教育基本法に関する特別委員会会議録

甲府地方公聴会速記録 平成18127日(木曜日)より抜粋

 

○公述人(喜多明人君) 早稲田大学の喜多と申します。

 限られた時間ですので、私の意見陳述は、今日の子供問題の根幹にかかわる事柄に触れながら、その解決のために教育基本法改正問題において何をなすべきか、この一点に絞って述べさせていただきたいと存じます。

 まず第一に、今日の子供問題の基本としての自己肯定感の低下の問題でございます。

 言うまでもなく、今、日本の子供たちは苦しんでいます。いじめを苦にした自殺の連鎖はとどまることなく、極めて深刻です。その深刻さは、一九八六年に東京都中野区で起きた鹿川君事件、九四年に愛知県西尾市で起きた大河内君事件の際の連鎖問題とは比較になりません。私は、この深刻な事態を招いてきた基本的な問題の一つは、日本の子供たちの自己肯定感の低下、むしろ低下と表現するよりは落下といってよいほどの落ち込み状態にあると考えております。

 レジュメをお配りしていますが、資料一をごらんください。ここでは日本青少年研究所が今年二〇〇六年三月に公表した高校生の友人関係と生活意識の調査結果が示されております。そこで、自分自身について、とても満足と答えた高校生は、日本はわずか六・三%にすぎず、アメリカは三四・一%、中国一五・六%、韓国一一・一%と比較しても大変な落ち込みです。まあ満足を足しても四三・四%と五割を割っております。他国はすべて五割以上、アメリカは実に八三・三%に上がっています。

 同研究所は、資料二のとおり、二〇〇二年十一月に中学生の生活意識調査結果を発表しております。そこで、自分に大体満足しているという意識について、日本の中学生は、やや当てはまるを含めても三九・四%足らずです。これに対してアメリカは八九・六%、中国でも七一・〇%と、これに比べても大きな開きがございます。しかも、一九九〇年当時の調査結果と比べると、日本の中学生の自己肯定感は四七・二%から三九・四%と約一〇ポイント近くダウンしているのです。

 このような中高校生世代の自己肯定感の落ち込みは、資料三のとおり、文部科学省が二〇〇二年度に実施した児童生徒の心の健康と生活習慣に関する調査結果においても裏付けられております。私は自分に価値がないか他人より劣っていると思うという質問に対して、やや当てはまるを含めると、中学二年生が男女とも八七%を超えております。しかも、私なんかいない方がよいと思うという自己否定的な意識を持つ子供についても、当てはまると答えた中高校生二年生がほぼ六%、やや当てはまるを足すと、中学、高校ともに二年生が二五から三〇%、四人に一人に上っております。このような意識状況では、いじめなど自分自身が苦境に立たされたときに、何とか立ち直ろう、まだまだ自分はやれるんだという気持ちを持つことができるでしょうか。

 自己肯定感は、自分を肯定できる感性や意識であり、立ち直る力、信念を貫く力、生きる力の源であり、自分が受け入れられているという感情を伴って高まるものです。最近はマスコミなどを通して、いじめはいけない、友達を大切にしてほしいといったメッセージが送られていますが、自己肯定感が奪われていて、自分という存在が受け入れられていない、自分が大切にされていないと感じている子供が果たして友達を大切にできるでしょうか。また、自分の命を大切にというメッセージをもらっても、自分という存在を受け止めてもらえずに否定されている子供たちが、自分という生命を肯定し、生きているだけですばらしいんだと感じられるでしょうか。

 これまでいじめ自殺問題に関しては、政府、国会においても大変な努力を重ねておられることについては敬意を表しておりますが、しかし、このいじめ問題解決のかぎを握る子供の自己肯定感の低下という基本問題へのメスが十分入れられてこなかったのではないかと危惧しております。また、その点については、今回の教育基本法の改定に当たってどれだけ自覚化されていたのか。今回の改定では学校の規律は強調されておりますが、子供の自己肯定感を高めていくための教育の在り方について十分に検討されていたとは言い難いと思われます。

 では、なぜ日本の子供たちの自己肯定感がこれほど落ち込んでしまったのでしょうか。その低下の原因について述べたいと思います。

 私は、この落ち込みは大人の責任が大であると感じております。子供の問題について何事も大人側だけで議論し、大人側だけで何とかしてやろうと思い、大人だけで解決できると考えてきたことのツケであると考えます。子供は常に問題解決の対象であって主体ではなかった。そのような受け身の立場に置かれて、子供たちは常に大人を当てにし、大人がいなくては何もできない存在と信じ込まされてきました。自己肯定感の落ち込みは、このような大人の優位、優先社会における子供の自信喪失状態をよく表現しております。そこでは、子供問題に向き合う大人側の姿勢が問われているのではないでしょうか。

