0620愛国心教育と内心の自由(通知表問題を含む)

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○河村(建)委員 …教育現場においては、やはり教員はその職務として、日本の伝統文化、このすばらしさをちゃんと教えなきゃいかぬし、また国旗・国歌に対する敬意の払い方、これはやはりきちっと指導すべき課題だ、これは責任がある、こう思っておるわけであります。しかし、これを立ち入って評価することになると心配だという声もございますが、この点については、この懸念については、文部科学大臣、どのようにお考えでしょうか。

○小坂国務大臣 我が国と郷土を愛する態度をはぐくむ、このことについてどのように指導するか、そしてそれをどのように評価していくかということでございますけれども、具体的には、社会科や道徳などにおきまして、現在の学習指導要領においても規定されておりますように、ふるさとの歴史や昔から伝わる行事を調べたり、あるいは、国家、社会の発展に大きな働きをした先人、偉人、また国際社会で活躍した日本人等の業績について調べたり、あるいはそういった理解を深める、そういったことを行うとともに、我が国の歴史などに対する理解と愛情をはぐくみ、そして、国家、社会の発展に努力していこうとする態度を育てるといった指導を行っていくわけでございます。
 それを行っていった結果としての評価はどのようにしていくかということになりますと、我が国の伝統や文化等の学習内容について進んで調べたり、あるいは学んだことを生活に生かそうとする、そういう関心、意欲、そういった態度を総合的に評価するものでございまして、具体的に申し上げますと、さらに申し上げますと、歴史上の人物などに関心を持っているか、あるいは、意欲的に調べ、学んだことをもとに、我が国の将来やその発展のために自分に何ができるだろうか、そういったことについて考えながら追求しようとしているかどうか、そういったことを評価するものでありまして、子供たちの内心に立ち入って評価するようなものではないわけであります。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○志位委員 …第一の問題は、内心の自由にかかわる問題であります。政府の改定案は、新たに第二条をつくり、そこに国を愛する態度など二十に及ぶ徳目を教育の目標として列挙し、その達成を学校や教職員、子供たちに義務づけるとしています。
 ここに挙げられている徳目それ自体には、当然のことのように見えるものもあります。しかし、それを法律に目標として書き込み、達成が義務づけられれば、時の政府の意思によって特定の内容の価値観を子供たちに事実上強制することになります。
 総理に伺いたい。これは憲法十九条が保障した思想、良心、内心の自由を侵害することになるのではないですか。端的にお答えください。


○小泉内閣総理大臣 …一つの観念を、価値観を強制するためにこの教育基本法を改正する、そういう意図は全くありません。

○志位委員 要するに、答弁では、内心の自由を侵害するのではないという答弁だったと思います。
 ソ連の問題をお出しになりましたけれども、ああいう体制は私たちは社会主義とみなしておりません。そのことをはっきり申し上げておきたいと思います。
 具体的に、私、そうであるならば、内心の自由を侵害するものでないとあなたはおっしゃった。しかし、これは九九年に日の丸・君が代を法制化したときにも政府は同じ答弁をしました。しかし、教育の現場はどうなっているか。東京都では、卒業式や入学式で常軌を逸した日の丸・君が代の強制がされ、そして、君が代斉唱に起立しなかった生徒が多かったクラスや学校では、校長先生や担任の先生が指導不足として責任をとらされる事態も起こっているんです
 総理に具体的にただしたい問題があります。これは二〇〇二年度に福岡市内の小学校で使われた通知表であります。
 これは総理にも一部お渡ししたいんですが、よろしいでしょうか。

○森山委員長 どうぞ。

○志位委員 これを見ますと、社会科の評価の筆頭に「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」というのがあります。要するに、愛国心が評価の対象とされております。そして、三段階で評価されております。Aは十分に満足できる、Bはおおむね満足できる、Cは努力を要する、こういう三段階評価です。
 先日、ある民放テレビでもこの問題を取り上げた特集番組が放映されました。多くの教師がこれを突きつけられて大変悩んでいる姿が映し出されました。愛国心と言われても評価できないと悩み、ある教師は愛国心の評価のために児童に感想文を書かせることを考えたが、子供はわざわざ先生からよく思われないことは書かないので、逆に裏表のある人間をつくることになる、こういう悩みも語っていました。
 そして、受け取った児童の保護者からは、あなたの愛国心はA級ですよ、B級ですよ、C級ですよとランクづけされ、A級日本人になるように家で教育しなさいと言われている気がしますという強い批判も述べられました。
 この福岡市での愛国心通知表は、市民の強い批判で翌年からすべての学校で取りやめになりましたが、総理に伺いたい。子供たちの国を愛する心情を通知表で評価するというのは、私はやってはならない間違ったことだと思いますが、総理は、お考え、端的にお話しください。

○小泉内閣総理大臣 通信簿なんというのは五十年ぶりにしか見たことないんだけれども、社会で、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」これが小学校。(志位委員「六年生です」と呼ぶ)ちょっと難し過ぎますね。教師を評価するのとは違って、これではなかなか子供を評価するのは難しいと思いますね、率直に言って。今これは使われていないと聞いております。

○志位委員 そうすると、これは評価が間違いだ、難しい云々じゃなくて、評価することは間違いだ、やってはならないということで、そういうことですか。総理、はっきりお答えください。

○小泉内閣総理大臣 私は、これは間違いかどうかという以前に、こういうことで小学生を評価することは難しい、あえてこういう項目を持たなくてもいいのではないかというのが率直な感想であります。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○保坂(展)委員 …愛国心について、先ほども議論がありましたけれども、小泉総理、態度と心の議論がありました。態度は外にあらわれるものですね。そして、心は内面のことです。密接に絡み合っていますけれども、心は外から見てはわからない、しかし、態度は外にあらわすことですね。愛国心という表記が加わることで、態度が足りないんじゃないか、あるいは愛国心を持っているその態度のあらわし方がよくないんじゃないか、こういうような評価が子供たちに加えられたり、あるいは教師がそういった教え方をしていないんじゃないか、あるいは家庭の中でこれは不足しているんじゃないかというような議論がやはり起きてくるんじゃないか。ここが非常に気になるところなんですね。どこで線を引くのか。内面の自由、内心の自由に立ち入らないところでこれをやるとおっしゃっていますけれども、その点について説明いただきたい。

