164国会 衆特別委 第4回(5月26日)
○大前委員 今挙げました知徳体という教育力の中でも、とりわけ国民の間で要望の高いものは、モラルといいますか徳育の充実でございます。
私たち議員が町に出て、いろいろな集まりに参加をして切実に訴えられますのが、この惨たんたる日本人のモラル低下を何とかしてほしい、学校でしっかりとした道徳教育、倫理教育をしてほしいという声でございます。
そこで、今回の基本法改正に当たって、この深刻なモラル、道徳、倫理の低下をどのように高めていくかということについて、二、三、お聞きしたいと思います。
まず一点目は、法と道徳律の関係についてでございます。
私は、今回の審議に参加するに当たりまして、衆議院の調査局がまとめた、現行教育基本法審議の衆議院及び貴族院の議事速記録、委員会議録を読ませていただきました。
時間の関係でその詳細な感想は割愛させていただきますけれども、あの敗戦後の厳しい環境下で、今とほとんど変わらない問題意識、熱意を持って法制定に取り組んだ先輩議員や当局者の姿が目に浮かぶようで、大変印象的でございました。
そんな中でも最も私が興味を持ちましたのは、基本法と道徳律の関係でございます。
現行法制定当時、我が国にはまだ戦前の日本人の倫理を支配した道徳律、教育勅語が生きていたわけでございますけれども、多くの当時の議員が、法と道徳律は別物である、教育基本法ができても教育勅語は併存すべきである、仮に廃止されるにしても、それにかわる道徳律、道徳憲章が必要であると論じておられたわけでございます。
この昭和二十二年当時の議員や当局者が抱いていた問題意識は、今、新しい改正案を審議する我々も全く同じであると考えるのでございますけれども、大臣はこの法と道徳律もしくは道徳憲章の関係についてどのようにお考えか、お聞きをしたいと思います。
○馳副大臣 まず、事実関係を申し上げたいと思うんですけれども、戦後、大前委員のおっしゃるように、法と道徳律において、教育勅語の考え方も併存するというふうな意見があったということは承知しておりますが、参議院本会議において教育勅語等の失効確認に関する決議というものもされておりまして、そういったことからも、当然、教育勅語についての考え方というものは失効したと明確に国会において決議されているということは、まず確認をしなければいけないと思います。
しかしながら、法律ですべて道徳も規定できるのかというと、これはまた別の問題になってくると思います。今回、五十九年ぶりに改正しようとする教育基本法において基本的な教育の目標等を定めることになるわけでありますが、では道徳に関しては具体的な徳目を定めて、それに、国が定めたことにすべて従えという筋合いものではありません。
それを考えると、道徳ということに関して言えば、国が定めてそれにすべて従いなさいというふうな考え方であるよりも、例えば、民間の団体あるいはそれぞれの宗教団体等が、人として学ばなければいけない、守らなければいけない重要なことについて、やはり民間の中から沸き上がってくるものを、国民として、こういうことは守っていきましょうというふうにしていくのが私は一つの方針ではないかと思っております。
例えば、全国都道府県には青少年健全育成基本条例といったものがあります。長野県にだけはございませんけれども、だからといって、長野県の青少年が健全に育っていないかというと、そんなことはありません。当然、青少年が健全に育成されるように、それぞれ都道府県、市町村において、必要な考え方とか人とのかかわり方、ルールといったものは制定されているのでありまして、それを守っていこうというふうな国民的な合意というものはあると私は思っております。
○大前委員 国が定めてそれを守れというような、そういう意味での道徳憲章ではなくして、一般的にこういうふうにした方がいいという程度のものがいいと思うんですけれども、かつて期待される人間像とかいろいろ考案されたことがあったけれども、全部つぶれてしまったんですね。しかし、それは、今のような極端にモラルの低下が深刻化した状況では、私は事情がちょっと変わってくるのではないかと思うんですね。過去のような、そういう期待される人間像というようなものに似たようなものをまた今つくったとして、今の国民は余り反対しないのではないかなと思うわけでございます。
そういった新しい道徳律を考案するに当たって、教育勅語のことについて、ちょっと私は、一般の誤解があるので解いておきたいと思うんですが、教育勅語というのは、よく封建主義、権威主義、国家主義のシンボルのように言われているんですが、よく読んでみるとそのような面はほとんどないんですね。実に自由で寛容、平等主義的で、かつ謙虚なんですね。
私の古くからの友人で長い間教育勅語を研究しておられる平成国際大学の慶野義雄さんという人が最近本を出されまして、それを読んでおりましたが、その中でこのように書いておられます。
