0370個人の尊厳の意義

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○斉藤(鉄)委員 次に、前文の中にあります個人の尊厳という言葉について、政府と民主党にお聞きいたします。
 現行法にも個人の尊厳という言葉がございます。我らは個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人類の育成を期するとともに云々、政府案におきましては、引き続きこの個人の尊厳ということが規定をされております。個人の尊厳を重んじ真理と正義を希求し公共の精神を学び云々というところでございます。
 法案に、個人の尊厳、前文にですが、個人の尊厳を規定した意味についてお伺いをいたします。


○田中政府参考人 個人の尊厳についてのお尋ねでございますけれども、個人の尊厳とは、すべての個人が、他をもってかえることのできない、人間として有する人格というものを持っておって、それは不可侵のものである、この個人の尊厳を重んじるということは、こういう不可侵の人格というものを尊重するということでございまして、憲法の基本的人権と同意、同義であると解しておるところでございます。
 教育におきまして、こうした個人の尊厳を重んじることは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして、今後とも大変重要な理念であるというふうに考えておりまして、現行法に引き続きまして、今回の法案にも規定したところでございます。

○斉藤(鉄)委員 民主党案におきましては、個人という言葉ではなくて、人間の尊厳とございます。我々が目指す教育は人間の尊厳と平和を重んじ生命の尊さを知り云々でございます。ここで、現行法にあります個人という言葉ではなくて、人間という言葉を使われた理由は何なんでしょうか。

○藤村議員 今ちょっと読んでいただきましたとおり、実は私ども、前文に人間の育成はという言葉を三カ所使っておりまして、人間という言葉に少しこだわりました。
 といいますのも、我々の日本国教育基本法において、前文というのは、非常に普遍的な、人間の育成、人づくりということになるかもしれませんが、という非常に大きな意味の、つまり教育は何かということの理念を書き込んだつもりでございます。そういう意味で、前文第一行の下の方に、広義の教育の力によってという言い方をいたしました。条文以下は、ある意味では、国及び地方公共団体などの、その意味では一部の教育を規定しているんですが、前文だけは特に人間の育成ということにこだわったものですから、人間の尊厳という言葉にある程度こだわってきたところでございます。…また、これは我々が前から主張しておりますが、教育基本法というのがやはり憲法に準ずるし、あるいは憲法と連携したものでなければならないという主張はずっとしてきたところでございますが、昨年十月に我々民主党は憲法提言というのを出しました。ここに人間の尊厳ということを非常に前面に出してうたっている関係もございまして、今後のことを考えれば、やはり人間の尊厳。個人というのは、国、社会、個人という対比で言うわけですが、我々はあくまで人間ということに焦点を当てた、この辺が一つの特徴だと思います。