○小泉内閣総理大臣 これは態度と心、まあ、心を形であらわしていくのが態度である、心は見えないけれども態度は見える、確かにそういう面があると思いますけれども、これを教育の中でどのように指導していくか。
 だれもが、普通、日本に生まれ、日本に育って、日本の教育を受けていくことによって、国を愛する心なり国を愛する態度なり、いわゆる愛国心というものを、郷土愛というもの、家族愛というものを持ってくるというのが私は自然な姿だったと思いますが、同時に、指導で基本的な人間の態度の問題、これは国旗・国歌を尊重するなんというのはもう当然のことなんですよ。外国へ出てわかります。それを知らなかったら、その人がほかの国に行ってどういうふうな扱いを受けるか。
 それではいけないからということで、学校で礼節として、礼儀として指導するというのは当然だと私は思います。国旗や国歌なんてばかにしてもいいよという教師がもしいたら、その方が問題だと思います。そういうごく基本的な、人間の社会でお互いを尊重し合う、自分も人を尊重する、自分も人から尊重されたいだろう、そういう基本的なしつけの問題もあるんです、法以前の問題として。…だから、すべてが法律で解消するものじゃないけれども、やはり基本的なものは法律に盛り込んで、それをどういうふうに指導するかというのは教師の質にもかかってくるんじゃないかと私は思っております。

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○保坂(展)委員 総理、先ほども伺いましたけれども、どこで線を引くのかということを私さっき聞いたんですね。つまり、内面には介入しないんだということですね。子供の心の中に手を突っ込んでということはしない、強制をするということはしない。みずからわき上がってくる感情ですね、愛国心というふうに言われていることについても。
 それについて、しかし、今総理が出した例は、ぴしっとそういう修行をされていたという話ですけれども、これは学校において、先ほど通信簿の話もありました、教員がそれで推しはかられ、子供が評価され、親もあれこれ言われるというような状況にしないための歯どめはどういうふうに考えられていらっしゃいますか。これは総理に聞いて終わります。

○小泉内閣総理大臣 さっきも通信表を見ましたけれども、小学生に対して愛国心があるかどうか、私は、そんな評価なんか必要ないと思いますね。そこら辺はもっと指導要領の中で考えればいいんです。
 どのように教えるか、その点はやはり法律にそう細々と書く必要もないでしょう。基本的なことを書いて、あとはどういう指導が必要かというのは、これは先生を教育する機関もあるんですから。そして、生徒のよさを伸ばしていこう。多少、子供というのは反抗心もあるのが当たり前ですから、ふざけたりむちゃをやるときもたまにあるんですから、そういう中にあって、体罰を加えるようなことはしないとか、そういうのはもう法律以前の問題でありますから、基本的なことがわかれば、あとは指導で、できるだけ生徒の基礎的な能力を向上させていく、いいものを伸ばしていこう、そういう指導が私は必要だ。
 そこまで細々と、あれをやるなこれをやるなというところまで法律に書き込む必要はないと思うんですけれども。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○横光委員 …総理が先日、通知表で評価しているというこの現実を見たときに、これは、小学生に対して愛国心があるかどうか、私はそんな評価なんか必要ないと思いますねと答えられた。そして、現在福岡市での通知表はありませんよと答えられた。しかし、その直後に、いろいろなマスコミの調査、あるいは文科省も調査しているんでしょうけれども、福岡市だけじゃなくて、やはり多くの県で通知表で評価しているということが明るみになってしまったんですね。埼玉県では五十二の小学校、岩手や茨城、あるいは愛知県でもそういったことで評価しているという、通信簿でですね。これは、正直言って、総理は、そういうことは必要ないということで、現在福岡市でもやっていませんよということをおっしゃいました以上、こういって現在やられているところは、早急に、総理の発言の重みを受けて、そういったことは是正していくべきだと思いますが、大臣、いかがでしょうか

○小坂国務大臣 前回の委員会におきまして総理が申し上げたことは、国を愛する心情については、教育や日ごろの生活の中ではぐくまれるものであって、いかにはぐくむかという指導のあり方を学習指導要領の問題として考えるべき、こういう考え方であって、小学生が内心である愛国心がどの程度であるかということを評価などすべきではない、これは私もそのとおりだと思います。内心についての強さを評価でABCつけるなど、とんでもないことでございます。
 民主党の案にも国を愛する心を涵養するとおっしゃっているように、また委員もただいま述べていただきましたように、国を愛する心というのは、やはりだれもが持っていてほしい大切なものでございます。私どもの今回の基本法におきましても、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛する心ということを規定しておるわけでございますけれども、これを評価するということにおいては、具体的な指導であります地域の歴史や文化について学ぶ、それから郷土の偉人や世界で活躍した日本人について学ぶ、こういったことを通じて、ああ、日本人というのは世界ですばらしいことをやってきたんだな、すごいな、自分も立派な日本人になりたい、そういうような心、全体としてそういうものがはぐくまれることを私どもは目的としているわけでありますし、評価に当たりましても、そういったことを自分として積極的に学ぼうとしているかどうか、そういうことを総合的に評価していくということでございますから、その心、内心について評価をするということではないということを明確に申し上げたいと思います。

○横光委員 私が聞いたのは、総理がそういったことは必要ないと言って、現在行われていないと総理は思っていらっしゃると思う。それがいろいろなところで、実際、通知表で評価されていたということが今度明るみになって、いわゆる中身が、総理が見た通知表と同じ、国を愛する心情というのが、今回、埼玉県の行田市での中身と同じなんですね。
 である以上、そういったところで、同じような条文で評価するということは難しいわけで、総理も必要ないと言っているわけですから、そういったところが明るみになった以上、総理の言葉に従って、早急にそういったことは是正する、もうなくすということをやっていただけますねということをお聞きしておるんです。
どうぞ。

