0470徳目を本文に規定することと前文に規定することの違い

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○岩屋委員 …民主党案で、日本を愛する心、しっかり書いていただいたのは評価したいと思いますが、前文に置いたのはなぜなんでしょうか。これは、前文に置いたから強制にならなくて、条文に置いたら強制になるんだ、こういうお考えなんでしょうか。それは果たして正当な判断なんでしょうか。その点、ちょっと聞かせてください。

○笠議員 今、岩屋委員がおっしゃったようなことではちょっと私どもは違いまして、これはむしろ、前文に置くとか置かないとかいうこと以前に、私どもの日本を愛する心といういわゆる愛国心の問題というものは、当然ながら、上から一方的に押しつけられるものではございませんし、そうした強制的にまた押しつけてはぐくまれるものではないと私どもは思っております。
 そこで、私ども民主党として、なぜ前文に置いたのかということは、我々は、今回の民主党案、日本国教育基本法は、新法として、これから本当に四十年、五十年、しっかりと今のこれからの時代にふさわしい教育基本法をつくっていこうということで議論してまいりました。
 それから、中でもその前文を、もともとこの教育基本法というのは理念法でございますけれども、その中心となる理念、これからの時代にあしたを担うどういう人材を私どもが育てていくのかということをうたったのが、その中心になるべき理念がこの前文に盛り込まれているということで、前文の中において私どもは、日本を愛する心の涵養というこのことを盛り込ませていただき、宣言をさせていただいたということでございます。

○岩屋委員 前文というのは大事なものですから、その中にしっかりそのことも書き込んだ、これはよくわかるんですが、政府・与党案も教育の目標というものの中にきちんと置くということは、何も強制をしようという発想でそうさせていただいているんじゃないんだと思うんですね。
 ですから、条文の中に教育の目標として愛国心、表記の仕方は別にしても、書き込むことがそれでは民主党さんは不適切だ、こういうふうにお考えなんでしょうか。

○笠議員 私はやはり、この目的の中の目標、そしてそこに五項目、政府案の中では並んでいるんですけれども、その一番最後と言っていいんでしょうか、一番下に、一番最後の部分にこの文言が、表記がなされているわけですけれども、これは、ともすれば非常に限定されて、強制力を持って一部の人たちに使われる可能性もあるのではないか。むしろもっと言えば、やはりつけ足しのように五項目めに入っているということはいかがなものなのか。この理念の中心となすべきものでございますから、やはり前文の中にうたった方がいいのではないかと思っております。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○稲田委員 …ただ、前文にそのような愛国心というものを書きながら、なぜ本文に書かれないのか。民主党の第一条の教育目的を見ると、前文に書かれたそういったすばらしいものが全く生かされていないと思うわけです。むしろ、ちぐはぐと言ってもいいのではないでしょうか。例えば、「日本国憲法の精神に基づく真の主権者として、」の何たらかんたらの人材というのは一体どういった人なのかということが全くイメージとして浮かばず、そういった前文で書かれた具体的なものが全く本文のどこを見ても私は感じられないので、その点が非常に疑問に思うわけです。
 質問なんですけれども、なぜ、日本を愛する心を涵養するというような前文で書かれた愛国心が本文の目標、目的の中にきちんと書き込まれなかったのか、その点について簡潔にお答えください。

○藤村議員 …立法者の意思ということでございます。我々は、前文というものは、まさに、非常に広い意味での教育、その意味で「広義の教育の力」という言葉も使っておりますが、非常に広い意味での教育についての理念を申し上げたところであります。
 一方、条文というのは、これは、国や地方公共団体が行う、まさに、広い意味の教育の中の一部の教育についての基本をずっと定めてある、こういうことでございます。
 それで、日本を愛する心については、既にもう平成十年告示の学習指導要領において、例えば小学校六年の社会で「国を愛する心情を育てる」とあり、あるいは五年、六年の道徳においても「郷土や国を愛する心をもつ。」とあって、具体的な、つまり、指導面において既にこれはある意味で定着しているわけであります。
 ですから、わざわざ何も条文で云々ということでなしに、我々は、基本の、まさに人間を育成すると前文には書いてありますが、その人間を育成するまさに精神、理念のところでそういう要素が必要であって、この前文すべてが、どんな人間を育成するかということについて触れているということでございますので、我々は、立法者の意思としては、前文あるいは前文からおりてきた条文という考え方ではないわけでございます。