○斉藤(鉄)委員 今の藤村さんの御説明、わからないわけでもない、人間の尊厳という言葉も非常にすばらしい言葉だと思いますが、憲法そして現行教育基本法における個の尊厳というのは、ある意味で人類の歴史の中で生み出してきた一つの普遍的な価値としての個の尊厳という使われ方だと思うんです。教育の目的も、今回は人格の完成、これはある意味では個人に着目したもの、そして社会の形成者としての資質、これは社会に注目したもの、その両方相まって初めて教育の目的が達成される。そういう中にあって、人格の完成を目指す個の尊厳という普遍的な価値を前文にきちんと入れておくということは必要なことなのかな、私はこのように思っております。
 それから、今回いろいろな議論の中で、個人の尊厳とか、今の憲法また現行教育基本法について個のということがたくさん言われているけれども、いわゆる社会的責任という言葉が少ないのではないかというような議論もございましたが、基本的に、憲法もそして教育基本法も、名あて人はやはり国家であり統治機構だと思います。その権力に対して、これ以上のことはしてはいけませんよ、できることはここまでですよということを書いてあるのが憲法であり、また教育基本法の基本的な性格だ、このように思いますので、憲法や教育基本法の中に個の尊厳ということがたくさん出てくるのは自然なことだ、私自身はこのように考えております。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○太田(昭)委員 そこで、その個人の尊厳の概念です。
 けさの鳩山先生がいらっしゃらないのは残念ですが、常に、憲法論争においても、そしてこの教育基本法においても、個人の尊厳というこの個人という概念、これがなかなか、猪口大臣も御承知のとおり、日本の中に個人の概念というのが定着しない。ヨーロッパから来たということは、そこから言えるんでしょう。憲法十三条の個人の尊厳、これも、いつの間にか個人が私人になっているのではないのかということが一つの論点としてあるわけですね。
 そこで、神、ゴッドの前にある存在としての人間というものが平等であるという、ある意味では、公共性とか公ということを人間学的に言うならば、神というものと人間という形に提示したゆえに、そこから出てきている個人という言葉がなかなか日本の文化あるいは伝統の中には定着しないということがあったということが一つの論点であったと私は思うんです。
 もともと、個人という概念の中には、インディビジュアル、それは普遍性というものを常に含んでいる。あるいはマルクスでさえも、類的存在という人間観に立つ。一人の私人の人間ということで言っているのではありませんが、日本はともすると、戦後、どうしても私人になる。私の権利、私の利益、そうしたことが優先されるから、これを少し直さなくてはいけないというのが一つ教育基本法論争の論点でもあり、そして、そこでの定義づけ、言葉の定義の問題であると思います。
 そこで私は、私人ということになってはならないけれども、混乱した議論がよく行われているけれども、全体に対して個というのがある。全体と個、公ということに対して私がある。個がだめで私になっているからじゃなくて、公と対置した個というものという概念でとらえて、個というものの尊厳を葬り去るということがあってはならないと。公と私、全体と個という四つの言葉の区分をしっかりした上で、その上で、個人の確立というものが極めて大事であるからこそ個人の尊厳というものがあり、その個人という言葉の後ろには、個人という言葉がわかりづらければ、それは人間という言葉に近い表現である。その人間というのは、一人の私人ではなくて、私が本会議の中でも申し上げたように、人と人との間というものの人間関係、社会、いわゆる東洋でいえば、世間というものを含んだ人間観という上に立っての、そうした意味合いでのこれが個人という言葉になっているというふうに私は思います。
 そこで、ここの言っているところの私人と個人ということと、そして人間ということと生命という、この私人とは何か、個人とは何か、人間とは何か、生命とは何かという、今の文脈の中での言葉の定義をおっしゃってください。

○田中政府参考人 ただいま、個人、私人、人間ということでございますが、個人につきましては、先生がおっしゃっていただいておりますように、社会や集団を構成いたします一人一人の人間ということで、教育基本法の中では個人の尊厳ということで使わせていただいておるところでございます。
 したがいまして、個人の尊厳というのは、個人が、他をもってかえることができない、まさに人間として生まれたことによって有する人格、これを個人の尊厳というふうに教育基本法に位置づけておるところでございまして、憲法の基本的人権の尊重と同じ意味で使わせていただいておるところでございます。
 そして、人間という言葉につきましては、前文の中で「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期する」という形で用いておりますけれども、これは、個人の尊厳を基調とした一人一人の人間の育成という意味で人間という言葉を使わせていただいておるところでございます。
 それから、私人につきましては、それぞれの人間個人が持つ一つの側面であろうというふうに考えておるところでございます。

○太田(昭)委員 今の言葉で私は了解をします。
 「個人の尊厳を重んじ、」ということでの、他者も含んだ意味でのいわゆる思想的概念としての個人ということを、尊厳を重んじた上で、より幅広く、人と人との間というようなものも含んだ、公共という言葉を受けた形で「人間性」とか「人間の育成を期する」というふうに書いたんだという意味合いでよろしいですか。