○小坂国務大臣 具体的な通知表の内容を見ましても、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」という項目、観点項目がここに四つあるわけですが、その一番上にそういうことが書いてあって、これが問題だという御指摘もございました。
 しかし、この項目を評価する際に、いわゆる愛する心情を持つということだけを評価しているということではないわけですね。これは、そういった平和を願う世界の中の日本人としての自覚とか、我が国の歴史や伝統を大切にするとか、いろいろな項目を列挙してある中で、それ全体、総体としてそれに対して積極的に取り組んでいるかどうか、みずから調べて偉人の名前を知ろうとするとか、そういうことを総体として評価するための項目として記述されているわけでございます。
 通知表というのは学校長が自由に様式を決定することができるわけでございますから、そういったことが記述をされていることについて地域において御批判があれば、学校長もそれをしんしゃくすると思いますが、私どもとしては、そういった内心を直接的に評価するようなことをしてはならないということについて、学校長会議や、あるいは教育委員会の教育長の会議等を通じて、しっかりと今伝達をしているところでございます。
 そういったことを御理解いただく中で、一部に、そういった通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でそういうことを御指摘いただく中で、私どもも学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたいと存じます。

○横光委員 確かに、内心の自由を侵してはならないというのは、今の意見、総理も同じ思い。そして、総理が見た通知表で総理がそういった発言をされたのは、「国を愛する心情をもつとともに、」というふうな形で評価をしようとしていることで、これは必要ないと言われた。そして、今度明るみになった一つの学校の、行田市の小学校では、「自国を愛し、」という、まさに内心のことを評価している。
 全く同じ状況ですから、こういったものは、もちろん市民の反応も出てくるでしょうけれども、これは文科省としてやはり責任を持って、総理がこういったことを評価する必要はないんだと言って、内容が同じであるならば、早急に、他人任せにしないで、指導要領等でちゃんと対応して、通知を出して、こういったことは評価の対象にしてはなりませんよということを、ぜひ是正していただきたいということでございます。もう一度御答弁ください。

○小坂国務大臣 評価の観点として、第一項目、自国を愛しているかどうか、第二項、国を何とかとか、そういう項目として評価を求めるのであれば、それはおかしいと思いますね。しかし、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心をもって意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚をもとうとする。」こういうように書かれているような場合、これは総体的に、我が国の歴史や政治や、そういったものをしっかりと調べて、そういう認識を持とうとしているかどうか、こういった全体的な態度を評価するものでございますから、内心について直接的な評価をしているというものではないと考えております。

○横光委員 内心に直接的な評価をしているものではないと。そういうことで福岡市はなしになったので、それと同じ内容があるのでそこのところは同じような対応をしてくださいと言っているのであって、そこは責任を持っていただきたいということです。
 そして、これまでたびたび質問が出ていますが、この法案が出て、さらにそういったことが強くなるということはないでしょうね。

○小坂国務大臣 先ほど申し上げたように、この基本法における記述が新たにそういった内心の評価につながることのないように学校長の会議あるいは教育長の会議等を通じて私どもとしての考えをしっかりと伝え、そして、それぞれの地域における学校においてそれが反映されるように私どもとして指導を行っているところであります。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○保坂(展)委員 …他方で、例えば愛国心評価みたいなことがあるのかというやりとりも先日ありました。これは小学生に通信簿をつけるみたいなことは幾ら何でもという話が総理からもあったと思いますが、このあたりは、具体的に本当に皆さん関心が高いところなんですね。
 どういう方法で、どういう内容で考えているのか、お示しいただきたいと思います。

○小坂国務大臣 現行の教育基本法に基づく教育がどのような状況にあるか。それはすなわち、学力の低下ということが指摘されたことを例にとりますと、学力の低下というのは一体どのような形で現状があるのか、それを全国的な学力調査というものを実施することによって把握しよう、こういうものも一つございます。
 また、委員がむしろお聞きになりたいところというのは、国を愛する心とか、そういった二条の五項にあるようなことについて評価というものをする、こういうことは行うのかということについては先ほど引用していただきましたし、また、ほかの委員のところで答弁もさせていただきました。伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、そして世界の平和と発展に寄与する態度を養う、このことについて、それらの事柄が総体的に評価できるような評価というものを行うんだというふうに申し上げました。
 これがそういうふうに行われるためには、やはり学校現場において、教育長やあるいは学校長がそういう認識を持っていただかなきゃいけないものですから、私どもは、教育長会議あるいは学校長会議、こういった場において、この教育基本法が皆さんによって成立をさせていただきましたら、現場においてそのような適切な指導が行われるようにそういう場を使って通知していく、こういうことでございます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○糸川委員 しかし一方で、このような指導が充実するにつれて、特に学校教育においては、児童生徒の内心に立ち入った指導ですとか評価がなされるんではないか、こういう懸念が出てきていることも事実でございます。
 その点も踏まえて、今後学校において、我が国や郷土を愛する態度、これを具体的にどのように指導して評価されていくのか、御見解をお聞かせいただければと思います。

○銭谷政府参考人

 具体的な学校における指導の状況でございますけれども、例えば、小学校三、四年のふるさと学習などにおきましては、ふるさとの歴史とかふるさとの偉人、昔から伝わる行事やお祭り、こういったものを調べたり、あるいは小学校六年生の社会科の歴史では、国家、社会の発展に大きな働きをした先人とか偉人とか、あるいは文化遺産、あるいは国際社会で活躍する日本人の業績、こういったようなものを調べて理解を深める、そういうことを通じまして我が国の歴史などに対する理解と愛情をはぐくみ、さらに国家、社会の進展に努力していこうとする態度を育てる、そういった指導が行われているところでございます。
 なお、評価につきましては、そういう活動を通じて、子供たちが国を愛する心情を持っているかどうか、それを内心にわたって評価するということではなくて、文字どおり、あくまでも我が国の歴史やその中での先人、偉人の業績といった具体的な学習内容について進んで調べたり、学んだことを生活に生かそうとしたりする、そういう姿勢、意欲、関心といったようなところを総合的に評価するということになるわけでございます

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○石井(郁)委員 …本法案の審議に入りまして、愛国心の通知表というのが大問題になりました。小坂大臣も、評価でA、B、Cをつけるのはとんでもないという御答弁もございました。その後、新聞各紙もいろいろと報道されたところでありまして、現在、埼玉県で五十二小学校、また岩手県、茨城県などでも愛国心の評価が行われているということがございました。
 文科省としまして、この愛国心の評価で実態を把握されているでしょうか。これも大臣にきょうはお願いしていますけれども、大臣いかがですか。

