テーマ:学校教育法改正案の批判的検討

報告者:世取山 洋介(新潟大学)

200748

 

1 学校法の意義と改正案の内容

学校法は@学校体系の明示、A学校の設置および行政による学校管理、B学校組織および学校運営、C児童・生徒管理を目的とし、教育基本法との一体性を有している。今回の学校法改正案では、形式的には、章立てが変更されている。章立てを年齢順にすることを原則としているが、新設された「第2章 義務教育」の後に「第3章 幼稚園」が配置されている。これは「幼稚園」を固有の教育段階として見ているというよりも、義務教育の準備段階として見ていることに由来しているものと考えられる。そして、47年制定以降のモザイク的な修正を示していた「□章の□」を「□章」に整理しなおすのと同時に、「□条の□」を「□条」に整理しなおしている。

文科省は学校法の改正の目的を、@各学校種の目的および目標の見直しなど、A副校長その他の新しい職の設置、B学校評価および情報提供に関する規定の整備、C大学の履修証明制度などと説明している。

しかし今回の法改正案のもつ実質的意味は、以下の5つと考えられる。@高等学校教育の実質的複線化による学校体系の複線化。A目標規定を「徳目基準化」することにより、「教科目名導出基準」としての性格を大幅に後退させること。B文科大臣の教育内容決定権限の明文による肥大化(改正案第21条参照)。これにより文科大臣への無限定の教育内容決定権限を付与すること。C学校組織を単層構造的なものから重層構造的なものへと変化させていくこと。D学校の新自由主義的改変として、現行法の「直接責任型説明責任」から「トップダウン型説明責任」へ変更したこと(説明の責任を果たすべき相手を子どもと親ではなく、文科大臣とすること)。

いずれも制定時(47年)に学校法に与えられていた重要な意義を大きく修正するものであると言える。

 

2 学校体系の変容について

 同法案は初等・中等・高等の三段階の普通教育からなる単線型学校体系から、「義務教育として行われる普通教育」と「高等な普通教育」からなる学校体系への変更を企図している。このことは、現行法173541条が「心身の発達に応じて」小・中・高等学校がそれぞれ、「初等普通教育」「中東普通教育「高等普通教育」を提供することとなっていたのが、改正案2150条で小学校、中学校が「義務教育として行われる普通教育」(21条)を、そして、高等学校では「高度な普通教育」(50条)を行なうとなっていることより示されている。改正案は、中学校と高校とを包括していた「中等教育」という概念を放棄しており、中学校の延長線上にある高校という考え方に大きな修正を加えるものであると言える。

 そして、高等学校の複線化を正当化する文言として、改正案50条には「進路に応じて」という文言が導入されている。これは、職業分化に基づく教育内容の多様性を明文化したといえる。つまり高校における教育を、「進路に応じて」、「高度な普通教育」、「専門教育」に区分し、高校教育の職業分化に応じる複線化が正面から許容されることになり、高校の複線化に対する歯止めが消失し、複線化への明文上のモメントが登場することになる。

 

2 教育目標規定の変更がもつ意味

 現行法 条、 条、 条において規定されている学校段階の目標規定には3つの意味があると考えられる。@教科目名導出基準としての意味。A教科全体を通じた目標としての意味。B課外活動、進路指導、公民教育の導出としての基準。学校段階が上がるにつれ、@に加えて、Bの要素が付加されている。

 これに対して改正案は、改正案211号から4号において、A伝統、B生命及び自然、C規範意識、公共の精神、D家族と家庭の強調といった徳目が明記されている。これは現行学校法 条の教科目名導出基準としての意味を低下させ、教科全体を通して育成されるべき“徳目”を導出する意味を強化することにある。つまり、教科目名導出基準に徳目基準を同じ重さで加えたか、あるいは、徳目基準をメインに打ち出したと言える。

 なお、幼稚園に関する章が義務教育に関する章の後に配置され、義務教育以降の教育との接続の確保が幼稚園の目的として規定されていること(改正案22条)の実質的な意味も、道徳教育の連続性としてとらえることができる。

 

