0390公共の精神の意義、それを規定することの効果

 

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○斉藤(鉄)委員 同じく第三号、それに続く文章に、「公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養う」とございます。ここは議論がもう既に出てきたところでございますが、中教審の答申にも、社会の形成に主体的に参画する公共の精神を盛り込むべきだ、このようになっておりますけれども、改めて、ここで言う公共の精神とは何か、定義をお願いいたします。

○田中政府参考人 公共の精神についてのお尋ねでございますけれども、公共の精神とは、社会全体の利益のために尽くす精神、そして、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動する精神をいうものと考えておるところでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○太田(昭) …そこで、公共の精神ということが書かれていますが、この公共の精神とは何かということです。
 今の論議の延長線でいいますと、実は、公共の公というのはいわゆる公(おおやけ)でしょう。それで、共というのは、たまたま公共で共というふうに言うんですが、私は、イメージ的には、公というのと共というのを分けた方がいいんだと。共というのは、ともにという共生概念、NPOやボランティアというような概念を含んでいるというような意味合いで公共。公という点も今の人間教育の中に欠けているけれども、共という意味も欠けているということが私はあろうと思います。
 そして、公共の公という字は、実は、下の方のムというのは私という字と全く同じことが書かれているわけで、私という字は、のぎへんにムと書いてありますが、このムのところがまさに私で、稲穂とかそういうものを自分で抱え込む、右なら右、左なら左で抱え込むという、ここにムという形が出るというところから出てきます。私ということを公という形で、八というのは開くという意味を持ちますけれども、開いていく。私というふうに終わらないで、公という形で開いていかなくてはいけないんだという言葉の中から公という字が出てきます。
 この公共の精神という公共の概念、私はちょっと申し上げましたけれども、ここのところの概念規定について、文部科学省として考えていることを提示してください。

○田中政府参考人 公共の精神についてお尋ねでございますけれども、公共でございますので、先生おっしゃられたとおりでございますが、公共の精神としては、社会全体の利益のために尽くす精神、まさに国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そして、社会の他の人々と一緒に協力し合いながら社会を形成していくということが今非常に求められているという観点から、今回の教育基本法の中に公共の精神を規定させていただいたところでございます。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○池坊委員 …この法律案の中では、個人の尊厳をどのようにとらえ、個人の尊厳と社会の形成に主体的に参画する公共の精神や自立心との関係をどのようにとらえていらっしゃるのか、また、学校、社会の中でどのような形でこれを浸透していくべきかとお考えになっていらっしゃるかをお伺いしたいと存じます。