○銭谷政府参考人 通知表でございますけれども、通知表は、各学校がその責任において適切に判断して使っているものでございます。現在、報道等によりまして、通知表の中で国を愛する心情についていろいろな評価がなされているということが言われているわけでございますが、我が国を愛する態度の評価に際しましては、児童生徒の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するものではございません。その学習の内容について自分で調べたり、あるいは意欲を持って臨んでいるか、そういった姿勢を総合的に評価するものでございます。このような趣旨の考え方については、文部科学省としてその趣旨の徹底を図っているところでございます。
 このことから、文部科学省といたしまして、全国の学校における通知表の内容について調査をするということは考えていないわけでございますが、評価の考え方につきましては引き続き趣旨の徹底を図ってまいりたいと思っております。

○石井(郁)委員 現実に愛国心を通知表に載せて、A、B、Cというランクをつけているということが報道されているんですから、そういう実態については私はきちっと把握すべきだというふうに思いますし、問題は、なぜこういう事態になっているのかなんですよ。
 私は、そのもとは、やはり文部科学省が平成十年に学習指導要領に載せましたね。「我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」ということを書き込みました。その後、平成十三年の四月には、小学校児童指導要録、中学校指導要録等の改善という通知を出されているんですね。その通知で、「学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価することに改める。」ということがあります。そして、指導要録に記載する事項としている。ここから来ているんじゃありませんか。
 その中で、社会では、学年別の評価の観点の趣旨として、我が国の歴史、我が国の役割云々ということの中で、国を愛する心情とともに云々、日本人として世界の国々の人々とともに生きていくことが大切であるという自覚を持とうとすると。だから、国を愛する心情とか日本人としての自覚とかいうことが、ここの中で評価の観点ということに入ったんですよ。それで通知表に書かれるようになったということがあるんですね。
 いかがですか。やはりこういうことから、文科省がまさにこういう通知表を作成するような行政指導をしてきたからじゃありませんか。その点は、大臣、いかがでしょう。これは大臣、ぜひ御答弁ください。

○小坂国務大臣 今御指摘の学習指導要録でございますけれども、在学する児童生徒の学習及び健康の状況を記録した原本でございまして、法令上は学校に作成、保管義務がある書類でございます。様式は設置者である教育委員会が定めることとしております。文部科学省がこの十三年四月に現行の学習指導要領のもとでの学習指導要録の様式の参考例を作成して通知をした、その中で、小学校六年生の社会科の社会的事象への関心、意欲、態度の評価の観点の趣旨として、御指摘がありました、「我が国の歴史と政治及び国際社会における我が国の役割に関心をもち、それを意欲的に調べることを通して、我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う日本人として世界の国々の人々と共に生きていくことが大切であることの自覚をもとうとする。」と記載しているわけでございまして、これは、子供の内心を調べて国を愛する心情を持っているかどうかを評価する趣旨ではないわけでございます。
 すなわち、我が国の歴史と政治及び国際社会における我が国の役割に関心を持って、それを意欲的に調べるといった学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するという趣旨でありまして、過日も申し上げましたけれども、国を愛するという心情を持っているかどうかという内心を評価するということは、これはすべきでないと私も思うところでございます。

○石井(郁)委員 やはりはっきりさせなければいけないことがあると思うんですね。指導要録というのは義務づけられているというふうにおっしゃいました。学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を評価することに改めるということで、目標に照らしてその評価をするというふうにしていますから、今問題になっているああいう通知表が出てくるんだと思うんですね。大臣は総合的にとおっしゃいましたけれども、あの通知表を見ますと、国を愛する心情、日本人としての自覚云々ということが項目として載っている。載せてきたんじゃないんですか。
 私は、いろいろ言われるけれども、こういう愛国心の評価をやめさせるのかどうなのかということになりますと、こうした通知を撤回させる以外にないと思うんですよ。指導要領に沿って目標を立て、そしてその実現の評価をするということを通知しているんですから、そういう通知はやはり間違っている、撤回するという立場に文科省として今は立つべきだ。そうしなければ、この愛国心の評価というのは残っていくわけです。
 私は、その辺は、愛国心評価などとんでもないという発言をされた文科大臣としては、やはりきちんとされるべきだと思いますが、いかがですか。


○小坂国務大臣 この通知表の書き方ですけれども、通知表自身は、各学校がその責任において適切に判断すべき事項でございますので、どのような記述を行うかというのは学校にゆだねられるわけでございますけれども、その中で、国を愛する心情を持っているかどうかということで評価をするというようなことをしてはならないということについて、私どもは適切な指導を行ってまいりたい、このように思うところでございまして、我が国の歴史や伝統に関する学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するということで、評価というのはあくまでもなされるべき、こういうことを、あらゆる機会を通じて、学校にも徹底してまいりたいと考えております

○石井(郁)委員 もう時間なんですけれども、現在の学習指導要領に、国の歴史や伝統を大切にして、国を愛する心情を育てるようにするということを書いて、さらにそれを通知で、指導要録でもきちんと観点評価するようにということになった中で、今日の問題の愛国心の評価ということが出てきたわけですね。
 今回の法案というのは、それを法律そのものに今度は格上げするわけですよ。法案の第二条、教育の目標、そこに載せているわけですから、態度を育てるようにするというふうにしているわけですから。指導要領で、今現実に起きているいろいろな混乱が、今度は法律へ格上げする、法律の名前で一層強制が働くようになるというのが、私は今回の法案だというふうに思うので、この法律はもう撤回以外にはないということをこの点に限っても申し上げて、きょうの質問を終わります。


164国会 衆特別委 第6回(531日)

○保坂(展)委員 官房長官、よろしいでしょうか。
 この委員会が始まってから、愛国心について、政府提案の、我が国と郷土を愛する態度を養うという表現、あるいは民主党案では、日本を愛する。表現は違うわけですけれども、愛国心がどうだというその中身はそれぞれの人の内面にかかわることだと思いますけれども、愛国心を評価するということをめぐって小泉総理ともいろいろやりとりがありまして、小坂大臣の答弁もありました。総理は、愛国心ということについて、例えば、通知表で評価するような、そういうことは行き過ぎだと思う、こういうふうにおっしゃっていますが、官房長官の御所見を伺いたいと思います。

○安倍国務大臣 この問題につきましては、既に総理もまた小坂大臣からも答弁をいたしておりますように、我が国と郷土を愛する態度の評価については、子供の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかを評価するものではない、これはもう言うまでもないことでございます。
 このような評価の考え方については、文部科学省としてその趣旨を徹底しているというふうに承知をしております。また、このことは、教育基本法に教育の目標として我が国と郷土を愛する態度を規定することによって変わるものではない、こう考えております。私も全く同じ考えであります。