○小坂国務大臣 今、局長が答弁させていただいたとおりでございます。また、委員が重ねておっしゃったとおり、個人は、公人に対する概念である私人とは異なっておりまして、いわゆる社会や集団を構成する一人一人の人間(じんかん)とおっしゃった、それに着目した概念として用いているわけでございまして、前文の個人の尊厳に代表されるように、教育を行うに当たり尊重すべき重要な概念として、現行から引き継いでこの個人というものを規定しているわけでございますし、先ほどお問い合わせがございました、最後に生命についてということについても、本案では二条の第四号において、「生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」と規定しております。ここで言う生命とは、人間の命のみならず、あらゆる生物の生命を尊重し、大切にする態度を意味するものであることを付言しておきます。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○池坊委員 公明党の池坊保子でございます。
 四十六時間に及ぶこの委員会での質疑でございますが、私は、今国会ではこれが最後の質問になるのではないかと思いますので、一つだけ大臣に私が強く思っておりますことをお話しし、そして御答弁を伺いたいと思います。
 先回、公明党の太田委員が個人の尊厳ということに言及されました。人間の尊厳なくして公共の精神も培われないのだ、社会貢献もあり得ないのだと。私は、全く同じ思いを持っております。この法律案の中では、個人の尊厳をどのようにとらえ、個人の尊厳と社会の形成に主体的に参画する公共の精神や自立心との関係をどのようにとらえていらっしゃるのか、また、学校、社会の中でどのような形でこれを浸透していくべきかとお考えになっていらっしゃるかをお伺いしたいと存じます。

○小坂国務大臣 委員のお話を聞きながら思いますのは、やはり日本というのは村社会であって、農耕文化の中でお互いの共同作業がありますから、そういう中で培われた、一つの日本の文化としての謙譲の美徳とかあるいは滅私奉公とか譲り合いの精神という中で、ともすると、個というものが確立されなかったというようにも一見見えますけれども、実際には、謙譲の美徳というのは、まずみずからの個があって、相手の尊厳があって、お互いの個の尊厳があって初めて謙譲できるわけでございますし、また、滅私というからには、私が確立をしていて初めてそれを殺すことができる、抑えることができると思います。
 そういう意味で、個人の尊厳とは、すべての個人は人間として何物にもかえがたく、その人格は不可侵であるとの趣旨で、憲法の基本的人権と同じ趣旨に立つものである、こう認識をされております。教育において、こうした個人の尊厳を重んじることは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後とも重要な理念であることから、現行法に引き続き、法案においても前文に規定することとしたわけでございます。
 また、公共の精神とは、国や社会の問題を自分自身の問題として考え、そのために積極的に行動するという精神をいうものでありまして、今後の教育において重要な理念として、法案の前文及び第二条に規定することとなったわけでございます。
 また、自立心は、自分だけの力で物事を行っていこうとする気持ちをいうものでありまして、法案では、教育の目標の一つとして、第二条第二号において自主及び自律の精神を養うことを規定しているほか、第五条で、義務教育において、社会において自立的に生きる基礎を培うとしております。また、第十条で、家庭教育において自立心を育成することを規定しているところでございます。
 人間は、教育において、個人の尊厳が重んじられ、自己の確立を図ることを通じて他者の尊厳をも重んじる態度をはぐくむとともに、他者とのかかわりによってつくられる社会を尊重し、さらには、主体的にその形成に参加する公共の精神を養うことへと発展するものと考えられます。さらに、こうした基盤の上に、自立して物事に対処しようとする自立心もはぐくまれるものと考えられるわけでありまして、今回の法案においては、これら人間として重要な教育の理念について明確に規定をしたところでございます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○稲田委員 …御承知のとおり我が国は、戦後約七年間、連合国の占領下にありました。その占領政策の目的は、二度と日本が連合国の脅威にならないということにありまして、言いかえますと、日本弱体化政策であったわけです。そんな中で制定されましたのが日本国憲法であり、その日本国憲法の精神を生かすための教育基本法であったわけです。そこでは、むしろ日本の伝統的な価値ですとか美徳などはすべて悪もしくは要らないものとされて、西洋的な価値観、個人の尊厳ですとか人権などといったものにのみ価値を置かれて、すべての法制度の改革がなされたと思います。
 戦後六十年たって、では何が起きたのか。六十年前に我が国は原爆を二つも投下されて廃墟になっても、そのときにはあって、こんなに豊かな日本になって失われたものは何だったのか。子供が子供を殺す、小学生が小学生を殺す、親が子供を殺す、子供が親を殺す、高校生が中学生を殺す。それから、人の命を犠牲にしてまで耐震偽装をするような建築士があらわれてしまう。日本人は、昔は建築基準法がなくても、自分がつくった建物に誇りと責任を感じて立派なものをつくっていた、そういった民族だったと思います。ですから、私は、この教育基本法の改正に当たっては、失われた日本人の心もしくは日本人の美徳、伝統、そういったものを取り戻す改革でなければならないと思います。