教育勅語で唯一上下の要素を含むのは「父母ニ孝」、これだけだ、親孝行しなさいという。それ以外の、「兄弟ニ友」、兄弟は友人のように仲よくしなさい、「夫婦相和シ」、夫婦は仲よくしなさい、「朋友相信シ」、友達は信じ合えるような友達関係になりなさい、「博愛衆ニ及ホシ」等々、極めて家族主義的、博愛主義的であり、「恭倹己レヲ持シ」と慎みや謙虚さを教えて、「国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ」として、専制とか個人支配を排しているわけでございます。
164国会 衆特別委 第4回(5月26日)
○小坂国務大臣 反省はないのかというお話でございましたから、時間もあるようですから少し答弁をさせていただきますが、私は、決してすべてのことに反省をしないで前に前にただただ進むという人間ではございません。私、日々反省の毎日でございます。きのうの答弁あれでよかったか、もっとわかりやすい答弁はなかったか、夜、床に入って悩むこともしきりでございまして、そういう中から、何とか皆さんに御理解いただく答弁を考え出そうと日々努力の毎日でございます。
そういった意味で、五十九年間、文部省そして今日の文部科学省、全く反省がないのかといえば、これは、いろいろな反省をしながら、学校現場における教育の実効が上がるために中教審にどのようなお願いをして考えていただいたらよろしいのか、また、それによって答申を受けたことをどのように学習指導要領に反映し、また、校長会や教育委員会への指示、あるいは学校長を集めた会議等での指示等をどのようにしたらいいか、そういう中で反省をしてきたと思います。
ただ、五十九年前の議論が今日までそれじゃ全く無効であったのかといえば、そうではなくて、やはり先ほど申し上げたように、今日の教育基本法が今日の繁栄を築いてきたことも事実でありまして、ただ、その間、道徳心というものは、その前に修身の教育を受けられた、教育勅語やそういったもので受けられた皆さんがまだ現役として働いていらっしゃって、そういった理念を伝えてこられたとか、あるいは、社会の中でもそういったものが社会規範となって、そして、我々もそういった社会規範の中で毎日の生活をしてきたことによって、教育基本法とかそういった法律を勉強することではなくて、日々の生活の中でそれを社会体験としてあるいは家庭教育として我々が受け継いできたということがあったわけですね。
しかし、この家庭の教育力が低下をしてきた、そして社会の教育力が低下をしてきた。それはすなわち、少子化社会ということにあらわされるように、昔は近所で子供たちが集まって、その中に年の差がありました。そこに長幼の序というものがありました。そしてその中で、親分というような近所の先輩から、おまえ、こういうことをやっちゃいかぬぞ、ちゃんと下の者は面倒見ろよ、こういうことを教えられて、そしてまた稲作というようなものを通じながら、地域の助け合いというものもちゃんと継承されてきた。そういった文化が一つ一つ喪失されてきたということが今日の状況を生んできたというふうに思うわけですね。これを強調しますと、また外的要因にかこつけて責任逃れしたと言われてしまうんですが、このことについては、委員も、確かにそういうこともあるとお認めをいただけると思います。
委員御自身が無謀なことをおっしゃっていることではないということも私も十分理解しながら、謙虚に委員の御指摘は自分なりに受けとめているつもりでございますが、今回の教育基本法において、新しい理念としてこの今日的な課題を解決するために具体的に盛り込ませていただいたこと、これはこの五十九年前の反省かどうかと言われれば、五十九年前のことがあって今日このようなことをしたわけではないので直接的な反省ではございませんけれども、今日の社会状況を見たときに何らか反省するものはないかと言われれば、やはり我々は、謙虚に今日の社会情勢を反省して、そして、あるべき日本の姿を目指して頑張るということだと思っております。
164国会 衆特別委 第4回(5月26日)
○保坂(展)委員 実は、私の父も母もそして祖母も、私自身は一九五五年生まれ、ちょうど講和条約の、五五年体制と言われたその五五年生まれですから、戦争から十年たって生まれております。ですから、戦争の体験は当然ないわけですけれども、親やおばあちゃんから、かつての戦争について随分子供のころ聞きました。まだまだ戦争体験が生々しい時期に子供だったということだと思います。
そして、学校の果たした力、どうして戦争になっていっちゃったんだというときに、我々は、つまり母とか祖母あるいは父は、教育勅語をそらんじていたし、学校というものの教育を疑うなんということはなかったと。日本は必ず戦争に勝つ、こう思っていたし、一時戦況がよくなくても最後には神風が吹く、こう思って信じていた。その際に、教育勅語という言葉をそういう形で親からあるいは祖母から聞いてきたわけです。麻生大臣は、そらんじられているということなんですけれども。