3 文科大臣の決定権を持つ事柄の「教科」から「教育課程」への変更

 これは重大な意味を持つ。文科大臣の教育内容に関する決定権限が、いわば横と縦の双方の拡大されている。現行学校法における教育内容行政に関する規定は、第33条で「小学校の教科に関する事項は、・・・文科大臣がこれを定める。」とされている。戦後教育改革研究の第一人者であった鈴木英一教授(故人)の制定史研究によれば、「教科」が「教科目名」を意味していたことが明らかにされている。これを踏まえて、教育法学では本条を学校制度法定主義を確認したものであると解釈してきた。すなわち、文科大臣は、教育内容に最も近接して法定しうる事柄として、「教科」名と時間数の決定権限を持つが、それより先は、助言指導基準であると。

しかし改正案33条では「小学校の教育課程に関する事柄は、・・・文科大臣が定める」とされ、教科だけでなく、教育課程を構成する教科以外の要素(現行法では例えば領域としての道徳)を如何様にも決定し、さらに、教科目名・時間数だけでなく、そこで教えるべき内容とその順序までをも決定する権限を文科大臣に付与しようとの意図であると考えられる。また改正案の第302項はその意味が不明なところもあるが、「教育内容のみならず教育方法にまで関与することの宣言」とも見て取れるが、どうであろうか。

 

4 学校組織・学校運営の変容について

 改正案は、副校長、主幹教諭、指導教諭を創設し、学校組織を大きく変えようとしている。現行法では<校長(+スタッフとしての教頭)>と教諭の関係は、行政解釈によると監督・指揮関係であるが、教育法学説では指導・助言関係である。学校法の制定過程において、国民学校令における教諭の職務規定にあった「校長の命を承けて」という文言が削除されたことが、教育法学説を支持する根拠の一つとなっていた。

 改正案では、例えば、「教諭は、主幹教諭の命を受けて、教育をつかさどる」といった提案がなされるとも危惧されていたが、さすがに、今回はそこまでは規定できなかったようである。結果、学校組織の改正意図が文言からだけでは曖昧となっており、2つの解釈が可能となっている。ひとつは学校における公務と、教育を区別せず、「<校長(+スタッフとしての教頭)>→副校長→主幹教諭→指導教諭→教諭」というラインを創設すること。もうひとつは「<校長(+スタッフとしての教頭)>→副校長→主幹教諭」という監督・指揮関係で結ばれた「校務ライン」を一方で作り、「指導教諭(→主幹教諭?)→教諭」という「教育ライン」を作るというもの。中教審の議事録から見える改正の意図は、後者にあると考えられる。しかし、立法者意思の真意がどこにあるのかの確定は重要である。

 また学校運営の変容に関して、学校評価制度、学校情報提供制度が法案では明文化されている。現行法において学校評価制度は、初等・中等教育については不在で、大学については自己評価義務が存在している。改正案第42条で学校評価を「努めなければならない」と規定している。ただ、この「努めなければならない」が、評価を行うこと自体を努力義務としているのか、あるいは、評価を行なうことは義務付けながら、教育水準の向上という結果責任を課さないという意味なのか、判然としない。また「文科大臣の定めるところにより・・・評価を行い」に関わって、文科大臣が全国学力テストを学校の評価方法として定めれば、各学校に学力テストへの参加が義務付けられることになる。そうなれば地教委の判断に関わりなく全国学力テストへの参加は学校に義務付けられることになる。また改正案43条「小学校は…教育活動その他の学校運営の状況に関する情報を積極的に提供するものとする」によって、全国学力テストの結果の文科省への提供義務が課される可能性がある。

 

まとめ

 今回の改正案では、新自由主義教育改革に対応して、学校体系の実質的複線化を正当化すること、そして、文科大臣の設定したスタンダードに基づいて実施された学力テストによる学校の説明責任を課すことが規定され、新保守主義に対応して、目標規定の意味に道徳基準としての意味が重く付け加えられ、両者を総括するために、文科大臣が教育内容に関わって決定できる事柄が「教科」から「教育課程」に修正されているのだと言える。