○小坂国務大臣 … 委員いろいろと御指摘をいただいた中での、日本の美徳として今日我々が認識していたものが失われてきた、そういう御指摘は私も共感する部分もあるわけでございますけれども、今日、日本国憲法の精神と言われる中で、国民主権、それから基本的人権の尊重、平和主義、これらは、日本国民それぞれがやはり尊重すべきものとして重要な認識を持っているわけでございますから、この基本法案におきましても、「個人の尊厳を重んじ、」ということは前文で規定をし、そして、「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた」「国民の育成」という、第一条にもこれを盛り込んだところでございます。


164国会 衆特別委 第4回(526日)

○稲田委員 …官房長官はいらっしゃらなかったんですけれども、冒頭に述べましたように、私は、この教育基本法の全面改正は、戦後体制の是正という意味があると思います。すなわち、占領下に制定された、個人の尊厳を第一に置いた憲法、教育基本法によって制定された戦後体制のゆがみということなんですけれども、官房長官はこの点はどのようにお考えでしょうか、戦後体制について。また、そのような観点から今回の教育基本法の改正の意義についてどのように評価されているか、お伺いいたします。

○安倍国務大臣 …この教育基本法におきましても、例えばこれは、町村筆頭理事が冒頭の質問でも指摘をしておられましたように、個人の尊厳、個人の権利、個人についての言及、そして人類普遍の原理については言及があるけれども、そのまさに真ん中の胴体部分である、例えば家族とか、郷土に対する誇り、国に対する思い、あるいは伝統や文化、歴史、そういうものへの言及がないではないかという観点から、今回、前文にも、あるいはまた教育の目標の中にも、公共の精神あるいは伝統を継承等々の文言が入ってまいるわけでございます。

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○小坂国務大臣 …本法案の根本理念につきましては、本法案を貫く考え方を宣明する前文、すなわち、前文を置いたということでこの法案を貫く根本的な理念と趣旨を明らかにしているわけでございます。何を目指して教育を行い、どのような人間を育てるかという教育の根本的な目的を第一条に規定し、そして、前文においては、日本国民が願う理想といたしまして、民主的で文化的な国家、そしてその発展、また、世界の平和と人類の福祉の向上への貢献を掲げまして、その理想を実現するために、現行法を引き継ぎまして個人の尊厳を重んずることを規定するとともに、新たに、公共の精神の尊重、豊かな人間性と創造性や伝統の継承を規定しているところでございます。
 また、第一条、教育の目的では、各個人の備えるあらゆる能力を可能な限りかつ調和的に発展させることによって人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として心身ともに健康な国民の育成をすることを規定したところでございまして、これらが今回の基本法改正案の根本的な理念を申し上げるわけでございまして、二十二年の議論のように、個人の尊厳こそすべてを貫くその大前提である、その当時の理念も引き継いで、さらに、今日的な課題を解決するための理念を盛り込んだものでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○鷲尾委員 …もう一つお聞きしたいことがございます。個人の尊厳性と個人の自主性というのは戦後教育の大きな柱となっているところでございます。私自身、それらがやはり子供の行動の徳目となるのはすばらしいことであるというふうに考えますが、そればかりが重視されるのもまたどうかなというふうに思うわけでございます。この点、大臣はどう思われますか。

