただいた上での御質問のようにも聞こえるんですが、教育の第一義的な責任というのは、やはりおぎゃあと生まれて最初に接するのが親でございますから、世の中におぎゃあと生まれて、生きていくためのその一番最初の、人間が生きるべき力を養う教育は親に第一義的に受けているだろう、そういう意味も含めてそういう言葉を使われたと思います。また、地域の社会そして学校がそれぞれ連携して教育に果たす役割を担っていく、このように考えるところでございます。

○山口(壯)委員 今、第一義的責任ということを言われたわけですね。これは十条の家庭教育の中で言っておられることなんでしょう。この第一義的責任ということは、それは最終的責任ということとはまた違うんでしょうね、きっと。
 今、親のない子供とかあるいは親が経済的に苦しい子供とか、非常に状況が、言ってみれば格差が激しくなって、親がリストラを受けた子供たちというのは大変ですね。そういう意味では、親が第一義的責任を有するということでは足りないということは、大臣も私も認識は一致しているはずなんです。国が教育の環境を整えていく。そういう意味では、親に第一義的な責任はあったとしても、やはり最終的には、すべての子供たちにチャンスが与えられるようにしっかり責任感を持ってやっていく国の役割というのは私はあろうかと思うんです。大臣、いかがでしょうか

○小坂国務大臣 ここで言う親というのは、委員が御指摘のように、何らかの事故によって親御さんが亡くなられたとか、あるいは、親がリストラとおっしゃいましたけれども、子供を親がリストラすることは私はないと思いますので、何らかの事情で親が親としての責任を果たせない状況ということだと考えますと、そういう場合には保護者というものが設定されて、その子供を保護する立場の方が親にかわる教育の責任を果たしていただくことになると思います。
 しかし同時に、そういった親のないお子さんの保育そして育成に関しては、やはり国も保育というものを通じて地方公共団体に保育の義務を課して、そして保育の環境を整えていく、こういうこともやっているわけでございます。そういう中で、国が最終的な責任ということをおっしゃりたいんだと思いますけれども、あくまでも国と地方公共団体そして家庭、こういったものが相互に協力し、連帯しながら教育というものを実現していくことだと私は考えております。

○山口(壯)委員 大臣、例えば国立大学というのは、昔、そういう名前であったわけですね。授業料も安かった。私のときでも三千円ぐらいのものです。今聞いてみたら、年間五十何万、すごいんですよ。私立大学が八十三万とかいう数字もあるみたいですから。言ってみれば、昔は、貧しいおうちでも、国立大学、安い授業料のところへ行けば何とかなるということもあったんでしょう。今、独立法人化ということで、そういう意味では国立大学のときと様相が全く違ってしまっていて、貧しい家庭から大学に進学するということ自体がある意味で難しい状況が出てきてしまっている。
 そういうことを考えた場合に、今、総合的に連帯して、国、地方あるいは家庭ということを言われたわけですけれども、私は、これからの日本の国づくりのことを考えたら、やはり国が、最後はおれが責任を持つ、こういうところが教育基本法の精神の中にあった方がいいんじゃないのかなというふうに申し上げるわけです。
 おととい総理からも、じっくり議論して共通点を見出しながらやってくださいという話もあったわけですから、そういう意味では、大臣、最後はやはり国が頑張って面倒を見ようというところの気持ちというのは、私は共通していると思います。いかがでしょうか。

○小坂国務大臣 教育を受けられる環境を整える責任は国にあると思います。しかし、個別にだんだん分析していきますと、教育の内容についても国に責任があるんではないか、こうなってきてしまうわけでございます。
 教育の内容については、国というのは行政の部分がありますから、そういった点については必ずしも政府が思いのままの教育ができるということではないということも銘記しながら、教育がそれぞれ受けられる、憲法二十六条に保障された役割を担っていくということが国の責任だと思っております。