0100伝統の復活

 

 

164国会 衆特別委 第3回(524日)

○町村委員 …今小坂大臣言われたとおりでありまして、このパネルにもちょっと出しましたけれども、新しく文言として、文章として加わったのが、公共の精神をたっとぶこと、豊かな人間性と創造性、そして伝統を継承するという点であろうかと思います。
 現在の教育基本法は、個人というものがあり、それから普遍的な人類というものがあり、その中間をつなぐ、国家でありますとかあるいは家庭でありますとか郷土、こういったものがすとんと抜け落ちているわけであります。あるいは伝統というものも抜け落ちております。余りにもやはり個人中心主義というものが表に出過ぎている。それは、確かに戦後間もなくつくった、敗戦というもののまさにこういうところがあらわれている。伝統という言葉も、実は教育刷新委員会が原案をつくったとき入っていたけれども、GHQの指令で伝統という言葉が削られてしまったという経緯がある。したがって、今回、これを改めて日本国の教育基本法としてこうしたことを触れたことはまことに適切である、私はこう考えているところであります。

 

 

164国会 衆特別委 第4回(526日)

○大前委員 最初に委員長にお願いを申し上げたいと思うのでございますけれども、私どもが今審議をいたしております教育基本法に関する法案でございますけれども、条文にいたしまして、政府案でも十八条、民主党案でも二十条余りでございます。そして、与野党の論点の違いも極めて明確ではないかと考えておりまして、これを一年も二年もかけて議論をせよという意見がございますけれども、私は、これは全くためにする議論であると思っております。ぜひとも、委員長におかれましては迅速な審議に心がけていただきまして、一刻も早い審議の進行をお願いいたします。
 それはともかくといたしまして、このようなシンプルな法案でございますので、答弁をいただく大臣ほか答弁者の皆さん方には、同じようなことばかりを尋ねて大変お気の毒だと思うのでございますけれども、辛抱強く答弁をいただければと思っております。
 私の最初の質問も、さきの本会議場でも、また水曜日のこの委員会質疑でも既に何人もの議員が質問されましたけれども、なぜ今改正が必要なのかという、いわゆるそもそも論から入っていきたいと思います。
 御承知のとおり、我が国は、明治以来、二度大きな教育改革を経験しております。

 一度目は、明治五年を起点とする一連の学制改革でございます。維新によって近代国家への歩みを始めた我が国は、明治四年に文部省を設置いたしまして、翌年には、国民皆学を目指し、全国を八大学区に分け、その下に中学区、小学区を設置する学制令をしきました。そして、明治十二年の教育令、二十一年の帝国大学令、中学校令、小学校令などの学校令。そして、明治二十三年十月の教育勅語公布に至るわけでございます。
 二度目は、昭和二十二年の現行教育基本法制定と、教育勅語の両院における失効確認決議、並びに諸法令の整備に見られる戦後教育体制の確立でございます。占領下という特殊な条件下での改革でございましたけれども、思い切ったアメリカ型の民主主義教育の導入が図られましたのは、御承知のとおりでございます。
 そして今、三度目の大きな教育改革として、六十年ぶりに現行教育基本法の改正が行われようとしているわけでございます。
 以上が大ざっぱな我が国の明治以後の教育史でございますけれども、過去二回の大改革は、いずれも顕著な歴史的事象が存在しました。最初のときは明治維新でございます。そして、二度目のときは、我が国未曾有の敗戦という大事変でございます。しかし、今回の場合は、特にそういった歴史的大事件があるわけでもないにもかかわらず、現行教育基本法を大幅に改めるのはなぜかという疑問が生じてまいるわけでございます。
 恐らく本当の理由は、私は、現行法制定当時、我が国が米国の占領下にあり、GHQの強制によって、当初、我が国当局者が作成した原案から重要な条項、例えば、歴史、伝統、文化の尊重とか、国や郷土を愛する心の育成といった日本人の精神的バックボーンが抜け落ちていたことを、おくればせながら修正しようという点にあると考えるのでございますけれども、この点、大臣はどのようにお考えか、お尋ねしたいと思います。