 教育基本法問題は、そのような意味を含めて、子供と大人とのいい関係をつくっていくことなど、実際的な子供問題とのかかわりで検討していくことが肝要であると考えております。

 特に、政府、国会は、子供との向き合い方についての見直しを図るよう国際的に要請されてきた文書、すなわち国連子どもの権利条約にもっと目を向けていただきたい。残念ながら、この条約は教育基本法の審議において生かされていたとは言えませんし、また子ども権利条約が無視されてきたことによって、今日の子供の問題をかえって解決しにくくしてきたのではないかとも思われるわけです。

 第三に、子供支援、子供の権利の視点からのとらえ直しについて述べます。

 日本は一九九四年に国連子どもの権利条約を批准しました。この条約は、子供の最善の利益をうたい、子供を励まし、支援していくために、私たち大人が何をすべきか、その大事な原則を提示してきました。特に、条約十二条に述べられているとおり、子供に影響を及ぼす問題は子供抜きでは議論しないこと、必ず子供の意見を求め、尊重すること、この原則について日本政府は国際社会に対して約束してきたことに注目すべきです。

 子供の権利の保障とは、子供側の意思やニーズを社会的に承認し、実現していく営みです。この少子高齢化時代を迎えて、ますます大人側の意思やニーズが肥大化し、大人の期待や意思に子供が押しつぶされそうになっている現時点においては、子供の権利の視点に立って、子供の意思とニーズを受け止めていくことが大変重要になっております。

 資料四は、子どもの権利条約の普及、実施を推進し、子供参加を奨励してきたユニセフの提案です。

 ユニセフは、子供たちは参加する機会があれば、自分たちの周りの世界を変えられることを証明してきた、子供たちは大人の理解を豊かにし、大人の行動に前向きな貢献をできるようなアイデア、経験、洞察力を備えていると強調しております。

 第四に、これに対して日本政府の子供の意思決定過程における参加する権利の承認の問題です。

 お手元の資料五は、日本政府がこうした国際状況を踏まえて、条約実施の監視機関である国連子どもの権利委員会に対して報告した文書です。そこで、日本政府は、(d)として、児童が意思決定過程に参加する権利を有する機関及び機会についての情報と題して以下のように述べております。

 百二十九項ですが、近年、国民に広くかかわりを持つ政策立案に当たっては、国民からの直接意見を聴取する機会、今回がそうですが、を設けることがしばしば行われており、児童も国民の一部としてこうした意見表明の機会に積極的に参加することが期待されている。児童に直接関係のある政策分野においても、児童は重要な利害関係者の一部であり、そうした政策の立案には児童も参加させるべきであるという認識は、政策立案に携わる公務員の間で浸透しつつある。こういうふうに日本政府は国連に報告しております。この公聴会も正にその一部だというふうに思うわけです。

 では、この間、子供に直接関係のある教育政策の分野で子供が重要な利害関係者の一員として意見を聞かれてきたでしょうか。いじめは子供社会の中で発生しますから、子供側にこそ解決の力が求められている問題です。そのような当事者である子供に対して、いじめ問題とかかわる政策判断に際して意見が聞かれてきたでしょうか。そして、何よりも、二十一世紀の日本の教育の方向性を左右する重大な問題について、子供、生徒に意見を聞こうという姿勢が大人たちにあったのでしょうか。

 第五に、私は、教育基本法問題の意思決定プロセスに是非子供の参加をと、これで締めくくらせていただきますが、この公聴会で重大な利害関係者である子供や生徒が意見陳述したという話はまだ私には聞こえてきておりません。このまま子供抜きで子供の教育の在り方について大人側だけで決めてしまう、それでよいのでしょうか。何でも大人頼み、大人依存を強めていくことは、ますます子供の自立をしにくく、自己肯定感を奪っていくことになるのではないでしょうか。しかも、そのことは、子供たちが私たちの社会を支えていく市民として活動し、成長していく機会をも奪うことになっております。

 残念ながら、日本では子供の意見に耳を傾けようという姿勢が大人社会の多数意見にはなっておりません。資料六のように、せっかく札幌市内の女子中学生、高校生が教育基本法改正問題を学び、意見表明しても、励ますのではなく、大人に操られているといった発想で学校が責め立てられる事態に至っております。国連が日本政府に対して勧告したように、大人が何でもしてやるといった日本社会の伝統的な考え方が子供の意見表明、参加を妨げているのです。