さて、十日前に麻生大臣が教育基本法に関して講演されたという新聞記事を読んで、それは短い記事ですから真意もわかりません。そこでお聞きするんですが、教育勅語など、日本は昔から公徳心を涵養してきた。勤勉、向学心、向上心に加えてモラルがあったからこの国は治安がいい、こういう発言をされたそうなんですね。
そこで麻生大臣に聞きたいのは、教育勅語によいところがあった、いい部分があったという発言の趣旨だと思いますけれども、全体を評価して、では、その教育勅語自身が持っていた問題、あるいは教育勅語が悪用されたということがあったのか。全体としてプラスのことをおっしゃったようですけれども、マイナスということについてどういう認識を持っているのか。小泉総理は、教育勅語復活、こういう声もありますよ、いや、そういうことでは一切ございません、こういうふうに本会議で答弁しているんですね。麻生大臣はどう考えますか。
○麻生国務大臣 教育勅語を御存じないという前提でしゃべらせていただきますが、「爾臣民父母ニ」……(保坂(展)委員「世代が違いますから」と呼ぶ)いや、私の世代も教育勅語は受けた世代じゃないんですよ、お断りしておきますけれども。もう私の世代からないんだから。私の一世代前まで受けたはず、私の世代からない。ここだけちょっと勘違いしないでいただかないといかぬところですが。
「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ」ここまではいいんだと思うんですが、「天壌無窮ノ皇運」と書いてあるんです。皇室の運と書いてあって国運と書いていないというところが一番ひっかかるところなんじゃないでしょうか、教育勅語というもので。
ただ、これは「朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ」こいねがっておられるんであって、天皇陛下が命令しておられるわけではない。「庶幾フ」というところが一番最後の結びになっておるという点も忘れないでいただかないといかぬところかと思います。
○保坂(展)委員 とすると、麻生大臣も教育勅語の復活ということを目指す立場ではない。そして同時に、講演の中で紹介されているのは、これは講演というのも一部だけ紹介されますから、それは短い記事ですから、たくさん話されたんでしょう、恐らく。しかし、紹介されたのは、いい部分はあったというところですね。しかし、それは全体から見て、では、かつての日本が戦争に向かっていったときの教育の力、学校の力。疑うことは許さない、何か、この戦争は負けるんじゃないかと言ったら非国民だという声が飛んでくる、あるいは、声なんか飛んでこなくてももう震え上がる、こういう時代があったということとの関連で、いま一度、この教育勅語、教育基本法との関係において麻生大臣はどう認識しているのか、そこまで聞いて、とりあえず一まとめにしたいと思います。
○麻生国務大臣 全然御存じないという前提で話をしろということだったので。
基本的に、今申し上げましたように、少なくとも書いてあるところは、お父さんに孝行しなさい、兄弟は仲よくしなさい、夫婦は仲よくしなさいと、これはみんなまともなことが書いてあるんです、ずっと。だから、全然おかしいところはない、そこだけ読めば。
ところが、「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」というところが一番ひっかかるところなんですよ。そこが国運と書いてあればまだまだ話は違ったものだと思いますけれども、皇運と書いてあるから非常に問題があるのではないかという御指摘は当たっているのではないでしょうか。
しかし、これをもって、教育勅語があったから戦争に入ったという、教育勅語と戦争に突入していったという直接の関係はなかなか見出せないんだと思いますが。
○保坂(展)委員 平成版教育勅語をつくるべきだなんという声もありましたので、やはり過去の戦争に対する総括というのは厳密に行っていかなければならないというふうに思います。
小坂大臣、担当大臣として、全く同じ、今の教育勅語と教育基本法の関係。本会議においていただいた答弁では、教育勅語は禁止をされたんだと。しかし、今、同僚議員からのいろいろなやりとりもあったように、衆議院と参議院でそれぞれ全会一致で決議をして、教育勅語については取り消しをした、そして教育基本法でやってきたということですね。それで今回の政府提案の教育基本法案。この三者の関係をわかりやすく説明してもらえますか。
○小坂国務大臣 今、教育勅語の御紹介がありましたけれども、明治二十三年以来、およそ半世紀にわたって我が国の教育の基本理念とされてきたものであることは、もう委員も御存じのとおりであります。
しかしながら、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止されました。そして、これにかわって、我が国の教育の根本理念を定めるものとして、昭和二十二年三月に現行の教育基本法が制定されたわけでございます。