○保坂(展)委員 今官房長官は、前提というか、お述べになったと思うんですが、私、お聞きしたのは、通知表で、A、B、Cとか五段階評価とかいうような形で小学生ないし中学生に、この基本法ができたからといって通知表で評価をするということについてどういう御所見なのかということを聞いたんです。

 

○安倍国務大臣 その点につきましても、総理も既に答弁をしておられるわけでありますが、もう既にそういう通知表はやめてしまっているというふうに、きょう、私も承知をしております。当然それはそういう判断であろう、このように思います。

○保坂(展)委員 それでは大臣の方に。
 今の点なんですが、先日の答弁で、教育長会議あるいは学校長会議などの場で適正な指導をできるように通知していきたい、こういうふうにおっしゃったんですが、その通知がどういう中身になるのかということ、これから考えるだけではちょっと心もとないので、その点についてもうちょっと明確にお答えいただけないでしょうか。

○小坂国務大臣 現行の学習指導要領におきましては、例えば小学校の社会科の第六学年の目標の一つとして、「国家・社会の発展に大きな働きをした先人の業績や優れた文化遺産について興味・関心と理解を深めるようにするとともに、我が国の歴史や伝統を大切にし、国を愛する心情を育てるようにする。」と定めているわけでございます。
 しかしながら、このことは、子供の内心を調べて、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するというようなことではなくて、あくまでも、国を愛する心情を育てるようにするという教科としての目標のもとに、我が国の歴史やその中での先人の業績といった具体的な学習内容について、それぞれの児童生徒が進んで調べるような態度で臨んでいるか、あるいは、学んだことをもとに我が国の将来のために自分が何ができるかを研究し追求したり、そういう姿勢を持っているかどうかという全体的な、総体的な評価をするものであります。児童の内心に対して、愛国心を持っている、ああ、これはちょっと足りない、もっと持っているとか、内心の度合いをはかって評価するということはないわけでありまして、これはしてはならないこと、このように考えております。

○保坂(展)委員 大変大事な部分なので、前回、横光委員の質問に対して小坂大臣は、例えばそういう通知表などの行き過ぎあるいは過剰な形というのがあれば是正をしていきたい、こういうふうにおっしゃったんですが、その内容というのは今おっしゃったような内容なんでしょうか、あるいは通知表以外にも考えられるんでしょうか。

○小坂国務大臣 これは、調査をするということを申し上げたのは、すなわち、学校現場で内心に直接評価を加えるようなことを行ってはならないということを、あらゆる機会を通じて学校長や教育委員会等に伝えてまいりたい、こう考えておるわけでございますけれども、そういった私どもの指導というものが学校現場において適切に行われているかどうか、こういったことをどこかの時点でこれは調査してみる必要があるだろう。調査時期とか調査方法については今後慎重に検討してまいりますけれども、そういった必要性を感じまして、それを新聞に、記者から問われて申し上げたことが、行き過ぎの是正を図るというような考えを示したというふうに書かれておりますけれども、朝日新聞の五月十九日付の記事等によりますとそういった書き方もされているわけですが、決して行き過ぎを前提として調べているわけではなくて、どのような実態であるかという実態の調査をすることを考えるということを表明したわけでございます。

 

○保坂(展)委員 仮速記なんですけれども、大臣、新聞ではなくて横光委員とのやりとりの中で、一部に、通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でこういったことを指摘いただく中で、私どもも学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたい、こういうふうにおっしゃっていますよ。確認させてください。

○小坂国務大臣 今委員が御指摘いただきました議事録部分の、横光議員に対する答弁の部分という御指摘ですので、改めて答弁させていただきます。
 その部分は、そういった通知表の項目にもし行き過ぎがあるならば、それぞれの地域でそういうことを御指摘いただく中で、私ども、学校長たちの理解を求める努力をしてまいりたいと。すなわち、私どもの地域のある学校の通知表には、愛国心を評価するA、B、C、こういう項目が設けられている、これは不適切ではないか、こういう御指摘をいただいたならば、それは内心の評価につながるので、そういう項目は通知表から削除していただきたい、こういう指導を行う必要がある。しかしながら、総体的な評価を記述したものであれば、そういうことが全体として読めるならば、それはそういう範囲であくまでも総体的な評価をしていただきたい、その項目の中で内心的な評価はしないでいただきたい、こういうことを申し上げることになると思います。

 

164国会 衆特別委 第7回(61日)

○保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。

 総理に、前回、先週に引き続いて、ちょっと確認をさせていただきたいんです。
 前回、愛国心を通知表で評価することについては、必要ないという明快な総理の答弁をいただきました。
 前回の通知表とは違う文面なんですが、簡単に紹介したいと思います。「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」という項目ですね。これについて小学校六年生で通知表という例があるんですけれども、これについても前回同様の見解ということでよろしいでしょうか。総理に伺います。

○小泉内閣総理大臣 それは、一般的に全体的に考えれば、郷土に対する愛とか国に対する愛情を持つというのは、日ごろの生活の中ではぐくんでいくということは必要だと思いますが、実際の生徒を評価する項目として、今言ったような、この子には愛国心があるかとかなんとか、そういう項目は私は必要ないと思っております。

○保坂(展)委員 それは、前回、先週のはもう使われていなかった通知表なんですが、今御紹介したのは現に今使われている通知表だということで、この辺はしっかり見直しをしていただきたいと思います。
 続けて、少し愛国心について考えてみたいんですけれども、今回の政府案では我が国と郷土を愛する態度を養う、あるいは中教審では涵養という言葉も出てきますよね。
 一般的に、愛国心を持って、その国を愛する、郷土を愛する、私もそれでいいと、全く自然なことだと総理がおっしゃることは、そのレベルでは同じだと思うんです。ただ、では、愛国心教育なるものをして、例えば愛国者を育てるべきなのかというようなことを考えていくと、愛国者とは何かというふうな話になっていくだろうと思います。
 例えば、愛国者だけの人がいるならば、私は熱烈な愛国者だと言う人も出てくるかもしれない。そして、自分は愛国者だと言いながら他人の意見や価値観には余り耳をかさないという人もいるだろうし、あるいは、愛国者とはみずから全く言わないけれども、国や社会の危機的状態に命をかけて多くの人の安全や人命を守るという働きをして、後からあるいはほかの人から愛国者というふうに言われる人もいるかと思います。
 ですから、愛国者という概念あるいは愛国心という概念について、これはそもそもみずから、内側から出てくるものであって、ひな形があって、このようにしなさいというものではないというふうに思うんですが、この点について総理の答弁をお願いします。