○小坂国務大臣 …個人の尊厳とは、すべての個人は人間として何物にもかえがたく、その人格は不可侵であるとの趣旨で、憲法の基本的人権と同じ趣旨に立つものである、こう認識をされております。教育において、こうした個人の尊厳を重んじることは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後とも重要な理念であることから、現行法に引き続き、法案においても前文に規定することとしたわけでございます。
 また、公共の精神とは、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという精神をいうものでありまして、今後の教育において重要な理念として、法案の前文及び第二条に規定することとなったわけでございます。
 また、自立心は、自分だけの力で物事を行っていこうとする気持ちをいうものでありまして、法案では、教育の目標の一つとして、第二条第二号において自主及び自律の精神を養うことを規定しているほか、第五条で、義務教育において、社会において自立的に生きる基礎を培うとしております。また、第十条で、家庭教育において自立心を育成することを規定しているところでございます。
 人間は、教育において、個人の尊厳が重んじられ、自己の確立を図ることを通じて他者の尊厳をも重んじる態度をはぐくむとともに、他者とのかかわりによってつくられる社会を尊重し、さらには、主体的にその形成に参加する公共の精神を養うことへと発展するものと考えられます。さらに、こうした基盤の上に、自立して物事に対処しようとする自立心もはぐくまれるものと考えられるわけでありまして、今回の法案においては、これら人間として重要な教育の理念について明確に規定をしたところでございます。
 学校教育においてどのようにとらえられているかということにつきましては、学習指導要領に基づきまして、社会科や道徳、特別活動等を通じまして、ボランティア活動など体験活動の推進やキャリア教育、生徒指導の充実などによりまして、個人の尊厳の尊重のもとに児童生徒の公共の精神や自立心の育成を図っているところでありまして、今後、今回の法案の規定を踏まえまして、現場における取り組みのさらなる充実を図ってまいりたい、このように考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○池坊委員 ある種の教育、ある種というのは何を指すのかというと、私は、人間としての心の持ち方、つまり、人間としての基本的なルールだと思うんですね。それを親や地域やそして先生が教えなくて、一体、自然に身につくことができるのでしょうか。もちろん、本を読んだりすることによっても身につけることはできますけれども、私は、例えば社会的ルールとは自己抑制と自己主張とのバランスであるとか、個の尊厳と公共の精神のあり方とか、そんなことはやはり教えていくべきだというふうに考えております。第一義的には、「家庭教育」の中に、保護者が子供の教育を担うというふうに書いてございますが、親がそうであることも当然ですけれども、心を扱うこと、心を育てることを先を歩む人間は遠慮してはならないと私は強く強く思っております。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○松本(大)委員 今、大臣にも御答弁をいただきましたとおりでございまして、私も、現行法の制定時にどういう議論がされていたのか、帝国議会の議事録を拝見したんですけれども、これは含まれているということなんですよね。今おっしゃったような、あるいは私が引用したような、公共の精神とか愛国心とか伝統、文化の尊重というのは、このときも実は議論になっているんですね。
 念のため、ちょっと配付をさせていただいたんですが、例えば、お手元の資料一の四十四ページのところには、佐々木惣一さん、京大の法学者だと思いますけれども、四十四ページの下から二段目のところの右端なんですけれども、「祖国観念の涵養と云ふことに付きまして、政府は如何なる用意を持つて居られるかと云ふことを御尋ねして見たい」とありまして、これに対する答弁、四十六ページ、高橋大臣は、「「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育」とありまするのは、健全なる国民、文化の創造延ひては健全なる祖国愛の精神の涵養を含むものと考へる」、このように答弁されております。
 さらに、荒川文六さん、九大の総長ですけれども、五十二ページの一番上の段の左から十行目ぐらいですか、「国家社会に対して犠牲、献身的の精神を持ち、奉仕的の精神に満ちた国民に日本国民をすると云ふことが、日本を平和的国家」云々、「さう云ふ精神に国民をすると云ふが為には、どうも完璧に現はれて居ないやうな風に思ふ」とおっしゃっているんですが、これに対して当時の高橋大臣は、「実際の国家及び社会の構成者、ギルダーと云ふやうな意味」というのは、これは多分ビルダーの聞き間違いだと思いますけれども、「意味も含まれて居るものでありまして、尚国家並に社会に対する奉仕の点は、後にありますやうに「勤労と責任を重んじ」云々と云ふ言葉で十分に現はされて居るのではないかと存ずる」というふうに答弁をされておりまして、公共の精神であるとかあるいは伝統、文化の尊重であるとか愛国心というのは、実は、現行教育基本法にも含まれているという答弁を当時の大臣はされていたというわけであります。
 では、含まれているのであれば、なぜ今回改めて明文化の改正をする必要があるのか
というのが、当然、この質疑をごらんになられている国民の皆さんも、含まれているのなら何で改正するんだろう、なぜ明確化する必要、明文化する必要があるんだろうというふうに素朴な疑問をお持ちになられると思いますので、この点について大臣から御説明をお願いします。

○小坂国務大臣 教育基本法が制定されて五十九年、約六十年近くがたって、社会の状況が大きく変化をして、道徳心や自律心の低下が指摘されるなど教育全般についてさまざまな課題が生じていることは、委員も御理解をいただけるところでございます。
 これらに対処をするためには、学校だけでやるのではなくて、家庭、地域社会を含めた国民全体が協力して教育改革に取り組む必要があると考えております。