そして、その後五十九年、約六十年がたって、社会情勢の変化、それぞれの教育現場における課題というものを考えるに、ここで新たな理念を持って教育基本法を改正して、全部改正によって、現行の教育基本法のすぐれた理念は引き継ぎつつも、新たな今日的要請に基づく理念を加えていくということでございます。
先ほど委員も御指摘になりましたけれども、教育勅語そのものは、昭和二十三年六月十九日、衆議院、参議院、両院におきまして、排除、失効の確認決議が行われているところでございます。
164国会 衆特別委 第8回(6月2日)
○大畠委員 おはようございます。民主党の大畠章宏でございます。
きょうは、この教育基本法に関する特別委員会で初めて質問をさせていただきますが、大変重要な、歴史ある教育基本法について論議をする、このことについて、いろいろとこれまでの経緯、歴史を検証しながら、どういう形で教育基本法について考えるか、そのことを少し過去を振り返りながら質問させていただきます。
同時に、この特別委員会、きょうは小坂文部大臣、官房長官、そして猪口大臣も御出席でございますが、私たちは、教育基本法というのは大変、これからの日本の、日本人の将来、未来に対して大きな影響を与える、そういう意味から重要な法律案であるということで受けとめ、私たち自身も努力をして、今日まで参りました。
したがいまして、これまでの経緯あるいは与党の方でつくられました閣法というものについて、それぞれ各大臣から、どういう考えをお持ちなのかということをお伺いさせていただきます。同時に、民主党の提案者におきましても、私が御質問することについてどのような考えをお持ちなのか、これも並行してお伺いをさせていただきます。
私自身も教育基本法というものをいろいろと調べさせていただきましたけれども、日本の教育基本法は教育勅語というものに深く関与しているということは、皆様方も御存じのとおりであります。町村筆頭理事も文部大臣をされておりまして、それも二回文部大臣をされるという深い経験をお持ちでありまして、この問題については重々御理解をされていると思うんです。
そこで、最初に、お手元に教育勅語の現代訳というものを配付させていただきました。私は、この資料はある方からいただきまして、全社員の方に、このような手帳の中に入れて社員の方に配っているらしいんです。これは社員の教育と、そしてまた、さまざまな格言等々も入っておりまして、こういうことで仕事をやっていこうよという、その中の一つでありますけれども、ここに私は、GHQ、昭和二十年八月十五日、日本が敗戦をした後、これは朗読しちゃだめだということで禁止をされましたけれども、この内容のどこが悪かったのか、これが検証をされないまま、どうも教育基本法というものの成立に至ってしまったんじゃないか。
したがって、例えば私なんかが考えますと、
私たちは、子は親に対して孝養を尽くすことを考え、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合うようにし、夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえるようにしたいものです。そして、生活の中での自分の言動については慎みを忘れず、すべての人々に愛の手をさしのべ、生涯にわたっての学習を怠らず、職業に専念し、知性や品性を磨き、更に進んで、社会公共の為に貢献することを考え、また、法律や秩序を守り、非常事態や社会生活に困難が生じたような場合には、真心をもって国や社会の平和と安全に奉仕することができるようにしたいものです。
こういう文言が真ん中に入っているわけでありますが、私は、今、日本の社会を見ると、こういう基本的な考え方がどこか薄れ始めている。とにかくお金で買えないものはない、何でもいいから買い占めてしまえば自分のものになる。そして、そういう人が結局、衆議院議員選挙に立候補して、みんなが応援して、その後、今度は拘置所に入る。こういうことが繰り返されていて、私は、何が日本人の基本なのか、大人社会がほとんどこういう内容について示していない。その中で子供たちが育っていて、子供たちも一体何を目標にしたらいいかわからなくなってきているんですね。
ですから、教育基本法をいろいろ考える前に、一体、歴史的に、教育勅語というものの中身で何が悪かったのか、この検証がされていないところに、私はどうも日本の国の混乱があるように感じて仕方ありません。この件について、小坂文部大臣並びに官房長官、猪口大臣、そして提案者から、まずこの件についてのそれぞれの御認識をいただきたいと思います。
○小坂国務大臣 大畠委員が御指摘なさいましたように、明治二十三年、教育勅語が発せられまして、およそ半世紀にわたって我が国の教育の基本理念とされてきたものでございます。