○小泉内閣総理大臣 人間の徳目として大事なことはと聞かれると、昔からよく言われてきたことが、仁、義、礼、智、信ですかね。仁であり、義であり、礼であり、智であり、信用の信であると。そういう中で、そういうのをはぐくむためには、日本なり外国の国でも、自国の長い歴史の中で、こういう人が勇気ある行動をした、あるいは地域の人にこのような助け合うために献身的な活動をしたという過去の歴史上の人物の尊敬すべき点というものを話しながら、あるいは本を読みながら、ああ、こういう人に自分もなりたいなとか、ならなければいけないなという教育はあると思います。
 しかし、それは、お互い自分たちの共同体を守っていこう、自分の家族が乱暴を受けたり襲われたりしたら守らなきゃいけないというのは、日ごろのお互いの家族の中での生活、あるいは地域で助け合っている中での生活、そういう中で、私は、さまざまな行動において、学校における教育活動なり地域での活動なり家庭でのしつけ等ではぐくまれていくものだと思います。それを子供に対して愛国心、愛国者になれというのはまた違うんじゃないかなと思っているんです。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○大畠委員 …委員会でも何回もありましたが、愛国心の学校評価は不適切、やるべきじゃないと総理もおっしゃっているんですが、現場ではもう先行してそういうことをやっているんですが、文部大臣として、この現場是正。何かコンロを出すとすぐ魚を持ってくるという、コンロを出しただけで何か始まるんですよ。ですから、今回こういう論議が始まると、もっと広がっちゃうと思うんですよ。私は、文部大臣として責任を持って答弁されていますので、この現場是正、愛国心について通信簿みたいな評価をするというものは望ましくないと思いますが、どういう形で現実に是正されますか。

○小坂国務大臣 過日、総理が答弁されて、小学校、中学校の児童生徒に愛国心という内心の評価をするようなことはとんでもない、適切ではないということをおっしゃいました。私も同様に考えておりまして、国を愛する態度の評価というものは、あくまでも我が国の歴史や伝統、そしてそこにはぐくまれた文化、そして偉人たちの業績、こういったものを勉強する、それに対して前向きに取り組んでいくかどうか、あるいは、そういうことを覚えたり、またそういうことに参加したいという意識を持ったり、そういったことを全体的に見ながら、郷土や国を愛すること、あるいは伝統と文化を尊重すること、あるいは他国を尊重すること、あるいは国際社会の平和や発展に寄与する、そういったことに対して総体的な評価をしていくということになるわけであります。
 そのことをしっかり伝えないと、現場で間違った指導も行われる可能性がありますので、もう既に、五月の十八、十九日の小中学校の各教科担当指導主事連絡協議会におきましてもその旨申し上げました。また五月二十六日の全国連合小学校長会の総会というのがございましたが、ここでも、また六月一日、昨日の高等学校各教科担当指導主事連絡協議会、これらにおきましても指導するようにしっかりと担当部局に指示を出しているところでございます。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○川内委員 第二条の五号、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という教育の目標でございますが、これらは、心にしても態度にしても、評価をされることは好ましくはないということが言われておりますし、それは恐らくすべての人々に共通をする思いだというふうに思います。
 では、評価しない、これらを、心とか態度を評価させないようにするというか、評価ができないようにするための学習指導要領の書き方についての工夫が必要であるというふうに思いますが、文部科学大臣の御見解を承りたいと思います。

○小坂国務大臣 内心の問題について評価をすべきでないという点は、たびたび申し上げております。しかし、態度というものを一切評価しないとは申し上げておりません。すなわち、学習の態度ということは、これはテーマがいろいろありますから、それを、学習する態度ということを一切評価しないわけではございませんので、それは通知表という中で評価をしてまいります。
 しかし、愛する心というような、心というような内心の問題を評価することは適当でないし、させないということを申し上げているわけですね。そしてまた、それが具体的に御家庭に通知される場合には通知表でしょうし、また、進学について適用されるのは内申書であろうと思います。それのもとになります学習要録のような、そういったものの書き方の中で内心を評価するようなやり方はしてはならないということについては、いろいろな会議の場を通じて、これは先ほど他の方の答弁で申し上げましたが、直近のものでいえば、昨日の高等学校の教員のものを初めとして、その前、日にちまで今暗記しておりませんが、もう既に五月の間に、小中学校、また学校校長会、こういった会議において、内心の評価というものをすることは適当ではない、こう申し上げております。
 また、通知表の書き方につきましては、これは学習指導要領等で決めるものではないので、これはあくまでも学校の設置者、また校長の裁量によって通知表のつくり方というのは任されておりますので、その書き方そのものに内心の評価というものが実際に出てくれば、愛国心を持っているか、A、B、C、このような形になれば、それは適当ではないという指導を行うことになると思います。したがって、御指摘のように、学習指導要領その他に明確に書き込め、そういう形でこの指導は行っていないところでございます。


164国会 衆特別委 第9回(65日)

○横光委員 …それでは次に、今回の基本法の中でやはり一番大きな課題だというのを先ほどの信濃毎日新聞でも書かれておりましたが、愛国心ということについてお聞かせいただきたいと思います。
 今回、この委員会で通知表の件が明るみになりました。そして、総理は、愛国心は評価対象とする必要はないと答弁されましたし、小坂大臣も、行き過ぎた評価は是正のための指導を行うべきという趣旨の答弁をされました。
 しかし、そうされた以上、文科省としては、全国的な通知表の実態調査を早急にやるべきだと思うんですが、前回のこの委員会での答弁では、やる予定はないということでございましたが、なぜ実態調査をやろうとされないんですか。