○小坂国務大臣 大前委員の御見識に改めて敬意を表するわけでございますが、明治以来の教育改革の中で、今日、それではなぜ基本法の改革か。
 全体的に見ますと、今日、二十一世紀という新たな世紀に入ったということ、そして、IT社会という新たな流れの中で、グローバル化と呼ばれるような、世界の中での日本の位置づけというものが変革をしていること、こういったことも背景にはあるように思います。
 しかし同時に、委員が御指摘になったように、今日、倫理観の低下、そしてまた社会的使命感が喪失をしているのではないかという御指摘もあります。またさらには、日本が家族で仲よく暮らしていたという時代から比べれば、核家族主義というような形になってまいりまして、家族の崩壊というような現象も言われるようになってまいりました。また、都市化も進んでまいりました。こういったことが背景にあるように思います。
 戦後、日本の教育基本法の理念というものは大変に皆さんに普及をされまして、教育諸制度は国民の教育水準を向上させ、そして我が国の社会発展の原動力になってきたと私どもは考えております。
 しかしながら、教育基本法は、昭和二十二年の制定以来、半世紀以上が経過をいたしまして、ただいま申し上げましたような事象、それに加えて、科学技術の進歩、情報化そして国際化、少子高齢化、そういった事項が出てまいりまして我が国の教育をめぐる状況が大きく変化する中で、先ほど申し上げたような、倫理観の喪失に基づく道徳心や自立心、公共の精神、国際社会の平和と発展への寄与など、今後、教育においてより一層重視しなければならない新たな理念というものを規定する必要が出てきたと思うわけでございまして、このような背景から、今日、現行の教育基本法の役割を超えて、新たな教育基本法を制定し、これらの理念を明確にしてまいりたい、このように考えるところでございます。

 

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○鳩山(邦)委員 私、次に憲法と教育基本法の関係についてお尋ねいたしますが、教育基本法が、憲法の附属法、従属法とは全く思っておりません。…ここに、「日本国憲法」という台本というかシナリオがあります。これは、こういう映画をつくりたいというので「プライド」の伊藤俊也監督が書かれたものでございまして、できるだけ史実に忠実なようにチェックをいたしておりますが、要するに、日本国憲法制定の過程で、これが、イエローペーパー、マッカーサー草案、いかに日本人の考え方が無視されて、押しつけられてアメリカ型憲法ができ上がっていったかということを映画で、ドラマに仕立てたものがこの「日本国憲法」というものでございまして、これは今お金集めをしなければ映画はできませんが、私は、場合によってはこの映画の製作委員長を引き受けるかなというふうに思っているわけでございます。
 そういう中で教育基本法もできたわけですね。ですから、本当は、日本文明の、すばらしい、いいものが全部魂を抜かれるような形で憲法ができ、教育基本法ができた。小坂文部大臣、同意していただけますか。

○小坂国務大臣 委員が御指摘なさいましたように、戦後の占領下で日本国憲法が議論をされ、また教育基本法も議論をされ、制定される経緯につきましては、過日の大畠委員の御質問、また、私どもも史料として勉強してきたわけでございますけれども、その経緯について、押しつけであったから日本には合わないものができたかといえば、必ずしもそうではないだろうと思います。また、日本人の精神というのは、憲法の改正及び教育基本法によって何か魂を抜かれるようなことになってしまったかといえば、日本の精神というのはそれほどやわなものではなくて、現行の教育基本法の中でも、人格の完成を目指し、国家、社会の形成者としての真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、こういった記述の中に我々は読み取ってきたわけですね。その失ってはならないものを必死に守ってきたと思うのでございます。
 ですから、そういう意味で、制定の経緯というものが、委員は押しつけられたもの、こういう御認識で提示をされ、多くの方々がそういう思いを持っていらっしゃることも事実であろうと思います。しかしながら、私は、押しつけられたものといって、押しつけられたという気持ちで法律を見ますと守る気がなくなってしまいます。むしろ前向きに、そういった経緯の中でみずからが制定したものという理解のもとに努力をしていくという立場でこの法律を読んでいるところでございます。

○鳩山(邦)委員 残念ながら、私とは大分考えが違うんですね。
 私が申し上げたいことは、不易と流行という言葉はもう釈迦に説法でありましょう。その不易な部分で、変えてはいけない価値あるもの、それは、愛国心だったり、社会に参画することであったり、公共の精神であったり、道徳であったり、あるいは家族、この間、兄もそう言っていましたけれども、まさにこの日本の家族制度とか、いわゆるゲゼルシャフトかゲマインシャフトかといえば、利益共同体でない、精神の結びつきのゲマインシャフト的な日本のあり方をGHQは粉砕したかった。それは、不易の部分ではないか。その不易の部分を抜かれて憲法もでき、教育基本法もできているのではないか。
 したがって、流行の部分はあるでしょう。それは、幼児教育の問題とかあるいは私立学校の問題等の規定が今度新たに入るのはわかるんですが、この間、土屋正忠委員が質問のときに、今度新しく入ったものをばあっと羅列した。その中に、流行のものはいいけれども、不易、本来入っていなくちゃいけないものが抜け落ちておったと。そういう認識を小坂大臣はお持ちにならないんですか。