しかしながら、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止をされ、これにかわって、我が国の教育の根本理念が定められるものとして、昭和二十二年三月に現在の教育基本法が制定をされたわけでございます。この教育基本法につきましては、昭和二十一年六月の帝国議会において、当時の田中耕太郎文部大臣が、教育の根本法というべきものの制定についての考え方を答弁され、これをきっかけとして制定に至ってきたものでございます。
委員がただいま御指摘をなさいました、我が国の戦前教育、そのもとにあった教育勅語のどこが悪かったのか、こういう御指摘でございますけれども、そのもの自体というよりも、明治五年に学制を公布いたしまして近代学校制度を導入して以来、国民の熱意や努力もあって、全体として見れば、我が国の近代化に大きく貢献してきたことは間違いのないところでございます。
しかしながら、一時期、戦時下を中心とする軍国主義及び極端な国家主義的な教育が強まったこともあったと考えるわけでございまして、そのような点についての反省に立って、現行の教育基本法は、民主的で平和的な国家建設に向けて我が国の教育の根本理念を定めるものとして、日本政府の発意によりまして、帝国議会の審議を経て制定されたものであるわけでございます。
したがいまして、この教育勅語のどこが間違っているということについては、教育勅語の道徳的な、道徳訓というようなそういう精神はいつの世にも必要なもの、それが憲法で否定されているものでない限りこれは生き続けるもの、こうも考えるわけでございますけれども、しかし、戦後教育は、そういったただいま申し上げたような事情により、教育基本法を新たに制定し、それを教育の根本理念として今日的な教育制度というものを構築してきたところでございまして、そのように御理解を賜りたいと存じます。
○安倍国務大臣 確かに、大畠先生が御指摘になられますように、私たちの進むべき道、この口語訳された、また現代語訳されたものを見ますと、「子は親に対して孝養を尽くす」「兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合う」「夫婦は仲睦まじく温かい家庭を築き、友人は胸襟を開いて信じあえる」、大変すばらしい理念が書いてある、このように思うわけであります。
しかしながら、この原文につきましては、いわば皇運という言葉がされていたり、いわば新憲法の理念、教育基本法が制定されたときにはまだ旧憲法でありますが、既に新憲法はつくられていたわけでありますが、その中で新たな教育の理念を定めたものが教育基本法である、このように思うわけでありまして、戦後の諸改革の中で、教育勅語を我が国教育の唯一の根本とする考え方を改めるとともに、これを神格化して取り扱うことなどが禁止され、これにかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして昭和二十二年三月に教育基本法が成立されたものである、このように理解をいたしております。
○猪口国務大臣 文科大臣、官房長官答弁の通り
164国会 衆特別委 第9回(6月5日)
○石井(郁)委員 …私きょうは、その立法者の意思を示すことの一つとして一点確認をしておきたいことがあるわけですけれども、この「教育基本法の解説」という貴重な資料の中にはこのようなことがあります。「まず新しい教育は「個人の尊厳を重んじ」て行われなければならない。従来の教育は、極言すれば国家あって個人を知らなかったということができる。すべて教育は「国家のために」奉仕すべきものとされ、「皇国民の錬成」ということが主眼とされて、個人のもつ独自の侵すべからざる権威が軽視されてきたのである」ということがありますよね。
そこで伺いたいのは、教育勅語との関係なんです。御紹介した教育基本法作成の中心を担った田中二郎氏はこのようにおっしゃっています。本法は、教育勅語にかわるような教育宣言的な意味と、教育法の中における基本法、すなわち教育憲法的な意味とを兼ね有するものと言うことができると。ですから、教育勅語との関係でいえば、やはり教育勅語にかわるという意味もあって教育基本法が制定された、文部省はそのような認識に立っていますか。
○小坂国務大臣 委員が御指摘になりましたように、教育勅語が、二十一年の十月の文部次官の通牒によりまして、「勅語及び詔書等の取扱について」ということの中で、教育勅語を我が国唯一の根本とする考え方を改めると述べ、また、式日等において教育勅語の奉読を停止するということ、神格化するような取り扱いをしないということ、また、昭和二十二年三月には、教育勅語にかわり、我が国の教育の根本理念を定めるものとして教育基本法が制定された、このようにされていることからしても、そういった意味でいえば、教育の憲法ともいうべき根本理念を定めるものとして、また、教育勅語にかわって、戦後の教育の中で、今申し上げたような教育諸法令の一つの根底をなすもの、そういう位置づけで現教育基本法が制定されたと言うことができると思っております。