○銭谷政府参考人 通知表でございますけれども、通知表は、各学校が各学校の責任におきまして適切に判断して作成をするものでございます。
 我が国を愛する態度の評価に際しましては、各学校とも、児童生徒の内心を調べ、国を愛する心情を持っているかどうかで評価するということではないと思っております。国を愛する心情、愛国心がどの程度かとか、そういうことを評価するものではないわけでございます。あくまでも我が国の歴史や伝統等に関する学習内容に対する関心、意欲、態度を総合的に評価するものでございます。
 このような趣旨の考え方につきましては、文部科学省としては、既にその趣旨の徹底を図っているところでございます。先月、今月にかけまして、小中学校の指導主事会議、高校の指導主事会議等で指導しているところでございます。
 こういったことから、文部科学省といたしましては、全国の学校における通知表の内容につきましては現在調査しておらず、今後も調査をすることは考えていないわけでございますが、評価の考え方については引き続き趣旨の徹底を図ってまいりたいと思っております。

○横光委員 質問したことと違う答弁をしないでください。私は、愛国心、国を愛する内心の自由にかかわることと質問したのに、あなたは何で態度のことで答えるんですか。私は態度のことを聞いているんじゃないんですよ。
 総理が言われた、内心にかかわることは、愛国心を評価対象とする必要はないと。そういうことで、通知表が心の問題を評価しているということがはっきりしたので、全国的な実態調査をしなければ、総理がしてはならないと言ったことをどうして判断するんですか。小坂大臣だって、行き過ぎた評価は是正のための指導を行うと。実態調査が明るみにならなければ、行き過ぎたかどうかわからないじゃないですか。
 何で実態調査しないんですか。国旗・国歌法のときはすべて実態調査したんでしょう。今回もこういった問題が、総理の発言、小坂大臣の発言がある以上、どうなっているんですかと県教育委を通してやることなんか簡単にできるじゃないですか。なぜそれをやろうとしないんですか。態度じゃないんですよ。

○銭谷政府参考人 通知表におきましては、子供の内心を調べ、国を愛する心を持っているかどうか評価するものではないと考えておりまして、そのことにつきましては文部科学省で趣旨の徹底を図っておりますので、特に調査をする必要はないと考えております。

○横光委員 評価する必要はないということですが、それをそのとおりしているかどうかということをなぜ調べないのか。していないところがいっぱい出てきたんでしょう。福岡市から埼玉県、岩手県、茨城県、愛知県、きのうの朝日新聞では、千葉県までちゃんとこうして、相当の、四市で評価しているということが出たんですよ。
 ですから、あなたは周知徹底していると言うけれども、こういったことが行われているかどうかをまず調べて、そして、行き過ぎたところ、あるいは総理が言う内心の自由にかかわるところがあったら直すというのがあなたたちの役割なんじゃないんですか。それをなぜやろうとしないんですか。こうして、マスコミが発表する、あるいは各地域が自主的に発表する、こんな他人任せでいいんですか。文科省の責任放棄じゃないですか。

○小坂国務大臣 通知表は、先ほど申し上げたように、学校長の責任でこれを自由な形式で記述することができるようになっております。ただ、その記述した内容が直接的に内心を評価するというような内容になっている。例えば、愛国心のあるなしを評価せよのような項目があって、A、B、C、これでは内心の評価につながる。
 しかしながら、委員が御指摘になったような、例えば、「我が国の歴史や伝統を大切にし国を愛する心情をもつとともに、平和を願う世界の中の日本人としての自覚をもとうとする。」これは実際に今委員が御指摘なさった福岡の通知表の例でございます。このような場合に、これを内心の評価として評価しようとすることは誤りであるということを私どもは指導しているわけでございます。
 具体的に申し上げれば、五月の十八、十九の小中学校の各教科担当指導……(横光委員「もう聞きました」と呼ぶ)もう御存じですか。御存じならば繰り返しませんが、このように、私どもは、具体的に学校長等に内心の評価をしてはならないということを申し上げているわけで、したがって、調査の必要はないわけであります。

○横光委員 でありながら、こうして次から次へと、恐らく五月雨式に出てきますよ。だから、あなたの言うように、こういう福岡市のようなことがあってはいけないと判断するには、もともとの調査をしなければ判断しようがないでしょう。ああ、ここはちゃんとやっているなとか、あるいは、ここは愛国心にかかわるな、総理が言っているところにひっかかるなとどうして判断できるんですか、通達だけで。全国の学校からそういったことの状況を示してくれれば、簡単に、総理が言われたこと、小坂大臣が言われたことは早急に是正されるわけですよ。
 だから、こうして次から次から、先般、五月末に通達とか指導するというものをおっしゃったと言われましたが、その後、昨日、こうして四市で愛国心を評価しているという事実が判明している。それで、やはり保護者の間では反発や戸惑いも出てきている。学校では、内面の問題評価は難しいと学校から言われている、保護者への説明がしにくい、こういった事態が起きている。
 総理が懸念したことが起きておるんですよ。文科大臣が懸念したことが起きておるんですよ。それを是正するには、全国の調査をして、言われたことが、本当に内心にかかわっていないかどうかを調査して、それぞれの学校の通知表の内容がわからなきゃできないじゃないですか。そのことを言っているのであって、それをなぜ文科省はやろうとしないのか、他人任せでいいのかということをお尋ねしているんでございます。

 

○横光委員 ですから、内心にかかわっているかどうかというのを指導だけで十分把握できて、是正できるのかということを聞いておるんですよ。
 例えば、お示しした資料二を見てください。上の段が福岡市で、総理が、これは内心の自由にかかわるから評価してはなりませんよと言ったくだりでございます。下が、その後に明るみになった通知表、行田市の小学校六年生の社会の。文言を見てください。前半も後半もほぼ同じことを、そして中間に、「国を愛する心情をもつ」、下の行田市の方は「自国を愛し、」と、「国を愛する心情をもつ」というよりもっと強いんですよ。自国を愛す、こういったことを書かれている。しかも、前半はほぼ同じ、後半も同じ。
 前半は、総理がこれは内心の自由にかかわりますから評価するのはやめるべきだと言った通知表ですね。行田市の場合は、これと全く同じでございますが、福岡市はやめております、通知表にこういうことを書くのを。では、行田市もすぐやめるように指示を出しましたか。