○小坂国務大臣 文部大臣の先輩に私ごときが意見を申し上げるつもりもございません。先輩としての御見識は拳々服膺したいと思っておりますが、私は、現行の教育基本法の中でも、あえて記述しなくとも、日本人は一つの精神文化としてこれを受け継いでいくだろうと思ったがゆえに記述をしなかったという部分もあると思っているからなのでございます。
 それが、今日の社会情勢の変化の中で、そのような認識では済まなくなったのではないか、ここで新たに記述する必要があるのではないかということから記述を加えたというのが、今回の改正の中で盛り込んだ部分がそういった部分になってくる。それに加えて、新たな社会情勢の中で新たに生じた問題として記述した理念、これが、現行と今回の改正案の中での違いに相当する部分の一つの理由であろうと思っております。


○鳩山(邦)委員 今の大臣の御答弁は、大変頭のいい文部科学大臣ですから非常にお上手な答弁ですが、この提案理由の説明が流行の部分しか書いていないんですよ。不易のものが抜け落ちておったから、これで魂を入れ直そうという部分が抜け落ちているものですから、この提案理由説明を書いた役人がいたら、ぶん殴ってやりたいと私は思ったんです、本当に。
 そういう気持ちの人間も多数いるということを、猪口大臣、いかがですか。

○猪口国務大臣 (文科大臣の指摘の通り)

 