 私自身の身近な経験ですが、教育と文化を世界に開く会の事務局を担当し、教育基本法問題について文化講座を開いてまいりました。その記録は、岩波書店から「なぜ変える?教育基本法」にまとめられております。私は、この文化講座に度々フリースクールの子供たちが参加してきたことを思い出します。このフリースクールでは、この子たち独自に、子供たちが独自に学習会を開いて、例えば二〇〇六年の五月二十六日に教育基本法改正案について勉強会をしたそうです。その際、教育の目標部分で態度を養うという言葉が五回も出てきたことについて、態度で見せるということは、ふりをする、ふりをしなくてはならない、そう感じる、二重人格が増えるんじゃないかなといった意見が出ていたそうです。

 参議院はこれまで、子供の声を国会に反映させていくために子ども国会を開催してきました。一度、国会にフリースクールの子供たちを呼んで意見を求めてもよいのではないでしょうか。この公聴会で終わらせることなく、子供からの意見をあらゆる方法を使って聴取していただきたいと是非お願いしたいと存じます。それは、私たち大人世代の責任であり、人類としての義務なのだと感じております。そうでなければ、子供たちはますます自信を失っていく、自己肯定感を低めていくのではないでしょうか。

 良識の府である参議院でこそ、大人だけの教育論議で終始するような時代感覚を問い直し、子供の教育の基本を問う今の時点でこそ子供参加の道を開いていただきたい、その点について是非御検討いただきたいと願うものでございます。

 以上で私の意見陳述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。


教育基本法に関する特別委員会会議録
静岡地方公聴会速記録 平成18126日(水曜日)より抜粋

 

○公述人(粕谷たか子君) それでは、お願いします。

 私は、静岡県の高等学校障害児学校教職員組合の委員長をしております。委員長という看板をしょっておりますが、学校の現場で教員をやりながら組合の仕事もやっておりますので、今の子供たち、それから学校の状況はかなり分かっているつもりでございます。

 それから、今までに、私の教職歴ですけれども、分校から独立して十年目の学校を振出しに、いわゆる受験校、それから農業高校、そして現在は商業高校で教えておりますので、いろいろな子供たちに接し、それからいろいろな先生たちの悩みにも接して今日までやってまいりました。

 そういうことですので、私は、今子供たちとそれから学校、教育をめぐる状況がどのようになっておるのか、それから現場の教職員、学校は何を求めておるのか、それからこの教基法が、改正案が通ったらどのような影響があるかということについて述べたいと思います。この改正案には反対の立場でございます。

 まず一点目、子供と学校が直面している困難、問題点なんですけれども、まず一つ目は、経済状況の悪化が子供の学びと未来を奪っているような状況になってきてしまっております。

 親の経済力の格差が子供たちの教育の格差にも表われておりますし、それから一生懸命勉強しても職に就けるのか、あるいは本当にせっかく得た職でも、夜遅くまで働いてそれで心を病んでしまったりという、そのような状況を見ておりますと、非常に難しく、どこにどのように対応したらいいかということが非常に今悩んでおる一つの問題でございます。

 もう一つ目は、子供たちをターゲットにした消費文化と享楽的な文化、この影響でございます。携帯とかインターネットとか様々な、私たち学校が手が届かないような文化と言っていいと思いますが、その影響を子供たちが非常に受けておるということです。

 それから、三つ目は、大人の世界の金の力、権力に物を言わせ、あるいは暴力でもって自分たちの目的を達成しようとする、そして道徳的には非常に退廃した、今そのような状況があるわけですけれども、それが子供たちに大きな影響をやっぱり及ぼしている。私は、このような状況を見るにつれ、子供たちが本当に人間不信に陥ってしまわないか、本当に暗い気持ちになって、いい、こういうことが起きているけど、でもまず人間に対する信頼感を失わないでねっていうことを子供たちに言いながら、接しております。

 そして、このような状況の中で政府の方は教育改革と次々と打ち出してきているわけですけれども、それはあくまでもトップダウンのもので、私たち現場が本当に必要としているものではないという現状でございます。

 例えば、どういうものがあるかと申しますと高校の入試制度ですね、大きく変えられました。その弊害があって今、静岡県では見直しに入っておりますが、入試制度とか、それから学校の学校評価制度、開かれた学校ということを名目にはしておりますが、これが空回りしていたり、あるいは首を絞めるものになったり、それから各種の官製の教職員に対する研修です。初任研、それから十年研、あるいは中学校との交流とか資質向上研修とかいろいろな研修が入ってきておりますが、これが残念ながら、私たち本当に求めているもの、あるいは教員の指導力の向上にはつながってないという現状がございます。

