0750民主案において学ぶ権利の主体を何人もとする意味

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○鳩山(由)委員 私の私見ではありますが、先ほど家族のことを申し上げました。憲法の中に家族に対する記述は一切ありません。私はやはり、憲法の条文の中にはっきり、例えば、家族は社会の基礎的単位として尊重されなければならないとか、こういう文言を入れることによって、家族というものの重要性、きずなの大事さ、そういったものを憲法として記述されるべきだと思っているんです。
 もう一つ申し上げれば、これも、私のこの間の代表質問に対する総理の答弁の中で、どう考えても逃げておられるんじゃないかなと思いましたが、教育を受ける権利でありますが、私はこれは、すべての国民ではなくて、何人もであるべきであろうかと思うんです。この日本という国の中で日本人が主として暮らしているわけでありますが、それだけではありません。やはり外から、外国からやってきて、一生懸命努力をして学んでいる人たちもいるし、働いている人たちもいる。そういう人たちも含めて、何人も教育というものに対する権利を与えるべきではないか。
 憲法の中に、ここのところがすべての国民となっているものですから、教育基本法の改正の中でも何人もになれないで、総理は、いや、外国人も必要に応じて含めていいんだというお話をされました、それならば、本来、憲法の改正の議論の中でそこの部分を改正すべきではないか。そこをまず先にして、そして教育基本法の議論に入るべきではないかと思っていますが、いかがでしょうか。

 

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○鳩山(由)委員 憲法がなくてもできることはたくさんあるというお話をされると、一体法治国家としての、あるいは憲法という一番この国の礎になる議論をないがしろにするような発言と受けとめられかねません。
 ぜひ、そうではなくて、例えば、何人もなのかすべての国民なのか、やはりここはかなり大きな議論が必要なところがあると思います。そして、我々は議論の中で、やはり日本に住んでいるあらゆる人たちに学ぶ権利というものは与えられるべきだという結論に達したわけでありまして、そして、それも憲法の中にきちんと本来ならばうたうべきではないか。学習権というものも、学ぶ権利というものも、国家にあるのか国民にあるのか、これは相当長い憲法の論争になっているわけですが、こういうものも決着をさせていくためにも、憲法の中での教育の議論をもっともっとしっかりさせていかないと、そこがないからふらふらしてしまう話じゃないですか。
 憲法がなくてもできないことはないというふうにおっしゃいますが、それはすべての文言が憲法の中に書かれているわけではありませんから、そういう言い方も成り立ち得るとは思いますが、しかし、国の礎としての大変重要な理念の部分に対しては、今からでもきちっと議論をして、そして憲法を直して、新しい教育基本法をつくろうじゃありませんか。やはり、くどいようですが、順序というものを間違えるとこの国の将来というものを危うくするということを申し上げたいのでございます。
 余り時間が、この問題ばかり申し上げていくつもりはありませんので、私はむしろ教育基本法を――何かありますか、小坂大臣。

○小坂国務大臣 今総理からは、議論としての一つの考え方を示していただいたわけでございます。
 憲法第二十六条は国民の教育を受ける権利を保障しているわけでございまして、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」このように書いてあることから、この教育基本法も、これを受けて本法案も「すべて国民は、」としているわけでございまして、当然のことでございますけれども、外国人の児童生徒が希望する場合には、日本人の児童生徒と同様に教育を受ける機会が保障されているのが我が国の教育の現状でございます。