○石井(郁)委員 いろいろな形で論議になりますので私はお尋ねをしているわけでございますけれども、教育勅語につきましては、一九四八年の六月十九日、これは、衆議院では教育勅語等排除に関する決議、参議院では教育勅語等の失効確認に関する決議ということがなされておりますね。微妙に内容は違いますけれども、私は、やはり今読んでも、大変重要だと思うんです。
衆議院の決議にはこのようにあるんですね。「これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八条の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。」
また、参議院の方では、「教育の真の権威の確立と国民道徳の振興のために、全国民が一致して教育基本法の明示する新教育理念の普及徹底に努力を致すべきことを期する。」ということで、やはり、教育基本法に基づいて新しい社会の建設、国の建設、そしてまた教育の方向を見定めていく、また、新教育理念の普及、徹底が本当に大事だということが書かれているところであります。
そこで確認なんですけれども、教育基本法の制定とともに、やはり国会の意思としてこういう教育勅語というのは廃止されたということは確認できると思いますが、一言お願いします。
○小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、二十三年六月十九日に、当時の衆議院、参議院両院において、排除、失効確認決議というのが行われたことは事実でございます。
また同時に、昭和二十二年三月二十日の貴族院の教育基本法案の委員会におきまして、教育勅語は、「日本国憲法の施行と同時に之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひ、又教育基本法の施行と同時に、之と抵触する部分に付きましては其の効力を失ひまするが、其の他の部分は両立するものと考へます、」またさらに、「それで詰り政治的な若くは法律的な効力を教育勅語は失ふのでありまして、孔孟の教へとかモーゼの戒律とか云ふやうなものと同様なものとなつて存在する」、このように解釈すべきではないか、すなわち道徳律の一つとしてこれはあるのではないかという見解も示されておるわけでございます。
したがいまして、国会の意思としては、衆議院、参議院で排除、失効決議というものが行われたということは事実でございます。
164国会 衆特別委 第12回(6月8日)
○保利委員 …長い話をするのは恐縮でございます、はしょりますが、私は、戦争中の教育というのは決して嫌なものだけではなかったと思っております、きつかったんですけれども。例えば、教育勅語を暗唱させられた、こういう表現がありますけれども、私は好んで暗唱したのであります。小学校四年生のときはちゃんと全部言えて、言えることが誇りでもあったというようなぐらいであります。教育勅語をこの場で申し上げることは差し控えますが。
しかし、昔の人はよく考えたものですね。教育勅語というのをそのまま教えることも一つの手でしょう。しかし、小学校の生徒に教育勅語の文言を一つ一つ解説してみてもなかなかわかりにくい。そこで、明治の時代ですけれども、教育勅語にかわるものとして、二宮金次郎の歌をつくって、それを小学校唱歌の中に入れて歌わせておったというのがあります。二宮金次郎の歌、今でも私は一番だけは覚えているんです。
柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり、
親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し、
兄弟仲よく孝行つくす、
手本は二宮金次郎。
これはまだ三番まであるんですけれども、ちょっと省略させていただきます。学校の校庭には二宮金次郎さんがしばを背負って本を読んで歩いている姿というのが、私どもはもう焼きついております。
そんな教育を受けていたんですが、もう一つよかったなと思うのは、非常にきれいな日本語というのを教えていたような気がする。それは、小学校唱歌というのを今ごろ見てみると、すごい文章だな、いい文章だな、きれいだなと思うことがあります。
例えば、
菜の花畠に 入日薄れ、
見わたす山の端 霞ふかし。
春風そよふく 空を見れば、
夕月かかりて におい淡し。
こんな言葉を、小学校の三年生、四年生で歌を通して勉強しておった。
あるいは、雨の表現というのもあります。
降るとも見えじ春の雨、
水に輪をかく波なくば、
けぶるとばかり思わせて。
降るとも見えじ春の雨。
こういうような歌。
それで、私が申し上げたかったのは、戦争中の教育が何か本当に悪い教育ばかりしていたんだというような印象でおられる方もいらっしゃるでしょうけれども、しかし、私の経験からいえば決して悪くはなかった。随分鍛えていただいたな、いい言葉も教えていただいたなと思うのでございます。