○鳩山(邦)委員 やはり、多少私とは違うんですね。私は、不易のものが抜けていたことが、今日の漂流する日本、そういうふうに見えて仕方がない。
 そのことをもう早々見抜いている人がいるんですね。それは鳩山一郎という人でございまして、昭和三十一年の二月に、現行の教育制度は占領下という特異な情勢のもとに行われ、我が国の実情に即しない点もありますので、教育制度の改正が慎重を期すべきことは当然ですが、次代の国民の育成に重要な影響を与えるものでありますから、できるだけ早く改正したいと思いまして、憲法改正を待たずに提出したわけでございますと。つまり、祖父も、今と同じ、憲法を改正したい、教育基本法を変えたいと、臨時教育制度審議会設置法案でそのように述べているわけですね。
 それで、清瀬一郎文部大臣は、第一の方向は教育目的に関する反省だ。例えば国家に対する忠誠というものがどこにもない。いかに民主国といえども、国をつくっている以上、国に対する忠誠心は鼓吹すべきものであろうと思います。日本人は日本人としての伝統がある。この伝統を交えた日本の理想を描いて、それに近づくように国も進め、個人も進む、これが道徳なんですと。
 つまり、昭和三十年、教育基本法ができてまだわずか八年というようなとき、あるいは九年でしょうか、そのころに、この教育基本法には、日本の最もいい、不易な部分が抜け落ちておるぞ、こういうことを言っておったわけです。
 ただ、そこから民主党さんとは意見が違うのです。それには緊急性がある、早く魂をまた入れ直さなくちゃいけないので、憲法改正を待たずに教育基本法を改正しようと鳩山一郎は言ったということを、御党の幹事長によく教えておいてください。
 そういうことですが、例えば、金美齢さんが数日前に講演したのが新聞に出ておりますが、「日本人がしなくてはいけないことは、日本の伝統的価値や文化を基本に据えることだ」「約束を守る、和を尊ぶといった日本の美徳や倫理が、戦後六十年でどんどんおろそかにされている」「「国際」を無防備に受け入れるなかで、伝統がどんどん崩壊している。それは国際社会で勝負するもっとも大切なカードを失うことだ」、こういうふうに言っているわけでございます。
 ここに、昭和三十年一月一日の朝日新聞がございます。ここで再び登場するのが鳩山一郎という人でございまして、ここで何と言っているかというと、鳩山一郎は、総理大臣として、長期にわたる占領政治によって、我ら同胞は、とかく長いものに巻かれろ、権力には盲従せよとの観念に支配されて虚脱に陥り、民族の自主性を喪失したのではないかと思われる節が少なくないのであります。これを全面的に是正して、真に大国民たるの自信を取り戻すこと。国情に合わぬ占領政策を勇敢に修正を加える。人心を新たにして、同胞の向かうべき方向を決定したい。これが昭和三十年の文章でございます。
 私は、憲法と教育基本法の密接な関係はわかるし、これを議論するならば、ぜひそういう方向で、いいものを持ってきた日本、私は戦争責任というのはあると思いますよ。それで、その戦争責任、当時のリーダーたちは、多くの同胞を死に至らしめたという、もちろん他国民も含めて、そういう戦争責任はあると思うが、同時に、こんなすばらしい国が、無理な戦をして負けることによって、巧みに巧みに民主化という美名のもとで魂を抜かれ続けて、経済的には発展したけれども、経済成長の量に対して幸福の量が正比例関係にない、何か漂流するような、アイデンティティーを失うような今の日本というものをつくってしまった、そういう責任を戦争を引き起こした人たちには感じてもらいたいというような思いがあります。
 そこで、ここに資料をお持ちしたのは、これは、日文研、国際日本文化研究センター、梅原猛先生的、安田喜憲教授的な考え方を私なりにまとめたものでございまして、世界文明というのは、これは、ギュンツ、ミンデル、リス、ウルムという四回の氷河期が終わって、終わったのは一万四千五百年前です。五百年の間に植物は今のような状況に一気に遷移するわけですが、そこで既に、稲作あるいは牧畜、麦作の原型というのはできていくんです。五千年前、六千年前に生じたんじゃない。もう後氷期になってすぐに文明の二つの源流ができるんですね。
 「森の民」と「家畜の民」と書きましたが、これは植物文明、動物文明という比較でもいいんですが、要するに、稲作をやって森の中で暮らす、これが自然と共生する。永劫の再生と循環という思想の中で、太陽は、夜になると死ぬけれども、また朝よみがえるというような考え方、冬から春へ来るときも同じでございましょう。こういう森の中でいろいろなものを収穫する、あるいは稲をつくる。彼らは、土地を拡大する必要が全くありませんから、自然と共生して、同じ領地というか同じ土地の中で幸せに暮らすことができる。
 ここに書いてあるように、縄文文明は武器をつくることさえ知らなかった。あるいは中国の長江文明も武器すらつくる必要がなかった。しかも、病気がなかったわけですね。動物を無理に飼育しませんから、病気がない。はしかというのは、あれは犬の病気です、これを人間の世界に取り入れている。ハンセン氏病は水牛です。結核、ジフテリア、天然痘は牛です。インフルエンザは豚と鶏から人間はうつるわけです。縄文時代や、あるいは同じ自然と共生する民が住んでいたアメリカ大陸、インディアン、インディオは一切そういう病気はなかったわけですね。まことに平和だ。宗教的に言えば、仏教の山川草木悉皆成仏という考え方。神道、ありとあらゆるものに神を見る。要するに、自然界のすべてに対する畏怖ですね、道教が同様で。
 この間、小坂文部大臣はすばらしい答弁をされた。我々はこの大自然の中で生かさせてもらっていると。まさにその考え方がこの上の文明で、下の文明は、実は今日の科学技術文明を生んだのはこういう文明で、私は宗教に対して極めて寛容の態度を持っているわけですが、これは、別に宗教を批判しているわけでも、なじっているわけでもありません。ただ、一神教的ですと、どうしても、人間、愛を中心に訴え、人間のためには他を奪ってもいいというような。したがって、「敵を作る文明 和をなす文明」という本も出版されて、その出版された直後にあのイラク戦争が始まったときに、ああ、なるほど、自然と共生しない文明同士が戦争を始めたなという印象を私が持ったのは事実です。
 一番重要なことは、四大文明は、全部下の方の、自然を破壊する人間中心の文明なんです。長江文明というのは上なんです。自然と共生する文明。それを、夏王朝以来の、尭、舜、禹以来のいわゆる黄河文明は徹底的に自然を破壊したから黄砂が飛んでくるわけですが、彼らが南下して長江文明を破壊した。そのボートピープルが、鹿児島県のニニギノミコトが漂着した笠沙の浦にやってきた、こういうことになるわけでありましょうが、日本には、縄文時代以来、自然と共生する立派な文明があった。
 この文明原理はずっと根本において続いてきていますから、我が国の森林被覆率が六割を優に超すというのは、こういう日本のすばらしい文明のおかげであり、いろいろな方が日本人の美徳と言われるものは、やはり文明の質なんだと思うんですね。
 台湾人の蔡焜燦さんが、「台湾人と日本精神(リップンチェンシン)」という本を書かれた。それは、日本に統治された五十年はあったけれども、その後の白色テロ、国民党の五十数年よりはよかったということも書いてあって、日本人のいい点がいっぱいあったのに、今、日本に来るとみんな失われているじゃないかということを、金美齢さんと同様に言っておられる。
 この森の民由来の先進国というのは、実は日本だけなんですね。例えば、自然と共生するケルト人の古ヨーロッパ文明というのがあった。ゲルマン民族に追われてイギリスへ、イギリスを追われてアイルランドへ。そのケルト人の歌がエンヤさんのつくる歌であり、C・W・ニコルさんが日本でアファンの森づくりをやっているのではないか。
 私は、そういうすぐれた文明の担い手だった日本、そのことを理解させることがあって初めて、国を愛する心や態度が生まれるのではないか。それをとにかくこれからの教育では教えていただきたい。それが日本人の誇りになり、アイデンティティーになると思うのです。誇りもアイデンティティーもなかったら愛国心は生まれてこない、こう思うんですが、文部科学大臣、私の説明に合った答弁をしてください。

