0660他国の尊重の意義

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○岩屋委員 …政府案では、郷土や国を愛するということに続いて、他国を尊重する、こう書いていますね。ここで言う尊重というのは、当然のことながら、何も他国の統治形態を認めるとかいうような意味では全然ないんだろうと思いますね。やはり、自分の国を愛すると同様に、よその国に対しても、これを尊重して親善友好の心を持て、こういう言葉遣いなんだろうというふうに私は思っておりまして、理解をするという言葉だろうが、尊重するという言葉であろうが、それはまあ小異、小さな違いなのかな、こう思っているんです。あえて聞きますが、政府案が、他国を理解しというふうに言わずに尊重するというふうに言ったのはなぜですか。

○田中政府参考人 他国を尊重とした理由でございますけれども、これは、他国の成り立ち、あるいはそれぞれの国が有しております伝統や文化などにつきまして尊重するということを全体として表現をしておるものでございます。したがいまして、御指摘いただきましたように、我が国の伝統や文化を重んずると同様に、他国の伝統や文化に対しても、これを尊重する態度を身につけさせようとするものでございます。

○岩屋委員 民主党さんにもちょっと聞きたいんですが、民主党の幹部の先生は、鳩山先生だったと思いますが、他国を尊重するといえば、北朝鮮の現体制をも尊重せよということになるということをおっしゃっていますが、私はちょっと次元が違う話なのではないかなと思うんですけれども、今でもそういうお考えですか。

○藤村議員 鳩山幹事長の言葉を今一部とられたわけで、政府案の二条の五の「他国を尊重し、」に対する発言であったと理解しております。この法文をさらに読むと、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する」ということでありますので、他国という言葉が具体的な一つの国を言っているのではないということは理解はできます。
 ただし、尊重というのは、とうといものとして重んじるという意味でありまして、中学生ぐらいになれば、では今の北朝鮮やそういうことも尊重するように教えられるのかという素朴な疑問を生じさせる可能性はあると思うんですね。このことは、やはり大人の論理で、それは次元が違うことだというのは論理ではございますが、やはり教育の主体である子供の視点から、この教育基本法も一つ一つ言葉を選んで、我々は注意深くつくっていきたいなと考えておりまして、民主党案においては「他国や他文化を理解し、」というところにしたわけでございます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○牧委員 … 政府案で、国を愛する、郷土を愛する態度、これはずっとその後の部分にも係ってくるんですね、「他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」と。ということは、他国を尊重する態度というのがあるわけですね。それはどういう態度だと思われますか。

○安倍国務大臣 もちろん、他国を尊重するというのは、個々の国々の政治体制をということではなくて、他の地域、他の国々はそれぞれ文化や伝統や歴史を持っている、そういう国々の生き方、あり方、あるいはそういう国々が持っている理想等を、違いは違いとして尊重していくことが大切ではないか、こういうことではないかと思います。

○牧委員 そのとおりだと思います。
 ただ、私も、さっき靖国の話が出たので申し上げるんですけれども、心の問題というのは、これはもう内心の自由ですから、小泉総理もおっしゃったように、それは私は自由だと思いますし、他国からとやかく言われてどうこうする話でもないと思います。
 ただ、この法律で言うと、「他国を尊重し、」ということになると、尊重する態度ということになると、ちょっとこれ、そこら辺のところがひっかかってくるんじゃないかなと。尊重する心というのであればいいけれども、尊重する態度と言ってしまうと、では、他国が靖国だめだと言ったら態度であらわさなきゃいけないんじゃないかなというふうに思ったものですから、あえて……(発言する者あり)全然違うという話も聞こえてきますけれども、あえて言わせていただきました。
 質問を終わります。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○牧委員 …この政府案の第二条第五項ですね。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」この「態度を養う」というのは、この最初のところからすべてに係ってくるわけですね。そういうことですね。そうすると、ここで述べられている伝統と文化を尊重するということ、それから我が国と郷土を愛するということ、それから他国を尊重するということ、国際社会の平和と発展に寄与すること、これはすべて等価値ですか。