 そこで、この教育の根本を定める基本法を改正する中で、国民一人一人が豊かな人生を実現し、我が国が一層の発展を遂げ、そして国際社会の平和と発展に貢献できるよう、将来に向かって新しい時代の教育の理念を明確に提示する、そのために、国民の共通理解を図りつつ、国民全体による教育改革を着実に進め、そして我が国の未来を切り開く教育の実現を期する、このような観点から、この理念を明確にするという形で規定をさせていただいたところでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 …中教審答申の中では「新しい「公共」を創造し、二十一世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成」という項目があります。私なんかはまず「新しい「公共」を創造し、」というところでひっかかってしまうんですが、この中で「国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという「公共心」を重視する必要がある。」と書いてあります。その例として、ボランティア活動、地域社会の生活環境の改善、地球環境問題、人権問題、「国境を越えた人類共通の課題の解決に積極的に取り組み、貢献しようとする国民の意識が高まりを見せている。」とありまして、続きまして、個人の主体的な意思により、自分の能力、時間を他人や地域、社会のために役立てようとする自発的な活動への参加意識を高めつつ、みずからが国づくり、社会づくりの主体であるという自覚と行動力等を育成していく必要がある、そういうふうに書かれてあるんです。
 では、大臣、お聞きしたいんですけれども、我々がこの国に生まれたことは宿命であります。その宿命に対して積極的にかかわり合うのは、ボランティア活動であり、地域社会の生活環境の改善でありといった、こういった活動なんでしょうか。私が言いたいのは、公共というものは上述した活動によってつくり出すものではないということだと思うんです。あくまでも日本の歴史、伝統の中で生きる個人として、それをどうよりよくしていくかというところから出発しなきゃいけないものだと私は思っております。この点についての大臣の御見解をお聞かせください

○小坂国務大臣 鷲尾委員が先ほど、祖先を敬い、子孫に思いをいたすという民主党の前文について藤村委員の意見を求め、藤村委員がお答えになりましたことは、私としても大変に共感を持つものでございます。そういった共感を持ちながら、民主党の主張されていることと私どもの今回の基本法の中には多くの共通点があるということを再認識するわけであります。
 今、公共についてのお話もいただきましたけれども、まさに中教審で議論された「新しい「公共」を創造し、」というのは、阪神・淡路の大震災の際のボランティア活動などを例に引かれるように、今日、未曾有のこういった災害が起こる際に、国民のボランティアの力によって復興が迅速に行われたり、多くのすばらしい結果が生まれていることから、そういったものをやはり今後育成していくべきという考え方を示されたものと思います。
 また、今日、我が国、ここに生まれて、私ども国民がどのような態度で接すべきかということについては、私は、ただいま委員が申されたことは大変に多くの共感を持つものだ、こう考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 …もう一つお聞きしたいことがございます。個人の尊厳性と個人の自主性というのは戦後教育の大きな柱となっているところでございます。私自身、それらがやはり子供の行動の徳目となるのはすばらしいことであるというふうに考えますが、そればかりが重視されるのもまたどうかなというふうに思うわけでございます。この点、大臣はどう思われますか。

○小坂国務大臣 個人の尊厳というものは、これはたっとばれるべきものでございます。だから尊厳なのでございますけれども。同時に、今日、地球社会の中にあって、国際社会、そして日本の中にあって、我々は共生ということに思いをいたさなきゃいかぬということもやはりあわせて考えなきゃいけないというふうに考えております。

○鷲尾委員 共生というふうな大臣のお言葉がございました。要するに、共生をすること、これを目的として、では大臣は今何をすべきだというふうにお考えでしょうか。

○小坂国務大臣 今回の教育基本法案におきましては、目指すべき教育の理念の一つとして、個人の価値を尊重し、その能力を伸ばすことが規定され、また同時に、個人それぞれの個性や独自性に着目して、その能力を伸ばすことを考えるべきと、こうしているわけでございます。また、あわせて、未来を切り開く教育の目指す理念といたしまして、自主を重んじ自律の精神を養うことや、自他の敬愛と協力を重んずること、それから公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うことなどについて規定をしていること、これは委員も御紹介をいただいたところでございますが。
 これらを初めとする教育理念を重視することによりまして、知徳体の調和のとれた、生涯にわたって自己実現を目指す自立した人間、そして公共の精神をたっとび、国家社会の形成に主体的に参画する日本人、また我が国の伝統と文化を基盤とした国際社会を生きるたくましい日本人の育成が図られる、このように考えているところでございます。