○小坂国務大臣 鳩山委員の大変説得力ある文明論をお聞きいたしまして、なるほどと思うことが多々ございます。また、そういう御説明の中で今日の日本の失われた美徳というものを振り返ったときに、なるほど、おっしゃるような森の民、植物文明の中で築かれた、共生の、また協働の社会、ともに働く、協調して働く、そういう社会。言ってみれば、結いの精神で培われてきたような、日本の農耕文化の中で培われてきたものが今日失われてきたという反省に立てば、まさに御説のとおりである、こう申し上げても間違いないことだと思います。

 

164国会 衆特別委 第12回(68日)

○臼井委員 …この教育基本法、現法は昭和二十二年に策定をされたわけでございますけれども、これは必ずしも日本の自主的な策定ではなかったというのは、既にいろいろな審議の中で明らかになっているわけでございます。GHQの教育改革というものを担当いたしておりました民間情報局の介入のもとでつくられたのでございます。終戦後の日本というものが、再び立ち上がってくることのないような環境をつくっていくということを目標にいたしまして、愛国心の排除、あるいは伝統尊重の排除、宗教的情操の涵養の排除、あるいは男女共学というものにつきましても、両性の特性を考慮しつつというような文言が削除される、こういったいろいろな介入があったわけでございます。
 また、当時は、敗戦の混乱の中で食べることに懸命であった私ども日本人、教育というものを決してなおざりにしたわけではありませんけれども、教育というのは学校で先生がしてくれるものというふうに考えておった、また、教育というのは学校だけでするものだというふうな考えであった。これはやむを得ないことでございますが、そうした当時の教育環境からいたしますと、現在では、教育というのは、学校はもちろんのこと、家庭あるいは地域社会共同の力でもって子供たちを立派に育てていく、そういう意識が当たり前のことになってきたというのが現代でございます。
 この基本法の改正案には、現代社会が青少年の教育のために当然行っている、しかし現教育基本法には記述されていない多くの項目というのが入ってきております。このことは極めて私は大切なことで、ようやっとそういう時期が来たのか、よく六十年間そのままやってきたものだというふうに思うわけでございます。
 例えば、前文中にございます公共の精神、伝統の継承、あるいは道徳心、環境に対する態度、伝統と文化の継承、日本国土を愛するというふうな気持ち、あるいは生涯教育に対する考え方、障害者への教育支援、家庭教育、先ほど申し上げました学校、家庭、地域住民の連携協力、国、地方の役割、そして教育振興基本計画の策定。今まで実際にやってきたこともございますけれども、この教育基本法の中に盛り込まれていなかったもの、これをまさしく今度は盛り込むことができるというのは、大変うれしいわけでございます。

 

164国会 衆特別委 第9回(65日)

○太田(昭)委員 もう少し概念規定をしっかりやった方が、公とは何かとか国家とは何かという話につながりますから、いいというふうに私は思っています。
 その後に「伝統を継承し、」と言いますが、この後に「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、」というふうに出てきます。このところで、継承すべき伝統というものの概念規定、これは一体どういうことなのか。そして、新しい文化ということで、「伝統と文化を継承し」としないで「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す」というふうに書いたのはなぜなのかということについてお聞きしたいと思います。