○小坂国務大臣 すべて等価値というわけではございません。それぞれが持つ意味合いは違いますので、それを横に並べて価値を比較することはできないと思います。
 すなわち、他国を尊重するということと伝統と文化を尊重するということは、これは同じレベルでとらえるものでもないと思いますので、等価値ではないということをまず申し上げたいと思います。

○牧委員 同じ意味でないものをあえて一つの文章にしたのはどうしてでしょうか。

○小坂国務大臣 それぞれを尊重する態度を養うということでくくっております。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○牧委員 …それともう一つ、他国を尊重する態度、これについては現場でどのように指導されるんでしょうか。

○銭谷政府参考人 現在、小学校六年生の社会科におきましては、歴史学習をした後に、世界と日本ということで、世界の国々と日本のかかわりについて学習をしております。それぞれの国にはそれぞれの歴史と伝統があるということを踏まえながら、そういう諸国と日本との関係についていろいろと調べて学んでいくといったような学習が行われているところでございます。

○牧委員 今の銭谷局長のお話だと、他国を理解する教育ということですよね。私はそういうふうにしか聞こえないんですけれども、それで十分だと思いますし、我が国には、他国の国旗を燃やしたりあるいは大使館を襲撃したりするような、そんな恥ずべきことをする人はいないわけですから、とりたてて何もこんなことを同格、同列で並べる必要はないと思うんですけれども、官房長官、いかがですか。

○安倍国務大臣 確かに、委員の御指摘のとおり、我が国の国民は他国の文化を尊重している、そして敬意を表している、このように思いますが、この二十一世紀を担っていく、さらにその先の未来を担っていく子供たちを教育するに当たって、我が国の伝統や文化をしっかりと敬い、尊重する、また知識も深めていく、こういう態度もしっかりと養っていくということも大切でありますが、同時に、他国を尊重する、そういう気持ちもやはり養っていくことによってバランスがとれていくのではないかということではないかと思っております。

○牧委員 お立場上、そういうお答えしかできないんだと思いますけれども、私、前もここに立たせていただいたときに、最後にちょっと官房長官に一言申し上げたんですけれども、私、やはりこの態度という言葉に非常にひっかかるんですね。
 例えば、二〇〇六年四月四日中国外交部の報道官の定例記者会見、この文書をたまたま見たんですけれども、これはちょうど昨年四月の反日デモから一年たった後のコメントなんですけれども、中日関係の今後にどんなことを期待するかというような話です。そういう中に、「日本の一部指導者が歴史問題で間違った態度をとり、靖国神社参拝を続けていることにある。」というようなことを書いています。
 「日本が靖国問題で間違った態度をとり、A級戦犯を祀る靖国神社の参拝を続けることは中日関係の改善と発展に役立たない。われわれは日本が間違いを改め、中日関係の改善と発展の条件をつくるよう改めて求める。」「われわれは、日本の指導者が中日関係の大局、アジア地域の大局を考え、歴史問題で正しい態度をとり、中日関係を改善し、発展させるよう希望している。」「中国政府の積極的態度を明確に説明した。」態度、態度と出てくるわけですね。
 だから、私、ここにこういう書き方をすると、またこれが一つの、日本はそういう態度をとっていない、教育基本法に書いてあるじゃないかとあえてつけ込まれる材料をどうしてこういうふうに入れるのかなと思うんですけれども、官房長官、いかが思われますか。

○安倍国務大臣 ここで述べております外国を尊重する態度ということは、これは何も外国の言うとおりにせよということではないんだろう、こう思っております。
 今先生が御指摘された中国側の主張は、これは中国側の御主張なんだろう、このように思うわけでありますが、しかし、そういう主張どおりにするということではなくて、そういう主張を、ではお伺いをしましょう、例えば外相会談、首脳会談をやって、その場でよくお伺いをしましょうということが、まさに外国を尊重するということではないか。しかし、それをそのまま実行するということとは全く別なのではないだろうか。そしてまた、誤解があるのであれば誤解を解いていこうとする態度こそ、これは尊重しようとする態度である、私はこのように思うわけでありまして、先ほど委員が指摘されたように、外国の国旗を焼いてしまう、あるいは感情的な言葉を相手にぶつけるということは間違っているんだろう、このように思うわけでございます。