○鳩山(由)委員 私は、もうこの議論を、先に行こうと思いましたが、大臣のお話を伺って、やはりもう一度確認をしていかなきゃならぬなと思いました。
 義務教育は、確かに、義務という部分に関しては、すべての国民、日本の国民というところが正しいと思うんです。しかし、教育を受ける権利はだれなんですかという話をしたら、それは、すべての国民ではなくて、さらに何人も、海外から来られた方々にもその権利は与えるべきではないか、それが当然だと思って代表質問でお尋ねしたら、総理も、そうである、基本的には希望するすべての外国人にはその機会を与えているということをおっしゃっている。
 ですから、こういう部分に関して、憲法ですべての国民となっているからすべての国民なんですという答弁をされたから、ならば、憲法の部分を基本のところで変えるべきではないですか。憲法を変えてから、きちんとそこのところも、教育基本法もそれに合わせて変えればいいんじゃないでしょうか。
憲法の中で制約されているから教育基本法も制約されるけれども、しかし、希望される人には与えてあげますよという話とは私はまるで違うと思うんですが、もう一度お答え願いたい。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○高井委員 民主党案の方が、より積極的に規定したという点があると思いますが。
 昨日の質疑で、鳩山委員からも質問がございましたけれども、すべて国民、国民一人一人はと、今御説明いただいたところにも入っておりますが、何人もにすることはできないのでしょうか。つまり、国民だけでなく、日本に在住するすべての人に対して学ぶ権利を保障するという観点から、私たちは何人もという言葉を使わせていただきました。
 この条文が憲法の第二十六条の要請に基づくために、憲法と同様に規定しているということから、この文言に、国民の方になったというふうにお聞きをしましたが、内閣法制局の方に確認をいたしますと、別に必ずしも憲法と全く同一の文言を使わなくてもいい、何人もという表現にすることは可能だというふうに聞きました。
 ここを何人もにかえるという考えはないでしょうか。いかがでしょうか、この何人もの観点について。

○田中政府参考人 すべて国民はというのを何人に変えてはいかがかという御意見でございますが、憲法二十六条では、国民の教育を受ける権利を定めておるわけでございます。現行の教育基本法も、この規定を踏まえまして、人格の完成とともに、国家及び社会の形成者としての国民の育成を目的として、教育の機会均等などの教育の基本的理念を規定しておるわけでございまして、本法案もこの理念を引き継いだものでございます。
 しかしながら、外国人児童生徒が希望いたします場合には、例えば公立の義務教育諸学校へ就学をすることも可能でございまして、日本人児童生徒と同様に教育を受ける機会が保障されているところでございます。


○高井委員 大臣、いかがでしょうか。そのような御説明がありましたけれども、これは政治的にやろうと思えば可能だと思います。いかがでしょうか、何人もの規定について。

○小坂国務大臣 今申し上げたように、国民の育成という観点から、私どもは、憲法二十六条のすべての国民という表現を引いたわけでございまして、私どもの考えは私どもの考えとして御理解をいただきたいと思うわけでございます。
 何人もとする方がいいんだという民主党の皆様の提案でございますけれども、私どもは、国民の育成という観点からここはこの表現をとらせていただいたということも御理解いただきたい、こう思うところです。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○小宮山(洋)委員 …民主党案では、学校教育の中などに、「すべての国民及び日本に居住する外国人」というふうに明記をしております。外国人の子供たちも今非常にたくさん日本で学んでおりまして、昨年、平成十七年五月現在では、国公私立小中学校で六万三千人余りの外国人の子供たちが義務教育を受けているわけですが、政府案の国民という範囲にはこうした外国人の子供たちも入っているのでしょうか。また、入っているとすれば、それを明記されなかったのはどういうことかを伺いたいと思います。

○小坂国務大臣 憲法第二十六条は国民の教育を受ける権利を定めているわけでございまして、現行教育法第三条も、この規定を踏まえて、人格の完成とともに、国家及び社会の形成者としての国民の育成ということを目的として、教育の機会均等など教育の基本的理念を規定しておるわけでございまして、本法案の第四条もこれを引き継いだものでございます。
 しかし、外国人児童生徒が希望する場合には、例えば公立の義務教育諸学校へ就学することも可能でありまして、日本人児童生徒と同様に教育を受ける権利が保障をされているわけでございます。
 したがいまして、御質問のような日本に居住する外国人につきましては、明記をしているわけではございませんけれども、日本における日本人児童と同様の教育上の取り扱いを受けることになるわけでございます。