○田中政府参考人 「伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す」という規定についてのお尋ねでございますが、伝統の継承、この伝統というものは、先ほど大臣の方からお答えされましたけれども、我が国の長い歴史を通じて培われ、受け継がれてきた風俗、習慣、芸術といったようなことでございまして、例で挙げますと、季節の行事でございますとか伝統芸能、あるいは伝統産業、伝承遊びといったようなことが考えられるんだろうと思いますけれども、そういう伝統を次代に引き継いでいこうという趣旨でございます。
 また、新しい文化の創造とは、これまでに培われた伝統や文化を踏まえ、さらに発展させ、時には他の文化も取り入れながら新しい文化を創造するという意味で規定をさせていただいておるところでございます。
 また、伝統の継承と書いておりますけれども、これは、伝統そして文化を継承するという意味で、代表して伝統の継承と書かせていただいておるところでございます。

○太田(昭)委員 先ほど鳩山先生は、自然と共生する文明、こう言って、この間、参考人の時にも、日本の文明というのは違うということでハンチントンのことを引いた方がいらっしゃいますが、私は、ハンチントン理論というものについては、文明と文化をごっちゃにしている、こういうふうに思っています。
 日本のこの教育基本法の中で落ちついて教得るべきは、実は、文明としてあらわれるということのもっと懐の中に文化というものがあって、それが形としてあらわれて文明として一つの大きな塊をなしていくということからいうならば、二十一世紀は、文明の衝突というハンチントン理論というのを、敵をつくるというよりも、どちらかというと、文化の衝突というかなり小さなレベルでの宗教的なものも含めた対立ということを我々は考えなくてはいけないというふうに思っているわけですが、この文化というものをくみ上げながら人は生きていくんだよと。
 その意味では、自然と共生して、長江文明とかいろいろなものが流れてきたりというような日本の文化の、この間、総理とここで話をして、たった十分間しかできなかったんですが、愛国心という言葉のそこのところを強調しながら論議が続いているけれども、この伝統とか日本のすぐれた文化というものを本当に教育の中で教えていったりする、あるいは学び合っていくということが物すごく大事なことで、それが結果として、ふるさとや郷土や日本という文化というのはすぐれているな、私はこういうふうに思うわけです。…ここはそろそろ、文化というもののすばらしさというのは一体具体的にはどういうふうなものを、個人個人で結構なんです、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を」といったことばかり論争しているけれども、では、具体的にどんなことを教えるのかというところに、先ほど鳩山先生が言ったような、文化というもののすぐれたところを教えるということが結果的には日本人としての誇りを持つことになる、私はそういうふうに思いますが、個人の見解で結構です、例えばどういうことをおっしゃっているんでしょうか。

○小坂国務大臣 委員の御高説を拝聴しながら、本当に日本の伝統と文化というのは深いものだと思いますし、個人の見解でもいいからとおっしゃるように、個々人がそれぞれ自分の愛する郷土や国の文化の認識というのは、若干違いもあるかもしれません。
 私は、まず総括的に言って、それから個人的な見解を述べたいと思いますが、今回、この教育基本法で「伝統と文化を尊重し、」という中で言っていることは、学校現場では、ふるさとの歴史や郷土の発展に尽くした偉人、昔から地域に伝わる行事、こういったもの、また、地域の伝統芸能や文化財を見たり体験したり、こういう中から学んでいくもの、また、我が国の歴史や国家、社会の発展に大きな働きをした先人の業績を調べたり、それを理解しようと努めること、これによって培われるもの、また、我が国の文化遺産や美しい自然、茶道、華道を初めとした、いわゆる武道と伝統文化、能、歌舞伎などの伝統芸能について調べ、体験をすること、世界の中で活躍する日本人を調べたり、こういったことを通じて、日本の歴史や伝統、文化に対する理解と愛情をはぐくむ指導を行っているところでございます。
 私は、先ほど鳩山委員が御質問されましたように、私どもは、委員もただいま御指摘をされましたが、すべての生きるものに対して、その生命に対しての慈しみというものを日本人は持っている。これを日本人の文化遺産としてずっと受け継いで、そしてそれを今日もそれぞれ心の中に宿し、日々の生活の中で大切にしているということ、これそのものが日本の文化であろうと思いますし、そういったものを大切にする心、そういったものは受け継いでいきたい、このように思いますし、今学校で行われているそういった具体的な教育活動の中で、私どもそれぞれが大切にしているものを一つ一つ受け継いで、また、その足らざるものは、家庭において、地域においてそれぞれの立場で受け継ぐ努力をしていくことが必要かと認識をいたしております。