○小坂国務大臣 個人の尊厳というものは、これはたっとばれるべきものでございます。だから尊厳なのでございますけれども。同時に、今日、地球社会の中にあって、国際社会、そして日本の中にあって、我々は共生ということに思いをいたさなきゃいかぬということもやはりあわせて考えなきゃいけないというふうに考えております。

 

164国会 衆特別委 第8回(62日)

○戸井田委員 …このたびの基本法の前文の中で、我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじということは、ある意味で大変よくわかるわけであります。まさに、それだけの命の連鎖があって、つながりがあって、今日自分があるということを思うと、この個人の尊厳というのは非常によくわかる。
 しかし一方で、個を重んじ過ぎると、重視し過ぎると、私は、この人間社会の中の生活ということを考えていくと、家族への帰属意識、地域社会への帰属意識、ひいては国家への帰属意識というものが薄れてくるんじゃないか、そのバランスというものは非常に重要だなというふうに最近思うんですね。
 また、この帰属意識というのはまさに連帯意識であって、つながるというのはまさに愛の概念だというふうに思うわけであります。そして、それを言葉であらわすと、まさに親子愛であり、夫婦愛であり、家族愛であって、そして愛校心というものもあるでしょうし、またこの委員の鳩山兄弟のように、友愛というものもあるわけであります。それがまた郷土愛にもつながり、そして国家の愛国心みたいなものにもつながっていく。その上がまた人類愛という、地球全体に考えが及んでいく。
 そういう流れをたどって人格の完成を目指すものだというふうに思うんですけれども、大臣、いかが思われるでしょうか

○小坂国務大臣 おっしゃるように、人格の完成というのは、完全な人格というのは神だということになってしまいますので、したがって、それを目指して常に努力することということだと思います。委員が御指摘になったことは、その一つの道筋であろうと私も思います。

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○小坂国務大臣 …具体に申し上げますと、個人の尊厳を重んじるとは、すべての個人が他をもってかえることのできない人間として有する人格を不可侵なものとして尊重することでありまして、憲法の基本的人権の尊重と同じ趣旨に立つものでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○太田(昭)委員 その理念の中核をなす、現行法の「個人の尊厳」、そして「日本国憲法の精神に則り」、そして第一条の「人格の完成」、これはいずれも継承された、こういうふうに言っていいんでしょうか。

○小坂国務大臣 そのとおりでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第6回(531日)

○石井(郁)委員 昨日の参考人の質疑でも一定出されましたけれども、中教審答申とそれから今回の法案との間には、幾つか違いがございます。そういう意味でも、なぜこういう法案になったのかということを私たちは知る必要があるわけですね。
 中教審には、現行の教育基本法を貫く個人の尊厳、人格の完成、平和的な国家及び社会の形成者などの理念というのは、憲法の精神にのっとった普遍的なものとして今後とも大切にしていくとか、また、今日極めて重要と考えられる以下のような教育の理念や原則を明確にするため教育基本法を改正することというようなことになっておりまして、つまり、現教育基本法をベースにして、私たちはこれをいわば部分改定だというふうに受けとめたわけですね。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○石井(郁)委員 …私きょうは、その立法者の意思を示すことの一つとして一点確認をしておきたいことがあるわけですけれども、この「教育基本法の解説」という貴重な資料の中にはこのようなことがあります。「まず新しい教育は「個人の尊厳を重んじ」て行われなければならない。従来の教育は、極言すれば国家あって個人を知らなかったということができる。すべて教育は「国家のために」奉仕すべきものとされ、「皇国民の錬成」ということが主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたのである」ということがありますよね。(この後教育勅語の効力についての質問)