 そして、一つ大きな変化、少子化の問題でどのようなことが起きておるかと申しますと、学級減がここずっと行われております。来年度も静岡県で四十一学級が減らされるという発表がありました。一学級が減らされますと、正規の教員が二人減らされます。ですので、来年度は教員が八十二名減らされるということになります。

 こういうふうに教員が減らされて、授業の持ち時間というかそれは少なくなっても、私たちが抱えている仕事そのものは減らないわけです。授業以外に学校運営に係る、まあ分掌の仕事と申しますが、分掌とかクラブとか様々な仕事があるわけですけども、それをこなすのにも本当に足りなくて、非常に多忙な状況になっておるということでございます。

 そして、その中で、定数減は学校の統廃合につながるということで、静岡県でも学校の統廃合計画が発表されたわけですが、これが非常に現場を脅かしております。定員割れを起こせば学校がつぶされるかもしれないと、そのようにつぶされないためには何としてでも生徒を確保しなければいけない。ですから、私たちは中学校を訪問して、何とか生徒さんを学校に送ってくださいというふうに回っておりますし、学校の実績を上げなければ駄目だという行政の指導もありますので、実績づくりのために奮闘しているわけですが。実績というのは大学進学実績であり、あるいはクラブ活動での実績であり、あるいは検定の合格率とか様々な数値を目標とした実績づくり、これが押し付けられてきております。

 そのような中で、私たちは本当に新しく下ろされてくることをこなすことに本当にもうきゅうきゅうとしておりますが、目の前の子供たちをほうっておくわけにはいきません。子供たちも、先ほど申したように本当にいろいろな問題を抱えて悩んでおります。で、子供たちと接してきちっと聞いてやる。

 それから、まずやっぱりいい授業をしたいという、そういうことでございますが、その授業のための準備、教材準備は、ほかの仕事が、どうしてもやらなければならない、締切りなんかを迫られるわけです、書類なぞの。そういう仕事をやってから、遅くまで学校に残って、今では十時まで学校に残っている職員が多いということが話題になっております。

 どうしても、女性を始め学校に残れない教員は、家に帰って、持ち帰りの仕事をしております。このような形で、自分の健康、家族、それからほかのものを犠牲にして教職員は今奮闘しておるわけですが、その中でメンタルの問題を抱えている教職員が非常に多くなっているという数字が発表されております。

 それで、今このような状況は、そこにちょっと書きましたが、教育の五Kとでも言えるような、Kは競争、管理、それから強制。競争をさせる、そして、でもなかなか言うことを聞かない子たちには様々な形の管理が課せられ、そして、それでも言うことを聞かなければ力ずくで強制的にやらせる。そして、手が掛かる子、それでも駄目な子、学校に来れなくなってしまったり、切れてしまったり、問題行動を起こしたりした子たちはもう切り捨てられていくような、そのような状況になっております。

 とにかく、こういうような現状で私たちが望むことは、そこに書きましたが、まず第一に、教育基本法を変えることではなくて現行の教育基本法を生かすこと、それが何よりも求められていることだと思います。

 第一に、現行法第十条にうたっておりますように、教育行政は、不当な支配に服することなく、教育全体に責任を負って、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。この十条をとにかく実践すること、それが必要だと思います。

 具体的には、まずやはり教職員を増やしていただきたい。この少子化の機会に少人数学級、今四十人が定員でございますが、欧米先進国並みに二十人にすれば、今のクラス数、学校数でやっていけるわけでございます。それから、学校統廃合を行わない。これは、やはりどうしても過疎地の学校が統廃合されなくなったり、そして非常に、高校の場合は輪切りという言い方をしますが、いわゆる受験校トップの学校から、なかなか勉強が追い付かない大変な子たちが集まるような困難校と言いますが、そのような学校にきれいに輪切りにされているような状況でございます。その中で、本当に教職員増やして、子供の生徒、学級の人数を減らして、子供たち一人一人に目が届き、直接かかわれるような、本当に子供たちに直接責任を負って教育活動ができるような、そのような条件整備をしていただきたいと思います。