○銭谷政府参考人 先ほど来お答えを申し上げておりますように、私どもとしては、いわゆる国を愛する心情につきましては、児童生徒の内心を調べて、それを評価するものではないという趣旨の徹底を、先ほど来大臣が申し上げておりますさまざまな会議で徹底しているところでございます。
 例えばこの行田市の例でいいますと、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心をもって意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚をもとうとする。」こういうのが評価の項目になっているわけでございますが、この項目につきましては、自国を愛しているというその内心を評価するものではなくて、意欲的に関心を持って日本の役割や歴史、政治について調べているか、そういう意欲、関心、態度を評価するということはあるわけでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○保坂(展)委員 社民党の保坂展人です。
 小坂大臣に、きょう、同僚議員の質問からも出ておりましたけれども、行田市の通知表、こちらの方で、「我が国の歴史と政治及び国際社会での日本の役割に関心を持って意欲的に調べ、自国を愛し、世界の平和を願う自覚を持とうとする」という項目について、先日、小泉総理に、この項目をどう思うか、こういった質問をしまして、総理からは、一般的、全体的に考えれば、こういったことを日ごろの生活の中ではぐくんでいくことは必要だと思いますが、この子に愛国心があるかどうかという項目は私は必要ないと思います、こういった総理の答弁があったわけですが、この点、変わらないかどうか、大臣に確認をさせていただきたいと思います。

○小坂国務大臣 その質問のやりとりは通知表に基づいて行われたと思っておりますが、通知表の表現をどのようにするかというのは学校長にゆだねられているわけでございまして、各学校における通知表の表現というものは、多様性があっても、それは是認すべきものと思うわけでございます。
 しかし、その中で、いわゆる内心の評価に当たるようなものを項目として掲げ、それに基づいて内心を評価するということはすべきでないと私も思っております。
 そういう観点から、愛国心の有無について評価項目を設け、それに基づいて内心を評価するということは避けるべき、このように申し上げているところでございます。

○保坂(展)委員 先ほどの局長の答弁などでは、この行田市も、愛国心だけという項目ではないんですよね。歴史や政治や国際社会での日本の役割、その中に「自国を愛し、」ということが入っております。
 これは大臣に伺いたいんですけれども、こういう中でも、それは幾つかの要素の一つに「自国を愛し、」ということが入っているので、やはりこれが、いわゆる愛国心をどういうふうに評価したらいいのか、教師も非常に悩んでいるという声も紹介されていますけれども、こういう形での項目の立て方についてどうなのか、重ねてお願いします。

○小坂国務大臣 通知表表現を具体的に個別に審査して認可をするとか、そういう規制を設けるつもりはないわけでございますので、基本的に、伝統と文化を尊重し、それをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに云々、こう仮に書いたとして、これについて評価をするという場合に、私どもとしては、そういう評価項目を書くこと自体否定するものではないが、その評価に当たっては、内心を評価することがあってはならないということを指導していくことになる、こういうことでございまして、表現そのものについては、学校長にゆだねてまいるということが私どもの方針でございます。

○保坂(展)委員 内心の評価に至らないで評価をする、非常に難しいところだと思います。
 ちょっと角度を変えて、東京都の町田市で、これは二年前の十二月に、卒業式における国歌斉唱について、他の式歌と同様の声量で歌うことができるように指導すること、いわゆる声量の指導ということが言われて大変話題になりました。声の量ですから、子供たちが式で歌う声の量を大中小で分ける、こういうような話もあったり、あるいは、では何か機械で声の量をはかるのか、これは行き過ぎじゃないかという声もありましたけれども、これは一体どういうふうになったのか、答弁願います。副大臣、お願いします。

○馳副大臣 事実関係を申し上げます。
 平成十六年十二月に町田市教育委員会から市内の小中学校長あてに発出された、入学式、卒業式などにおける国旗掲揚及び国歌斉唱の実施についての通知において、国歌については他の式歌と同様の声量で歌うことができるよう指導することが記載されていたと承知しております。これは、校歌など他の式歌よりも国歌の声が小さい実態があったのではないかと思われます。
 その後、平成十七年十二月に町田市教育委員会から発出された通知においては、既に各学校において声量について十分な指導がなされているとの判断から、声量に関しては記載がされなかったと聞いております。

○保坂(展)委員 これは、国旗・国歌法を踏まえて、教育現場に余り影響がないんだという答弁でしたけれども、声の量をはかろうかという、実際にこれは福岡の久留米市では、大中小で校長や教育委員会の職員に聞き取り調査をして評価をするという例も指摘されていると聞いています。
 これら教育現場の現状を踏まえると、これは小坂文科大臣、もう一回戻りますけれども、この愛国心をめぐる問題というのはやはり大変深い問題でありまして、今回、基本法案の目標の中に我が国と郷土を愛する態度というふうに入っていますから、この目標に掲げたときに、例えば、これは総理にも問いましたけれども、愛国者を育成することになるのか、必ずしもそうではないのか、これはどうお考えでしょうか。

○小坂国務大臣 具体的な指導に当たっての先ほどの声が小さいという話も、私は体験的なことで申し上げるわけですが、校歌というのは、大体が体育館の前に額に入って掲示されているんですよね。それで、歌詞を忘れても、見ればもう一度すぐ歌える。ところが国歌というのは、残念ながらほとんど掲示していないことが多いものですから、歌詞がはっきりわからないと、勢い声も小さくなる。そういったことが、式歌の中でちゃんと国歌の歌詞も覚えてもらいなさいという意味で指導したのか。そういったものも踏まえると、その現場にいないと、なかなか新聞の記事のことだけではわかりにくいな、こう思っているわけでございます。
 愛国者と愛国心ということでございますけれども、我が国の郷土や伝統や文化についての理解を深めて、そして、それによって必然的にそういった郷土を愛する心が培われ、また、それらをはぐくんできた郷土に対する愛着心といいますか、そういう心が芽生えて、それで形成されてくるわけでございますけれども、国家、社会の形成者としての必要な資質として、そういった国を大切に思ったり愛するというような気持ちを持つということ、これは大切なことだと私も思っております。
 このような意味で、そういうことは重要ではありますけれども、この第二条第五項において我が国と郷土を愛することを教育の目標の一つとして規定しているということは、これが、一つの型にはまった概念としての愛国者というものを画一的に生産しよう、こういう趣旨ではないことをまず御理解いただきたい。愛国者というのは、こういう場合にはこう反応して、それでこういう態度が常に表明されて一つの形にはまったもの、これが愛国者であって、それを育成する、こういうものでは絶対にない。それぞれの育った環境等によって郷土に対する愛も違いますし、それと同じように、国に対する思いというのもそれぞれに違う。したがって、愛国者というものは一概に規定できるものではない、このように思っております。