○稲田委員 しかし、たとえそんな立派な理念であっても、その理念がきちんと基本法の目標、目的、一条、二条に書き込まれなければ何にもならないんじゃないかというふうに私は思います。
 そこで、資料一、二なんですけれども、例えば朝日新聞によれば、前文に書かれて本文に書かれなかった意味について、条文にあるよりは強制力が弱いと民主党は説明すると書いてありますし、毎日新聞によれば、「条文に書き込めば内心の自由の規制につながる」というふうに書かれているわけですけれども、前文に書くのと本文に書くのとでは、その強制力が弱いとか、そういった内心の自由の規制につながらないとか、そういう何らかの違いの配慮を認めて本文に書かれなかったのではありませんか。

○藤村議員 新聞がどのように評価されるかは、それぞれ新聞社のお考えだと思います。
 私どもは、強制力については、まずこれは、一般、共通して理解されていると思いますが、愛国心というものをそもそもこれは強制して押しつけて教えるものでないというのは、これは皆さんおっしゃることでありまして、当然そういう種類のものであるということでございます。
 そういう意味では、強制力云々という話は、そんなことはない、総理大臣もこの前、そんなものは押しつけて教えるものではないとおっしゃるとおりでありまして、我々もその考え方に賛同しております。

○稲田委員 そうしますと、朝日新聞による、強制力が弱いと民主党は説明したというのは、これは誤報ですね。まあいいです。
 それで……(発言する者あり)誤報なんですね。

○藤村議員 朝日新聞に聞いていただくのが正確を期すと思いますが、報道ですから、いろいろな新聞社がいろいろなふうに報道されていることは、これはもう皆さん御承知のとおりでございますので、誤報とかなんとかいうのを私の口から言うのも、また、そういうだれかが言ったことを報道されたということなのかもしれません。そういうふうに受けとめている方もいるのかもしれません。我々は、立法者の意思としてそういうことを考えたわけではございません。

○稲田委員 そういうふうに説明されたかどうかという事実関係ですので、民主党が説明したかしていないかという問題だと思います。
 NHKの「日曜討論」でも、保坂委員の質問に答えて西岡先生が、強制力を伴うのではないかという質問に対して、そうした心配があるので、私どもはあえて前文で理念として盛り込むことにしたというふうに答えられておりますので、そういった意味では、強制力が弱いと判断して前文に盛り込まれたというのではありませんか。

○藤村議員 まず、強制力について、そういうものは我々は全く想定しておりません。国を愛する心を押しつけて、強制して教えるべきものでないということは、もうこれはそのとおりの理解でございます。そしてまた、実際の具体の場面においては、先ほど申しましたように、学習指導要領においてきちんとまさに教育の現場では教えられているということでございますので、強制力が弱い、強いというのは、法制局にもちょっと聞いていただいたらいいと思いますが、その差は、我々、そんなに意識して立法者の意思としてここに前文に入れた、条文に入れなかったということはございません。

○稲田委員 そうしますと、今までの御説明とは違って、強制力については、前文でも本文でも差異はないというふうにお伺いいたしておきます、きょうの御答弁については。
 では、衆議院法制局に聞きますけれども、前文に書くのと本文に書くのとでは法的にはどのような違いがあるのか、ないのか。また、法的に違いがあることが具体的にはどのような違いになってあらわれるのか。その点について御説明をください。簡潔にお願いします。

○夜久法制局参事 失礼します。お答え申し上げます。
 法令、特に重要な法令の中には、本則の各規定の前に、その法令の制定の趣旨や理念などを述べた前文が置かれることがございます。
 この前文は、それ自体が直接に国民や国等に対して法的効果を有するものではありませんが、その法令の一部を構成しているものでありまして、その法令の各規定の解釈の基準を示す意義と効果を有するものと解されております。

 以上でございます。

○稲田委員 …そんな教科書に書いてあるような説明は私も知っているんですけれども、まあいいです。法的拘束力があるかないかで前文と本文とは違うんです。憲法の判例でも、前文をもとに訴訟を起こせないんです、本文をもとだと起こせますけれども。そういった意味で、全く法的には拘束力は異なるものであるというふうに考えるのが法的には正しいんですが、そうしますと、先ほどのお答えでは、何の違いもないと立法者は考えて提案されているとすれば、前文に書かれたことを本文にも書かれるべきだと私は思います。