 新たな家庭の教育の問題とか、あるいは生涯教育の問題とか、これなんかもすべて現行のこの教育基本法で対応できるものではないかと思っております。

 二番目の反対の理由なんですけれども、様々な方たちが声を大にして言っておられます、国家の教育への統制が強まるということです。前文には、平和を希求しという言葉があったわけですが、その平和が正義を希求しに変えられて、それから教育の目的の第一条、そこでは国家が必要な資質を決めて行うと。そして第二条の目標には、事具体的に、愛国心とか徳目ですね、各種の徳目、態度を養うという形で細かに挙げられております。

 これが通ると学校現場ではどういう形になるか、なかなかここが、残念ながらこれまでの審議の過程では明らかにされていないと思うんです。だもんですから、まだこの危険性が十分理解されていない一つの原因になっておると思うんですが、私は六月に衆議院の特別委員会を傍聴に参りました。そこで、文科大臣が、この改正案が通ったらどういうふうにするのだというほかの議員からの質問にお答えになって、指導要領を変えて各教科で指導ができるようにするのだというふうにお答えになっていました。

 これは、指導要領は、まあ私どもは大綱的な基準であって法的な拘束力を持つものではないと思っておりますが、でも、現状ではこれが非常に強い力を持っております。指導要領が変えられれば、教科書が変えられます。それから行政の様々な施策も変わってきますし、教育への直接的な介入になってきます。

 その中で、具体的にやはり、まず真っ先にこの辺が変わるだろうなと思うことは歴史観ですね。侵略戦争を美化した歴史観、それは平和を取ってしまえば戦争をということに行くわけですが、その歴史観がじわりじわりと、まあそんな露骨な、最初は露骨な形ではないと思います、入ってきたり、あるいは教えないという形で現場には入って、知らない、子供たちが知らない、無知はやはり非常に恐ろしいものだと思いますけれども、知らないという形で出てくると思います。

 先日、私、たまたま十二月三日に靖国神社の遊就館を見学に行ってまいりました。驚きました。本当に戦争賛美の遊就館で、そこへ前首相は参拝に行かれたわけですけれども、安倍現首相もそこのところについては否定はしないとおっしゃっているわけですが、非常にあのような形のものが入ってくることを懸念しております。

 それから、国とかあるいは公共の精神、非常に大事なことだとは思います、愛国心も公共の精神も。ですが、今のような形で進みますと、公共の精神というのは全体の秩序を乱すもので悪いことだということで、それで、例えば私ども労働組合の運動、基本的人権を守る、労働者の基本的人権を守る。それは、教え子たちがこれから世界へ出ていく、企業の現場ですね、労働現場、本当にきちっと人権が守られるものにしたいと思いますから、その基本的人権が侵されるようなことになっては本当にいけないと思っております。

 それから、平和と民主主義の教育を規制するようなものになっていて、これは憲法違反になります。そして、それはもう憲法の改悪、安倍首相は五年間のうちにやるとおっしゃっているわけですが、この憲法改悪につながるものであると思います。

 現行法で、じゃ子供たちに国のことを本当に考えて公共のモラルですね、そういうものを身に付けることができないのかと。そうではないと思います。現行法の第一条には、平和的な国家及び社会の形成者を育成するとうたってございます。ここのところをしっかり徹底させていけばできること。ほかにもまた申しますが、現行法をきちっとやればちゃんとした子供たちが育っていく、そのように思っております。

 それから、もう一つ大きな反対理由ですが、新たな第十七条、教育振興基本計画ですね。法律で定めて、それを、国が法律で定めたものをどんどん教育で実践するようになるのだという、これは報告だけでいいのだということになっているわけですが、これが実際行われたら本当に大変だなと思います。教育改革の、今具体的にはどういうものかというものは教育再生会議で議論になっておりますが、教職員評価、それから学校評価、バウチャー制とか免許更新制ですね、そのようなものが行われるようになるわけですが、教職員評価は学校経営目標を……

○団長(岸信夫君) 時間が経過しておりますので、そろそろおまとめください。

○公述人(粕谷たか子君) はい。

 それでは、教職員評価の問題点はアンケートを私ども資料として付けました。それをごらんになっていただきたいと思います。これは資質向上にもつながらないし、かえって学校の統制を強めるものになると思います。

 そして、教育の、本当にいい教育をしていくためには、四番目にございます、これだけ、済みません、言わせてください。私たちは、やはり子供と保護者と地域住民と教職員が本当に参加して共同し合って学校をつくるということが求められていると思います。形だけで評価を入れていくとか、お互いに対立させるようなそういうことをあおるのではなくて、その現行の第二条ですね、これ削除されておりますが、これを徹底させることが必要だと思います。

 それでは、今回の公聴会をやったということを強行採決の前提にしないようにお願いします。